心理

やめる必要はある?いい人ぶると疲れるけど自分のためになる。

自分の利益を欲するのは自然な姿。そのために演技も偽りも、仮面も着ぐるみも大切なアイテムです。

いい人のふり、いい人ぶることから見える心理と紐解き。

ここでは、いい人ぶる行為にある演技と素の狭間についてお伝えします。

狭間があることで起きるのは、“疲れる”。

いい人ぶることに心理があり、その利益と恩恵があり、その対価と見返しがあります。

そんな紐解きをすることで、いい人ぶる行為をしっかり把握し、やめるかどうかの選択が見えやすくなります。

いい人ぶるとは演技の話、仮面に着ぐるみのキャラ設定。

演技を深めることで見えてくる真意には、細微への注意以上に“自分”という核への意識が大切な演技指導があったりします。

私は演技に詳しくないただのひねくれものですが、私の理解が何か気付きへと繋がることを願います。

いい人ぶると疲れる

いい人ぶっている人のタイプ

いい人ぶるとは演技中。

演技名目として“いい人”を選ぶからには、いい人ぶる心理が垣間見えます。

それは、「現状いい人ではない」という。

これには自己否定、自分を蔑む心理が考えられます。

「素の自分はいい人間ではない」

この自覚を意識的でも、無意識的でも持っていることで、“いい人ぶっている感”といいますか、「本当はいい人ではないんだな」という明らかな違和感を周囲に与えます。

そのため、いい人ぶることは言葉としてはいい人のふりですが、リアルな日常では、いい人ではないことを露呈していたりします。

この状態、言い方を変えると、自分として違和感の在る状態表現になります。

しかし、いい人ぶっていることを明確に自覚し、演技として被る仮面や着ぐるみを受け入れると、全く違うキャラが作られます。

いい人ぶって隙を作り、心を許した相手の心臓を鷲掴み手玉に取り、攻撃したりエネルギーを奪ったりと、他者から利益を吸い取る吸血鬼的な人です。

このようにちょっと怖い人もおり、自覚の明確度、演技に対する違和感のなさによって、いい人ぶっているタイプが分かれます。

いい人ぶる人のタイプ
  1. 自己否定になりがちないい人ぶる人
  2. 他者を攻撃しがちないい人ぶる人
  3. どちらでもなく、利益を得るためにいい人ぶる人

それぞれの違いは、疲れる対価を払って利益を得ようと演技するのか、自分の利益を他者から奪い取るために演技しているのか、どちらでもないかです。

どれも利益目的ですが、ここでの利益とは、いい人のふりをすることで得られる満足や納得(喜びや安心がある、恐怖や危険がない)です。

①自己否定タイプと②他者攻撃タイプの違いを極端に表すと、利益を得るために頑張る人か、他から奪い取る人かでして、前者は苦労が伴うために疲れます。

ここでは、“自己否定になりがちないい人ぶる人”を主旨として、疲れてしまう詳細と心理を見ていきたいと思います。

※攻撃的ないい人ぶる人の話は、いい人だけど…。疲れたり嫌いになるのは心身アラーム│裏の顔が怖い人の対処法 をご覧ください。

 

いい人ぶると疲れる理由

「いい人ぶる」と言うと聞こえが悪いイメージがあるかもしれませんね。

実際、世の中でいい人ぶっていない人の方がかなりレアな存在かと思いますので、いい人ぶることはある意味自然です。

ですが、自覚の明確度にて“違和感”が表れるため、いい人ぶっているとはっきり自覚しないと、そこで初めて自然ではない様が見えたりします。

ここで一つ疑問になるのが、いい人ではないと自覚しているのに、いい人のふりをしているとはっきり自覚しないなんてあるのでしょうか?

ここで剥き出されるのが、自己否定の癖です。

「自己否定を自覚したい」と思う人はそうそういません。

「私はダメなやつなんだ」と言葉では言ったとしても、本心としては受け入れていなかったりします。単純に嫌なものです。

自己否定を受け入れると虚無感に喪失感を作り、生きている意味の見失いや、価値や意義の損失が起き、生きる力が衰退しかねません。

パワーゲージがスススとなくなっていくイメージですので、これをする前には自己防衛として制御が入ります。ストッパー、影の功労者です。

自己否定を顕在的には認めていても、潜在的な内側の深い部分では認めない。

これによって喪失を防ぐのですが、その対価があります。

内側と外側の自分に差が作られ、内外の違いから矛盾や違和感や不調和が起きます。

すると、行っている行為(顕在意識)と、その指令となる動機(潜在意識)が反発し、行う行為がスムースに執り行われない内部衝突が起きます。

「いい人のふりなんてしたくない!」
「うるさい、だまって言うことを聞いて、いい人のふりをしておけばいいんだ!」

バチバチッと。

すると、いい人ぶる演技に違和感が生まれ、やり切った感がなく、ぎこちなさ、憤り、押し切った無理矢理感が。

ここに自己否定癖が加わると、罪悪感、自己嫌悪、自己を蔑み、自己疑念を持つことも起こり、それによって自己概念の硬直、自己支配、思い込みや決め付けが加速します。

これらがあると疲れ、ストレスを溜めることが起き得ます。

 

いい人ぶると疲れるのは対価と見返り

上記の内容に当てはまる場合、疲れる理由は明確になります。

自分の中で疲れを作っています

内外の二人の自分が戦うように存在し、反発し合うことで、一つの行為をする際に体力以外の精神面が疲弊します。同時に、思考過多になり脳も疲れます。

演技は外に向けてするものですが、公演前にひと悶着してバタバタとステージに立つ、そんなイメージ、終演時にはヘトヘトなんて具合に。

自分との戦いを経た上で頑張っていい人を演じる状態があり、それによって得る利益の対価や見返りとして、疲れる状態があるというものです。

いい人を演じている自覚が曖昧になることで、自己内部での反発をまずは対処せねばならず、その上で利益を得られる状態に持って行く。と人それぞれの人間性にある自覚度合によって疲れる生き方になると考えられます。

 

いい人ぶると疲れる理由 特例

上記は対価や見返りとして疲れる理由ですが、特例として疲れる理解が潜みます。

いい人の演技、実は見る角度をチラッと変えると、疲れることは自己納得のためだったりします。

自己否定癖から、いい人を演じることには自己嫌悪と同時に罪悪感を持ちます。

「実際にはいい人ではないのに、自分のために他者に偽っている」という具合で、他者を誤魔化していると思い込むことが起き得ます。

それは、他者を利用して自分の利益を上げている認識となり、「自分だけ得をしている、相手に申し訳ない」という感情を抱くかもしれません。

一方的に利益を得ている状態に憤りを感じると、自分を傷つけるように一方的ではない様を作る行動が起きます。

これも自己防衛であり、自己否定しないための対処です。

「いい人として利益を得るからには、一方的な利用ではなく対価を払わねば」

頑張る、苦労する、嫌々やる、努力する…。

自己納得のために相応の働きを費やし、その対価にいい人としての利益を得る。

疲れます。

この状態に該当する場合、いい人ぶることは=都合がいい人という意味になります。

その場その場の状況や環境に合わせて、都合よく自分を変えます。

いい人とは少し違う概念になるので特例としてお伝えしました。

※気を使うと疲れる話は、気を使う人は嫌われて疲れること必須?│改善は気の使い方説明書で をご覧ください。

 

いい人ぶるのをやめる

いい人ぶることの利益

いい人ぶることで得る利益には、喜びや楽しみを得る満足があり、自分の在り方を変えて優しく、気を遣い、思いやりを持つシーンを作ることでの納得があります。

さらに、他者から否定や拒絶をされない自分を作ることで恐怖のないシーン、傷付けられる可能性をなくして苦痛や危険性のない安泰シーンとなります。

キーワードとなるのは、恐怖、不安、苦痛、危険。

自己否定をする人間性の際には、これらの基となる、拒否、否定、非難、文句、無視など、存在価値や意義に干渉しない様が利益になります。

いい人ぶるのは日常的で頻繁に起きることで、多くの方が常日頃から使用します。

人それぞれにいい人ぶることでの利益があり、特にわかりやすいのが好きな人や好かれたい時にいい人ぶる演技かと思います。

私は男性なのでよくわかりますが、綺麗な女性を目の前にしたら、突然いい人にへんげ、ドロンと成り変わったりします。

いい人ではなくカッコつける人もいます、ぶっきらぼうでツンツンする人もいます。

初対面ではいい顔をしようといい人になる人もいれば、悪態ついて悪い人になる人もいます。

あらゆる演技やキャラ設定が人それぞれにあり、状態や状況に合わせて自分を変化させ、その被り物の一つが“いい人”です。

そのため、いい人ぶることにはいい人を選んだ意味があり、理由があり、いい人であることが自分にとって利益を生み出しやすい理解があります。

そこにはいい人ぶる利益として、心理と真意が垣間見えたりします。

いい人ぶる人は、いい人の演技ができると思っている。いい人が自分にとってしっくりくるキャラだと思っている。

 

いい人ぶる利益の核がある

上記には利益の大切さがあります。

いい人ぶる人はいい人になりたい、またはいい人になれる認識がどこかにあります。

心身のどこか、体?頭?心?
人それぞれに違いますが、どこかしらにいい人と合致する認識を自分の中に持ち、キャラを選んでいます。

演芸会、どのキャラにするか。その時の自分に合ったキャラがあります。

共演ではないので誰かに勝手に決められることはありません。自分一人の公演であれば自由にキャラを選ぶため、“いい人”が自分に合っていると思う認識があります。

そこに、いい人ぶる利益の核が見られます。

いい人ぶる利益とは、恐怖のない様を得ると同時に、自分らしいキャラを見出せることです。

※これが攻撃性を持つ人だと話が一変します。攻撃性がある人は自らの利益を他者から奪うために最適なキャラを選ぶので、ここの概念はなし、別枠

 

いい人ぶることをやめる必要はある?

いい人ぶる利益がわかると、大切な演技行為だとわかります。

しかし疲れる。
ここですね問題は。

いい人ぶると疲れますが、これは自己否定癖がある人の話です。

自己否定癖があると自己否定を本心からしないための自己防衛が働きやすく、自然と思考過多になり脳が疲れ、罪悪感にて精神も疲れます。

これが続くと自己否定を受け入れてしまい、いい人のふりだけでなく、何かのふりをしなくなり、本来の自分の姿がわからなくなり得ます。

疲れる見返りは、「いい人であれたこと」ではなく、自己否定の心からの容認を食い止められることと言えるかもしれません。

しかし、いい人ぶる演技を多用することでも自分の姿がわからなくなるので、良い点と注意点が混在します。

そのため、いい人ぶることは、ある意味賭けです。

利益は多いですが、使い過ぎると本体を見失い、元も子もなくなる危険性があるという。

ここでお伝えしたいのは、「いい人ぶることはとても活用的」「でも使い方は理解しないと注意が必要」というものです。

 

いい人ぶるキャラの使い方

世の中で本当にいい人というのは全体の少数かもしれません。

そして、実際にいい人になりたいと思っている人も極少数かもしれません。

ですが、いい人ぶる人はいい人になれる可能性が見える気がします。

それは潜在的に“いい人キャラ”を選んでいることに真意があったりします。
※何度も言ってしまいますが、他者から利益を奪ういい人ぶる人はここに該当せず

いい人ぶる際の不要なものは疲れです。

単なる肉体の疲れではないので、ストレスや憤りを溜め、自分を見失う道を歩き進めます、が、それは演技の自覚のなさと、自己否定を本意としない自己否定癖による、自己防衛の使用過多に起因すると考えられます。

ここにあるのは、「いい人ぶりたい」と思っていい人ぶっていない状態。

いわば、俳優なのに「私演技なんてできません」と言っているような。

自分の現状を認めない心理です。

現状否定の心理には、思い込みと決め付けが大きく関わり、「演技=偽りや誤魔化し」というルール設定があるかもしれません。

すると、「いい人のふり=他者を騙して自分だけいい思いをする」と極端に言うとこのような思い込みをしてしまいます。

私達人間は己の利益のために生き、他者に興味などありません(あんまりないと言った方がいいですね)。興味があるのは自らに利益を与えてくれるという理由付きです。

自分に興味が出て満たされた時、初めて他者に興味が向きます。

ちょっとショッキングな話ですが、これは綺麗ごとを否定するのではなく、綺麗ごとを肯定するために必要な理解になります。
※うるさいほど言いますが、他者から利益を奪ういい人ぶる人はここに全く該当しません

そんな前提を踏まえると、いい人ぶっている現状を認めることで使い方が明確化されます。

使い方はとても簡単で、演技を自覚し、利益を求め、自己否定癖を認めます。

すると、一人一人の人間性、自分にしかわからない自分を基盤に、いい人の演技、いい人のキャラの活用が、経験と共に見出されます。

※詳しい話は、自分のキャラがわからない時に一度考えたい│キャラは存在しないから作る をご覧ください。

自分のキャラがわからない時に一度考えたい│キャラは存在しないから作る日々の社会生活の営みでは、「あれ、私のキャラ設定どんなんだったっけなぁ?」と思うことがあるかもしれません。 忘れちゃう、見失っちゃ...

 

いい人ぶるのをやめる考え方

自覚の上でキャラ活用が起きると、いい人ぶることをやめるか否かの選択ができるようになります。

この状態、本当にただの選択です。

やめるならやめる。
やめないならやめない。

やめる場合、突然やめることは困難ですので、少しずつキャラ活用の頻度を減らすことになります。

自覚があると自分を見失う道がなくなるため、いい人ぶることはその場その場の環境や他者との関わり毎に自ら利益を作る意味になります。

いい人を演じることには利益モリモリですので、心置きなく自分のためにいい人を演じることで、他者は優しさや思いやりをもらえ、他者にも利益が注がれますので嫌な気持ちにはなりません。

いっそのことやめてしまえば、それはそれで自らの生きる道が示されます。

その際には、自信と覚悟が必要となり、それらを持つ人には着ぐるみも仮面も必要なく、素のままで生きる状態になります。

ですが、それが良いとか悪いとかはなく、素のままで生きることに本人にとっては利益が多いという状態。それが自信や自尊を持った人の利益の多い生き方です。

やめるのもやめないのもどちらも大切で必要です。

見極めは自分の状態や心理、それは現状をどれほど認めて、演技を自覚するか。

喜んで仮面をキュッキュと磨いていれば、それはいい人ぶることがより喜びや楽しみのある人生を作る動機を見出し、自分らしさとなる素敵な生き方だと思います。

いい人ぶる演技、キャラ、仮面、着ぐるみ。やめてもやめなくても、現状を認めることで見える真意には、本人にしかわからない人それぞれの良い悪いがあり、物事は着実に経験と共に変化し、成長していきます。

 

いい人ぶると疲れる心理 まとめ

自己否定してしまう方を対象にした、いい人ぶる人の話でした。

いい人ぶる際には疲れるのを何とかしたいものです。

そこにあるのは違和感となる自分の内外の不調和と反発。
現状にある拒否認識に基づきます。

拒否がなくなった合図となるのが“自覚”。

演技を自覚し、利益追求の自分を自覚し、自己否定癖を自覚し。

これは、仮面を見つめ、演技の練習を始め、着ぐるみの洗濯を意味します。

パンパンと太陽の下で大きなジッパー付きの着ぐるみを干しましょう。

あとは、いい人ぶることにどれだけ利益があるか認識します。これはお仕事のようなものですので、利益率、量、損益利率、赤字か黒字か。

来年度予算を見込む必要はありません。今、この演技をしてどれほど利益があるか、喜びがあるか、恐怖のなさがあるかを認識することで、疲れがなくなります。

逆に計算する疲れが伴いますがご安心を。

確定申告も最初は腐るほど大変だけど、慣れれば簡単になるようなものです。

何かを得るには必ず対価があり、それがこの世の自然の摂理かなと私は理解しています。

ある所から水を取れば、あるところには雨が降らない。社会環境で生活して恩恵を得ていれば、社会へのお返しの時がやってくる。人から喜びをもらえば、感謝で敬いをお返しする。

人と人の関わりでは、常に利益にある恩恵、得に徳、物事だけでなく気持ちの流れがあると思います。

いい人ぶることを自分のためにすると、自らは演技によって利益を得て、相手にも一時的ですが優しさや喜びを与えられるので、一石二鳥の相互利益の生み出しになります。

そのためにも活用法を見出し、演技の意味を知り、偽りではなく喜びを作る働きであることを経験すると、自他のためとなり、必要なキャラ恩恵だとわかります。

経験を重ねることで演技に磨きをかけるように、自分に磨きをかけるか否かの選択や自覚が伴い、演技をしない演技、そんな自然な形も出て来ます。

いい人のふりをすることは大切な自分のための行為ですので、何も悪いことはありませんが、いかんせん疲れやストレス、違和感や憤りの蓄積が心身に生まれ続けるため、明確な選択の一助となれば幸いです。

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