優柔不断で物事を決められないと、生きる上で他の力に偏ります。
できることなら優柔不断をやめて、自ら決断して、覚悟して、責任を持ちたいものです。
私自身、過去には優柔不断で何も決められない時があり、「なんとかしようと」と直すためにいきり立ちました。
その時にわかったのは、直すためには経験がなければならず、決められないのに決める経験はできないことでした。
物事の判断、決断力は経験によって育むため、経験がなければ優柔不断になるのは自然です。
優柔不断を直すためには現状ないものを身に付ける必要があり、少しトリッキーな仕組みがありますので、ここでは優柔不断を直すための考え方を見ていかれてください。
- 優柔不断になるのはなぜ?
- 何がトリッキーなの?
- 優柔不断を直すために必要なことは?
これらの紐解きにて、優柔不断を直すための足かせを取り外す内容となっております。
私の経験から理解した考え方が、改善のご参考になれば幸いです。
Contents
優柔不断な人の心理

優柔不断とは自分で決められないこと
初めに言葉の意味を明確にしましょう。
ぐずぐずして物事の決断の鈍いこと。
気が弱く決断力に乏しいこと。また、そのさま。
※コトバンク引用
優柔不断は決断力が乏しいために、自分で物事を決められないさまを表します。
生きている以上常に選択の連続ですので、「決められない」なんてことはおそらくないと思います。
ラーメン屋に行けば、メニューとにらめっこしても最終的には何かしら食べているでしょうし、お店に到着する段階で既にあらゆる決定をした過程があります。
決められるけど決めきれない」という決断力の欠如が優柔不断を作ります。
決めるか決めないかは二者択一ですので、決められないことはないと思いますが、「
決めきれない優柔不断は意志がない表れ
決断とは心をはっきりと決める、意志をはっきりと決定する意味です。
決断力がない場合には意志がない状態が考えられ、決定打になる選択材料が見出せないと、他者や常識やルールなど自分以外の他に向かいます。
しかし、他の意見は他の中でしか生きていないため、他は心にも意志にもならず、決断力は自分で見出す必要があります。
意志が決断力を見出し、経験によって育みます。
優柔不断を紐解く手がかりとなるのが、「意志」「決断力」だと考えます。
優柔不断な人の心理
意志とは、自分のことを自分で喜ばす気持ちであり覚悟です。
優柔不断な人は自分を喜ばそうとする気持ちが少ない可能性があります。
意志がなくても喜びたい欲を持つのが私達人間ですので、喜ぼうとするのではなく辛く苦しくならないようにすることと、他に頼ることが起きます。
ここで、優柔不断な人の心理はタイプによって大きく二分けされます。
- ネガティブな優柔不断
- ポジティブな優柔不断
まずはネガティブから見ていきましょう。
①ネガティブな優柔不断心理は防御癖
ネガティブな人の場合、意志のなさにて喜びを作らない分、嫌なことを味わわない気持ちを強く持ちます。
例えばアイスクリーム屋でガラスケース越しに選びます。
「ミントもいいなぁ、でもチョコレートの方がいいような…う~んどうしよう」
「ちょっと待って、あれってイチゴじゃん、くぅ、決められない」
「はっ、あれはイチゴにレアチーズまで混ぜ込めてしまったやつじゃないか…もうノックアウト、決められない」
この時、自分を喜ばしたいのではなく、嫌な気持ちである後悔を味わいたくない欲求が先行します。
決められないので判断材料を増やそうとし、選択肢が増えてより決められなくなっていきます。
ポイントとなるのは、嫌なことを味わわない優先度の高さ(恐怖過多)。欲するのは防御する盾。
恐怖優位の心理状態が考えられ、自分を護るプロテクターがないと不安になります。
プロテクターとなるのが自信です。
自信がないとプロテクターがなく、「恐怖や心地悪いのは嫌だ」と、嫌なことを味わいたくない欲求が強くなります。
「それでは嫌なことを味わわないように選択すれば」となりますが、嫌なこととは思考が好き勝手作るものであるために、回避が困難になります。
まるで思考の中に閉じ込められたようになり、思考内をグルグル回って疲れてしまうので、無理矢理に「これだ!」と選択してグルグルを強制ストップします。
何かを決めたのではなく、思考ストレスをこれ以上蓄積しないためのストップのためにやむを得ず選択し、「なんだよバナナオレって」とがっくりする結末になります。
物事の選択が、「嫌なことを味わいたくない」という欲求フォーカス状態であるため、「ちょっと早くしてよ」など周囲からプレッシャーをかけられたり、嫌な状態きっかけで強引に決めるようになります。
間接的に決めなければならない状態による選択であるため、防御欲求は強くなりながら、決断力の育みを避ける生き方になってしまう可能性があります。
②ポジティブな優柔不断心理は責任転嫁
一方、ポジティブな人の心理による意志のなさは、喜ぼうとする気持ちはたくさんありながら、自分で喜ばすのではなく、他によって自分を喜ばすという欲求の強さを作ります。
アイスクリームを選択する際に、「ねぇねぇ、どれがいいと思う?」
「あれもいいし、これもいいんだよね、ぶち子はどれがおすすめ?ねぇ教えて」
「う~ん、ほうじ茶&ドリアン珍アイスがいいよ~」と言われた時に、「いや、あれ以外で選んで(いや、絶対まずいっしょ)」となります。
何がいいかは自分の中でだいたい決まっているのですが、決断できないために他に決めてもらう選択をします。
相手の言うことをそのまま受け入れるのではなく、相手に選択させて自分の喜びを得ようとするので、喜びにならないものは省きます。
言い方を変えると、責任を持たないで済むように他に選択してもらい、喜べるように他に執着・依存して利用します。
責任を持てない、または持ちたくない気持ちが強く、ネガティブ心理と同様に自信のなさが考えられます。
欲の強さとポジティブな状態願望があり、嫌なことは味わいたくない欲求がありながら、自分を喜ばしたい欲求もあり、両方を得るために他者に執着や依存して決めてもらおうとします。
自信と責任のなさが優柔不断
ネガティブもポジティブもタイプは分かれますが、両方に共通するのが自信のなさです。
自信とは自分を信じることですので、自分を信じられない、疑いの念があると考えられます。
「信じない」というのは、「知ろうとしない」という意味であり、「認めない」という解釈もできます。
自信がないと他者を信じることは自らを信じる以上に困難ですので、他者を信じずに疑いを持つ可能性もあり、そんな自覚が心地悪くて嫌であれば自覚しないようにします。
自覚がなくなると、自らの思考も行動も認めることができず、責任を持たないさまとなります。
自分を信じられないと責任を持ちたくても持つのは困難で、物事の決断をする際に意志のなさと同時に、責任のなさによって決められなくなります。
※優柔不断で支配を求める心理は、【支配されたい女と男の心理】誰しも支配したいしされたい真意 をどうぞ。
優柔不断の直し方
優柔不断を直すための考え方
心理把握から、優柔不断を直すには自信を持ち、責任を持つことが必要になります。
「それでは自信を持って、責任を持って」とこれで直せたら誰も苦労しませんので、着眼は別です。自信と責任はあくまで自己理解のための一助にされてください。
実際に直すためには、私の経験からでは優柔不断のトリッキーさを理解する大切さがあると考えます。
何がトリッキーかと言いますと、「優柔不断だから決断できるように頑張ろう」といくらやっても改善には向かわないことです。
例えば、「決断するぞ」と意気込んで選択しても、普段からしていることと同じです。
意識していないだけでご飯を食べるのも、シャワーを浴びて、歯を磨いてとさまざまに選択しています。
優柔不断を直そうとすると、「自分で決められたかどうか」「選択に時間がかからなかったかどうか」という思考ルールに基づいて自己判断するため、全ては自分の裁量で嫌なことを味わわない範囲にする無意識の制限が入り、「優柔不断じゃないかも」と思える光景を作ろうとします。
実際に優柔不断を直すのではなく、納得するための光景作りになるので、頑張れば頑張るほど何をしているのかよくわからなくなります。
これは私が自分で決められなかったので、何でもかんでも強引に決めようとして、「あれ、何がしたかったんだっけ?」と自己喪失を何度もしたためにお伝えしておきます。
優柔不断を直すには、選択を迅速にしてグダグダをなくすのではなく、これまで逃げてきたことに向かう必要があると考えます。
優柔不断を直すには自分を見る
決断力がない場合、生まれてから今日までの日々にて、決断力を育まない環境、または育まない選択をしていると思います。
意志を持たず、責任を持たない環境や生きる選択です。
もちろん無意識だと思います。
否定されたら嫌だ、拒否されたらどうしよう、自己対処できないから当たり障りなく、出る杭にならないように、恥ずかしい思いをしないように、周囲から排他されないように、目立たないように、嫌なことを味わわないように。
この選択は責任を持つことを重大なものとして認識し、より距離を遠ざけるようにします。
告白やプロポーズなどは最たる例で、責任を持ちたくない人は告白しません。
自分で決められないのではなく、決めてもらうことで責任を持たないようにし、自分を責めずに否定せずに嫌な思いをせずに済ませます。
ここにいるのは、自分を正当に評価・判断していない自分自身です。
直すために大切なことは、自分を見つめます。
方法がありますので、順番にご覧ください。
優柔不断の直し方①:優柔不断な人に依存してみる
優柔不断を直すための初めのステップです。
特にポジティブな優柔不断の人は、他者に執着と依存して決めてもらうさまが強いため、自分を見つめるために優柔不断な人と関わる大切さがあります。
優柔不断同士で関わると、明確に自分が浮き彫りになります。
お互いに擦り付ける、責任を押し付け、物事が決まりません。一度されるとわかりますが驚くほど何も進みません。
すると、優柔不断ではない人を介入させようとして、現実から逃避します。
一度ぞっぷり優柔不断な人と関わる時間を設けると、自分がどういう状態なのかがよくわかります。
見たくないから避けてきた自分自身を見つめる機会になります。
嫌なことから離れてきた場合、自分を見つめないようにする癖や工夫や対処策をたくさん無意識に構築しているので、見ざるを得ない状態を一度作ると直す動機に意志が加わります。
優柔不断の直し方②:逃げていたことに挑戦する
上述の①は、実際に直すための初めのストッパー解除の意味があります。
嫌なことを味わいたくない気持ちは恐怖からの逃避ですので私達人間は誰しもが持ち、本能的にも抱くのでホメオスタシスと言われる恒常化が働き、「このままでいいかな」と思えてしまいます。
一度直そうと思っても、思考を納得させるための一時凌ぎや自己満足で終わりやすくなり、その原因が意志のなさです。
意志を見出すためにも、自分と同じ状態を客観的に捉える関わりによってストッパーを解除し、実際に直すために逃げていたことに挑戦する行動が方法となります。
逃げていたこととは嫌で拒否したいとこれまでは思い、関わらないようにしていたことです。
告白、白状、本音の吐き出し、感情表現、一人焼肉、人前でおなら、恥ずかしい過去、拒否している事実との向き合い、親への不満…。
たくさんあると思います。
私を例にすると、自分との向き合いができずにおり、人生初めての一人旅が優柔不断を直す大きな方法になりました。
何もかもを自分のみが決めます。静岡の旅館に電話した時はとんでもなく緊張したのを憶えています。
新宿駅での乗り換えで迷い、駅員さんに尋ね、山梨の電車連結の仕組みがわからず焦り、不安な中で誰もいない駅に到着し、山梨の山奥の旅館はとんでもなく遠くて、到着は真っ暗な中で疲れ果て、ボロボロの部屋に通されます。
一つ一つの行動全てが決断力の育みでした。
旅は今の時期では困難ですが、旅でなくても何をしてもよく、これまで拒否して逃げていた些細も大それたも一つ一つを乗り越えていくと、必ず決断力の育みになります。
優柔不断を直すポイント
直す際に大切なのは、嫌だと思っていたことは本当に嫌だったかの確認です。
良いも悪いも人それぞれですので、自覚して把握すると自責の育みにもなります。
優柔不断な場合、食べず嫌いのように事前に、「これは嫌だ、無理だ、対処できない」と決めてしまうかもしれません。
決断力がないと自己対処できないために、とにかく嫌なことから遠ざかろうとしますので、そんな自分を見つめる認識が一番初めに重要です。
実際に逃げてきたことに立ち向かっても、何か挑戦と言った大きなものではなく、本当にシンプルな現実だとわかります。
自分の思考から抜け出した現実との向き合いが決断力を向上させる経験となり、経験値が多ければ多いほどに選択は自然と容易になり、責任を持つとは嫌なことを負うのではなく、自らと向き合って認めることだと気づけます。
「優柔不断を直したい」と思えるか否かが最重要
優柔不断のポジティブタイプの心理を見ていただくと、嫌なことと向き合わず、喜びを他によって見出すために利益がたくさんあります。
これを歯止めするのは相手に迷惑がかかっている自覚くらいなもので、自覚がなければ直そうと思うのは困難です。
優柔不断を直す動機が見出せず、直したいと思っても意志がないと数日後には元の状態に戻ります。
本当に心から優柔不断を直したいと思えるか否かは、人それぞれに完全に分かれます。
「直したい」と思えることは既に最重要なステップを歩んでいる状態ですので、あとは目的を明確にして行動されると、ご自身のためになることと思います。
目的は決断力の育みです。
自分を育ませるために経験を増やす。これが優柔不断の直し方です。
※迷って決められない時は、迷った時のわからないに意味がある│活用法は心理とスピリチュアル をご覧ください。

優柔不断の直し方 まとめ
優柔不断を直す決断力の育みは一から学んで成長していく大切さがあり、実際には直すのではなく育むというものです。
箸が初めから使えなかったように、一からのスタートは辛いこともあります。
実際に箸が使えるようになると、辛さは辛さではなく一つの成長過程であり、一つのステップクリアだとわかります。
優柔不断の育みは一つずつ進み、経験値があればあるほど決断力が高まります。
物事の決断には必ず意志決定があり、それは自分を意味します。自分がいなければ責任を持つ人はおらず、誰も物事を決められません。
他者が責任を持つことはできず、できるのは負うという概念。人を支配する・されるのさまや、損得・上下・利害・執着・依存関係を作ります。
意志は他者には負えない、自らを自らが喜ばす気持ちであり心。
心を見出せるのは本人のみ。見出す方法が経験であり、現実に立ち向かえるのが自分という存在です。
嫌なものは嫌で終わらせると、物事は一辺倒の一色になってしまうので、より現実とは多彩だと気づく一助となれば幸いです。
優柔不断の見直しは意志と育み。ぜひ経験を増やされてみてください。
それでは、優柔不断を直す考え方を終了します。
最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。
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