方法

【他人からの評価を気にしないために】アフリカから戻った時に知ったこと

周囲の目、反応、評価、判断は如何に。

「私はどう見られ、どう思われ、どう評価されている?」と気になることがあると思います。

他人からの評価を気にしていた私は、海外の旅を経験したことで気にならなくなっていると、ある日気づきました。

気にしていた時と気にならない時を比べると、明確な違いがありました。

ここでは、他人からの評価を気にする人を対象に、気にしないための考え方をお伝えします。

  • 他人の評価を気にするのはなぜ?
  • 他人の評価を気にしないポイントとは?
  • アフリカから日本に来て気づいた体験談とは?

これらを紐解き、心理と体験談からの理解を知っていただく内容となっております。

他人の評価を気にする大切さは社会性としてありながら、気にしすぎると邪魔になってしまうので、一つの考え方としてご参考になれば幸いです。

他人からの評価を気にする心理

他人からの評価が気になる理由

「どうして他人にどう思われるか気になるのか?」

シンプルに疑問を考えてみると、周囲からの見られ方、見栄えなど、いわゆる体裁を気にしているのだと思います。

私自身、他人からの評価ばかり気にしていたので、スーツの着こなし方、バッグの色、革靴の値段、そして歩き方まで気にしていました。

「今考えると、どうした私?」と思えますが、当時はとても大切なことだと思っていた重要な行為です。

この時、自分がどう自らを認めるか以上に、周囲から認めて欲しい願望が強くありました。

[自分を認められない+他によって認めて欲しい]

他責や他律と言い、自分の責任や意思が希薄な状態です。

自分の内側は自らでしか認められず、外側は自らでは見えにくいので周囲の方が認めやすく、内側より外側にフォーカスを強める心理を作ります

この他責や他律の状態をわかりやすく示す状態が、自覚がないことです。

自らの思考や行動を自覚しない状態です。

「私は猫背なのにスーツを着るとカッコつけてピーンと歩いている」と自覚しないので、この時に自分は何を感じて、何を考えて、何を想っての認識がなくなります。

あるのは、周囲から見られることで何を感じ、あの人に反応されて何を思い、あの好きな人に評価されて何を想い、という他に従って自らの在り方を決める他律です。

※他人を気にしていい人を演じる心理は、【いい人を演じる訳あり心理】原因を知ると能力が高まる をどうぞ。

 

他人からの評価を気にする過去の私

私を題材にして、心理をよりわかりやすくしていきます。

私は体裁が命みたいなところがあり、髪型や服装、話し方や動作である外装をアイテム装飾して、他人からの評価を得ようとしていました。

目的を当時は考えもしませんでしたが、今思うと他責で他律、自分のことを自覚せず、自らの意思に従わずでした。

明らかに自分を認めることを放棄して、他から認めてもらうことに追力するパワーバランスは、「他一色」です。

自分のことをしっかり捉えようとしなかったので、自分の素材をぶち壊すようなことばかりしていました。

例えば、私は髪が細いのでワックスを使っても髪型を作れません。にもかかわらず過去の私はガッチガチの固いワックスで、これでもかというぐらい使って髪を立てようとしていました。

全体像を大きくして強く見せたい、弱く見られたくないという、他人の評価を気にする在り方です。

本当は悪口を言いたいのにあえて抑え、八方美人のようになり自分の中身をなくす代わりに、周囲から否定や批判されない対価を得て、周囲の評価を保持しようと勤しみます。

極めつけが上述でお伝えしたスーツ。会社員の時には自らの歩き方や話し方までスーツによって変わっていました。

自覚して自らの意思でしていれば大切な在り方だと思いますが、自覚なく周囲からの反応や評価を気にするためだけの意思がない状態は、見えない何かに踊らされているパペットのようです。

パペットに糸をくくって上から操っているのをエゴと言います。

 

エゴが強いと他人の評価が気になってしょうがない

自分は自分であるのが当たり前ですが、「私が私だ」「これが私なんだ!」とあえて自らを見出そうとする場合、自ら認めるか他に認めてもらうかの選択があります。

自ら認める場合には必ず勇気が要ります。周囲の評価や反応を気にせず、自らの在り方を貫く覚悟を要し、恐怖との向き合いを克服する強さが求められます。

私はこの選択を見もせず、一目散に他に認めてもらう選択をしました。

この自らを他によって見出そうとする意識をエゴと言います。

  • 自らの存在と価値を知り、「私はここにいる、生きている、ちゃんと存在している、こんなことができる」と思いたい願望が強ければ強いほどに、他人の評価が気になる
  • 他に認めてもらおうとすればするほど、他人の評価が気になる
  • 自らを認めることができなければできないほど、他人の評価が気になる

この心理状態では人それぞれに、自分にとって嫌なことから逃避したり誤魔化すための在り方を作ると考えられます。

私の場合、「恥をかきたくない」でした。

例としては、おならを絶対に人前ではしません。迷惑をかけるからではなく、恥ずかしい思いをしたくないからです。

おなら心理に潜む真相は、自分を認める勇気も覚悟もなく、他責で他律で他に認めてもらおうとするエゴの強さでした。

おなら心理の紐解きに、他人からの評価を気にしない方法があります。

※他人を気にして迷惑をかけたくない心理は、人に迷惑をかけたくない常識と理想。「迷惑かけてもいいじゃない」 をどうぞ。

 

他人からの評価を気にしないために

気にしない方法は気にしている自分を知る

私の場合、[おならをしない=他人からの評価を気にする]です。

「じゃあおならしちゃえ、ブブブっとね。人前でぶちかましてやれっ!」
「よろしくお願いしまーす!」

そんな声を私の内側から聞いた時、他人からの評価を気にしない糸口が見えました。

気にしている自分を自覚して、「自分はどうしたいか?」と向き合うことです。

他人の評価を気にしないためには、気にしている自分をよく知ることが一歩目の躍進です。

「ほら、今しちゃえ、ボカーンとね」と言う自分がいる。
「ダメダメ、ここは会社ですよ、迷惑だ」と言う自分がいる。

気にしている自分と向き合い、「なんでしないの?」と深掘りしていくと辿り着くのは、「恥ずかしい思いをしたくないから=自分を否定されて価値を下げたくないから」です。

この真意は、「他人の評価によって存在意義と価値を見出し、私として存在できている」というものです。

これはやめましょう。にはなりません。

絶対に必要なことだとわかる。
今の自分にとって大切な存在意義と価値の見出し方法だとわかる。
自分として存在する対処であり、自分のためになっているから他人の評価を気にしているとわかります。

この現状を認めてあげると、エゴの自分を認める意味になります。

 

気にする自分を知ることは、自分を認める改善になる

エゴは自分を護る大切な意識です。

エゴとの向き合いを深めると、他人の評価を気にする自分の真意と話し合うように、事実を知ることができます。

「どうして気にするの?」を自覚すると、気にするか気にしないかの選択が容易になります。

これを自覚できない状態が、「他人の評価を気にしてしまう」と自らの行為を後ろめたい気持ちでする自己否定や自己猜疑心になり、よりそんな自分を認めたくなくなります。

「他人の評価を気にしてしまう」ではなく、どんな意味と目的があって、「他人の評価を気にする」のかを知る大切さがあります。

 

他人の評価を気にしないためのポイント

実際に気にしないためには、自らが自らを認められるようになるのがゴールです。

それができない理由と原因があるから、他によって認めてもらう選択をして、他人の評価を自分の存在意義や価値(評価)にします。

必要だから選択をして、必要だから他人の評価を気にしている意味です。

意思が持てない時に意思を持とうとしても困難だと考えられます。

意思を持てないから持たずに自らを成り立たせる対処をして、今があります。

意思を持つには、主体的になるには、軸を持つには、勇気を持つには、持てない自分を知り、その自分を認め、自ら行動する動機を見出すことで、持つ育みや学びへ向かいます。

他人の評価を気にしないためには、気にする自分をどれほど認められるかという、自分の現状を捉えて向き合います。

このことがわかりやすくなれば幸いですので、私が旅をした際の経験談をご覧ください。

 

他人の評価を気にする時と気にしない時を知る体験談

私は海外旅の最後に、約五ヵ月間西アフリカにいました。

他人の評価を気にする概念すらなくなっており、若干社会性を忘れている状態でした。

例えば、バスで長距離移動をした夜、突然何もない平地のど真ん中で客は全員追い出されて、「明日の朝にまた戻ってこい」とか言われます。

みんなそこらへんで雑魚寝です。

しかし場所はアフリカ。真夜中に嵐に見舞われ、平地は氾濫する泥川と化します。

私はテントの中で寝ていたのですが、テントごと流され、なんとかバキバキのテントを回収して生還しますが、靴はありません。

ビショビショに濡れながら翌朝まで耐え、誰もが泥だらけで濡れたままバスに戻り、何もなかったかのように再び走り始めます。

こういうことが日常だったので、私は深く考えなくなっており、靴がなくても気にすることではありません。

どこに行っても真っ黒な中に真っ白な人が一人いるので、常にジロジロ見られるのが当たり前。

何も気にしなくなっていたのですが、靴がないとアフリカ人は人を馬鹿にするようで、考えられないほど私は浮き、見られ、笑われ、馬鹿にされました。

しかし、それでも考えるほど気にしていない自分がおり、「私は今社会性が皆無かもしれない」と自分を笑いました。

日本にいた時の自分と比べると、天と地の差があるほど他人の評価を気にしなくなっており、過去の私との違いが明確でした。

 

気にするしないの違いはフォーカス対象「自分or他人」

過去の私であれば馬鹿にされた時は真っ先に、「私は恥をかきたくない(否定されたくない)」と自分を護る意識を強めて、「嫌だ」と殻にこもるか攻撃的になります。

否定される嫌な状態になると、自分しか見ないと決め込む状態です。

アフリカの時は、「この人達は靴がない人を馬鹿にするんだな」と思っていました。

両者の違いは、フォーカスの着眼対象です。

  • 他人の評価を気にする時は自分
  • 他人の評価を気にしない時は他人

[自分の殻にこもって自分を見る or 他人目線で他人を見る]の違い。

他人の評価を気にしない状態は、自分を見ていません。

これが行き過ぎた状態です。自分が見えていないと、周囲からどう思われようが何も気にしなくなります。その内裸で街中をうろつき始めます。

社会は他との共存ですので、どちらに行き過ぎても好ましくなく、他人目線で自分を見るとちょうど良い塩梅だと思います。

これをアフリカから日本に来た時に痛感しました。

 

日本では他人の評価を気にしていい

日本に来てから一年間、私は旅の癖からサンダルで過ごしていました。

夏も冬も雪が降ってもずっとサンダル。これが普通になっていました。

しかし、冬にサンダルで歩いていると他人の目が気になり始めました。

それは、「気にしろ」という目線の人がいたためです。

日本は自分と他人を同化させている人が多いかもしれません。周囲と違う人がいると気になるだけでなく、同一性を求めて、社会順応を強めるプライベート風紀委員の人々もいます。

この時に思ったのは、他人の評価を気にしないことによって、苦しむ人がいることです。

何か物事や他を否定する場合、問題は自分の中にあります。しかし、それがわからないと他に問題を押し、他が従わないと苦しんでしまう在り方をします。

この在り方は実際に迷惑を被らないと公式に批判できないので、サンダルのような例は言いたくても言えず、自ら苦しみを作ります。

他人の目線で自分を見ると、周囲を把握した上で自らを律することができます。

おならで言うと、実害が及ぶので周囲にいる人々をしっかり捉えて、「あの~、一発いいですか?」と確認できるのが、他人目線で自分を見る状態です。

「ダメダメ、ちょっとやめて」と言われれば、「了解です」とストップ。
他人目線で他人を見ると、自分のことが度外視されるので、「了解ですブー、あっ」と自制がなくなります。

自分の殻にこもって自分を見る状態から、他人目線を追加するぐらいが、バランスになります。

他人の評価を気にしていい。ただ、「この人は他人の評価を気にしている私をどう思っているかな、どう感じているかな?」という他人目線を少しずつ追加していくと、改善へ向かうという考え方です。

※他人の評価を気にしない方法は、人にどう思われるか気になるのは解放待ちサイン。気にしない方法は「知る」をどうぞ。

 

他人の評価を気にする人に知って欲しいこと

あまりに他人の評価ばかり気にしてしまうと、「この状態は良くない」と思う理由になりますが、ここでお伝えしているのは、「それでいい」という認識が重要というものです。

他人の評価を気にする自分を見なくなると改善できなくなってしまうので、改善するためには現状を認めて、自らの自覚と向き合いを増やすことが大切だと考えます。

他人の評価を一切気にしなくなると、おそらく直ぐに捕まってしまうので、バランス調整できるようになるのが最終目的です。

自分を他によって認めようとする状態を、自ら認めるか否かがポイントとなる内容。

現状の在り方の意味や目的を自覚するためにも、拒否せず否定せずに自らと向き合う大切さがあります。

※自分を認めるポイントは、自分を認めるために。潜在意識に「ある一つ」のポイント をどうぞ。

 

他人の評価を気にしないために まとめ

他人の評価を気にする自分を認めるために、気にしていいという基盤を持ちます。
※日本という環境を前提にすると、これによって不毛な苦しみもなくせる特典付き

気にする現状を認めて、気にする思考や行動(エゴ)の自覚を増やします。

エゴの自分を知ることで、自らとの向き合いを増やします。

自分を知りながら、気にする在り方で関わる時の他人目線を意識します。

気にする自分はどう思われているか、どう感じているかの認識から、「自分は」をなくすことで他人そのものを認識するようになっていきます。

ここで、他人の評価を気にする自分はいなくなります。

気にしないことが必要か否かは人それぞれに違うため、他人の評価を気にするかしないかのバランスを自分なりに取れる状態です。

気にし過ぎると自分がいなくなり、気にしなさ過ぎると社会性がなくなるという、自分の貫き具合を表してくれます。

お昼の弁当は味噌と白米でいいんです。
言いたいことがあれば言えばいいんです。

誰が否定しようがそれはその人の問題なので、気にすることではありません。

ただ、他人との調和や共有のためには、「この人はどう思っているかな?」という他人目線が重要になるため、自らを貫き過ぎない大切さがあります。

このバランスは、自分のいる環境という他(人や状態や社会や地球)を含めた認識力を物語ります。

認識が自分から他に広がると、自分だけでなく他も含めて物事を考える大切さがわかり、否定する人がいれば、その人の内側にある問題を見守ることもできます。

気にする概念はとても重要ですので、今一度ご自身を見つめて認める一助となれば幸いです。

それでは、他人の評価を気にしないためのお話を終了します。

最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。

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