心理と特徴

人に迷惑をかけたくない常識と理想。「迷惑かけてもいいじゃない」

「人に迷惑をかけない」という美徳。

責任を持った自己理解があり、他者を敬い想うからこそできる日本人の美しさ。

これが守らなければならないルールになると自らを縛り、現実を直視しなくなると自らの価値を保持する武器になる。

日本に住んでいると、迷惑をかけないようにするのが常識となり、一体何のために、誰のために迷惑をかけたくないのか、物事の本質がわかりにくくなると思います。

ここでは、常識をポイッとぶん投げて、「迷惑かけてもいいじゃない」という一呼吸をされてください。

  • 人に迷惑をかけたくないのはなぜ?
  • 人に迷惑をかけない人って存在する?
  • 迷惑かけてもいい考え方とは?

これらを紐解き、人に迷惑をかけたくない心理からわかる自己理解をお伝えする内容となっております。

常識と理想の狭間を少し俯瞰して、自らの在り方を知りやすくする考え方となれば幸いです。

人に迷惑をかけたくない心理

人に迷惑をかけたくない理由

周囲の迷惑を鑑みず、周りを全く気にしない自己熱中人を見ると、迷惑をかけないことは必要なさまに思えます。

「迷惑をかけたくない」「迷惑をかけてはならない」

これらの言葉は、欲求(願望)とルール従順を意味します。

これらの意味は、自分の内側にフォーカスしている状態を表します。

人に迷惑をかけないことで自分の内側にフォーカスし、欲求解消とルール従順のさまによって目的を得ます。

納得や安心、または不納得や恐怖の回避です。

 

自分へのフォーカスが強い心理

人に迷惑をかけない人は、自分の在り方を持って他に着眼できる人です。

他人や場所や環境をしっかり見ないと迷惑をかけないようにできないので、フォーカス対象は必ず他です。

例えば、目の前の人が仕事で忙しそうにしている時に、「いやぁ、今日はパチンコですっちゃいました」と言うか、「はい、コーヒーどうぞ、頑張って」と言うか、何も言わず見守るか。

忙しそうにしている人にしか、何が迷惑なのかはわかりません。

一つ、相手のことでも何が迷惑なのかわかるような気がする方法があります。

常識(ルール)に従う。

この瞬間、フォーカスは他人から自分の頭の中の情報にカチッと切り替わり、自分が対象になってしまいます。

他ではなく自分へのフォーカスが強いと、自らの利益追求と、ルールに従わなければならない強迫観念に責められるように、「人に迷惑をかけたくない、かけてはならない」と駆り立てられます。

 

迷惑をかけたくない思いが強くなる原因

自らの利益を得るために行動するのは私達人間の基本動作ですので、誰しもが何かしら利益を求めて活動します。

着目ポイントは、迷惑をかけないことが自分の利益になる在り方です。

「どうして、人に迷惑をかけないと自分の利益になるのでしょうか?」

考えられるものがいくつかあります。

人に迷惑をかけないと得られる利益
  1. 常識に従う自分を作ることでの自己肯定
  2. 周囲に否定や批判されない恐怖回避
  3. 人に嫌われない、褒められる
  4. ルール従順できる社会順応

シンプルにすると、普通であり、変人ではない人になれます。

自らを社会性に沿わせることで価値を見出し、安心を得て、恐怖をなくします。

この利益は日本の価値観にて得られます。

 

迷惑をかけてはならないルールの強い日本

私は日本の教育と躾を受けた日本人なので、「迷惑をかけてはならない」という念を強く持っています。

しかし、「どうして迷惑をかけてはならないのか?」を海外へ行くまで理解していませんでした。

ルールに飲み込まれると意思がなくなり、従う状態になるので、ルールの本質がわからないまま縛り付けられる可能性があります。私はまさにこの状態でした。

迷惑をかけてはならないルールを幼い頃からインプットすると、自分の中での当たり前となりますが、意思がない場合にはルールを正当化しようと主張します。

ルールによって意思があると思い込む状態です。

迷惑をかけない理由と動機を自分自身で見出しにくくなり、自らを正当化するために迷惑をかけない人ではなく、かける人を基準に物事を見るようになります。

許すことをしなくなります。

ルール縛りが強くなると許容がなくなり、人を許せなくなります。

「責任感を強く持たないといけない」とさらにルールがあると、自らを許せないがために他人を許せなくなります。

 

人に迷惑をかけたくない心理は「利益と対価」

迷惑をかけないように心がける在り方はとても大切だと思います。

迷惑をかけられる側は大変ですので、自らを制限して抑制できる人は必要不可欠です。

この考え方を持つ際には、私達自分自身を見るとより明確に考えを持つことができます。

私達人間はとんでもなく迷惑な生物だということです。

一日生きるためにどれほどの生物を殺し、どれほどの自然を滅し、どれほどの環境を崩しているかわかりません。一生で換算したら想像できないほどです。

一つのリンゴを得るために、たくさんの人が関わって近所のスーパーにチョンと置かれ、お金を払って清算してもらうことで食べられます。

あらゆる人々にも迷惑をかけていますが、リンゴを食べる過程で迷惑をかけられた人は、かけられたとは思いません。

お金という対価を得ているので、仕事として迷惑とは思わずに働き、喜んでリンゴを育て、収穫し、出荷し、運搬し、搬入し、品出しし、レジ打ちします。はいどうぞと。

私達は対価があれば迷惑とは思わないのかもしれません。

近所の騒音が凄まじいと思っていたら、「いつもすいません、もしよければお宅を完全防音にして、ついでに玄関も新しくいい具合に改築させていただきます」と言われ、「まぁ、そう言ってくれるならやってもらおうかな」と笑顔。

この心理からわかるのは、人に迷惑をかけたくないと思う場合、対価を得ていない、または与えていない可能性があることです。

 

ルールに縛られる対価がないと、ルールを自分のために使う

幼い頃から恒常化されたルールは、初めはわかったものではありませんので、強引に強制させられるか、自己理解を深めながら適応するかします。

自己理解するには迷惑をかける・かけない意味を知る学びや経験を要しますので、多くの人は初めは強制されると思います、「迷惑をかけてはいけないものなんだ」と。

縛られる迷惑をかけられましたので、対価を要します。

しかし、ない。
誰も与えてくれません。

すると自ら対価を作ろうと、ルールを自分のために使い、何かしら利益を得ようとします。

安心感を得て、恐怖心を味わわない。上述の心理です。

人を許せない、自分を許せない潜在的な心理に繋がります。

 

対価を与えないと、ルールに縛られ続けようとする

一方、対価を与えないことで自らを縛ろうとすることもあります。

利益を既に貰っている場合、対価を与えないと迷惑をかけ続けてしまうので、「迷惑をかけてはいけない」という念が強くなります。

私はこの状態が強く、念にて自らを縛り続けました。

「誰から利益を貰っているのでしょうか?」

実際には貰っている実感はないと思います。

「私は迷惑な存在だ」と思う心理です。
※自覚有無は人それぞれ、潜在的な人もいる

自分がいることで周囲が幸せではない、不幸ばかり、喧嘩ばかり、争いばかり、苦しみばかりがある経験を目の当たりにし続けると、自分のことを迷惑な存在だと悲観的に思い込む可能性があります。

知らぬ間に対価を与えなければならないディスアドバンテージ状態。しかし、誰に何をしてお返しすればいいかわかりません。

「迷惑をかけてはいけないんだ」とまるで自らを罰するように、見えない紐でグルグルに縛り付けます。

中には実際に親や周囲の人に迷惑をかけ続け、お返しができていないためにルールで縛り、自らを戒めたり自己納得を図る人もいます。

※人の目や反応を気にし過ぎる際は、【他人からの評価を気にしないために】アフリカから戻った時に知ったこと をどうぞ。

 

人に迷惑をかけてもいい考え方

人に迷惑をかけない人はいる?

迷惑とは、他人から不利益や不快な思いをさせられることで認識します。

何に不利益や不快な思いをするかは人それぞれに違い、ラーメンの汁がピッと飛んできて迷惑だと思う人がいれば、全く思わない人もいます。

迷惑とは常にかけられていながらも、迷惑だと認識するかどうかの人それぞれの解釈や酌量があると考えることができます。

人によっては公共の歩道を目の前から歩いて来たことに、「ちぇ、なんで歩いてんだよ、一人だけで喜んでいたのに」と迷惑に思う人すらいます。

他人が存在するだけで迷惑になります

人に迷惑をかけない人は存在しないのではないかと思えます。

 

誰しも常に迷惑をかけているのが私達人間

これが現実だと思います。

私達は一人一人漏れなく迷惑な生物です。地球からすればとんでもなく考えられないほど迷惑な生態です。

ここで上述の利益と対価の心理を適用すると、対価があれば迷惑にはならなくなりますので、こうなります。

「こっちは迷惑をかけないから迷惑をかけないで」
「対価がないからルールを使って利益を得よう」
「対価を払えないから自らをルールで縛ろう」

「迷惑だと思わないようにするから対価くれよ」となると、他人を自己都合で変えて従わせる支配、無知、我欲の塊にすらなってしまいます。

誰しも迷惑をかけている前提では、この考え方は矛盾を作りルールで縛り、個々人の意思や気持ちがなくなる可能性があります。

そこで提案したいのが、「迷惑かけてもいいじゃない」です。

 

迷惑かけてもいいじゃない

対価がなくても大丈夫。

許容できれば、人を許してあげられれば迷惑にはなりません。

既にたくさんの迷惑をかけていますが、社会性の仕組みによって迷惑は迷惑ではなくなったように思えます。

しかし、社会に依存して委ねるのではなく、自らが生きていることを認識し、意思を持って物事を捉え、こちらからお返しをする気持ちを持ってもいいと思います。

迷惑をかけている前提で生きている私達。順番は迷惑をかけられないようにするのではなく、お返しをするのが先かもしれません。

 

南米とインドの共存意識は許容を大切にする

海外を旅した時、南米と東南アジア、インド、ネパールは特に迷惑に対する許容が広いと思いました。

他者との共存にて仕組みづくられていることの、明確な理解・認識があります。

南米はシンプルに他者との関わりを重んじて、個々ではなく集団意識によって生活しているために、迷惑かけられるのもかけるのもお互い様です。
※都市部はルール従順が強く日本のような印象があります

特にインドやネパールは、現実との向き合いがとても進んでいると実感しました。

インドは精神性の高さがどこに行っても伺えます。表向きはメチャクチャでカオスですが、一人一人の認識があり、宗教の考え方や精神的な捉え方が根付いているために、人の心を重んじます。

自らと向き合い、物事の受け入れや許容の広さからの精神性の高さがあります。

現実を直視して誤魔化さないために、迷惑をかけられている、自分も迷惑をかけていることを知っています。

自らをしっかり捉えた上で他者との共存環境という現実を見ており、常に迷惑をかけ、かけられの認識。その中でどれだけ迷惑を許容し、人を許してあげられるかという考え方をします。

 

現実を直視して、迷惑はかけてもいいと思う大切さ

迷惑をかけないことは大切ですが、完全に他がフォーカス対象ですので、するかしないかではなく、できるかできないかになります。

成長してなれるかどうかが迷惑をかけない人ですので、常識と理想の違いがあり、日々さまざまなことを経験して到達する理想域だと思います。

「迷惑をかけたくない」と思う場合には、誰しも迷惑をかけている現実を前提に、迷惑はかけてもいいと思うと気楽です。

安心してください。

迷惑をかけたくないと思える人は、「じゃあ、たくさん迷惑かけちゃえ」とあえて迷惑をかけるようなことはせず、目的を持ってこの意味を理解できると思います。

「人に迷惑をかけてもいい」とは、自らが迷惑をかけている現実との向き合いであり、許すための考え方です。

「迷惑をかけてもいい=自らの縛りへの許し+他の許し」

許して気を楽にし、他に認識を向けると、自分と他人の許しを学ぶ時間になります。

 

許しは感謝のお返しへ

誰かの迷惑を許してあげると、「迷惑をかけてもいいんだ」と自分への許しも出せて、重荷が降りるように気が楽になります。

人を許せないことは自分を許せない表れ。人を許すことは自分を許すことに繋がります。

迷惑をかけてもいいと思えると認識が他へ向かい、他を許すだけでなく現実として迷惑をかけあって生きていることがわかります。

見えないだけで、知らないだけで、気づかないだけで迷惑をかけあう私達。
「特に地球には顔をあげられない」なんて思えます。

ここで自分へのフォーカスが強いと、「こんなに酷いことばかりして顔向けできない」と行動しない自己納得を正当化してしまいますが、他への認識が増えることで、「それじゃあお返しをしよう」という気持ちを持てます。

迷惑をかけながら日々生きられていることを知り、少しずつお返しをする。

現実を知れば知るほど、人に、動物に、虫に、物に、ルールに、社会に、自然に、地球に、宇宙に感謝する気持ちは自然と芽生えるかもしれません。

「あぁ、ごめんなさい、コーヒーぶっかけちゃった」
「コノヤロー、バカヤロー!」

怒る時は怒りましょう。怒って憤りを解消、相手を許してOK,OK,all good。

少しずつ迷惑をかけているお返しをして許容を広げる。感謝の機会は自分次第でたくさん見出せることに気づかれると思います。

日本の仕組み上、迷惑をかけてはならないルールは根付き続けると思いますが、一人一人自らが他との関わりによって生きられている現実の認識を広げて、成長することが大切だと思います。

※感謝にて楽にする詳細は、感謝の気持ちを忘れないと人生が楽になる【感謝に潜む自己理解】 をご覧ください。

 

人に迷惑をかけたくない まとめ

迷惑をかけない価値観は日本ならではの美しさがあると思います。

現実と向き合い、見たくないものも嫌なものも認められる日本の過去の精神性があるからこその価値観だと思います。

一人一人の責任の強さがあり、まずは自らを正し律し立たせた過去の人々は、他にフォーカスを向ける余裕を持って、迷惑をかけない美徳を構築したのではないでしょうか。

時代は変わり、名残りは言葉としてのみ残ったのかもしれません。

私自身、本当に人を想って迷惑をかけない意志がまだはっきり見えないため、成長を要する理想だと思ってしまいます。

常識と理想の狭間の心理は、「迷惑をかけない」という社会性や他者との関わりにある、自分の在り方を教えてくれます。

「人に迷惑をかけてもいい」という現実認識にて、どれほど他との共存によって、全てが成り立って生活できているかがわかりやすくなると思います。

南米に行くと人との関わりで物事が進むので、迷惑をかけている自覚がしやすいです。

日本ではあらゆるものが整備され、ルールに順応することでの安泰保障があるため、まるで個人で生きているように思えるのも致し方ありません。

そんな中でも如何に現実をよく深く知れるか、知りたいと思えるかが、「人に迷惑をかけたくない」からわかる理解です。

まずはご自身から許す気持ちをもたれてみてください。そんな在り方は周囲に伝わり、少しずつ物事を向上させていくと信じます。

それでは、人に迷惑をかけたくない心理のお話を終了します。

最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。

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