人生哲学

インドで人生観が変わる理由9選|日常にある変人との修行に仕組み

インドへ行く理由はさまざまにありますが、インドへ行くことで人間を知る時間があり、人生観を理解して変える環境があります。

インドでは日常生活や一つ一つの出来事を修行と捉えられる状況があり、そこには人生観の本質的な意味があり、「何のために生きて、これからも生きるのか?」を見つめる人生観の気付きが転がっています。

インドに行くことでわかることは、修行と神秘とふざけきった環境や人が綺麗に混ざり合う謎が、常識として成り立つことです。

そこには心霊現象や怪奇現象よりも遥かに不思議が平然と存在し、人生観を嫌でも見つめて広げ、人それぞれに変える理由があります。

一度ではわかりませんでしたが、何度かインドへ行くことで知った人生観の仕組みがあり、インドで人生観が変わるか変わらないかの理由を知ることができましたので、インドへ行く際にお役立てください。

インドで人生観が変わる理由

インドという国は行かれた方も行かれていない方も印象の強い国だと思います。

私の印象は、「最高に心地良くぶっ飛んだ国」だと思っています。

そんな国に行くことで、“人生観が変わる”ということが起きるのでしょうか?

確実に言えることは、インドに行くと人生観を見直すこととなり、変えるか変えないかの選択を与えられます。

そのため、人生観が変わるかどうかは人それぞれとなり、インドに行く人には、“人生観が変わる人と変わらない人の違い”が明確になります。

『インドに行くと人生の観方を変える機会がある』
そんな国がインドです。

それでは、インドで人生観が変わる理由をご覧ください。

 

自分の人生観を知る

インドに行くと自分の現状の人生観を知ることになります。

人生観とは人生への価値観ですので、人生をどのように生きていくか、見るか、捉えるかの人生への認識です。

それは、自分の認識を知ることで人生観を理解します。

実際、人生観を考えて生きている人はほとんどいないと思います。漠然と、「こうやって生きて行こうかな」「幸せだったら良いよな」「辛くなくてお金があったらいいな」「愛を持って人と関ろう」「辛いことも楽しいこともあるのが人生」などと考えて生きていくためのモチベーションにします。

それは、何も考えなければ苦しみがないので幸せであるように、生きている意味を見失わないように動機や行動の意味付けをすることで納得して満足します。

それは言い方を変えると、“自分に人生観がない”ことかもしれず、インドに行くと日常にてそれに気付かされます。

 

常識も思い込みの固定観念も何もかもがぶっ壊れる

インドに行くと、自分の視野がどれだけ狭かったのかを痛感します。

それは、自分のこれまでの常識もルールも生き方も考え方も通用しないことで、自分を他者に押し付けて生きてきたことを知る意味があります。

インドにはインドの常識が一応ありますが、基本的に常識も何もありません。

そこにあるのは、“自分として生きる姿”でして、みんな好き勝手に生きて自分のことを理解しています。

トイレはどこにしてもいいかのように、大も小もです。さらに牛も犬も野良がたくさんいて、駅の券売所の人の中に牛も列を作って並びます。

値段設定もありませんので、“言い値”というやつです。それもお店側が人によって変える言い値であり、自分としての商売方法だったり、性格でテキトーだったりとさまざまです。

 

価値観の崩壊が起きる

思い込みがぶち壊れると同時に、価値観も壊れます。

それは物事の見方がわからなくなり、真っ新に戻す状態です。

意識的にインプットした常識やルールとして、さまざまなプログラミングを脳にすることで、物事の認識方法をルールに決めてもらい、動物は可愛く見て、子供も大切にしてと、当たり前としての見方が人それぞれにあり、大まかには同じものがプログラミングされていると思います。

インドでは牛が神様ですので、牛に土下座して、「おー、神よー」と白い服をヒラヒラさせて言っている人がいます。
その横では、牛を蹴飛ばして、「どけどけ、邪魔だ!」とおじさんが自転車を漕ぎながら通り抜けていきます。

また、貧富の差があり、観光地のメイン通りの一本隣の道を歩くと、孤児や飢餓で倒れている人がたくさんいます。

そこには、お金を求めてくる人もいれば、お金を騙し取ろうとする人もいれば、赤ん坊を利用してお金を恵んでもらおうとする人もいれば、子供を利用して悲壮感でお金を稼ぐ人もいます。

「ミルク代が欲しいんで、粉ミルクをこの子に買ってあげてください」と現金ではなく粉ミルクを渡して、「頑張って育ててあげてね」と感動のさようならをした瞬間に母親は粉ミルクを売ってお金にして、タバコを買ってプカプカと喜びます。

物事の見方がルールとして定まっていればいるほどに衝撃が多くなり、価値観がどんどんと崩壊していきます。

3歳児ほどの子に食べ物をすがられて脚をぎゅーと捕まれ、どれだけ力を入れても振りほどけません。
そこにおじさんがやってきて、全力で引っ剥がしてぬいぐるみのようにぶん投げます。

自分の見方を持たないとわけがわからなくなり、価値観が崩壊することで自分の意見を持つことになります。

物事の見方がわからなくなることで、自分の目と頭と心で認識するようになり、自分の意見ができる。

 

自分が確立される

インド人はとにかく自分を確立して主張します。

自分を見失って曖昧な状態で起きることは、“損失”と“損害”で、自分が確立されていないと自己責任になることにインドの面白さがあります。

例えば、騙すという概念はインドにはなく、100ルピーで売っているお椀にいくらの価値があるかは売る側と買う側にしかわかりません。

お互いの共通認識にて成立するのがビジネスですので、ある人には20ルピーで売って、観光客には200ルピーにします。

その際に、「これいくら?」と言うと既に相手の立場に自分が入るので、自分がいなくなります。

インドでは、「これは10ルピーだろ?」という入り方をして値段をお互いに決めていきます。

そのように、自分の意見や主観の認識があり、自然と自分が確立されると同時に、自分がいないことを知り、自分の意見がなく、自分を偽っている姿が露呈します。

・インドでは謙遜は意味を持たない。
・ルールに従うことで認めてもらうのではなく、自ら認められるように自分を主張する

※人生観が変わる体験は、人生を変える経験は誰もいない森生活|おすすめはしない最高の幸福 をご覧ください。

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人生観は存在しないことを知る

インドに行くことで起きることは、「人生観なんてどうでもいい」という雄叫びが自分から発されます。

世の中は広くて何でも自由である100%の視野がある自分に、「こういうものじゃないか」と自分の理解によって自分にのみ適応可能なルールをプログラミングすることで、人生観を作ると同時に、視野を狭めます。

それは、経験によって自分がない状態に自分の眼と頭での見方を付け足した状態なので、視野が広がっているように思えるのですが、これは元々曖昧だった人生観を明確に見えやすく絞る作業です。

物事を全て受け入れることができれば、人生観はなくなります。

生きていると自分の中で、「これが良い、悪い」と決めていくので、自分が良いと思えることを選択していきます。経験することで何が自分によってどういう意味をもたらすのかを体感するので、選択を見えやすくして、明確に自分の意見として物事を見定め、人生観を見えやすくしていきます。

 

人生観がない前提で自分の人生観を作る

自分の認識があったとしても、人生観があったとしても、インドに行くことで常識やルールの違いと、自分を主張する生き方から、自分の認識を見つめる機会になります。

自分の価値観が強く、思い込みや決め付けが多ければ多いほどに、反発として嫌悪感、賛同として共感の喜びが生まれます。

そのため、嫌悪感が多ければ多いほどに、“押し付けの強い自分”、“認めて欲しい我欲の量”を知ることになり、それは『自分が確立されていない様』を教えられます。

反対に、共感の喜びが多ければ、“社会性への反発ができた喜び”、“刺激を求める自分”を知ることになり、それは『自分が確立されていない様』を教えられます。

どちらにしろ自分がない自分を知る機会があり、そこで自分自身の認識で人生観を作る環境となり、人生の自分なりの観方としての“人生観”が作られる。

 

受け入れられない自分を知る

全てを受け入れることができれば、人生観は必要なく、持つこともありません。

インドに行くと、ぶっ飛び加減から、目の前のことを受け入れられない自分を知ることになります。

それは同時に、自分の価値観や認識を“押し付ける”自分を知る意味があり、自分の許容を把握します。

突然鉈を掲げて大声で襲い掛かってくるおばさんとかが出てきますので、「えっ、無理無理ー!」と叫びながら逃げる自分を、後程に嫌でも考えます。

インドでは“謙遜”にて自分を消すことに意味が生まれません。
自分のために他者を敬っていることや、自分を苦しめる犠牲精神にて他者を優先している行為を称賛する声はなく、謎の行為になります。

謙遜に意味がないと、自分に嘘をつくことの意味がなくなり、嘘をつくとただ自分に損失があるという、そのままの結果が出ます。

すると、受け入れられない自分を見ないように誤魔化し、偽ることはできず、そのまま見ることとなります。

その際に、自分を知る機会となり、非日常が頻繁に起きる環境の恩恵になります。

 

受け入れる許容を広げる

受け入れない自分を知ることで、自分の許容を知ることとなります。

それは同時に、受け入れる許容を広げる機会の意味があります。

それは、自分を押し付けるのではなく、人を人として敬い、その人のまま受け入れる自分の余裕を示し、押し付けがなくなることで、自分を敬うことになります。

インドでは楽しいことも辛いことも同時並行で常に起き続けます。
善意でチャイを奢ってくれる人の後に、お店に連れ込むためにチャイを奢ってくれる人もいます。

さらに電車では本当にさまざまなことが終わらないように起き、チャイに何かを入れて眠らせようとする人もいますし、ご飯を奢ってくれたり、家族旅行の輪に入れてもらいみんなでご飯を食べたり、出かけたりします。

道を歩いていればいつでも声をかけられ、家に招待されたり、宿泊させてもらったり、バイクや車でいろいろと案内をしてもらったり、イベントや結婚式に招待されたり、たくさんのことが起きます。

バスに乗ってもリキシャーに乗っても、もう常に何かしら起きます。

嬉しいことも苦しいこともたくさん起き、受け入れることで全ては楽しみとなり、自分の成長になり、受け入れないことで辛く苦しい時間になります。

・インド人は受け入れる・受け入れないの認識と意志がはっきりしているので、楽しむ時は楽しみ、言い合う時は言い合う。
・受け入れない自分を受け入れているので、全てに受け入れが伴い、ストレスや心のわだかまりの不調和や違和感を持たない。

※自分を知る話は、自分を取り戻す方法はあるのか?|ない、から作る。自分はここにいる をご覧ください。

自分を取り戻す方法はあるのか?|ない、から作る。自分はここにいる自分を失う、彷徨う、わからない。 とはどういう意味か…。 見失う感覚とは? 彷徨う気持ちとは? わからないとは何がわからない...

 

自分の鏡写しで現状の自分を教える

インドにて人生観を変える最たる理由が、“自分を知る機会”があることです。

それは、関わる人との日常にて、今の自分がどんな人間なのかを明確に極端に教えてくれる環境です。

人生観を変えるかどうかは自分次第ですが、人生観を変えるために必要なことは、現在の自分の人生観を知ることと、自分自身を知ることに集約されます。

インドでは常にさまざまなことが起き、良い人の隣に極悪人が平然と暮らす混ざりっぷりに魅力があります。

そして脳の認知と引き寄せにて、自分が認識することは自分の頭の中の鏡写しのように反映され、インドのようなカオスでは、極端に自分に起きる出来事が変わります

良いことがあれば良いことだらけです。悪いことがあれば悪いことだらけです。

何度も行くことでわかったのですが、行けば行くほどに良いことしか起きません。それは自分を確立して受け入れの許容が広がっているからで、行く回数に比例して自然と“免疫という受け入れ”が広がります。

インドはカオスと同時に、慈悲と慈愛に富んだ国で、全国中でボランティア活動があり、無償での宿泊場や医療制度もあり、食事も無料で配給している街々が多くあり、毎日人助けが盛んです。

愛の塊のような人が本当に多く、ゴミの多い印象がありますが、一切ゴミのない街や場所も実に多くあり、同じ国とは到底思えない環境に溢れます。

そのため、自分がどこに行き、どんな場所でどんな人と出会うかは全て自分が決めることで、引き寄せられた結果として自分の状態や心情などの認識具合が表現され、自分がどういう人なのかを知る機会が極端に鏡写しとして目の前に表現されます。

・自分を知る環境がインドの人柄や国柄にてもたらされ、それによって人生観を変える選択を与えられ、受け入れることで人生観が変わる仕組みがある。

・人生観を変える際には、自分の目で見て、頭で考えて、心で感じた認識にて、自分の意見として価値観が決まり、物事をどれだけ受け入れるかの許容を広げる機会になる。

それは、人生観がなくなる状態へ続く道です。

以上をまとめると、こちらが人生観が変わる理由の一覧です。

インドで人生観が変わる理由
  1. 自分の人生観を再確認する気付きがある
  2. 常識や思い込みの固定観念が表れる環境で自分の認識ルールを知る
  3. 価値観の崩壊にて人生観を真っ新にする
  4. 自分の意見を持たないと損をする環境にて自分が確立される
  5. 人生観は存在しないことを知る
  6. 自分がないことを理解して自分の人生の観方が生まれる
  7. 受け入れられない自分を知る環境がある
  8. 受け入れて共用を広げる環境がある
  9. 自分に振りかかる出来事や関わる人や場所にて自分を知る

※人生観となる価値観と人生の仕組みは、人生の価値観でわかるこの世の仕組み|みんな変態的に俳優なんだ をご覧ください。

人生の価値観でわかるこの世の仕組み|みんな変態的に俳優なんだ人生は見る角度や認識を変えることで、全く違う世界になります。 人生を認識するために人それぞれの価値観があり、考え方があり、人間性と...

 

インドで人生観が変わるか変わらないかの違い

人生観を作る受け入れとは

制度の影響で、道を一本外れれば路上で子供達は物乞いをします。
そこには物乞いを利用する手と、愛を与える手が同時に存在します。

さらに宗教観念による精神があり、「人のためにすることが自分のためになる」という認識を持つ人々と、宗教も信仰もなく生きることに集中し、目の前のことを認識する人々が同時に存在します。

人々のために役立つ生き方をするインドの環境にて、自分を知り、自分の人生観に気付く“受け入れ”を学ぶ機会がある。

インドの受け入れることの意味にあるのは、人を想う奉仕や慈悲であり、それは愛です。

  • 人生観を変えるとは、受け入れる許容を広げること
  • 人生観を変えることは、自分を知っていくこと

結局、仕事をしていても、路上で物乞いをしていても、生きている時間です。
その際に何を優先しているかが人それぞれにあり、お金があることで安心感をもらい、それは安泰なのか、恐怖からの逃避術なのか、家族を養う縛りやルールの抑制かなどの認識があります。

路上で一日中ボケーっとして一生懸命に物乞いをしたとしても、汗を流して野菜を運んで仕事をしても、脳を疲労させながらパソコンカタカタしても、全ては自分の選択でしていて、自分のためにしています。

そこにあるのは受け入れであり、自分を喜ばして敬う愛です。

 

人生観が変わるか変わらないかの違い

人生観を変える際には、脳によって新しい知識を入れ込んで自分ルールを明確にする方法があります。

その際には、とにかく経験が必要になります。新しいことを知って、その時の自分の知恵を増やすことで自分の眼と頭で物事を理解します。

すると、考え方や生き方が変わり、人生観が変わります。

しかし、インドで人生観を変える際には、脳を使用することで“一時的な変化で終わってしまう”可能性があります。

インドは日本では起きないことだらけですので、とにかく刺激に溢れます。それは強い情動として、「くぅー、わたし生きている!」と嫌でも感じ、はまる人もいます。

人生観とは自分の中のルール設定にて制限をかけることですので、人によっては生き方が狭まります。

インドでの刺激を経験として脳に詰め込んで、少ししたら日本に帰る場合、新しい経験を基準に物事を認識することで、刺激を求める方向へシフトして、さらに刺激がないことへの反発を持って生きることとなり、どんどん人生観が狭くなります。

その際には、インドに行っても人生観は変わりません。

人生観が変わるか変わらないかの違いは、受け入れるかどうかです。

インドで人生観が変わるか変わらないかの違い
  • 自分の求めたいことだけ経験すると人生観は変わらない
  • 自分を変える気や知る気がないと、経験があっても人生観は変わらない
  • 経験した記憶を脳に入れるだけだと、人生観を明確にするが、見る方向を変えるだけで人生観は変わらない
  • 起きることを受け入れることで人生観は変わる
  • 自分を受け入れることで人生観は変わる
  • 今を認識して、考えるだけではなく感じることで人生観は変わる

インドの環境ならではの人生観の変え方は、さまざまなことが起きた際の自分を受け入れることです。

何もできない自分、怖がる自分、プライドで自分を隠そうとする自分、強がる自分、嘘をつく自分、演技をする自分を受け入れます。

「私、何にもできない」と。

受け入れる準備ができていれば、自分を変える意志があり、人生観は今この瞬間に起きる出来事を受け入れ、その時の自分を受け入れて変わっていきます。

人生観が変わるとは、人生観をなくしていくこと。
受け入れることで、完全なる解放と自由へ進む。

騙された自分を受け入れてみてください。
「あぁ、また騙されちった、まぁいっか」だと、人生観に気付きます。
「あぁ、また騙されちった、次はもっと騙されてみようかな」だと、人生観を変えています。

私のように、「くっそー、騙されたー!騙し返してやる!」となると、自分を見失い、インド人を嫌いになります。

初めて行ったインドではインド人が大嫌いになりました笑
しかし、その後何度か行き、さらに居る期間を二か月、三か月と伸ばすことで、今ではインドが大好きになりました。

※人生観を変えるインドのとある体験がありますので、優しさと狂いのインド一人旅。人生観が変わる理由は狂った僧侶 をご覧ください。

優しさと狂いのインド一人旅。人生観が変わる理由は狂った僧侶インドで一人旅をしているとさまざまなことがハプニングとして起き、それは時に修行とも呼ばれ、人生観を変える理由になります。 ハプニン...

 

インドで人生観が変わる まとめ

インドへ訪れる度にインドの印象が変わりますので、ぜひそんな自分を観察してみてください。

インドの日常が人生観を変えるのは、“自分がどこに焦点を当てて過ごしているかの認識”を変えられる環境があるためです。

インドで人生観を変える仕組み
  • 視点を変えることで見える景色が変わるように、認識を変えることで、起きる出来事や出会う人々や周囲で起きていることが瞬く間に変わる環境がインドにある
  • 自分の焦点の当てる先を知り、何に重点を置いて過ごしているかを知ると、自分を知る機会となり、人生観を変える
  • さまざまな人や場所や状況や状態が混在する環境にて、自分が感じていること、見ていることを観察することで、自分は何を認識したいのか、どう想って過ごしていたいのかに気付き、人生の観方を知る
  • 自分がどういう人間かを知ることで、何を成長させたいのか、何を学びたいのかの目的が明確化される

インドは人で溢れています。
目の前に広がる景色は同じで、何度インドへ訪れようが、いつもと変わらぬ風景がそこにありますが、どこに焦点を当てているかが違うことで、視界に入ってくる物も出来事も変わります。

それは周りが変わったのではなく、人生の観方が変わったことを気付かせてくれます。

インドには驚くほど優しく、奉仕に溢れ、慈悲と慈愛に満ちた神秘的な人々が数え切れないほどいます。
そんなインドを見るかどうかは選択で、人それぞれの意志に基づきます。

どこに行っても何をしていても、何を見ているか、自分がどう想って過ごしていたいのかによって、人それぞれの受ける印象や感じる想いが変わります。

インドは人それぞれの印象の違いが顕著に表れ、物事や自分を認識する機会をもたらして人生観を変える国。
インドには、自分を知り、自分の考えや生き方を教えてくれる環境がある。

ここまでわかりやすく自分を露わにしてくれる環境は他にありません。

もう、嫌でも自分が出ちゃいますので出しましょう、受け入れましょう。

人間のエゴから本質の愛まで、幅広くさまざまな人の想いや欲望が広がり、全てが絡み混ざり合っているように見えるインドですが、個々が独立し、それぞれの引き寄せと調和の基、さまざまな人達で共存している国がインドです。

一生懸けても事足りることのない場所かもしれません。

それでは、インドにある人生観を変える理由と仕組みについての話を終了します。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

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