人それぞれ

人を信用できない心理に真の関わりがある|人は信用するものではない

私は人を信用できません!

本当の意味での信用問題です。

信用とは何でしょうか?

人を信用できない人には特徴があり、理由があり、そこには心理が表れます。

人を信用できないことには真意と真実がありますので、ここで一休み、頭のルールを変えていかれてください。

人を信用できない心理と真実とは?

これを知ると一つ明確にわかることがあります。

“人は信用するものではない”ということです。これは悪い意味ではなく、ただの真実です。

そんな真相、解いて行きましょう。

人を信用できない

初めに、“人を信用できない”という状態を知るために、理由と特徴から見える心理をご覧ください。

人を信用できない人の特徴

人を信用できない人には共通の特徴があります。

1、信じる、信用の意味を知らない

一つ目の人を信用できない人の特徴は、無知によるものです。

信じる、信用の意味を知らないために、自分の中での解釈に基づく“信じる”、“信用”があり、それに反してしまう自分がいることで人を信用できないと思います。

そこにあるのは、思い込みが強い人間性です。

 

2、ルールに従って生きる意識が強い

人を信用できない人は社会性や常識やルールに従順です。

それは、ルールに反する状態も含まります。

ルールに準ずる、または準ずるが故に準じないように反発するという、共に従順意識が強いことからの在り方を持ちます。

言い方を変えると、自分がない、またはあり過ぎる。

 

3、人を上下に見て評価・判断する

人を信用できない人は、他者を頻繁に評価・判断します。

そのため、人を比べます。自分と他者、他者と他者、自分と常識という具合に常に何かと何かを天秤に乗せて、「どっちが良いか悪いか」を決めます。

良いがあれば悪いがあり、悪いがあれば良いがあり、思い込みにて良いの反対は悪いと決めてルール化を強めます。

 

4、自分に嘘をつく

自他に嘘をつきますが、特に自分に嘘をつき、偽りや誤魔化しを多用します。

すると、自分を隠し、本性を表さずに周囲の様子を見ます。

自分に非がないことや、自分の行いを正当化することに優先度が高く、思い込みや決め付け、誤魔化しやうやむや、忘れようとしたりなかったことにしようとします。

 

5、他者の目や反応が気になってしょうがない

自分が他者を評価・判断して観ているので、他者からの目や反応、体裁や見栄を気にします。

そのためプライドが高く、自分に嘘をつきながら虚栄を張り、見栄を構築して大きくしていきます。

 

6、人を疑う

人を認めないことと同義です。

疑う人間性を持ち、人を心から認めることをしません。

それは同時に、自分自身も認めていないことを意味します。

誰を認めることもなく、社会性の常識やルールにて価値を付け、外的に装飾することで認めるための材料を求めて人を比較します。

裸の状態で権利も権力もなければ、人を嘲笑い蔑むかもしれません。

 

7、幼少期のトラウマや心の傷を持つ

人を信用できない人は過去にストーリーを持ちます。

幼少期が特に多いですが、それに限らず人を信用できない、または疑ってしまう出来事を経験し、裏切りを恐れたり、人に頼れない人間性を持ちます。

そして、人を信用することを止める自分がいます。

 

8、恐怖を抱えていることから依存と執着心が強い

心の傷となる経験があり、自他を認められない状態の根底に“恐怖”を抱えます。

恐怖を抱え続けているために、人に依存と執着しやすい人間性を持ちます。

自分に危害や恐怖を加えない人に対して完全なる依存をするために、ベッタリして離しません。そのため、特定の人や動物には全く別人の顔をしてデレデレします。

すると、人を認めず利用することを考え、自分の利益を優先して人と関わるようになり、そんな自分を嫌って人間不信になる人もいます。

 

9、人を信用したい意志を持つ

最後の特徴は、人を信用できない人の最も大きな特徴です。

本当は、と言うのはおかしいかもしれませんが、本当は人を信用したい人です。

心から人を信用したい意志を持ちます。

しかし、そんな自分を認めたくない、見たくない。なぜならば過去の記憶があり、恐怖があるので、嘘をついてなかったことにする。

真意が剥き出しになった時、人を信用できないことの意味と真実が露になります。

 

人を信用できない心理

人を信用できない心理

特徴から心理が表れ、より人を信用できない真相が見えてきます。

人を信用できないと思う人は、「人を信用しない」ということではありません。

人を信用できない人は過去の生活環境や出来事での経験にて、人を信用していた歴史を持ちます。

そのため、バツイチ的な感じで、「一度痛い目見ました私」と。

そして、「もう信用なんかするもんか」という反発を持ちます。同時に、「裏切られるかも」「信じてはいけないんだ」という自分を守るための防衛意識が芽生えます。

そこには、人が怖い、自分を否定されるのが怖い、自分を認められない、もっと自分を知って欲しいという心理があります。

それらの根底に大きな塊があります。

恐怖です。

人を信用できない心理 : 自分を否定されることへの恐怖

※自分の在り方、人間性、価値、存在意義を否定されないための防衛意識にて人から距離を取る関わり方をする

恐怖は誰しもが最も距離を置きたい嫌なものであり、関わりたくないものです。

自分を知って欲しいのですが、恐怖があることで自分を露にできず、人を信用することを止めてくる何か=恐怖が自分の中にいます。

 

人を信用できない心理から人との関わりで自分を隠す

心理から、自分を否定する人や言動などのあらゆる可能性に恐怖を抱きます。この記事もそうだと思います。

言い方を変えると、あらゆる恐怖の可能性を排除するために、自ら恐怖だと思い込んでどんどん作っていきます。

すると、他者との関わり方は、自分を出さずに隠すことになります。

それが自分を偽り誤魔化す生き方です。

「人を信用できない」という場合には控え目に、自分を隠して演じます。
「人を信用したくない」という場合には強気に、開き直ったように嫌な人間になったり、あからさまに攻撃的な態度を取ったりと演じます。

人それぞれに隠し方がありますが、共通しているのは“心を開かず、一定の距離を取ること”です。

そのため、どれだけ笑顔でも優しそうでも楽しそうでも、「なんか距離がある」と周囲に違和感や隔たりを与えます。

すると、自然と信用されなくもなります。

「信用しない」と表した生き方にて“信用されない”という結果を作り、より人を信用できない理由を作っていきます。

 

過去の傷は人を信用しない方が良いと思わせるもの

信用できない心理を作る過去の傷や経験は人それぞれにさまざまですが、どの経験にも教訓がありました。

それは、「人は信用しない方が良い」というものです。

他者に裏切られたり、嘘をつかれて傷つきます。

「信じていたのに」「今まで言うこと聞いて来たのに」「言われた通りにしてきたのに」「期待していたのに」

他者の存在と影響が自分にとって大きければ大きいほど傷つきます。それは親や親友、パートナーや好きな人、大多数や攻撃的な人。

「信用しない方が自分のためになる」と思える経験は傷を作り、学びを与え、心理が表れます。

 

人を信用できない人は純粋過ぎる

信じていたことを裏切られる。

これは、信じていた自分が否定されたと認識します。
これは、自分の存在価値や意義を否定されたと認識します。

すると、自分の生きている意味や、これまでの生き方、考え方、人間性、何もかもが否定されたかのように思え、人と関わるのが怖くなります。

それは人が怖いのではなく、否定されることが怖い=自分を保てなくなるのが怖いということです。

これは、純粋さがあり過ぎる人間性です。

悪く言えばもろい、良く言えば素直です。

全てはこの人間性にて心理が表れるかと思いきや、実はこの前があります。

人を信用できない人には心理の基となる大きな歴史がさらにあります。

 

人を信用できない人の過去

裏切られる過去、信じていた自分を否定される過去の傷。

それが作られるのは純粋過ぎる人間性が理由になりますが、そんな人間性が作られるさらに過去の傷があります。

それが、自分らしさを消される経験です。

人を信用できない人の過去に二つの段階

  1. 自分らしさを消される幼少期・・・親からの押し付け、決め付け、嘘をつかれ、放任されて愛をもらえなかった
  2. 愛を欲するために自分を剥き出しにして信じたその後・・・裏切られ、否定されることでの心の傷やトラウマ

ダブルです。

幼少期の愛のない人間環境があったために、自らの愛を基に人と関わるようにします。

その際には人との関わり方をまだ知らないので、とにかく全力で、心をさらけ出して、一生懸命に歯を剥き出して笑うように人と関わり、ドンッと突き刺されるように心の傷やトラウマになります。

 

人を信用できない人の純粋度は自分の愛の強さからもたらされる

私自身小さな頃から、「人なんか信じるもんかクソッタレ」とペッペッ唾を吐いて生きていました。

人に上下の見方をして蔑み馬鹿にして、自分を正当化しながら偽り演技し、常に体裁を気にして周囲の目や評価を気にして伺う。

でも、伺っている自分を認めたくないので嘘をつき誤魔化す。プライドと偽りは大きくなるばかりでした。

ダブルパンチは結構きついですね。子供は純粋なので、愛がなければ自らの愛を基に生きようとします。

そのため、純粋じゃない人はいません。

ですが、純粋過ぎると周囲の影響にて傷が深くなり、人が怖くなり、自分を消されてしまうので、純粋度と引き換えに“恐怖との闇取引”をだいたいの人はします。

それがエゴです。

エゴとは他者と区別して自分を見出す意識。
自分を傷つけられないための対処として、嘘や偽りをアイテム化し、自分を自分で認めないことに違和感を感じなくなる。
言わば、恐怖への対処法=偽りの自分の完全なる正当化意識。

※エゴの詳細は、エゴの意味とはスピリチュアルな契約|エゴがない人が教える活用方法 をどうぞ。

エゴがあることで純粋度はなくなりますが、恐怖に恐れおののくことがなくなります。他者と比較することを善しとして認識でき、そんな自分の違和感を消すことができます。

完全なる思い込みは思い込みとは思わなくなるので安泰です。あとは死ぬ時や人生の大きな場面で出てくる程度です。

しかし、闇取引に参加しなかった人達がいます。どうなるでしょうか?

人を信用できなくなります。

純粋度を消さなければ、周囲の環境次第でいくらでも傷をつけられることになります。
スバッ、バスッと切り刻まれるように。

そんな闇取引不参加の心理に、人を信用できない真実があります。

人を信用できないのは自分自身が持つ愛が強く、エゴにて自分を見失う以上に、自分として生きることを優先したから
※闇取引なし、エゴなし、純粋、愛強く。しかし、防御アイテムなしの無防備

選択でした。

  • エゴをとれば、自分の愛は消えるが、恐怖を感じることがなくなる。
  • 自分をとれば、愛は消えないが、恐怖に対処する防御がなくなる。

純粋が故に心を剥き出し、無防備でズバズバ、プシュ!

自分をとったのに、自分を守らなければ生き続けられないので、自分を偽ることで盾のない中を生き延びる術にします。

  • 自分を見失っても自覚がなければ無知の幸せ。
  • 自分を見失わなくても守るために自らを偽り誤魔化す。

どちらがいいのやら。

当時の私には対処がわかりませんでした。しかし、今ならわかります。

実は、人を信用できないことには本当の意味があることを。

 

人を信用できないことの意味と真実

本題に入ります。

人を信用できないことの意味

人を信用できない心理からわかること。

それは、「人を信用できなくていい」「人は信用するものではない」ということです。

人を信用するかしないかは人それぞれの自由な選択ですが、信用の意味を知っているかどうかが大切です。

一度痛い目を見ている以上、人を信用できない人の方が“信用”の意味を経験にて遥かに知っています。

すると、人を信用できないことの本当の意味を理解することができます。

まずは、“信用、信じるとは何か?”から紐解いて行きましょう。

 

信用とは自分の利益を上げるために他者を一方的に信じること

信用とは、信じて用いると書きます。

辞書にある意味としては、『確かなものと信じて受け入れること』です。

信用取引や、信用問題。信用とはビジネスで使用されることが多い言葉でして、確実性が高く、信用度が高いことを意味します。

そのため、信用できるものには過去の実績や評価があり、外部から客観的に価値を認められた“成果”という認識が強くあります。

信用を使う言葉例

  • 料理にゴキブリが入っていたと噂のある信用のないお店だ。
  • 過去にも成果を上げている信用できる取引先だ。
  • 周囲の評判の悪い信用のない人だ。
  • テレビで有名だから信用のおける人だ。
  • 社長という肩書がある信用のある実績だ。

このように、信用には外部から客観的に価値や成果を評価して、社会性や常識などの一般的な基準というルールの上での、“信じられる度の高さ”、“裏切られる度の低さ”にて認識されます。

確実な証拠が欲しいので過去の実績が重要で、今実際どうなのか以上に過去が大事な概念です。

そして、自分がどう思うかではなく、「一般的にはどうか? 社会的にはどうか?」という見方で、相手がこちらを信用するかどうかはどうでもいいものです。

こちらだけ相手を信じるか裏切られないと判断するかの一方的な信じる形が信用。

 

人は一方的に信じるものなのか?

ここで疑問を提起します。

信じるって一方的が良いですか?

上記にある、信用の言葉例を見て何を思いますか?

私なら、誰かがそう言っていたからどうした。
過去が良いからどうした。
テレビだから、有名だからどうした。
社長だからどうした。

だからどうした?という話です。

信じるかどうかは、自分が信じるかどうかですので、自分の目で見て、頭で考えて、体で、心で感じて評価や判断ができます。

もちろんビジネスとしてお金を稼ぐ、損益水準であれば基準やルールは大切になりますが、人と人の関係にて信用が必要かどうかを考えると別の話になります。

料理にゴキブリが入っていれば信用はなくなります。しかし、実際にそこの料理がおいしいかどうか、行きたいお店かどうかは自分で行ってみなければわかりません。

 

人と人の関わりに信用を使用すると起きること

信じることを一方的にしようと双方的にしようと良いも悪いもないので、どちらでもいいと思いますが、一方的にすると起きることがあります。

「裏切られる」「期待する」という考えです。

ビジネスでは信用はとても大切な双方の関係性を作りますが、人と人の関わりで信用を使用すると、一方的に期待して依存と執着します。

さらに、期待通りにならなかった時に一方的に、「裏切られた」と思い込んで自分を正当化しようとします。

一方的という形で人と関わることは、自分の利益のために相手を利用することになり、その際に恐怖があると、恐怖の対処のために信用を使うことになります。

人を信用すると起きること
  1. 期待して相手に依存する
  2. 一方的に信じることで執着する
  3. 恐怖のない安泰を得るために人を利用する
  4. 裏切られたと思うことで自分に非のない状態を作る
  5. 自分を正当化できるアドバンテージを持ち、恐怖から逃げる自分を作る
  6. 相手の意志を尊重しない一方通行の関係性になる

 

人を信用できないことの意味は信用できない本人が知っている

心を剥き出しにして愛を一方的に与えることで、心の傷やトラウマになります。

そのため、自分らしく自分として生きることを選択した過去があれば、一方的な信用を得ようとしたり与えたりしていたことを意味します。

そこにあるのは、“他者を考えない、敬わない、自分だけ”という状態です。

ビジネスという基準やルールの上での話であれば信用は大切ですが、人と人の関わりでは基準やルールはなく、一人一人の人間同士の交わりですので一方通行に愛はありません。

思い出してください。

人を信用できない人はエゴではなく愛の苦しい道を選びました。

そんな人は、人との関わりに愛がなければ関わることに辛さしかありません。愛とエゴは正反対ですので反発します。エゴの中にいても愛は出せません、潰されます。

失敗は教訓です。

信用できなくなったのは周囲の責任だと思うかもしれませんが、自分の失敗であり責任だと思った方が良いです。そっちの方が自分のためになり、得します。

辛い経験は学びであり、飛躍への踏み台です。

人を信用できないことの意味を、人を信用できない人は知っています。

それは、“人は信用しない方が良い”ということです。

既に学んでいることが、そのまま真実です。

 

人を信用できないことの真実

もうお分かりかもしれませんが、人を信用できないことに何も悪いことはありません。

むしろ良いことです。

人との関わりを希薄なものではなく、本気の関わりだと思っていればいるほど、一方的に信じたり、信じてもらおうとする行為にて痛い目を見て、恐怖にて自分を隠すことになります。

人を信用できない人は、“人を信じることは一方的では成り立たない”という教訓があります。

傷つけられた過去のあなたは偽りの自分ではなく、正真正銘の自分自身として人と向き合い、関わろうとしていたと思います。

そんな愛を持っていた自分が学んだ、「人は信用しない方が良い」というのは、開き直りでも誤魔化しでも何でもなく、“一方的な愛の押し付けによる失敗によって事実を知った”ということです。

そこには、さらなる真実が見出されます。

 

人が信用できないことは“信頼”を育む時

双方が信じることで成立するのが“信頼”です。

信頼をビジネスとして使用すると信用の前段階として、少し信用度が低い意味になります。

しかし、信頼とは客観的な基準や過去の実績や成果による評価・判断も含め、さらに自分という主観が相手をどう見て・思い・感じて判断するかです。

自分の意見を基にして、自分が信じるという責任が発生するのが信頼であり、信用のような一方的な関係だけでなく、他者と自分、そして自分と自分の相互関係を作ります。

自分の責任の基に相手を信じるために、責任を押し付けたり負わせるようなことにはならず、自分の信じる行為を認め、相手の行為や起きる結果を認める“今何が起きるか”というリアルに着眼するものです。

信頼は愛のある人に適した人との関わりを作り、信頼があることで信用する必要がないことがわかります。

信用を知っている人であれば、残っている大切な理解は“信じる”を知るのみです。

最後に見ていきましょう。

 

人を信じることが信頼を育む

信頼する上で必ず必要なのが“信じる”ということです。

信じることは自分だけでなく相手も含め、自分も他者も信じることです。

自分だけを対象にした場合、自分を信じる=“自信”になります。そのため、他者との関わりではまず自信からです。

信頼するためには自分を信じ、そして他者を信じます。自分を信じていれば裏切られるという思考も正当化も誤魔化しも依存も作ることはありません。

すると、「相手に信じてもらいたい」という干渉や押し付けもなくなります。

誰しもを信じる必要などありません。自分が関わる人、関わりたいと思う人、関わってくれる人が全てです。

そこに共通しているのは、「今、誰が見えているか、誰を思い浮かべているか?」です。

関わる人はその人達だけで十分です。

信頼は自分から人を信じることで始まります。相手が信頼してくれるかどうかの見返りを期待せず、相手を信じます。それは相手を敬うことを意味し、敬うためには自分を信じることが必ず必要な前提条件です。

信頼は自信から始まり、敬いにて双方向の関わりが作られ、共に育まれます。

自分も他者も両方大切なのが信じることで、“人が信用できない=信用はしない方が良い”という真相です。

※人を信じることの意味と信じる方法の話は、人を信じる方法に本当の信じる意味がある|自覚が鍵となるトラストな話 をご覧ください。

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人が信用できない まとめ

物事全てには意味があります。過去に起きたことに意味があり、さまざまな経験があったことに意味があり、全ては今この瞬間の自分のために集約して一つになります。

人を信用できない経験をしている人は得だと思います。

自分で言うのもなんですが、辛い経験は自分を成長させます。何も辛くなかったらビックリするほどつまらない人間になります。

お金払ってでも辛い経験をしたいものです。すると、何かと自分のためになり、結局自分のためになる日がやってきます。

人を信用できない経験があることで強さを得ます。さらに、人をもろに信用していた経験は人との関わりに違う認識を加えます。

それは、恐怖から対処するために人と関わるのではなく、喜びを作るため、何か楽しみを共有するために関わるという意識です。

ですが、人を信じようが信じまいが正直どちらでも良いと思います。

私自身、人を信じないで生きてきましたが、今では信じるも何も考えていません。元々人に興味がないのであれこれと考えないのもありますが、“信じる”ことの意味を明確にしているだけで十分だと思います。

人と関わるのは自分のためです。

自分のためだけに関わるのであればお金を払った方がいいです。お金も払わずに自分のためだけに人と関わるであれば、それは我欲であり利用ですので、そんな自分がいれば自覚が必要になります。

なんのために人と関わるのかを自覚することで、信用か信頼か、どちらが自分に合っているかがわかります。

人が関わる以上は一方通行で成立することとしないことは明確になりますので、後は実際に経験して学び、育むことで理解が広がっていきますので、ぜひ今一度自分の中の認識やルールを確認してみてください。

人を信用できないことの意味と経験を認識し、自分の中の真実として何が大切なのかを理解する一助となることを願います。

それでは、人を信用できない心理からわかる意味の話を終了します。

最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。

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