無理に頑張ると、頑張っている感を出すかもしれません。
その状態では、頑張らなくていいと言われても少し困難に。
頑張りたくないのに頑張ってしまう場合、自らを苦しめてしまう可能性があるため、頑張らない方法を知ると何かと自分のためになります。
ここでは、そんな方を対象に頑張らない方法をお伝えします。
ですが、“頑張らない”行為とは実に難しいことだったりします。なぜならば、頑張る方が楽だから。
頑張らない方法を活用するためにも、少し心理を紐解きながら詳細を見ていきます。
頑張りたくないのに頑張る場合には、意味からわかる頑張らない方法がありますので、ここで一休み、見ていかれてください。
何か、役立つ気づきがあることを願います。
Contents
頑張らなくていいの意味

頑張るとは
初めに、頑張るとはどういうことか?
行為の真意を紐解きたいと思います。
少しでも違和感がある、嫌な気持ちがある、頑張る意味がわからない。
もし思い当たるふしがあれが、これらは自分に対する“抵抗”を表します。
違和感がなければ、嫌な気持ちがなければ、頑張る意味がわかれば。いわゆる抵抗がなければあることが起きます。
楽しい。
抵抗がなければ満足か納得があり、そこには喜びがあります。
そのため、「私は頑張っている」と思うことは、「抵抗があるにも拘わらず私は戦っている」という表現かもしれません。
頑張るとは、頑張りたくないことを無理にして、努力や労力を払っている状態から利益(納得や満足)を得ようとすること。
「上司、私は営業成績を上げるために、今日も都内の取引先全店舗を歩いて伺いました」
「きみ、それは頑張ったと言いたいのかい?」
「はい、私は頑張りました」
「ふーん」
頑張るとは、嫌なことに対して努力している労力から、利益である満足や納得を得る方法の一つです。
方法は人それぞれにさまざまにあり、「気を使う」「我慢する」「他者優先する」などが同じようなツールとなります。
ここで言う“方法”とは、肯定のためです。
頑張る行為は肯定方法の一つ。自己肯定感はとても重要です。
もちろん、頑張ることは自己成長や、能力向上のための努力など、他の捉え方がたくさんありますが、動機次第で自分のためなのか、他からの評価や判断を含めた自分のためなのかが分かれます。
無理に頑張るとは
頑張る人の中でも無理に頑張る人がいます。
「私は頑張っている」と他にも己にも言わず、頑張るのが当たり前という理解です。
社会が、常識が、親が、教師が…。
常識として恒常化すると頑張ることが当たり前となり、無理して自らが苦しんでも頑張り続けることが起きます。
頑張ることでルールに反しないため、他者から否定や批判される可能性が減り、褒められ、価値を見る肯定材料も増えます。
自らの存在価値や意義を見出せる喜びがあり、他者から否定されないことで恐怖がない安泰を得られます。
我慢して頑張り続けることで、喜びも恐怖のない安心もあり利益が豊富です。
頑張るとは自らを否定せず正当化するとても大切な価値の見出し方法です。
※頑張れない心理は、【甘えではない楽天的努力家】努力できない自分が嫌いな人に大切なこと をどうぞ。
頑張ることの意味
頑張る行為の労力や忍耐と引き換えに“頑張る意味”を実感します。
その意味とは、“満足や納得する利益”です。
頑張ることに違和感がなくなることで、自らの行為を他者に披露することや、インプットされた他者の情報(社会性の常識や生育過程で定着したルール)と比較・照合して利益を得ます。
自分にとって抵抗のあることをして、他という人やルールに見せつけ、自らを認識する利益を得る方法が頑張るです。
私達は自らの利益を得る欲を持って生きているので、あらゆる行為は選択によって実行される自分のためになる方法です。
そのため、頑張る行為をどのように利用するかは人それぞれです。
利益を得る方法としてどのように認識しているかによって、“頑張る”に種類が作られます。
頑張るの種類
- 無意識に自らに頑張る行為を押し付ける
…他者や自分の中のルールに頑張りを見せつけて利益を得ようとする - 意識的に頑張る行為にて利益を得る
…努力にて自らを喜ばせるための利益を得ようとする
何かに頑張らされているか、自らの意志を持って頑張っているかの違い
頑張ることに種類がありますが、どちらも利益を得るための行為であることは変わりません。
頑張らないとは
頑張るの意味がわかると、頑張らないとはどういうことかわかりやすくなります。
違和感がなく、嫌な気持ちがなく、頑張る意味がわかれば、同じことを一日中するとしても頑張ることに嫌な気持ちは作られません。
毎日朝から晩まで休みなく仕事していれば、周囲からは頑張っていると思われるかもしれませんが、本人は抵抗のないことをしているので頑張っている意識すらなくなります。
頑張らないとは、意志を持って自分に抵抗のないことをする様。
わかりやすくお伝えすると、自分の好きなことや楽しいことをしていれば頑張っているとは思わないということですが、好きや楽しいにかかわらず、抵抗がない=自らの認識や理解を持った行動を意味します。
そのため、自分の意見や納得があれば、仕事や恋愛など、日々の暮らしで努力や労力を費やすことに“嫌々頑張る”という認識はありません。
自らのためにダイエットを頑張る、または、頑張っているとも思わずに毎日楽しくジョギングしている感じです。
周囲は好き勝手言いますが、本人が頑張っているかどうかなので、本人が認識することが唯一存在するリアルというものです。
※頑張りすぎて疲れる原因は、【報われない人生に疲れたからこそわかる】頑張っても報われない人と報われる人の決定的違い をどうぞ。
頑張らない行為のポイント
頑張るも頑張らないも努力による行為です。
そのため、頑張らないとは努力しないで怠けることではありません。
頑張らないとは抵抗がない様を表します。
そのため、柔らかくホワホワ、フニャフニャの人もいますが、それが行き過ぎると力がなくなって怠けることになります。頑張らな過ぎという行き過ぎパターンですね。
緊張は一定の能力発揮のために望ましいものでもあり、一日中家で仕事するよりも、少し外に出て人や障害が多少ある環境の方が集中力が高まったりします。
バランスが大切で、程度や度合によって頑張る頑張らないの違いが見えやすくなります。
↓
嫌だけど頑張り、緊張強めで我慢する
↓
自らのために頑張る、意識的にあえて抵抗を作る
↓
抵抗なく頑張らない、硬直せず緊張なしの良い塩梅
↓
頑張らな過ぎて怠ける、もはや筋肉なくなって夢の中
※オレンジで囲まれている部分がバランスが取れている状態
上記の度合いは、行為を自ら理解しているかどうかにてバランスが保たれています。
頑張らないとは自らの行為を理解していること
頑張らないとは頑張ると頑張らな過ぎるの間にあるバランスを取った状態で、自分らしさに抵抗がない状態と捉えられます。
抵抗がないかどうかは人それぞれですので、同じ仕事量でもあの人は頑張らなければならず、あの人は頑張らないということが起きます。
それは、能力の話ではなく“認識による理解度”です。
言い方を変えると、意志を持って物事を認識できているかどうかにて、頑張るか頑張らないかの違いが出るというものです。
自らの理解がなければ行為に対して納得することができず、どこかに抵抗を感じます。
それは、突然講演してくださいと言われて3秒後にはステージでマイクを持たされている。
「え、なにこれ?」と筋肉ガッチガチ。
理解がなければ自らを認識できず、あることが起きます。
責任が持てなくなります。言い方を変えると、自信が持てなくなります。
理解するためには自らの頭で考えて、感覚で感じて、心で想ってと、あらゆる認識にて納得して、「こんにちは、突然ですがマイクを渡されましたので、私が皆さまにお伝えできることを話ますね。えぇ、頑張らないとは、ホニャララランのプンプンプン」と自信満々。
頑張らないとは、自らの認識にて理解して納得できているかどうかで決まる、抵抗を作らずに努力する状態です。
気楽な努力はちょうどいい、という感じです。
頑張らなくていいの意味
やっと本題ですが、頑張らなくていいとは、「硬直せずに自分らしく」ということです。
「筋肉ほぐして、頭をほぐして、心をほぐして、あなた様」
チャンチャンチャンのリズムです。
抵抗を作らず硬直しないことを促す言葉が、「ねぇねぇ、頑張らなくていいんだよ」です。
硬めに言うと、「自分で物事を認識して理解して」です。
親や教師、または社会性の常識があることで、「頑張るものなのよ」「さぁ頑張って」「今日も明日も言われたように硬直してね」と。
他から入ってきた情報に対して疑問(懐疑)を抱かなくなることで無理に頑張りますので、頑張らなくていいと言われる場合は、一旦自分を見直す機会になります。
「はいカットカット、ちょっと台本はちゃんと憶えてる?」
「あ、いえ、このシーンのシナリオ、マジ意味わからないんで理解できないんです」
「いいのいいのそんなこと気にしないで、言われたように言ってくれればそれで良いんだから」
頑張ることに違和感がある人は自ら理解したい意志があり、自分にしかない認識があることをどこかで感じている可能性があります。
※頑張らなくていい詳細は、頑張らなくていいと言われた時の解釈と意味│頑張らないって難しい をご覧ください。
頑張らない方法
頑張らない方法を知るための前提理解
頑張らないために確実に確認したいことがあります。
“自分にとって抵抗がないか”、“自分の意見として頑張りたいかどうか”です。
頑張らないことは物事を、仕事を、恋愛を、生きることを、自分としてすることです。
そのためには自分の意見、理解、納得が必要でして、言い方を変えると自己責任で人生を生きる覚悟と自らへの誓約(頑張らないための努力)です。
誓約のためには、自分の居る状況、職場環境、仕事内容、関わる一人一人の人間性の理解が必要です。
意見を押し通すのではなく環境を認識して受け入れ、その中で自分のできること、するべきことをします。
仕事が企業に属す形であれば会社内の契約を守る必要があるので、ノルマやするべきことがあります。
現実を認識して今在る状況を認めることで、目の前のことを理解して納得して取り組むことができます。
その際には抵抗はない、しかしそんなことは難しいです。
特に無理して頑張る人は無意識に頑張ってしまうため、頑張らないということは困難です。
頑張らないって本当に難しい。
頑張らないは難しい
頑張らないことは怠けるや手を抜くことではありません。
バランスを逸脱すると嫌々頑張っていた状態を爆破させるように全否定して、これまでの行為を踏み潰すようにする人もいます。
自分の認識を持って頑張っていない場合、そこには冒頭のように自己肯定や正当化の利益があるため、それをやめることは完全なる不利益です。
「頑張らなくていいんだよ」と優しい口調で言われても、二日間の温泉旅行に行って戻ってきたらバリバリやっちゃいます。
少しずつ頑張らない方向へシフトしていく調整が大切です。
頑張らないためには、本当に頑張らないことは難しいです。利益が見えなければ私達は行動動機がないので、変化を求める理由がわからなくなります。
そのため、頑張らない方法として自分の目で見て、頭で考えて、身体で感じて、心で想ってと、あらゆる己の用いる器官を使用する癖をつけていくことが大切な一歩目になります。
頑張らない方法は自らを認め、人生の主人公であることを理解して始まります。
「私が現実を創っている」と思えれば、認識も意見も理解も納得も日々の生活にて養われて増えていきます。
すると、頑張らなくていいの意味を自覚できるため、頑張らない様が加速されます。
※向上心なく頑張らない詳細は、【悪いことではなく幸せ】向上心がない人は仕事を辞めてフィジーに行けばいい をどうぞ。
頑張らないための重要ポイント
少しずつ認識を養います。
美術や映画や音楽など、創造されたものを見ることがおすすめです。
模倣したコピーではなく、アーティストが創造した芸を観ることで認識力が養われます。
「はい、この絵を観てどう思いますか?」
「配置の描写が絶妙で、色と影の付け方が何とも良い」
こんなことを言われて意味わかる人はいないと思います。
「何を基準に絶妙なの?」「配置を気にする認識があるの?あなた絵描き?」「良いって?」「付け方とかあるの?」
めんどくさいのに出くわすとこんなことを言い兼ねません。
「よくわかんねぇ」「なんとなく良さげ」「なんか肺呼吸みたい」「踊っているようだ」
などなど、なんでもいいのですがこんなのが自分の目で見て感じて考えて想う認識かと思います。
頑張らなくていいとは、自らをルールや常識で縛らず支配しないことです。
“頑張る”状態はバランスがとれていようがいまいが支配があり、支配を利用して活力や行動動機を見出すことで努力しますが、頑張らなくていい状態は支配をなくすことにポイントがあります。
私達は自分以外の“他”との共存、共有環境となる“社会”で生きているため、自らの認識や理解がなくなると自然に起きるのが、自らが自らを支配する抑制です。
自我意識が強ければ自らを護るために支配します。
自我意識が弱ければ他に執着して他から支配されるようにします。
人と人、さらに歴史と記憶の積み重ねである社会で生活している前提環境では、自然と上述のような自他からの支配が起き得ます。
自覚や気づきが大切になり、支配を手放すことで、頑張らないための自らの意見や認識を持ち、人生の主人公である理解へと繋がります。
※頑張りすぎる我慢の危険性は、我慢しすぎて辛い時は早めに対処│とんでもないのが出て来る前が肝心 をご覧ください。
頑張らない方法 要点まとめ
これまでの内容にある、頑張らないために大切なことはこちらです。
- 物事を自分で認識して意見を持ち理解する
- 自分らしさに抵抗を作らず、力の入らない状態
- 頑張り過ぎず、頑張らな過ぎずのバランス
- 現実を認識する主人公だと認める
- 自らを縛らず支配しない
上記のような状態になるための方法がありますので、最後にそちらをお伝えして終了します。
頑張らない方法は、自分への許し
頑張る状態、または頑張らな過ぎる状態、これは自らの認識がないことから起き、“意志”が遠のいている可能性があります。
意志とは行動動機となる源泉であり、欲です。
行動するには、お金が欲しい、お風呂に入りたい、人に喜んでもらいたいなどの欲があり、全ては自らの喜びに繋がります。
そのため、“自らに喜びを与える気持ち”が行動動機となる意志を意味します。
無理に頑張る場合、自らが喜びを自らに与える意志が薄く、他との照合や比較によって利益を見出そうとしているかもしれません。
そこには、自分を縛り付けていることをどこかで認識しているけど、見ない振りをしている“何か”が考えられます。
誤魔化し、罪悪感、恐怖です。
自分を大事にしている人であればあるほどに、そんな認識を見ないように奥へしまい込む傾向があります。
頑張らない方法は、そんな自分を許すことです。
しかし、許すのは頑張りを強いられた貴方です、貴方ではありません。少しややこしいです。
自分を俯瞰して見ると、頑張る行為を楽しんでいない以上は、無理に強要している自分が別にいます。
許してもらう必要がありますので、謝ります。
謝ることは緊張を解く瞬間の緩みを意味します。
自らに謝ることが頑張らない方法です。
「ごめんよ、私、許して」
「いいよー」
そんな感じかもしれません、自分ですから。
本気で謝れば本気で許してくれます。
それが自分への敬い、自らを喜ばそうとする意志です。
頑張らない方法 まとめ
頑張らないことは怠けるとは大きく違い、自分らしさに抵抗を作らないための、意志と認識の支配を手放す話であることを知っていただければ幸いです。
謝ることで全てが始まります。
謝りとは頑張るを頑張らない状態にすることと似ています。
謝ることで緊張状態を解き、心に解放と余裕をもたらします。そこには謝る相手への敬いがあり、自らへの敬いがあり、あらゆる硬直となる縛りを手放す支配の終焉があります。
自らの支配を手放し頑張らないでいきましょう。
癒しと刺激の狭間でバランスを取りながらユラユラビシビシ。頑張って頑張らないでゴーゴー。
ぜひ、頑張らなくていいの意味を体感するためにも、創造性のあるものを観たり、自らが創造してみてください。
認識が養われることで責任を持つことができ、そのまま自信になります。
自信は物事をそのまま認める許容を広げ、受け入れられる幅が変わります。
敬いと許しを持ち、自分らしさに抵抗がなくなり、頑張らなくていいことに違和感がなくなります。
頑張らない理解によって良い塩梅が生まれる内容であることを願います。
それでは、頑張らない方法のお話を終了します。
最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。
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