湖を囲むように点在する村々は、山に沿った地形の中で、自然と共存する。
その一つの村に訪れた時、私は電気のない家を見つけました。
そこで経験した日々は、変化を楽しむ力を高めさせてくれました。
今の時代、なかなか現実を真正面から捉え、瞬間瞬間を認識し、今を楽しみ、過程を楽しみ、変化を楽しむことが難しいかもしれません。
変化を楽しむには必ず能力が要ります。
自然に育めるのは、遊びが仕事である子供の特権ですが、気づけば能力退化は著しく、育み方がわからなくなっていきます。
ここでは、電気のない家で学んだ体験談と共に、変化を楽しむ力の詳細を見ていかれてください。
- 変化を楽しめないのはなぜ?
- 変化を楽しむ能力とは?
- 電気のない家で学んだこととは?
これらを紐解き、「変化を楽しむとは、自己認識力の高まりなんだ」と知っていただく内容となっております。
いつの間にか退化している能力は、因数分解の解き方を忘れたようなものだったりします。
今一度、人生の楽しみ方を再確認するためにも、一つの考え方としてご参考になれば幸いです。
Contents
変化を楽しむ人の能力

変化を楽しめないのはなぜ?
同じ場所で同じことをしていても、場所を変えて違うことをたくさんしていても、物事は常に移り変わり続けています。
変化とは動・不動関係なく起き、楽しむか恐れるか、選択が二分けされるのは不安と同じ。
現状維持できず、何かが変わる時、事前に喜びがある変化だとわかれば楽しみ、悲しみがある変化だとわかれば恐れます。
しかし、変化は常に突然。
「わっ、サプラーイズ」
「えっ、マジで」
良いも悪いも突然だと、嫌なことが起きた時にメンタル維持が難しいので、事前予測して恐れの対処をしたくなります。
防衛機能であり、恐怖心の処理術。
嫌なことが多い世の中、思い通りにならない状態、恐怖心と向き合いたくない心理では、欠かせない行為です。
この時世、「良いことよりも悪いことの方が起きる」と思いやすく、変化には楽しみ以上に恐れを抱きやすいかもしれません。
気づけば結果を求められ、記録を大事にする価値観が当たり前になり、過程を静かに忘れゆき、残るのは周囲と比較することで見出される形。
形を残すことは、失敗や成功体験となり、向上や成長材料となる大切なもの。
しかし、過程を認識せずに今日一日が終わると、今を楽しめなくなり、変化を恐れるようになり、生きている意味すら見失い兼ねません。
変化を楽しめない心理となるのは、今この瞬間や過程以上に、結果や記録を重要視する価値観や社会の在り方、良いこと以上に悪いことを危惧しやすいメンタルがあるからだと考えられます。
変化を楽しむのは難しい
変化とは鉄球で現状維持がドーンと崩壊される瞬間でもあります。
サプライズボックスのオープンみたいなものでして、ビヨーンと変なものが出て来る可能性もあり、「イエー、パンパパン、パパンパンパン、Happy birthday to you~ラララ~」と勝手に始められても、困って引いちゃうこともあると思います。
楽しむためには起きた現実を受け入れる必要があります。
「みんなは驚かせるために活動された、そうですか」と静かに認めるだけでなく、「なんて嬉しいことか、みんなよくやってくれたね、ありがとう」とウェルカムな迎え入れです。
「喜んで起きた出来事を自分の中に迎え入れる」が変化を楽しむことですので、なかなか一筋縄ではいきません。
現実を認めることはできても、受け入れる大きなワンステップはとてもハードルが高いです。
受け入れるとは、するしないではなく、できるかできないかの行為。難しいものです。
※変化を恐れないための詳細は、【変化を恐れない方法をドゴン族に学ぶ】変化を嫌うと疲れちゃう をどうぞ。
変化を楽しむには条件がある
受け入れるには、現実を捉える認識が大前提となります。
現実とは、今ここ。
今を生きながら、さらに喜ぶ気を自らの内側から引き出し、初めて変化を楽しめます。
やることは盛りだくさんであり、条件が見られます。
- 今を生きる
(現実と向き合う感受) - 喜ぶ気を持つ
(意志の見出し) - 現実を受け入れる
(許容・尊重) - これら①~③をする心の余裕
【変化を楽しむ=今を生きて喜ぶ意志を持ち、現実を受け入れる許容と尊重】
さらに、これらを揃えるために、心の余裕が前提に必要という条件です。
余裕がありました。
自然と日本語が話せたように、子供の時は自然と変化を楽しめたかもしれません。そこには今を生き、喜ぶ気を持ち、現実を受け入れるためのしかし、成育と共に周囲のサポートがなくなり、責任を持ってやることが増え、他者を配慮しながら、たくさんのルールに従い、頭の使用頻度が増え、余裕はなくなりやすいです。
忙しく、情報過多、人間関係に翻弄され、メンタル変動が著しく、自分軸以上に他人軸が主になり、今以上に重要視される過去と未来への着眼。
喜ぶ以上に、恐れないことが大事に。
余裕のなくなりやすい今の時代、変化を楽しむのは難しいと思います。
しかし、変化を楽しめる人がいます。
一体何が違うのか?
変化を楽しむ能力を育んでいると考えられます。
変化を楽しむ能力がある
これまでの内容にて、変化を楽しむには条件があると知っていただきました。
条件で最も重要なのは、心の余裕です。
心の余裕は経済的豊かさでも見出されますが、変化とは常に起きる現象ですので、「それくらいであればお金で補える」「お金があるから恐れずに済む」という類の消費する余裕は遅かれ早かれ枯渇します。
変化を楽しむ人は、心の余裕を自ら作ります。
ここに能力があると考えます。
自ら心の余裕を作る際に登場するのが、「自己認識力」です。
自己認識力とは、自分自身を明確に理解するための力であり、どれほど自分を知っているかのバロメーターです。
バロメーターであるために、自己認識力がある人は「私は私のことをよく知っているぞ」とはなりません。
自分を知っている人は自負が強くなるのではなく、余裕が高まります。
[変化を楽しむ能力=自己認識力]
私が海外を旅して中米のグアテマラにいた時、この能力を学ぶ機会がありました。
※変化を楽しむための前提は、心に余裕がない時の原因とイライラの関係性【改善は遊び心】をどうぞ。
変化を楽しむ能力の育み方を知った体験談
グアテマラの村にあった電気のない家
私がグアテマラにいた時、マヤ文明や遺跡の中心地として知られる湖を訪れた時があります。
湖を囲むように山がそびえ、山に沿いながら村々が点々とあり、昔ながらの生活が残ります。
人々はボートを日常的に使用し、船路は村々を繋いで毎日巡航。
村によって民族衣装が違い、まるでユニフォームのよう。文化と伝統、さらに言語までもが異なり、一つ隣の村に行くと違う特色を味わえるなんとも不思議な場所。
湖の底には今なお超重要遺産が眠っていると言われ、神聖に扱われながらも洗濯物や日常のシャワーは湖で済ませる、そこは中米感が色濃い陽気とテキトーさ。
そんな場所でフラフラしていると、観光地も何もない小さな村に日本人女性が住んでいると聞き、呼ばれるようにあるゲストハウスに辿り着きました。
一人で見つけるのは到底できない場所でしたが、たまたま旦那さんに会えたりと、奇遇な訪れとなりました。
なんとか辿り着いた場所は、日本人女性が経営する自然の中のゲストハウス。もはや宿というよりは自然の中に住める空間。
家は木々に囲まれ、家の前には山と湖を繋ぐ川。
子供が三人、旦那さんは現地人の芸術家、犬がたくさん、鳥が数羽、手作り感満載の木造建築に、湖が一望できるテラス、ハンモック、そして手作りサウナがあります。
バナナ、アボカド、コーヒー、他にもフルーツの木々がたくさんあり、水は山から流れ、電気はなし、ガスがありながら火で料理もできるキッチンが外にあります。
自然との共存環境でした。
ここでの時間は、変化を楽しむとは何なのかをはっきり知る体験となりました。
※グアテマラに行く機会がある方は、日本人の手作りゲストハウス│グアテマラのアティトラン湖ツヌナ村 をどうぞ。
変化を受け入れたいかどうかを自覚する日々
私は旅をしながら、さまざまな言語、ルール、法律、文化、常識を味わい、森に住んだり、都心部のマンションに住んだりと、環境がコロコロ変わる生活を続けていたので、変化に適応するのは慣れていました。
しかし、この場所は適応に留まらない面白さとして、現実認知を促す自己認識の育みがありました。
具体的には、「なんのために変化に適応するか?」を考えさせられました。
これまでは、動けばそれだけ環境が変わるので、自分のいる環境を受け入れる以外の選択がなかったのですが、この場所は近隣の村々を徘徊できるので、選択肢がたくさんあります。
電気が欲しければ、隣の村に滞在すればいい。
ネットが使いたければ、インターネットカフェに行けばいい。
山の雨水が嫌なら、ミネラルウォーターを買えばいい。
不便が嫌なら、街に移ればいい。
さまざまな選択肢がある中で、電気のない家を選ぶかどうかは、「あなたがここにいる理由を100%決めるんだよ」と言われているようでした。
そのため、この場に滞在することは自らがここに住みたいと欲する気の見出し、喜ぶ意志の確認になりました。
変化を受け入れなければならないのではなく、変化を受け入れたいかどうかの自分自身を自覚し続ける自己認識の日々。
自らの思考と行動を知りながら、今生きている私とはこの私であるとはっきりわかります。
結局、二ヵ月半滞在していました。
この日々は、常に自分の選択によって変化の受け入れと拒否を作っており、そこには喜びたいか、恐れたくないかの欲求があると体感させてくれる、自己認識の育みがありました。
変化を楽しむために自己認識力が必要だった
電気のない生活は不便であり、ネットも携帯も使えず、日が沈めば真っ暗です。
太陽によって生活習慣が決まり、明るくなれば活動的に、暗くなれば音楽を奏でて癒し、ロウソクの火を見ながらたそがれ、就寝。
絵を描けるのは日中だけ、その時間は無駄にしない。
買い物は小さな八百屋とショップが数軒あるだけ。歩いて一時間かけて隣の村に行ったり、ボートで別の村へ行きます。
何もかもが日常とは違う環境では、現状維持という言葉はもはや存在しませんでした。
しかし、当然その生活に慣れれば、人間のホメオスタシスや恒常化が働き、「普通、当たり前」になります。
その時はっきりわかったのは、「私は自分がこの生活をしたいと思って選択している」という現実認知でした。
自分で選択している自覚は、起きる一つ一つをしっかり捉え、今を生きる礎でした。
「普通、当たり前」を希薄化させ、今を生きることに集中させる。そんなことがわかる日々。
湖で泳いでから、芝生に寝っ転がって雲を観る。雲は多種多様な形をして、物語りを作っているように変化し続ける。
それをヘラヘラしながら観察して、今この瞬間を大いに受け入れる。
家に帰れば子供達との遊び。子供の考える忍者ごっこは意外に楽しい。
「コーヒーの身が生えてるけど、コーヒーできんじゃない?」から始まる一からのコーヒー作りは、この地球で一番おいしい、文句なし。
木に登り、アボカドを取り、みんなで喫食。
「このフルーツ食べれるの?」「まぁ食べてみよう」なんて日々。
焚いてくれるサウナは極上の幸せを堪能させ、夜風が体に染みつくサウナ後がまた格別。
お湯など出ないが、太陽熱で温めたぬるシャワーがある。それが嫌なら明日のお昼に湖で泳げばいい。
「何もしなくていい、お金があるから」と見出される余裕とは違い、自らの意思と行動によって起きる選択の自覚。
今を生き、自らがいる環境を受け入れる、そんな現実を捉えることに心の余裕作りがありました。
この経験にて理解したのは、こちらです。
変化を楽しむとは、物事を受け入れる自分を自分自身で作ること。
そんなことを学べる場所は、今後も一生訪れたい場所であり、味わいたい生活でした。
※楽しみの見つけ方は、楽しいことがわからないのは見つける場所が違う│楽しいの意味が教える自分 をどうぞ。
変化を楽しむための育み方
村での経験にてお伝えしたいのは、変化を楽しむことと自己認識力の関係性です。
自己認識力とは自分を理解する力ですが、理解するためには概念が四つあります。
- 自分を内側から捉える
…内観による理解 - 自分を外側から捉える
…外観による理解 - 自分を他人目線で捉える
…他者を認識する力による理解 - 自分を俯瞰した全体目線で捉える
…自分や他者という概念を離れた理解
ポイントの一つでも多くあればあるほど自己認識力は高まります。
これらが大切な基礎になりますが、経験を通してお伝えしたいのは別にあります。
育み方:物事を受け入れたい自分を作りたいかどうか
「受け入れたい」という気持ちが、変化を恐れさせないだけでなく、楽しむ能力を育ませます。
おそらく私達の多くは子供の頃に、変化を恐れることもありながら、これもできていたと思います。
子供の多くは生活に余裕があり、親などの周囲がサポートしますので、心の余裕は自然と養われます。
しかし、成育と共に余裕がなくなります。
余裕がなくなるだけでなく、自然と養われていた変化への楽しみ方は、遊ぶ以外のことに重きが置かれて忘れ去られ、経験則がなくなっていきます。
楽しむ力は育まないと消えていきます。筋トレと同じです。
遊ぶことが仕事であれば自然と楽しむ能力を育みますが、自然ではない場合には、自ら物事を受け入れるスタンスを持つことで育まれます。
「受け入れたい」と思いたくてもできない場合、心の余裕が枯渇している可能性があるので、現実を捉えるために今を生きることがメインになります。
結果ではなく過程、過去や未来ではなく今ここ。
今を生きることは自分として生きることであり、心の余裕の皮切りとなるエネルギーチャージです。
変化を楽しむとは、現実を如何に現実のままにできるかであり、拒否せずに受け入れを増やすために、受け入れたいと思える自分を作れるか。
そこに、自分を知る意味があります。
※今を生きる方法は、【今に集中するのは難しい】今ここの感覚を知るコツと方法は「体って乗り物」をどうぞ。
変化を楽しむ まとめ
変化を楽しむとは、現実を現実にしたい意志、起きることを強く受け入れる力。
変わりゆくのは人だけでなく、時代、価値観、技術、人生、関係性、ルール。もはや全て。
何もかもが無常の中で生きる以上、変化を楽しむことには自分や人生を作る深い意味が潜みます。
「楽しい」とは軽くてポップな言葉でありながら、あらゆる自己認識が詰まった深い言葉。
字をギュッと押し潰して上から見るのではなく、「実は横や下から見るのが字なんだよ」と言われるような。
子供達は自分をよく知っています。それはよく知ろうとしているために、自己認識の自然な育みがあるさまです。
しかし、欲求と感情主体であるために、知りたい欲求がなくなったり、楽しくないと育むのをやめてしまいます。
楽しいかどうかわからないのが変化。物事の現実を知れるのが成育です。
わからないからこそ自ら作り、楽しめる。恐れることでも楽しめてしまうのが、自己認識力の強味であり、人間としての絶対的基盤であり成長軸となる超重要能力です。
子供の頃を思い出すと面白いことがわかります。
変化をとにかく恐れながら、とにかく楽しむさまがあり、物事を受け入れるも受け入れないもないシンプルなそのままの現実認知。いわゆる自動的受け入れのみの、真っ新でフラットです。
それはとっても深い奥底にいる自分。
とんでもなく広い許容があり、考えられないほど大きな敬いと尊重がある自分。
本当はみんな知っています。
変化を楽しむとは、その自分になることだと。
そんな遠い記憶、はたまた深い繋がりを思い出す足がかりになればと、ひっそり思う内容。
何かお役立ちとなれば幸いです。
それでは、変化を楽しむ能力のお話を終了します。
最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。
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