人それぞれ

自分以外は他人、家族は他人。主人公は一人だけだからこそ全員家族

他人ではない考えがあることで、家族や友人やパートナーとして枠を設けることになります。

それは人と関わる際のルールとなり、関わり方が人によって変わる仕組みを作ります。

特に家族に対しての特別視があることで、関係性を良きものにも苦しいものにも変えてしまいます。

家族とは小さなコミュニティであり、全員他人の集まりです。

家族と他人を区別して家族間の関係性を特別視する考え方は、空間を作り、国と国を区別する考え方と同じで、恐怖心や不安感への対処法になります。

そこには戦いの歴史があり、共同意識にて自国を愛する概念が必要でした。

今の時代背景に、そのような考え方が必要かどうか。
家族を他人ではなく、何か特別なものと思い込むことで苦しみがある場合、家庭環境それぞれに心や体を傷付けられる状況から、家族は完全なる他人であり、自分以外は他人である考え方を共有します。

関係性を作ることで苦しみとなっている場合に、言葉や常識に翻弄されずに、自分の目と頭と心で関わり方を作る一助となることを願います。

 

自分以外は他人

人生の主人公は自分、それ以外は全員わき役

自分以外は他人で、人生の主役は自分だけです。

これが前提としてあります。

そこに“家族”や“仲間”、“恋人”や“パートナー”、または“敵”や“毒”などと区分けをする名前を付けることで自分に納得や満足がある場合、他人か他人ではないかルール設定をします。

そのため、自分以外は他人と思うか思わないかは完全に個人の自由です。

この世の主人公は自分で、それ以外は全員わき役です。そして、自分の人生は自分にしか作れないので、わき役の登場回数や時間や率は全て自分が決めます。

いわば、自分の世界のプロデューサーとして生きている状態があります。

そんな前提に、「他人ではないよ」とわき役が口出しをしてくることがあります。

「監督、私のセリフ少ないです。ここでもっと話してもいいですか?」

どうぞご自由にしてください。

登場人物にはその人の人生があり、その人が主人公で自分の人生を作ります。

そのように、他者の人生に干渉して侵入しようとすることで、“自分以外は他人ではない概念”が入ります。

それが、常識やルール、決まり事や観念、依存や執着、固執に恐怖からの逃避、承認欲求に褒められたい願望です。

自分以外は他人とは : 自分の人生の主人公は自分のみ、それ以外は全員わき役
※自分一人で生きられないエゴの依存や恐怖からの逃避があることで、常識やルールにて他人を自分の人生に巻き込む

他の侵入を許すか拒むかは自分次第です。そこに「仕方がない」ということはありません。

「仕方がない」と受け入れた場合、それは自分の意志で受け入れています。

どうして受け入れるのか?

自分以外は他人である状態から他人ではなくすることは、自分の世界にわき役がしゃしゃり出ることを意味し、それは自分が主人公を降りる、またはプロデューサーとしての役割を放棄することです。

それは自分の意志で許可しなければ成り得ません。

他人ではなくする許可の受け入れをする際の目的は一つだけです。

“自分が納得するから他人ではなくする”

自分以外は他人である自分の人生に、他人を介入させる理由は自分が納得するから。
他人ではなくすることで、自分が主人公から降りることを意味する。

他人ではなくする際には“名前”が必要になります。

そして、仕方がないと言いながら受け入れる際のほとんどのケースは、“家族”という名前です。

※自分を主人公と思えるかどうかの話は、一人で生きるのは覚悟ではなく選択│自分がいるから一人が良いの をご覧ください。

一人で生きるのは覚悟ではなく選択│自分がいるから一人が良いの一人で生きることは、「一人で生きていけますか?」という質問に対して、一人で生きたいか生きたくないかの答えが意味する生き方です。 そ...

 

家族は他人

自分以外は家族も他人

この世で主観となり、主体となる存在は“自分のみ”です。

この世には、家族間やパートナーという特定の人に差を付けることで、より愛をもたらす心理的な愛の増長思考があります。

他人であることにも家族であることにも、ポジティブもネガティブもない状態が標準です。

そこに社会的な、「家族は敬いの対象で慈しみ愛し共存する」などのルール設定をすることで認識が変わります。

家族が他人ではないルールを作りやすいのが、遺伝子や血縁関係です。
まるで同じ人間であるかのような材料となり、自分の一部のように思い込める正当性を信じることで家族は他人ではなくなり、人々との間に差を付けるべき考え方を作ります。

家族は他人 :
誰を家族とすることも可能
※自分以外は他人である前提から、共通認識にて関係性に名前を付けることができる

考え方は法律とは違い、価値観として認識します。

家族の定義は法律として保証人や権利という責任を与え、社会秩序を守るために役立ちます。

しかし、法律以外の価値観を常識にするのかどうかは個人の自由であり、誰をどのように家族とすることも他人とすることも可能で、そこにあるのは人それぞれの認識です。

人と人の関係性を作る場合にはお互いの共通意識が必要になります。

共に理解して受け入れることで、それぞれの人生の主人公は自分のまま、わき役に名前が付きます。

「私は母を家族だと思う」「私も娘を家族だと思う」とお互いが同じように認識することで、他人であることに変わりありませんが、自分の世界のわき役である人に“母”、“娘”と名前が付きます。

それをする意味は、関わり方を容易にするためです。

関わり方は自分で決めればいいのですが、「家族には気を許していい」などのルール設定を自分の中で作りやすくする行為が、“名前付け”です。

他人A、Bよりは、名前があると認識しやすくなります。

しかし、そこで共通認識なく一方的に他人の人生に入ってきて、「私はあなたの母よ」と胸を張ってムムムと主張してきた時、自分の人生が壊され、関係性を作られて暴れ回ります。

ゴジラというやつです。

 

家族があるのは幸せをもたらすため

これまでの時代背景や生活環境では、家族を作ることには生活向上や生存維持としての意味がありました。

しかし、今の時代では、生存維持のために家族を作る必要はなく、生活向上にて家族と協力することをせずとも向上を図れる環境があります。

今の時代には今の価値観が作られ、家族があることで“幸せを育む”意味があります。

家族の意味 : より幸せと成長をもたらすコミュニティ

今の時代では、ご飯を食べるのも生きるためではなく、幸せや喜びを感じるためです。

物に溢れ、雇用に溢れた環境では生きることの目的は自己の喜びであり、自己の成長を培う機会になります。

・家族間に生まれるのはルールの距離感ではなく、実生活としての距離感によって愛の大小が変わり、共通認識にてお互いを敬い、協力して協調することでより幸せを生み出し、人それぞれの成長を生み出す環境になる。

・家族間の敬いなく、他人の認識なく家族の特別視を一方的に利用する環境では、自分の人生を壊される。

例えば家が貧乏であることで、家族の他人が集結してお互いに助け合いをして、切磋琢磨して生きる知恵を学ぶこととなり、さらに協調があることで調和的に幸せやより強い愛を生み出します。

そこに愛や調和がなくとも、貧乏生活を乗り切ることで強さや生きる力を会得する機会にもなります。

しかし、愛もなく依存と執着のエゴにて一方的に“家族という枠組み”を作られて、自分の人生をゴジラだかけむくじゃらだかに踏み潰される場合、勝者のない戦いを引き起こします。

「血が繋がっているんだから家族に決まっているでしょ」という謎の思い込みや決め付けは法律以外に通用しません。

一方通行でお互いの共通認識がない場合、家族になることはありません。

※家族についての認識は、家族とは何か?問題やトラブルの原因にエネルギーとカルマの大切な意味 をご覧ください。

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家族は他人ではなくするのは関係性に差をつける思考

「家族は他人ではない」というのは、同じルールを設定している人同士でのみ通用します。

自分という存在で生きていく以上、自分以外は他人にしかなりません。

他人の中に距離感を作り、人と人を比較して差を付けることで、「知人」→「友人」→「恋人」→「夫婦」→「家族」と関係性を段階的に作り、人の関係性にルールで差を付けます。

愛と呼ぶかは別として、ルールで差を付けることで愛にも差が生まれます。

それらの関係性は名前と同じで、物事を認識するための外的な方法です。

現実に認識する際には、人と人の間にある気持ちを認識して、「自分がこの人に対してどう想っているか?」の人を想う気持ちが全ての認識材料です。

家族が他人ではない理由 :
他人と区分けして特別視することで関係性を作る
※関わり方のルールを人との差によって作る思考
※家族と関わりやすくもなり、苦しみの原因にもなる
※自分の意志がなく、義務と強制を生む

誰を家族と思おうと他人と思おうと自由であり、そこにはその人と関わることで感じる気持ちがあり、大切な存在だと認識することで特別視して家族になるのではなく、単純に愛がある現実が目の前にあるだけです。

家族は他人であることにネガティブな概念はなく、家族も他人もない状態が標準であり、人と人の関わりで、自分がどう想っているかが最も大切。

※他人に興味がない人の話は、他人に興味がないのは普通のこと|特徴から見える真意は冷たく優しい をご覧ください。

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家族は共存集団

「家族は他人以上に大切な存在」と考えることで、家族間への特別視による愛を作ることができます。

それは、本質的に人と人との関わりにて感じる愛とは少し違いますが、思考的に枠を設けてルール設定することで、「家族は大切な存在だ」と自然に思い込むことができます。

枠を設けることで、その枠に収まった時には心から家族を愛する気持ちを持つことができます。

同時に、枠を抜けて他の家族のあり方などを見た時に、自分の抱いている愛が愛なのかどうかを知る時が訪れます。

家族は他人ではない考え方は、家族を重んじて大切にするが故の気持ちでもあり、それは恐怖や不安への対処でもあります。

人と人との間に愛や信頼などがあれば、家族や他人と考える必要も定義付ける必要もありません。そこにこだわりや固執があれば依存や執着を表し、それは家族である人の私物化をしている存在を浮き彫りにします。

家族は他人ですが、そこには他人も家族もない共存関係があり、コミュニティという空間を作ることで安心と安泰をもたらして不安や恐怖への対処になります。

それは自分を守るために屋根や壁のある家の空間を作ることと同じで、物質や外的なアイテムや武器を増やすことで、安心感を生み出します。

家族は他人ではない意味 :
小さなコミュニティの共存集団を作ることで安心感をもたらし、協力した成長環境を作る 

家族の関係性に執着や依存をすることで、自らの意志で安心感を生み、不安や恐怖を克服する成長の行動を忘れます。

すると、家族を私物化して自分の不安や恐怖の対処のために利用します。

家族である特別視をそこに適応させることで、何をしてもいい解放感が生まれ、口止めや脅しや洗脳をしやすい環境に一変します。

※家族は他人であることへの気付きは、家族のあり方を見直す。家族に対する特別視のルールに気付く をご覧ください。

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家族の私物化をする他人と毒

人と比較して家族を特別視して、自分の不安や恐怖の対処に家族を利用することで、悪いことをしている概念が軽減します。

「家族だから」というルールを利用して人格否定をして、行動抑制、生活を決め付け、ストレス発散の道具にしたり攻撃もします。

それは他人が他人の弱みを利用した悪行となり、毒親や虐待がその典型例です。

毒親や辛い環境が家族間にある場合、家族への思い込みを手放し、自分の喜びを考えてください。

思い込みや洗脳や脅迫からの弱みを、心の傷として握られることで我慢や忍耐を善として自分を痛めつけることをしてしまいますので、誰かに相談してください。

一人で悩むことは解決にはなりませんので、必ず誰かに相談して、自分を大切にしてください。

もし辛く苦しい状況があれば、何人にでも助けを求めてください。信用できる人かどうかを判断する必要はありません。とにかく自分のために、自分を助けることのみに集中して、周囲に相談してみてください、相談機関を訪れてみてください、NPO法人でも役所でも探してみてください。

家族は他人である考え方をすることで、自分の人生にズカズカと侵入するゴモラを防ぐことができます。

他人はわき役です。勝手に侵入されることは、自分が主人公を降板する自らの意志となりますので、人生が壊れます。

家族でも何でも、自分以外は他人である前提がありますので、お互いの共通認識がなければ家族として名前をつけることもできません。

家族を捨てるとかそういう概念もありません。元々他人ですので。

それを止めているのは、これまでの恩義とか常識を守る自分ですので、それが自分の人生にとって何の役に立つのかは本人にしかわかりません。

必要がなければ離れる、離れないのであれば、依存や執着をしている自分の意志です。

※私物化をする原因は、価値観を押し付ける人の特徴と仕組み│同じ人間になる法則を打破 をご覧ください。

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自分以外は他人で全員家族

家族は他人かどうかは重要なことではありません。

他人である人とのお互いの認識とコミュニティの活用意識によって、家族の大切さが生まれます。

そのため、本人の認識次第で、家族を良きものとしたり苦しみの基としたりすることができます。

標準は全員他人ですので、家族かどうかは何でもよかったりします。
しかし、見方を変えることでコミュニティとは家族としてではなく、社会全体がコミュニティになり、視野を広げることで日本となり、世界となり、地球となり、宇宙となり、太陽系銀河となり、と続いていきます。

すると結果的に、「全員家族」と捉えることもできます。

そこに共通認識があれば、それを“平和な世の中”と言うのだと思います。

日本は国として平和に対する共通認識を戦争にて作ることができていますので、国と国の括りから人と人にすることで、全ての人に対しての協調や敬いの気持ちを持ち、他人である全員を家族のようにして、助け合いながら調和しながらの時間が生まれるかもしれません。

何のために関係性に距離感や差を見出すのかは人それぞれに目的があるのかもしれませんが、自分の意見を持ち、お互いの共通認識によって誰とでもいつでも家族となることができる人間の能力があります。

他人である人を家族にして数を増やしていくことで、幸せをより自分のためと人のために育むこととなり、成長をより望める環境作りが可能です。

全員他人か、全員家族かによって、お互いに依存と執着を持ち利用し合うか、調和と敬いを持って幸せを共有するかがわかれ、天と地の違いが生まれます。

認識次第で家族になったり他人になったりすることを、自由に決められる。
たくさんの人との共存社会では人との出会いが無限にあり、お互いの認識を持ちながら、誰とでも家族となることができるのが今の時代。
環境を活用し、家族を作ることの利点を活用し、自分や共存する人のために生きる幸せの選択がある。

 

自分以外は他人 まとめ

自分以外は他人で、ここに例外はありません。

他人ではないと思い込むことで依存と執着が作られている家庭環境では、家族は他人と認識して、いち早く周囲の人に相談をして距離を取りましょう。縁を切るも何も、家族は他人です。

家族の人が大切な存在かどうかは自分の気持ちが決めることで、関係性や価値観や常識が決めることではありません。

自分の人生は自分にしか構成できません。なぜならば、今という一瞬一瞬を生きることが構成ですので、あくまで自分を主人公にして生きている以上は、全員わき役です。

あなたは他人の人生のわき役です。みんながみんなわき役で、調子に乗るとゴメラだか何だかになり、いつか退治されます。

生きている以上は私たちには心があります。心は気持ちを感じて想いを生み出します。
脳の思考とは違うので、考えて見出すものではなく感じるものです。

感謝とは愛です。愛がなければ感謝を抱くことはありませんし、抱く必要もありません。

全ては自分の気持ち次第です。
自分以外は他人ですので、他人にすがられたり苦労を掛けられることが嫌であれば、蹴飛ばし(自分の意志と意見を持って対処し)、距離を取ったり、他者の協力を持って関係を終わらせましょう。

自分以外他人という認識は、今の社会では考えなければ認識できないかもしれません。

人を想う気持ちや愛を持って他人との関係性を構築していきますので、名前とは必要なものではありません。

主人公であることを忘れないためにも、自分以外は他人である認識をしてみてください。

それは、自分の人生を尊重することで、自分を大切にする意味です。

自分を敬い愛することは一人一人の人生を敬います。他人の人生に干渉せず、ズカズカもドカドカもしません。

そして、共通認識にて仲間が増えていき、家族が増えていきます。

家族はお互いが敬い幸せになるための共存集団です。主人公は一人しかなれないからこそ、それぞれの人生を敬い、家族になることができます。

全員他人で全員家族です。

調和や協調、敬いや愛を持ってお互いの認識の上で家族を作り、集団として幸せを育み喜びを分かち合い、成長を促す環境を作ることができます。

お互いがお互いを敬い、大切にし合うことで、平和を基に安心感と幸福に満たされた空間を生み出し、それは気持ちによって共有して増大することができます。

そこに理解者を含めることで家族の数は増えていき、それは村となり町となり、国となり星となります。

住んでいる環境が違うので全員を家族と認識することは難しいですが、子供達は全員家族で仲間であることを直ぐに理解し、お互いに認識することができます。

新しい時代には、新しい価値観と認識が生まれます。
その為に、今の時代でできることをして、人と人の分け隔てない関係性を気付いていけることを願い、共有します。

それでは、自分以外は他人で、家族は他人、そして全員家族である話を終了します。

最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。

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