生き方

人付き合いが苦手な人は気楽にやめる|喜びがなければ得意にはならない

どうして人と関わるのかを考えると、人付き合いが苦手かどうかは問題ではなくなります。

人と関わりたいから関わっており、人と付き合うのが苦手であれば付き合う必要はあるのでしょうか。

人付き合いが苦手な理由には共通した理由があり、共通していることから克服する方法も共通で見えてきます。

人付き合いをしたいかどうかは強制ではありませんので、人付き合いが苦手なのに人と関わらなければならない状況を作っていることを考えることで、自ずから克服する道を見出します。

人の内側にある人付き合いが苦手な理由を紐解き、本当に人付き合いが苦手なのか、人と関わりたいのかどうかを明確にしていきます。

克服に大切なことは本人の意志ですので、自分自身を知る機会となることを願い、私の体験から理解した人付き合いが苦手であることの克服方法を、ゆで卵を例にご覧ください。

 

人付き合いが苦手な理由

人付き合いが苦手である思い込み

人付き合いが苦手だと思う理由はどこから来るのでしょうか。

人と話すのが苦手だから。人の話を聞くのが苦手だから。人と一緒に居るのが苦手だから。人見知りだから。

そしてそれは、その人だから?家族だから?友人だから?他人だから?

人付き合いが苦手になる理由には、過去にある辛い体験となる思いや記憶があると思います。

苦い過去の経験から、人と関わることに苦手意識や嫌悪があり、その根底には恐怖が佇み、人と関わることで自分が傷つくことを怖れる気持ちがあります。

そんな怖れから、人付き合いをすることで自然と人を見る目にフィルターをして、「どう思われているかな」「変に思われていないかな」「なんか言われたら嫌だな」「この人となら関われるかも」と気を使い、気にします。

そのように他者である周囲の反応を気に掛けることで、人付き合いが苦手であることを思い込みます。

人付き合いが苦手な理由 : 人と関わるのが苦手であることを悪いことだと思い込む

何をもって“苦手”なのかは本人にしかわかりません。

「あぁ、なんか私と居てもつまらなそうだな」「この人足をカタカタし始めたぁ、イライラしているのかなぁ」「何にも話ができないなんて苦手だわぁ」

何を苦手だと思うかを思い込みます。

そこには、人付き合いが苦手である自分を“良い”、“悪い”と判断する自分がいます。

人付き合いが苦手であることを悪いことだと思い込む自分がいる。
物事を“良い”、“悪い”とフィルターを通して評価、判断している。
自分だけではなく、全てを対象に評価して生きている。

 

人付き合いが苦手である意味

人付き合いが苦手である理由には思い込みによって、「私は人付き合いが苦手です」と決定することで認識しますが、人には向き不向き、得意や苦手があります。

人付き合いが苦手である場合には、過去に、自分で苦手だと思い込む出来事があったか、誰かに言われたことで思い込むことになります。

例えば、学校の授業で英語が得意な人がいます。その隣の人は英語が苦手かもしれません。しかしその隣の人は、ヒンデゥー語の授業があったら得意かもしれません。

得意か苦手かの判断には基準が必要で、全体的に見た平均値や統計を基に判断します。
しかし、英語や数学などとは違って、“人付き合い”という科目はありませんので、人付き合いが苦手だと判断するには、自分の周囲にいる人を比較対象にするしかありません。

日本だけでも一億人以上居ますが、周囲の人となればだいたい30人くらいでしょうか。

なんとも小さな世界での判断となりますが、そもそも得意か苦手かを他者が決められるのは、学校や会社などのルールが決められた本当に極わずかの環境で、日常的には自分自身でしか決められません。

そんな得意か苦手かの自分の判断は、“したいか、したくないか”で決まります。

得意か苦手かの意味 : 自分でしたいと思っているかどうか
※自分の喜びに繋がるかどうかで得意か苦手かが決まる

人付き合いが得意 → 人付き合いをしたいと思っている

人付き合いが苦手 → 人付き合いをしたいと思っていない

人付き合いが苦手 → 人付き合いをしたいと思っていない。することが自分の喜びにならない

「~したい」と思うのは、自分にとって喜びの利益があるからそう思います。
楽しい、人と話している自分が好き、話上手を褒められるのが嬉しい、話して周りから認められるのが嬉しい・・・など。

人付き合いが苦手なのは、過去の経験と出来事の記憶から、人付き合いをすることに喜びに繋がる理解がなかったことに起因します。

何でもそうなのですが、人付き合いをするには人との関わりを学ばなければ上達しません。

学ばなければ得意ではないだけ
○ 学ばない(学べない) = 得意ではない

× 学ばない(学べない) = 苦手

あくまで“得意ではない”だけであり、“苦手”ではない
“苦手”だと思うためには、苦手だと思う理由がなければ思えない

あくまで得意ではないだけですが、人付き合いが苦手だと思う理由の作り方があります。

人付き合いが苦手だと思う理由の作り方

1、他人と比較して“苦手”だと思い込む

2、周囲のだれかに“あなたはこれが苦手です”と植え付けられる

「人付き合いが苦手」だと思い込んで認識することで、人付き合いが苦手な自分が誕生します。

しかし、思い込むには他者が、「あなたは人付き合いが苦手、人付き合いが苦手、人付き合いが苦手」と五円玉をフランフランしない限りは、「はんっ、うるさっ」で終わります。

あくまで人付き合いが得意ではない状態だが、人付き合いが苦手だと思い込むためには、他者に洗脳してもらうか、インパクトのある過去の嫌な記憶が必要。

 

人付き合いが苦手な原因

人付き合いが苦手だと思い込む際の決め手は、過去の辛い体験です。そこには人付き合いが苦手になる共通の原因があります。

それは、劣等感と自己否定の気持ちで、その根底にあるのは、恐怖から逃げようとする自分です。

人付き合いが苦手な原因 : 恐怖から逃げようとする自分

※劣等感と自己否定によって、人と関わりたいと思えず、人付き合いを学ばない

人と関わることでの喜び以上に、人と関わることでの劣等感と自己否定による恐怖を嫌がる気持ちを優先することで、人付き合いが苦手な自分でいることの方が自分にとって利益があると考えます。

自分を露わにすることを怖れ、どう思われるかを気にかけており、本当の自分を出すことができません。

そこには過去の体験からの心の傷があり、自分を守ろうとして人を見るフィルターをかけます。言い方を変えると、今も過去に生きている状態で、現実から逃げ続けています。

私は学生の頃から、人前で声を出すと声が震えて涙が出るような子でした。それは恐怖しかなく、授業で先生に指名されるようなことがあれば、もう気絶するんじゃないかと思ってビクビクしていました。

それは、恐怖からの逃亡の日々で、自分を気にかけ、過去の記憶を色眼鏡に人を評価、判断して、自分も同様に扱います。

それはエゴの状態でした。愛がない環境で育つと、人付き合いが苦手になります。

怖れを抱く環境で生きることで、ビクビクして怯えたり怒りで対処していきます。放任の場合には、媚びへつらっていき、依存や執着をします。押し付けや決めつけの場合には、演技をして自分を見失います。嘘つきばかりの環境では、自分を隠し通して冷淡になります。

過去の体験から、自分を傷つけないように生きる防衛策として、人と関わることの喜び以上に、恐怖を感じないことの喜びを優先して、人付き合いに距離をとる。
恐怖から逃亡を続けることで、人付き合いへの克服の機会をなくす。

※恐怖から逃げる自分が怖れるのは、否定されること。

人付き合いが苦手である原因には、恐怖の基となる“否定”からの逃避があります。

それは、過去の恐怖体験が根強く頭に残り、今の現実ではなく、過去の他者からの影響によって自分の生き方が作られていることを意味しており、今も恐怖の原因となる人物や環境から抜け出ていないことを意味します。

そこから、苦手の克服法が見えてきます。人付き合いが苦手であることの克服は解放であり、自分として生きることであり、自分を見ることです。

克服はいつでもどこでも可能です。必要なのは自分が克服する意志であり、人付き合いをしたいのかどうかの偽りのない真意です。

※他人に興味がない人のちょうどいい話は、他人に興味がないと生きやすくなる|サイコパスでもいいじゃないという話 をご覧ください。

他人に興味がないと生きやすくなる|サイコパスでもいいじゃないという話他人に興味がなければいけないルールなどはありません。 他人に興味がない人の特徴の一つにサイコパス気質の可能性がありますが、「人に興...

 

人付き合いをやめる

人付き合い 苦手克服

人付き合いが苦手な理由と原因を把握することで、自分を知ることになり、自分を受け入れることで物事は自分の望む方向の次のステップに入ります。

そのため、受け入れることが人付き合いの苦手への克服方法になります。

しかし、何を受け入れるかは完全に人それぞれで、大切なことは自分の意志です。

人付き合いが苦手なことが悪いと思い込むには、社会の常識や誰かが言ったことを受け入れている状態ですので、それが自分のために必要かを考えてみてください。

私は人付き合いが苦手でしたので人間嫌いになりました。しかし、心の根底には人が好きな自分がいて、好きな人とだけ関わる選択をしていましたが、自分に嘘をついて誰とでも関わろうと謎の努力をしました。もちろんストレスでポーンでした。

しかし、ポーンとなったことで学びました、「好きな人とだけ関わっていていいじゃん」と。

結局、私たちは自分のためにしか生きていません。しいて言うならば、自分のためと自分が愛する人のためでしょうか。

自分に嘘をつくと自らが自らの首に生だこを巻いて会社に行くようなもので、ただの謎です。

人付き合いの苦手克服に大切なことは、何を受け入れるかであり、それは自分にとって何が大切な喜びになるかを見極めることです。

自分の喜びは自分にしかわかりません。私のようにゆで卵を三個食べることが、ダイヤモンドをもらうよりも喜びの人は、「あなたがこの沼に落としたものは卵ですか、ダイヤモンドですか」と女神様に聞かれれば、間違いなくダイヤモンドと言って、売り払って卵を買って自分でゆで卵を作って食べます。

人付き合い 苦手克服方法 : 人付き合いをやめる

※人と関わることが嫌であればやめちゃう

人付き合いの苦手克服は完全に自分次第です。人付き合いが苦手なら人付き合いをやめるのが一番わかりやすい克服方法です。

人と関わらなくても生きていく道はいくらでもあります。というか、関わる必要はどこにあるのか、っていうこともありますよね。

人付き合いをやめると言っても、好きに調整ができます。人と関われる友人や恋人や家族がいれば、特定の人とだけ付き合えばいいと思います。

完全に人付き合いをやめても、植物や動物もいますし、私のような変態は虫とか雲とかと友達ですので、そんなやつもいることを知って気楽になってください。

 

人付き合いをやめる

人付き合いの苦手克服として、人付き合いをやめることの意味をお伝えします。

そもそも苦手だと思うのは過去の辛い経験を発端にして、自分が否定されることへの恐怖から逃避する方法として人付き合いが苦手になっています。

そこには、物事の認識が自分の意見ではなく、社会の見解や常識、誰かが言ったことをそのままフィルターの認識材料として思考します。
そして、自分の意見かのように誰かが言ったことを脳にインプットします。

言い方を変えると自分の意見を持たずに現実逃避を続ける状態です。

しかし、それが良いか悪いかは自分で決めることに人付き合いの苦手克服のポイントがあり、それは自分の意見で世の中を見るということです。

自分の目でフィルターを作ったり作らなかったりすることは、物事を受け入れます。

人付き合いが苦手なら人付き合いをやめる選択を自分の意志ですることで、現状の逃避している自分を受け入れます。

逃避とは生きる方法の一つで、とても有効的で自分のためになり、幸せに繋がる方法です。

逃避していようが、真正面からクラッシュしようが、現状の自分を受け入れることが苦手克服になるので、「いや、人付き合いは別に頑張ってしなくてもいいや」と思ったら、そんな自分を善しとして、人と付き合うのをやめちゃいましょう。

人付き合いをやめる意味 : 現状の自分を受け入れることで自分を見出す

※嘘も偽りも演技もない自分として生きることで喜びが生まれる

人付き合いが苦手である際には苦しみの基となります。

人付き合いをやめる自分を受け入れることは、自分で自分を大切にする行為となり、自分を知って喜びを自ら生む気楽な人生の始まりです。

私たちは自分のために生きています。

人と関わらない仕事はいくらでもあります。人付き合いをしなければいけない理由はどこにもありません。

人付き合いをやめることで、人と関わることの意味を理解することになります。人と関わっていた過去の自分から、人の存在する意味や、人付き合いをする必要性を自分の意見として持つことになります。

そのため、人付き合いをやめることを初めの一歩として、少しずつ人と関わっても良いですし、少しずつ虫や動物への理解を深めても良いと思います。

全員が全員同じことを善とすることは集団意識にて恐怖から逃れるための方法です。

そもそも一人で居られることや、他の人とは違う状態であることは既に弱い人ではないことを示していて、さらに人付き合いをやめることができる場合には強い人となります。

個を尊重して自分のことを大切にする意識を持つ方法が、人付き合いをやめることの意味ですので、これは言い方を変えると、自分に喜びのない人と無理やりに関わろうとしていた自分を止めてあげることです。

自分に喜びがなければ相手にもありません。そのため、人付き合いをやめることは自分にとっても、そして嫌々関わられる人にとっても良いこととなります。

そして、自分を大切にすることで気付くかと思いますが、自分に喜びがある人とは関わりたくなります。

それは、これまで関わる人が違っていたことを教え、人それぞれに合う合わないがあり、世の中には本当に様々な人がいることを知ります。

人付き合いをやめることの意味 : 自分を大切にして視野を広げ、自分が関わりたいと思える人を見えるようにする中休み

自分から人と関わろうとすることで、自分に喜びがあり、それは相手の喜びにもなる関係性が生まれます。

そこに強制や義務感はないので、心を許し、喜びや楽しみとなる友人や恋人などの関係性になります。

一旦中休みです。

休むと人が恋しくなり、自ら関わろうとします。その際に、孤独に対して恐怖を持ち、逃れるために人と関わろうとすることでこれまでと同じようになります。

自ら義務感や強制感を作ってしまうと同じように苦しくなりますので、あくまで自分のペースでゆったり行きましょう。

自分の喜びのためです。それを忘れずに、人と関わり始めることで、「あ、この人気が合う」「あぁっ、自分と同じ気持ちだ」などと見えてきます。

それは、自分の真意を見ている状態です。自分の喜びのために生き始めています。

 

人付き合いをやめる 苦手克服のまとめ

人付き合いは、人と関わりたければ関わればいいんですよね。
人付き合いをする人は、人付き合いをすることで自分に利益があるから関わります。
自分に利益がないならば人付き合いをする必要はどこにもありませんので、人付き合いをやめることが自分のためとなり、喜びになります。

人付き合いしなければいけないという思い込みがあるならば、それは受け入れたい人が受け入れればいいことで、全ては自分自身の選択です。

嫌なことを頑張って無理矢理にさせるのが苦手克服ではありません。
ピーマンが嫌いならば、無理矢理食べさせることでより嫌いになります。食べるのはその無理強いと脅しをする親の前だけで、自分に嘘をつくことになります。

私はゆで卵が大好きですが、嫌々食べさせられていた子供の時、口に入れただけで吐いてしまうようになりました。

その後は、ゆで卵の恐怖が夢に出てきて、私をムシャムシャ食べてきます。それはもう怖いものでした。

私は心を無にして、涙を流しながらゆで卵を食べ続けましたが、その環境を離れることでゆで卵との関係はなくなりました。

ゆで卵は何も悪くありません。苦手克服には受け入れが大切であり、ゆで卵の強制恐怖家庭政治がなくなれば、ゆで卵を食べるのをやめればいいんです。私は決意を固く、ゆで卵断ちをしました。

しかし、そんな日々が続き、ゆで卵恐怖を作った強制恐怖家庭政治の腐敗と沈没によって、その恐怖を作る根底を受け入れることで、ゆで卵との関わりは自然と平和的に、そして愛を大きく強くして戻り、もはや殻を剥いた際の美しさは神秘となるほど大好きです。

人それぞれに人付き合いをしたい、したくないの意向があり、人付き合いが苦手になる環境や理由があるので、自分を理解して距離を取る時は取って人付き合いをやめる。そんなふうに、自分を大切に敬って歩むことが、その後に待つ人付き合いの本当の意味の理解に繋がります。

人付き合いが苦手な理由は過去の経体験と恐怖です。苦手克服には自分のペースと見合った方法がありますので、自分のことを理解していくことが、苦手克服の何よりの方法となります。

それでは、人付き合いの苦手克服に、人付き合いをやめる考え方の共有を終了します。

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

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