嘘をつくことで善を装う演技者と、純粋な偽善者、そして正真正銘の偽善者。
偽善者には種類があります。
「実は気づいていないだけで偽善者でした、テヘペロ」なんてことは日常茶飯事。
気づかぬ内に偽善者になっていたりします。
ここでは、私の隠れ偽善者の記憶と、偽善を理解した後の開き直り偽善者としての記憶を比較して、「結局偽善者かーい」という話をお伝えします。
それは、偽善者の特徴と意味。
偽善者の詳細を知ると、正真正銘の偽善者、別名『隠れ偽善者』が判明します。
偽善者と隠れ偽善者は全く別物、だけど同じ偽善者。
誰しも偽善者だったりしますが、隠れ偽善者は別枠、本当の意味での偽善者です。
善行・悪行はびこる世の中で、偽善とは何なのかの真意がわかることを願い、真なる偽善者の詳細を紐解きます。
それでは、偽善者の偽善を暴く偽善トークの始まりです。
Contents
偽善者の特徴

偽善者の特徴9選
偽善者の特徴には共通点があり、そこから隠れ偽善者が判明しますので、順番にご覧ください。
1、思い込みが激しい
偽善者の大きな特徴となるのが思い込みの激しさです。
自分ルールとして設定しているものを、「当たり前」「みんながしている」「これが正しい」と決め付けます。
ルールが全員に適応されていると思い込むことで押し付けるようになり、善を重んじて悪を滅する思想に固執する人もいます。
2、善し悪し、正否ルールが強め
偽善者は答えを明確にして、良いか悪い、正しいか間違っているかを決めたがります。
その心理には、「自分が集団に属すのか?少数か?」をどうしても知りたい意欲があります。
人を評価する認識があり、正しいことを善、間違っていることを悪として、物事の認識をルール化して、見方や感じ方が決まっています。
3、思考過多で感性を使用しない
ルール意識が強い偽善者は常に頭を働かせます。それは、自分の恐怖の対処に忙しい状態をそのまま表します。
攻撃や排他される状況をいち早く抜けられる道を予想したいので、思考的に物事の順序を作り、計画的です。
思考の使用頻度が高く、感覚や感性を使用せず、今この瞬間を認識しない特徴があります。
4、トラウマや心の傷を持つ
心に傷を負う過去の記憶を持つ人もいます。
恐怖を抱える原因があり、傷を癒すことにも恐怖があるため、恐怖と対峙する勇気が湧き出ず、偽善者としての生きる術を活用する動機になります。
5、ネガティブへの嫌悪感が強い
恐怖や心の傷に関わる可能性が高くなる“ネガティブな感情”との接触を避けたがり、ネガティブを悪とします。
それは否定に形を変えて、自分を責めたり他者を責める意識を強め、偽善があることで、「他者を責めるのは良くない」「他者を責める自分は悪だ」などの矛盾を作ります。
6、我慢と苦労を善とする思想を持つ
「従順は精神の強さ」「苦労は善」「我慢は美徳なり」などと思い込みます。
我慢も苦労も悪いことではありませんが、物事の外側を見る傾向があり、言葉としてや外見として捉えて、正しいルールとして設定する特徴です。
7、仮面が多い
人によって、場所によって、環境次第で仮面を被り替え、何枚も持っています。
8,自覚しない
嘘や誤魔化しは悪になり、自己否定という自らが恐れる恐怖を自ら与えてしまうため、仮面や嘘の誤魔化しを多用しても自覚しないようにします。
自覚に制限をしている特徴です。
9、自分に厳し過ぎる
最も大きな特徴です。
生きる道や考え方の認識が狭くなり、幸せになりにくくなります。
生き方は、“自分を大切にしない”ことに直結して作られます。
以上が偽善者の特徴でした。
偽善者の種類
偽善者の特徴から、種類が見出されます。
- 悪人が善人になる偽善者
- 他者の反応にて自分の利益を求める偽善者
- 偽善者だと思っていない隠れ偽善者
三つの種類があります。
一つずついきましょう。
1、悪人が善人になる偽善者
一つ目は、悪い人の演技をする偽善者です。
悪行がばれないためのカモフラージュとして、善人の仮面を被るようなイメージです。
明らかな自覚の元に、「今日はあんぱんまんの仮面にしよう」と選んで善人振る偽善者です。
2.他者の反応にて自分の利益を求める偽善者
二つ目の偽善者は、これまでお伝えした“生きる術”として偽善を働く者で、恐怖への対処をすることでの自分の利益を求めます。
必ず他者の反応が必要となり、他者に認められ、褒められ、排他されず、攻撃されないための振る舞いをすることで、自分の利益となる納得や満足、恐怖の拒否されない状態を得る偽善者です。
3、偽善者だと思っていない隠れ偽善者
三つ目は隠れ偽善者。
思い込みの強さにて、自分のことを偽善者だと自覚ないようにする偽善者で、本人は気づいておらず、確実に認めることもありませんが、これが『本当の偽善者』と言えます。
偽善者だと自覚しないように認識に制限をして自己支配が強い特徴があり、無意識に八方美人になったり、気を使ったり、他の言いなりになる傾向があります。
この記事でお伝えしたい主体はこの隠れ偽善者のことです。
詳細を見ていきましょう。
隠れ偽善者の特徴
隠れ偽善者の特徴12選
正真正銘の偽善者の特徴を順番にご覧ください。
1,自分を偽善者だと知っているけど…
本当は知っています。
頭の奥底では、「私は偽善者だよ」と小さな声がしています。
が、そのようには思わないようにします。
2,八方美人
周囲に気を使います。
これが善行だと思い、自らを偽善者だと思わない手法になるため、誰しもに笑顔を振りまきます。
3,仮面の枚数がとにかく多い
自分が何通りもあり、人・場所・時間・状況によって変わります。
ですが特徴があり、同じ人に対しては同じ仮面を被り続けて変えないようにします。
仮面を被っているとは気づかれたくないと思っています。
4,自己概念が強い
自分ルールがとても多い特徴です。
上述の仮面は、[仮面=偽り=悪い]というルールを設定し、それは誰しもに共通だと思い込みます。
5、否定されることをとにかく嫌がる
自分の存在意義を見失うことを恐れ、その理由となる否定行為は断固拒否です。
ですが、八方美人にて取り繕っているので、否定されないように振舞い、人と関わります。
6,利用されると安堵する
他者から物のように利用されることは誰しも嫌だと思いますが、隠れ偽善者は嫌だと思いますが、「あれっ、気楽」だと思う特徴があります。
利用してくる人に対して気を使ったり、自らを偽る必要がないことを知り、利用されるのは嫌だけど心地悪くはないという状態になり、人によっては利用する人に執着します。
7,思考過多
頭を使いまくります。
常に考えが頭の中を巡り、過去と未来の行き来、過去を思い出して現在に投影し、予測・予想にて未来を空想します。
今を生きることが少ない特徴です。
8,人を観察する
人をよく観ています。
相手の出方にすぐに反応し、対応し、自らの身動きをとりやすいように不利な状態をなくそうとします。
9,悩みが多い
思考を巡りますが、巡り続ける特徴です。
そのため、悩みが自然と多くなり、悩みを自己解決するための思考の使い方をあまりしません。
10,自覚しない
偽善者の特徴にもありますが、隠れ偽善者は自覚しないことを徹底しています。
自らの認識を制限する意味でして、自己支配を強め、自らが自らを騙し否定しているとは思わないように、自らが偽善者であり嘘偽りを多用していると知っていながらも、それを認めることはしません。
自らの存在意義を重んじるため、認めないではなく、認められないという状態です。
11,一人が好きだけど、孤独は嫌
基本的には大人しく、一人を好みます。
普段は仮面や八方美人で疲労やストレスを溜めているので、その休息のためにも一人を好みます。
ですが、孤独になることには恐怖があり、一人になっても人恋しくなり、寂しがる特徴です。
12,自分を愛していない(自分を偽る)
最後の特徴です。
隠れ偽善者を物語る決定的な特徴となるのが、自分を愛していないことです。
言い方を変えると、自分を認めていない、自分を許していない、自分を受け入れていない、自分を敬っていない。
自覚しないため、自らに正直に向き合って真意を全うすることを拒み、自分自身を偽る様があります。
以上が隠れ偽善者の特徴でした。
隠れ偽善者の特徴一覧
上述の特徴一覧です。
- 自分を偽善者だと知っているけど…
- 八方美人
- 仮面の枚数がとにかく多い
- 自己概念が強い
- 否定されることをとにかく嫌がる
- 利用されると安堵する
- 思考過多
- 人を観察する
- 悩みが多い
- 自覚しない
- 一人が好きだけど、孤独は嫌
- 自分を愛していない(自分を偽る)
隠れ偽善者とは
隠れ偽善者を表す様は大きく二つあります。
- 自分を偽り自覚しない
- 自分に厳し過ぎる
「自分だけ良いなんてダメだ」
「人のために生きることが善」
「自分が苦労しても仕方がない」
「自己犠牲やむなし」
という思想を持ち、自分にとにかく厳しくします。
「自分のため、自分だけ」という行動を好まないため、八方美人になり、我慢や苦労を善として、他人優先で自分を優先しないようにします。
とても素敵な人間性で、優しく気配りのある聖人のようですが、隠れ偽善者の決定的な様は、このような在り方でありながら自分を愛していないことです。
隠れ偽善者は自覚しないように徹底しているため、無意識な生き方として偽善が染みついています。
これが根付くと、違和感を感じる気持ちを隠す術を知り、「私はこういう人だから」と変化することを恐れ、妥協点を見つけるのが異常に早いです。
「自分のやりたいことをしても満足感がない」
「なんだか満たされない」
「環境は幸せだけど幸せな気分が続かない」
という具合に、認識の制限からの副作用が起きます。
すると、仮面を被っていることに自覚がなくなり、あらゆる真意、現実であるリアルを見なくなり、自分を自分で見なくなります。
この状態になると自らを大切にできなくなり、愛せなくなり、これを自覚しないための対処として偽善者になります。
いわば、自分を偽り続けるための対処として偽善者になると、隠れ偽善者になるというものです。
自分を偽るのが本当の偽善者
隠れ偽善者は偽りに偽りを重ねているので気づきにくくなります。
私がそうでしたが、最終的には自覚しないようにしているとも自覚しなくなり、何が事実で何が真意でというリアルを認識できず、自ら沼を作ってはまることになります。
他者を偽るだけでなく、その基盤となる自分自体が偽りであり、自らをも偽る状態。
これが、本当の意味での偽善者ではないかと思います。
「この人の苦労を取り払ってあげたい」と、相談された時に思うかもしれません。
思っていません。
本当は、「バカ言ってんじゃないよ」と思っているかもしれません。ですが、そんな真意に封をしているので聞こえてきません。
その相談を週一回食事を兼ねてではなく、「毎日夕方18時から相談聞いてね」と言われれば、「バカやろう」と真意がパカッと空きます。
が、自分への偽りが強ければ強いほど、我慢をして自分を大切にしないようにします。
これが隠れ偽善者です。
※嘘をつく人は自覚している話は、嘘をつく人が嫌いなのは自分を知るから。つく人とつかれる人の関係性 をご覧ください。
偽善者の意味
偽善者とは
これまでの内容から、偽善者とはどんな人なのかが見えてきました。
偽善者とは偽り者。
何のために偽るのか?
「善人に見られるため」です。
偽善者とは善人に見られたい人のことを意味します。
善人ぶる以上に、他者からの反応がメインとなる目的を持ち、偽っているかどうかへの意識は重要ではなかったりします。
そのために、「善行は良し」と勤しむ。
実際に善人であれば偽る必要がないのですが、なんせ善人ではないという現実を抱えています。
ここで疑問があります。
善人ではないにも拘らず、偽ってまでも善人面をしたいのはなぜでしょうか?
周囲からの排他を恐れるためです。
偽善者とは、自分に傷をつけられる恐怖を抱える人です。
偽りの善人仮面は、自分が認められる、褒められる、必要とされる、否定されないという目的=恐怖を抱かずに済む利益を生み出す効果を持ちます。
偽善者とは対処法の一つ
偽善者の意味には心理があります。
自分の存在意義がなくなることや、見出せなくなることをとにかく恐れます。
恐れの正体は“拒否されること”でして、自分の存在の必要性に影響が及ぶ可能性があれば、周囲の反応のために生きるようになり、他者の目、評価、反応を気にしまくります。
これが偽善者を物語る、恐怖を感じないための対処に勤しむ人。
偽善の発言・行動・仮面、他者がそこにいなければもちろんそんなことはしません。
なんせ、善行をする気などさらさらありません。
自分が怖がりたくないという欲への対処に大忙しですので、他者の存在が自分のために超重要事項です。
特に隠れ偽善者の場合には、自分の真意を知らないことが重要な恐怖の対処となり、自分のために仮面を被り、自分のために仮面を被っていると自覚しないようにし、そのために他者の存在や関わり方が重要になります。
このように他者からの拒否となる、否定・批判・攻撃・排他だけでなく、自らを自ら拒否する可能性を恐れる人にとって、偽善仮面は生きる術になります。
偽善とは生きる術
偽善とは恐怖と関わる際の“自分なりの生きる術”となり、人それぞれに偽善度を高め、偽善仮面を被る時間が増えます。
恐怖を克服することが効果的な方法になりますが、なかなか難しかったりします。
電車の中でお弁当をムシャムシャ食べる人がいて、「うわ、他の人のこと考えないで嫌になっちゃう」と思ったとしても、「100万円あげるから一回だけ弁当食べてくんない?」と言われれば食べると思います。
そんなことを考えると、世の中のほとんどの人は偽善者かもしれません。
恐怖に駆られていると余裕がないので目先の利益にガブリつき、生きるためにいくらでも在り方を変え、仮面を喜んで被り、お金をもらった時に数分前の自分が偽善者だったことに気づきます。
偽善仮面は生きるために大切な道具なのかもしれません。
偽善者は常に正当化を求めます。
隠れ偽善者は常に自分という存在の真実から目を逸らします。
偽善者に良し悪しはない
「恐怖を持っているから偽善は仕方がない」ということはありません。
しかし、恐怖を抱え、他者の目や評価を一切気にしないようになれない場合、偽善者にならなければ人生が辛く苦しいものになります。
偽善者になる理由の“恐怖を抱える”とは、自分が確立されていない意味です。
恐怖がある以上、偽善を貫かなければ周囲からジロジロチクチクする攻撃を味わい、心の傷をくすぐり開きます。
「痛い、嫌だ、偽善をしない生き方なんてできるかい!」となり、周囲から攻撃されない生き方をする方が気が楽。
そこで偽善者にならなければ、攻撃を味わい続け、対処できるのにしないことは自己否定だと認識し、ストレスを溜め、傷を負い、さらに開き、自傷行為にもなりかねません。
すると周囲に実害を及ぼすヤバさを持ち始める可能性もあります。
偽善者になることは社会的な善行とも捉えられます。
社会性を基準にすると善悪が崩壊する
大多数を正とする大衆の民主主義好きの間では、社会性の善悪には善も悪もありません。
多か少か、排他されるかされないかが肝。
駅の階段の前で荷物をたくさん抱えたおばあちゃんを見て、「周囲に見ている人がいるから助ける」のか、「荷物を運んであげてお礼や感謝をされるために助ける」のか、「自分が助けると心地良くて喜びがあるから助ける」のかの基準やルールを作ります。
社会性があることで、荷物を運んだのにお礼も感謝もされなければ、「ちぇっ、助けなきゃよかったぜ」と思ったりします。
「助けられて感謝もしないのは常識ではない」などと社会性を持つことで、もはや善も悪もゴチャゴチャになり、自分の真意を自覚する機会すらも逃します。
善行は自己満足以外の何ものでもない
善人は他者の反応を気にせず行為に及びます。
他者が助けを求めるのであれば助け、感謝やお礼を必要としたりしません。
そこにあるのは、一切押し付けのない自己満足です。
言い方は喜びでも愛でもいいのですが、自分が喜ぶために善を良しとして、善行。
それは紛れもない自分を大切にする行為。
自分を大切にしていない場合には、善行に思惑を挟み、他律による他の意見に従う状態があり、他者の反応次第で行為にも気持ちにも変化が及びます。
自らの行為が偽善かどうかは、本人が最も自覚していますが、他律で常識やルールに従っている場合には、偽善でも善行でもなんでもない何か、ロボットのように従う状態だったりします。
このようなことを考えると、偽善には良し悪しはなく、あるのは偽善をどのように捉えているかの意味であり気持ちだったりします。
自分への喜びを忘れず、さらに他者を敬い愛し、社会を含めて自分という存在を認知している人は偽善者にはなり得ません。
その際には、自分を偽善者だとも、善人だとも思うこともありません。
このような人はほんの一握りですので、「みんな偽善者だよね?」と思っているのが私の意見です。
偽善者の特徴と意味 まとめ
偽善者ではない人はあまりいないかもしれません。
自己満足の自覚を持って偽善をしたりしなかったり、自分の意志次第で決まります。
善人になる必要はないと思います。
善人になるには、愛の理解と他者の喜びが自分の喜びとなる意識を持ち、演技も何もない自然な生き方としての姿になります。
幸せになる生き方となり、自分に正直に誠実であることは、自分を確立して見出す成長にもなり、新しく善人としての時間が始まるかもしれません。
善人になる気もなく、偽善者だと思わないようにする。これが正真正銘の偽善者であり、自らに正直にならず、誠実にならず、自覚を拒んで自己支配を強めます。
隠れ偽善者の存在を知ることで、偽善者の意味がわかりやすくなると思います。
善人でなければ悪人、どちらでもなければ偽善者。それは生きるために大切な術であり対処です。
何が良いか悪いかは人それぞれに本人しかわかりません。
偽善者を理解することで、よりご自身の在り方や自覚の一助となれば幸いです。
それでは、偽善者の特徴についてのお話を終了します。
最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。
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