自分探しの旅をすることは何か特別なような気がしました。
普段の生活から離れ、自分を赤ん坊のような無知な状態にすることで、さまざまなことを経験します。
旅には経験が付きものであり、その経験によって何か自分を変えるような光が見える。
そんな浮世話を思い描いていた、真面目な自分を思い出します。
海外を5年間旅して気付いたことは、自分探しの旅の意味のないこととあること、それは、「自分探しとはどういう意味なのか?」に対する答えでした。
自分探しにて旅をされる方はたくさんいると思いますが、「何のために自分を探しているのか?」「自分を探すと何が起きるのか?」を知らないと、自分を見失う機会を自ら作る可能性があります。
自分探しの旅とは何か?
どんな意味があるのか?
自分探しの旅をされる方に行動をする際の参考となることを願い、海外を旅して気付いた自分探しの意味についてをお伝えします。
自分探しの旅とは

旅とは
“自分探しの旅”の行動の部分を表すのが、“旅”です。
旅とは何かを知ると、自分探しの旅の意味がなくなることを防ぎます。
そのため、旅行や観光とは少し違う話になり、若干の哲学となりますが気楽にご覧ください。
初めに、[旅]の意味を調べるとこのようになっています。
旅とは : 引用 コトバンク
・ 住んでいる所を離れて、よその土地を訪ねること。旅行。「かわいい子には旅をさせよ」
「日々―にして―を栖(すみか)とす」
・ 自宅を離れて臨時に他所にいること。
「あるやうありて、しばし、―なる所にあるに」
英語の[旅]の意味には複数の言葉があります。
[Trip],[Travel],[Journey]
Trip : 短い距離、短い小旅行
Travel : 遠い距離、遠方へ乗り物で行く、旅行する
Journey : Travelよりも遠い距離、自己の発展や変化に繋がる行為
それぞれの意味合いは距離によって分けられています。
距離と不安感が比例していることを表しており、Journeyは最も遠い距離への移動の際に使用する言葉で、補足として、自己の発展や変化がある意味を持ちます。
旅の言葉としての定義からわかることは、旅は普段の居住地から遠く離れた場所へ行くことで、自己の成長や変化を求める目的があります。
自己の成長への意志の強さと、行く場所の距離間が自分探しの旅の意味を強調する度合いとなり、距離間とは普段の生活環境との“違い”に対する距離です。
旅とは、成長と変化を求めて普段と生活環境の違う場所へ行くこと
成長への意志と生活環境の違いの度合いによって、旅行→バックパッカー→旅と変わっていく。
※生活環境の違う距離間は不安感をもたらす量を意味しており、一人旅なのか複数なのかが旅をする意味に大きく関与する。
自分探しとは
次に、“自分探しの旅”の“自分探し”の部分についてです。
自分を探す場合、自分を見失っている前提があると思います。
目隠しして、「あー、見えない、ここはどこ、私は誰、そしてどこにいるの?」という状態。
自分のことがわからない場合、不安感をもたらす環境にて旅をすることで、自分を知る機会作りとなり、運が良ければ見つかるかもしれません。
しかし、自分がわからないにもかかわらず嘘や誤魔化しをする場合、自分探しをする手前の段階であり、もう少しエゴを増やして自分を見失うところまで行くと準備が整います。
自分を見失うことを一切受け入れず、自分を取り繕って「これが私なの」と開き直る場合もあります。
この場合、自分探しをしても意味がありませんし、そのままの状態がその人の自分であることに間違いありません。
見失った自分を探し出すことは、現状に不満や不納得があることを意味しており、現状より自分に見合った人生や時間があると感じている状態です。
そのため、見失った状態を認めて、忘れた自分や、気づかなくなった自分がいるとどこかに認識していると、初めて自分探しの意味が表れます。
自分探しの意味とは、自分を見失った現状に不満や不納得があり、今以上に喜びを求める成長と変化機会
※現状以上に自分に見合った人生があることを知っている
※過去の記憶から今の自分に喜びが足らないことを感じている
※生まれた時や幼少期、ありのままに生きていた自分と今を比較して、現状に向上の余地がある場合に自分探しをする動機が生まれる
自分探しは今の状態を向上させるために、喜びを求める動機にて行動します。
そのため、自分探しをする際には自分の成長と変化を求める意志があり、過去の記憶と無意識に比較して、「より喜びが本当はあるのに今何しているんだ?!」という気付きと共に、動き出します。
そのようにポジティブな動機を基に行動することで、自分を探し出すことになります。
しかし、「現状に耐えられない」「こんな苦しいのは嫌だ」などと現状否定や非難のネガティブな動機にて行動することで、宝くじを当てるような運試しで自分を見つけるかどうかとなり、ほとんどの場合は見つからず旅をする意味はないと、私は理解しています。
※人生とは旅である話は、「人生とは旅」みたいに生きると良い感じ│そんなことを思った旅の日 をご覧ください。
自分探しの旅とは
“自分探し”と“旅”の意味が見出されたことで、“自分探しの旅”になります。
共に同じ意味と目的を持っていることがわかると思います。
“自己の成長と変化を求める意志”があり、共に喜びを自分に与えるための機会作りになります。
そして、自分探しと、旅の意味が合致します。
自分探しの旅の意味とは、現状のネガティブな状態にポジティブな状態を追加するために、自ら行動して自分を知ること
※認識を知ることで自分の理解を紐解き、陰も陽も両方大切な理解を育む行動動機となる
※認識理解によって責任を持ち、自信を持つことに繋がる
普段の居住地から離れれば離れるほどに不安や恐怖は自然と増します。
そんな環境へ自ら行動して向かう旅をし、さらに自分がわからないという不安や恐怖先行の飲み込まれやすい状態で動くことは、ある意味苦行であり、修行であり、恐怖を克服する強さの追及とも言えます。
そのため、自分探しとは自分を知ることですが、実際に旅をする際にはそのような認識になることはおそらく非常に困難です。
私自身、「自分探し中でーす」と自覚している時に、このような認識には到底なれず、したいことは現状の不調和を解消するための行為や、一時凌ぎ、自信を付けるための経験の追加と、知恵の育みだったと思います。
自分探しの旅に意味があるのは、あえて不安感にて恐怖を味わう自分を環境にて作り出そうとするマゾヒズム的な思想があり、それは克服することで自分を見失う理由を乗り越えて成長と変化を促す意志です。
克服せずとも恐怖と対峙する意志や、隠れて逃げ続ける自分を正面から見つめる意志がある場合、恐怖との対峙を終えた後に、自分探しが加速される可能性があります。
ここまで行ければいいのですが、恐怖に飲み込まれる状態で恐怖と対峙することほど恐ろしいものはないかと思うので、自分探しにてあえて恐怖が増える“旅”、“独り”を選択する場合には、自分探しは非常に難易度高め、いえ、高過ぎと言えます。
※旅にある成長についての詳細は、一人旅で成長する詳細説明。まずは自分を見失わせてくれる意味深な話 をどうぞ。
自分探しの旅に意味がない
自分探しの旅をしていない
自分探しをしているのか、旅行をして娯楽としているのか、はたまた自分探しをしている外見を評価されて自分に嘘をつき続けたいのか、恐怖を見ないための材料を増やしたいのか、何のために自分探しをしているのか、旅をしているのかによって、人それぞれの意味が変わります。
前提として、自分を見失っていなければ、またはそれを受け入れて認めていなければ、自分を探す意志はありませんので、自分探しの旅のようなことをしても意味がないかもしれません。
また、自己の成長や変化を求めていなければ、それ以外の目的となり、自分探しの旅とは意味が変わります。
自分探しをして意味があるのか意味がないのかは、単純に自分探しをしているのか他のことをしているのかの違いです。
自分探しにて必要なことは、恐怖の克服以上に意志と喜びを求める行動でして、喜びは自分の認識を変えることで自ら作り出す喜びです。
しかし、他者の干渉を主体にして、周囲の目や体裁などの自分の評価を高めてもらうことや、認めてもらう、褒めてもらうために行動することで、自分探しではなく、自分作りとしての意味になり、探すべき自分がいるならばより見失う可能性があります。
自分探しの旅ではなく、自分作りの旅をする場合には、自分探しの旅の意味はなくなります。
※自分作りの旅の意味とは、経験の言語化による、他者から肯定されるための材料入手
自分探しの旅とは何か大それたことでもなんでもありません。
単純に、元々居た隠れている自分を内側からバッと出す。
そのために環境を変えて、たくさんの場所に行って、たくさんの人々と出会い、わけわからないことや、意味のわからないことを体験して、隠していた自分、隠れていた自分に気付き、ありのままに笑って喜んで、はしゃいで踊り、楽しみます。
わけわからないのが大切な環境になります。
旅をしているといろいろあります。
現地の人と軽く会話をしたり、ごはんを食べたり、何をしていても自分の成長になり、変化がもたらされます。
どのように物事を認識するかによって、いくらでも喜びが見出せるのは、現地の人が教えてくれます。
道端を歩いていて、目が合った人が満面の笑みでした。
その人は幸せになる方法を教えてくれました。
それに気付くか、気付かないか。そんなのが、自分探しの旅かと思います。
※旅行の意味の話は、旅行に興味がなくなったのは大切?!旅行する意味を知ると気付く事実 をご覧ください。

自分探しの旅 まとめ
自分探しの旅とは、自己の成長を促す行動で、人生を認識する喜びと幸せを求める時間です。
自分探しの旅をすることで、自分に気付く時間が初めにもたらされます。
その際に表れる自分の世界には不安感や恐怖心、見たくない自分などが現れ、それをどう受け止めて対処するかによって気付きがあり、物事の認識が変わります。
その際に、弱い自分を克服するのは、既に強い自分がいることを知っていることを意味し、気付く道を明確に見つけ、本当の自分に気付くことでの喜びと幸せを選んだ方です。
しかし、克服するかどうかは人それぞれです。自分探しの旅とは、自分を知ることに意味があり、そのためには気付くことが何よりも大切です。
ここまでお伝えしてきましたが、私は自分探しの旅とは意味がないと思います。
海外を5年間ぐるぐるしてたくさん経験をすることができ、自分を探すことには幸せになる意味があり、何よりも優先したいものだと思います。
しかし、自分探しの“旅”に意味はないかもしれません。
もちろん、人それぞれに海外へ行ったりと環境を変えることで意味が見出されますが、実は自分に気付いて喜びを作り出すのは、日本でも普段の生活でも、仕事をしながらでも、ごはんを食べながらでも、そしてトイレにいる時でもできます。
全てには行動が伴っています。行為を認識することで、あらゆる行動から気付く機会があります。
旅にて海外などに環境を変えるのは、自分の行為を認識しやすくするためです。
自分に気付くために、辛いことをする必要があるかどうかは人それぞれの喜びと幸せ次第です。
旅とは人生と同じで、人生を認識する方法の一つ。
そこに別の方法があれば自分に見合う方法を選択し、喜びを紡ぎます。
自分探しの旅の意味を考えると、「自分の喜びと幸せ」の目的を求める時間で、それはジャングルジムで遊ぶ子供の時間と同じです。
その時間が当たり前となれば、大切な暇つぶし時間となり、常に遊び続ける喜びの人生が自己の成長として始まります。
そこには、自分を喜ばし、他人をも喜ばす新しい世界が待っています。
もし旅に意味が見出せず、暇でつまらない場合には、目的が違うかもしれませんので、旅行や観光をされることをおすすめします。
また、自分自身で喜びを今より作りたいという気持ちがあれば、この記事を参考にして新しい世界を切り開くことになれば幸いです。
それでは、自分探しの旅の意味についてを終了します。
いろいろ言っていますが、楽しい旅を楽しんでください。
そういう生き方に まぢで憧れます。
新鮮に 新しい視点を取り入れ続けたい
なんか 頭の中でパッと思い浮かん
だ断片と外側の世界にある断片
今までの記憶
がパッと繋がったときの爽快感
表現できたときの達成感がはんぱない
自分や他人 外側や内側 存在するしないという概念を
簡単に打ち破ってしまう、
なににも表せない
全てを保有するよ
うにみえる何かの
吐息を感じる