焦りと怒りは自分の状態と真意を明確に露にしてくれます。
特に焦りに関しては、不安と紐ずくことで大切なリアルの提示と、人生の生き方を形作る手助けをしてくれる。
そんな考え方がここにあります。
焦ることは少し嫌な印象があり、なるべくなくしたいことかもしれません。
ですが、実際に焦る人はわかると思いますが、焦っちゃう。
そこには焦る仕組みがあったりします。
私は人生を生き急ぎ、慌ただしく焦り、対処できずにウズウズしていました、ある日まで。
ですが物事は大きく変わり、次は活き活きと焦ることが起きました。
どの道どうにもこうにも焦っちゃう。ですが、そこには悪い意味はなく、とても大切な側面があり、その側面を知るか否かがポイントでした。
人生に焦ることに意味があり、活用法があり、重要な本質理解があります。ぜひ焦りがある方はここで一休み。
人生の焦り方を少し俯瞰して見る時間にしていきましょう。
Contents
人生に焦り

人生に焦りは禁物?
「いやもう、禁物でしょ」
冒頭と言ってること違うじゃん。という感じですが、焦りは禁物です。
ですが、これは人生に対する見解ではありません。
今日なんか、ボケーっと自転車をこいでいたら、路上のこんにゃくみたいなブロックにガコンッと突っ込みました。
その時、「ここで焦るか否かが大切な線引きだ」と、そう思いました。
焦りが禁物なのは、事が起きた時のことです。
焦ると自律神経がブルブルっとなるそうでして、焦る人は何度も体験されていると思いますが、とんでもなく状況把握や対処能力がぶっ飛び、どこかにピューっと。
私達は予想や予測の範疇で生きていると、限りなく生き方や価値観、それは人生に対する制限をかけます。
すると、突然の出来事への抗体がなくなるように、事前予測したこと以外はパニックになったりします。
焦りとはパニック。対処不能に陥らせる魔術。
これはないに越したことはありません。
しかし、実際には焦りが対処不能にしているわけではありません。そして、対処不能だから焦るわけでもありません。
自分を露にするのが焦りです。
お酒を飲んだ時のように、突然の出来事が起きた時の対処や反応や在り方は、心理学や行動学から明らかに自らが露呈し、隠せません。
ここでわかることは、焦った状態をどのように認識するかによって、良いも悪いも変わることです。
焦りによって表れる自分を認めたくない場合、焦りは悪い意味になる
焦りによって表れる自分を認める場合、焦りは良い意味になる
焦りは捉え方や認識によって変わるため、人生においては焦ると自分のためになります。
そんな内容をお伝えしていきます。
焦りとは
そもそもの話ですが、焦りとは何か?
定義としては、自律神経を逆なでする落ち着きのない様、いらいらする気持ちです。
憤りや不安状態を表し、慌ただしく、ウロウロしてしまう感じ。
お子さんが生まれる時の、病室前での旦那さんの待ち状態というイメージですね。
焦りとは自分を露にしますが、それは不安が全面に出た状態の自分を意味します。
不安であることからわかるのは、対処する術を見出せず、どうすればいいかわからない状態=空っぽの表れです。
対処できない、解決できない、そのための思考がない、納得する術がない、落ち着かせる感情把握がない、コントロールがない‥‥。
何もできない自分だけはっきりと存在するので、物体としての外枠があり、中身がない状態と捉えることができると思います。
ここで、焦りの意味は人によって大きく変わります。
何もできない自分を認めない場合と、認める場合。
- 認めない場合、焦りはイライラ、恐怖、パニックと、見たくない自分を露にする
- 認める場合、焦りは行動動機となり、自分の中身を入れる意志を見出す
不安とはそもそも空白な気持ちです。
未知の領域に足を踏み入れた時に、本能や性質的には怖いと思うかもしれませんが、楽しみと思ことはできるので、不安は良いようにも悪いようにも使えます。
それが焦りというものかと思います。
人生に焦る
焦っちゃうものは焦っちゃいます。
私は慌ただしく人生を生きて、がむしゃらに訳もわからず突っ走っていました。
会社員として働きまくり、とにかく評価を上げて昇給して昇進することに猪突猛進、上司にコネコネくりくりです。
この時にあったのは、「人生」というわからないものへの対処不能状態でした。
未知の中、それは誰も知らないゲイバーにポツンと一人。
「わぁー、訳わからないからお酒いっぱい飲んじゃえー、ガボガボガボ」と対処ができないので焦り、許容を超えたことをしてしまう。自分が見えていないんです。
これは焦りを認めない、何もできない自分を認めない状態でした。
人生に焦るのは、人生という未知の中で何もできない自分を認めないからかもしれません。
そこには、プライドや見栄があり、思考で予想・予測した状態から抜け出したくない恐怖優位があり、自らのプログラミングルールを思い込み、決め付ける執着があり、自分を許せていない過去の記憶への引っ掛かりや、不納得の蓄積を誤魔化す在り方があります。
人生を知ることは、死を知ることのように答えを見出せるものではないため、人生の範囲を決めることは困難です。
現状の心理や人間性を作る価値観や観念がある以上、人生に焦ることは自然です。
価値観や観念はこれまで生きてきた経験と記憶によって構成されるので、変えるためには新しい経験や衝撃、感動や未知との遭遇が必要で、今直ぐどうこうする話ではありません。
焦っちゃうものは焦っちゃいます。
※焦る要因となる話は、心に余裕がない原因とイライラの関係性│改善は隙間を作る遊び心 をご覧ください。

人生に焦る人の特徴
焦ることで慌ただしくなり、不安になり、落ち着かず、何かしなければ、でも何もできない、パニック、恐怖、イライラと、自分との不調和が表れます。
このようになる場合には考えられる状態が特徴としてありますので、自らを把握するためにもいくつかお伝えします。
- 完璧主義で自分ルールが強い
- 他に合わせて自分の意見や価値観が少ない
- プライドや見栄による他者の目や反応への気にかけが強い
- 思考過多
- 予測・予想して物事をスケジュール管理する癖がある
- 思い込みや決め付けが強い
- 自信過剰、自意識過剰
- 自らを他と区分け(比較)して認識することが多い
- 自分を許していない(敬っていない)
- 誤魔化しや嘘をつく
私がそうだったのですが、焦る人の特徴は、ルールや規範の中に“自分の世界”という制限を付けてドアをロックします、ガチャ。
ロックしていないように誤魔化すこともあり、他に合わせたり自分の意見を持たない人もいますが、反対に自分ルールを強く持ち、他に合わせない真逆のタイプもいます。
ですが、共に社会性という規範の中に自分を置いているため、自らの認識は他者や他の情報や規範との比較にて見出し、思い込みや決め付けが多くなります。
それらの在り方から認めない認識が多く、拒否が多くなる特徴です。
あまり見たくない情報かと思いますが、人生の焦りを活用するための大切な材料となるのでお伝えしました。
人生における焦りの意味と使い方

人生に焦る意味
焦りとは自分を露にする現状表現。
認めたくない、見たくない、知りたくないと拒否の認識がある=恐怖が先行することで対処不能状態のパニックや憤りになります。
人生とは何が起きるかわからず、先行きも予想・予測できるものではないので、人生に対処不能になることは自然です。
そのため、人生に焦りがある場合には、認めていない何かがあることを表す合図を意味します。
何かとは、自分のこと。
言い方を変えると、自分を許していないこと。
焦りは、焦っている状況に対しての自分の中身がない状態の表れでもあるので、現状の自己認識の機会になります。
人生に焦ることは、人生というものに対して対処できないと自らが伝えているので、無理矢理に頑張ることは、闇雲に突進する目隠しカーレース状態、危険です。
人生に焦る意味とは、認めていない自分がいることを知り、自己認識を深める機会になる。
そこには、人生の焦り=合図の意味があります。
人生に焦った時の合図
焦ったら自分を見る
焦ったら焦っている状況を見る
焦りとは合図です。
焦りの使い方
焦った時に見たいのは、“焦り=ダメな状態”ではありません。
“焦り=ダメな状態だと思っている自分”です。
焦りに良い悪いを付けるのは、人生に勝ち負けを付けるようで、常に他者と比較して区分けして生きることは戦士です。
もちろん戦士的な生き方が性に合っている場合には、それが本人にとっては人生です。
これは、あくまで自分の人生を生き、焦りに悩むのであれば焦りを自らのために活用しましょう、という内容ですので、焦りに飲み込まれるのではなく、焦りを俯瞰的に少し空から見ることをおすすめします。
これが、焦りに良いも悪いもルールを作らず、合図として現状把握に使用する焦りの意味です。
言い方を変えると、焦り=ファンファン鳴っている警報ですので、まずは警報を消すことで活用法が見えます。
そのためにも、焦っている状態を客観的に見ることがまずは大切です。
焦りを客観的に見る
ファンファン…!!
「うるさいなぁ」と思えれば客観視しているので、この状態に持っていきたい。
そのために、ここにて焦りの意味を知ることが重要です。
さらに、これまで焦った時の記憶があると思うので、その際の状態や反応を思い出して把握します。
私を例にすると、焦ると頭がグルグル、思考が回りまくり、一度に10の事がバッとできないことに憤りを感じます。
この状況を内観すると、10の事がパパパと思い付いているのに、それを現実にできないリアルが目の前に提示されます。
いわば、焦ると脳内稼働が目まぐるしく働き、能力開花します。ですが、それが行き過ぎて制御できず、ボンッ。
あらゆる解決策や対処法はシュルシュルシュル、頭の中で花火のように散ります。
焦りを如何に活用するかが脳の機能発揮ともなり、行き過ぎるとシュンと一気に不安に急降下。
焦りの客観視にて焦りの活用ができるため、焦った時の兆候を勉強、分析することが大切です。
自己認識を高めるために焦りを使う
焦った状態や反応を見て、「はい、何もできない私」と把握すると次の段階に進みます。
焦った自分の対処です。
このように客観視することで、焦りの意味が発動できるようになります。
自己認識を深める機会です。
焦りとは自分を認めないことで不安になり、対処不能状態で留まり、無理矢理に押し切ると壁にぶち当たりますが、これは自分を知らないことも意味します。
知らないことが多ければ多いほど認めることが困難になることを、私は海外を旅して痛感しましたが、理解を育む機会となるのが焦りだと思っています。
焦った状況の対処は今の自分ではできません。
できないものはできないと認めることで次に向かい、自分をより知ることで何ができるか、何が得意で何に特化し、どのように取り組み対処するか、一つのことだけ取り組み、順番に手を付ける効率化、または他者に協力を仰ぎ、意見を聞くなど、次に繫げます。
焦りの客観視は焦りに飲み込まれるのではなく、焦った自分をはっきりと捉え、成長を促す方法になるというものです。
人生の焦りの使い方
上述の焦りの使い方は、人生に焦った場合ではありません。
人生の焦りに対しては、誰しもに共通の活用法が一つあります。
行動動機にすることです。
人生とは先行きがわかりませんので、焦るのは当然とも言えます。ですが、不安は嫌われがちなので、「できればない方向で」と、先行きをスケジュール的に詰め詰めして安心を得ようとします。
とても大切なことだと思いますが、それは先行きに届いたらまた次の先行きと、常にし続けることになります。
何が言いたいかといいますと、人生とは焦るものということです。
焦らないのは、一生かけても達成できるかわからない目的や使命や役割を見つけた時などの状況です。
人生というわからないものを対象にした場合、焦るものは焦りますので、焦った時には不安になります。
※人生を知った悟り者は別です
しかしそれでは、時間も経験も無駄にしてしまうので、せっかくであれば不安ではない側面を見たい。
それが、行動です。
焦ると何かしなければならない気持ちになると思います。そこで不安サイドに傾くことで、何もしなくなるウロウロ状態。
これが人生に対するものでなければ、上述のように客観視して自己認識のためと繋がりますが、いかんせん“人生”ですのでウロウロするか、不安を打破して動くかのどちらかとなり、選択です。
動力源として行動を促す力とするのが、人生に焦った時の活用法です。
※焦るのやめちゃおうと思う体験談は、優しさと狂いのインド一人旅。人生観が変わる理由は狂った僧侶 をご覧ください。

人生に焦り、さらに焦る経験
最後に私事ですが、人生に焦っていた会社員時代のある日、焦りの終止符を打ち、さらなる焦りを生んだ経験をお伝えします。これまでの話が少しわかりやすくなるかなと思います。
焦りの終止符を打ったのは、インドに行ったことがきっかけでした。
働いていた時に急遽10日間の休みをもらい、インドへ向かいまして、生き急ぎ、人生に慌てふためき、慌ただしい猪突猛進人生にピッと終わりを与えました。
インドでの日常、風景、光景、人、関わり、生きること、人生観を知り、「何に焦ってんだ?」と中身のない自分をついに認められた。いえ、インドの環境が認めさせてくれたという感じでした。
その後は海外での旅を始めたので人生の先行きが埋まり、うっすらでも何かしら目的があれば焦ることはなくなりました。
しかし、それは先行きを思考と楽観で埋めた納得でしかなく、旅が終わればまた焦り始めることはわかっていました。
旅を続けていく内に、人生のおおざっぱな目的や使命を見つけることができ、焦りがなくなるかと思いきや焦り始めました。
ですが、焦りを観察することで行動動機となることを知り、不安を選ぶ自分ではなくなったことでとにかく焦りによって行動を促し、自らの目的を明確にするように動き続けられました。
この時、目的はかなりうっすらだったのですが、一つわかったことがあります。
焦るのは過去の記憶や価値観や観念が大きく関与しているので、焦るものは焦るということです。
一時凌ぎはいくらでもできますが、焦るのであれば焦りを活用するに越したことはないと思いました。
そのため、焦る=悪いというレッテルを付けておくと、自己否定になり、行動抑制、縛り、自己支配と、自らを痛めつけてしまいます。
焦ることに良い悪いを付けるか否かは完全に自分次第であるため、どうせなら「良い」にしたいですが、合図や意味にて活用すると良い塩梅と解釈しました。
価値観や観念は経験や日々の積み重ねによる自己認識にて変化させていくため、ポイポイッと手頃に変わるものではなく、焦る自分を焦らないようにすることは一歩一歩の歩みになります。
焦りとは自然な自分の表れであり、如何に成長と強さをもたらす糧であり機会だと知り、さらに長い視野で目的や使命を見据えることで、焦りはなくなることを知りました。
ですが、焦りがなくなることで行動動機もなくなり、ボケーっと寝ぼけて生きることも知りました。
焦るも焦らないも禁物。
バランスを見ることで生きている意味に喜びの創作や創造意志、そして成長を含められ、その理解と恩恵をもたらすのが焦り。
私達人間の本質的な動力となり、陰も陽も教えてくれるのが“焦り”かと思います。
※人生を楽しく生きる話は、「人生とは旅」みたいに生きると良い感じ│そんなことを思った旅の日 をご覧ください。

人生に焦りがある時の意味と使い方 まとめ
焦りとは不思議なものです。
初めは不要で邪魔なものかと思いましたが、焦りの状態や反応を知れば知るほどに大切な意味が見え、真意と核として本質的な動力の意味が見られ、今ではとても重要なものと理解しています。
しかし、焦ったり焦らなかったり、どちらかに偏ることで不安になり、一方で無頓着で生きる力が衰退し。
それは不安や恐怖の大切さと同じで、裏返すと愛がある表裏のバランスのようです。
焦りの表が行動抑制、裏返すと行動動機。
縛りと崩壊、安泰と創造。
安泰の仕事を得て、幸せな家庭環境があれば、自然と焦りはなくなります。ですが、焦りの活用も大切です。
安泰がなくなれば不安に駆り立てられ、幸せになればなるほどになくなった時にどん底ということも考えられます。
どんな状態でも人それぞれに大切ですので、人生に焦る場合には焦りの活用をして、自らを認めて育み、理解を深めて不安との関わりを知り、動力源とする。
そんなことに繋がれば良いですね。
自らの人生を生きる一助となれば幸いです。