心理と特徴

一人で生きるのは覚悟ではなく選択│自分がいるから一人が良いの

一人で生きることは、「一人で生きていけますか?」という質問に対して、一人で生きたいか生きたくないかの答えが意味する生き方です。

それはどういう意味でしょうか?

私達は一人で生きる人と一人で生きない人が分かれます。それは一人で生きられるのではなく、ただ一人で生きたいだけです。

一人で生きるために頑張り、努力して、忍耐を培うことは修行ですので、修行する目的がなければ一人で生きるための覚悟は存在しません。

ここでは”一人で生きる”ために大切な理解と覚悟についてをお伝えします。

一人で生きる意味を知ることで、覚悟の必要性と一人で生きることの良さがわかります。

本当に一人で生きたいのかどうかを考える機会となり、一人で生きる場合には必要となる気楽な覚悟の話をご覧ください。

一人で生きるとは

一人で生きるとは

「一人で生きていけますか?」

これは、”できるかできないか”以上に、”したいかしたくないか”です。

人との共存社会の中では一人になることはできません。誰もいない森の中や、無人島に行くことで一人で生きることができるかできないかという話になりますが、そのような人は数少ないです。

社会性の中では常に人と生きていきます。その環境で”一人で生きる”とは単純に、「一人が良いかなぁ?違うかなぁ?」というもので、今日の夜ご飯の献立を決めることと同じレベルの話です。

しかし、”一人”の意味を知らないと、「こんなに人がいるのに一人ぼっちだ」と呟き嘆き、公園のブランコで一人でギーコギーコしたりします。

一人って何でしょうか?

 

一人とは一人

一人とは孤独であり孤高です。捉え方は何でもいいと思いますが、一人とは他に人がいないことです。誰もいません。

それは宇宙や砂漠のど真ん中なんかに行かなければ味わうことはできません。そこまで行かずとも、過去の環境で一人ぼっちだと思える経験によって体感します。

一人を知らなければ人が周囲にいるのが当たり前になるので、人を人として捉えなくなります。

すると大都会でも、「一人ぼっちだ」となり、自分が他者を人としてしっかり捉えて認識していない、または認識できない人間であることを教えます。

それは感謝の”有り難い”の真逆の意味となる、”当たり前”という状態です。

一人を知らないと一人で生きるも何もありません。“一人だと思い込んで生きる”になります。

一人を知らなければ一人で生きることはできない
※一人だと思い込む空想世界に入る

 

一人で生きるとは自分と生きること

一人を知る人は一人でいることが好きです。

それは、一人になると自分が目の前に現れるからです。

自分という自我意識の中には思考もあれば意志もあり、脳と心があります。それは頭の声や心の声と言われるもので、スピリチュアルな認識を含めるとハイヤーセルフや守護霊や龍神様や天使など、何だかいろいろ増えます。

本当に一人で生きる際には自分しかいないので、自分と生きることになります。それ以外の対象がいないので、自分を認識する以外にありません。

「唯一の認識が自分だけ、それが好き」

このように一人で生きる人は一人が好きです。それは、自分を知ることが好き、または自分が好きということです。

そのため、自分が好きでない人は一人で生きることはできません。

一人で生きるとは:一人で生きるのが好き
※自分を知るのが好き、自分が好き

※自分を好きになる方法は、自分を好きになる方法│そんなものはないという自分を愛する気付き をご覧ください。

自分を好きになる方法│そんなものはないという自分を愛する気付き「この人が大好き。それは私自身のこと」 このようになれば、おそらく幸せだと思います。自分を好きになり愛すれば、全ての中心を自分にし...

 

一人で生きる人の特徴

一人で生きることの意味がわかりやすくなるので、一人で生きる人の特徴をご覧ください。

一人で生きる人の特徴
  1. 自分を知りたい欲を持つ
  2. 自分を変えたい意志がある
  3. 悟りを目指している
  4. 悟っている
  5. 自分を心から愛している(または、自分を愛したい真意がある)
  6. 成長を求めて生きている
  7. 旅好き
  8. 火や水や風が好き
  9. 癒しが好き
  10. 自然が好き
  11. 依存と執着をしない(または、自分に依存と執着をする)
  12. 自分のために生きている
  13. 自分で自分の喜びを作る意識がある

一人で生きる人には、「自分を知りたい!」と強く心から想う人と、自分を知り満足した人の二つにタイプが分かれます。

 

自分を知りたい場合には一人で生きることを求める

自分以外の認識がなくなることで自分を知る機会となるのが、一人で生きることです。

そのため、「自分を知りたい、探したい」という強い想い、現状の自分への不調和や違和感がある場合には一人で生きることを求めます。

どんな大都会でも森の中でも自分を認識の全ての中心点として、他者に興味があってもなくても依存や執着をしないことで自分が全ての主体となり、一人で生きることを喜んですることになります。

自分を知りたい場合には、他者への依存と執着がなくても自分への依存と執着があり、それを喜んで認めることでより一人で生きることが楽しくなります。

 

自分を探し終えた人は一人でも何人でもなんでもいい

自分を探し終えた=自分が大好きで愛している状態です。

自分を愛している人は、一人でも百人と生きてもなんでもよくなります。

一人で生きる場合には一人で生きることに喜びや楽しみがあり、自分を楽しませることをします。

一人で生きるとは”したいかしたくないか”の話である理由はここにあります。

自分が好きであれば自分を喜ばせることをします。自分の喜びがある好きなことやしたいことをする生き方となるので、自然が好きであれば自然と関わることに楽しみがあり、動物であれば動物と関わることに喜びがあります。

人と関わる必要性が”生活のため”、”仕事のため”とシンプルになり、「人がいなければ生きられない」という状態がありません。

人でなくても自然や動物や虫もいるために、一人で生きていても一人だと思うこともなくなります。

※一人で生きる旅については、自分探しの旅にほぼ意味はないけど少し深みがある|海外旅5年間で気付く真実 をご覧ください。

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社会性での一人で生きるとは

ここからはより順応的な話として、一人で生きる基盤を社会的にしたいと思います。

社会性の中で一人になることはできませんので、一人で生きるの意味が変わります。

それは、”他者に依存と執着をしない”という意味です。

一人で生きるとは(社会性): 他者に依存と執着をしないで生きる
※自分への依存と執着はしてもOK

 

一人で生きられますか?=他者に依存と執着をしますか?

社会性の中では、どれだけ一人ぼっちだと思ってもそれは思い込みでしか成立しません。

頭の片隅に、「どこかに人がいる」「数日後には誰々の声がする」などのように、人がいる影響を味わい、予想して一人ではない自分を思考することができます。

それはしてしまうのではなく、あえてしています。

なぜならば、一人で生きられない恐怖があるためです。

一人でいるのは寂しい、わびしい、虚しい。周囲にそのように思われたくない、否定されたくない、認めてほしい、必要としてほしい、自分の思うようにしたい、納得したい、悲しみたくない、嫌な現実はなかったことにしたい…無限に続きます。

一人を知らなければ必ず頭の中でも目の前でもどこかに人の存在があり、人がいることで受ける影響が“利益”としてあります。

他者に依存と執着する理由は明確で、自分が最も知っています。

“他者を利用すると自分に利益が得られるから”です。そうでなければ、おそらく森とかインドの奥地へ行くでしょう。

一人で生きるとは、自分のために他者を利用せずに生きること
※依存と執着を手放す、または自分への依存と執着に絞る

他者に依存と執着をする際の利益とは

  • 恐怖を味わわないこと
  • 不安にならないこと
  • 自分を否定されずに肯定されること
  • 自分の存在を見出して価値を認識できること
  • …など

一人で生きることは、他者を利用した利益を得ずに生きられるのかどうかと同じ意味があります。

 

一人で生きるために大切な理解は”したいかしたくないか”

一人で生きることは、自分で自分を大切にして愛して、自分で自分に喜びを与えることです。

一人で生きないからと言って、他者を利用しようが何だろうが自分の利益であり、その利益は人それぞれの喜びであることには変わりありません。

そのため、依存と執着は必要なものなので、「依存と執着をしない生き方が良いの?」という疑問があります。

特に、他者へのものではなく自分への依存と執着がなければ、自分を喜ばそうとすることもしなくなります。

他者への依存と執着は自分を見失う材料となりますが、それがあるのが社会性であり大切な成長機会や自分を知る基盤になり、人それぞれに必要です。

自分の状態、意識、生きる目的や意味、考え方や生き方次第で、一人で生きることが”できる人とできない人”が明確に分かれます。

依存と執着は必要なものでもあるために、「一人で生きなければ!」などと覚悟することは、自分に嘘をつくことになります。

できない人が一人で生きようとすると、努力や頑張り、忍耐に苦労が伴い、さらに自分に嘘をつくことで自分を見失います。嘘をつけば心から一人で生きることを望まないので、ゴールのないゴールを探す努力になります。

一人で生きる上で最も大切なことが、”したいかしたくないか”の真意です。

「一人で生きなければ」「自分は一人だと認めなければ」などの思い込みがあると、何のために一人で生きるのかの目的を見失います。その状態は自分が主観ではないので、誰かのために生きる人生になっていることを意味します。

誰のためでしょうか?

自分で喜びが作れなければ依存と執着がなくなり、他者からの利益なしでは生きている意味を見失います。

社会性の中では常に一人で生きていない環境なので、「一人で生きたい」という喜びを求めた選択以外は、修行的な苦しみに突っ込む行為になります。

※自分の意志と真意を知るために、楽しいことだけを考える気楽な自分のために│心の声を知り、自分を知る をご覧ください。

楽しいことだけを考える気楽な自分のために│心の声を知り、自分を知る何もない真っ新な状態が今あります。そこに自分を愛する自分がいたら、もうそれで幸せなのではないかと思います。 この世の仕組みを考える...

 

一人で生きる覚悟

これまでの内容を踏まえて、一人で生きる覚悟についてを知ることで、一人で生きることの意味が完結します。

一人で生きる覚悟は存在しない

一人で生きる場合には、覚悟というものはありません。

もし、「一人で生きたい、なんせ嬉しくて楽しいから」という思い、または、「一人で生きたい、私自身をもっと知って成長したいから」などの自分の喜びを求めた気持ちがなければ、一人で生きる目的がありません。

自分の喜びを求める行為とは、「お腹が空いたからご飯を食べよう」と同じですので、覚悟も何もありません。

しかし、一人で生きる覚悟が必要な場合は、何か“一人で生きなければならないルール”があるのかもしれません。

 

一人で生きる覚悟は自らを縛る思い込みと決め付け

誰かのために生きている人生であれば、一人で生きることは常識ではなくなります。

パートナーがいたり、恋人がいたり、友人がいたり。さらに、「結婚してパートナーがいないとダメ」というルールがあれば、パートナーがいることが常識になります。

自分のために生きているのであればルール設定は全て自分が基準になります。しかし、それが自分を縛り視界を狭くさせるものであれば、他者のルールです。

その最たるものが、周囲に押し付けられた常識やルールです。

常識やルールに則るために生きている場合、自分の体裁や周囲の反応が人生のメインになるので、パートナーを作る目的は愛ではなく自分の利益のためになります。

その利益は、常識やルールに則って自分が卑下されたり否定されず恐怖のないものですので、「一人で生きるのは良くない」というルールがあります。

それが何ルールなのかは本人にしかわかりませんが、他者のために一人で生きることをするとただただ苦しい修行になります。

辛さを自分に押し付けることで、諦めて観念する結果となり、「私は一人で生きていくのよ、何か文句あるの?!」という開き直りをゲットしますので、修行を乗り切れる場合には苦しみに良き結果がもたらされます。

私達日本人は辛いことが好きな傾向がありますが、もう少し気楽な道もあります。

 

一人で生きることは修行ではなく喜び

一人で生きることに覚悟が存在しないのは、苦しみではなく喜びのための行為だからです。

ルール設定を厳しくすることで自分を縛るので、より自分のための人生ではなくなります。

人それぞれにルール設定があるので、一人で生きることをどのように捉えてもいいと思いますが、一人で生きる生き方には喜びしかありません。

そのため、自分にとって喜びがなければしなくていいですし、する必要がありません。

「こうありたい」「こういう自分でいたい」「こうでなければダメなんだ」という依存と執着が他者へのものか、自分へのものかを確認してみてください。

自分へのものであれば悲しむ依存や執着はありません。全て喜びのためであるはずです。
他者への依存と執着であれば、自分をないがしろにしているので明確にわかります。

一人で生きることは自分の喜びを求める行為ですので、自分はどんな喜びを求めているのかを知ることが大切になります。

 

生き方に覚悟はない

覚悟とは意志を貫く決意です。

生きる上での出来事や一瞬一瞬の行動に対して覚悟しますが、”生き方”である一人で生きるのか一人ではないのかに覚悟はありません。

なぜならば、生き方は認めるかどうかの話だからです。

生きる主観は自分以外にはあり得ません。どれだけ他者のために生きているとしても、その根底には必ず自分のために生きている基盤があります。

そのため、生き方とは自分そのものです。

自分が生きている現実があり、その姿がそのまま生き方になります。
実際、生きているのはこの瞬間のみですので、既に生き続けている現実を認めて自覚することで見えるのが生き方です。

その際に生き方ではなく、自分として本気で生きる覚悟をすることは、自分で自分を喜ばす決意となります。

生き方に覚悟は存在しない。自分として生きることに覚悟がある。
※生きている現実は認めるか認めないかのみ

自分として生きている以上、今の生きている姿を認めることで、一人で生きるかどうかの選択をします。

それは覚悟ではなく、自分に喜びがあるかどうかの気楽な選択です。

※覚悟の意味がわかる本気で生きる話は、本気で生きる人生を覚悟。恥も体裁もない子供と動物が教える生き方 をご覧ください。

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一人で生きていく道

「一人で生きたいからなぁ」とほのぼの。

世の中には常識やルールでの縛り付けが盛んです。

幼少期から否定や恐怖を味わう経験があればあるほどに、自分として生きることが見えにくくなり、誰かのために生きることが当たり前であるかのようになります。

すると、周囲の目や反応を気にして、自分を否定されず、肯定を求め、優越感を掴み、見栄と否定を盾にして存在価値を見出します。

他者がいることで自分の存在が見えるので、他者との関わりに身を置き、恐怖がなく安心がある安泰を望みます。それは職業ではなく生き方・在り方としてです。

世の中を見てください。恐怖に恐れおののくことで一人で生きることが常識ではない様を作ります。

すると家族とは依存し合いの共同体となり、愛を育むものではなく私物化と所有物として、自分の利益のために利用し合う小集団になります。

それはそれで学ぶことも知ることもたくさんあるのでいいと思いますが、頃合いが来れば蹴り飛ばしてやりましょう、というのは冗談ですが、枠を抜けて自分の目で見てみましょう。

すると、一人で生きることは常識だと気付きます。

 

一人で生きるのが基盤、愛を育みたければ他者と生きる

自分の存在にて自分の人生を自分として生きています。そこに例外はありません。

そこに、価値観と認識を付けて、意思と意志を付けて、「私はこうしたい」「私はこうする」「私はこちらにしよう」という願望や覚悟や選択をします。

自分として生きている以上、一人で生きるのが常識であり基盤です。

社会性は他者との共存にて成り立つ関係性ですので、意識的に他者と関わる場合には、共存ではなく共有や共感や調和となります。

言い方を変えると、愛であり敬いです。

一人で生きる基盤を持ち、必要であれば他者との共有や共感や調和にて自分の喜びを増やす
※敬いを持って関わることで自分も他者も喜ぶ結果になる

一人で生きることで自分を知り、より自分への愛を育みます。そこから人それぞれに必要であれば他者と関わり愛を育むことができます。

一人で生きることに覚悟が必要ないのは、一人で生きることが前提であるためで、大切なことはそれに気付くことです。

すると、他者を人として見ないことや大都会で一人ぼっちという思い込みがなくなります。

 

利用し合いは気付いた人がやめればいい

一人で生きることが基盤だと認識することで、他者をしっかり認識するようになります。

すると、これまで他者のことを見ていなかったことや、決め付けて思い込んでいたことに気付いていきます。

その際に明確に分かるのは、関わる人と関わらない人です。

「この人は関わらない人だ」と思えば関わる必要はありません。関わらなければいけない時は対処を考え、関わり方と時間を明確にします。

一人で生きることは自分の喜びは自分で作ること認識させてくれるので、他者を利用して依存と執着していたことを見えやすくしてくれます。

その際に、依存と執着が良ければその生き方をすれば自分のためとなり、それが嫌であればやめればいいんです。

利用し合いは気付いた人からやめていかなければ止まりません。なぜならば人によって必要だからです。

「この人を何とかしたい」と思うかもしれませんが、人を変えることは自分の押し付けと干渉ですので、気付いた人から離れていき、自分のことを考えることが第一優先です。

気付いた人から生き方を変えていけば、利用し合いは共有や共感となり、お互いのための関わり合いが増えていきます。

その為、一人で生きていくことは自分にとっての喜びとなり気付きとなり、良いことしかありません。

あらゆる自分の縛りに気付き、解きほぐすことで視界が開き、自分の世界が広がっていきます。

「結婚できないから」「モテないから」「友達がいないから」「人が好きじゃないから」

そんな自分の生き方は現実として認めるだけです。認めて自覚すれば、そこに喜びがないことがわかり、何で自分がそうなのかがわかり、誰のために生きているのかを明確にします。

あとは、始まります。選択するだけです。

一人で自由に生きる時間。その内に他者と共有したくなればすればいい。

そんな気楽な道が”一人で生きていく”ことです。

※一人で生きる人間性がわかりやすくなるので、人間嫌いでいいじゃない。動物好きな特徴から見える意志と人間性 をご覧ください。

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一人で生きる覚悟 まとめ

「一人でできるもん!」と子供が言うことがあります。

そりゃそうです。何度もやっていればできます。それを周囲が認めなければ、「私は私として生きているの!」と言いたくなります。

私達は大概のことは一人でできます。一人でできない人はそれを認めることで他者との調和を作ります。

一人で生きても二人で生きても何でもいいと思います。ともに一人で生きる前提があれば、自分を愛し、関わる人を敬い愛します。

自分一人で生きることは認識の対象が自分です。そのため、恐怖があり一人が嫌な人はできませんし、する必要もありません。

自分を見つめて、自分で自分を喜ばす準備ができていなければできませんし、する必要もありません。

それは、街中でエアコンガンガンか、サバンナの日陰で涼むかの違いですので、どちらも良いという感じです。

生き方を変える際には現状を認めてみてください。生き方を覚悟すると大きく自分を見失いますので、認めて自覚する。現実を認識して受け入れることで次の変化に入っていき、一歩ずつ行動と共に進んでいきます。

一人で生きる人は一人で生きたい人ですので、そこに喜びがあればぜひ一人で生きる時間を堪能してみてください。

その内に飽きるかもしれませんが、その時にも選択ですので、「やーめた」とこれで決まりです。

そんな気楽なものが、一人で生きていくことです。

覚悟は不要な一人で生きる選択の話、以上で終了です。

最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。

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