体験

【無理しないってどういうこと?】メキシコの森にあった無理しないコツ・自然体

コチョコチョコチョ。

無意識な我慢や頑張りによって、無理しているかわからなくなったので、自分の脇をくすぐってみた。

はぁ、肩の力抜けた、緊張ほぐれた、嫌なこと忘れた、自分らしさを取り戻した、頭スッキリした。

全部違う。無理しないとはそういうことではなく、大前提がある。

一時凌ぎや目の前のスタック解除ではなく、根本的な部分にある、「無理しない」の意味。

ここでは、なんともわかりにくい無理しない意味を、私の体験談と共に見ていかれてください。

  • 無理しないってどういうこと?
  • 無理しない意味を知ったメキシコでの体験談とは?
  • 無理しないコツとは?

これらを紐解き、「無理しないとは自然体。自然体とは自然な自分を知っているさま」と把握する内容となっております。

わかりにくい言葉ですが、根本を捉えるとシンプルで素敵な言葉だとわかります。

無理せず自然体で生きるためにも、一つの考え方としてご参考になれば幸いです。

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無理しないってどういうこと?

「無理しない」がわからない

許容を超えても頑張り、我慢し、努力する時、いつの間にか無理をしている可能性があります。

無理によって筋細胞を破壊し、再生させる時に以前より筋肉モリモリ、となればいいですが、メンタルや精神面にそのような仕組みはないため、無理すると精神を破壊して、傷を作って終了。

なるべく無理したくないものですが、人それぞれに社会のルールに順じて利益を得るためには、許容を超えてでも頑張ってノルマを果たさなければならない時があると思います。

ストレスを溜め、エネルギーを消費し続け、自分を見失いながらも社会のルールに則って、利益取得を目指す。

まるで精神修行と言わんばかりに耐え忍び、手を抜かずに一生懸命働き、テキトーさがなくなってエンジンフル回転。

キュイーンと回り続けるエンジンが真っ赤っかになった時、周囲は心配してこう言います。

「無理しないでね」

「無理、しないって、どういうこと…?」

無理しているつもりはない、または無理しないとやっていけない。

エンジンペダルに遊びがないと、少し押しただけでギュンと加速。

無理しない意味がわからなくなる時、遊びがなくなっていることが理由の一つになりますが、根本の原因ではありません。

遊びがなくなっていると気づけなくなっていることに着目です。

 

無理しないとは:自分を俯瞰すること

無理しない意味がわからなくなった時、自分から離れられなくなっていると考えられます。

ストレスや疲労、偽りに誤魔化し、不安や恐怖への拒否にあらがい、他者との比較にて不利益を被らない自己防衛、無理にでも利益を得て自らを優越させるルール従順、自惚れにプライドの高さ。

姿形が干渉されて(または干渉して)本来の自分がいなくなる時、「自分を消したくない、護りたい」という意識が強ければ強いほど、無自覚の内に無理をして自らを保ち、律し、管理しようと頑張ります。

自己内部の奥へ奥へと入り、自分から離れないようにする心理が働きます。

自己内部で認識する思考や行動と、現実として外側に表現される思考や行動にギャップができ、自覚が難しくなります

自己内部からの認識と、自分を外側から捉える認識、二つの目線があって初めて自覚できますが、無理している状態では自己内部の奥へ入っているので認識は一つ。

知らぬ間に自覚できなくなります。

このことから、無理しないとは知らぬ間の自覚喪失を緩和する意味が見出されます。

「無理しないで」とは、「自分を俯瞰してみて」という考え方です。

「無理しないで」を言い換えると、「ちょっと自分の内部から離れてみて」「自分に対する固執を手放してみて」という意味になります。

 

「無理しない=自然体になる」

「力を抜いて」が似ていますが、より根本的な原因解消にアプローチしているのが無理しない意味。

リラックスや緊張緩和は後付けの結果であり、俯瞰性によって自分で自分を捉えることに意味があります

これを別の言葉で表すと、「自然体」です。

自然体とは自分らしいことではありません。

力を抜いてフワッとするための在り方。自分にド集中する固執を手放して、風のように右へフラ、左へフラと、流れることに抵抗や反発がないさまです。

「無理しない」はわかりにくいですが、「自然体」もわかりにくいものです。

わかりにくい理由は、両方ともあまりわかりたいものではないからかもしれません。

共に、自分に対する固執から離れる意味がありますので、自我の主張を緩和する状態です。

自我を主張しなければまるで自分は何者でもない感覚になる人もおり、「私は私である」と何者かとして認めたい、そのために他者と比較して優劣区分けを欲したり、自らの思考や行動を正当化したい場合、固執から離れることは不安や恐怖そのものです。

恐怖から防衛するために、無意識に無理しないことを拒み、頑張ってでも無理を強いて、自然体と真逆を狙っている可能性があります。

無意識だからこそわからないため、無理しない意味を知るためには潜在意識把握など自己理解が鍵となります。

※自然体な人の詳細は、自然体な人の特徴は蝶か風か│なりたい場合は自我と無我の選択を をどうぞ。

 

無理しないとは何かを知った体験談

メキシコの森にあった無理と自然体

私がメキシコを旅している時、無理しない意味を知る体験がありました。

遺跡周辺の森にいた時のことです。

パレンケという街から車で約30分ほどの距離に遺跡があり、周囲は深い森で囲まれます。

街を出ればすぐに森に覆われ、深くへ向かえば向かうほどに木々が高くなり、森は20~30m以上の大木だらけ。

辺りはどこを見ても真緑色の地域であり、大自然のど真ん中を味わえます。

私は他二人と計三人で一緒に行動しており、街から離れた森と草原地帯の中でひっそりとヒッピー的暮らしをしているコミュニティを訪れました。

そこは髭を生やしたフランス人が経営する、植物を使ったビジネス儀式場であり、関わった瞬間に違和感を感じたので離れることに。

その日は行く場がなくなりましたが、森の中に作られた宿泊場が車で10分ほどの場所にあると聞き、三人で向かいます。

そこは不思議な場所。

森にゲートのような入口があり、外から中がほぼ見えません。

中に入って少し進むと、木で作られた小屋やコテージの宿泊場があり、ちょっと高めのホテルなんかもあります。

木々で囲まれた空間に建物やライトがひしめき、小屋毎に緑・青・黄色・茶色と色を分けてたくさんの絵が描かれ、人工物とアートと自然が入り混ざります。

まるで金持ちと貧乏人を分けるように、値段が全く違う小屋とホテル、屋台とレストランがあり、自然と社会を共生させています。

極端に屋台の周りは暗く、レストランの敷地はライトで眩しいくらい。ここは森の中。

「うわぁ、面白い場所だなぁ」と思いながらも、なんだか違和感がクンクンします。

 

気づかぬ内に無理をしていた

森には虫と植物が多く、イグアナやヤモリがたくさんいます。

私達は二階建ての小屋に泊まり、キュンキュンと天井で鳴くヤモリを見ながら、自然を感じて一息。

レストランがアホみたいな料金だったので、「今日はあの屋台で何か食べようかな」なんて考えたり、辺りを探索して、「本当に森の中なんだなぁ」とこの場所を作ったことに関心していました。

迂回して別の場所から来たのでわかりませんでしたが、どうやらここは遺跡と街の間にある隠れた観光地的宿場であり、森の奥には別荘なんかも建てている最中でした。

自然を堪能でき、森のあちこちにあるアートは自然をモチーフにしてカワイイ。遊び心がたくさんあって何とも落ち着く場所です。

しかし、「あぁきな臭ぇ」と思えてしかたない。

この違和感がわかったのはこの後でした

日が沈み、当たりが暗くなり始め、私は二階建ての小屋の屋上で木々や風を感じていました。

屋上にいても辺りはもっと背の高い木々だらけ。木の香りがする中、ザザァと葉のなびく音がし、見上げると木でできた円の中に夜空の星々が光ります。

下を見ると周囲は電光ライトだらけで眩しく、少し離れたレストランの自然と調和しない音楽がここまで聞こえてきます。

私は暇だったので無心になって踊り始めました。

クネクネヒラヒラと風のように好き勝手体を動かすのが好きなので、形も型もないダンスタイムにイン。

すると突然でした。

パッと辺りのライトが全て消灯。停電です。

一瞬で真っ暗になり、本来の自然がブワッと広がる。

停電によって気づく、たくさんの蛍達と、夜空の星々の輝き、そして自己理解。

この瞬間に私は、「あぁ、これだぁ!」と感じ、ダンスはより自然体となる無心の中に誘われ、真っ暗な中で流れるように踊り狂っていました。

踊った後に私は、「無理してたんだ」と気づきました。

本当は今すぐにでもここを出たい。きな臭い違和感はこの場所のエゴ、上下区分けを自然の中で作る不合致に強要的干渉、うるさい音楽を響かせる邪念の塊。

本当は行くあてがないからしょうがなく泊まっており、この森を出れば真っ暗な中で彷徨うだけである制限の中での妥協、偽り、自分への誤魔化し。

停電した時に加速した踊りは、無理しているのを自覚していない自分を教え、何が自然体なのかを教えてくれました。

 

無理しないとは自分を俯瞰することだった

この体験で気づいたのは、自分に正直になる以上に根本の部分となる、自分を俯瞰して自覚を促すことに、無理しない意味が潜むことでした。

俯瞰によって自覚の正確性が高まり、正直でなかったこと(または正直かどうかの前提意思有無)を知り、自らの目的や欲求の明確化、またはそれらの有無に気づけます。

俯瞰性は自分の状態や心理を教え、意思と意志を自覚させた上で、それに沿っているのか否か、沿っていなければ自らを偽っているか誤魔化しているか、それはどうしてかが全てわかります。

私の場合は、「あの森を直ぐにでも出たかった

けれども自覚がないために無意識に自制や我慢を強いて、欲求や目的とは真逆であっても突き進もうとしていました。

嫌なことをさせるのが悪いのではなく、自らのしていることに対して自分がどう感じ、思い、想っているかを見つめられないのが無理している状態であり、自然体と真逆の在り方です。

無自覚であればあるほど、知らぬ間の強制や自己支配が起き、拒否したいのに行為していれば目の前の物事を認められないので、力が入って硬直し、リラックスとは真逆を自ら作ってしまいます。

無理しない結果、私は翌朝直ぐに森を出ました。

より遺跡近くの自然深くを散策し、「まさにここだ」と思える宿泊場を見つけたので移動。

そこは自然との違和感のない共存環境があり、木々に囲まれた中に快適に過ごせる小屋が建ち、電気のない中でたくさんの虫、イグアナやヤモリ、そして猿達と共に過ごす時間となりました。

「ギャーギャー!ウヒャーヒャー!」と猿が騒ぐ中での生活は、自然体で生きる時間を堪能させてくれて、結局一週間以上滞在する最高の時間となりました。

※頑張らない意味は、頑張らなくていいと言われた時の解釈と意味│頑張らないって難しい をどうぞ。

 

無理しないコツ、自然体になるコツ

無理しないコツ

[無理しない=自分を俯瞰する]
これを事前に認識しておくと、何かとお役立ちできると思います。

無理していると感じ思う何か、ストレス、憤り、疲れ、違和感、不和、不安、怖れ、拒否があった時に、「あ、自分を俯瞰しよう」と思う癖をつけます。

「今やっている目の間のことから離れ、一旦自分を俯瞰して捉える」

自分への固執から離れられるので、無理せずに生存戦略を図れます。

これはコツになりますが、実際に無理しないためには、「あ、俯瞰しよう」と思った時に、俯瞰する材料である自分のステータス(状態・状況・心理)を知る必要があります

ここが本題です。

 

無理しないために自然体を知る

自然体とは何かを知ることが、自分のステータスを知る方法になります。

自然体とはありのまま、素直、嘘がない、固執がない、緊張や硬直がないなどと言われることもありますが、一言でお伝えすると拒否していない状態の自分と考えられます。

[自然体とは、拒否していない自分]

拒否となる反発や抵抗がないと、流れに逆らわずに乗る風や川のようになります。

この自然体を知るための捉え方がこちらです。

他に合わせて自分を存在させている在り方

環境によって変わります。

仕事場であれば、会社のルールに合わせる自分、上司に合わせる自分、メンバーの雰囲気に合わせる自分など。

自分に合わせる場合は自分への固執となり、主張や比較によって自分を見出すための無意識の干渉が起き、存在するのは自然体ではなく、思考によって練り上げた空虚な偶像です。
※無理をする場合には重要な存在で、社会的価値を作る力になる

無理しないためには、「私が私だ、この私が私なんだ」という自己に固執した欲求から離れる必要があり、自分以外の他に合わせて存在している前提認識が重要です。

上述の私を例にすると、その森に合わせれば合わせるほどに自然体(拒否していない自分)を体感できます。

停電前はあまり合わせておらず、停電時に森に合わせる深まりがあって自然体。

停電後のクネクネダンスは自然体、その前は無理している偽りの自己満足ダンスという具合です。

自分に合わせずに、自らのいる環境(他)や前提理解に同化させることが自然体です。
例1:鍋の具になるのではなく、スープになるのが自然体。具として強調せず、スープになれると無理せずに調整できる

例2:実家では自分のやり方ではなく、実家のやり方に合わせられれば自然体で無理せずいられる

※我慢しない大切さは、【我慢しない人は幸せになる】我慢してきた経験が活きると知った出会い をどうぞ。

 

ポイント:自分のしていることの目的と意思

私達は一人で生きられない生物ですので、必ず何かしらに合わせて存在している前提があり、無理しないためにはその前提をはっきりと把握しておくことが大切です。

これは自分に対する固執を普段から手放す効果があると共に、従事している事柄の目的と意思を明確にする意味です。

仕事であれば、「なんのために働き、何を求め、どうして働いているのか?」をしっかり把握すると、俯瞰した時に無理しない意味が成されます。

私を例にすると、「森で何をしたくて、何を求めて、どうして森にいるの?」など森にいる目的と意思をはっきりさせます。

「遺跡の周囲で路頭に迷わないため、寝床を探すため、自然好きなので森で過ごしたいから」

はっきりさせておくと、無理しないために自分を俯瞰した時、その自分が物差しになって改善や変化を加える点が見えやすくなります。

「あ、ここは森だけど、私がいたいと思う自然ではない」と自覚でき、「じゃあどうすれば拒否しない自分になるかな?」を探したり作ったりと無理しないように変化させられます。

初めから自然体になるのは難しいので、無理しないための変化作りからスタートし、徐々に自然体を体感していくと、無理しない生き方ができるようになります。

※無理に働かない生き方は、「働きたくない」の当たり前とおかしさに向き合う。無理に働かない生き方 をどうぞ。

 

無理しないとは まとめ

無理しないとは、自分に固執して無意識に主張しないことであり、そのために自らを俯瞰することに意味があります。

無理しないためには自意識の主張から、他に合わせて存在する認識にシフトする必要があるため、強く自分を保持したい場合にはとてもわかりにくい言葉であり、全く新しい概念の人もいると思います。

内訳を知っていただくとシンプルに、俯瞰性が無理しないための解決ワードです。

他に合わせている前提があるからこそ俯瞰できます。

自分のステータス、従事している物事の目的と意思を把握しているからこそ、俯瞰できます。

俯瞰するからこそ、そのまま無理するか、無理せずに緩和するか選択できます。

無理することは社会的には価値作りになる大切な行為です。

しかし、無理しすぎると自らを削るように酷使してしまうので、無理しないことでバランスを図ります。

あまり無理しなさすぎると、好きなことしかしないだけに留まらず、嫌なことはしない、めんどくさいこともしないと怠惰に浸かり、自意識がなくなるだけでなく思考すらも消えかねません。

無理するしないはどちらも大切ですので、バランスを図ると本質的に使い道が表れます。

既に無理する経験をされている場合には、残りは無理しない経験によってバランスは容易に取れます。

無理してきた経験を活かし、自らの利点や利益にするためにも、無理しない意味とコツがお役立ちできれば何よりです。

それでは、無理しない意味がわからない時のお話を終了します。

最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。

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