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【どうしても飽きちゃう】飽きない方法は天敵にあり。

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人間というヒト科ヒト属ヒトは誰しも飽きる生物のようです。

私は飽き性ですが、飽きないものは全く飽きません。

飽きるものと飽きないものが極端に違い、飽きないものを洞察するとある共通点がありました。

飽きまくっていることです。

みなさんも、普段の生活では仕事や趣味や恋愛など飽きてしまうものがあると思います。中には人間関係や人生に飽きることもあるかもしれません。

そんな時のために、ここでは飽きない方法を見ていかれてください。

  • どうしても飽きちゃう時の心理とは?
  • 飽きる時と飽きない時の違いとは?
  • 飽きないためにはどうすれば?

これらを紐解き、「飽きないとは一体どんな状態なのか?」を知っていただく内容となっております。

状態理解によって飽きない方法が見出されますので、私の飽きる飽きないの洞察結果と共に、一つの考え方としてご参考になれば幸いです。

飽きない方法の事前知識

飽きる時の心理

「飽き」には興味・関心の喪失があります。

同じ光景を見続けると、長なり短なり飽きてきます。

「この夕日は美しい、が、もう三時間も景色が変わらないな」と喜びがなくなればプイッ。

「これ以上この人は私を喜ばせてくれないな」という執着に基づく飽きもあります。

刺激がなくなり、変化しなくなり、自分を喜ばす動機や、喜ばしたい意志がなくなると飽きてしまいます。

ハマったものが急に冷めてしまうなど、熱が強いと冷却も素早く、「あんなにのめり込んだのに、なんの時間だったんだ…」と夢を見ていた気分になるかもしれません。

飽きる時、共通していることがあると考えられます。

能動性の喪失です。

 

執着あり、創造性なし、意志なし=飽き

自分ではなく、他によって喜ばせて貰おうとする心理があればあるほど、飽きやすくなると考えられます。

「誰か喜ばせて、刺激を頂戴、褒めて、認めて」という状態は他への執着が強く、自分で喜びを作る創造性を持つ動機がなく、満足や刺激など自分にとっての利益がなくなると飽きます。

受動的な状態です。

受動的エンターテインメントが例になります。自ら参加するのではなく、一方的に情報提供されて楽しませてくれる場合、相手から利益をもらうのが恒常化します。

毎回楽しませてくれないとつまらなくなり、興味がなくなり、飽きます。

受動的で喜びをもらうために他への執着があると、自然と創造性が欠けて、自らを自らで喜ばせる意志がなくなり、飽きやすくなります。

この状態が能動性の喪失です。

 

飽きる人と飽きない人の違い

飽きる時は受動的。飽きない時は能動的。

能動的なさまには主体性があり、「私がこれをしたい、なぜならばこう考えるから、こう喜びたいから」と自発的に行動するさまが表れます。

自ら動機を作って行動する際、自分を喜ばしたい欲があり、意志があり、自ら考えて作る創造性があります。

飽きない人は能動的です。

しかし、「飽きない人など存在するの?」と思ってしまうのは、わたくし飽き性の意見です。

 

誰しも飽きる時があれば飽きない時がある

受動的な時があれば能動的な時もあります。

ご飯を食べる時、何もせずとも毎日誰かが提供してくれたら飽きません。しかし、毎日同じ料理で同じ味だと飽き、マズければなおさら飽きます。

誰も提供してくれなくなると、食べることそのものに飽きる人もいます。

調味料がたくさんあれば、調理方法を変えれば、食材を変えれば、食事に対する価値観を変えれば、口の中に入れた時の楽しみ方を変えれば、食事にあるエンターテインメント性を作れば、目を瞑って想像を広げて楽しめば、創造性を働かせれば‥‥飽きません。

能動性は経験有無によっても見出し有無が変わるため、食事のおける能動性を経験していないなど、創造性があっても働かせる方法がわからず、周囲の人や環境次第で飽きることも起きます。

飽きる飽きないの違いには、能動性があるかどうか以上に、能動性を見出せるか否かがポイントと考えられます。

誰しも飽きたり飽きなかったりの違いがあり、好き嫌いがあるので嫌いなものには受動的になりやすく、好きなものには能動的になりやすいです。

しかし、嫌いなピーマンを食べる時に、「要らないポイッ」ではなく、「なんとか食べられないかな?」と工夫するなど、同じ嫌いでも能動的になることができます。

誰しも飽きる前提がありながら、如何に能動性を見出すかが、飽きる飽きないの違いになります。

※人生に対する飽きは、【人生に飽きたからこそわかる合図】飽きない人との違いと対処法 をどうぞ。

 

飽きる時と飽きない時の違い:洞察結果

上述の内容がわかりやすくなればと思いますので、私自身の飽きる飽きないの洞察をご覧ください。

私は飽き性で飽きるものは一瞬で飽きます。しかし、差が極端でして、飽きないものは全く飽きません。

例えば食事。海外の旅を終えて日本に来てからは、約三年間経ちましたが毎日ほとんど同じものを食べ続けています。

白米、みそ汁、納豆、卵焼き、鯖の塩焼き、チョコ。最近は栃木県の佐野ラーメンが追加されました。

朝と夜中の散歩、運動、瞑想、虫の観察、洞察、考え事、たぬきを隠れ見など、習慣化されているものもあり、飽きないものはおそらく一生飽きないように思います。

飽きないもの全てに共通しているのが、「自分のためになっている」と自分自身でわかっていることです。

食事は毎回同じものしか取らないのに、「今日は何にしようかなぁ~」と冷蔵庫を開けて、納豆と味噌を取る行為をします。

わざわざ発言する必要はないのにあえてするこの行為は、無機質で単調な私の日常ルーティーンに刺激を与え、「あなたは毎日無表情でネバネバしているのではなく、今日は納豆を食べたい気分だと思っているから納豆をチョイスしたんだよ」と思わせる自分のための行為なので飽きません。

数ある飽きない行為を洞察すると全て共通して、「自分のためになっている」と認める意識があります。

一方、飽きるものはどうでしょうか?

 

飽きるものは「自分のためになっている」と認めずらい

飽きるものは直ぐに飽きます。

ほぼ透明水か、茶色い豆を濾した水分ばかり飲んでいるので、「何か違うものを飲んでみよう」と思い、ビールや日本酒など色々な色を飲んでも、嫌いではないですが直ぐに飽きます。

自分にご褒美をあげたいから、好きなものを好きなだけ買うぞとショッピングしても、「なにしてんだろう」と飽きます。

アニメが好きなので視聴します。エンターテインさせてもらえるのですが、ほとんど飽きます。

Youtube動画が好きなので、みなさんのを視聴しますが、楽しいのにほとんど飽きます。

嫌いじゃない、おいしい、喜ばせてもらえる、楽しいのに、飽きてしまいます。

「自分のためになっている」とわからないためです

楽しんだり笑ったりさせてもらえるので、自分のためになっているのですが、それを自らが認めていないと飽きます。

このことからわかったのは、利益になっている(満足や価値や刺激がある)から飽きない以上に、利益になっていると自らが認められるか否かの自己決定有無が重要であることです。

「はい、これは私のためになっていると認める」とわかるものは飽きない、最高。

「No、私のためになっていない、ポイッ」と飽きる。

「う~ん、楽しいけど自分のためかどうかっていうと、違う気がする」と曖昧なものは飽きる。

「自らの心理状態を自らが認めたいか否か=外側ではなく内側の利益を自己決定するか否か」

内側の利益は自分にしかわかりません。利益を認めて自己決定できる時、自覚有無にかかわらずいつの間にか能動的になり、飽きなくなります。

「自分の内側の利益」に対する自己決定有無。

目の前の物事が自分に与える影響を知り、自らとの向き合い方がわかっている状態です。

※食事に飽きる飽きないの詳細は、【毎日同じものを食べるのは普通?】飽きないメリットと注意点 をどうぞ。

 

飽きない時の心理

飽きる飽きないの違いにある能動性有無は、「自分との向き合いをどれほど認めたいか?」を問われるイメージです。

  • 自分と向き合いたくなる物事は能動性有、飽きない
  • 自分と向き合い難い物事は能動性無、飽きる

私がYoutubeを視聴する時、個人でやっている方の作品を観るのがほとんどです。それ以外は楽しいですがどうしても飽きてしまいます。

私自身がこのようにブログを個人で書いているため、若干同じ目線を持って観ることができ、動画と私の向き合い方を私自身がわかる状態になるため、自分のためになっていると認められます。

一方的にこちらを喜ばせてくれる動画は有り難いですが、知らぬ間に受動的になってしまうデメリットがあり、自分に与える影響や利益を認めずらくなって飽きます。

刺激や価値を得続けることで飽きないようにできますが、動画を次から次へと漁ったり、他から利益を欲する執着が起きやすく、最初はハマっても利益をもらえなければ飽きるようになります。

[飽きない=自分の内側の利益を認めている=自分にしかわからない利益を認識できている状態]

他ではなく自分が主体になる状態です。

 

飽きない時は実は飽きまくっている

飽きなくなってもそれで終わらないのが人間です。

また飽きます。

しかし、また飽きなくします。そして飽きる、飽きない、飽きる、飽きない‥‥。この繰り返しが起きます。

飽きるのは人間のさがかもしれません。如何に飽きないようにするかが大切になり、「これは自分のためになっている」と認め続ければ飽きても飽きなくなり、その内に習慣化されます。

飽きないとは飽きた状態を飽きなくすることであり、実際には飽きまくっているけれども、飽きないようにしまくっているという考え方です。

※いろいろと飽きてしまった時は、何もかもに飽きたらわかることがある。改善は人生の気楽な一掃 をどうぞ。

 

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飽きない方法

事前知識を基に本題へ入ります。飽きない方法を順番に見ていきましょう。

飽きない方法①:自分にしかわからない利益を見つける

自らを主体にし、能動的になるために、自分の内側である(自分にしかわからない)利益を見つけると飽きなくなります。

例えば、雑誌を読んだことで趣味の山登り開始。

「どうして山登りするの?」に対する答えを自らが持っていて、さらに自ら認められるかどうかがポイントです。

「雑誌に載っていて良さげだった」が雑誌という他が主体の状態ですので、ここから如何に自分側にシフトしていくか。

実際に山に登ってみて、空気感、自然との触れ合い、運動による筋トレ、健康促進、有酸素運動による脳活、反復運動による自己内観…。人それぞれにあるさまざまな利益を自ら見つけると飽きません。

見つけるためには必ず経験する行動を要します。

 

飽きない方法②:注意点の理解

上述の①にて自分にしかわからない利益を見つけた時、注意点が発生しますので、こちらを理解しておきましょう。

見つけた時には自己内部で自然と認める形になり、その時に起きるのが評価です。

他から影響を受けて取り組む物事の場合、他を評価する無意識な認識が生まれます。上記で言うと、「雑誌の内容は正しかったかどうか」などと評価します。

[利益を自ら認める=他を評価する]という心理になり、評価した時に認めたか否かが自分の中で完結してしまいます。

完結するとその後に認めることがなくなります。

一度の山登りで満足して終わったり、二回目の時に、「今回の山登りはどこが自分のためになっているのかな?」という目線がなくなり、飽きます。

例えば、誰かを好きになった時、初めは自分の利益になったかどうかで相手を評価します。

利益になった場合は興味が湧き、より好きになりますが、ここで他から自分主体にシフトしないと、他から利益をもらい続け、さらにそれが利益だと認め続けられなければ飽きてしまう条件が付帯されます。

他の評価ではなく、あくまで自らが体験してどう感じ、どう考え、どう想うかが能動性であるため、「自分がやりたいからやる、したいと思うからする、自分のためだと思うからする」と、他ではなく自分を主体にした認識にシフトする大切さがあります。

恋愛の場合には、相手の喜びが自分の喜びという具合に、利益認識を融合させる大切さもあります。

 

飽きない方法③:能動的エンターテインメント重視

三つ目の方法は、能動的に行動できる楽しいものに取り組むことです。

何か他を評価・判断する概念は完全撤廃します。ポイッと放り投げてしまいましょう。

Youtubeを視聴する趣味を例にすると、作品によって受動的か能動的かが極端に違います。

能動的エンターテインメントを提供してくださる人は、作品を一方的に提供しません。

考えさせられる内容、考える機会を与えてくれる、自らの性格や人間性を持って向き合えるなど、「観る個々人」を消さない、消えない内容です。

能動的エンターテインメントを自ら作る典型例が、一人旅です。

一人旅は受動的だとできないため(複数はできる)、自然と能動的になり、さらに自らのための行動であるため、旅をしてさまざまな場所を移り行きながら、自分にしかわからない利益を見つけられます。

常に行動し続けるので利益を見つけやすく、飽きない状態が自然と継続されます。

 

飽きない方法④:天敵、当たり前をなくす

最後の方法は精神的な考え方です。

自分のためになっていると認めて飽きない能動性を作っても、能動的でなくなったり受動的になると、再度飽きてしまいます。

天敵が私達にはいるので、気づけば能動性が消えていたりします。

天敵は、「当たり前」という認識です。

別名、怠惰欲への従順、ホメオスタシス(生態恒常性)です。

当たり前は意志を消し、意思を固定化し、向上心を抑え、成長を停止し、思い込みと決め付けを強め、行動以上に思考の言い訳を過剰化させます。

天敵は気づけば隣にいます。

毎日生きられるのを当たり前だと思ってしまうものです。食べられる、社会がある、人と関われる、仕事がある、家族がいる、健康であるのは当たり前になっていきます。

実際には当たり前のものなど一つもありません。

当たり前をなくすと、一つ一つの物事を自らの目で捉え、五感で感じ、思考で考え、心で想う、自分の認識が構築され、現実認知力が高まって感謝を抱く動機も生み出します。

社会には当たり前を増やす道具やルールが多いですが、少しでも当たり前をなくす考え方をしたり、不便をあえて増やしたり、環境を変える工夫をすると、飽きない根本の在り方を作る育みになります。

当たり前がなくなると、飽きる時は自らの喜びを作れていないからだとわかります。

飽きない時は自らの喜びを作るために、能動的に行動し続けているとわかります。

同じ仕事など一つの事柄だけの取り組みでも、視点や関わり方、考え方や価値観、観念に認識を変えたりと、常に能動的にできます。

当たり前がなくなる時、誰しもに備わるアイデンティティを基にした能力が表れます。

これを創造性と言います。

※話が頭に入らずに飽きる場合は、【脳内洞察内容】人の話が頭に入らない原因と改善策。をご覧ください。

 

飽きない方法 まとめ

能動的なさまには執着のなさがあり、創造性があり、意志があります。

全ての共通点が、「私のことは私が喜ばせる」という主体認知です。

自分のことを自分で知り、捉え、理解すると、飽きるか飽きないかは完全に自分次第で変えられます。

飽きる場合には飽きなくする意味はありませんので、どこまでも飽きてやりましょう。

飽きたくない場合には飽きないようにして、目の前の物事から喜びを作り、興味を抱き続けましょう。

自ら考え、喜びを作り、工夫し、向き合い、見つめ直し、変化を作れる楽しみ。能動性エンターテインメントを趣味にしたりと、普段の生活に取り入れてみてください。

気軽なことにも応用できます。

例えば、私の場合はコーヒータイム。夕方16:00頃は夕日を見て、鳥のチュンチュンを聞きながら、ボケーっと楽しみます。

コーヒーと向き合い、香りを感じ、味を噛みしめ、口から喉へ、そして肺へ通す空気循環の結果、私にとっての利益を認めます。

「はぁ~、美味喫飲~」

毎日飽きもせず堪能する時に、「当たり前」はありません。今日には今日の、きっと明日には明日の時間があるのでしょう。

ぜひ、自分にしかわからない利益を見つけ、認め続け、喜びを味わい続ける行動をされてください。

そのための一助となれば幸いです。

それでは、飽きない方法のお話を終了します。

最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。

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