やる気モリモリで突っ走り、夫婦喧嘩中のマンモスに潰された、パオーン。
防衛能力に長けた悲観。
良い悪いは人それぞれですが、悲観的に物事を捉えすぎて不安を作り、恐怖を抱いて辛く苦しくなると、悲観的な性格は直したいものです。
かといって、何も考えずに能天気になると、マンモスが…。
そんな時は、「悲観をやめて楽観へ進化する」というスピリチュアルな理解があります。
一体何がスピリチュアルなのかわかりにくいですが、楽観とは悲観がなければ学べない精神成長、幸せになる能力の育みだったりします。
ここでは、楽観的になるための心理と精神面から捉えた方法を見ていかれてください。
- 悲観をやめる心理とは?
- 楽観的になるための精神とは?
- 楽観的になる際の注意点とは?
これらを紐解き、「楽観的になるには悲観的が大前提になるんだ」と知っていただく内容となっております。
若干の哲学思想となる怪しい内容ですが、「こういう考えもあるんだな」と一つの考え方としてお役立ちできれば幸いです。
Contents
悲観をやめる心理

悲観チェック
初めに質問です。
スマホを落としてしまいました。
「スクリーンの右上隅にヒビが入った、機能は使える」
どう思いますか?
突然の出来事の反応は、人の悲観・楽観が顕著に表れます。
「これは嫌だ、見た目が悪い、恥ずかしい、交換しないと、交換費用が…」と周囲からの見られ方や損害認知など、自分の外側からの影響による不利益に着目する人は、悲観的な人です。
「まだ使える、隅っこだけで小さく済んだ、壊れなくて良かった、ラッキー」と自らにもたらされる利益認知など、自分の内側の安心や喜びの利益に着目する人は、楽観的な人です。
「あ、落ちた、まだ使える、ふんふふーん」と特に気に留めず、気づけばスクリーンバッキバキの人は、能天気で楽天的な人です。
悲観的な性格を直す時はポジティブではなく楽観
悲観は物事の不利益(自分の損害)に着目する癖があり、認識の仕方に特徴があります。
嫌だ、拒否したい、不安、怖い、危険、危惧にフォーカスし、自己防衛や損害回避に心身機能の重きを置きます。
不利益をなくすための事前対処、防衛意識、防御機能、問題回避や危険察知能力が高まります。
一方で、外側から自分に向かう内側認識が強まり、自分から外側に向かう認識がなくなり、思い込みや決め付けが増え、無自覚な一方通行が増え、自分なりの見方でしか理解できなくなり、周りが気になって不安と恐怖を感じやすくなります。
疲れやすく、ストレスを感じやすく、エネルギー漏れが起き、内にこもることで行動量が減り、活力が衰退し、動機や目的が見出しにくくなり、頭が膨らみ意志がなくなり、受動的で消費的になります。
辛さと苦しみが増えてしまうので、「そんな時はポジティブに!」と思えますが、おすすめは楽観です。
※悲観的になる心理は、【ネガティブ思考を活かす】悪い方に考える癖と心理と直し方 をどうぞ。
楽観的とポジティブの違い
楽観的になることを目的とした内容です。
少し交錯する懸念として、「ポジティブになる」との違いがあります。
- ポジティブ(Positive)
- 楽観的(Optimistic)
英語表記では明確に両者の違いがわかります。
ポジティブは肯定や積極性を意味しますが、楽観的はこちらです。
物事の成り行きをよい方に考えて心配しないさま。先行きを明るく考えてくよくよしないさま。
※コトバンク 引用
楽観的は未来に対するプラス思考であるため、まだ起きていないことは肯定できません。
積極性とは違い、心配しない、悲観的に陥らない、ネガティブにならないことに重きを置いた前向きさとなります。
ポジティブに果敢に前を見てダッシュするのではなく、ネガティブを把握して行き過ぎず、下がり過ぎずのバランスを取りながら、プラスに持っていく状態。
どちらも大切なものですが、悲観的な性格を直す目的の場合、ポジティブになることは危険思想になり、マンモスにパオーンされる危険性があります。
後ろを見ていたのに突然前を向いて走り出す猪突猛進、自分の見失いにも、自らの思考と行動の無自覚にもなり、ポジティブ過剰による思い込み、能天気、随分先を見て手前が見えなくなり、周囲の迷惑にもなります。
自分一人のみにフォーカスして突き進みまくる状況では大切ですが、悲観前提ではポジティブではなく楽観が重要です。
※何も考えない楽観については、【考えないに潜む適当さ】何も考えない方がうまくいく仕組みと秘密 をどうぞ。
悲観をやめるための楽観
楽観的に考え、生きる重要性は、アドラー心理学のアルフレッド・アドラーが唱えています。
楽観的であれ。
過去を悔やむのではなく、
未来を不安視するのでもなく、
今現在の「ここ」だけを見るのだ。
by アルフレッド・アドラー
「楽観とは意志である」とも唱えるアドラー心理学。
ネガティブになる、ポジティブになるとは違い、楽観的になるには意志が必要であり、意志とは勇気を意味します。
楽観の一般的な捉え方は良い悪いが極端であり、能天気との思い違いもあるため、何も考えないふにゃふにゃな印象があるかもしれません。
チャリンチャリン、シーン。
「あれ、150円入れたのに、この自販機動かねぇ」
「あ、一枚江戸時代のお金だったかも、まいっか、ははーん」
ではありません。
勇気を育む先に楽観的があり、今ここに集中した生き方になります。
楽観的になることは悲観的をなくすのではなく、悲観的だからこそ進める道です。
この理由は、勇気とは悲観なくして育めないからです。
悲観をないがしろにせず、悲観的だらこそ育める勇気によって、楽観的になれる。
この考えに、スピリチュアルな理解が潜みます。
楽観的になるスピリチュアルな考え方

楽観的のスピリチュアルな理解
スピリチュアル(精神)を基にすると、楽観とは悲観の上に成る精神スタイルの一つです。
私達人間の精神を陰陽思想で考えると、悲観であるネガティブ(陰)が精神の土台です。
最も重要なものと言っても過言ではありません。
陰が精神の肝となるため、陰を育まないと陽はブレてしまいます。
典型例が能天気、ポジティブ至上主義、現実逃避、虚言癖によるプラス思考です。
本来のポジティブとは別物を疑似的に見出し、自己利益のために利用する損得勘定、資本主義思想による功利観念に飲み込まれた他律の結果、受動的な従い模様と言えるかもしれません。
真に楽観的になるには悲観的である前提を要するのが、スピリチュアルな理解です。
土台があるからこそ楽観的は能天気とは違い、ポジティブ至上主義や現実逃避や虚言癖などの誤魔化しになりません。
悲観的な性格を如何に楽観的に繋げるかが、楽観的になる方法です。
楽観的になるための材料:勇気
悲観的な考えや性格が重要になる最大の理由が、勇気によって楽観的になれるためです。
勇気はポジティブな力によって見出す意志や強い気持ちでもありますが、大前提となるのがネガティブな状態です。
なにかしら悲観や否定にて拒否したい気持ちがあり、その上でそれらの気持ちを乗り越えた時、勇気が誕生します。
例えば、好きな人に告白する時。
「私なんか好かれていない、断られるんじゃないか…」と思ってしまいます。
人間の精神基盤は陰である考え方では、ほとんどのことに不安や恐怖を抱くのが自然であり、一日を生き抜くことすら本来は不安でいっぱいです。
何もない所にポンッと生まれてからこのかた、全てが怖ろしく不安であり、一つずつ克服して勇気を持つことで、自らを喜ばす意志と覚悟を育み、人生を自ら歩む力を付けていきます。
悲観を克服していくことに勇気の育みがありますので、克服しなければ悲観で留まります。
悲観には防衛力の育みがあるので、自己防衛に徹底する場合には留まりも大切です。
悲観的な性格を直し、楽観的になる場合、留まらずに進むことになります。
頑張りや努力によって告白することで、結果はどうあれ悲観の克服に繋がり、また一つ勇気が追加されます。
大小さまざまな勇気の積み重ねが、成長しながら悲観から楽観へシフトします。
※ポジティブになる方法は、【仕組みは簡単】ポジティブになる方法はポジティブにならないこと をどうぞ。
楽観的になる方法:①ゲーム化
勇気がキーワードとなる楽観。
悲観を克服することは、不安や恐怖を克服することです。
誰しも嫌なことがあり、どうすればいいかわからなくなり、怖くて立ち向かえない物事があります。
無理矢理に不安や恐怖を克服するために、「よし、ひとりでアマゾンに行って、自力でいかだ作って、川の上で生活して成長するぞ!」は困難です。
方法はシンプルに行動あるのみですが、楽観的になる場合は強引に克服する修行スタイルではなく、目的を持ってできることから克服していくのが大切です。
そこでおすすめしたいのが、克服をゲーム化することです。
「これができたらレベル1up」という具合に捉えます。
勇気の育みは、今までやらなかったこと、できなかったこと、挑戦してこなかったこと、逃げてきたこと、未知のこと、あらゆる動き出しと働きによって決まります。
何かしら目的持って克服できると、物事は少しずつ確実に変化していきますので、「レベルup」を目的にして、できることから一つずつ悲観を克服すると、楽観に成長していきます。
楽観的になる方法:②客観視
「私はこれができない、これに悲観的になる、これを否定する、これに逃げる」
ネガティブになる傾向を知ることで、勇気を育むためのゲーム化、何に対して克服へ向かいレベルアップを目指すか、整理して行動しやすくなります。
方法は客観視です。
内側からではなく、外側から自らを捉える認識によって、楽観的になるための行動へ向かう助力になります。
楽観的になる方法③:悲観に反論
自らに反論する方法です。
悲観的になった時、「どうして悲観的に捉えたの?こうも捉えられるよね?事実はこうじゃないの?」と反論します。
例えば、「なんだか道行く人にチラチラ見られるな、顔に落書きでも書いてあるのかも、首に生えたちっちゃい羽がバレてる?あぁどうしよう」
「全員に見られてないから顔の落書きではないよね、落書きだと思う理由より、落書きだと思わない理由の方が多くない?」
「本当にこっちを見られてたのかな?羽はちゃんと隠れてるし、思い違いじゃないの?」
「こっちがキョロキョロしてたから、目立ったのかも」
「もはやオーラが出過ぎてたんじゃ」
悲観に悲観するのではなく、反論すると思い込みや決め付けに気づき、自らを傍から捉える目線が追加されます。
マイナスにマイナスを加えてプラスにする仕組み。
客観視する方法にもなるので一石二鳥です。
注意点:楽観的になろうとしない
悲観するからこそ楽観的になるための材料となり、行動次第で成長できる。
重要なのは楽観的になろうとするのではなく、悲観を克服する先に楽観が待っていることです。
「はい、考え方変えてチョチョイのチョイ」というものではなく、たくさんの辛さや苦労、嫌な経験と記憶があるからこそ、育める勇気も膨大になります。
しかし、楽観的になろうとすると、悲観を克服せずに利益だけ得ようとする可能性があり、誤魔化しや逃避にて楽観風になります。
讃岐うどん風のように自覚していれば大切な自己満足術ですが、思い込んで楽観だと貫く場合、自らの悲観と向き合わず、逃避と虚言を積み重ねて自分を見失ってしまう危険性があります。
私達の思考は巧みに自らを騙すことができます。
事実を自覚しないように偽れるのがエゴであり、脳内に暗黙の了解をセットして張り巡らせると、事実と向き合わないことが簡単にできます。
気づかぬ内に自己喪失や虚無感に繋がることに危険性がありますので、明確に注意点とします。
悲観的になれた有難きこと
私達人間は精神を基盤に生きる知的生命体です。
精神の土台となるのが陰のネガティブ、悲観や拒否。
悲観をじっくり洞察するとわかるのは、自分一人ではできないことです。
必ず[自分+他]の関わり、他からの影響に反発するから悲観でき、反発する機会を与えているのは全て他の人や物や事です。
母親(父親)が肯定ばかりしてくれたとしても、父親(母親)が否定してくれるから勇気を育む材料になります。
材料がなければ何もできません。真に人に恩恵をもたらしているのは、意外な人だったりします。
生きていると不安と恐怖だらけ。これは自然なことです。
生まれた瞬間から、「呼吸できない!」とどん底に落とされます。
これまでどおり生存できない恐怖を感じ、経験を増やし、さまざまなことを日々克服しながら、同時に勇気を育み、一つずつできることに向き合っているのが私達です。
動物とは違い、知的生命体であるからこそ成長できます。
物事は一歩一歩、進むか進まないかは本人次第。
楽観的な人はみな悲観的です。
せっかくの悲観を大いに使いましょう。
※ネガティブの大切さは、【ネガティブな感情を受け入れる方法】とてつもなく大切な陰との対話 をどうぞ。
楽観的になるための心理、スピリチュアル まとめ
テキトーなイメージもある楽観。
実際には精神の育みによって作られる、勇気の結晶です。
楽観が手に入ると、悲観とのバランスを保ちながら前向きなプラス思考になれます。
常に楽観的な訳ではなく、時と場合によって調整できるさま。これがまさに楽観的な状態です。
楽観による考え方、生き方、認識は、悲観とは一変し、フォーカスが「幸福」になります。
あえて幸せを狙うのではなく、自然と幸せがもたらされる喜びと楽しみに溢れた認識となり、ポジティブな肯定や積極性が自然と追加されていきます。
骨身がネガティブ、肉付きがポジティブになり、人間の精神の真骨頂を物語ります。
私達の基盤は陰。陰を克服するからこそ自らの生き方を見出し、人生を創造するための目的と動機を見出し、陽を振りかけていきます。
陽の振りかけ度に遊び模様があり、思い込みでも決め付けでも疑似でもない、現実が存在します。
それが死へ向かう人生というリアル。
これを自然と言い、地球に適応して他者と調和を図りながら、自他を敬い生きる人生が進みます。
悲観から楽観へ成長すると、人生は残る時空を大切に使う自由。そこに、「今ここ」の生き方がある。
そんな考え方がご参考になれば幸いです。
それでは、悲観をやめたい時の楽観的になるお話を終了します。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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