対処・解消法

我慢しすぎて辛い時は早めに対処│とんでもないのが出て来る前が肝心

我慢とは自己犠牲のようにも思えますが、実際には数多くの利点があり、はまってしまう可能性が潜みます。

すると、潜在的に根付いた癖となり、「どうにもこうにも我慢してしまう」なんてことが…。

我慢が癖になると負のループから抜け出せず、辛い。

私はこの状態を味わい続けて生きていました。周囲にも同じような癖を持った人々が多く、行きすぎるととんでもない生き物に変身することを知りました。

ここではそんな経験と理解から知った、我慢しすぎて辛い状態の時に知りたいお話をお伝えします。

我慢してしまう心理、特徴、改善方法をぜひご覧ください。

とんでもない生き物が出て来る前に我慢する行為の核を知ることで、努力と目的如何で改善ができますので、一緒に見ていきましょう。

我慢しすぎて辛い

我慢してしまう心理

我慢とはとても美しい姿。

片や、「今の時代にはそぐわない」という意見もあり、「我慢とは日本の済美、美徳を重んじる自己満足の珠玉なり」と言うとか言わないとか。

私自身、我慢し続ける生き方をしてきたので実感していますが、我慢するからには必ず理由があり、そこには満足や納得の利益追求があります。

最たるものが、自己防衛にて身を護れる利益です。

我慢してしまう心理には、自らを護る盾装備にて利益追求する在り方や生き方、そして価値観があります。

「盾によって得る利益」

ここには、明確にある一つの狙いがあります。

「苦痛(恐怖や危険)を嫌がり避けること」

我慢してしまう心理には、ネガティブスタートの価値観が根付いていると考えられます。

これはゼロでもプラスでもない始まりを表し、人や物事と関わる時には既に自らへの価値や評価を得る必要性を認識します。

そのため、関わりは求めることから始まりがち。

求める内容は、自己評価、価値、存在意義、肯定といった、他からの見られ方を気にすることでの不安と恐怖を埋める材料です。

我慢しすぎると、まるで自己犠牲かのような認識になるかもしれません。しかし、実際には自らの利益があるからこそ我慢に励む姿があったりします。

 

我慢しすぎる人の特徴

我慢しすぎてしまう状態は、いわばアウトオブコントロールです。

この仕事やっといて、
「え、私は既に後輩の仕事を受け持っていて…はい(わかったよ、我慢するよ)」

私は洋食がいいな、
「え、次は私が決めて良いって言ってたのに…うんOK(仕方がない、我慢しよう)」

あなたお姉さんでしょ、弟に譲りなさい、
「は、早く生まれたからね…そうだね(そういうもんなんだ、我慢我慢)」

我慢しないと何言われるかわからないよ、否定されるかも、傷つくかもよ、
「あ、そうだった、我慢するよ(事は平穏に治まるからね)」

我慢する在り方には過去の歴史があり、価値観や観念として設定したルールに従順な様があり、とても素直な性格が表れます。

しかし、我慢から見出される素直さを他者から評価されることで、素直さに価値を見出し、肯定材料となり、自己評価を高めるアイテム解釈が起き得ます。

その結果、さまざまな特徴が表れるようになります。

一覧にまとめたものをご覧ください。

我慢しすぎる人の特徴
  1. 素直
  2. 責任感が強い
  3. 計算高い(思考発達過多)
  4. 自らを誤魔化す(真意を隠して認めない)
  5. 他の目や反応や評価を重要視
  6. 苦痛から逃れる癖がある
  7. 意志を押し殺し、自分を悪意なく消そうとする
  8. 感情把握が苦手になり、わからない
  9. 自己表現が苦手
  10. 観察が多く、鳥のようなチェック癖
  11. 自立しているのに自立がなくなる
  12. 着ぐるみ状態

我慢することは抗体を作るように自らを強くし、社会的や生活的自立を高め、さらに精神性を高め、自己成長を促す糧になります。

我慢せずにオナラブーブーしていたら、腸内がグロい時の一発は爆弾テロとなり、悪意なく、無意識に他者を攻撃して迷惑をかけることすら起きます。

そのため、我慢とは大切なもので、社会規範に則り全体を把握する視野も養うことができます。

しかし、何事もバランスや適宜があるため、我慢しすぎることで許容オーバー、本来の自分から逸脱した在り方が作られてしまいます。

すると、感情把握も自己表現も苦手になり、自分を忘れるように好きなことや楽しいことがわからなくなったり、思考が多くなり常に考え事をして、周囲をチェックするように観察することも起きます。

これ、ファスナーのでっかい着ぐるみ状態です。

着ぐるみのかわいいのが電車に乗って、通勤し、会社で仕事し、他者と関わり、居酒屋で酒を飲み、スーパーで買い物し、料理し、掃除し、他者の世話をして、シャワーすら浴びます。

何が言いたいか、

きつい、熱い、動きにくい、見にくい、食べにくい、考えにくい、感じにくい、もうベチャベチャ!

「着たまんまシャワーなんか浴びるんじゃないよ!」と過去の自分に言ってやりたい。

ちょっと意味わかりませんが、我慢しすぎる人は本来の自分の能力や才能、感情把握に自己表現、行動に働き、体感感受に自己認識、あらゆることがしにくく、力発揮できない状態にいます。

そのため、特徴は全て本来の状態とはかけ離れ、ジレンマや矛盾を感じながら生活するという、強制ギブス養成コースを意志も目的もなく受ける、そんな大変な状態です。

いわば、必要以上に頑張ってしまう。

すると余裕がなくなり、許容を既に超えていたり、ストレスを防ぐ抵抗ができなくて溜まりやすくなり、自分を見失う可能性もあります。

 

我慢しすぎると辛い理由

我慢できる人を洞察するとわかるのは、元々精神の基盤が構築されており、自立があることです。

我慢しすぎる癖は生まれてからこれまでの経験と記憶にて作られるため、幼少期や生育過程では大変なことが多くなりますが、過去の生活環境や家族など人との関わりがあるおかけで、小さな頃から精神基盤がガッシリするという恩恵になっていたりします。

そこでジレンマものなのが、自立があるので他者と比べても軸や核がはっきりしているにもかかわらず、それができない状態。

着ぐるみです。

邪魔なんです、マジで。かわいい熊みたいな顔した黄色の着ぐるみなのに、顔をはたきまくりたくなるほど邪魔なプー。

何より辛いのは、着ぐるみを着ている自覚がない、いわゆる辛い理由が見えにくいこと。

我慢しすぎる人は我慢できちゃうので我慢します。

そのため、許容を超えていても着ぐるみという抵抗に気づかず、さらに頑張ろうとする人さえいます。

この状態、自ら辛い状況を課しているのですが、それを克服しようと頑張り、素直さからもっと我慢し、辛さを無自覚の内に塗り重ねることが起こり得ます。

我慢が根付くことで、我慢すると褒められ、自らの価値を見出し、正当化を図るに足りる肯定も他から受けてきたため、我慢に対する負の印象がなかったりします。

あるのは我慢によって起きる状態や結果に対する負の印象でして、我慢という行為をアイテム使用することが起きます。

 

我慢しすぎると辛い要点

我慢しすぎると辛い理由はいくつかありますが、その中でも少しやっかいなことがあります。

ハイエナの寄り付きです。

ハイエナとはサバンナ辺りの動物、捕食搾取系。ハイエナは自然の摂理に則った素敵な生物の一つですが、この人間版は少し話しが変わります。

少し口をトゲトゲすると、“我欲の解消を目論む輩”、別名、汚ねぇヨダレを垂らしたおしりかじり。

我慢する人は我慢のアイテム化にて、我慢をやめられなくなります。そのことを知っているハイエナ系はチャンスを逃しません。

我慢させることで自らの王位を得るように満足し、権利や権威を得るように関わり、優越感を感じ、まるで誇らしい存在かのように振舞うプレイが起きます。

あえて困った顔をして、「君は仕方がないね、こんなこともできないなんて」とほざく。

あえて悲しい素振りをして、「あなたなら優しいと思ってお願いしたのに、別の人に頼めば良かった」とのたうち回る。

あえて怒った顔をして、「使えないね、これじゃあ関わる意味がないな」と人の心の傷や出血を舐めるようにアドバンテージを取る。

我慢しすぎる心理や人間性を利用されることが起き、人からコントロールされると人間関係に辛さの味わいが増えます。

この時、人によって生きる道が分かれます。

  • 一つは、我慢を正当化して貫き、自己防衛として他者を蔑み、粗探し
  • 一つは、自己否定を強め、我慢を強いられているから仕方ないと思い込む

共に辛さを増やしてしまいます。

 

我慢を正当化すると余計に辛くなる

自己否定を恐れる心理によって、我慢の正当化を強めて思考過多になる可能性があります。

我慢を良きものと捉えることで、我慢できない人を蔑むように見たり、他者を評価・判断して粗探しするように悪いところを探します。

元々の人間性から悪意はないのですが、自己防衛の姿勢が他を敵にします。

我慢する人は元々攻撃性がない(または少ない)ため、悪意なく他を敵にする自己防衛は、着ぐるみを着重ねる行為となり、余計に辛くなります。

さらに、他者に我慢を押し付けたり、「我慢することが当たり前だ」とルールの正義主義が起こり得て、本来の自分との距離が遠のきます。

 

自己否定を強めると軸がなくなり、自己憐憫や喪失にて辛くなる

我慢している自分を蔑むように自己否定し、「我慢させられている」と認識することも自己防衛の一つです。

この方法は自らを偽り、他者を悪にするため、思い込みの空想世界を広げて、自分の世界に入り込み、利益として価値があるか否かを判断し、色眼鏡で人と関わる可能性があります。

本来の在り方とは離れていくため、自己喪失、感情がわからない、自己表現が苦手になる特徴です。

中には、自己憐憫として自らを悲劇のヒロインにする人もおり、人それぞれに自分を見出す対処をしますが、違和感が常にまとわりつく感覚があり、偽りが加速して辛くなります。

※我慢しすぎると嫌われる話は、気を使う人は嫌われて疲れること必須?│改善は気の使い方説明書で をご覧ください。

気を使う人は嫌われて疲れること必須?│改善は気の使い方説明書で「元気なさそうだからこれ買っといたよ、蛇の瓶漬け」 「それじゃあ順番に鍋をよそっていくからね、あ、グラス空いてるよ」 「あは...

 

我慢しすぎて辛い時の対処法

これまでの内容を踏まえて、辛い時の対処法を見ていきましょう。

我慢しすぎる時に最も大切な対処ポイント

最も大切なことは、着ぐるみ状態である自覚です。

そのため、読み難い内容が多かったと思いますが、私の知っていることを洗いざらいお伝えした次第です。

といっても、上述の内容で重要なのは、『心当たりがあるか否か』です。

心当たりがなければただの戯言ですので無視、読む必要もありません。

何かカツンカツンと心を叩く内容があれば、それが着ぐるみの基となる心理であり在り方、または価値観や自分ルールへの気づきですので、自覚が対処の最重要です。

その上で、大切な方法がいくつかあるので順番にご覧ください。

 

我慢しすぎの対処法①:ネガティブな感情把握

対処法の一つ目は、感情把握です。

特に重要なのは、“ネガティブサイドの感情を無視しないこと”

怒り、悲しみ、憤り、イライラ、不納得、愁い…。あらゆる負の感情を抱いているのであれば吐き出します。

我慢する人は我慢が癖になります。そこには、自らの抑制と同時に自他を信用しない認識があったりします。

ポイントは他者を信用していないだけでなく、自らも信用していないことです。

すると、「ネガティブな感情は良くない」「感情コントロールできないなんて未熟だ」と気付かぬ内に自己否定してしまいます。

さらに思考過多になることで、さまざまな知識や情報を他から集め、「負は悪」「陰は罪」「ネガティブはよくない」「運気を悪くする」「変な人を引き寄せる」などと決めてしまう可能性があります。

特に、「ネガティブな感情は良くない」と思う人は多く、それによって自らを抑制して縛り、支配を強めて否定し、悪循環に陥る可能性を強めてしまいます。

私の経験から断言しますが、ネガティブな感情は吐き出した方が自分のためになります。

ここで注意点があります。

ネガティブな感情に何も悪いことはありませんが、他者に干渉せずにあくまで自分の感情にフォーカスする必要があります。

他者を紐づけて、「今私が怒っているのはあいつのせいだ」となる場合、全く話が変わります。

この状態、否定や批判、呪いや恨み、妬みや嫉み、感情とは少し違う思念、黒魔術の話?そうです。

感情の吐き出しはそのまま感情。いわゆる感情を生み出し、保持し、認識する“自分”にのみフォーカスします。

感情を把握することに意味があるため、隠さない、誤魔化さない、他者のせいにしない、もうそのまま感情を出します。

 

我慢しすぎの対処法②:感情を認めて、手放す

感情を吐き出すにあたり、感情を認めることが大切です。

あるものはあるので、感情それぞれの存在を否定せず、認めることで感情把握となります。

認めると感情への執着がなくなり、「無理矢理我慢させられたあの憤りがなかなか納得できない」という状態が浄化されるように解消されます。

解消されなければどこかに執着があり、感情を認めていない、把握できていない=他者にフォーカスして自分を見ていない、着眼の先を自分にしていない(責任を他にしている)可能性があります。

認めることで感情への残り香や引っ掛かりがなくなり、後はそのままリリース、さようなら、もはやありがとう、手放します、バイバイ。

手放しはあるがままに、まるで忘れるように、「やった、怒りの感情認められた」と心地良さがあれば流れていきます。

感情は生きています。思念や想念にも変化し、エネルギーでもあるため、生み出しがあれば流れがあり、放出によって空気のように飛び立ち、昇華されていくイメージです。

感情の放出のプロは子供ですので、見習ってみてもいいかもしれません。

※感情がわからない時は、自分の感情がわからないのは契約に秘密│脳に居るもう一人の自分を知る をご覧ください。

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我慢しすぎの対処法③:一人の時間を必ず作る

対処するには一人の時間が大事になります。

誰にも邪魔されない時間・空間を確保。お風呂場でその日の蓄積した“我慢したくなかったこと”をベロベロッと出す。

「利用しやがって、顔むしり取ってやろうか」「自分だけ仕事減らすたこっぱち、ケツの穴が」「ボケなすめ、焼いて食べちゃうぞ」…。

聖飢魔の如くでも構いません、着眼が感情であれば。

ですが、一人の時間ができないとなかなかこういったことはできず、他者の目や反応が気になり余計に我慢してしまうので、解放ブースト的に完全な孤独を作り、思うように感情を吐き出します。

言葉にするのに抵抗があればノートに書き出します。

あくまで感情把握がポイントなので、ストレス発散とは違います。否定や批判として対象を他にするのではなく、あくまで己を主観にして他が出て来る。

極端に言うと、登場人物として出て来る他の顔はへのへのもへじ、誰でもいいという認識であるほど着眼は己の感情になっています。

 

我慢しすぎの対処法④:楽しいことや好きなことを見つける

我慢しすぎると感情だけでなく自己表現が苦手になる傾向があり、付随するように、楽しいことや好きなことがわからなくなります。

そのため、わからなくなったことを見つける作業が重要。

ここでする行為は、自ら探す=意見を持ち、目的を持ち、行動し、創作することです。

実は、我慢しすぎることには気付かぬ利益として、責任意識の義務感からの解放があります。

「我慢してくれれば責任持たなくてもいいよ」と言われているかの如く、自己主観で主体性を持って能動的に行動や思考する義務感がなくなります。

言い方を変えると、薬をもらっていれば自己治癒としての活動や運動、改善を図る努力や意志をなくしても許される、そんなイメージです。

楽しいことや好きなことを見つける際に最も大事な行為は、自ら創ることです。

考えて、思って、感じて、想って、知って、理解して、経験して、育んで。あらゆる行動が必ず伴います。

これは我慢のアイテム使用の自覚にも繋がり、できないとしてもその時の自分と対面し、自覚するか否かによる自己理解の育みともなり、どんな結果でも何かしら自分のために繋がります。

※楽しいことを探す詳細は、楽しいことがわからないのは見つける場所が違う│楽しいの意味が教える自分 をどうぞ。

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対処法ポイント

上述の対処の際に大切なポイントがあります。

我慢しすぎてしまうとは、極端に言うと我慢という行為に依存する表現です。

過去の環境や他者との関わりにて、我慢せざるを得なかった記憶や経験の蓄積によって、我慢するかしないかが分かれるので、我慢してしまう人は自然と我慢するものです。

そのため、我慢に依存しても何もおかしくはなく、いたって自然な状態です。

我慢する必要がない環境で育っていれば我慢などしないのが自然であり、その際には自立が伴わないので他者への執着や依存が多くなります。

どんな形でも執着や依存が作られる場合には、「自分をどれほど信じていますか?」という問いがあります。

元々自立があるのに見えなくなってしまうのが着ぐるみであり=自分を信じていないが故の自己防衛です。

信用がないのは、我慢せざるを得なかったこれまでの記憶の蓄積による、“自分を優先せず、他者を優先する”という価値観。いわば魔術、惑わしのエセ魔法。

我慢しても、他者優先でも何でもいいんです。

ですが主として、「私が我慢すると決めた」「私が他者優先すると決めた」と常に自らの意見と意志が大切です。

それを無視しない、誤魔化さないのが自分を信じること=自覚です。

いわば、いつでもおならブーブーは攻撃にもなる。ここならOKブー、ここならNGブー。便秘になるまで我慢するなら、そこに何かしら自分にとっての利益があるので、確実に自覚しましょうという話です。

すると、ハイエナは寄らなくなっていく特典付き。

※我慢によって他人優先する話は、他人より自分の利益を優先することに常識がある|全ては自分のため をご覧ください。

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我慢しすぎて辛い まとめ

我慢はとても大切なアイテムです。

アイテム使用している自覚が大切で、我慢を自己犠牲として嫌々する場合には、誤魔化し続けるという努力が伴っています。

それを続けて自覚を拒否し続けた人を私は見てきましたが、いつか変身します。

否定や批判を正当化した時、攻撃性と排他性をアイテム化し、他者の思想や意見、価値観に観念、行動に認識と、あらゆるその人の在り方を手玉に取ろうとします、己のために。

この状態になると対処や改善は悪となり、意志がなくなり、呪いや妬みを持ち、感情を思念として人に投げつけ、エネルギーを奪い、生気を吸い取り、このような内容を見ることもなくなり、見れば何かしら否定や批判できる点を探し出すようになります。

化け物です。

とんでもない生き物になる可能性は私達全員にありますが、常に大事なのは誤魔化さないことです。

突然我慢するのをやめるのは困難ですが、誤魔化すか誤魔化さないかは、自分と対面するか否かの選択。

感情を吐き出し、把握し、認めて手放します。

行動し、自ら創り、意見を持ち、思考し、感じ、想います。

楽しいことを見出し、好きなことを見出し、自己表現を取り戻すことで、一歩一歩着実に感情を吐き出し抑えと、バランスを取るようになります。

その時の姿はまさに本来の自分に近付いた状態。その合図として軽く心地良い感覚を感じることと思います。

何度も言ってしまいますが、我慢はとても大切な行為です。しかし、一歩間違えると誤魔化し、自らを喪失するように他に委ねた在り方が構築されます。

ですが、それは過去の自分の歴史から自然なことなので、自らを否定したり蔑む必要はなく、少しばかし自覚を足して自らを信じると、我慢のアイテム活用として自らのために、そして他者のために使用することができます。

「あの、会議中失礼いたします。おならを我慢してまいりましたが、これ以上の我慢は自らにとって不利益と判断いたしました。恐れながら、皆さまの賛否を確認させていただき、この場での解放式宣誓を執り行いたいと思いますがいかがでしょうか?」

「君ねぇ、その発言を我慢できなかったの?」

はぁ、我慢って奥深ーって、違うか。

確実に心当たりがあるかどうかを確認しておきましょう。とんでもない戯言かもしれませんので、その際は完全に無視。

そんな話、役立つことを祈ります。

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サラリーマンだった人間がおかしくなる、とある森での変人化計画とその全貌。

一人での森生活、襲ってきた熊は忘れていた大事なことを思い出させ、そこで見つけたものはムニュムニュしていました。

一風変わった哲学書であり、森を舞台にした一人の元サラリーマンが自分を探し出す物語。

自分を見失い、人生に疑問を抱き、違和感を感じる時こそ、本当の自分という名のふざけた自分を見つけ出す変貌ストーリーが始まります。

忘れている大事なことを思い出し、自分らしく人生を生きるための経験と知恵を詰めた内容です。何か興味を感じた方は、ぜひ始まりの合図を受け取ってください。

 

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