我慢には数多くの利点があり、はまってしまう可能性が潜みます。
「どうにもこうにも我慢してしまう」
我慢が癖になると負のループから抜け出せず、辛くなってしまい、とんでもない生き物に変身する可能性を秘めます。
ここでは、我慢しすぎて辛い時に知りたいお話をお伝えします。
- 我慢しすぎる心理と原因とは?
- 我慢しすぎると辛くなるのはなぜ?
- 我慢しすぎる時の対処法とは?
我慢してしまう心理と改善方法をご覧ください。
我慢することの核を知っていただき、改善にて対処する一助となれば幸いです。
Contents
我慢しすぎて辛い

我慢しすぎる心理
我慢するからには必ず理由があり、目的があります。
最たるものが、自己防衛にて身を護れるというものです。
我慢してしまう心理には、自らを護る在り方や生き方や価値観があり、目的があります。
目的は、「苦痛(恐怖や危険)を嫌がり避けること」
我慢しすぎると自己犠牲かのような思えるかもしれませんが、自らの利益があるからこそ我慢に励みます。
我慢しすぎる人の特徴一覧
我慢する在り方には過去の歴史があり、価値観や観念として設定したルールに従順な様があり、素直な性格が表れます。
特徴を一覧にまとめたものをご覧ください。
- 素直
- 責任感が強い
- 計算高い(思考発達過多)
- 自らを誤魔化す(真意を隠して認めない)
- 他の目や反応や評価を重要視
- 苦痛から逃れる癖がある
- 意志を押し殺し、自分を悪意なく消そうとする
- 感情把握が苦手になり、わからない
- 自己表現が苦手
- 観察が多いチェック癖
- 自立しているのに自立がなくなる
- 着ぐるみ状態
我慢することは抗体を作るように自らを強くし、社会的や生活的自立を高め、精神性を高め、自己成長を促す糧になります。
我慢とは大切なもので、社会規範に則り全体を把握する視野も養うことができます。
しかし、何事もバランスや適宜があるため、我慢しすぎることで許容オーバー。本来の自分から逸脱した在り方が作られてしまう可能性もあります。
感情把握も自己表現も苦手になり、自分を忘れるように好きなことや楽しいことがわからなくなったり、思考が多くなり常に考え事をして、周囲をチェックするように観察することも起きます。
我慢しすぎるのは着ぐるみ状態
我慢が癖になると、自らの目的を果たそうと無自覚に我慢するようになります。
我慢によって得られる目的には不安や恐怖の緩和と解消があり、他者からの嫌だと思う影響をなくし、危険や危惧や苦痛を我慢にて対処しようとします。
周囲の目や反応や影響にて、自らに不利益を起こさないように自らを抑制して我慢します。
これは、ファスナーのでっかい着ぐるみ状態と似ています。
着ぐるみのかわいいのが電車に乗って、通勤し、会社で仕事し、他者と関わり、居酒屋で酒を飲み、スーパーで買い物し、料理し、掃除し、他者の世話をして、シャワーを浴びます。
我慢しすぎる人は本来の自分の能力や才能、感情把握に自己表現、行動に働き、体感感受に自己認識、あらゆることがしにくく、力発揮できない状態になります。
特徴は全て本来の状態とはかけ離れ、ジレンマや矛盾を感じながら生活するという、強制ギブス養成コースを意思なく受ける、そんな大変な状態です。
着ぐるみという抵抗が常にのしかかるために必要以上に頑張らなければならず、余裕がなくなり、許容を超えやすくなり、ストレスが溜まりやすくなり、自分を見失う可能性もあります。
※我慢してしまう原因は、【我慢してしまう癖をやめる方法】いつの間にかうぬぼれている?!をどうぞ。
我慢しすぎると辛い理由
我慢できる人を洞察するとわかるのは、元々精神の基盤が構築されており、自立があることです。
我慢しすぎる癖は生まれてからこれまでの経験と記憶にて作られるため、幼少期や生育過程では大変なことが多くなりますが、過去の生活環境や家族など人との関わりがあるおかけで、小さな頃から精神基盤がガッシリするという恩恵になっていたりします。
ジレンマなのが、自立があるので他者と比べても軸や核がはっきりしているにもかかわらず、それができない状態。
着ぐるみです。
邪魔なんです。かわいい熊みたいな顔した黄色の着ぐるみなのに、顔をはたきまくりたくなるほど邪魔なプー。
何より辛いのは着ぐるみを着ている自覚がなく、辛い理由が見えにくく、自覚できる時は限界ギリギリになってしまいます。
精神が強過ぎるが故に我慢できてしまい、自らの肉体も思考も心も疲弊し、ストレスが蓄積していることに気づかなくなります。
許容を超えていても着ぐるみという抵抗に気づかず、さらに頑張ろうとする人さえいます。
我慢すると褒められ、自らの価値を見出し、正当化を図るに足りる肯定も他から受けられるため、我慢に対する負の印象がなくなる周囲の影響もあります。
我慢しすぎると辛い要点
我慢しすぎると辛い理由の中には少しやっかいなことがあります。
ハイエナの寄り付きです。
サバンナ辺りの動物、捕食搾取系。自然の摂理に則った生物の一つですが、人間版は少し話しが変わります。
少し口をトゲトゲすると、“我欲の解消を目論む輩”、別名、汚ねぇヨダレを垂らしたおしりかじり。
我慢する人は我慢できてしまうために、我慢によって得る不安や恐怖の緩和や解消の利益のために我慢をやめられなくなります。そのことを知っているハイエナ系はチャンスを逃しません。
我慢させることで自らの王位を得るように満足し、権利や権威を得るように関わり、優越感を感じ、まるで誇らしい存在かのように振舞うプレイが起きます。
あえて困った顔をして、「君は仕方がないね、こんなこともできないなんて」
あえて悲しい素振りをして、「あなたなら優しいと思ってお願いしたのに、別の人に頼めば良かった」
あえて怒った顔をして、「使えないね、これじゃあ関わる意味がないな」と人の心の傷や出血を舐めるようにアドバンテージを取る。
我慢しすぎる心理や人間性を利用されることが起き、人からコントロールされると人間関係に辛さの味わいが増えます。
この時、人によって生きる道が分かれます。
- 我慢を正当化して貫き、自己防衛として他者を蔑み、粗探し
- 自己否定を強め、我慢を強いられているから仕方ないと思い込む
共に辛さを増やしてしまいます。
我慢を正当化すると余計に辛くなる
否定を恐れる心理によって、我慢の正当化を強めて思考過多(周囲を気にして身を護る)。
我慢を良きものと捉えることで、我慢できない人を蔑むように見たり、他者を評価・判断して粗探しするように悪いところを探します。
元々の人間性から悪意はないのですが、自己防衛の姿勢が他を敵にします。
我慢する人は元々攻撃性がない(または少ない)ため、悪意なく他を敵にする自己防衛は、着ぐるみを着重ねる行為となり、余計に辛くなります。
他者に我慢を押し付けたり、「我慢することが当たり前だ」とルールの正義主義が起こり得て、本来の自分との距離が遠のきます。
「我慢ぐらいしろ」
「これぐらい我慢できないなんて弱い」
「我慢は美徳だ」
「我慢してこそ男だ」
なんてことを言い兼ねません。
自己否定を強めると軸がなくなり辛くなる
我慢している自分を蔑むように自己否定し、「我慢させられている」と認識することも自己防衛の一つです。
自らを偽り、他者を悪にするため、思い込みの空想世界を広げて、自分の世界に入り込み、利益として価値があるか否かを判断し、色眼鏡で人と関わる可能性があります。
本来の在り方とは離れていくため、自己喪失、感情がわからない、自己表現が苦手になる特徴です。
自己憐憫にて自らを悲劇のヒロインにする人もおり、人それぞれに自分を見出す対処をしますが、違和感が常にまとわりつく感覚があり、偽りが加速して辛くなります。
※我慢しすぎると嫌われる詳細は、気を使う人は嫌われて疲れること必須?│改善は気の使い方説明書で をご覧ください。
我慢しすぎる対処法
我慢しすぎる対処法①:ネガティブな感情把握
対処法は感情把握です。
特に、ネガティブな感情を無視しないことが大切です。
怒り、悲しみ、憤り、イライラ、不納得、愁い…。あらゆる負の感情は吐き出します。
我慢する人は我慢が癖になります。自らの抑制と同時に自他を信用しない認識があると考えられます。
ポイントは他者を信用していないだけでなく、自らも信用していないことです。
「ネガティブな感情は良くない」「感情コントロールできないなんて未熟だ」と気づかぬ内に自己否定してしまう可能性があります。
思考過多になることで知識や情報を他から集め、「負は悪」「陰は罪」「ネガティブはよくない」「運気を悪くする」「変な人を引き寄せる」などと決めてしまいます。
「ネガティブな感情は良くない」と思うことで自らを抑制して縛り、支配を強めて否定し、悪循環に陥る可能性を強めてしまいます。
私の経験から断言しますが、ネガティブな感情は吐き出した方が自分のためになります。
ここで注意点があります。
ネガティブな感情に何も悪いことはありませんが、他者に干渉せずにあくまで自分の感情にフォーカスする必要があります。
他者を紐づけて、「今私が怒っているのはあいつのせいだ」となる場合、全く話が変わります。
感情の吐き出しはそのまま感情。いわゆる感情を生み出し、保持し、認識する“自分”にのみフォーカスします。
感情を把握することに意味があるため、隠さない、誤魔化さない、他者のせいにせず、そのまま感情を出すことが対処法です。
我慢しすぎる対処法②:感情を認めて、手放す
感情を吐き出すにあたり、感情を認めることが大切です。
あるものはあるので感情を否定せず、認めて感情把握します。
認めると感情への執着がなくなり、「無理矢理我慢させられたあの憤りがなかなか納得できない」という状態が浄化されるように解消されます。
解消されなければどこかに執着があり、感情を認めていない、把握できていない=他者にフォーカスして自分を見ていない、着眼の先を自分にしていない(責任を他にしている)可能性があります。
認めることで感情への残り香や引っ掛かりがなくなり、後はそのままリリース、さようなら、ありがとう、手放します、バイバイ。
手放しはあるがままに、まるで忘れるように、「やった、怒りの感情認められた」と心地良さがあれば流れていきます。
感情は生きています。思念や想念にも変化し、エネルギーでもあるため、生み出しがあれば流れがあり、放出によって空気のように飛び立ち、昇華されていきます。
感情を認めて手放すプロは子供ですので、見習ってみてもいいかもしれません。
※感情がわからない時は、自分の感情がわからないのは契約に秘密│脳に居るもう一人の自分を知る をご覧ください。
我慢しすぎる対処法③:一人の時間を作る
対処には一人の時間が大事になります。
誰にも邪魔されない時間・空間を確保。お風呂場でその日の蓄積した“我慢したくなかったこと”をベロベロッと出します。
一人の時間ができないと他者の目や反応が気になり余計に我慢してしまうので、完全な孤独を作り、思うように感情を吐き出します。
言葉にするのに抵抗があればノートに書き出します。
あくまで感情把握がポイントですので、ストレス発散とは違います。
否定や批判として対象を他にするのではなく、あくまで己を主観にして他が出て来る。
極端に言うと、登場人物として出て来る他の顔はへのへのもへじ、誰でもいいという認識であるほど着眼は己の感情になっています。
我慢しすぎる対処法④:楽しいことや好きなことを見つける
我慢しすぎると感情だけでなく自己表現が苦手になる傾向があり、付随するように楽しいことや好きなことがわからなくなります。
わからなくなったことを見つける作業が重要です。
方法は自ら探すために、意見を持ち、目的を持ち、行動し、創作することです。
我慢しすぎることには気づかぬ利益として、責任意識の義務感からの解放があります。
「我慢してくれれば責任持たなくてもいいよ」と言われる如く、自己主観で主体性を持って能動的に行動や思考する義務感がなくなります。
楽しいことや好きなことを見つける際に最も大事なことは、自ら創る主体性と能動的な行動です。
考えて、思って、感じて、想って、知って、理解して、経験して、育んで。あらゆる行動を主体的にします。
※楽しいことを探す詳細は、楽しいことがわからないのは見つける場所が違う│楽しいの意味が教える自分 をどうぞ。
対処法ポイント
上述の対処には大切なポイントがあります。
我慢しすぎてしまうとは、我慢という行為に依存する状態を意味します。
過去の環境や他者との関わりにて、我慢せざるを得なかった記憶や経験の蓄積によって、我慢するかしないかが分かれるので、我慢してしまう人は自然と我慢します。
すると我慢に依存している自覚がなく、自然に我慢します。
我慢する必要がない環境で育っていれば我慢などしないのが自然であり、その際には自立が伴わないので他者への執着や依存が多くなります。
どんな形でも執着や依存が作られる場合には、「自分をどれほど信じていますか?」という問いがあります。
元々自立があるのに見えなくなってしまうのが着ぐるみであり=自分を信じていないが故の自己防衛です。
信用がないのは、我慢せざるを得なかったこれまでの記憶の蓄積による、“自分を優先せず、他者を優先する”という幻覚の価値観があります。
我慢しても、他者優先でも何でもいいんです。
「私が我慢すると決めた」「私が他者優先すると決めた」と常に自らの意見と意志が大切です。
※我慢のアイテム活用については、自分を追い込む癖は使い方次第で最高。我慢癖と頑張り過ぎのアイテム化 をご覧ください。
我慢しすぎて辛い対処 まとめ
我慢はとても大切なアイテムです。
アイテム使用している自覚が大切でして、自己犠牲として嫌々する場合には、誤魔化し続けるという努力が伴い、自分を信用できなくする行為になってしまいます。
これを続けて自覚を拒否し続けた人を私は見てきましたが、いつか変身します。
否定や批判を正当化した時、攻撃性と排他性をアイテム化し、他者の思想や意見、価値観に観念、行動に認識と、あらゆる人の在り方を手玉に取ろうとします、己のために。
対処や改善は悪となり、意志がなくなり、呪いや妬みを持ち、感情を思念として人に投げつけ、エネルギーを奪い、生気を吸い取り、このような内容を見ることもなくなり、見れば何かしら否定や批判できる点を探し出すようになります。
化け物です。
とんでもない生き物になる可能性は私達全員にありますが、常に大事なのは誤魔化さないことです。
突然我慢するのをやめるのは困難ですが、誤魔化すか誤魔化さないかは、自分と対面するか否かの選択です。
感情を吐き出し、把握し、認めて手放します。
行動し、自ら創り、意見を持ち、思考し、感じ、想います。
楽しいことを見出し、好きなことを見出し、自己表現を取り戻すことで、一歩一歩着実に感情を吐き出し抑えと、バランスを取ることができます。
一歩間違えると誤魔化し、自らを喪失するように他に委ねた在り方が構築されますが、それは過去の自分の歴史から自然なことですので、自らを否定したり蔑む必要はなく、自覚を足して自らを信じると我慢は自らのために、他者のために使用することができます。
それを忍耐と言います。
「あの、会議中失礼いたします。おならを我慢してまいりましたが、これ以上は自らにとって不利益と判断いたしました。恐れながら、皆さまの賛否を確認させていただき、この場での解放式宣誓を執り行いたいと思いますがいかがでしょうか?」
「君ねぇ、その発言を我慢できなかったの?」
はぁ、我慢って奥深ー。
精神性に繋がる大切な行為であり強さ。せっかく我慢するのであれば忍耐に変換しましょう。
我慢しすぎる時には心理や状態や原因を知っていただき、自らを気楽にさせる理解を深められてください。その一助となれば幸いです。
それでは、我慢しすぎて辛い詳細と対処のお話を終了します。
最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。
お手紙でこのサイトを応援する『お気持ちを大切にします』