ネガティブすぎて生きづらくなり、ポジティブすぎて迷惑になり。
はてさて、ジレンマです。
そこで考えたいのがこんな問い。
どうしてネガティブは苦しくなるの?
どうしてポジティブがいいと思うの?
真意を把握すると物事はとてもシンプルです。
ここでは、どうしてネガティブを解消したいかに着目して見出す、ポジティブになる方法をお伝えします。
- ネガティブが生きづらいのはなぜ?
- ポジティブの何がいいの?
- ポジティブになる簡単な方法と考え方とは?
これらを紐解き、「ネガティブな心理状態によって見える世界を変えてしまえばいいんだ」と知っていただく内容となっております。
私達の認識はメンタルによって見える範囲を制限している、と知られる現代科学。
「そこにちゃちゃを入れちゃう」
こんな考え方が一つのご参考になれば幸いです。
※この内容はネガティブを解消したい方がポジティブになる方法です
Contents
ポジティブになるための前知識

ポイント:ネガティブの重要性
初めにお伝えしたいことがあります。
ネガティブとは精神基盤になり、物事の陰側を司る人間の基本原理であることです。
なくてはならないものでありながら、ネガティブに大きく偏ると陰の反対側である陽との距離が遠のき、シーソーがズンッと片側落ちます。
左右平地が上下天地になる時、人間の精神は起伏が激しくなり、感情コントロール、自己理解、精神安定、メンタル保持が難しくなります。
真っ直ぐ立ったシーソーの天辺まで、ヨイショヨイショと登ったと思ったら、反対側にドンッと落ちる天地の位置関係。
双極性を生み出し、ネガティブだからこその生存戦略が表れます。
感情の起伏、悲しみと喜び、怒りと楽しみの差が激しく、自己保持が難しくなるために自己防衛が発動して、あまり不安と恐怖を感じないように対処する生存戦略が起きます。
子供の頃、普段はどこにも連れて行ってくれない両親と、やっと遊園地に行くことになった当日、「やっぱ行けない」と言われる時のように。
「やった!」と喜んで、「最悪だ…」と沈むことに精神は耐えられなくなり、「は、遊園地?興味ねぇし、危ねぇし」となるイメージです。
このことからわかるのは、恐怖心や拒否感など心の抵抗になるものから、心身を護る生存戦略のためにネガティブに偏ります。
必要だから悲観的、否定的、消極的になります。
人それぞれにさまざまな環境で生まれ育ちますので、周囲の影響や環境によって否応がなしにネガティブに浸からなければならないこともあります。
嫌なことが多く、自分の思うように生きられず、あらゆる否定をされ、攻撃され、排他され、人を信用できなくなれば、ネガティブに偏ることは自分を護るために重要です。
とても大切なものですが、同時に生きづらさになるのがネガティブ、陰と社会の関係性です。
ネガティブだと生きづらくなる理由
あまり好まれないネガティブは、偏れば偏るほど苦しく、辛くなりやすいです。
これはネガティブに偏る自らを認めないことが理由になると考えられます。
「世の中はダメだ、どうしようもない」と悲観的になる時、そんな自分を認めると生まれるのが、反社会性です。
反対に、「世の中はこれで正しいんだ、該当しないものは悪だ」と正当化する時、そんな自分を認めると生まれるのが、正義です。
ネガティブもポジティブも大いに認めることで、片や自分の中の恐怖心を増長させ、片や自分の中の正義心を増長させ、シーソーが大きく偏ることで歯止めがつかなくなり、悪の道か善の道と極端に分かれます。
そういう道を望まない場合、自分を認め難くなります。
社会的にはネガティブの印象は悪く、正義の方が人気です。
よりネガティブを認め難くなり、悪の道だと開き直ることもできず、自らを正当化することもできなくなります。
社会はネガティブを嫌がるため、自分を認められなければ認められないほど、よりネガティブになり認められないジレンマと悪循環を作り、生きづらくなります。
現実を捉えるネガティブは、周りがとにかく気になる
ネガティブとは悲観的や否定的な意味でも使われますが、本質的な意味はミクロです。
細部を深掘りするように探求、洞察、分析する凹であり、詳細を見抜く力です。
陰陽思想では、精神の根底となる基盤に当たるのが“陰”、土台です。
土台がないと、目の前のムカデを見ること自体ができず、「うわっ、ヤダッ」と自己愛を主張して終わってしまいます。
ネガティブは物事を物事として、現実を現実のままに捉える力の源。
起きていることをそのまま認識する力をもたらし、嫌なことはダイレクトに嫌な気持ちを味わい、心地悪いことはそのまま心地悪さを味わいます。
いわゆる、隠し事なしです。
嫌な経験が多い環境で隠し事なしは過酷なものであり、繰り返すと精神がもたないので自己防衛機能を発達させて陰に偏り、不安や恐怖に対して敏感になり、なるべく距離を取って関わらないために悲観的、否定的になります。
辛いことは多くなりますが、ネガティブ経験測による力の発達が自然と起き、現実認知力、認識力(周囲の把握)による知性発達、敏感性による感受発達が促されます。
ビジネスや物事の本質を理解する際に大いに役立ちます。が、一方でメンタルにある影響があります。
周囲が気になって仕方なくなります。
周囲の目、体裁、評価、「自分がどう思われているか、嫌われたくない、否定されたくない、怖い思いをしたくない」と不安と恐怖が増長される危惧を味わいます。
人間関係ではデメリットが多くなり、生きづらくなります。
ポジティブの何がいいの?
ある人はこのようにネガティブ思考です。
「この蟻は私より働き者、私は蟻以下だ。蟻を下に見る先入観、働かなければと社会に従うだけで自分の意見すらない、私って何もない…」
一人であれば誰も何も困らず、本人にとってはネガティブに浸かりたいから浸かる時間です。
しかし、生きづらさや辛さ、社会にフィットし難い不合致など、不利益になるものがあれば解消したいところです。
ネガティブの解消したい点は、人間関係においての不利益、社会性との不合致によるマイナスイメージ、それらから派生する不安と恐怖の増大が大きく関わると考えます。
「それでは、ポジティブになればいいの?」
これは危険思想になる可能性があります。
ポジティブになることに利点などありません。
もちろん人によってはありますが、過去の経験則、生活環境、アイデンティティ、性質、気質、遺伝子など、自らに必要だからこそネガティブがある場合、ポジティブになることは危険を伴います。
現実認知力が高く、認識力や知性が発達しやすいネガティブ優位で生きてきた状態で、突然ポジティブになる場合、天地位置のシーソーはコロンと反転して逆さになります。
ポジティブに偏る双極性、ハイ&ロー。
突然ハイになったり落ちたり、起伏が激しくコントロールができなくなり、自制と精神が壊れてしまう可能性があります。
典型例が、「ネガティブが嫌ならいつでも笑っていなさい、なんせポジティブ最高!」というポジティブ至上主義。
一過性の利益のために自分を完全に見失う可能性があり、それを誤魔化して生きていく別の努力を要し、無駄にエネルギーを消費し、疲れもしながら精神をそぎ落とし、無自覚の自己犠牲を払い、中身をごっそりくり抜いて捨てる行為。
再度ですが、ポジティブになることにプラスはありません。
「ネガティブを解消したい」と思う方に限定した考え方ですが、重要なのはネガティブの偏りをなくして、結果的にポジティブを追加していくことです。
「今日のご飯は何がいい?」と聞かれて、「この後に富士山が噴火して世の中は絶望へ向かうかもしれない、あ~怖い、だから人生で最も豪華な食事にしよう」と思う、そんなイメージです。
わかりにくいので、詳細へ向かいましょう。
※ポジティブになる危険性は、【ポジティブ思考は危険】デメリットをメリットにする危険性の大切さ をどうぞ。
ポジティブになる簡単な方法
ポジティブになる方法:ネガティブ緩和
仕組みは簡単です。
現状の自分自身のネガティビティを拒否せず、欲求主体で物事を見ます。
ネガティブが不利益になる場合、能力の高さがあざとなります。
現実認知力、認識力、知性、論理、正否。
これらによる、気にしすぎ、考えすぎ、現実的すぎ、否定癖、社会的負の印象、人間関係の調和のなさ。
現実主義です。
特に注目したいのが、現実主義的捉え方をすると、物事の見方は悲観的になるのが自然です。
私達人間は未熟で発展途上、まだまだ成長、進歩、進化していかなければならない生物という自明の理。
猿に毛が生えたみたいなもの。
現実的に捉えられる人ほど、「これでは足らない、まだ何か不具合がありそう、未完成ではないか、危惧がある、不安だ、怖い」と思います。
認識力の高さによって周囲によく気がつき、痛いものは痛い、怖いものは怖いと、認識に誤魔化しを挟まずに捉えるため、不安と恐怖を感じやすくなります。
物事をミクロに捉えられることで、まるでひねくれていると思われるくらい細かく理解し、論理的に正否に照合し、他者を否定したり悲観的に捉えやすくなります。
ネガティブに偏ると周囲が気になって仕方なくなり、現実主義的な固さを見出しやすくなり、生きづらさや苦しさや人間関係の抵抗になります。
全ての能力があざとなるのは、現実的過ぎるところかもしれません。
社会は現実を求めません。突然電柱や電線が要らなくなっても、雇用を減らす訳にはいかないために、現実ではなく現状維持と少しずつの変化を求めるように。
あまりに現実的すぎると私達は自らを蔑み、味のなくならないチューイングガムのように愚かさを噛みしめることになる、そんな未熟な知的生命体です。
ポジティブになる方法は、現実的過ぎる認識を緩める。
ネガティブに対する偏りの緩和によって、結果的にポジティブを自然と追加させるのが方法です。
※ネガティブ思考癖の直し方は、【ネガティブ思考を活かす】悪い方に考える癖と心理と直し方 をどうぞ。
具体的に:ネガティブに欲求追加するとポジティブになる
偏りを緩めるには、現実主義的な在り方にちゃちゃを入れます。
肩の力を抜く気楽さをもたらすために、認識にあるものを挟み込みます。
欲求です。
自己利益となる欲求。
「こうあったらいいな、これで喜べる、楽しめる、利益になる」という欲求を、これまでの認識に入れます。
ポジティブになろうとする必要はありません。
あくまでこれまでの世の中や物事の見方や考え方に、欲求を挟む一手間を入れるシンプルな方法です。
例えばテレビを観た時、「なんだこのくだらない番組は、一体何を考えて生きればこういうことができるんだ」に欲求を追加すると、2秒でチャンネルを変えて、「あ、こっちがいい」で終了。
人に注意する時、「なんでコーヒーにしめじ入れるの?どういう思考、なんなの、ガミガミガミ」に欲求を追加すると、「私は失敗しないあなたが見たいんだ、美味しいコーヒーが楽しみなんだ」で緩和。
自分に自信がない時、「私なんかが宝石を買うなんて、トドが鼻ピアスした方が似合うに決まってる」に欲求を追加すると、「宝石より美味しいアイスクリームを牧場で食べる方がいい」で気楽。
欲求を挟み込むと、自然とポジティブになります。
注意点:追加する欲求は自己利益
欲求を追加する際、欲求の中身をはっきりさせる必要があります。
明確に自己利益にフォーカスした欲求であることが、ネガティブを緩和してポジティブを追加させます。
上述の人に注意する例にて、「私は失敗しないあなたが見たいんだ」は自己利益を見た欲求です。
しかし、「失敗して迷惑をかけないで欲しい、余計なことしないで」になるとポジティブが追加されなくなります。
ネガティブなことをなくしたい願望を意味します。
「迷惑をかけないで欲しい」という欲求は、相手によってもたらされる不利益をなくしたい心理、欲求とは主体的能動的に自らの喜びを求める欲であるのに対し、願望は受動的な待ち。
相手次第でもたらされる利益であったり、不利益という邪魔をなくす願い。
自己利益にフォーカスした欲求は、「自分が喜ぶこと」がキーワードとなり、「自分が困らない」「困らさせられない」「不利益をなくす」とは別物です。
願望を追加すると、消極的エゴによるネガティブの異形(ネガティブですらない)を増長し、自分を見失いながら不安と恐怖に苛まれるので注意が必要です。
シンプルに「私自身が喜ぶものは何か?」の答えを追加するのが、ネガティブが緩和されるポジティブ方法です。
※悲観を活用した方法は、【悲観が勇気になる】悲観をやめる心理と楽観的になるスピリチュアル をどうぞ。
ポジティブにならないことがポジティブ
ポイントは、「ポジティブになるぞ!」ではなく、「ネガティブを緩めるぞ、うん」
あえてポジティブになろうとせず、現状のネガティブを排他せずに活かし、天地の偏りを平地に調整していくことで、自然とポジティブが追加されていく仕組みです。
ネガティブの偏り緩和は、ネガティブに浸かる時間の短縮でもあり、とにもかくにも大切なのは、ネガティブはネガティブとして拒否しないことがポジティブの意。
「ネガティブはダメ、悪、いらない」がネガティブの偏りを凝固させ、「ポジティブがいい、善、正当」とルールで縛ることが、ポジティブの偏りによる執着心、鈍感力、自己都合で現実を見ない妄想人生を加速させます。
人間は陰陽二極化で生存している考え方では、私達は誰しもがネガティブもポジティブも両方内包しています。
しかし、「認めるor拒否する」行為ができるため、どちらかに偏ったり、どちらかを見失うことがあります。
陰への偏りが緩和されることは、すなわち陽を引き戻すバランス取りを意味するシーソーの位置調整です。
偏りを緩和すると自然とポジティブが追加されるため、ポジティブになろうとすることは一気にポジティブに偏り、生きづらさが迷惑に変化してしまう危険性を含みます。
ポジティブにならないことがポジティブをもたらします。
ネガティブを拒否せず、偏りを緩和することがポジティブをもたらします。
※ネガティブの重要性は、【ネガティブな感情を受け入れる方法】とてつもなく大切な陰との対話 をどうぞ。
ポジティブになる最終ステップ:プラス言葉
ネガティブが緩まると、欲求による喜び追求を認める作業が自然と進みます。
ネガティブだけを大いに認めると闇や悪へ向かってしまいますので、欲求に着目して物事を捉える世界観、いわゆる自己都合の見方を含めてバランスが取られます。
あとは最終ステップです。
ポジティブなプラス言葉を活用します。
- ありがとう
- 感謝してる
- 愛してる
- 楽しい
- 嬉しい
- 幸せ
- やったね
- 運がいい
- 今日もいい日
癖になるように習慣化するのがおすすめです。
言霊や波動(エネルギー)を内包しやすい特殊な言葉が日本語です。
発言するだけでも意味がありますので、毎日独り言でも、誰かにでも、言うことが癖になるとポジティブ面が強くなっていきます。
どれだけポジティブになろうとも、元来のネガティビティを排他しないことで、いつでも過剰にならずバランスを取れるのがここでお伝えしている方法論です。
※プラス言葉の効果は、【ありがとうの効果はすごいと知る体験談】効果がない時のポイントと注意点 をどうぞ。
ポジティブになる簡単な方法 まとめ
ネガティブな状態からポジティブになろうとすることは非常に難しいです。
しかし、ネガティブを認めながら緩和すると、自然とポジティブが追加されていくので簡単な方法になります。
と言ってもチョチョイとポジティブになる訳ではなく、自らの隠れた一面を掘り探り、自己理解と共に能力や才能、新たな一面や精神の片側を敬う人間探究。
自らの全てを尊重するための向き合いであり、自分との深い対話時間を意味する、本質的で根源的な掘り下げ遊びと言えるかもしれません。
私自身、陰に寄る性質を持ち、陽を引き出すことでバランスを取るタイプです。
そのため明確に言えるのが、ネガティブはとにかく重要な基盤であること。
ネガティブをなくさず、ポジティブを引き出す。
方法はシンプルに、シーソーの位置を平らにすることです。
認められる自らの点が増えると、自己理解が深まると同時に、「何が現実なのか?」がわかりやすくなります。
私達が認識できる現実は、「自分にとっての現実」のみです。
あるものをあるままにする際、自分から離れた認識と同時に、必ず自分にしかない見方が含まれるため、「これがみんなにとっての現実だ」にはなりません。
陰と陽のバランスを取るように、自と他のバランスを取る。
物事は常に複数を合致させる工夫と創作によって成り立ち、あらゆる私達個人にとっての現実を組み合わせて、この世が存在します。
ネガティブな力がある方はぜひ欲求を、自己利益を剥き出した素の感情を混ぜ込み、おいしいパンを作るようにネリネリされてみてください。
「少しばかし自分勝手でもいい」ではなく、「少しは自分勝手じゃないと」が大切です。
後は、プラス言葉で完成。
個人的に言いやすい、フィットする言葉がなにかあると思います。
私のおすすめは、「やったね、今日も運がいい」
そんな考え方がお役立ちできれば幸いです。
それでは、ポジティブになる簡単な方法のお話を終了します。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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