人生哲学

人生の目的とは幸せになること│でも目的を持てれば…という意味深

人生において目指すべく目的が幸せになることなのか、目的があるから幸せになっているのか。

「人生の目的とは何か?」という疑問には着眼点が複数あり、目指すゴールがあるのか、目指す道中そのものがゴールなのか分かれます。

着眼点の違いは根底も結果も何もかもを変えます。

人生の目的とは何かを考えると、哲学的で少し難しい感じがします。

ですが、実はとてもシンプルに、「人生の目的とは幸せになること」という考え方がここにあります。

この価値観で大切なポイントは二つあります。

幸せになることを目的にするのか、幸せになることが目的なのかの違い。
幸せとは本人にしかわからない陰陽を超越した喜び。

若干、意味わからないにおいがしますが、このような紐解きをしながら、人生の目的は幸せになることである話をしたいと思います。

少しでもわかりやすくなるように、私なりに表現していきますので、人生を生きる上での何かの一助となることを願います。

人生の目的とは幸せになること

人生の目的とは

生きていると自分や人生の意義や目的を知りたくなるものですね。

目的とは言わば道しるべであり、自らの意志を表す行動の基ですので、夜道に外灯があるように気楽さや安心と活路を与えます。

言い方を変えると、生きることの悩みや迷いをなくせる道具であり、人生を容易に進める糧です。

そんな目的があったら嬉しいものです。

その目的が、「幸せになることだよ」という話をお伝えしたい内容ですが、少しトリッキーな解釈があります。

「人生の目的を持つ主観がいるか否か?」です。

人生の目的は空欄を埋める思考や思想ではなく、自らの生きる道を作り出す創作です。

そのため、目的を持つ自分を明確にしているかどうかが、「目的とは何か?」を知る重要ポイントとなります。

ちなみにその目的とは、意志のことです。

言い方を変えると、活力の基であり行動動機、そして何より自らの喜びを作り出す源です。

いきなり話が散らばってきましたので、少しまとめます↓

 

人生の目的とは、意志を持つ自分の生きる道

要約すると上述の内容はこのように↑なります。

ここでわかるのは、意志があり、自分を知り、生きる道があることで初めて、人生の目的とは何かがわかるということです。

これまたわかりにくい表現ですが、人生の目的を知るためには、目的を持てる状態が前提に必要ということ。

人生の目的を知る方程式

[意志がある]+[自分を知る]+[生きる道がある]=[人生の目的を知る土台ができる]

⇒そして初めて、人生の目的とは幸せになること、という理解へ続く

「結局、人生の目的とは一体何?」という話ですが、目的を知る土台を見出すことが目的になります。

その後は“幸せになる”と続きます。

 

人生の目的を知るための目的

「そんなややこしい」という感じですが、目的を知る土台がないと余計に話がゴチャゴチャになってしまい、目的の意味の逸脱、幸せの意味の固定化と、あるべきものとは別物を都合の良いように解釈してしまう可能性があります。

例えば、人生の目的がない=自分を知らない場合、生きる道が明確ではないので認識に制限がかかり、見ている世界、時間、空間など、あらゆる自分の人生の枠組みがふにゃり、空欄ができます。

そこに、思考納得、娯楽の現実湾曲、疑似現実思想、不安や恐怖、偽りや抵抗、拒否やあらがいなどを入れ込めて対処することで、人生の目的が苦痛回避の一時凌ぎという、“人生”と対面せずに距離を取る行為になります。

すると、“幸せ”の概念が、喜びや嬉しいことのみ、心地良く豊かで満たされることのみ、と制限を掛けたものと固定化される可能性が。

幸せは人それぞれなので、そこに何も悪いことはないのですが、この状態で「人生の目的は幸せになること」というのは理解し難く、とても違和感になります。

「人生の目的は幸せになること」の真意を紐解くと初めに出て来るのが、人生を生きている基盤の自分の認知。

自分を知ることが人生の目的を知るスタートです。

目的を知るだけなのに、一筋縄ではいかないというふざけたお話です。

なんせ“人生”、されど“人生”、さすが“人生”。

※人生を普通に生きる際の幸・不幸話しは、普通の人生とは幸せと不幸せ|両方味わえるつまらなく羨ましい生き方 をご覧ください。

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人生の目的は幸せになること

ここまで読まれている方はおわかりかと思いますが、この内容は紐解きです。

この理解によって、みなさん一人一人のためになる道がほんのちょっとですが開くかもしれませんので、お付き合いできる方は先を一緒に見ていきましょう。

人生、目的、自分の理解、幸福と、なんだか大それた言葉達が並びますが、根底の“人生”とは何でしょうか。

これは、認識のことと考えられます。

認識は理解、見て、知って、触って、感じて、考えて、思って、想ってという認知です。

これらがこの世を自らの肉体や脳や心にて彩る材料となり、認識の広さによって同じように見ている世界が全く別物になります。

人によってはとんでもなく狭い世界を生き、人によってはとんでもなく広い世界になります。

人生には認識度がとても重要な肝となり、目的や幸福とは何かの理解の鍵を握っています。

この認識を司るのは何を隠そう“自分”です。肉体と脳と心を持った己。スピリチュアルを含めれば魂もハイヤーセルフもワンネスもありますね。

まずは自分を知ることが人生の目的。

それによって、目的という意志を持ちます。さらに、意志によって軸と主体性を持ち、自律に自立心を駆り立てます。

意志があることでさらに奥に紐づく信念を引き出すことにも繋がり、使命や役割といった概念も出て来ます。

いろいろ出て来るとややこしいので、ここでは割愛し、フォーカスは端的に意志。

意志が、幸せを人生の目的にするための必須アイテムとなります。

 

意志によって目的を持ち、生きる道を進むことで幸せが目的になる

実際に意志を持つことで、明確に自分という存在認知が高まり、自己認識力が上がります。

それは自然にムムムとレベルアップするのではなく、日々の認識に主体性と能動的な動きが加わり、行動が促されて経験や知識が増すためです。

いわば、自らが努力したり、楽しもうとしたり、耐えながらも行動継続したり。

この状態、既に生きる道の上です。

ここでわかるのが、「あ、今、私は幸せになるために生きている」という状態であり、認識の広がりの実感です。

さらにわかるのが、意志と自分の理解、そして生きる道が見えていると、“今”にフォーカスして生きることがノーマルになります。

人生の目的を知る土台があることで、生きる道中は既に目的の中であるとわかり、それが幸せな状態です。

すると、生きる意味や目的を体感として認知し、「人生の目的は幸せになること」という答えを導き出す。そんな流れです。

 

幸せとは一体?

ここで疑問になるのが、幸せの正体です。

幸せの定義はあれど、これは完全に人それぞれです。

ですが、「幸せになる」という目的として認識する場合には、誰しもに共通のことが一つあります。

自らが幸せをつくることです。

自分で幸せをつくる意志。でました、また意志です。

意志によって行動動機も活力も意義も見出します。いわば自らを尊重する気持ちであり欲、自分の核のようなものです。

幸せを“つくる”ので創造、創作があり、意志があることで自らを喜ばせ、大切にし、敬い、意欲を持って行動します。

幸せになる目的を持った暁にわかるのは、目的を持つための意志、自らが幸せをつくる意欲(自分)です。

このことからも、人生の目的とは何かを知るためには、知識だけでは意味はわかっても理解は困難でして、実際に自分を知る前提が必要。それによって目的が幸せになるためと認識できます。

ここで強めにお伝えしたいのは、「人生の目的は幸せになることだ」と自ら決めません。

人生を歩みながら自分を知り、意志を見出し、生きる道の上にいる時、自然と目指す道は“幸せ”になっているというものです。

そして、この時の“幸せ”の認識には制限がないことも同時に知ります。

 

幸せに良い悪いはない

幸・不幸と言葉が対極にあるので、幸せには良い悪い、善悪があるように思えますが、実際にあります。

ですが、あるのは個々の認識の中でのみです。

死ぬことが善か悪かは本人にしかわからないように、死ぬのが100歳を超えていればコロコロと良い悪いが変わるように、いつでもどこでも変わるのが+と-の価値観です。

言い方を変えれば、都合のいい認識ルール、自分ルールです。

幸せの良い悪いは本人のみにありますが、これは幸せを待つのか、幸せをつくるのかによって、その認識も変わります。

  • 幸せを待つ場合、良いもあれば悪いもある
  • 幸せをつくる場合、良いも悪いもなくなり、全ては自分のためになる

意志の有無によって幸・不幸で見えるこの世の認知広さが変わり、人生の目的が幸せになることである場合、自ら行動して幸せをつくるので、あらゆることは利益になります。

良いと言われることはそのまま幸せとして、悪いと言われることは学びや成長、経験や知恵の育み、自己理解や自己認識の機会、我慢や忍耐の活用法習得、恐怖の理解、またそれによる愛の理解などなど、もはや無限に利益や価値になります。

そして実際に、自ら幸せをつくる人はそのような認識です。

これを中国思想、陰陽思想では“中庸(ちゅうよう)”とも言い、陰も陽も認識した上での真ん中、両方取り(両方なし)、または自己ルールを超えて俯瞰している状態です。

※人生の目的をスピリチュアル的に捉えた話は、人生の目的はスピリチュアルがおすすめ│終わらない魂に生涯の遊び方 をご覧ください。

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人生の目的を幸せにするために

人生の目的を知るために大切なこと

これまでの内容から、お伝えしたいポイントがあります。

「人生の目的が幸せになること」なのは、自分を知ると自然と認識されていくこと。

もはや、意志を明確にした状態では、「人生の目的は幸せになることでしょ、それ以外何があるの?」というほどになるかもしれません。

ちょっと大げさに言いましたが、ポイントは自らの意向なく自然とそうなり、「気づいたら幸せをつくるために生きてました、はは」というもの。

そのため、「人生の目的は幸せになることだ」とあえて認識し、求めるものではありません。

人生の目的を知るために大切なのは、幸せになることを求めたり、目的をゴール設定しないことです。

さんざん、「ねぇねぇ、幸せになることだよ、ねぇってば」とお伝えしてきましたが、そう認識して目指すと、遠ざかるという不思議が起きます。

そこで結局大事になるのがこちら。一覧でまとめたものをご覧ください。

人生の目的を知るために
  1. 人生の目的を知る土台を持つ
  2. 自分を知る
  3. 意志を持つ
  4. 自らの生きる道を歩む
  5. 幸せを求めず、つくる
  6. 自分を、周囲を、環境を受け入れ、拒否しない
  7. 自らが喜ぶために生きる
  8. 喜びや楽しみなど、受け入れやすいことを増やす
  9. 遊ぶ

 

自分を知るが核

人生の目的を知るためのキーは“自分を知る”ことです。

これは自己認識力や自己理解を深めて、人生という見ている世界を広げることも意味し、付随して他者の目線や立場を踏まえて認識する目線にも繋がります。

そして何より大切な、陰陽、良い悪い、善悪などの二極化を自分の中で知ることが含まれています。

それは恐怖を知り、愛を知る。愛を知り、恐怖を知る。

両方が表裏一体である認知には、自分を知る大きな育みがあります。

すると、人生の目的を知るために修行のような形になる人もいます。

私がそうだったのですが、恐怖を知る目的が強くあると(恐怖を多く抱えていると)、陰側に偏って目的に邁進するかと思います。

何も悪いことはないのですが、幸せになることだけでなく強さや克服や改善など、多くを求めて遠回りする可能性があります。

恐怖を克服したその先には愛が待ちますが、過酷な道を選ばずとも愛も恐怖もバランスよく知る方法もあり、やりすぎず、やらなすぎずの中間がバランスのよい自分を知る状態になります。

 

人生の目的を知る最短ルートはこれ

人生の目的は結構気楽なものだったりしますし、さらに人生とはなんとも短すぎるほど短いので、陰にも陽にも偏らない道が最短ルートとして幸せになることを認識させてくれます。

その最短ルートとは、つくる道。

作り、造り、創ります。喜び、楽しみ、嬉しさ、意見、想像、工夫、アイデア、そして幸せをつくる。

つくる理由はもちろん、自分を喜ばすためです。

そこには意志が必ず必要です。意志なく他者主観、他に言われたからするとなっては人生の中心人物がいなくなります。

模索する以上に自らを喜ばすことが大切になるのが、人生の目的を知る方法です。

何が喜び?何が楽しい?何が好き?何を欲する?何にワクワク?何にドキドキ?何にフニャフニャ?

まずは自分を知り、その後は喜びに邁進、突き進む。

気づけば自然と幸せになる目的を持っている、そんな話です。

 

人生の目的を知る上での考え方

最後に、人生の目的を知る際に必要な考え方をお伝えして終了します。

超重要、というほどではありませんが、人間の基本原理といいますか、デフォルト(基本設定)についてです。

人生の目的とはそもそも、人生という本人にしか認知できない時間、空間、認識(世界)に対する、意志に基づく行動の話とも言えます。

目的があるから私達は動き、行為し、知識や経験を積みますので、結局行動動機。

「生きている意味として勝手に身体が動くことって何?」
「んー、それは幸せになることだよ」
とこういう話がここでお伝えしている内容です。

これをより身近に解釈すると、空気吸って、ご飯食べて、日本酒飲んで、ゲップして、パァー最高と。

私達は受け入れられることに対しては目的が明確だったりします。

生きたいから空気吸って吐く、懲りずに何十年も一切止めずに続けまくります。

しかし、受け入れられないことが多くなると目的が曖昧になり、仕舞にはわからなくなります。

それが積み重なると人生の目的が不明確になり、思考的に見出そうと頑張ったり、願望を掲げて求めたりします。

実際のところ、人生の目的とは現状の認知、認識、在り方によってもたらされる道標、光の灯の先、いわば行動している己を照らされると表れる既にあるもの、“動いている自分”です。

言い方を変えると、今この瞬間にのみ体感し、認識する喜びの意欲。

その照らしてくれる光が“意志”です。

人生の目的とは動いている自分がいればそこに確実にあるもの。しかし、光がないと自分が見えないので同時に目的もわからなくなり得ます。

私達は元々人生の目的を誰しもが持っていたのかもしれません。子供の頃は何も考えずに無我夢中、一心不乱に生きる道をズバッと突き進みます。

目的を考えることもなく、求めることもなく、ただ創作し、喜び、遊び、楽しみ。気づけばそこは幸せにしか繋がっていない道。

なんせ自ら幸せをつくる気満々。

これがデフォルトではないかと思います。そこからさまざまに揉まれ踏まれ、ビロンビロンのグニャングニャンにされ、仕舞には振り上げてバンッと叩きつける。

「パンじゃねぇんだよ!」と何度も叫びましたね。

拒否が多くなることでデフォルト崩壊。

元々の状態からわかるのは、人生の目的とは何かの基本原理、私達人間の本質。この話に思い当たることがあれば、一つの考え方としてご参考にされてください。

※人生の使命を知る話しは、自分の使命を知るには人生の彩りを知る│スピリチュアルを活用した方法 をご覧ください。

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人生の目的とは幸せになること まとめ

人生を如何に謳歌するか。

人生の目的とは少し奥深いですが、実際にはとてもシンプルだと理解してもらえれば幸いです。

この幸せ、制限なし。あらゆることは幸せになり、それをしているのが認識です。

そのため、自分を知ることが全ての始まりとなるのが人生であり、人生の目的を知るストーリーの入口。

目的を知る土台を持ち、目的を知りましょう。

ここには、生きる道の延々さ、無限さ、千差万別に良い悪いを超越した個々の世界が明確に広がります。

気づいた時には幸せになることに邁進中。そんな自分にあるものは創作意欲であり、自らを敬い、拒否の少ない状態です。

楽しみ喜ぶ状態には心躍るような嬉しさや動きがあり、子供心を忘れない大人子供の綺麗な姿が凛とします。

ぜひ、人生を楽しみ、目的を見出さないで謳歌される時間を堪能されてください。

全ては自分次第、意志次第です。

気づいた時には自然とね。そんな時がいつか訪れますように。

よい人生を。

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