「ススキが綺麗だなぁ」
そんなことを発言した時、自問がササッと入ってきます。「綺麗ってどういうこと?」
「なんかこう、色が良い感じで綺麗」
「サラサラでホワホワ、色が通る透明感、まるで光の反射を見ているようで美しい」
どちらも感性豊かです。
感性がない人はいません。しかし、感性とは何なのかわかりにくく、豊かかどうかの違いが人それぞれにあります。
ここでは、感性を豊かにするために大切な理解を見ていかれてください。
- 感性がある人とない人の違いとは?
- 感性がなくなるのはなぜ?
- 感性を豊かにする方法とは?
これらを紐解き、「わかりにくい感性を知ることで豊かにしていこう」という内容となっております。
感性の豊かさは迷惑にも価値にもなる、一人一人が持つ千差万別なものですので、一つの考え方としてご参考にしていただき、ご自身の感性と向き合う機会になれば幸いです。
Contents
感性を豊かにするための知識

感性がある人とない人の違い
初めに、感性の外枠を捉えるために、感性があるかないかの違いを例と共に見ていきましょう。
感性がある人は個性があり独特、まれに変人も紛れていると、そんなイメージがあるかもしれません。
感性は千差万別ですので、実際には独特も何もありません。一つの感じ方であり捉え方かと思います。
例えば、この絵をご覧ください。
絵を観ると人それぞれに感じるものが違います。この感じる力を感性と言います。
「綺麗だなぁ」
「気持ち悪っ」
「なんだこれ?」
私達は五感使用によって何かしら感じます。絵を観ても視覚だけでなく、においを嗅ぎ、音を聴き、触り、味わい、どの五感をどのように使用するか、または組み合わせるかが人によって違います。
中には、波動やエネルギーを感受する人もいます。
誰しも何かしら感じますが、その後に認識するまでの過程があります。
[感じた→観念フィルター通過→自分の中に取り込む(認識)→表現]
このことから、感性とは一番初めの情報収集能力と言えるかもしれません。
人それぞれにさまざまに感じた時、どのように処理するかの認識が価値観や観念(自分ルール)に基づいて変わります。
ここで、感性があるけどもないように思えることが起き、あるないの違いが作られます。
感性がある人は認識に抵抗がない
感性がある人は感受したものをそのまま取り込みます。
感じた後には価値観や観念に基づいた自分ルールフィルターで濾します。
プリンを作る時のゴツゴツをなくしてサラサラにするパート。ゴツゴツ排除は自分にとって不要か否か(認められるか否か)です。
抵抗なく認められると、感受したものをそのまま認識できます。
認識とは感じる、知る、考える、判断、評価するなど、取り込んだ認知情報との向き合いです。
一切抵抗なく向き合えば、感じたものそのままを感じられ、あとは自分の中で整理して理解したり、洞察や分析や表現にも活用可。
感性は表現できるかどうかではなく、どれだけ表現するための材料を材料のまま排除しないかが大切になります。
感性がない人は認識に抵抗が多い
反対に抵抗が多いと材料をたくさん濾すようになり、感受したものがだいぶそがれるので、認識できるものが減ります。
殿が食事する際、毒味役がお腹空かしていたもんで、やっと食べられる時には、「漬物しか残ってないじゃん」という状態です。
認識の抵抗を作る価値観や観念、思考や行動を作るルールが感性をなくします。
ルールは自らを律し、行動を正しくするために大切ですが、ルールが多ければ多いほど縛りになり、自由から離れていきます。
「これはダメ、こういうものだ」
「常識ではこうだから、これが正しい、間違い」
「このにんじんは化学物質を使っているから、皮は切って、身も削って、芯なら大丈夫だ」と、ガッリガリのにんじんを食べる状態です。
認識の抵抗になる場合には共通していることがあります。
自分が作ったルールではないことです。
自分以外の他、人や社会が作ったもの。他者や社会の常識やルールです。
自らではなく他が作ったルールに従う(またはそれが当たり前だと思う)在り方が強いと、自らの感受をフィルターがチーズを作る布のように吸い取り、せっかくの感性がなくなりやすいです。
※感性が豊かな人の詳細は、感性が豊かな人から学ぶ感性とは?│知性の有無が鍵となる特徴 をどうぞ。
感性がなくなる原因
認識の抵抗は縛りの多さ、自分ではなく他のルールの多さ。
ここで着目したいのは、他のルールに従うのが原因ではないことです。
他のルールに従っている自分を認めていないことです。
例えば、子供の時に親など周囲の人から、「これはダメ」などとルールをインプットされた時、感性が育まれないかと思いきやそんなことはありません。
感性がなくなるのは、他のルールに嫌々従うためと考えられます。
「ねぇねぇ、ブランコに乗って大きくブンブンして、10m級の大昇竜拳やろうぜ」と思った時、「やめなさい危ない!」と言われます。
「ちぇ、なんでダメなんだ、納得いかないな」となった時、認めないと嫌々従うルールになり、感性をなくす抵抗になります。
「危ないからダメか、じゃあそれ以外の遊びにしよう」となれば、ダメ以外を探して行う別の行動へ向かい、認識の抵抗にはなりません。
理解していないルールに従うと感性がなくなる
「これはダメ、できない」と言われても、それ以外で自らルールを作っていけば認識の抵抗は作られません。
しかし、「こうしなさい、こうしなければならない」と他のルールに従わざるを得ない萎んだ状況は一変、感性を一斉に封じ込める可能性があります。
行き場のないコーナーに追い込まれる状態。怖いから従うなど、我慢や妥協や諦めや恐怖心から逃避すると、嫌々だけど従う価値観や観念が作られます。
または、しっかり理解していないのに従う場合も同様で、「こういうものなの、これが常識なの」と言われてそのままインプットすると、感性を封じ込める抵抗になります。
私が会社員だった時、とにかくルールに従わなければならない部署があり、その際は一斉に感性を消されそうになった感覚がありました。
不明確なルールに従う状態に違和感があれば、それが感性そのものです。
主体性、能動性がないと感性がなくなる
認めていない他のルールに従う状態は言い方を変えるとこうなります。
自分(が従っている)ルールに対する拒否。
これは無意識に自らが自らのことを認めない状態になり、主体性がなくなります。
自らルールを作り、認めたくないことがあれば対処し、改善し、行動するさまがなくなります。
能動性がなくなり、受け身で我慢したり、「仕方ない」と妥協や諦めが癖になる人もいます。
社会の中で生き残るためには大切ですが、感性に関してはなくなってしまいます。
主体性と能動性がなくなると起きるのが、「作る」行動がなくなることです。
創造性、自らを信じて行動する働き、新しいものを創り出す意欲がないと、主体性や能動性がなくなり、比例するように感性がなくなると考えられます。
感性がない人の特徴は、感性を豊かにするための理解そのものとなります。これまでのお話を基に、感性を豊かにする方法論へ入りましょう。
※感性の塊みたいな人の特徴は、不思議な雰囲気と言われる人の特徴は謎めく【変人とは別概念の独特さ】をどうぞ。
感性を豊かにする方法
感性を豊かにするポイント
感性は誰しもにあります。しかし、感受した後の認識に抵抗強弱があると知っていただきました。
ポイントは感性がなくなる抵抗の撤廃。これをここからぶちぶちに壊していきましょう。
抵抗を壊すためには、「自分で認めない(またはしっかり理解していない)でインプットしたルールの洗い出し」が必要です。
しかし、これは一生かけてもおそらく終わりませんので、重要点を一つにします。
重要点は、「わからないことはわからないとはっきり認める」です。
これを主体にいくつかの方法がありますので、ご覧ください。
感性を豊かにする方法①:わからないものを認める
わからないことはわからないとはっきりさせるために、自分が理解しているかどうかの自覚と向き合います。
「あの兄弟はウインナーとソーセージくらい違うね」
「これまでこのやり方で問題なかったから、これからも業務連絡は手書きメモリレーだ」
これを言われた時にわかりますでしょうか?
私は何もわかりません、なんとなくわかりそうだけど実際には全くわかりません。ウインナーはまだいいとしても、業務連絡の件は、「時間の無駄だからやる意味がわからない、しかもリレー」となります。
わからないものはわからないと認めると、感性をなくす抵抗をそれ以上増やさないためにストップできます。
まず抵抗を止めることが初めの一歩として重要です。
私達は常に他から情報を入れて影響を受け続ける社会にいます。この中で感性を豊かにするためには、わからないと認めた時、自ら調べたり理解する、または理解する必要はないと主体的に行動・認識すると、より抵抗を止められます。
実際に自己理解有無を確認すると、おそらくありすぎるほどあると思います。
「そういうものだ」とわかっていないまま、曖昧にインプットして、理解したつもりになっているものは認識の抵抗になっています。
これだけ情報の多い社会、私達は一人では生きられず、生まれた時から他者の影響によって構成されるので、わからないものが多いのは当然です。
わからないものを認めて主体的にする機会作りにすると、感性がなくなっていくのを停止し、豊かにする前準備となります。
感性を豊かにする方法②:固定観念を手放す
固定観念をなくし、当たり前だと思っている自己理解のないルールをポイッとぶん投げて燃やしてしまえば、感性は溢れて豊かになります。
フランクにお伝えしますと、「アホみたいになる」のがこの方法。
縄跳びの長縄で波を作るように腕をグニャグニャしながら散歩する。
感受に対する一切の抵抗がなくなり、元ある感性が嫌でも出て来ます。
しかし、こんなことしたくありません。恥ずかしい、周囲の目が気になる。これが常識であり他のルールです。
感性がない時、他のルール従順による縛りになりますが、社会的には良、利益です。
感性を豊かにするのも大切ですが、認識の抵抗は社会的な思考材料になり、他者との共存や調和のためには欠かせない重要アイテムでもあります。
そのため固定観念は少しずつ手放し、一定のものは離さない。このさまが主体性となりますので、ご自身に合わせてバランスを図ると、感性はホワッと適度に表れてきます。
猛烈にアホになるのも手ですが、社会性や恐怖心との兼ね合いがありますので、徐々にわからないことを認めて、自己理解のない固定観念を手放すのがおすすめです。
感性を豊かにする方法③:自己理解を増やす経験
感性を豊かにするために、自己理解した自分ルールを増やすのが方法です。
自己理解したものは嫌々インプットしなくなりますので、感性を認識するフィルターが緩くなります。
自己理解を増やすには、教科書を読むのではなく、五感を使用した実経験です。
イメージは、授業なんか受けずに校庭に行ってしたいことをする。
やりたいことがなくても、自分の身体を使った経験にて、自らの肉体と頭と心で理解する。
今までにしたことがない経験を増やすことが、この方法になります。
感性を豊かにする方法④:感性が豊かな人を真似する
最後の方法は、真似です。
真似する時、「わからないから真似している」と理解した上で行うのがポイントです。
わからないから真似すると、自分の中にある固定観念が自然と緩まり、相手の行動そのままを模倣する状態になります。
ピュア真似状態です。
ピュア真似は主体性がなくなりますが、自己理解がないとはっきりした前提によって、固定観念を手放し、新しく自己理解を増やせます。
主体性がなくなってしまうので、必ず忘れないでいただきたいのがこちらです。
感性が豊かな人を真似て、ある程度理解が深まったら自分スタイルを作ります。
自分スタイルを作ると、最後の穴開きである主体性が埋まります。
真似だけですと主体性がなくなり、他律で他責、感性があると思い込む外枠の真似事で終わってしまいます。
感性が豊かではない人、豊かそうに演じている人の真似だけはされないようにご注意ください。
※感覚を鋭くする方法は、気配を感じる方法はヤギ集中│感じる人と感じない人の明確な違いは自己中?! をご覧ください。
感性豊かな人を真似する例
例として、私が真似した時のお話をご参考にされてください。
私は幼い頃は常に誰かの真似をしていました。
保育園の時には同僚のかば君がお絵描きノートにカキカキと、迷路を創りながら書いていました。
私は真似して迷路を書くようになり、暇さえあれば書くようになりました。その内に自分のスタイルを見出し、とても細かく紙一面に迷路を書くようになり、先生が引くほどグニャグニャな白黒が紙一面に広がります。
ご飯も食べずにテレビのザーザーを見るように書き続け、挙句の果てに気持ち悪い奇妙な絵みたいな迷路が完成するので、危うく精神科へ連れて行かれるところでした。
またある時は折り紙、またある時はバスケットボール、野球、卓球…。
わからないから初めは教わり、その後は自分スタイルを作っていきます。
何か集中できることに取り組むと、より感受にフォーカスできるので、感性は豊かになっていきます。
真似する際に、「わからないから真似する」と自らの認識を認めていないと、都合良く真似したり、他のルールの上で不利益を補うためだけに真似する利用が起きる可能性があります。
明確にわからないと認めると、主体的に真似する行動になるので、あとは自分スタイルの構築によって主体性が追加されて、感性が花開きます。
真似する際の最高の見本(先生)は、子供です。
心持ちや気持ちを真似すると感性が豊かになりやすい
子供の時には行動をそのまま真似する大切さがありますが、成育後にはそれ以上に心持ちを真似する大切さがあります。
感性が豊かな人は固定観念が少なく、自分の感受との向き合いがあります。
感受は今この瞬間のみですので、「今を生きる」「感覚」「集中」の心持ちがあり、「他のルールは皆無」の状態に自然となります。
この在り方には、当たり前だと思わなかったり、ワクワクする気持ちがあったりします。
基本的には思考以上に感性主体にするのが感性豊かな人。感覚的に今を認識するさまがあり、ルールや常識以上に目の前の物事と真正面から向き合おうとします。
この状態になるためにも、真似するのがとても重要な方法です。
※感性を爆発的に豊かにした体験談は、ふざけた人生を知る体験談。アフリカ人が教えるふざけるの意味 をご覧ください。
感性を豊かにする方法 まとめ
ポイントをまとめるとこうなります。
- わからないことはわからないと認める
- 固定観念を手放す。アホみたいになれると良好
- 自己理解した自分ルールを増やす
- 主体的に行動して経験を増やす
- 感性が豊かな人を真似る(今、感覚、集中、他のルールなしの状態を味わう)
- 真似だけで終わらずに自分スタイルを作る
一人一人に感性があり、どのように感じるかは千差万別。感性とはなんともわかりにくいものですが、唯一答えを知っているのが本人です。
答えは既に知っていると思います。ただ認識に抵抗があり、少し感じずらくなっています。
あらゆる他の影響は知らぬ間に抵抗になっている可能性があり、最たる理由はテレビやSNSかもしれません。
疑似現実は現実世界に投影できません。
疑似は疑似であるから意味があり、認められ、楽しめます。
絵を観るとさまざまな感性をみなさんお持ちなのがわかります。
冒頭にあった奇妙な絵は、私が「心臓」をモチーフにしたものです。
「踊っているみたい」
「目が回ってきた」
「吸い込まれる」
「心臓みたい」
心臓だとわかる人もおり、私の感性に近く、共鳴を感じてとても嬉しくなります。
感性には正解も間違いも一切ありません。完全なる自由空間には縛りのない解放と、創造が広がります。
感性とは自分の材料であり、自分という存在で感じる一番初めです。
感性があるから知性が豊かになります。感性がないと知性ではなく、他のルール従順(記憶力)となり、別の大切な能力となります。
感性に知性が加わると、自分の感受を価値にして、他者に提供できます。
ぜひ価値にするためにも感性を豊かにしていきましょう。そのための一助となれば幸いです。
それでは、感性を豊かにする方法のお話を終了します。
最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。
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