この世には、さまざまな常識やルールがあります。
必要のある大切な常識やルールは文化や伝統という形で継承されています。その一方、物事の考え方を狭め、人生を幸せに気楽に生きることを制限する、縛りとしての思い込みがこの世にはたくさん存在しています。
それを作るのが価値観を押し付ける人です。
ここでは、価値観を押し付ける人の特徴と理由を紐解き、押し付ける人の人間性と在り方の仕組みをお伝えします。
押し付ける人を理解することで、押し付けられる人に起きる作用がわかり、”押し付けの法則”なるものが見出されます。
押し付けられる人と押し付ける人の理解から見える、「それ、必要ですか?」という行為をより深く認識して自分のために活用することができますので、一緒に見ていきましょう。
Contents
価値観を押し付ける人の特徴

価値観の押し付けとは?
押し付ける材料となる”価値観”があります。
その価値観とは何か。
物事の認識方法を決める考え方です。
物事をどのように認識するかは人それぞれにあり、認識の仕方を作るのが考え方であり価値観です。
価値観を作るのは自我の思考で、自我は肉体が経験した記憶と、脳が経験した記憶と、心が経験した記憶を使用して考え方を作ります。
それらの経験は全て、場所や人や食べ物などの環境によってもたらされ、そこに生まれながらに持つ人格や気質が加わることで、一人一人全く違う価値観が作られ、物事を認識します。
価値観とは : これまで生きてきた環境と自分によって作り作られる物事を認識するための考え方
※物事の見方や捉え方を作る基盤
例えば、北海道の寒い田舎で育った人と、沖縄の暑い海の前で育った人では冬が来た時に、「最高の季節だ」と思ったり、「辛い時期が来たなぁ」と価値観が変わります。
晴れた時に嬉しくなったり、悲しくなったり、太陽に感謝したり、文句を言ったりと、人それぞれの価値観にて認識が変わります。
価値観を作るのか作られるのかによって物事を認識する基盤が変わり、自分らしいのか自分らしくないのかが分かれます。
子供を見てもらうとわかりやすいのですが、子供は価値観を自分で作ります。ご飯を箸で食べると教わった時に、「食べにくっ!」となり、箸をぶん投げて手で食べる。
これが自分で作る状態です。
子供のように、認識の仕方は自分の思考や体感や経験を主体に作りますが、価値観の押し付けをされることで自分の認識を作られます。
価値観の押し付けとは人を自分のようにさせる行為
価値観を自分で作っていた状態では、自分らしく生きることになります。
箸をぶん投げて手で食べた時に、「こっちの方がいい」と最高の気分で食べています。そこで現れるのがバケモンです、というのは冗談ですが、価値観を押し付ける人です。
価値観の押し付けは自分の認識方法となる考え方を他者にギュウギュウすることで、他者の人格否定と存在否定をして、”自分らしさ”をその人の”私らしさ”に変える行為です。
同時に、押し付ける本人の存在価値を見出し、正当化し、私物化にて自分を満たして肯定する利益があります。
言い方を変えると、「私のようになれ」という強制ギブスを装着させることです。
価値観の押し付けとは : 人の人格と認識を否定して、自分のようにさせる干渉行為
押し付けることで自分を正当化して納得する目的
価値観を押し付ける人は、自分の生きている意味を知りたくて仕方ありません。そして、意味を見失うことが怖くて仕方ありません。
押し付けることは、人の世界をグッシャングッシャンに破壊して、自分の世界を強要することです。
押し付ける人には共通して自分を正当化し、認めるために他者を利用して納得する目的があります。
言い方を変えると、自分の存在価値を見出し、存在価値を見失わないための対処を“他”にて行います。
価値観を押し付ける目的 : 干渉して自分の世界で生かせることで、自分の利益を得て納得する
※利益とは…自分の正当化、存在価値を見失わない、存在意義を見出す
エネルギーを奪う人というのが存在しますが、そのような姑息な手は使いません。もう人格ごと持っていき、人の世界を否定して自分を認めさせます。
押し付けとは強要ですので、人それぞれに脅しや暴力、嘘や誤魔化し、食べ物で釣ったり悲しい素振りで同情させたりと方法があります。
価値観の押し付けをすることに良いことを見出したいのですが、何一つありません。全て負の行為、負の目的、負の在り方です。
価値観を押し付ける人の特徴
価値観を押し付ける人には、自分のために他者を利用する人間性があります。
それ以外にも特徴がありますので、一覧にまとめます。
- 自分で自分を認識して見出せない
- 優越感を浴びることを優先して他と比較をする
- 劣等感を浴びないために他者を抑制する
- 見栄とうぬぼれが強い
- 自分を見失っている
- 依存と執着を当たり前にする
- 依存と執着をされることが嫌ではない
- 生き方がわからず、認めて褒めて愛してと欲するばかり
- 自分を正当化するためにいきり立つ
- 恐怖のない安泰を求める
- 評価されることが生きがいで人の評価を自分もする
- 思い込みと決め付けが激しい
- 他者に干渉と介入をして、周囲が気になる
- 価値観を押し付けられて育った経験がある
- 敬いや尊重の意味を知らない(言葉でのみ理解している)
- 愛を知らない
他者がいないと生きられません。
自分で自分を見出せないので、一人になると不安で恐怖で、居ても立っても居られなくなります。
そのため、依存をすることはもちろん、他者から依存されても嫌な気がしません。
価値観を押し付けることに違和感がなく、他者を常に見てチェックして気にして、干渉と介入をして、他者の世界や意見を敬い尊重する認識がありません。
ズカズカと他者の世界を踏み潰して、グシャグシャに叩き壊していることに自覚がなく、自分が押し付けをされてきているので違和感なく無意識にする人もいます。
人によっては、自分が作られて育ったので、人のことも作ってあげようという勘違いや思い込みがあり、決め付けにて他者に強要や強制をする際も違和感がありません。
そのような特徴があるので、悪意なく押し付ける人も多くいます。
価値観を押し付ける理由
「どうして他者の世界をぶち壊すの?」
純粋に疑問ですが、価値観を押し付ける理由が明確にあり、「押し付けるのは仕方ないのかな?」と思える状況もあります。
過去に押し付けられてきたので押し付けることに違和感がない
自分を押し付ける人は自分が同じことをされてきたので、押し付け行為になんの違和感もなく、普通のことだと思っています。
価値観は場所や人や食べ物の生活環境にて作られるため、アフリカの部族で生まれた人が槍を持っているように、少し前までちょんまげだったように、押し付けることが当たり前になります。
自分で自分のことを俯瞰する視点や見方がなければ変わることはなく、変えようと思うことすらなく、自分の行為に気づくことも疑問を抱くこともありません。
変化を求めず、自分で物事を考え意見を作る意識がないので、他者の意見をそのままインプットして、自分の声として文言の順番を変えて同じことを言えば、”自分の意見”だと思い込みます。
そこには、自分のことを理解して認識しようとする意志がない様があり、変化を求めずに安泰を求める生き方が構築されています。
愛を知らない
押し付けをする際には人それぞれに強要や強制、偽りの演技に誤魔化しに偽善の建前、脅しに見えないように振舞い、暴力にならないように言葉の角を取る小手先の体裁を守る行為をします。
そこには、他者のために意見を提供したり、共感したり、提案や共有という形はなく、あくまで自分が満足して納得するために他者に押し付ける目的があります。
「あなたのためなの」と親が子供に押し付ける際などの決め台詞は、「私の納得するようになることがあなたのためなのよ」という私物化の認識があり、自分の人形かのように扱います。
言語化すると非人道的に聞こえますが、それを実際に行動して押し付ける際には悪意なく無意識にしているので自覚がなく、自分を俯瞰する意識がないので気づくことができません。
そこには、明確に愛がない様があります。
愛を知らないために押し付ける理由となり、愛を与えることができません。中には、押し付けることが愛だと思い込んでいる人もいます。
同時に、自分自身にも愛を与えられないので、人を敬うことを言葉としてわかっていても教科書がなければ行動できず、愛という気持ちや認識がありません。
自分を見失っている
価値観の押し付けをする理由の最たるものは、”自分の見失い”です。
自分のことがわからず、自分で自分を認識できません。
そのために、他者を利用して自分を見出す行為をして、他者と比較したり区別することで自分の存在価値や意義を作ります。
それを”エゴ“と言います。
名前がなければ自分だとわからなくなるように、自分一人だけでは自分の存在を認識できなくなります。
その状態では悪意なく押し付けをしてしまい、それが人の世界を壊しているとしても、「同じように他者に押し付けて生きていけばいいじゃないか」という連鎖を作りかねません。
価値観の押し付けとは呪縛であり、ありのままの自分を作らせない抑制の連鎖です。
その呪縛を誰かが止めなければ、継承するように苦しむ人が作られ、同じことを他者や自分の子供にして、自分が苦しんだように苦しませることが続いていきます。
そして、現にそれがずっと続いてきたことで押し付けを今なおする人間がいます。
※人生観の詳細は、人生観が変わるとは自分の世界を明確にすること│変えるためには掃除?! をご覧ください。
価値観の押し付けをされると起きること
ここからは、押し付けをされる側の目線で、押し付けられると起きることをお伝えします。
価値観の押し付けにて作られる特徴
価値観を押し付けられると起きることは、押し付けた人と同じになることです。
「絶対にああはならないぞ」と思っていても、気づいたらなっている状態があり、そこには自覚ができない自分が既にいたりします。
それは自分で自分を認識できなくなっている状態で、変化を自ら作ることが困難な人間性と在り方です。
そんな副作用的な押し付けられる特徴をありのままに書き綴ります。気づきの機会や参考になればと思いますので、順番に見ていきましょう。
思い込みと勘違いをする
価値観を押し付けられることで、”思い込み”が激しくなります。
「こういうものだ」「そういうもんなんだ」「みんながしているから正しい」というように、自分の意見や考え方ではないために、保持するために思い込みを強めます。
心理的に自分の意見や考え方がないことを自覚しない防衛意識があり、自分で自分を否定しないための無意識の行動となることで、気づくことが難しくなります。
決め付けが自然になる
思い込みの連動のように決め付けるようになります。
決め付けによって他者に自分の認識を押し付けるようになり、無意識で悪意なく人の世界を壊し、否定します。
すると自分がされたことをしていることになり、そんな自分を見ないように自分に嘘を付いたり誤魔化すようになると、変化の意志がなくなり、価値観の押し付けの継承が起きます。
周囲を気にする
周囲を気にします。他者の言動、行動、思考、全てが気になりキョロキョロします。
その分観察力が半端なく伸びます。という効果もありですが、自分を守るための行為です。
他者から否定や排他などの攻撃をされることを防ぐための防御策として、盾を自分の周りに張るような状態です。
自分の意見がなくなる
押し付けでは自分の世界が崩壊するので、立て直しをしない限りは壊れたままです。
壊れている状態では自分の認識がないので、押し付けられた価値観を基に物事を認識して、これは良い、あれは悪い、と自分の真意なく決めていきます。
認識が自分のものではないと、他者の意見や他の情報がなければ何も意見を見出せなくなるので、他の情報を脳内にインプットして、それをそのまま自分の意見かのように思い込みます。
思い込みがあることで、自分の意見がないことを認めることができなくなり、自分を偽る在り方が構築されていきます。
否定を恐れる人間性になる
押し付けられる際は必ず心地悪い経験になります。それは、苦しく辛いものです。
押し付け行為は”否定”なので、その経験の記憶が心の傷のように残り、否定に繋がる言動・行動は全て退避勧告がアラームとして体内で発動します。
恐怖から逃れる人間性となり、人を嫌いになったり、攻撃性のない人としか関われなくなったり、生きる上での制限がついていきます。
完璧主義者になる
思い込んで決め付け、勘違いして気にして、否定を恐れることで完璧主義者になります。
自分の認識以外を間違いだと思い、自分ルールが厳格で、他者に強要します。
それはまさに、押し付けられたことを押し付け返しているように、自分を正当化するために他者を利用します。
なにより否定を恐れるために誰よりも正しい状態を望み、社会的な常識やルールを詰め込み、自分を正当の中心点と思い込むことで、否定されない在り方を固めようとします。
他者の言動を敬えない
否定を恐れる在り方で他者を敬うことはできません。なによりも自分を守ることが優先の状態では余裕がありません。
自分として生きる基盤がないために自分を敬うことがなく、他者側に立って物事を見ることは困難です。
押し付けられることは愛の反対の行為です。そのため、愛を自分にも他者にも与えることがわからなくなります。
押し付けにて作られる特徴 一覧
これまでの一覧はこちらです。
- 思い込みと勘違いをする
- 押し付けの反発にて決め付けが自然になる
- 周囲を気にする
- 自分の意見がなくなる
- 否定を恐れる人間性になる
- 完璧主義者になる
- 他者の言動を敬えない
押し付けられた経験の活用
最後に、この記事で最もお伝えしたいことをご覧いただいて終了します。
これまでの内容は、私の知っている少しばかしのことですが、事実としてまとめたものです。
この内容は、価値観を押し付けられることの事実から見える、活用的な捉え方を共有することが目的です。
同時に、無意識で押し付けている人に気づいてもらうためのものです。
私は、価値観の押し付けはこの世で最も不要なものだと思います。押し付けが激化することで心の傷まで負わせるただの攻撃です。
そんな経験は貴重です。
経験を受け入れると、“押し付けられることは自分を俯瞰して見る機会”と捉えることができます。
言い方を変えると、自分を変える認識を作れるということです。
価値観を押し付けられることは自分で価値観を作るための気づきになる
価値観を押し付けられることで、価値観を自ら作る認識を作れることに気づきます。
笑顔で、「〇〇ちゃんはこれがいいよね~」とされれば強制だとは思いません。そこにあるのは受け入れられるかどうかです。
受け入れられれば押し付けは提案になり、提供になり、共有になり、敬いになります。
何が良いかは人それぞれです。
受け入れられれば、自分の意見にならずとも人の言うことを素直に聞く人になり、意見を持たずとも幸せで気楽に生きる認識の基盤が作られます。それは価値観がない価値観です。
ですが、受け入れられないことによって自分の意志が強くあることを知り、それは自分の価値観と意見を作る基盤が明確にあることを意味します。
そのような人は、自分の意見を自分の目と頭と心で作る認識として、自分の価値観を作ることを望むタイプです。
押し付けられることは必要な経験で、自覚して気づくことでより自分らしさを追求する在り方となり、自分の価値観を作る気づきになります。
押し付けにて作られる特徴を自覚すると自分らしさに気づく
押し付けられたことは事実としてそのままに、押し付けられることで作られる自分の特徴を見て、自覚することで自分らしさに気づくことができます。
これにより、自分の意見を作る育みになります。
押し付けられたことによって自分を俯瞰して見る気づきとなり、自分次第でいくらでも認識を変えられるようになります。
押し付けられなければ、自分に違和感がなければ気づくことはなく、変化することは困難です。
変化したいかどうかは人それぞれですが、起きたことを受け入れることで、起きたことに意味があり、自分のために活用することができます。
それを活用した時、自分にもたらされるのが”変化”です。
※価値観を押し付ける人の対処法は、「自分が正しい」と思っている人の心理と対処法│人間は誰しも思い込みたい をご覧ください。

価値観を押し付ける人 まとめ
「押し付けてくれて、ありがとう」
そんなことは一生言う必要ないです。
起きたことは自分のために使いましょう。すると、自分の変化が生まれて、より自分らしさがわかり、自分を知ることができます。
その際には自分を大切にして敬い、他者を敬うことに繋がっていくので、物事は一歩一歩という具合に着実に進んでいきます。
何より自覚して気づくことで心が軽くなると思います。
思い込みと決め付けをして、勘違いして気にして、否定を恐れて完璧主義者になって人を敬わない。何もいけないことなどありません。
ですが、そこに違和感があれば、気づくことで変えられます。違和感があるということはそれは自分の世界ではないことの表れです。
押し付けることで押し付けを継承していく形となりますが、押し付けを受け入れることで恩恵を見出します。
それを私は”押し付けの法則”と呼びます(勝手に言っているだけです)。
押し付けの法則は継承だけではなく変化になり、自分らしさになり、恩恵になる、陰から陽への変換魔法。気づくことで法則は法則として成り立ち、気づかなければ継承だけする変化なし。
価値観を押し付けられた経験をぜひ自分のために活用していきましょう。そんな理解がもたらされることを願い、価値観を押し付ける人の特徴と理由からわかる話を終了します。
最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。
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