[抑圧vs解放]のバトルは熾烈を極め、最終的には解放が勝る。
これが泣く仕組みでありながら、怒る仕組みと全く同じです。
すぐ泣いてしまう時、泣く選択をする理由と動機があり、泣くエネルギーを強めます。
泣くことは本人にとって大事な行為。
そこにはすぐ泣いてしまう理由と原因、エネルギーを強くする意味と動機がありそうです。
ここでは、大人になってもすぐ泣いてしまう理解を見ていかれてください。
- 大人になってもすぐ泣いてしまうのはなぜ?
- すぐ泣くことの何が問題なの?
- 泣くエネルギーの利点と汚点とは?
これらを紐解き、「泣く意味があるから泣いているんだ」と知っていただく内容となっております。
周囲を鑑みない涙流しは時に迷惑をかけてしまい、泣くのをやめたいと思うかもしれません。
泣く仕組みの理解が感情コントロールの一歩目となりますので、一つの考え方としてご参考になれば幸いです。
Contents
大人になってもすぐ泣いてしまうのはなぜ?

子供も大人も泣く意味がある
なんだか周囲を見てみると、成育している人ほど泣かないように思えます。
私は子供の頃はすぐ泣いており、泣くと親に怒鳴られるので、「仕事なんだよ!」と言わんばかりにさらに泣きわめいていました。
子供の頃は泣く意味を強く実感していたかもしれません。
しかし、成育と共に泣く意味は薄れ、常識やルールに従い、周囲への配慮や体裁を守るスタンスを強め、感動も減っていく。
すっかり泣く意味を忘れてしまい、泣くことは恥とすら思い、時たま一人の時にポロッと涙。
泣く意味ってなんだったんでしょうか?
自分を愛するためであり、癒しを与えるためであり、悲しむ自らを可愛がり、慰めるためです。
自分が大切だと思い、愛したいと欲し、頑張っているから甘えさせたいと願い、護りたいと抱き、自己愛が強ければ強いほど泣きます。
ナルシシストであることに偽りがなければないほど泣くと考えられます。
すぐに泣く理由と原因
私達は誰しもナルシシストです。イタリア人は肯定して利点にすらしてそうです。
子供であればあるほど自己愛を主張して貫き、自分を絶対的中点にします。
成育と共に自己中心性が薄れ、認識を自分の固執から周囲へ広げ、自他の境界線を把握し、自己愛から他者愛、利己心から利他心へ向かうと、ナルシシストは緩和されていきます。
ナルシシストは自分への愛に集中します。
認識する出来事は自分に照合・投影して捉え、他者の出来事でも辛さや苦労など、「私には認められない、嫌だ、不安、怖い」と思えば、悲しみや憤りの感情を見出すのが大きな特徴です。
よく泣く人は憤り以上に悲しみを見出します。
ナルシシストであればあるほど、自分の思い通りに行かず、期待通りにいかず、嫌なことを拒否し、干渉を嫌がり、不納得や不満足、不安や恐怖などがあると、“抑圧”が増えます。
自分らしくいられない反発や抵抗の抑圧によって、嫌なことが起きると悲しくなります。
怒りやイライラ、憤りによる攻撃意識にならず、悲しくなる特徴的な点に、すぐ泣く理由と原因が見られます。
- すぐ泣く理由
…自分の中の抑圧が悲しみになる - すぐ泣く原因
…自分を愛して抑圧を解放する意欲が強い
不満や不満足、不安や恐怖、嫌で認められず拒否したいもの(抑圧)が悲しみの感情に変換されるのがすぐ泣く理由であり、根底の原因には抑圧を解放する愛の強さがある、という考え方です。
着目点は悲しみの感情と、それを発散したい自己愛。
ここにある気持ちが、「癒しを求める意志」です。
癒しを求める心があるとすぐ泣く
「癒しを求める意志」とは、自らに癒しを与えたいと想う心であり、癒しによって自らを喜ばそうとする覚悟や勇気を表します。
癒しに対する心の想いが強く、自己抑圧される出来事があると悲しみの感情になりやすく、自らを大切にしたい気持ちがあるために抑圧を解放します。
解放によって、悲しみは涙として流れて発散・放出されます。
悲しみが手放されると共に癒しを得て、自らを治癒して護ります。
抑圧の解放意欲となる癒しを求める心があればあるほど、泣きやすくなります。
誰かに怒られた時、嫌なことがあった時など、自分の中で認めて受け入れられない抑圧が発生し、悲しみに変換され、解放したい自己愛が勝ると泣き、癒しを得る。
[抑圧発生→悲しみ発生→解放意欲が勝る→泣く→癒される]
※抑圧が多ければ多いほど、解放意欲が勝れば勝るほど、癒しを求めるメンタルであればあるほど、すぐに泣くようになります。
※特定の人の前で泣いてしまう仕組みは、悲しくないのに…なぜ?│特定の人と話すと涙が出る仕組み をどうぞ。
すぐ泣く人は癒しを求める陰タイプ、内向性質
すぐ泣くポイントとなるのは、「どうして抑圧が悲しみになるのか?」の答えです。
癒しを求める性質が関わると考えられます。
内向性です。
外向性にて自らを外側へ発し、刺激や楽しみを求めるさま。極端に言うと、パーティでフォー!ではなく。
自らの内へ向かう内省や内観をして、癒しや安らぎを求めるさま。休日は芝生の公園でコーヒーを飲みながら読書し、愛犬と一緒にお昼寝が良い感じ。
内向性質は自らへの癒しや個の在り方を尊重します。
そこに、抑圧の解放意欲をネガティブに持つさまが追加されます。
陰タイプの心を開きたい意志
抑圧の解放は、「こんなものは自分らしくないから邪魔だ!」と発散するさまであり、自らを護り、喜びを与える心の在り方です。
よく泣く人は喜びの与え方が癒しになる傾向があり、抑圧を解放する際に内向的に心を開きます。
陰陽思想でいう、陰(ネガティブ)に偏る抑圧解放であり、陰タイプの心を開きたい意志があると考えられます。
心を開く勇気や覚悟によって意志が見出され、陰を活用した解放の結果、悲しみを手放して癒しにする手法となります。
これが陽タイプになると、悲しみではなく憤りやイライラになり、陽を活用した解放は怒りの発散となり、よく怒る人となります。
- 陰タイプ
…陰によって抑圧を解放し、悲しみを手放して泣き、癒しを作る - 陽タイプ
…陽によって抑圧を解放し、イライラを手放して怒り、喜びと快感を作る
よく泣くのは陰寄りの抑圧解放であり、内向性が関わる。
よく怒るのは陽寄りの抑圧解放であり、外向性が関わる。という二極性です。
すぐ泣いてしまうのは悪いこと?
上述では、すぐ泣く心理と性質と仕組みを知っていただきました。
実際に重要になってくるのは、「すぐ泣くと何が問題になるの?」だと思います。
泣く行為そのものは悲しみとなるあらゆる抑圧を手放し、癒しを作って自らを愛し護る本当に重要なことです。
泣きたくても泣けない人、怒りたくても怒れない人もおり、抑圧は解放したいからただ解放するものではなく、解放には勇気や覚悟が要り、自己愛が必須アイテムになります。
そのため、ナルシシズムは私達人間には欠かせないものです。
しかし、問題は別です。
すぐ泣くのは自分のためだけの行為ですので、誰か周囲に人がいる状況では無意識にあることが起きる可能性があります。
支配です。
独断場を作り、周囲は一気にサブに降格。脇キャラは何を言っても影響が弱くなり、まるで自分の主張は間違っているように感じます。
既に泣く人のテリトリーの中。
泣く人の周囲は飲み込まれないように自らを保持して、自らを律するためにも状況が危ぶまれます。
「すぐに泣くんじゃない!」と言っている自分がまるで悪であり、罪悪感すら感じる完全アウェイ。
周囲は飲み込まれないために必死になり、怒ったり論じて制したりと反発し、「自分」の存在を消させず、認知するために頑張ります。
「自分を主張したい、私は間違っていない、私は私である」と思いたい人ほど、すぐ泣く人に対する抵抗感や反発心が強くなり、無意識に自己防衛が発動してあらがいます。
本人にとっては重要ですが、知らぬ間に周囲を支配下にする可能性を潜める泣く行為。
ここに、泣くエネルギーの影響があります。
※泣きたくないのに泣いてしまう詳細は、泣きたくないのに泣いてしまう大切な意味│涙ヒーリングのアイテム化はご法度 をどうぞ。
泣くエネルギーが強い人の利点&汚点
すぐ泣いてしまう人は泣くエネルギーが強い
泣くエネルギーの構成材料があります。
- 抑圧の多さ(悲しみの蓄積量)
- 自己愛の強さ
- 癒しを求める内向性
- 陰性質による心を開きたい意志(動機)
※抑圧の多さは、恐怖心の記憶の多さ(または経験測の高さ)でもある
メンタルの在り方と、欲求の強さと、性質が合致して、泣く行為として発散し、癒しを作ります。
泣くエネルギーとは抑圧を悲しみに変換し、ハッと吐き出すことで見出す悲しみの手放しであり、癒し作り。
自己治癒のためのエネルギーであり、抑圧の発散工夫による自己利益への変換術と考えられます。
泣くエネルギーの強さは多くの利益があるために利点が見出されながら、周囲を含めることで汚点が発生しますので、それぞれの特徴をご覧ください。
泣くエネルギーが強い利点
1,悲しみの解放による癒し
癒しは多大な自己治癒薬です。
泣くことで悲しみ(抑圧)を手放し、自己内部に蓄積する重荷や未浄化のエネルギーを吐き出し、スッキリします。
癒しを好む人であるほど、泣く行為は重要な利益作りの方法です。
2,心を開く愛の人
自己愛の強さは周囲を鑑みずに自分にだけ集中する一面もありますが、泣くこと自体は心を開いて解放するさまであり、弱味も欠点もさらけ出す勇気があります。
心を開いている、または開きたいからこそ泣くため、自らを偽り他者を誤魔化す人ではない、素直さの表れです。
愛を持って自らと接しているさまは、周囲に警戒を与えず、関わりやすい愛のある人として写ります。
3,一気に成長できる
抑圧の多さは恐怖心の蓄積であり、恐怖と関わる経験の多さを意味します。
恐怖を解放するために愛が必要となり、愛が勝って解放した暁に涙するので、日常的な出来事で恐怖を感じて愛が勝るシチュエーションがあれば泣きます。
よく泣いてしまうのは蓄積した恐怖心を克服していない意味でもあり、克服して成長するための材料がたくさんあります。
恐怖とは嫌なものですが、既に経験して記憶に入っている以上、活用すれば一気に成長して強さを得る糧となり、成長幅がとても広い利点があります。
4,感動しやすい
恐怖に愛が勝る意志や勇気の自己愛があると、他者の出来事でも自分の記憶を照合・投影しやすく、妄想や空想などイマジネーションを広げやすくなります。
映画や本などの他の世界であっても自らを中に自然と入れ、恐怖と愛の両方を見出せるので感動して泣きやすくなり、まるで自分事のように認識を変換できます。
心を開き愛を持って作品と向き合い、感情と欲求に素直なさまは、日常的に自分を喜ばしやすくなります。
5,よく笑う人になれる
涙を流す経験が多い人は、心を開いて温かい気持ちで物事と向き合う認識を持ちます。
この気持ちが記憶にたくさん含まれていくため、人に対しても温かく関わることができる優しい人になります。
恐怖を克服することで、自分から他者も含めて捉える認識の広がりを育み、泣く経験があったからこそ物事をしっかり捉え、相手側の目線も知る動機を持つ成長へ繋がります。
この結果、笑う点を見出したり、過去の嫌なことも笑いに変える強さを持ち、よく笑う人になれます。
以上が、利点でした。
※怒りのエネルギーが強い人は、【怒りのエネルギーが強い利点&汚点】すぐ怒る人は頭が悪い訳ではないと知った体験 をどうぞ。
泣くエネルギーが強い人の汚点
1,無意識の支配で迷惑をかける
知らぬ間にテリトリーを広げて周囲を飲み込むのが、泣く行為です。
抑圧の解放意欲が強いと、人前であっても欲求優位であるために他者を配慮する余裕がなくなり、自分のためだけの行為が加速し、周囲に与えている影響を自覚できなくなります。
どうして周囲がそんなに嫌がるのかわからないまま、泣くことを否定され、拒否され、排他されてしまいます。
2,泣くエネルギーの影響力が強すぎる
エネルギーの影響力は非常に強い特徴があります。
怒りのエネルギーと同じであり、怒る人がいれば周囲に怒りが伝播するように、泣く人がいると周囲に悲しみや抑圧の解放欲求を持つ意図が伝播します。
エネルギーが強いために無意識に自らのテリトリーをブワンと広げ、それに入る人はとにかく影響を強く受け、同じように泣きたくなる人もいれば、影響を反発したくなる人もいます。
他者によって自らの在り方を作られるので、支配や干渉になり、よく思わない人が増えます。
3,泣くのをやめられなくなる
利益は多大であるため、一度泣いてしまうと周囲を配慮するのが難しく、周りが見えなくなります。
感情と欲求に飲み込まれると自分勝手やわがままになりながら、「そんなことはない、自分はナルシシストではない」と認めずに抑圧を増やし、泣くためのサイクルを無意識に作り、ハマります。
泣きたいから泣き、利益を得るために泣くなど、とにもかくにも泣く選択を自らしている自覚がなくなると、泣くのをやめられなくなります。
4,何が現実かわからなくなる
もし泣くことに依存してしまうと、現実認知に偏りが起きます。
自己愛に基づく認識でしか物事を捉えなくなり、他者側や自分の外側、自他を含めずに全体から捉える目線がなくなり、[現実=自分にとっての世界]という空想妄想主義に知らぬ間になる可能性があります。
現実とは自他両方の認識を捉えることで初めて見れる世界であるため、自分のみに偏って依存すると認識力や脳の機能停止が起きます。
5,人を動かす欲が出る
泣いたら心配されたなど、周囲の反応に利益があると泣くことの汚点がないと思い込み、人を意図的にコントロールする欲が出ます。
※内向的ではなく外向的な人が涙を利用すると、こうなりやすいです。
悲しみの発散によって人を動かす二次利益は、悲しくないのに嘘泣きするなど自らを偽るようになり、心を開いていないのに泣くようになります。
人に同情や共感できなくなり、感動できなくなり、自分のことがわからなくなります。
利益事に執着する涙は心の冒涜となってしまい、自ら心を蝕むために泣くという、本来の意味も自覚もない自己喪失へ向かいます。
以上が、汚点でした。
※怒れなくて泣いてしまう時は、【改善策は毒吐き】怒れない時に悲しくて泣いてしまうのは合図 をどうぞ。
大人になってもすぐ泣いてしまう時に大切なこと
泣くとは怒りの反対であり、憤りの反対である悲しみの発散行為です。
悲しみが蓄積し、自己内部に恐怖心が蔓延し、「これ以上自分を穢せない、護りたい」と自己愛が恐怖を勝った時、ドバッと涙を出します。
泣く行為はとても大切であり、心を開きたい愛の表れです。
しかし、自分にとってのみであることを忘れてはなりません。
怒りと同じで、泣くことも自制がなくなると、感情コントロールを逸脱します。
怒りとはポジティブな陽であり、泣くとはネガティブな陰。
どちらも性質に合わせた在り方であり、利点も汚点も両方あります。
アンガーマネジメントがあるながら、サッドマネジメントも必要であり、どれほど自らが自らを客観して捉えられるかの自己理解が物を言います。
感情コントロールは目的の理解から始まる
子供でも大人でも泣く時は泣き、仕組みは同じだと考えます。
ただ、子供の時は陰陽の偏りが少ないので、アンガーにもサッドにも向かいながら抑圧を解放してたくさん泣きます。
大人になると人それぞれの性質に傾き始め、より泣く意味や目的がはっきりしていきます。
物事には必ず意味があり、そこには目的が潜みます。
わかりにくいだけで必ず目的がありますので、自制したくてもできずに泣いてしまう時には、自覚が大切です。
「泣きたくて、泣く意味があり、泣く目的があるから、泣く選択をしている」
全て自分次第です。
「泣きたいから泣いているんだ」と理解した時、サッドマネジメントは既に進んでいるとわかります。
自らの内面を見つめながら、そんな理解を進められてみてください。
※感動にて泣く詳細は、【涙もろい人は心のパイプが太い】感動しやすい涙はスピリチュアル をどうぞ。
すぐ泣いてしまう大人 まとめ
自分にとって大切な行為、泣く。
「泣いてしまう」と思う場合、何かしら不都合が起きていると思いますが、それは周囲への迷惑なのか、迷惑によって自らの心に傷つくのが嫌なのか。
泣くとは絶対的な自分との向き合いです。
泣く時の焦点も矛先も自分です。
もし、泣ける人が恐怖心を克服して感情コントロールができると、他者に焦点を合わせて本当の意味で同情できます。
同情には必ず他者への愛と、他者の悲しみや心の中を捉える認識、そして感性と知性を合わせた利他の心で、自分を相手に授ける強さを要します。
人の中の悲しみにはさまざまな種類がありますが、相手をしっかり捉えられる人は、「悲しむことしかできない」という悲しみを知ることができます。
それは本人のみではどうすることもできない、強烈な縛りや制約による恐怖であり、同情する以外に温かみを与える術がない、硬いダイヤモンドのような悲しみ。
人の悲しみに寄り添えるのは、悲しみをたくさん味わい、経験した人です。
泣いてしまう時には泣く意味と目的を知り、自らの涙を顕微鏡で分析するように把握してみてください。
自己理解の先には、悲しみを知ってあげられる愛があり、すぐ泣く大人の姿が表れます。
そんな大人になれるのがよく泣く、もとい、よく泣いてしまう人なのだと思います。
意味と目的を知る一助となれば幸いです。
それでは、すぐ泣いてしまう大人のお話を終了します。
最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。
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