心理と特徴

【人と比べてしまう原因と心理はシンプル】比較は常識。癖は選択。

たくさんの意味がある人との比較。

納得があり、利益があり、自己認知があり、ルール従順があり、素直さがあり‥‥。

自分にとっての意味があれば比較は癖になり、上下、勝負、優劣、善悪、正否に区分ける目的を含みます。

目的を知ると人と比べる原因がとてもシンプルであるとわかります。

ここでは、人と比べてしまう原因と心理を見ていかれてください。

  • 人と比べる目的とは?
  • 人と比べる原因とは?
  • 人と比べる心理とは?

これらの紐解きにて、人と比べることに潜む心理と原因解明を知っていただく内容となっております。

私は比較を多用していた時があり、比較しなくなった時に気づいたのは比較するシンプルな原因でした。

人と比べてしまう際には、比較する意味や目的が不明確になっていることが重要ポイントとなりますので、私の経験からの理解が一つの考え方としてご参考になれば幸いです。

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人と比べる原因

人と比べるのはなぜ?

自分と他人を比べる際、私達は目的を持ちます。

目的として考えられるのは、欲の満たしや解消です。

欲が満たせるから比べ、欲が解消できるから比べます。

比べるとは自分と他人を天秤に乗せることですので、どちらかが上に行き、どちらかが下に傾く結果や状態を作る明確な意図があります。

この天秤のさまによって欲の満たしや解消ができ、必ず天秤を傾けるルールと人を要します

ルールとなるのが常識や社会性の正否、優劣、善悪です。

ルールや人などの「他」を用いて、自分を上か下にして目的を果たすのが比較。

これを我欲と言います。

我欲とは自分を他によって喜ばそうとする欲です。

我欲があればあるほどに人と比べて欲を満たしたり、解消する目的を果たそうとします。

 

人と比べる目的があると比較が癖になる

目的である欲として考えられるのが、自分の確証取得です。

自分の位置や立場、居場所や存在、価値や意義を知りたい欲。

自分のことを認識したいことを意味し、自分が存在する確証を欲します。

確証取得を目的にすると、他人との比較では上でも下でも、勝でも負けでも、優越でも劣等でも、結果はどうあれ目的を果たせます。

最たる例がSNSだと思います。

他人のポストを見て、良いも悪いも優越して劣等することで自分を認識する時間になり、「いいね」という比較しやすくて数までわかる機能があるので、より明確に優劣を感じながら自分を確証できます。

 

人と比べてしまう過去の体験談

私は幼い頃から常に人と比べて自らを認識していました。

自分で自分のことを知らず、価値や意義を見出せず、「どうしてここにいるの、何をしたいの、何で生きているの?」と何もわからず、他に向かうことで答えを得ていました。

答えがわからないから探します。

中学生になった時、小学生の時には真面目に聞いてすらくれなかった質問を先生にしてみました。

「先生はどうして生きているの?私はなんで今も生きているの?」

誰も教えてくれない。答えがわからないので誰かに頼りますが、先生もわかりませんでした。

他人のことをわかるはずはありません。それでも我欲を解消するために他人に執着し、人と比べて答えを見出そうとします。

本当は比べることに意味などなかったのかもしれません。

ただ、自分を認識するための材料が欲しかった。

 

優越すると自分がいるような気がした

探してもわからないので自ら作るようになっていき、人と比べて勝ち、上になり、優越感を得る体感をしていきます。

部活動の大会、個人で優勝した時に勝ったことなどどうでもよく、とても嬉しい気持ちになりました。

自分がここにいると思えたからです。位置や立場や居場所を作ることで自分の確証を取得し、我欲を満たせました。

共に自分を確証できる利益がありますが、劣等は心地悪くて優越は心地良いので優越を求めるようになり、求めれば求めるほどに褒めてくれる人すら表れ、沼にハマっていきます。

優越すると自分がいるような気がしました。実際には自分のことを他によってでしか認識できなくなっている実情。

事実は内観によって知っています。しかし、認めることができずに誤魔化して現実から逃げ、あらゆる取り繕いをしてルールに頼って従い、何も考えなくなっていながら考えていないとは思わないようにする時間が続きました。

 

比較しなくなった時に気づいたこと

随分と時間はかかりましたが、その後海外を旅していた際に人と比べる必要がなくなりました。

自分のことは自分で認識できるようになり、他を介入させる天秤はアラスカの川にぶん投げてきました。

実際に比較しなくなって初めて気づいたのは、「人と比べるのはなぜか?」に対する答えでした。

答えは、比べなければやっていけない環境

「飲まなきゃやってらんない」と同じです。

環境依存していた自分の気づきであり、社会性に従順過ぎた自己理解を意味します。

何も他と比べる必要のない旅という環境は、あらゆるものを真っ新にしてくれました。

川が流れるのは雨や雪が降るからであり、山の雪が溶けると川に流れ、海へ向かいます。光景を目の当たりにすると、環境を知らない無知は環境に飲み込まれやすくなるとよくわかりました。

人と比べる原因は環境であり、環境を理解していないことによる「当たり前」の認識だと考えます。

※人と比べなくなった詳細は、人生を変えた経験を本に|ふざけた人生哲学 幸せはムニュムニュムニュ をどうぞ。

 

人と比べる原因

小さな頃から周囲に比較され、「あの子は言うことを聞いてえらいのに」「もっと勉強すれば成績が良くなるのに」と言われ続ければ、比較によって人間の価値や存在意義を見出すのが常識になります。

ルール設定がプログラミングされ、自然と恒常化します。

自尊を穢さずに敬いを持ち、他人と比較して人を評価・判断しない環境であれば、人と比べるルール設定はありません。

先住民やインディアンなどがこの環境で、そのような場所は海外にたくさんありますが、絶対数が限りなく少ないです。ましてや日本では、という感じです。

ほとんどの人は他と比べることで存在を抽象化され、褒め方を知らないと肯定できないので、他と比較してなんとか良い悪いを導き出そうとします。

我欲を持たない人、他に執着しない、他に頼らずに自分を認識する人の絶対数は少ないので、社会で生きている以上は人と比べるのは常識だと思います。

階層や生まれで上下区分けしていた時代から、お金や肩書きによって上下区分けする時代になり、上下区分けしたい人間の我欲と支配欲は変わりません。

人と比べるのは社会という他者との共存であり、ルールに基づいて生きる基盤の上では常識。上下に区分けして勝負でお金を得る資本主義であればなおさら常識です。

社会環境の上で生きているのが私達ですので、人と比べるのは当たり前だと思います。

しかし、「当たり前」をどう認識しているかでこの意味は大きく変わります。

 

当たり前をそのままにすると常識に飲み込まれる

人と比べるのが悪いなんてことはありません。

問題は常識という当たり前は、人と比べる意味や目的を考えなくさせる無効化が働きます

「当たり前だから、みんなそうしているから比べる」
「だからこそ比べてはならない、今の社会が良いと思わないから比べない方がいいのでは」

私達は生まれた時の環境が自分にとっての自然になるので、何か違和感を感じても変える行動を止める無効化に取り巻かれやすく、できるのは現状の肯定か批判という、常識を基準にした良い悪いです。

他と比較して生きる社会常識を、自分の意思で考えなくなる原因が「当たり前」です。

当たり前という認識はマジックのような自我無効化機能があるので、周囲の環境によってインプットした価値観や観念を自分なりに考えて見直し、常にアップデートしていかないと、比べる癖になります。

 

人と比べる原因はルール従順過ぎる

比べる原因として考えられるのは、上述の環境影響と、当たり前を当たり前のままにする在り方です。

言い方を変えると、ルールに従順過ぎる素直さという考え方です。

常識に飲み込まれると人と比べることの何がいけないのか、何が悪いのかを、世間一般的に見出すかもしれません。

実際には、「人と比べることは自分にとって何が問題なのか?」のみが唯一存在する答えですので、常識から離れて自らの在り方を見つめ直すことでわかります。

そのためにカウンセラーやセラピストの人々がいます。

常識に従うのは大切ですが、常識から離れて捉える認識がないと比べる癖になります。

※人と比べるのをやめてわかった体験談は、【体験結果】人と比べるのをやめた気づき「比べてもいいじゃない」をどうぞ。

 

人と比べてしまう心理と気づき

人と比べてしまう原因

人と比べることはルール従順のさまですので、肯定もできます。

肯定すると比較を進んでするようになり、モチベーション向上や能力アップの育みとなり、競争心を持って努力する力になる大切なものです。

優越を得られれば社会のルールに綺麗に則って勝ち続け、ルールの上での幸福だか何だかをゲットできます。

「比べてしまう」と思う場合には、自らの在り方への否定がありながらも比べる状態です。

否定する場合には上下区分けの天秤に、ネガティブな印象があります。

優越や劣等による差別化を善とせず、自分を他によって見出そうとする目的遂行への抵抗があります。

この原因として考えられるのは、現状の自分に対する違和感であり、自らを自ら認識したいのにできないひっかかり。

自分を認めたくない何か。恐怖を自己対処できない自尊の喪失、自己肯定感の低さ、自己評価の低さ、自信のなさが考えられます。

詳細把握のために、心理を含めて見ていきましょう。

 

人と比べてしまう心理

比べることをしないと私達は個々の存在を見出しにくくなります。

「はい、これから全員の名前は梅丸梅子ね」となれば、「梅子」と呼んだ時に全員がこっちを向いてきます。

これは怖い、と同時に個が不明確です。

「きみの方が身長が高いね、それじゃあ私は低いということだ」と比べ、相手や自分を特定したり、型取りや認識しやすくなります。

比べること自体はとても大切な概念ですが、自分と他人を比べた時に欲を見出すとあることが起きます。

優劣、上下の区分けによる差別化です。

 

差別化を図る比較

欲を持って人と比べると利益を得る目的を抱き、我欲が絡みます。

自分を喜ばしたい気持ちがあればあるほどに欲を持ちますが、自分ではなく他によって喜ばしてもらおうとすることで我欲が増え、満たされない状態があればあるほどに我欲を解消しようとします。

幼い子供は我欲がないために、人と比べた時の優劣は共に自分のためになり、とても大切な比較だとわかります。

「私は友達の梅子よりブランコからの靴飛ばしが得意」と自分を知れて喜ぶ。
「私は友達の梅子よりかくれんぼがへたっぴ」と自分を知れて喜ぶ。

優越感も劣等感も共に自己理解を深めて得意分野を伸ばしたり、苦手の克服などの行動動機となり、認識力を高める必須アイテムとなります。

我欲にて差別化を図る比較になると、「梅子より靴飛ばしができた、梅子はダメな子だね、しょうもない」と人を蔑み馬鹿にし、我欲を他によって満たそうとします。

「私はしっかり隠れることもできない、なんてみすぼらしいの」と自らを劣等させて否定し、劣等に悪のルールを付けて、優越をより強く求めるようにもなり、自己評価できずに自信がなくなり、自己肯定感を下げ、自己憐憫性を強める可能性も出て来ます。

優劣に良い悪いのルールを付けると、人と比べることで人を差別してしまいます。

※人と比べても何者でもない件は、何者にもなれないと気づく大切さ│自然をもたらす何者でもない自分 をどうぞ。

 

「比べてしまう」と思う人は社会への反発がある

優越に喜ぶ人は人と比べて競争を楽しみます。優越感にハマった状態です。

劣等に悲しむ人は人との比較を嫌がり距離を取ります。

比較にネガティブな印象を持つ場合には、差別化や辛さがあるために比べたくないと思います。にもかかわらず比べる場合、自らの制御を外れている心理が考えられます。

自分の中に社会性がない状態です。

自分の中の世界で秩序が守られていない心理があり、自らの意思や意志によって物事を認識していない可能性があります。

これがルール従順過多にて、常識に飲み込まれた状態です。

自分の中の社会性は初めからあるわけではなく経験や知恵によって育み作っていきます。初めは他の常識やルールを用いて、そのまんま社会の常識を当てはめていきます。

これが人と比べるのが常識の状態です。

しかし、比較にネガティブな印象がある場合は社会の常識を当てはめず、さらに自分の社会性がないために、したくないのに人と比べてしまうこととなり、常識的に比較する社会への反発を抱きます

社会の在り方、資本主義の仕組み、国民性や傾向など反発を持つと、反発している自分を作ることでの自己の確証取得が無意識の目的となり、比較をやめたくてもやめない状態が発生します。

社会に反発する目的を持って比較するようになり、社会への否定や拒否や反発が人と比べてしまう原因の心理を作ります。

 

人と比べる際には常に目的がある

心理にてお伝えしたいのは、人と比べる行為には常に目的があり、何かしら利益を得ようとしていることです。

「自らのために比較している」と思いづらいのが人との比較行為でして、基盤にはルールに従順な素直さゆえの当たり前の認識があり、当たり前のことに意味や目的を考えなくても不思議に思わなくなります。

常識である以上、私達は人と比べます。

重要なのは、人と比べることをなんのためにしているかの理解です。

エゴがある以上は比較します。エゴとは自らを成長させ、本質や真意に気づかせてくれるきっかけになる、とんでもなく重要な意識であり自分自身です。

比較に良い悪いのルールを付けず、自らの社会性を作る材料にすることで、幼い子供のように認識力の育みとして使えます。

物事を自らの感性と知性にて認識するために欠かせないのが人と比べることですので、自分にとっての意味と目的を把握して使用する大切さがあります。

※人と比べるのをやめる方法は、【人と比べてしまうのをやめる】ポイントは1つ。方法は4つ。をどうぞ。

【人と比べてしまうのをやめる】ポイントは1つ。方法は4つ。自分より優れた人と関わりズンと沈み、自分より劣っている人を無意識に探してほっとする。 比較癖はいつのまにか構築し、人と比べたくない...

 

人と比べる原因と心理 まとめ

人と比べる目的は、優越による利益や自分の確証取得があり、根底にはルール従順の素直さがあります。

比較とは他によって利益を見出す行為であり、自分を認識するための方法です。

この意識をエゴと言い、エゴの最たる利益取得となるのが人と比べることです。

エゴがない人は悟っている人ですので、ほとんどの人はエゴを持ち、関わり方を工夫しながら共存を進めていきます。

この当たり前を当たり前にするのがエゴの特徴ですので、自ら社会性を築き上げるように自分の中に意思と意志を持つと、エゴや我欲から離れる自分の見方・感じ方・考え方が作られ、エゴと離れていくことも可能です。

比べるのは常識ですので、如何に目的を把握するかが比較癖の活用有無を左右します。

能力向上の動力増し、成長するための理解度アップ、認識を高める抽象度コントロールにもなります。

そのための目的把握の原因と心理理解になれば幸いです。

エゴも我欲も比較もなければならない大切なものです。実感して自覚できるからこそ自らのために工夫して活用でき、比較せず癖にしない選択もできます。

人と比べるご自身を知り、比較の意味と目的を把握した上で、より自分自身のために使用すると良き塩梅だと思います。

そんな社会性を自己の世界に作っていきましょう。

それでは、人と比べる原因と心理のお話を終了します。

最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。

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