対処・解消法

人見知りは克服しないという克服法│意味と自覚にてわかる真相

人見知りを克服するかどうかは、人見知りをどのように認識して、どのように自覚しているかによって必要性が全く変わります。

それは自分がどのように人見知りを捉えているか次第ということです。

ここでは、私自身の人見知り体験からわかる克服方法を、少し変わった視点からお伝えします。

克服方法。
それは、「克服要ります?」という自問自答によるもの。

「要らん!」

そんな克服方法がここにあります。

生真面目な方はここでの内容は合いませんので、見極めてご覧ください。

それでは、人見知りは克服しなくていいという克服方法を見ていきましょう。

人見知り克服のために

初めに、人見知り克服のために必要な理解をご覧ください。

人見知りとは

「私、人見知りなんです」

人見知りの人はこのようには言いません。

この場合、「人と関わるのがあまり得意ではないんです」という前置きでして、明確な提示を相手にしていることを表します。

「私に対して過大評価しないでください」と。

大きく見積もらないで、色々詮索しないで、面白い話ができると思わないで、楽しい人だと思わないで、他の友人とか呼んでこないで、誰かに紹介したいとか言わないで…お願いねと。

人見知りは、“コミュニケーションが苦手”、“人との関わりが不得意”、“会話下手”、“照れ屋”、“内気”などの表現方法として使われています。

ですが、実際に辞書を調べるとこのようになっています。

人見知りとは、

子供などが見慣れない人に対して不安を感じたり、恥ずかしがったりすること。

生後6ヵ月頃から始る,見慣れない者が近づくと微笑を示さなくなり,さらに恐れを示すようになる反応。

※引用 コトバンク

人との関わりにて不安や恐怖を示す反応であることから、“対人恐怖症”や“不安障害”などの神経症という見方もあり、子供と大人を区分けして捉える見方もあります。

  • 子供は、知らない人などに対する不安や恐れを示すことが人見知り
  • 大人は、対人における症状や神経症などとして強迫観念、コミュニケーション障害、対人への恐れや不安による情緒不安定などが人見知り

共に対人への不安や恐怖に起因するものですが、子供と大人では捉え方の大小が異なり、子供に対しては、「まぁ、人見知りになりましたか、成長しましたね」的な普通のことというニュアンスもあります。

本来の意味合いとしては、子供に対する人見知りの理解として使用されており、そこに人見知りとは何かの明確な意味がわかります。

 

人見知りの意味

人見知りや顔見知りなどという言葉がありますが、人見知りの意味を知るためには“見知り”がポイントになります。

見知りとは、見て知ること。

そのままです。

見ることで認識するということでして、人を見ることで知り、思い、評価、判断することです。

言い方を変えると、自分の見方で人を理解することです。

人を理解するために区分けしたり比較したり、識別して評価して判断したりと、あらゆる自分が持ち得る知識と経験による“記憶”にて認識を作り、人を見て知る。

それが、人見知りです。

「普通のことー」と、本当に当たり前のことです。

そのために、子供が人見知りになった時は、「おっ、もう人見知りの時期が来たかぁ」みたいな捉え方をするのかと思います。

そんな人見知りの意味には一つ大きなポイントがあります。

それは、どのように人を見知るかは完全に人それぞれ違う、ということです。

人それぞれの生まれてから人見知りするまでの間(辞書によると生後6か月頃から始まるようです)の認識が人を見て知る方法となり、それはその短い間の生活における重要で重大なこと、好きなこと、記憶が強いもの、衝撃のあるものといった記憶によって作られます。

そのため、人によっては他と比較したり区別したり、親の言うように人を見たり、判断したりさまざまです。

人を見知るからわかる“人見知り”の意味は、人を自分なりの認識方法で見て知ることで不安や恐怖を示すこと

 

人見知りとは自己防衛による他者の理解

人見知りの意味を知る上で忘れてはならないことがあります。

それは、不安や恐れを示すことが人見知りということです。

子供が人見知りになる時には大きく二つのことが起きています。

  1. 自我意識が芽生える
  2. 不安と恐怖を感じる

自我意識が芽生えることで、人を区別して見る認識が作られていきます。

赤ちゃんの時には自分のことを自分だとも思っていないために自我意識なく、潜在意識を多く使用して感覚的に物事を選択して、本能的に生存を図ります。

生育と共に“私は私”と認識する自我意識が作られ、それによってこれまでの区分けも線引きもなかった世界が、全て個々に分かれ初め、「私はこの人」「あなたはあなた」「ママはこの人」「父上はそなたですね」となっていきます。

自我意識によって人を見て知ることができるので、「私は私」という我に対する認識が強ければ強いほどに人を見知るようになります。

ですが、あくまで人を見知るだけですので、人見知りとは違います。

そこに、不安と恐怖を感じるという状況になることで初めて“人見知り”になります。

自我意識は幼児期から芽生え、その後は発達を続けるため、不安や恐怖が多ければ多いほどに人見知りになります。

人見知りの理解に大切なポイントは、“人を見知って不安と恐怖を抱くことが人見知り”ということです。

自分に危害や危険などの可能性があると判断した時に人見知りという表現をし、自己防衛のために他者を見て知って理解する行為であり、自分を護るための対処が人見知りです。

言い方を変えると、「この人は敵かどうか、大丈夫か?」という防衛行為が人見知りです。

 

人見知りを理解するポイント

これまでの内容から、人見知りを理解するいくつかのポイントをまとめます。

人見知りの意味
  1. 自我意識によって自分と他を区分けすることで始まる他者を知る行為
  2. 自分なりの認識方法にて他者を知る行為
  3. 不安と恐怖を感じることでの自己防衛行為であり危険察知反応
  4. 自分への危害を考慮した防御策として盾をかざす行為であり、敵かどうかを見極める行為

人見知りであった子供の時を思い出すと、私は明らかな線引きが人に対してありました。

人によっては人見知りにならず、人によってはガンガン人見知りします。そこには、敵かどうか、関わって危険はないかどうかの無意識の認識があり、誰しもに人見知りになりません。

恐れを多く抱えていることで人見知りになる対象の人が多くなり、人と関わっても恐怖のない安堵を感じるまで時間がかかります。

一人一人の恐怖を抱く認識はさまざまで、自分なりの認識方法にて人を見て知って判断することで、「この人は敵だ」「盾だ盾!盾をかざすぞ!」と一方的に防御する行為に入り、人見知りを表します。

以上から、人見知りを理解して克服するポイントは、“何に不安と恐怖を感じると認識しているか”です。

 

人見知りと内向的は違う意味

人見知りと似ている言葉で“内向的”というものがありますが、これは全く意味が異なるものなのでお伝えしておきます。

人見知りの特徴は不安と恐怖を認識することでの在り方であり人間性ですが、内向的とは外部からの刺激を感じやすく、自分という内面追及をする人間性を意味します。

私がそうですが、人見知りでありながら内向的である人は多いと思いますが、それぞれを区分けして、ここでは人見知りの意味を明確に理解していただければと思います。

 

人見知りの克服方法

ここからは、より詳細に克服するための理解を深めていきましょう。

人見知りの克服は要るの?

初めにここでの主旨をご覧ください。

「人見知りは克服しなくていい」

あくまで私の理解ですが、克服する必要はありません。

そのため、ここでお伝えする克服方法は、「克服なんて要らないよね」と理解することでの克服です。

ご自身で、「たしかに要らんわ」と認めたり受け入れることが大事で、もはやそれが全てですので、人見知りの意味を理解するこれまでの内容がとても大切です。

私は幼い頃から人見知りで、周囲から人見知りと言われ続け、特に親からは人見知りだの内弁慶だの言われ続けました。

そして、今も人見知りでこれからも人見知りで、人見知りしている方が自分に合うから今後も人見知りじゃないと嫌なんです。

そんなおかしな人間の話ですので見極めてください。

 

人見知りを克服するために

人見知りを克服するためには、克服したいのかどうかを明確にする必要があります。

これはとても重要です。

私のように、「克服というかこれが良い」という場合でも、「人見知りする自分を何とか変えたい」という場合でも共に必要です。

「本当に?何で克服したいの?」への理解です。

自分にとっての理解なので、自分が理解できていればそれでOK。それが大事です。

言い方を変えると、「真意として克服したいですか?それはなぜですか?」という意志確認と克服する理由が必要です。

人見知りの克服には意志確認と克服する理由が必須。

何かを変える場合、必ず行為する基盤である自分の意志を明確にして、さらに目的を持つために理由が要ります。

それがないと目隠しで突っ走り彷徨うことになるので、克服の道を走っているかどうかはギャンブルになります。

己の意志と認識による明確化ですのでご自身にしかできません。しかし、それがわからないとしても、これからお伝えすることで明確にすることができるので詳細を見ていきましょう。

 

人見知りの克服のために何に恐れを抱いているかを知る

“人見知りの克服は要らないという克服”
“人見知りの自分を変えるという克服”

どちらでも克服に必要なことは共通のものがあります。

それは、不安と恐怖を感じる根底を知ることです。

不安とはネガティブにもポジティブにもなる空虚な気持ちのことで、ネガティブにする場合には恐怖になり、ポジティブにする場合には期待やワクワクになります。

そのため、ネガティブであれば不安も恐怖のことであり、自分にとって嫌なこと、心地悪いことを意味します。

恐怖とは自分らしさの真逆を作る材料のことでして、嫌なことであればあるほどに恐怖を感じ、自然体で自分らしい力の抜けた状態を一気に硬直させて自分らしくないものに変化させます。

そのため、人見知りの反応を示している時は自分らしくなくなります。それは人それぞれにオドオドしたり、ドギマギしたり、モジモジしたり、イライラしたり、ウルウルしたり。

そんな恐怖の根底にあるものとは、自分を護ろうとする自我意識であり、自分を傷つけられたくない防衛意識です。

共通して、自分を大切にしたい想いです。

少しこそばゆいかもしれませんが、自分を愛する気持ちです。

恐怖を理解して人見知りを克服するためには、自分を大切に想っていることと、自分を傷付けられたくないと思っていることを理解します。

それは、自分の愛と恐怖を知る=自分を知るということです。

人見知りを克服するためには、自分を知ること

※自分の愛と恐怖を知る

この“知る”というのは、“認める”ということです。

未知の自分ではなく既に居る愛する自分、傷を恐れる自分ですので、それを自覚して認めることが克服に繋がります。

そして、さらに詳細を掘り下げる必要があります。

 

傷を付けられたくない理由を認める

危害、危険。これは、傷を付けられることへの危惧を意味します。

その可能性がある人を“敵”とみなすことで、人見知りの反応を示します。

「どうして、その人を敵にしたのでしょう?」

人見知りの人は誰しもに同じ反応はしません。あまりに対人への恐怖が強くなると人を見知る前から同じ反応をしますが、その際にはもう人を見てもいません。

人を見て知っての人見知りの場合、人によっては自分らしく会話したり関わったりできますが、人によってはそれができない。

それは敵とみなしたからでして、防衛意識なので無意識にそう認識し、「こいつは敵だ!」なんてことはあまりないと思います。

関わったことがないにも拘わらず敵に見なして人見知りの反応が出る場合、感じている恐怖の根底には、「自分を否定されたくない」という真意があると考えられます。

傷を付けられる可能性は、身体でも頭でもなく“心”です。

「この人面白くない」「何にも会話しないからつまらない」「陰系、暗い」「内気で家ではうるさいくらいなのに」「内弁慶だ、家では大面こいて」…。

あらゆる発言、言葉はなくても行為や表現、波動やエネルギーによる理解もあります。特に子供は感覚感受が鋭いので、顔色一つで何を思っているかわかっていたりします。

あらゆる他者の反応や言動や気持ちなどの“行為”があり、それによって自分の存在を否定されたり、価値を否定されることで傷を負います。

恐れることで人見知り、「はい、こいつは敵」と判断し、なるべく関わりたくない反応が出る。

そんな自分、恐れている理由を理解するためには今の自分を認識します。

「この人を恐れる私が私です」と認識することが認める行為であり、それが人見知りの克服になります。

※人見知り克服にもなるので恐怖の正体について、恐怖との関わり方が重要|正体を知るとわかる恐怖必要説 をご覧ください。

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人見知りする自分を否定しないことで人見知りの根底が見える

ここに肯定や褒めることは必要ありません。事実をそのままに、自分を知ることが認めることです。

嘘つかず、拒否せず、ただ、事実をそのまま見て、知り、認識すること。そのままです。

「はい、この人怖い」「否定されそうだから怖い」とそのまま。自分が認識すればいいので、誰かに言う必要もありません。

そのように恐れている自分を認識した時、あることがわかります。

「この人のどこが怖いのか?」という気付きです。

関わってもいないのに何かに対して恐れを抱き、否定されると思い込み距離を取っている自分を知ることになります。

その人に恐れる理由はないのに恐れているのか、それとも恐れる理由が明確にあるのか。

恐れる理由がなければ人見知りは自らあえてしている行為だとわかります。

恐れる理由があれば自己防衛が働いているとわかります。今後も関わる必要はない人だとわかります。

自覚は真実を見せる時間を自らに与えます。考える時間と機会を与え、自らの力で変化を促すことができます。

そんな気付きが、「人見知りのままで良いかな」というものでして、それによって“人見知り”はアイテムになります。

最後にポイントをご覧ください。

※人見知りにて会話ができない場合は、会話ができないのは対話との混同│理由から見える対処法は会話必要なし をご覧ください。

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人見知りを克服するためのポイント

人見知りと言われることがあるかもしれません。

しかし、人見知りかどうかは自分にしかわかりません。なぜならば、人見知りは相手を敵だと認識した時の行為だからです。

「私、人見知りなんです」
「えっ、っちょっちょちょ、言わないでー」と、私の理解では思ってしまいます。

「私、あなたのことを敵だと思っていますから」
「マジっすかー」
グーパンチよりきつい。

もちろん本人にそんな自覚はないと思います。人見知りする人は攻撃性がない特徴があります。

人見知りだと明示することに悪意なく、自分が否定されないための前置きとして伝えている心理がありますが、そんな自身を知って自覚することで、克服する必要があるかないかが明確になります。

 

人見知りは関わるべき人を選別する認知アイテム

人見知りの根底には恐怖がありますが、子供がするように自然なことでもあります。

そして、人見知りすることは自己防衛でもあるので、関わるべき人を選別してくれる便利なものでもあります。

人を恐れ、否定されることを恐れる自分がいますが、自覚して認めることで、「それでもいいかな」と思う道が見えるようになります。

人見知りする人は観察力が強く、感受性が高い傾向があります。ちょっとした言動でも、そこに含まれる感情や気持ちまで認識するので、情報量が人一倍多いです。

たくさんの人と関わると頭がパンクします。人込みなんかNG。

そのため、関わる人を選別することは自分のためであり、身を護ると同時に身を労り大切にすることです。

人見知りする人は自分を想う認識が強いので人への距離が生まれやすいのですが、その反面、敵でなければ攻撃性もないので距離が近い。それもまた嫌がられる要因だったりするので否定されてより人が怖くなる。

そのために、関わる人は本当に選別する必要があります。それは自分のためでもあり相手のためにもなります。

「こいつと関わりたくない」ではなく、「この人と関わらない方がお互いのためだ」という認識が大切です。

関わる人を選別することは何も悪いことではなく、自分のためにも相手のためにもなり、より自分を大切にする行為として人見知りはアイテム活用できます。

「今のまま、それでもいいじゃない」

でもせっかく人見知りなら、それを自覚して認識して活用する。そんな克服方法です。

 

人見知りが良いか悪いかは人それぞれ

私は人見知りで小さな頃から関わる人はいつも同じでした。

ある時に社交的な友人と出会ってからはあらゆるタイプの人と関わるようになりました。

それはそれで多くの人と関わり楽しい時間の始まりでした。しかし、自分らしさがあるかどうかと言われればありませんでした。

本当は人に興味なんかない、興味のある人にはとても興味があり、人込みは無理、情報量過多でいつも頭パンク、関わる人を綺麗に決めたいという真意がありました。

人見知りであることを悪く言われる環境で育っていたので、人と関わった方が良いという認識が作られていましたが、私の認識ではないからそこに自分らしさはない。

関わる人を選別した時にスッキリわかりました。これだと。

「あの人と関わる」「あの人と関わらない」

そんなことをすると差別だ、良くないなどの社会的統一思想があるかもしれませんが、知りません。自分の人生ですのでそれはどうでもいい。

人見知りであることに悪い印象を植え付けられていたので、そんな自分を変えようとしていた私は、人見知りであることが自分らしいということに気付いてから、人見知りであることの方が良いと思っています。

自分を大切にするためにも関わりたい人と関わりたい。そんな意志を尊重する方法が、ここでの克服法です。

すると関わる人を大切にし、大事な存在としてより敬うことができるというサービス結果付き。

人見知りが良いか悪いか、それは自分が決めることです。

良いも悪いも、どちらも自分を認めることで進んでいきます。自分らしさの気付きとなり、人見知りとの関わり方、捉え方、そして本質となる意味を知ることができます。

自覚にて認めることが克服の方法であり、それは自分を知ることでの人見知りの真相理解となり、真の人見知りの気付きとなる克服です。

「人見知り、あぁ、そのままでいいよね」と。

※「一人でも良くない?」という話は、孤独を楽しむとは人生を喜ぶこと│一人であることを活用しない手はない をご覧ください。

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人見知りの克服 まとめ

大切なことは現状の自分を認めるか拒否するかの自覚です。

私自身、人見知りの自分を拒否して変えることを望み、たくさんの人と関わる時間を何年も過ごし、気付きと恩恵がありました。

その確たる恩恵は、「これは私ではない」という気付きであり、「人見知りが良い」と明確にして人見知りを認めて、さらに受け入れることに繋がりました。

そのため、人見知りを変えても、人見知りであることを認めてそのままでもどちらでも良いと思います。

人見知りのままで居る場合、とにかく自覚して認めることが重要です。そのために人見知りの意味を理解し、恐怖の理由を知ります。

そんな自分を認識していれば、関わる人を躊躇して選別することはなく、関わる際に申し訳なさそうに人見知り感を出すことはありません。

「ズバッ、ここからここはー、あ、私が関わりたい人なーりー、ドンッ」と歌舞伎役者ばりの顔で言ってやります。というのは冗談ですが、躊躇なくです。

スッキリサッパリ、関わる人が人見知りというアイテムによって決められ、より相手を敬い大切にする関係性が作られていきます。

その時に、少し余裕があれば関わる範囲を広げても良いかもしれませんね。もちろんそれを好めばですけど。

そんな人見知りのままで良いという克服方法、何か役立つ内容であることを願います。

それでは、人見知りの克服についての話を終了します。

最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。

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