スピリチュアル

人生は修行のスピリチュアルに辛いも喜びもない|起きることに意味がある

辛いことも楽しいことも修行と思えれば修行となるのが、私達の脳の認識能力です。

そこに心の存在を加えることでスピリチュアルな認知が伴い、人生への見方を彩ります。

人生は修行であると捉えることでポジティブ思考となり、現実逃避としての脳による対処となり、それは結果的に辛く苦しいことも、楽しく嬉しいことも人生の修行である見方となり、何のために生きているかの答えを導きます。

脳の思考は蓄積した記憶情報を基にしているので、いつでもどこでも何かの影響があれば変わります。
それは良いようにも悪いようにも自分次第となります。

しかし、スピリチュアルな心の認識を基に人生を生きる際には、思考による作り出しではなく、既にあるものを自分を通して生み出すこととなり、そこには本質的で根本的な生きている意味となる、修行の道を感じることとなります。

スピリチュアルな見方にある人生は修行であることの意味から、現状の不調和や苦しみに対峙する自らの意志に、少しばかりの助力となることを願います。

 

スピリチュアルな人生の意味

人生を彩る心の存在

「人生とは何か?」を考える際、人生という時間を生きる“自分”がいます。

自分を主体にして、この世の環境を使用して生活していきますが、自分や生きていることを認識する際には、感覚と感情と想いの認知を基にします。

暖炉の前で温かい感覚を体が感じ、空気に触れて味や感触や温度から嬉しさを脳が感じ、好きな人と居る時に心豊かな想いを心が感じます。

それらの自分の認知が人生を彩り、「生きているなぁ」と認識させてくれます。

その認識している主観が“自分”です。

人生を生きる自分の存在 : 感覚と感情と心の想いによる認知の源

※認知によって生きていることを実感する
※心の気持ちがあることで心地良さを感じさせて、幸せや喜びや感謝や調和などのあらゆるポジティブな気持ちに含まれる“愛”を認知する

心の存在には本質的な自分の存在がいるスピリチュアルな見方があります。

体が何かを感じても、そこに情動の心の想いがなければ中身がありません。本を無の境地で読んでいるようなものです。

脳の感情は過去の情報と経験で作り出すので、言われたことをしている自分だとしても、意志も意思もなく経験することができるので、肉体と脳機能があればAIにて同じものを作ることが可能となり、自分の個性があるかどうかは重要ではなくなります。

心の想いは自分らしさの基であり、ありのままに生きる自分を認識する源の“愛”です。

愛を感じることで心地良さや幸福や満たしを感じさせ、生きていることを強調させて生きている意味を大きく作ります。

過去の経験もなく、スピリチュアルな人間の本質としての、“今この瞬間”に感じる心地良いかどうかの生きた想い、それが“愛”であり、自分や他者を敬い想う気持ちです。

肉体も脳も心も全てが大切なものであり、一体となることでそれぞれの能力が引き立ち、共存した自分が生まれます。

心の愛は自分にしか生み出すことができず、一人一人に想いの違いがあり、心の根底には根源的な魂としての認識がある。

※心についての話は、心を知るとモヤモヤの理由がわかる│スピリチュアルな心の働きとは をご覧ください。

心を知るとモヤモヤの理由がわかる│スピリチュアルな心の働きとは「心がなんだが、モギュモギュ、ザワザワ…いや、これを表現するとモヤモヤだ」 心地悪さとして心がモヤモヤすることがあります。 ...

 

心を主体にした生き方

自分という存在に心の認知である魂の存在があり、心を基準にすることで人生の意味が生まれます。

心の想いを主観にすることで、心が感じる「心地良い」「心地良くはない」などの想いを基にして行動規範や考え方や生き方を、肉体や脳機能を活用しながら作り出すことができます。

その考え方や生き方は、自分の想いを中心にしているので、それは自分がどう感じ、どう想い、そしてどう考えるかの自分の意志と意思に基づきます。

心地悪い辛さや苦しさよりも、心地良い楽しさや幸せを優先すると思いますので、スピリチュアルな心として生きる場合には、自分のことのみを考えて、如何に心地良く幸せな気分を味わえるかに焦点を合わせることになります。

心を基準にして生きることで心地良さを追求し、幸せや嬉しさや楽しさを追い求める生き方となる。
人生の意味は喜びや幸せになるためになり、それは自分を大切にする意味がある。

しかし、人との共存環境にて、自分のみを考えて喜びを追い求めることは困難です。

人との共存では他者からの影響があり、攻撃があり、非難があり、心を主体にすることで傷付けられ、自分を見失う可能性が潜みます。

生活環境はとても重要な基盤となり、アルプスの少女のように周囲に攻撃性もネガティブな思いも少ない環境があれば、心を基準に人生を生きて、幸せを追求することが可能ですが、社会性の中でさまざまな人と共存する今の時代背景では、苦しみや辛さを味わうことがあります。

生活環境次第で心を基準にして幸せのみを感じ続けることができるが、環境を選ぶ限定的な生き方となり、人との共存の活用の幅が狭くなる。

そこに魂としての考え方があり、人生は修行であるスピリチュアルな考え方があります。

※修行には試練がある話は、人生に試練は付きもの?スピリチュアルな解釈では目的と結果は同じ をご覧ください。

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何のために地球にやってくるのか

ここで少し宇宙の概念を含めて、人生についてをお伝えしたいと思います。

スピリチュアルな概念ではあの世や死後の世界があり、そこには宇宙との繋がりである宇宙の概念があります。

この地球にやってくる前には、あの世と言われる五次元世界に身を置きます。
そこには心である魂としての自分で、ありのままに生活をします。

ポジティブな想いのみを感じ、蝶のように舞い、天使と共に居るかの如く心を温めます。

しかし、そんな生活を続けていても、UFOキャッチャーの初めの2,3回目までは楽しめるのと同様に、飽きます。

それは変化がなくなるからです。
幸せは幸せで心豊かですが、宝くじを当ててお金を持っていても、仕事や熱中できることや喜びの動機となる自分自身の意志がなければ、その内、たそがれて海を眺め始めます。

そこで、変化を求めるために、自分の知らないことや学びを得ることで幸せの幅を広げ、心の想いを感じる幅を多彩にすることができます。

お城の優雅で幸せな環境にいて、庭で犬と戯れることで遊びのレパートリーを増やすのではなく、お城を出てっちゃいます。

すると、自分自身で何もかもを成し遂げ、意志と行動を持ち、経験を増やし、自らの喜びを増やします。

その時に気付きます、「雨が降らなければ太陽のありがたみがわからない」と。

それは他者や外部の環境やお金や装飾のアイテムにて喜びを与えてもらうのではなく、自ら喜びを生み出すことでの心の想いを広げます。

変化を求めることは物事への認識を変え、ネガティブだと思うことや辛いことは喜びや幸せを感じる一連だと知る。
それは、喜びは作られるものではなく、常に自分で生み出すものである気付き。
幸せを得るために辛いことも気楽なことも全てに意味があり、自分で喜びを見出す発信者となるために、自己の変化や成長をすることが人生の意味になる。

宇宙の概念では、意識レベルを分ける次元があります。
地球は三次元世界であり、物質と行動の世界です。

地球に生まれる人は魂の意志として、地球に学びを得るために生まる :

五次元以上の意識レベルの場合には、ネガティブな概念がなくなり幸せであることが当たり前になります。
そのため人それぞれに幸せの幅を広げ、自ら喜びを作り出し、許容を広げる目的を持ち、愛の力と宇宙の一部としての役割のために、人との共存にある喜びへの学びや、強さを得ることでの人との喜びの共有、他者を巻き込むことでの愛の増長、助けや協力による愛の学び、慈悲や博愛における愛の共有、地球全体の意識レベル向上のための役割、太陽系銀河としての意識レベル向上の役割があり、その後は宇宙の意識を持ち、役目を持って宇宙にて万物と関わる道が続いていきます。

※目覚める話は、スピリチュアルな目覚めの兆候にエゴとの対談|光と共に覚醒の始まり をご覧ください。

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人生は修行 スピリチュアル

人生は修行の意味

人との共存環境では過酷なことも不本意なことも起き、不満足を感じ、自分を見失う可能性があります。

苦しみや過酷な状況から、「私の人生は修行だ」と思うことがあるかもしれませんが、人生を修行だと捉える際には、仏教の苦行や荒行のイメージがあるかもしれません。

修行の目的は、『苦しみとなる煩悩を鎮め、自らを知る』です。

その為に毎日が修行となり、掃除から始まり、ご飯の食べ方や、話し方、行動の何から何までを規律します。

それは人から言われたから従うのではなく、自らを自らに認識するための方法であり、自分のための行為です。

修行の本質にある、自らを認識して、自らを知ることは、自ら喜びを生み出すためであり、修行に終わりはありません。

自分を確立することで魂を認知した状態となり、それはありのままの自分を思い出した状態です。

その為、修行は生きていることを認識している以上は終わることはなく、常に続く自己の喜びを生み出すための成長を求める行為です。

人生は修行の意味 : 自己の喜びを自ら生み出すための成長を求める行為

※生きている間、修行は続く

修行を続けて、エゴと分離することで悟り、覚醒の道を歩むことで自我と分離して、自意識が宇宙の統合意識にシフトしていきます。

※人生は修行の意味は、人生は修行なのか遊びなのか。実は何でも良い本当のこと をご覧ください。

人生修行の意味は苦しみも喜びも何でも良いこと|辛さもお気楽も共に良い人生山あり谷あり、愛ありエゴあり、欲望あり煩悩あり。 山と捉えるか谷と捉えるかは人それぞれの認識と価値観によりますので、人生は修行なの...

 

辛さも喜びも共に大切なスピリチュアルな見方

自ら喜びを生み出すための修行にはスピリチュアルな見方があり、そこには苦しみや辛さを大切な経験であり過程と捉える認識があります。

今、人生を歩まれている人は地球を選んで生きているので、次元を自ら下げて来ていることとなります。

次元を下げることは、幸せが常識である状態を自らの意志で抜け出しました。
そこには苦しみや辛さを求める生き方を選んだ前提があり、それは魂としての意志に基づく認識です。

スピリチュアルな認識
・・・次元を下げて地球にやってくる意味がある
・・・次元が下がることでもたらされる自己の成長となる修行がある
・・・喜びを生み出すための過程となる経験がある

幸せが常識である状態から抜け出したのは、太陽をただ感じる認識から、雨を感じてから太陽を感じる認識に変えることで、自らの喜びや幸せを生み出す幅を広げる目的があります。

人それぞれに苦しみや辛さによる学び、強さを求めることでの愛の力を広げ、役割や役目として障害や病気を患う人生もあり、全ては“自己の成長”である人それぞれの魂としての向上の目的があります。

人との共存や生活環境にて苦しみや辛さを与えられ、それは苦行としての修行のように辛いものだと思うかもしれません。

実際に生きていて、修行のない幸せを求めるのであれば、大自然の中で人里離れて暮せばいいのかもしれません。または、今の苦しみを作る環境を変えればいいのかもしれません。

そこには、綺麗な水が流れ、美味しい野菜を育てて、ネガティブな人や攻撃的な人がいない環境でゆったりと、人が恋しければ誰かと共に、またはコミュニティを作り…さまざまな道があります。

現状を変えようとしないのは、今の現状から逃げるのではなく、克服する学びや成長が自分の喜びだと無意識に感じている認識があるからかもしれません。

スピリチュアルな見方では、苦しみや辛い経験は克服することで自己の成長となり、生きる上での機会になります。

「苦しいことが喜びだ」と言う人はあまりいませんが、目の前のことに本気で取り組めなくなるので、苦しみをありがたいことだと理解するのは、今ではなく克服した時です。

人生の修行とは自ら喜びを生み出す成長への行為であり、人生にて苦しみや辛さを伴う経験をすることが、人それぞれの意識レベルやスピリチュアルな認識となる地球に生まれた意味となり、過酷な状況があることこそが自分を成長させる材料となる機会を人生に与えます。

人生は修行であるスピリチュアル : 修行となる苦しみや辛さが自己の成長である喜びの一連に含まれている

※修行を乗り越えることで、自ら喜びを生み出す幅を広げ、自己の成長が育まれる。
※点として端的に捉えるのではなく、全てのことに意味があり、最終的に線となり形となり、自分に成長の利益をもたらす結果となる俯瞰的な見方

※辛い人生にあるスピリチュアルな話は、辛い人生とは一体なにか│スピリチュアルは愛の勉強会を設ける をご覧ください。

辛い人生とは一体なにか│スピリチュアルは愛の勉強会を設ける自分で辛い人生を作り、自らを挑戦させるのは苦労好きなのか、成長を求めるのか。 意志を持ち、自分を消さない決意をしている人は辛い人生...

 

人生は修行であるスピリチュアル まとめ

修行とは自己の成長によって、自ら喜びを生み出す力を育むことであり、それは自分の喜びのためであり、自分を大切にするが故の行為です。

スピリチュアルな人生では修行である喜びに、現状自分に与えられた状態や状況を活用する見方があるので、人生は修行であることが望ましいと捉えられます。

スピリチュアルには心である魂の認知があり、それは根源的な愛の認知に繋がります。

その為、病気や障害を患って生まれてくる方や生活過程で患う方は、人それぞれに強さや愛への学びの段階を歩み、過酷な状況や生存困難な状態は、意識レベルの高さや愛の力の強さや成長意欲の高い人生を悟ります。

人生を一回と捉えるか輪廻転生があると捉えるかは、どちらでもいいと思いますが、捉え方は自分を喜ばすための基盤作りとなる材料であり、自分にとって喜びがあるものを信じることとなります。

スピリチュアルな見方では全てのことに意味が見えます。
全てのものが存在している以上は既に意味があり、意味のないことを見出すことは極めて難題です。

目の前の環境や人に意味があり、自分を苦しめる理由に意味があり、その根底には原因として自分の認識に意味があり、思考と心の存在に辿り着きます。

心の認識によって自分が存在することを自覚し、思考によって苦しみを作っていることを知ります。

修行となる喜びへの道のみが見えており、そのために過酷な状況が必要で、意味があり、一人一人、一つ一つの存在が関わっており、自己の成長を促します。

何をもって修行なのかは人それぞれの喜びが何か、何を求めるかによって変わります。そこには心に基づく個性があり、一人一人全く違う自己の人生と世界があることを気付かせます。

現状の状態には必ず何か意味があります。
苦しみはメッセージであり、自らを成長させ、喜びへ繋がる動機ときっかけの機会です。

生きている理由はさまざまですが、共通して“自分の喜び、幸せ”に繋がります。

強さを得ることで人を守り、自らの確固たる意志を持つ、自らの幸せです。
愛の力を得ることで人を助け、癒しを与え、平和と共有を広げる、自らの幸せです。

自分を大切にすることが喜びを生み出すことであり、直面する出来事から逃げるのか克服するのか、どちらが自分を大切にして幸せとなる行為かは本人が知っています。

それでは、人生は修行であるスピリチュアルな見方と意味についての共有を終了します。

最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。

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