二人以上で話し合うことを会話と言いますが、会話できない、または苦手な人はとても多くいると思います。
世代や年代の違う人同士の関わり合いでは余計に会話の意味はわからず、何を言いたいのか、それが面白いと思って話しているのか、つまらないのかツッコめばいいのか、一体何の時間なのか訳がわかりにくいものです。
ここでは会話できない人の理由にある心理と改善方法をお伝えします。
会話する必要性を知ることで会話できない理由が明確になります。
それによって自分自身が会話する際にどういった心持ちで、どういった関わり方を相手にしているかがわかりますのでご覧ください。
会話ができない人の理由

会話とは
会話と対話という言葉があります。
- 会話とは、二人以上の複数で話し合うこと
- 対話とは、一対一の二人で向かい合って話し合うこと
対話とは基本的に対面での“自分と相手”という話し合いのことで、会話以上に条件が限定されているために、より親密で中身の深い時間を作り合うことができます。
会話はより幅広く二人~という括りの中で、深刻にでも和気あいあいでもなんでも話し合うことを意味します。
会話ができない理由
ある会話があります。
「今日の雲ってアンパンマンがバイキンマンを倒すような勢いがあるよね」
「…えっ?」
「あの雲は完全にグーパンチだよね、あの雲は飛ばされたバイキンみたいじゃない、はは」
「もしかするとあのバイキン野郎は飛ばされたように見えて、脇辺りから銃弾放ってない?ほらあの点々の雲」
会話ができないのは受け答えが苦手、または下手なためです。
意味わからないことを言われて、「えっ?」と意味わからないことを返す。会話が成立しません。
意味わからなければ、「意味わからない」と言うか、「どういうこと?」と聞くことが会話です。
そんなことから、会話ができない理由がわかります。
会話ができない理由:
自分の意見を伝えない、または自分の意見しか伝えない
上述の会話例では、「えっ?」と自分の意見を伝えていないから会話が成り立たないのでしょうか?
それとも、意味のわからないことを口走った側が自分の意見しか伝えていないからでしょうか?
会話ができない理由は、“自分の意見って何?”に着目することでわかりやすくなります。
自分の意見を持たないと会話はできない
会話への重要も些細も気楽も、力量や熱量などをふんだんにふりかけた重要度があるかどうかは人それぞれです。
そのため、「ちょっとこの話マジで重要だから、ガチで聞いてもらっていい?」となれば、会話というよりは対話、というよりも相談、むしろカウンセリング、いやはや告白です。
会話は二人以上で人数が多くなればなるほどに希薄で中身のないものになりがちです。そのため、人数が多くなればもうミーティング、打ち合わせ、会議、会合、もはや忘年会に祝賀パーティに成り代わります。
基本的な会話とはこのようなたわいないものです。
「今日は天気が良いね」「うん、そうだね」
ここに自分の意見がなかったらこうなります。
「今日は、社会的統一思想として天気が“良い”ね。この“良い”というのは過去50年間の観測データから統計を取り、毎年のこの時期のこの日と比べて平均気温より高いということで、最近は肌寒いと感じているとテレビの天気ニュースの地方局も含めた14社で伝えていたから、それを世間一般の意見と判断しての寒さより暖かさを感じる肉体感覚感受による心地良さのことで、その心地良さとは…」てんてんと続く戯言ざれ言プンプンプンと。
「そうだね、たしかにここ50年の観測データを私も取っているから、その観点とその統計による観念によると…」
「え、会話成り立っている?!」と思いましたが、会話ではありません。
上記は自分の意見を持たない典型例です。社会的、または他者、世間としての意見をデータとして記憶している状態で、そこに自分で考え、感じ、想う認識がありません。
そのため、返答は同じくデータを繰り返し述べる状態で、“頭の中に置いている他のデータ”の朗読です。
自分の意見には必ず自身の経験が必要です。
「今日の天気は良いな」
「良いってどういうこと?」
「何か私は心地良く感じるよ」と。
感覚があり、気持ちがあり、感情があり、そして思考があり意見があり。
自分という存在を使用した理解があることで、会話する際の話を伝えたり、聞いたり、返答したり、無視という反応をしたり、疑問に思ったり、確認したりができます。
自分の意見がないとは経験がないことで、経験がないと会話ができません。
話す側も聞く側も一方通行だと嫌われる
会話はコミュニケーションの一つの方法。そのため、自分のみが対象であれば会話をする必要はありませんので、独り言や頭の中で話していればOK。
しかし会話する場合には、“自分+他”であることに意味があるので、一方通行ではなく相互関係があることで成り立ちます。
対話の場合は、会話以上に一対一であることから相互交流が加速し、相互交流がなければないほどにただの辛く気まずい忍耐苦行タイムに入ります。
相互関係として相手が存在する上では、会話できない理由は一方通行の状態が考えられます。
それが、一方的に聞く、一方的に話すという行為です。
一方通行を作ってしまうと、相手に嫌悪を与えます。
相手に一方的に話させ浪費させ、相手の時間を使い、相手に何の利益も与えず、自らの利益だけを得てしまうためです。
すると、会話での負い目を感じ、相手の反応に恐怖や嫌気を感じて距離を取り、会話できなくなります。
会話ができない原因
これまでお伝えした理由の根底に“原因”があり、原因によって会話できない人間性が作られます。
会話ができないのは、会話の際に自分のことしか考えていないから、かもしれません。
ですが、無意識であることが多いと思います。そのため気付きにくい。
無意識に自分のことしか考えていなければ、無意識につまらない時間を作り、無自覚の内に嫌われることも起きます。
そして、会話ができない根底の“原因”となるのは、“自分のこと”であるその“自分”がいないことに起因します。
会話ができない原因は、自分がいないのに自分のことしか考えていないため。
矛盾を自ら作る状態に会話できない原因が潜みます。
自分だと思い込んでいる対象が自分ではない。
わかりにくいので、詳細を紐解いていきます。
自分も他者も敬わないことで、自分という存在を押し付ける
会話ができない原因となるのは、自分がいないことで自他を敬えなくなるためです。
会話の際に、自分という存在を明確に認識できていない状態が、心理として特徴的に表れます。
その状態は、自分を見出すために他者を利用してしまいます。
ですが悪意なく、防衛意識として行動するため無意識です。
自分を見出すための無意識の行為は他者への押し付けとなり、会話という時間を利用して肯定を求め、存在価値を見出し、存在意義を見出そうとします。
一方的に聞くことは、気を遣うという行為によって自分のしたいことを貫く利益を得ます。そのために気を遣う対象の相手が必要で、会話という時間が利益になります。
気を遣うことで自然と相手に気を遣わることになり、さらに相手に話を一方的にさせる状態を作ることで浪費させ、気まずさから相手は対処に追われて疲弊しストレスを感じます。
聞くだけの人は自ら望む行為を遂行して、評価を下げずに自身の価値や存在意義を頂戴します。
一方的に話すことは、我の押し付けにて相手の受け答えや反応は一切無視。自らが話せたことの満足にて相手の時間を消費させ、その際に愚痴や文句にて同情を求める行為をすることで相手の生命エネルギーを奪い取るという見えない攻撃にも進展しかねません。
会話ができない人の心理
会話ができない人にはいくつかの共通した心理的特徴があります。
- 他者からの評価を落とさないための生き方をする
- 気を遣い、周囲の反応を気にする
- 人の意見は耳に入らないが、自分に対する意見は耳に入る
- 会話による喜びや楽しみを自ら見出せない
- 自分に興味はあるが他者に興味がない
- 自分を愛していない、または空虚の自我を愛そうとする思い込みが激しい
- 拒否が多い
- 会話や人に興味がない
他者を敬う気持ちや意識が少なく、如何に認められ褒められるか。または、馬鹿にされず卑下されず否定されないで過ごせるか。
利益を求めて会話することで、つまらないと思われたり嫌われる自然な結果が生まれます。
実際そんなに会話にも人にも興味がない可能性があります。
該当する場合、「会話要らないでしょ」と心の奥に本心がありながら、気を遣い、世間体を気にかけ、他の反応や評価を大事にするために、「若干嫌々だけど自分のためだから頑張ります」という心持ちで会話に参加しているかもしれません。
もはや、“嫌々だけど利益貰えるからする仕事”。
これは、私がまさにそうだったのでこのようにお伝えしているのですが、この心理から会話ができないことへの改善方法がわかります。
※会話にてつまらないと思われる場合の改善は、自分がつまらない人間だと思う時に知っておくといいこと│改善は自己愛の活用 をご覧ください。

会話ができない人の改善

会話って必要?
そもそもの話があります。
会話・対話とは、他とのコミュニケーションを図る方法の一つです。
そんな会話と対話には人数や話し合いをする意味の深さとして、それぞれの違いがあります。
ですが、そこには両者の違いとしてあることがはっきりとしています。
会話と対話の違い
- 会話は娯楽のため(喜びを見出す方法)
- 対話は利益のため(喜びを獲得する方法)
ゆるゆる系かガツガツ系か。
「喜びを見つけよー」と会話に参加して娯楽を味わう。
「喜びを得るぞ!」と意気込んで対話して利益を得る。
眼つきが違う。
娯楽も利益もどちらも“喜び”のあるものですが、「結果的になんか楽しいな」というノリが会話で、「よし利益ゲット、結果以上のものが今回は獲得できたぜ」というノリが対話です。
詳細を見ていきましょう。
会話は娯楽なので人によって全く必要ない
娯楽ですので、ゆったりたっぷりのーんびり、です。
音楽を聴くことと同じです。会話することとウラーラーラーと歌うことは同じです。同様に、テレビを観たり、おやつ食べたり、尺八吹いたり、ぬいぐるみと遊んだり、釣りしたり、絵本を読んで、趣味のプラモにYoutube観賞などなど。
その一つに会話があり、喜びを得るための道具という具合で、必要有無は明確に分かれます。
「要らないっしょ」と。
もちろん、「要る人は要るっしょ」と。
歌を歌えば聞く人がいます。どうして聞くのでしょうか?
聞きたいからです。聞きたくないのに隣で聞くなんて拷問。
話している人がいて、参加したければ聞いたり話したり話題を広げたりなんなり。楽しむためです。
みんなでブオブオーと尺八吹いている集団がいます。
入りますか?
やだやだ参加しません。もちろん尺八好きなら別ですが。
会話とはこういうものです。会話の内容だけでなくスタンスや関わり方、会話の使用頻度と必要有無は完全に人それぞれです。
私なんかは要りません。でもたまに要ります。そんな感じです、娯楽ですから。
対話でガッツリ喜びを作る
これまでお伝えした、自分を見出す利益を上げるために他者と関わる場合、それは対話をしている状態です。
対話は話し合いの中に意味を見出し、お互いの利益を上げる場や時間となります。相談事を解決したり、悩みを解消したり、商談を成立するため、共通理解を広げて楽しむ、知識を深めるなどなど。
共に意味を共有して分かち合ったり育んだり、またはどちらかの利益を見出すための協力体制による時間となります。
そのため、無意識でも対話することで自分の頭の中を整理できたり、曖昧だった思考や、思考を巡る答えが明確化したりと何かしら利益があります。
会話と対話は全く異なるコミュニケーションツールです。会話は結果的に喜びが見出せ、対話は初めから利益を求めて挑みます。
会話できない人の改善方法
以上の内容を踏まえて、会話できない人の改善法を最後にご覧ください。
会話に意味があっては会話ではなくなる
会話は娯楽ですので会話に意味はありません。会話できない改善にはそれを知るのが大切な理解になります。
会話とはこのようなものです。
「昨日ししゃも食べたんだけどさ、卵の数を数えたら何個あったと思う?」
「いや、知るかよ」「この会話なんの意味があんの?」という人は対話を求めている自分の利益重視、会話できません。
「いやあの数の卵を数えるって、この人夕ご飯にどれだけ時間かけてんだ?」と思えば、それを聞けば会話。
「数えてどうすんだ?」って真面目か!という会話。
会話に意味はありませんので、どうでもいいんです。
「えー、あれ数えたの?!ヤベー奴だねあんた」と自分の意見を伝えて会話。
「わからないな、何個だったの?」と純粋に聞くことも会話。
そして回答は、「卵の数、わからなかったよ」
…ツーンのチーン。
「バカヤロー、前振りしてんじゃねー!」とツッコみ入って会話。
「わかんないんかーい、なんのじかーん」と謎を広めて会話。
「じゃあ私が数えてみようかな」と影響受けても会話。
会話に意味なしの娯楽。
会話に意味はない方が娯楽として意味が成り立ち、暇つぶしにもなり、楽しみにもなり、気晴らしや気分の入れ替えなど、人それぞれに意味が生まれます。
そのため、会話は意味を求めずに気楽な時間潰しにして、その中で結果的に意味が各々にもたらされるというものです。
その理解をすることで、会話ができない理由は会話をしようとしていないことがわかると思います。
このような自覚から、会話できるかどうかが変わっていきます。
会話する際に何を求めているかを明確にする
会話できない人は自分自身を理解することが大切になります。
自分の意見がない人はいません。生きている以上は常にさまざまなことを経験していきますので、そこで感じるものや思うことがあります。
しかし、それがない場合には自分の意見を作ることを邪魔する何かがあります。
他者を気にすることで、他の反応や評価が主観になっているかもしれません。
この状態になると、「楽しいこと言わなければ、面白くないとダメだ、つまらないと言われたくない」などと全て他者を気にかけた認識になり、自分を露わにする基盤がなくなってしまいます。
改善するためには、「自分はどんな会話をしているか」「自分はどんな反応や受け答えをしているか」を自覚します。
その際に大切なことが、「何を求めて会話をしているか?」という自らの答えです。
会話は娯楽ですので特段必要ありません。しかし必要あると思っているのはなぜでしょうか?
その答えを自ら出します。
仕事場で会話が必要なのは業務に関してなのか?上司からの評価や同僚との人間関係への影響のためか?
自分の利益があります。
何を求めているかが明確になることで、人との関わりにて会話したいか対話したいかわかります。
利益を求める場合にするのは対話です。
対話を求めている自覚をする
「それのどこが面白いのか?」「何で笑っているの?」「今笑うとこ、うなずくとこ?」
会話で疑問が出る場合は、意味の出ない空間で意味を求め、答えのない行為に答えを求めています。
これは対話にて利益を求めている状態ですので、認識と行為を自覚して、会話は合っていないけど対話が合っていると知ることが大切です。
そして、自分の利益を求めて他者と関わっていることに気付くと、そのままその行為を続けるかどうかの選択ができます。
相手を困らせていることがわかれば止める選択ができ、利益として喜びや満足や納得を求めている自分がもしいればはっきり見えます。
必要なことは自覚です。
人を利用して自分の利益を得ている自覚をし、自らにどのように喜びを与えられるかを考えることが改善方法になります。
会話にも人にも興味ない自分を認める
会話できない根底には、会話にも人にも興味ない素の自分がいるかもしれません。
興味ないのに無理矢理に興味を見出すことは、思い込み以外には自分を変えなければできませんので困難、または時間がかかります。
それならば、会話しないことが喜びになります。
人に興味がなかろうがそれは、「私サバの塩焼きは好きだけど、アジの開きは何か違うんだ」と同じようなものですので、気にすることではありません。
その状態で、会話しなければならないような環境にいれば、「それは苦行ですか?」という話なので真意を確認しましょう。
興味がないと行動する動機も意志も見出せないので、そのまま行動すると頑張って努力して汗水垂らしてという苦労を作り、自らに嘘をついて誤魔化し思い込んで嫌なことをし続ける、あえて辛い時間を過ごすことになるので選択が必要です。
「やーめた」でしょうか。
無理矢理に会話することで意味を求め、答えを求め、矛盾を作り、自分を見失います。
それは辛く苦しいものですので、興味のない自分を認めることが人を利用しない人間性に戻し、会話せずとも別の娯楽にて喜びを作り出せるように、自分を大切に敬うことが大切です。
改善は自らを理解する自覚にて始まり、進んでいきます。
※会話苦手な人の話も参考になると思いますので、人見知りは克服しないという克服法│意味と自覚にてわかる真相 もご覧ください。

会話できない人の理由と改善 まとめ

自分がいなくて興味ないがために会話できないのか、自分が明確で興味ないがために会話できないのか。
明確で興味がなければ、会話できないことに悩むことはないと思いますので、この内容は自分がいないために会話と対話を混同してしまっている方を主体にお伝えしました。
会話や人に興味があるかないかは人それぞれですが、改善するためには自覚して自分を認めることが大切です。
自覚することで選択する段階が見えてきます。そのため、気付きによる自らの人間性と生き方の理解が何よりも大切なのがここでの改善方法です。
会話とは意味のない娯楽です。娯楽は実際に体感して経験することで人それぞれの意味が見出されますので、初めから意味や答えなんてないということです。
興味なければ会話なんてする必要がありません。はちみつでも舐めている方が100倍有意義だと思います。
会話ができないことは自らの認識や行為を知るだけでなく、現状の環境が見合っているかどうかも知る機会になります。
会話に強制参加の雰囲気、しないとハブられて気まずい。
そんな環境とはどんなものでしょうか。そして、そこに入ることと入らないことの答えは明確ではないでしょうか。
人間性を知り、自らの認識にて意見を見出した時、そのような愚者に従う弱き心はなくなります。
会話でも対話でも喜びは自らの意志にて見出すものです。会話に参加して一方的に楽しませてもらったとなっても次回はありません。それは講演や公演でありお金を払うことです。
会話の手法やコミュニケーション能力の理解以上に、会話ができない場合には自分自身の理解と自覚が重要な改善となる話。
会話をご自身のために気楽に使用される一助となれば幸いです。
最後までありがとうございました。