スピリチュアル

死後の世界に地獄はないけどある?!あの世は全て自分次第な仕組み

死後のあの世には地獄があったり天国があったり、閻魔様がいたり獄卒がいたりと忙しない印象があるかもしれません。

実は、地獄には全く別の概念があり、天国の一部かもしれません。
同時に、地獄を待ち受ける人には常に地獄を創り出す低次元の意識があります。

しかし、正式に地獄と定められた空間は存在せず、あの世に地獄はありません。

あの世では地獄の概念は人それぞれにあり、自分の認識次第で地獄がない状態に地獄を創り出すことができます。

そのため、地獄はないともあるとも言えるあの世の仕組みがあります。

煮ても焼いても肉体のないあの世では、痛くも痒くもなくてお尻をポリポリかいてへっちゃらです。

あの世とはこの地球で死んだ後の世界であり、スピリチュアルな概念と共に宇宙の認識になり、宇宙の認識には良い悪いがありません。

善悪の概念がないために地獄の存在が曖昧になりますが、自分次第で地獄とも天国とも認識できる仕組みがあり、そこから明確に地獄がないけどある意味が判明します。

私の体験した地獄の存在には地獄の種類があり、天国にあることから地獄は存在しないとも存在するとも言える仕組みをお伝えし、今を如何に生きるかのアイデアとなることを願います。

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死後の世界に地獄はない

死後のあの世とは

それではこれから、死後の世界であるあの世の地獄案内をさせていただきます。この内容は全て私の臨死体験による理解ですので、私の知っていることをそのままお伝えします。

あの世には、自らの世界を地獄として創ることができる仕組みがあることから、存在するのかしないのかのニュアンスが生まれ、自分次第で決まります。

初めに、あの世の知識と共に、あの世の暮らしについてをご覧ください。

あの世とは死後に向かう場所であり、あらゆる生命を持った意識体が元々居た場所で、言い方を変えると実家です。

「ただいまー」と言うかはわかりませんがホームであり、出張先の地球から戻ることが死を意味しています。

あの世には次元概念となる宇宙の仕組みがあり、この世の三次元世界を終えると向かうのは四次元以降の世界です。

四次元は別名“幽界”、または“アストラル界”と呼び、人それぞれの魂レベルとなる魂の成熟度によって居る次元や階層が分かれます。

あの世とは :

・三次元以降の世界(十二次元まで)、四次元と五次元に住む世界があり、それ以降は意識としての存在となり別概念となる。
・地獄と天国は四次元と五次元にある。
・人それぞれの魂レベルに見合う階層にて暮らす世界で、この世と同様に人と共存する社会がある。

あの世の暮らしぶりはこの世と同じで人がたくさん存在して、共存したり共有したり、関り合いながら生活をしています。

この世と違うのは、魂の存在なので肉体や脳の思考がないことと、心を主体として生きていくことで自分を100%認識して自分の意志を持って生きていくことで、嘘偽りや依存や執着ができません。

そんなあの世の五次元は別名霊界と呼び、三途の川を超えた世界です。

この世では、そこを天国と言います。

その手前の四次元世界には地獄という場所はありません。

四次元か五次元かによってあの世の仕組みが違い、存在する一人一人の魂レベルが大きく変わり、地獄の意味や内容も大きく異なります。

※あの世の詳しい仕組みは、あの世の暮らしは今世で決まる|死後の世界が楽しいかは自分次第 をご参考ください。

 

地獄とは 仏教

そもそも地獄とは何なのでしょうか?

“地獄”という言葉は仏教から来ており、仏教の概念にて地獄の意味と仕組みが存在します。

日本では、地獄への思想が表面化されて強調されたのは平安時代と言われており、新しい文化です。

地獄の概念が伝わったのは古代インドにあった死後の世界への考えが中国へ伝わり、仏教と共に日本に伝えられました。

仏教の世界観の一つに“地獄”があり、人間の心の境地を表した“十界”の最下層で、“奈落”と表現されます。

地獄とは(仏教) : Wikipedia 地獄参照

仏教の概念における六つの世界を表す“六道”の下位である【三悪趣(地獄、餓鬼、畜生)】、または、三悪趣に修羅を加えた四悪趣、または六道から修羅を除いた五悪趣の最下層に地獄がある。

日本仏教では、死後に三途の川を渡り、七日ごとに七回の裁きを受け、最も罪の重いものは地獄へ落される。

地獄の種類(原始仏教): 八熱地獄十地獄に大別され、八熱地獄に付随する小地獄は全て共通の十六種類。

八熱地獄 :  想地獄、黒縄地獄、堆圧地獄、叫喚地獄、大叫喚地獄、焼炙(しょうしゃ)地獄、大焼炙(だいしょうしゃ)地獄、無間地獄

小地獄 :  黒沙(こくしゃ)、沸屎(ふっし)、五百釘(ごひゃくちょう)、飢(き)、渇(かつ)、一銅釜(いちどうふ)、多銅釜(たどうふ)、石磨(せきま)、膿血(のうけつ)、量火(りょうか)、灰河(はいが)、鉄丸(てつがん)、釿斧(きんぷ)、犲狼(さいろう)、剣樹(けんじゅ)、寒氷(かんぴょう)

十地獄 : 厚雲(こううん)、 無雲(むうん)、呵呵(かか)、奈呵(なか)、羊鳴(ようめい)、須乾提(しゅけんだい)、憂鉢羅(うはつら)、拘物頭(くもつず)、分陀利(ぶんだり)、鉢頭摩(はどま)

※地獄に種別があり、計百三十六地獄ある
Wikipedia 八大地獄参照

地獄の意味や内容は不明とされていますが、字を見るとどれも辛そうです。

閻魔大王や牛頭馬頭(人間の体に牛や馬の頭が付いた獄卒)の概念は、地獄の概念を形成した仏陀発祥のインド仏教ではなく、古代インドの思想や、仏教伝来に渡る過程にて中国の道教の思想となり、日本仏教の思想が加わり、国それぞれに地獄への印象が変わります。

無間地獄などもあり、地獄は苦痛と罪に対する対処としての印象が付いています。

 

地獄はない

そんな過酷で苦しい罪の罰は、あの世にはないかもしれません。

あの世には陰と陽の概念にネガティブとポジティブ、善と悪、良い悪いはありません。

肉体がなくなり、魂としての心の存在となるあの世では、カルマの法則と個人の意志によって世界が作られる完全なる“個”の世界が広がります。

「ここは地獄です」という正式な場所としての地獄はない。というのがここでお伝えしたいものです。

肉体がなくなるあの世では、物質の概念で体を痛めることで苦しむことはできません。

あくまで肉体が反応して、脳が感情や思考を付け加えていき、「手をつねる = 心地悪い = 辛い、痛い = 嫌なこと」と認識していきます。

あの世には認識をする肉体も脳もなくなり、感情を新たに作ることができません。

自分が燃えていても経験したことがなければ、「おぉ、燃えているよ、自分」と観察するような状態で、火傷の記憶などから、「ヒリヒリして痛いなぁ」と思う程度になります。

あの世は肉体や脳の認識からではなく心の認知になり、地獄がないけど創り出す仕組みが生まれます。

自分の居る空間がどこかによって、地獄がない状態に創る際の種類が分かれます。

地獄の種類
  • 四次元(幽界)の地獄
  • 五次元(霊界)の地獄

四次元と五次元の地獄の仕組みと意味は大きく異なり、五次元以降は天の川を超えたあの世となり、天国の中に地獄を見出す状態です。

四次元の幽界は次元が低い場所であることから、辛く過酷な印象となる地獄の空間です。

地獄という正式な空間はないので、地獄はありません。

幽界は“感情と想念の世界”として、この世と同じように人々と生活をしていきます。

思考のネガティブとポジティブの記憶となる脳で作った感情の記憶があることで、同じ世界に地獄と天国が生まれます。

あの世の仕組み(四次元 幽界) : 自らが持つ感情と想念の記憶を基に創造したことが現実化される

※良いことも悪いことも自らの意志と認識にて創造され、現実として自分の表現となる。あるがままの自分が表現されることで現実を創る世界

思考の記憶となる感情はありますが、思考がないことから嘘や偽りのできない世界となり、そんな自分を認識することになります。

一言で表すと、『自分で世界を創る場所』です。

自分として生きずに隠してきた場合には、あらゆる真意が現実として目の前に広がります。
自分の中に恐怖や誤魔化しの嘘、取り繕いの偽善や悪意、エゴがあることでそのまま自分の世界となり、地獄のような辛さを味わう日々となります。

自分次第で世界を創造して過ごすことからあの世の暮らしを彩る仕組みがあり、自分をどのように認識しているかが現実を創り出し、目の前に広げ続けます。

全ては自分の意志と認識によって創造される個の世界では、誰か人や物やルールに助けてもらうことで喜びを見出し、嬉しさを貰うような他への依存や執着ができず、自分が一人になった時の状態が露になります。

ネガティブな思考の記憶が主体である場合、常にネガティブな創造が現実化されて、地獄の世界を広げます。

 

地獄と天国の階層の影響

あの世に地獄はないと同時に、天国もありません。

どちらも自分次第で地獄にも天国にもできる同様の仕組みです。

自分が確立され、自尊心を持ち何も隠すものも見たくないものもない場合、確実に天国の世界を自ら創ります。

その反対が地獄です。

しかし、地獄も天国もない真っ新な状態のあの世であることから、常に地獄を創ることは少ないかもしれません。

そこで大きな影響を及ぼすのが、【階層による他の魂の存在】です。

地獄も天国もない大前提をもう一度ご覧ください。

地獄と天国
  • 地獄…自分を受け入れられずに恐怖や苦しみがある人は、常に恐怖や辛さの記憶を基に生活して地獄を創る
  • 天国…自分を受け入れて喜びがある人は、常に喜びの記憶を基にポジティブな創造をする生活にて幸福や満たしを感じる世界を創る

※あるがままの自分を隠すことができない魂の状態にて、意志と認識にて喜びも苦しみもそのまま現実として表れる

自分のみで地獄にも天国にもする状態ですが、あの世はこの世と同様に他者との共存環境や社会環境まであります。

他者も同じ空間に存在して生活していることで、地獄がない状態もある状態も共に加速されていきます。

あの世のどこで生活するかは階層にて分かれており、自分の生活するあの世の位置や、同じ場所にて生活をする人が決まるクラス分けがあります。

クラス分けはくじとは違い、魂レベルである魂の成熟度によって完璧に誤差なく分けられます。

あの世の仕組みや暮らしはこの世とは違い、自分の魂レベルと同じ人と関わり、魂レベルが自分より高い人とは何をしても会うことができません。

この世は魂レベルが違えども、同じ三次元という世界にいるルールの基に生まれているので、どんな人でも同じ場所に生活します。

しかし、あの世では完全にクラス分けをされて、別のクラスは見ることもできなくなり、より自分の意志と認識による生活が促され、同じ魂レベルの人のみの共存環境となる階層によって自分の世界が強調されます。

自分と同じような人しか周囲に存在しない意味で、例外やたまたま違う階層の人が混ざることはありません。

魂レベルの階層分けによる地獄 :

自分の魂レベルが低い場合には同じように低い人しか存在せず、ネガティブな創造を繰り広げる階層となり、否定や批判、文句や愚痴、押し付けや決めつけや罵り合いが繰り返される地獄となる。

※魂レベルが高い場合には、ポジティブな創造を繰り広げる階層にて、人と共有し協調し合う天国となる。

階層による仕組みがあることで、自分の魂レベルが低い際には、地獄の創造が他者の影響によって強調されます。

魂レベルが低ければ低いほどに自分の存在を受け入れず恐怖を抱えており、辛い地獄が待ち受けます。

この世で、自分を受け入れることができずに取り繕いや嘘をついてきたり、人を蔑んで他者と比較して優越感を感じる自分がいるならば、周囲は全員同じような人のみです。

恐れから自分はパニックでありながら、周囲を見ると同じような人しかおらず、足の引っ張り合いや罵り合いをする状況が追加され、地獄感を自ずから同じような人々と創り合います。

魂レベルの階層が低ければ低いほどに、地獄がない真っ新な空間を自分達によって地獄に染めていくことになります。

 

死後の世界に地獄はある

霊界にある地獄

「死後の世界に地獄はない、けれども創れるよ」という話をこれまでお伝えしましたが、天の川を超えた霊界には地獄があります。

ここで地獄への概念は一変します。

この世では、天の川を超えた先は天国として知られているかと思います。
その中に地獄があり、仏教でいう十界の最下層のように、受ける辛さや過酷さがある天国内の地獄があります。

五次元となる霊界は天国を自ら創る舞台となります。
五次元は感情と想念の世界とは違い、感情との分離を果たし、善悪や良し悪しの概念を理解して超越しており、心の想いを基に創造をする想念の世界であり、魂レベルを向上するべく自己の成長を目的に生きていることを認識します。

心の想いとは愛の認知であり、認知度が高ければ高いほどに魂レベルが高くなるために、愛を基に自己の成長を求める生き方となります。

そのため、想念は愛を基にした自他を敬う気持ちにて創造され、自ずから天国のように愛と喜びに溢れ、さらに創造主である愛の源や守護霊、指導霊や同じ魂レベルの仲間との生活にて天国と認識することとなります。

そんな五次元の霊界に地獄のような空間となるイベントブースの一角があり、霊界ならではの仕組みがあります。

霊界にある地獄 : 天国にある反省の場

※魂としての存在に反省が必要な人にもたらされる魂レベル向上への機会となる地獄
※罪への罰ではない

地獄イベントとは反省の場となる機会で、またの名をワークショップと呼びたいと思います。

私が臨死体験にて五次元の世界を探索していた際に見つけたことしかお伝えできませんが、そこには行列を作り、イベント会場の中で行われる体験を待つ魂で溢れていました。

あくまでも反省を望む人が参加できる場所であり、魂レベルの向上を求める姿があります。

天国にある反省の場への参加者のほとんどは、反省によって成長する意志がある人々(例:自殺を悔い改める人など、進んで自決した人ではない)です。

五次元以上の魂レベルを持つ人は、苦しみを糧に成長を試みる試練を課す傾向があり、自らが課したことに諦めてしまったり、自分を見失う弱さや改善・克服のために見つめ直し、心を清めて新たに決意を促す機会とする。

自らに向上のための反省となる機会を促すのが反省であり、ポジティブもネガティブも超越した意識ならではの認識として、地獄の別の捉え方があります。

あの世の人々がその場を地獄だと認識しているかどうかはわかりませんが、過酷で実に辛い体験が待つ空間です。

反省の場は自らの意志で参加する。
参加しないと、自分を見失い続けて本来の魂レベルよりも下の世界で暮らすこととなり、ネガティブで向上心のない階層では気づきの機会がなく、自ら地獄を創り出す地獄となるので、反省を目指す魂が多い。

 

苦しみの地獄体験

上述の反省の場は少しわかりにくいと思いますので、実際に私が体験した二つの世界をご覧ください。

奇妙なお話ですので、サラッと読んでいただければと思います。

反省の場の体験レポートは二つの世界についてです。

一つ目の反省の場は、苦しみのみが存在する地獄でした。

 

苦しみのみの地獄体験

苦しい気持ち以外に感じるものが何もありません。

空間が真っ暗かどうかもわからず、自分の存在を認識する光が少しずつなくなっていき、自分自身はどんどんと奥底に落ちていく、沈んでいく。

常に苦しい感情や感覚に襲われ続け、終始沈んでいきます。

24時間365日1秒も絶やさず苦しみ続けるように、苦しみのみの空間です。

辛く、どのような場所か、何か周囲にはあるのか、真っ暗なのかどうかを認識する余裕が私にはありませんでした。

独りしかいない世界で落ちていくように、このまま消えてしまってもう戻ってこないように沈んでいく感覚があり、何も見えず、唯一の灯である自分が少しずつなくなっていき、一瞬の猶予も甘えもなく、苦しいと感じるのみ。

体感では耐えられないほどの苦しみ、思考がないので認識を誤魔化せず、味わい続ける以外にない世界でした。

あの世には時間の概念がないので一生続くような、いつ終わるかわからず、ただ耐える苦しみでした。

 

恐怖のみの地獄体験

二つ目の反省の場は、恐怖のみ存在する地獄です。

感じる気持ちが怖ろしく怖いのみ。常に恐怖に襲われ、パニック状態が終始続き、対処が何もできない状態を味わい続けます。

真っ暗な中で自分の存在も空間も何もわからず、どうしたらいいかわからないパニック状態で、泣き叫んで恐怖を発散したり、気絶して対処できません。

個人的には恐怖のみ存在する世界の方は、二度と味わいたくないものでした。

辛く苦しい場所ですが、愛に基づく苦しみと恐怖の環境を味わい続けることで、過酷さの中で絶対的に必要で唯一の存在である自分を自覚して、大切なことへの気づきと同時に自らの行いを改めて見つめ直す機会となるのは確実だと思います。

地獄は罰ではなく、必要な人にとっては成長につながる大切な学びと反省の場であり、向上意志を持つ人にもうけられる天国ならではのサービスのような気がします。

ほかにも私にはわかりませんが、バラエティに富んだ内容があるのかもしれません。

 

死後の世界に地獄がない仕組み まとめ

以上が、死後の世界には地獄がないという考え方です。

地獄がないのですが、あの世の仕組みによって意志と自己表現の結果、地獄を創ります。

階層による他者との共存にて、より地獄を強調して苦しみを増長させていきます。

天国にある地獄は愛に基づく反省の場として提供されており、辛すぎるくらいの体験にて自らが自らに気づく機会が与えられます。

あの世は完全に自分という“個”による世界です。

この世でも同じですが、この世では思考にあるエゴを主体にすると自分自身で生きることを忘れ、他者に依存や執着をして、責任までも負わせる概念があり、思考にて認めたくないものは誤魔化せます。

それができないと、あの世では地獄を創る可能性があります。

地獄の正体とは自分のエゴのことです。

エゴがあると地獄がない状態に地獄を創ります。恐怖や嘘にて包まれ、自分を隠して見ないようにする自分自身です。

この世もあの世も仕組みは同じだと思います。

この世でもあの世でも地獄を自ら創るのは、自らの中に巣食うエゴがあることを意味しており、辛さや苦しみは幸せや愛とは正反対の方向へ行っていると教える心のサインかもしれません。

自分の愛に気づくための意志があれば、いつでもどこでも変われることを意味し、天国への道を切り開きます。

そんな事前情報が、今世でのより良い人生を育む一助となれば幸いです。

それでは、あの世に地獄はないけどあるというお話を終了します。

最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。

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POSTED COMMENT

  1. ガビチョウ より:

    とてもわかりやすかったです。
    イベントブース、ワークショップという言葉は明るい気持ちになれますね(笑)でも中身は壮絶そうです…貴重なレポありがとうございます。

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