どうしてこの人を愛しているのだろう?
愛の探求は、全てが一つに繋がっていることで答えが見出される。
愛の形とはとても幅広いものだと思います。
愛を抱く気持ちや、感じる想いとは別に、思考があり、顕在意識があり、自我意識があるために、過去の経験や他の情報を交えた愛への思想が人それぞれに幅広く生まれます。
そこに、本当の意味での愛があるのかどうかを考えると、ワンネスに答えがあります。
「本当の」とは、原形であり、思想が広がる前のことであり、人と人に共通して誰しもが理解できる真実です。
ワンネスによって紐解かれる本当の愛とはどんなものかをご覧ください。
愛には人それぞれの形がありますので、ここでの内容が、自分自身の愛の育みや気付きの一助となることを願います。
Contents
ワンネスでわかる本当の愛

初めにワンネスとは何かをお伝えし、その後にワンネスを紐解くことで現れる本当の愛についてをご覧ください。
ワンネスとは
「全ては一つ」という一体化意識のことで、この世に存在する意識体は一つに繋がっていることをワンネスと表現します。
私達も動物も虫も魚も微生物も菌も植物も雲も地球も何もかもが生命を持って生きています。
そんな生命には意識があり、意識体として存在します。
それら全ては一つの意識と繋がり、派生して個々に存在するのが今の状態です。
そして、一つに繋がる源の意識がワンネスであり、言葉としては、「一体、一体となる」という意味です。
ワンネスは全体の意識
“個”としての意識ではなく“全体”の意識であることです。
ワンネスの最も特徴的なことは、全ては一つであることは、一つ一つ個々に存在する私達を統括的に包み込む状態でして、その包み込まれた状態を認識することで、ワンネス体験とか、ワンネス認知と言われる体感があります。
一つのことを近くでまじまじと見るミクロから、空から俯瞰して観るマクロになるようなイメージです。
認識が俯瞰されることで物事の見方や捉え方が広がり、幅広く、多角的で、柔軟に、寛容に観る状態になります。
それは、主観が自分であり、他人であり、全体にもなることで、自分の世界のメインが自分一人から周囲の人や動物や植物などと広がり、最終的には完全なワンネス一体として、全員が自分という状態です。
「全員が自分、ほえ?!」という感じですけど、そこにワンネスの意味となる“愛”が潜みます。
ワンネスとは自分の主観が広がること
認識が自分から全体に広がることで起きることがあります。
それが、“受け入れ”です。
物事の見方を俯瞰することは、自分を受け入れることから、隣の人を受け入れる状態になります。
それは、隣にいる人を自分のように認識することです。
ここで私達の根本を確認したいのですが、私達は自分のために生きていて、自分にとっての喜びを求めて生きています。
これ以外何もありません。
自分のことだけです。自分にとっての喜びや利益のみを求めています。
きつめですね。しかし、事実です。
どんな行為も言動も全ては自分のためでして、そこに例外はありません。
しかし、自分にとっての喜びというのは、完全に千差万別です。
- 楽しいことや嬉しいこと、感謝できることや、愛を感じることが喜びの人もいます。
- 他者が喜ぶことや、他を助けること、他が幸せになることが自分の喜びの人もいます。
- お金を得ること、物がたくさん手に入ること、人と仲良くすることや、人を利用することが喜びの人もいます。
- ネガティブが利益となる人もおり、自己憐憫を作ることや、恐怖を味わわないための安泰、恐怖から逃げることや、変化を求めないことが、嫌な気分にならない、苦しくない、納得できるという喜びの人もいます。
さまざまです。
このように、自分のために生きている前提があり、自分を主観にして人生を歩む状態から、隣の人、全く知らない人を同じように理解します。
「えっ、マジ?!」となるかもしれませんが、これがワンネス意識と繋がることです。
それは、自分を受け入れる状態から他者をも受け入れる状態になることで、他者を許容する気持ちがなければできません。
ワンネスとは受け入れる愛
これまでの内容から、ワンネスとは“受け入れる”ことだとわかります。
ワンネス認知が高まることで、自分から隣の人 →さらに隣 →さらに隣 →誰?まぁいいや →ワン?まぁいいや →虫?! →植物?! →地球…とどんどん広がっていきます。
順番は人それぞれに自分から距離の近いものに対して広がります。
受け入れるとは敬いの愛
自分を初めに受け入れ、許容が広がることで他を受け入れることができます。
受け入れる際に、敬いや尊重がなければ受け入れることはできません。
そのため、他を受け入れることは、自分と同じように他のためを思う敬いがあります。
敬いがなければ受け入れた振りをしたり、受け止めたり、なかったことにしますが、それは受け入れではなく、嘘、偽り、偽善、誤魔化し、または拒否です。
ワンネスの認識を全体にすることは他を敬う気持ちを持つことで、ワンネス認知が高まることは、その範囲が広がり、全てを受け入れる状態になります。
それは、愛がなければできません。
自他を敬う愛がワンネス
受け入れる愛には許容としての許しも含まれ、押し付けや決め付けにて他に干渉しないことも含まれます。
他者がする行動や思考をそのままに敬うことで、それは他者そのものの存在を敬うこととなり、それが愛として存在します。
その際、個から全体へ広がっていくのがワンネスですが、一番初めの敬いの対象は自分です。
初めに自分を受け入れることから始まり、自分を敬い愛します。それをせずに他に向かうことは何があってもできませんので、そういう人がいれば観察してみてください。
必ず、自分にも他にも嘘をついて誤魔化しています。
現実に個として、体も脳も心も持ち、顔もあり、身長も体重も他者とは違う自分がいるので、初めに自分を認識することから人生は始まります。
愛には自分を敬う気持ちが一番初めにあり、それが消えることはありません。
初めに自分を愛することからワンネスの認知が高まっていくので、ワンネス認知のない“自分を受け入れない人”は存在しません。
なぜならば、空気を吸っている自分を受け入れているからです。
※ワンネスの詳細は、ワンネスとは宇宙の法則|スピリチュアルと哲学でわかる視点を変える話 をご覧ください。
本当の愛とは
愛のない状態
ワンネスによって愛とは、“自分も他者も敬う気持ち”だとわかります。
“干渉しないこと”です。
他を受け入れる際にわかりやすく表れる敬いの愛が、そのため、愛があるかないかの違いがはっきり表れる行為が“干渉”です。
愛に干渉はない
愛には自分の世界や認識を押し付けて、言うことを聞かせたり、自分の思い通りに強制したり、奴隷のように自我をオラオラと押し付けることはありません。
干渉とは、覗き見であり、押し付けでもあり、決め付けでもあり、他の世界を尊重せず、攻撃してぶち壊す行為です。
他の世界に介入して干渉することは、愛とは全く反対の状態で、“エゴ”と言います。
他人と区別することで自分を見出す意識のことで、自分を押し付けたり、認めて、褒めて、愛して、必要として、捨てないで、何とかして、ねぇねぇ、なんか言って、と依存と執着をして、求めて求めて、介入して干渉して、わんやかんやです。
「パーティじゃないんだよ、ばかたれが!」と、愛にはこのような一連はありません。お騒がせしました。
干渉ではなく共有や共感をするのが愛
干渉は受け入れや敬いとは程遠い行為です。
しかし、一切他者と相容れないことではなく、愛があることで共有や共感にて他と関わり、交わります。
共感と同情の違いがわかりやすい例になると思うので、それぞれの意味を見てください。
- 共感とは…相手の感情を理解する
相手を理解しようとする気持ちがある - 同情とは…相手の感情に合わせる
相手と同じ状態を味わうスタンス
自分にも相手にも敬いなく、相手の状態に飲み込まれるように介入して、同じ状態になるのが同情。
「同情って何がしたいの?!」と思うかもしれません。同情には愛がないので、受け入れや敬いではなく、相手に干渉させられたり、自分から介入したりという、それぞれの自己満足が起きていて、相手が必要ありません。
会話をする際にも、干渉をするか共有をするかは大きく異なり、自分の言いたいことだけを伝えて満足するような、人を利用して自分だけ利益を上げる場合は干渉で、相手が誰であってもいいんです。
共有は相手が居なければ成立しないので、自然と敬いが生まれ、相手がいるから会話ができて、自分が話したいことを伝えられて、相手の意見を聞けて、聞いてくれる人がいて、その人だからこそ話せることがあってと、愛を持って会話をします。
干渉をするのか共有をするのかの人間性には、ワンネスの認識の差があり、ワンネスから遠くなると自分の中のその瞬間のその時の状態に納得や満足を求めます。
ワンネスに近付いて認識が俯瞰すると、点の見方がマクロに広がり、自分だけではなく目の前の人も含めた認識で、「自分が喜びたい」が、「二人が喜びたい」というように変わります。
ワンネス認知が高いかどうかが、愛が強いかどうかの違いを作ります。
そんなワンネス認知を高めることで全体の認識としての愛が生まれ、本当の愛としての真実の姿がバーンと豪華に、そしてちょっと謙虚に現れます。見ていきましょう。
※愛にある哲学とスピリチュアルな話は、愛とは何かを紐解くスピリチュアルと哲学|想いに種類と意味がある をご覧ください。
本当の愛とは
まるで空に浮いていくように、人が点となり、雲が見え、住んでいた場所が土や木々の茶色と緑色になっていきます。
するとワンネスとして地球目線の認識となり、さらに離れて真っ黒に、宇宙です。
地球が青く見え、太陽も月もあり、太陽系銀河や天の川銀河を離れ、この先の名前はわかりませんが、何とか銀河がたくさん出てきて、宇宙探索機のちっこいのが見えて、シュンシュンシュンと離れていき、ドンッ。
到着です。
何もないのか、何でもあるのか。映画のLucyでは、全部と一体となることで、時間の概念なく時空を自由に行き来して、人間としての原形もなく、大気と同化するように完全な自由になっていました。
そうです、何でもいいんです。
ワンネス認知が高まると全体の認識となり、全てを受け入れます。それは、何もかもを敬う大前提となり、拒否と干渉の概念は、「はて、何ですかそれは??」というほどジジババです。
ワンネス一体化の最終状態がどうなるかは私には到底わかりませんが、ワンネスが全体の認識であることから、個の認識はなく、他の認識もなくなります。
そして、全てを受け入れる前提から、受け入れるも受け入れないもなくなります。もちろん拒否がないので、受け入れるのみということです。
言い方を変えると、物事に変化を加えず、起きることをそのままに俯瞰して、自然な状態です。
さらに、全ては一つの認識から、責任も何もありません。本当にそのままです。
- 全てを受け入れること(受け入れるも受け入れないもない)
- 拒否をしない認識
- 干渉をせずにそのままに存在することを敬う
- 責任はない自由な有り様
- 個も他もない認識
- 何もないけど全てがそのままにあり、自然な状態を俯瞰する認識
- 自分はないけど全て自分である全体としての認識
- 全部愛、エゴも愛である理解
- 何でもいい状態
本当の愛、いろいろ書いていますが、何でもいいんです。それは、全てを受け入れる意味です。
無償の愛や真実の愛
ワンネスが教える本当の愛とは、自分を受け入れ、他人を受け入れ、全ての受け入れです。
すると、無償の愛や自己犠牲も愛だとわかります。
無償の愛、真実の愛、博愛、慈愛、自己犠牲など
- 自分に起きることを受け入れ、他者の喜びも受け入れる行為
- 拒否がなく、起きることをそのままに、自然体
- 他への干渉なく、自分を敬う愛にて起きることを受け入れ、目の前に助けを求める人がいて、自分が助けたければ助ける
他者を助け、喜びを与えることが自分の敬いとなるワンネス認知があり、他者や出来事を敬う愛があります。
全てを受け入れることが本当の愛であるならば、一つだけ必要なものがあります。
それが自然体の自分。すなわち、自分の真意としての意志です。
本当の愛とは、意志があることで成立する認識です。
本当の愛を体感するために
無償の愛でも何でも、自然にそのままに受け入れる場合には、自然な状態を作る私達それぞれの意識があります。
その意識が全体になることで自我意識を離れてワンネス意識への一体化となりますが、ワンネスの本当の愛を認識するためには、自然な状態を作り、行動や思考にて出来事を作る基が必要です。
今生きているのであれば、空気を吸ったり、ご飯を食べたり、仕事したり、人を好きになったりします。
そこに作為なく、自然な状態での行動や思考があれば、それが本当の愛を見出す、全てを受け入れるための出来事になります。
例えば自己犠牲が本当の愛である受け入れかどうかは、本人の意志次第です。嫌々犠牲にあっているのであれば、辛く苦しい強制や苦悩のエゴです。
しかし、本当の愛があれば、儀式でも何でも選ばれたからには自分の意志として、村人のために自分のために、蛇にでも食われてやりましょう。
切腹もそうです。誇りを持ち、自分の真意として受け入れている場合、勇姿や他への教えや影響となり、自分に対して本当の愛を持ち、行為に及びます。
時代背景や環境、人格や気質など、全ての認識を含めて、完全に依存と執着、そして干渉と拒否をなくし、敬いと受け入れがあることで、本人にとっては自然で意志のある行為となります。
その意志を生み出すのが、魂です。
本当の愛には必ず魂としての意志が必要です。
魂と繋がること
私達意識を持つ存在は、全員に一つの魂があります。その魂の中に自我意識があり、今生きている私達が含まれるために、私達は魂として生きている状態でもあります。
魂とは記憶とアクセスするための場所としての存在意義があり、あらゆる記憶を保持して、魂と繋がることで、記憶を基に認識を作り、自分を作り、行動や思考などあらゆる出来事を起こしていきます。
そのため、魂にアクセスすることは、過去の自分の全ての記憶を基にして自分を作ることができます。
そして、今生きていて、私達は漏れなく“自分のため”に生きているので、今の自分にとって喜びや利益のあることを、過去の自分の記憶の集大成から作ります。
以上から、魂として過去の記憶を保持する状態に自分がなることで、本当の愛を認識する状態になれます。
それが、“心”です。
心を使用して生きること
魂が記憶とアクセスするための場所であることから、魂には、自我意識の記憶としての顕在意識や潜在意識があります。
さらに、過去の潜在意識の記憶があり、そこにワンネス意識として宇宙全体の記憶もあります。
魂状態となることは、さまざまな記憶を持つ意識にアクセスすることで、それをするのが心です。
心とは今この瞬間のみに認識できる気持ちを生み出すもので、魂と自我意識の橋渡しをする通路となる役目を持ちます。
人を愛する時など、愛を感じる時には心がドギマギ、プニュプニュ、マニチュパすると思います。
それは、魂とアクセスしてワンネス認知が伴った状態を表します。
思い出してみてください。男性であれば、セクシーな女性を見た時に、心がドキドキしますか?
私はしません。おそらくドキドキは心ではありません。
でも、自分が好きな人や愛する人を目の前にすると、心がドキドキ、ワクワクしませんか?
それが、ワンネス認知です。本当の愛の入口です。
それを感じた時、魂との繋がりを持ち、自分としての意志を持ち、「この人を愛している」という認識や、自他を敬う気持ちを体感します。
※魂と心についての話は、魂と心の違いと関係性│自我には心と脳と体、魂は記憶のアクセス場 をご覧ください。

本当の愛は体感してからついに始まる

愛する人がいれば本当の愛がわかりやすくなります。
目の前の人を愛していれば、その人を敬い、受け入れます。その際に、拒否や干渉がないのがワンネス認知のある本当の愛です。
しかし、一対一で自分と相手のみの場合、ワンネス認知はそこで留まります。全くもって全体の認識とは程遠い状態で、ミクロの認識として二人のみを考える状態です。
「それがいい」という理解は本当の愛にはありません。起きるままに受け入れます。
そこから俯瞰していくことで起きること、それは依存と執着がない状態です。
人を愛することで依存と執着を知り本当の愛を知る
人を愛すれば愛するほどに、その状態を維持しようとします。そこには自分の喜びを求める意志があります。
そこに、「この人もいなきゃダメ」と干渉することで依存します。
すると、それが本当の愛ではなく、自分にも他者にも受け入れがないことに気付きます。
本当の愛は、愛する人がいなくなっても依存しません。人と同時に、起きることを尊重することが受け入れです。
そのため、ワンネス認知が起きることで本当の愛を学ぶ時間が始まります。
その道中では、受け入れをやめたり、休憩して何も考えず森にこもったり、修行したり、苦しんでエゴを味わったり、さまざまに経験を増やします。
それはまるで、何回も何回もこの世を生きて経験を積むようにです。
本当に愛する人を愛すれば愛するほど、そして、離れ離れになる経験があればあるほどに本当の愛を理解する時間がもたらされます。
本当の愛を知る歩み
自分を敬い他者を尊重し、出来事を受け入れます。
すると、誰しもを愛することになります。
その際には、「愛している」とわざわざ自己表現をして、自分の気持ちを理解してもらおうという他への干渉はありません。
相手が言ってほしいのであれば、共有として伝えることはあります。それが相手への敬いだからです。
誰しもを愛するなんて、これはもうビッチかと思いきや違います。
本当の愛に肉体関係はありません。あるのは受け入れです。
そのため、自分も他者も敬う行為となり、お互いの受け入れがあることで行為が起きますが、あえてすることではなくなります。
何でもいいんです。
さらに俯瞰していきます。
もう、木でしょうね。というのは冗談ですが、依存と執着がないことは生死への認識も同様です。
そして、それは自分のものにもです。
全てを受け入れる本当の愛とは、自然な姿で、心を使用して魂として、それは、自我意識として今生きている状態での自然=心だけでなく、肉体も脳も全てを使用するそのままの行動と思考の有り様を意味します。
それが、自然界や地球や星です。
人間様が、脳みそ様が何をしても何も言いません。地球からすれば、のみと人間は同じです。それが全てを受け入れる愛です。
地球は起きることをそのままに、ボンッと噴火させ、ガガガと地震が起き、バリバリバリと雷を落とし、地球のあらゆる場所に洪水を作り、穴ができ、台風にトルネードです。
何をされても、「このやろう、やったなぁー、ブーン」、マシュマロマンでビル群ガラガラガラなんてことはしません。
これがさらに宇宙になります。完全に何でもいい状態として愛は広がっていきます。
※人を愛することの意味は、人を愛するとは自分のみが対象│自分を敬うことが唯一でたった一つの愛 をご覧ください。

本当の愛とは繋がりのこと
ワンネスによって本当の愛がわかるのは、ワンネスとの繋がりが愛だからです。
愛とは気持ちでも何でもなく、全体との繋がりです。
繋がることでワンネス認知としての体感があり、それを心がします。すると、ドキドキしたりパミュパミュしたり、バミンバミンと人それぞれに感覚感受があります。
全てに共通するのは、「心地良い」ことです。そこには、高揚感や興奮感、嬉しさや活力の動機となる情熱や感動があり、繋がりを覚えます。
しかし、繋がりはワンネスという謎で、あるのかどうかもわからない空想との繋がりではなく、人との繋がりです。
言い方を変えると、心と心がワンネスを通じて繋がった状態で、愛を認知する心地良い体感があります。
まるで電気です。水晶みたいな透明のボールに静電気を流すと、雷がバリバリみたいな、科学博物館にあるやつです。
片側から手をボールにつけ、もう片側から別の人が手をつけます。すると、手と手に電気が繋がります。

そのボールがワンネスです、全ては一つである体感によって愛を教えます。
愛する気持ちはワンネスを通じた繋がり
愛を感じるのはワンネスに繋がる心です。心が魂にアクセスすることで、魂は常にワンネスと繋がっています。
自分がワンネスと繋がればそれだけで本当の愛を認識することができます。
そこで同じように心をワンネスに通わせる人がいれば、お互いに繋がります。
みんなが一つであることから、一体を感じるのがワンネスで、人と人を繋げるのが本当の愛の意味です。
ワンネスが本当の愛、ワンネスと繋がる人そのものも本当の愛と言うことができます。
全てを受け入れる何でもいい本当の愛を原形に、ワンネスから離れていくことで自我の潜在意識や顕在意識の記憶や知識を含め、人それぞれの愛の形が生まれます。
それが、私達人間のおもしろいところではないかと思います。
※人との関わりの中での本当の愛を言語化した話は、本当の愛を持つ人の特徴とスピリチュアル|無関心と紙一重な親愛の真実 をご覧ください。

本当の愛とは まとめ
以上が、ワンネスの理解にてわかる本当の愛についての話でした。
本当の愛とは何かをまとめるとこのようになります。
- ワンネス意識そのもの
- 全体を一つとして俯瞰する意識
- 個や他の縛りなく、全てを受け入れる認識
- 自分も他者も受け入れる気持ち
- 受け入れる前提のある何でもいい認識
- 拒否も干渉も依存も執着もない在り方
- 心を使用して魂として生きる有り様
- 人と人を繋げるワンネスからのお知らせ
- 人を敬う自分そのもの
あくまで原形としての理解に、本当の愛としての“何でもいいよ、もう本当、All good”みたいな完全な全ての受け入れがあり、全部を俯瞰する認識があります。
それによって、愛の意味が生まれ、愛の意味を生み出すワンネスと繋がることで、愛の気持ちを体感することが起きます。
さらに、心同士で繋がることで人を愛する気持ちが生まれ、人を敬い受け入れる気持ちとして、心と心がワンネスの中で繋がることで、ビビビとお互いを引き寄せます。
そんなワンネスは魂の自分が常に繋がっていて、魂はスピリチュアルな存在のグループソウルやツインソウルや守護霊と繋がり合っている仕組みがあることから、スピリチュアルに魂との繋がりがある人は、より強いワンネス認知がお互いに起きて、この世で知らない者同士でも惹かれ合うことが起きます。
それは、より魂同士の関わりとして、同じ記憶を共有する強い繋がりによる、強烈な体感として、「愛だ、ドーン!」と衝撃をビリビリさせるかもしれません。
原形理解として、そこから自分に合った愛の形が作られることで、より自分らしい愛とは何かが見出されると思うので、素敵な愛を作る一助となれば幸いです。
それでは、ワンネスにてわかる本当の愛についての話を終わります。
最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。