思いやる際に必要な“心”。
思いやりの心とは何か?
心の理解を基にした思いやり、そこには人と人の関わりにある人間味があります。
どうして思いやる必要があるのか?
必要などありません。しかし、人と関わると決めたのであれば、社会という共存環境を選択したのであれば、自然と欲するものが、思いやりかもしれません。
ここでは、思いやりの心とは何か。思いやりの心を持つために大切なことをお伝えします。
言葉の意味と、心という人情味からの私の理解ですが、思いやりを引き出す言葉と心の組み合わせが、何か役立つ内容であることを願います。
思いやりの心とは

思いやりとは
思いやりの定義付けには、他人の身の上や心情に心を配ること、同情、などの意味があります。
“心を配る”、“同情”です。
キーワードは英語では思いやりを表現する際には、[Consideration],[Thoughtful],[Compassion]が多く用いられます。
Consideration,Thoughtfulは、考慮や配慮、熟考して気を利かせたり、思いやるというニュアンス。
Compassionは、苦しみや辛さに同調して認め、関与して、助けようとする様や気持ち。
英語の解釈を含めると、思いやりの意味は少し幅広く理解できます。
- 心を配ること:Consideration,Thoughtful
- 同情:Compassion
心を配る思いやりは、相手のことを状態や状況を考えて、相手のためにする優しさがあり、さまざまな気持ちがある中でも特に思考を使用します。
同情の思いやりは、相手の状態や状況にある感情やエネルギーを感じ、同調にて理解して相手のためにする優しさがあり、主に感覚や気持ちを使用します。
相手に心を配ることと、同情は捉え方が異なるので、思いやりの定義は幅広いことがわかります。
思考を主体にするか、感情や気持ちやエネルギーなどの感受を主体にするかにて、思いやりを持つ基盤が二つ見られます。
思いやりを作る構成要素は二つ
- 考える力にて他者のためになる思いやり
- 感じる力にて他者のためになる思いやり
思いやりの心とは
思いやりに“心”を追加します。
何が違うの?という感じですが、同じです。
しかし、一つ明確に変わることがあります。
実際に人と関わらないと思いやりの心は表れないことです。
それが心の追加作用。
- 思いやりは、言葉の定義のみで解釈可能・・・会議室仕様
- 思いやりの心は、リアルな現場でのみ解釈可能・・・現場主義
思いやりの心は現場主義。
だからどうしたという話ですが、現場でしかわからないことは、思いやりの心とは都度都度形を変えることを意味します。
思いやりの心とは同じものは一つも存在しない、その場限りの千差万別な心配りと同情。
そんな思いやりの心ですが、考える力と感じる力のどちらかを使用するかは人それぞれにタイプがあります。
両方の組み合わせの度合・配分を変えることで、思考9:感受1、思考2:感受8のように、いかように材料を組み合わせるかにて、思いやりの心は人によっても状況によっても変わります。
そのため、思いやりの心とは定義付けが曖昧になります。
しかし、思いやりの意味があるように、都度都度変われど、これが思いやりの心だと言える表現があります。
それは、優しさと区分けすることでわかります。
思いやりの心と優しさの違い
思いやりと優しさの大きな違いは、完全に相手のためか、自分のためも含めたものかです。
- 思いやりの心とは・・・相手の利益をもたらすための優しさ
- 優しさとは・・・相手の利益であり自分の利益でもある優しさ
どちらも優しさですが、思いやりは完全に相手の利益、相手のためにする行為であり気持ちです。
そのため、フォーカスの矛先は目の前にいる人です。
どれほど相手を思いやるかという度合はなく、完全に相手に心を配り、同情するか、それが思いやりの心です。
ですが、一つ確認しておきたい重要なことがあります。
「同情で相手を思いやれる?」
思いやりの心は同情以上に共感が良い感じ
人の苦しみを緩和したり、辛さを軽減するために思いやりの心を持つ。
如何に思いやる対象の人に喜びを与えられるか、苦痛をなくし、不安を取り、恐怖を除くことができるか。
相手の利益を得る目的を持つことが思いやりの心です。
ここには他者のためとなる行為や気持ちの思いやりがあり、自己満足や自己肯定、承認を求めて自分を正当化するなどの自らの利益へのフォーカスはありません(結果的にもたらされることはあります)。
同情で目的を本当に持てるか否かは確認要です。
同情とは、相手の感情や心情に同調するために主観が自分から相手になります。エネルギー概念では、他のエネルギー空間に入り、自らのエネルギーシールドを外すようなイメージですので完全無防備です。
この状態で思いやる際、「こうしてほしいな」なんて求められたら一方的になります。
相手が望み、今して欲しいことをしてあげられるので思いやりですが、それが単なる一時凌ぎのストレス発散や、甘い蜜を舐めるように頭を撫でて欲しいだけ、自分に非がないことを認めて正当化を図りたいだけ……なんてことだったら。
ただ利用されます。
飲み込まれて自分がなくなります。
助けるのではなく、一時凌ぎで使われます。
心配りができなくなります。
思いやりの二つある力の一つ、考える力を手放してしまいます。
思いやるためには、同情以上に共感による同調が望まれます。
共感は、自らを主観にしたまま相手に同調します。そのため、自分も相手も共に主体となり、感情を共有します。
どちらも相手の利益にフォーカスした行為であれば、己が自己犠牲をしていようが何だろうが思いやりですが、共感は考える力も感じる力もどちらも含めた思いやりを持つことができます。
思いやる力が大きい方が相手のためになるので、同情以上に共感が思いやりの心として活躍します。
思いやりの心とは まとめ
少しわかりにくいと思うので、これまでの内容をまとめます。
思いやりの心を表す状態を一覧にしたので、ご覧ください。
- 考える力となる心配り、感じる力となる同情を共に兼ね備える
- 同情の思いやりは共感としての同調
- 他者の利益のみにフォーカスした行為と気持ち
- 他者を主体にするが主観は常に自分(飲み込まれたり自分を見失わない)
- 優しさとは違い、相手の利益のためと優しさの矛先が明確
- その時その時千差万別に生まれる人を想う行為
- 人が喜ぶことが自分の喜びという気持ち
以上の内容から明確にわかることは、相手のために人を想う行動や気持ちを使用することです。
そのため、自分の能力や才能、出来ることをとにかく人の利益のために費やします。
嫌々であれば自己犠牲になります。
ですが、嫌々でないからこそ思いやりの心です。
そこには、人を敬い、自分を敬う人間性があり、思いやりの心とは何かを教えてくれます。
思いやりの心とは、人の喜びが自分の喜びとなる敬いと愛の在り方。
「愛を与えることができる人」と私は解釈しています。
※思いやりの詳細は、思いやりがないと言われた時に直したいこと│優しさとの違いは改善を導く をご覧ください。

思いやりの心を持つには

思いやりの心を持つために大切なこと
思いやりの心とは“愛”のことです。
愛とは敬い、そのままを尊重する受け入れ許容のこと。言い方を変えると、物事を俯瞰的に見る余裕と俯瞰性です。
自分に余裕を持ち、愛を他者に与えたいと思うことで思いやりの心が作られます。
そのために必要なことは、どれほど自分を敬い、信じ、他者を疑わずに信じるか。
自分を敬い、他者を敬う人は思いやりの心があります。
ここで重要になるのが覚悟です。
人のために行為することは慈悲であり奉仕です。自分の時間を使い、労力を用い、相手を見て、考え、感じて、気配りし、優しさを持って思いやる。
誰もができることではありません。
自分に余裕があれば自然と他者へ目が行きますが、思いやりを持つ際には余裕以上に人を喜ばせたい気持ちが重要です。
そのためには人の笑顔が自分の喜びとなる経験がものを言います。
優しくしたい理由や動機となる心温まる経験。人に心からありがとうと感謝されることや、抱きしめられる経験があることで、思いやりを持つ強い動機となります。
人を敬う思いやりの心は、リアルな体感による現場主義ですので、実体験にて他者の笑顔や喜び、感謝や感動を得ることが何よりの思いやりたい理由となり、自分の中にある愛を引き出します。
この心情にあるのは、「なんとなく人のためにしてみよう」「少し気にかけたら感謝されるかも」などの曖昧さや利益追従とは違い、「私がこの人を喜ばす」という意志です。
自らが作り出し、与え、もたらす意志を持つ。
シンプルで芯の有る、「私は思いやりの心を持って、人を喜ばせる」という覚悟が大切です。
そして、覚悟と同様に大切なのが自分を知ることです。
自分の思いやりスタイルを明確にする
子供の頃から教育されることで、思いやりの認識を持つことができます。
その際には思考の発達や、自分で考える力がないため、思いやりの形は考える力を少なく、感じる力を多くした割合になります。
純粋で綺麗な思考の少ない状態では、思いやりの心は同情に重きを置き、周囲の人次第で善悪が切り替わります。
周囲の人が善なら、感じる力で善に。
周囲の人が悪なら、感じる力で悪に。
愛は愛になり、恐怖は恐怖になるというものです。
思いやりの心を持つためには、同情も必要ですが、考える力である心配りも必要です。
両方を保持し、調整しながら目の前の人を敬うために使用することで、思いやりの心を最大限発揮できます。
そのためには、自分が考える思いやり(人を見る力)向きか、感じる思いやり(同調する力)向きか、どちらが見合っているかを確認します。
どちらも重要な思いやる基盤となる材料です。より相手のために思いやるために、自分の思いやりスタイルの明確化が大切です。
どちらか主体になる方を決めて、自分に合わせた思いやりを作り、調整します。
そのために、自分を知るための日々の理解が一つ一つ重要になります。
思いやりの心を育てる
最後に思いやりの心を育むための理解をお伝えして終了します。
思いやりの心を持つためには、自分を敬うことが必須です。
敬いによって信じることができ、自分を知り、確立されることで他者へフォーカスを向ける段階へと入ります。
自分を敬うことを始まりとして思いやりの心を持つ。その後は心をどれほど育てるかが、思いやりを強めます。
思いやりの心を育てるためには、受け入れる許容を増やし、俯瞰性を上げることが方法です。
受け入れる許容が増えることは、他の出来事も影響も自分の喜びに繋げてしまうことを意味します。
言い方を変えると、他者と自分を同一化する。
他との区分け、差別化や線引きをなくすことです。
他者が自分のことのように思えれば、我が子のように感じれば、受け入れる許容は増えていきます。すると自然と俯瞰性は紐づきます。
突然できることではありませんので、育みます。
誰でもできることではありませんので、思いやりの心がある人とない人が分かれます。
自分のスタイルを基に、少しずつ身近な人から受け入れることで、思いやりの心を育むことができます。
最終的に、誰に対しても線引きがなくなればマザーテレサさんのようになるのかな、というものです。
子供時代も大人時代も大切な育みの時間
子供の頃の教育や思いやりの育みは大切ですが、同様に大人になってからの育みも同じように大切です。
子供は感じる力を主体に、感覚と感性に長けた状態を活用して育まれます。その反面、他者を見て、考える力は少ないです。
子供同士や動物であれば、感覚と感性、波動感受等の理解があり、愛同士の関わりでは同情が主体で何の問題もありませんが、関わる人が変わることで同情だけでなく心配りも大切であることが目に見えてわかります。
思考にて共感し、相手を見る力を持つことで、より相手のために思いやりの心が発揮できます。
そのため、大人になってからの思考的な認知や、他者理解の考えや捉え方が大切になるのが育みです。
考える力を育みながら心配りの失敗も成功も体験し、相手の感謝を感じる経験を増やすことで、感じる力を育むことも可能です。
いつでもどこでも、覚悟と意志を持つことで育める、思いやりの心。
終わることなく育み続ける思いやりは、相手が変わればその都度理解を変える必要があるため、一生同じ思いやりにはならない不思議で奥深い人間関係を作ります。
※思いやりがない人の話は、思いやりがない人の心理と改善│本当に気にしたいのは思いやり偽善 をご覧ください。

思いやりの心とは まとめ
心とは気持ちを感受する身体機能の一つ。意識を橋渡し、自我に温風を吹き込む魂との接触器官です。
心からの喜びがあれば、魂がブルつき、思いやりたくなります。
それが、心から感謝されること。
言い方を変えると、人から敬いを感じることです。
思いやりの心を持つ人は、人から敬いを感じたことで、他者にも同じように敬いを感じさせたいと思う優しさがあります。
根っからの優しさは、時に強い信念を持ち、人助けをする覚悟を容易にするほど。
そこには、思いやりの心とは何かを表す自己表現として、親子、夫婦の括り関係なく人と人は繋がっていることを伝えます。
目の前の人の笑顔が、どこか自分のことかのように嬉しくなる。
まるで自分を客観視しているように喜び、敬いと敬いは共鳴するように響き合い、引き寄せ合います。
人間関係は相手がどのように自分と関わるかを気にする以上に、自分を主体にして相手を主体にすることで始まる、思いやりの共有と共存。
思いやりの心を育み、人間関係を自ら明るくすることは、最終的にあらゆる喜びは自分に返ってくる不思議な仕組みかもしれません。
世の中はうまいことできています。
無意識に自分と他者を同一化できる許容と俯瞰性。日々の積み重ねを忘れず、認識を増やすように自分を、そして人を見て、考えて、感じて、思う人は、常に自らが良き循環と結果を作り続けていたりします。
そんな思いやりの心を持ち、育む一助となれば幸いです。
良き関わりに心を。