優しい気持ちがどこかに潜む。
冷たくしたり、自分勝手になった時、人に優しくしたくなるかもしれません。
なかなか人に優しくできない時には、優しさの基盤となる自分を知ることが大切になります。
人に優しくするには、ある一つの方法があります。
人に優しくしたいと思う素敵な願望を叶えるためにも、ここでは人に優しくするために必要な理解をお伝えします。
それらを知ってわかることは、本当に優しい人になりたいかどうかであり、優しい人に本気でなりたい人は必ずなるという気づきです。
自らに秘められた優しさを引出す内容であることを願います。
Contents
人に優しくするには

優しい人とは何者?
優しい人とはどういう人なのでしょうか?
このイメージが自分の中で明確にあれば、優しい人になる一歩目を歩むことになりますので、ぜひイメージを鮮明にしていきましょう。
初めに“優しい”の意味を統一したいのですが、優しい人と言っても環境や国によって概念はさまざまです。
その概念が変わる最も大きな理由は、“周囲の関わる人”です。
例えば、日本であれば優しい人になる時に思考的に計算します。それは思考的に計算する人が多く、国柄として見栄や体裁にて保身を重んじるためかと思います。
人前かどうか、恥ずかしい状況かどうか、周囲の人の目や反応如何で優しくするかどうか、それが常識に則っているかを考えます。
さらに、恩義たる概念や、損得、徳を積むなどの認識があることで、未来のことも含めて優しくするかどうかを決めます。
これは優しいと定義付けされたルールに則るかどうかの選択をしている状態なので、人間として優しいとは全く別の話で、自己評価を中心にして他者を利用する概念で生きている場合のしがらみ、縛り、AI化。
思考が入ることで優しさというよりは常識を守った、自分が心地悪くならない、周囲から否定されない、恐怖なし、安泰死守という利益を求める選択。常識の上で泳ぐ金魚すくい。
それでは、優しい人って何者なのでしょう?
優しい人とは他者を喜ばし、感謝される人
人に対して利益を与える人は喜ばれます。
しかし、それが優しさかどうかはわかりません。
優しさの言葉としての意味は、思いやりや親切、心温かい、美しい、好ましい印象を与えることや様です。
そこに共通していることは、優しさを貰う側が心地良さを抱くことです。
優しさを与えたとしても、それが利用されるだけだったり、優しさにて相手を見失わせたり、今は気づいていなくても闇へ向かう促しだったりすると相手は心地良くはなりません。
心地良いと似たニュアンスで全く違うものとして、脳が満足して納得することや、快楽にて一時的に喜びを感じるドーパミンや幸福ホルモン的なものがありますが、心地良さを与えることは感謝にてお返しを抱く動機です。義理でも体裁でも何でもなく感謝です。
相手が感謝を抱くかどうかにて優しさかどうかがわかります。
優しい人は相手を優しい人にさせる
優しさを与える人が感謝を抱かせるのにはカラクリがあります。
それは、お返ししたいと思わせるためです。
優しさを貰った人は心地良さを感じます。そこには敬いの尊重や尊敬の気持ちがあり、その人をその人らしくさせる何かがあります。
それが愛でして、相手を敬い想う気持ちや行為にて心地良さを感じ、それを体感した際に同じように相手を敬い想う気持ちを引き出します。
すると、「ありがとう、とても私は喜び嬉しいよ」という感謝を抱き、お返ししたい気持ちが生まれる。
言い方を変えると、愛を与えることでその人の愛を引き出し、そしてお返しの愛も引き出します。
優しさは優しさを引き出し、関わる人を心地良くすると同時に、自らを知り気づく恩恵をもたらします。
優しい人とはまるで光のような存在です。
とても温かく、美しい印象を周囲に与え、己の美しさまでも引き出してくれる天使のような存在かもしれません。
優しい人になりたい理由
優しい人になりたい場合には、「なんで?どうして?」の理由が必要です。
意志なく行動しても目的に向かわないので、目的への動機となる理由を明確にすることが大切になります。
優しい人になることは、「この人のために」という気持ちがあります。
優しい人になりたい理由が、人に優しくすることで自分が納得したい、自分が満足したい。
人に思いやりを持っている自分を体感して心地良くなりたい、自己満足したい。
優しい自分でいることで評価してもらいたい、肯定して認めてほしい、存在価値を見出したい、生きている意味を見つけたい。
全て優しいと思われそうな人、または思われたい人です。
優しい人が何者なのかを知ることで、自分が本当に優しい人になりたいかどうかがわかります。
他者が主体になり、他者のために優しくするので、自分に余裕がない人が優しくすることはとても困難です。
これまでの内容を踏まえることで、優しい人になりたい場合に大切なことが見えてきますので、ここから先は詳細を見ていきましょう。
人に優しくする方法
人に優しくするために必要なこと
人に優しくするために必要なことがあるので、一覧を初めにご覧ください。
- 余裕
- 自分の確立
- 自分を何よりも愛する自己中心
順番に見ていきましょう。
1、余裕
一つ目は余裕です。
それは、経済的な物質の余裕の意味もありますが、それ以上に人として、それは心や精神としての余裕です。
お金があることで一時的な優しさをカモフラージュできますが、それはパフォーマンス的な優しさになり、脳が納得する自己満足や自己陶酔に繋がります。
それはそれでいいと思いますが、それ以上にもっぱら大切なのが、心や精神としての余裕です。
生活だけではなく自分という人間性や性格、気質や認識を理解して人生を生きていなければ生きるだけで精一杯ですので、他者に優しさを提供することに手は回りません。
そのためにも幸せであることが必要です。
幸せの基準は人それぞれでして、自分にとって幸せだと認識する状態になれればなれるほど余裕を持って優しい人になることができ、なるための成長や努力を育む時間になります。
そして何より、余裕があることで物事の俯瞰性が広がり、全体を見る視野と押し付けのない配慮や気配りとなり、笑顔がもたらされます。
笑顔は優しい人になるために必ず必要で、それは外見の見栄えではなく、心の内側が表れた人間性を意味します。
2、自分の確立
二つ目は自分を確立させることです。
これが余裕にも繋がりますが、自分で自分を認識するという意味です。
他者が主観になって比較や区別して自分を見出す場合には、確立云々以前に自分を見失っている状態を意味するので、自分のことを明確に認識して意見を持ち、思考を理解して、感覚感受や心の気持ちを認識します。
そこには、肉体と脳と心の認知があり、自分のことを認めて信じる人間性と在り方があります。
精神性や意志を強く持つことまでする必要はなく、ただ単に自分のことを自分で認識することで、優しい人になる基盤を作ることができます。
3、自分を何よりも愛する自己中心
最後に必要なことは、自己愛です。
全ての中心を自分にします。
自分を主観にして、他者に優しさを提供する行動にフォーカス。
全ての中心に自分を置く場合には確実に自分を確立してからという順番があります。
確立できていないと他者を主観にして、自分を中心にすることで他者を含めて自分を見出す迷惑や自分勝手になります。
自分を確立した上でとにかく自分を愛します。
それによって余裕がより作られ、他者の喜びを主体にする自分という中心を作ることができます。
言い方を変えると、優しい人である主人公は自分(主観)、優しさを与える行為のフォーカスは他者(主体)という感じです。
以上が、優しい人になるために必要なことでした。
※動物がありありと見せる優しい人の話は、動物が教える優しい人のスピリチュアル|人を想うと思うの違い をご覧ください。

人に優しくする方法
優しい人になるためには人に優しくする必要があり、そのためには優しさを体感して経験することが重要です。
その経験に最も大切なことが、優しくされることです。
人に優しくするためには優しくされる経験がそのまま方法になります。
人に優しくする方法は、自分が優しくされる経験をする
もはやこれだけでいいかもしれません。
本当に優しい人は誰かしら尊敬できる人がいます。それは尊敬できる人から優しくされたり、優しさを教えてもらう経験を貰っていることです。
苦しく辛い経験をしているから人に優しくできるようになります。
同時に、優しくしてもらう経験にて優しくできるようにもなります。
辛いのは嫌だと思うので、優しくなりたい場合には優しくしてもらう経験の方を選びましょう。
そんな優しくしてもらうことは、誰しもが与えられることではありません。
優しくしてもらう経験は運ではなく意志
優しくしてもらうためには、「この人に優しくしたいな」と思ってもらうことが大切です。
それは、大事な仕事をこの人に任せようと信頼してもらえるように、人として喜びを与えたいと思える何か。
意志です。
意志とは自分で喜びを作る源を表し、喜ぼう、幸せになろうという生き方を表現する原液のようなものです。
意志があることで喜びを自らに与えようと思い、幸せになろう、目的達成しようという意向や欲を駆り立て、活力や動力にします。
そのため、意志がある人は喜び、成長する気がありありとみなぎります。
何か与えるととても喜び、その喜びや機会を活用して自分の成長のために何かしようとします。
言い方を変えるとよく喜び、行動します。
優しくしてもらう人は、よく喜び、成長するために行動する意志を持ちます。
心から自分を喜ばせ、「幸せになりたい、良いこと欲しい、お金降ってこい」的な良いこと大好き感があることで優しくされる経験がもたらされ、その経験によって人に優しくしたいと心から想える動機を体感します。
体感した時に紛れもなく感じる確信として、「この人に優しくしたい!」と抱く動力になります。
人に優しくするためにも、優しさをもらうためにも、他者との関わり合いを好む自分が大切です。
人に優しくする方法のポイント
これまでの内容をおさらいします。
優しい人とは“花咲かじいさん”という話でしたね。
「いや、初めてー」という感じですが、花咲かじいさんのように自分が喜ぶことを忘れずに他者を喜ばす敬いを持ちます。
そして、優しさをもらう経験によって、人に優しくする動機と動力を得ます。
経験を基に特定の人に優しくしたいと思うことが初めは大切で、そこから新しい優しさの経験を育むことで新しい体感と認識が付け足されて範囲が広がります。
全ての始まりとなるのは経験です。
そこで大切なポイントは、優しい人は発信者であり、自ら何かを作り出す意志を持つこと、そしてそれを楽しんで笑顔ですることです。
楽しいと思えるかどうかは余裕次第で、人の笑顔が好きかどうかです。
優しい人になるポイントは、発信者として人を見守る視野と認識を持つこと。人の笑顔が好きだと楽しんで優しい人になれる。
※そうなりたいかどうかの意志が最も大切
人に優しくするかどうかはボランティアでも義務でも何でもありませんので、優しさに最も大切なことは自分の意志であり意見であり、本当に優しくしたいのかの真意です。
したいかどうかは人それぞれに綺麗に分かれると思います。
そのため、経験がものを言います。
過去を思い出す
いろいろお伝えしていますが、ここでの内容の核は自分の中にある“優しさ”にどう気づくかです。
経験というのは、元来持っている己の優しさを引き出すきっかけであり思い出すことを意味します。
みんな本当は優しいのではないでしょうか。
少し過去を思い出してみてください。
小さなあなたはおじいちゃんに飴玉をあげました。優しい子だからです。
その時、おじいちゃんは笑顔で飴をもらってくれました。それも優しさです、おじいちゃんは体に悪いので本当は飴を食べません。
あなたはおじいちゃんに喜んでもらいたいと思って優しさを与え、それによっておじいちゃんは優しさを引き出されました。
または、おじいちゃんが飴をもらうことで優しさをあなたにあげ、それによってあなたは心地良く、「また飴あげて喜んでもらいたい」と思ったのかもしれません。
人に優しくする際に大切なのは、“相手のためが主体”です。
自分のためはその次。
おじいちゃんが喜ぶことがメインで、おじいちゃんが喜ぶことで自分も喜ぶという順番です。
すると優しい行為の内容は重要ではなく、何を主体にして、どんな気持ちを与えたいかが重要になります。
まとめるとこうなります。
人に優しくすることはおじいちゃんの笑顔が好きで、おじいちゃんが喜ぶことを嬉しいと思う、心から喜びを与えたい気持ちです。
※自分にとって大切な人を想う気持ちを経験することで優しくなれる
※本当に優しい人の詳細は、本当に優しい人に強い秘密がある|好かれも嫌われもするサポート役 をご覧ください。

人に優しくする経験

最後に、私自身が海外を旅している時に経験した、人に優しくしたいと心から想った話をお伝えして終了します。
お付き合いいただける方だけお読みください。
私が海外を約5年間旅する中でたくさんのことがありましたが、ネパールという国では特に優しさについてを学ぶ時間になりました。
ネパール東側にある田舎町にて一人のネパール人男性と出会い、私は彼と彼のコミュニティ仲間、仕事仲間、そして家族(両親と妹)と約一か月の関わり合いがありました。
彼の家族の家に一緒に住ませてもらいながら、彼の友人や仕事場、コミュニティである町の図書館にて毎日たくさんの人と出会う日々でした。
ネパールはお金のない国で、その田舎町は貧しい人がとても多い場所でした。
食べるものはどこも同じで、ダールという豆スープ(カレー)をお米にかけ、ギーという牛脂をそこに混ぜて手で食べます。
お世話になった家はプレハブ小屋のように小さく、8畳ほどのスペースを半分に区切った4畳+4畳に家族4人と私の計5人暮らし。
私は出会った友人と同じベッドで寝て、両親と妹の3人が同じベッドでギュウギュウです。
ただでさえ狭いのに私がいることでパンパン状態だったので、出ていこうと思ったのですが誰も気にしている人はおらず、私という異世界の異人がいることに大喜びで毎日接してくれました。
私が現地の言葉を話せないのに、英語を話せないことを申し訳なく思ってくれる両親がおり、毎日ダールの野菜を変えてくれたり、大変な生活の中でも“おもてなし”してくれました。
滞在期間、毎日たくさんの家から招待してもらい、あらゆる家庭の一味違うダールを味わいます。
1日3件に招待された時はお腹がパンッとなり、豆と米がぶっちゃけるのではないかと思うほど食べました。
とても嬉しい思い出ばかりで、本当にたくさんの優しさをもらい、たくさんの優しい人に出会いました。
- 毎日もらう友人母からのチャイティー(資金面から普段はあまり飲んでいない)
- 毎日食材を変えて作ってくれたダール
- 招待してくれる家ではみんなが喜んで家族みんなで食べるダール
- 田舎過ぎて街灯もない、そして電気もない家の中でおそらく5人いるだろうと思いながら食べる招待ダールは笑い声だけ聞こえる食卓
- 長時間かけて作ってくれた友人仲間のダール
- 牛食べちゃいけないのに、非合法でやってるステーキ屋でみんなで食べた牛とダール
- どの家もペットが牛なので、朝市の新鮮ギー(牛脂)はペット毎に味が変わるダール
「思い出ダールだらけ!」と言いながらもたくさんのことがあり、あらゆる優しさを与えてくれました。
優しさを受ける時、常に感じていたのは“おもてなしの心”でした。
誰しもが常に笑顔で、私が優しくしてもらっているのにみんなは常にまんべんの笑み。その時間を与えてくれるだけで私は幸せで、1畳しかない街灯の無い路上脇のバーで、集まった近所の人が出てきてお祭りみたいになって合唱した歌は優しさの塊のようでした。
そして、優しさを与えてくれるみんなは一方的に自分が喜ぶために優しくしてくれるのではなく、常に私の気持ちを気にかけてくれ、「これは大丈夫?」「嫌だったらはっきり言ってね」と押し付けをしません。
私には私の習慣や文化、日本の考え方があることを尊重して気にかけてくれます。
そして、自分達の考えをしっかり提示して、「言葉で直接言ってくれないとわからないこともあるから、何かあったら言ってね」と明確に安心を持てるようにしてくれる。
「みんな家族だ」と心から想い、それを伝えるとみんなもそう想ってくれて、心から嬉しくなってくれる。
どこまでも心地良さを与えられ、「優しさを与えたい」「感謝をお返ししたい」と強く強く抱きました。
その町では、日本語教師をボランティアで少しですがさせてもらい、私のつたない講演を開いたり、「とにかくみんなに喜んでもらいたい!」とできることをさせてもらいました。
そんな優しい人達と出会い、人に優しくする経験をもらったことはとても大きな恩恵となり成長となり、今でも大きな感謝を抱きます。
そんな経験で知ったことは、自分の優しい気持ちでした。
初めは「自惚れたかな」と思いましたが、あんなに優しい気持ちになれることを体感した時、それは優しさによって引き出してもらった発見であり気づきだと知り、ネパールの優しい人達によってもたらされた幸せでした。
そんな優しい人は常に笑顔で、相手を心地良くさせてくれます。そのために一生懸命になってくれて、見返りを求めずにこちらが笑うことを心から喜びます。
嬉しくて何度泣いたかわかりません。
みんな笑顔が好きで、人が好きでした。私が喜ぶことが嬉しく、何でもしたいと言ってくれる。でも私の意見を常に尊重して敬う。本当に優しい人達です。
優しくしてもらうことが優しい人になりたい動機となり、“人に優しくするために必要な気づき”を経験した話です。
※優しさと思いやりの話は、思いやりがないと言われた時に直したいこと│優しさとの違いは改善を導く をご覧ください。

人に優しくするには まとめ
人に優しくすると言っても、誰に対しても優しくすることはありませんし、それは押し付けになるのでできません。
そのため、優しい人と優しさの意味を知り、経験することが大切で、「この人に優しくしたい、この人の笑顔を見たい」と感じる人がいることが大事かと思います。
すると、優しさは自分一人では成り立たず、優しくされる人との相互関係にて成り立つことがわかり、人を敬うと同時に自分を敬う両方のバランスが見られます。
経験はあらゆる可能性を引き出し、いつでも人に優しくする方法は道を切り拓きます。
そのためにも自分の喜びを求め、作り出す意志があることで純粋な優しさを引出します。
それは新たに身に付ける能力ではなく、既に自分の中に潜在的に存在するものへの気づきです。
優しい人になることは自信を持つことでもあり、自分を認めることでもあります。それによって、自分を確立して理解し、自分を愛して他者を敬い、余裕を持つことになります。
人に優しくすると言うよりは、自分らしさを取り戻すために優しくされる経験をするという感じです。
そんなシンプルな仕組み、何か役立つ内容であれば幸いです。
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