生き方

人生が辛い理由に大きな意志|辛さの糧は全てを良きことに変える

人生が辛いかどうかは本人のみが知る。本人が決めるなら、辛いと思っていたほうが自分のためになる。

辛いかどうかの尺度は人それぞれにありますが、人生が辛いと思う場合には明確な理由と意味があります。

人生が辛い理由を知ることは、同時に自分を消さない強い意志が表れます。

そのことから、辛い人生を送ることの意味が明確になり、辛いことは人それぞれに必要な機会となる見方があります。

ここでは、私の経験を基に、辛さを作る理由と辛くて良かったと思う意味をご覧ください。

起きている現実をなかったことにはできませんので、せっかく経験したのであれば、辛い人生が自分のための材料となり、自分の理解へ繋がる一助であることを願います。

「辛い人生は有難い」とは思いません。しかし、「辛い人生があった方がいいかもね」という話をしましょう。

人生が辛い理由

人生が辛い状態とは?

そもそも、辛くない人生があるのかどうか。

私は辛くない人生を歩んでいる人と関わった経験がないので、存在しないと思っています。

ですが、今は情報共有の社会ですので、全く違う環境で育った人のことを知れます。さらに、テレビやメディア情報があるために、事実かどうかではなく、在るものをそのままインプットすることで、空想世界と現実世界の境目が曖昧になります。

そこで起きるのが、「辛くない人生もありそう」「自分とは何?」という“思い込み”と“見失い”です。

 

自分を見失うと人生が辛いと思うことができない

見失っているにも拘わらず、その事実を受け入れずに生きていくことで、目隠しをして生きていくようになり、現実を生きなくなります。

すると、脳内で生きることとなり、空想や回想をして、非現実の世界をリアルと思い込み、過去への依存、未来への期待、それは形を変えて、他人と比較しての優越感と劣等感、予想と予測をして宝くじを当てて生きることを望みます。

すると、自分を自分で認識しなくなり、自分を他人と区分けして比較することで認識するようになり、自分の人生の主観が“他人”になります。

それは主人公がいない中で自分の人生のロールプレイングゲームを俯瞰して観ている、でも観ているのは他人の世界という不思議な状態になります。

もしこの状態になった場合、人生が辛いと思うことはできるのかどうか?

できないと思います。

なぜならば、自分の人生を観ていないので体感がなく、自分の意見には成り得ないからです。

自分を見失い、または見失っていることを認めず、自分のことを他人と区別して認識している状態では、自分の人生を辛いとも良いとも思えません。

思う主観が自分の中に居ない状態です。

ですが、思い込むことができます。

 

人生が辛いと思わせられる純粋さ

主観がどうとか自分がいないとか言っていますが、実際に人生は辛いと思いますし、感じます。

その理由は、自分の人生なのに、自分がいない状態にさせられたことに対して“辛い”と思うからかもしれません。

言い方を変えると、自分の思う通りにならないためです。

私がそうでした。環境や自分の状況を他人と比べて、テレビと比較して、本や常識やルールなどの勝手に決め込んだ情報と区別して、「なんで自分だけ」「なんで自分の人生を生きられないんだ」「みんな何なんだよ」と。

他人によって辛い人生を作られている状態です。

「自分のやりたいようにできない」という憤りと、他人に作られた環境で生きたくないのに生きている矛盾で自分を見失います。

人生が辛いと思うのは、他人によってそう思える状態を作られているからかもしれません。

  • 他人との比較によって見出した思い込み
    「私の人生は彼らと比べて辛い、うん確定」
  • 直接家族や周囲の人から与えられる環境によって思わせられる思い込み
    「子供なのに万引きして食料調達は辛いでしょ」

他人の影響によって辛いと思う材料を与えられ、他人と比べたりして辛さを確定しますので、とにかく純粋に他人が自分の人生の中心にあります。

しかし、ここで一つ疑問があります。

「なんでその環境に居るの?」

過去の自分自身に言ってあげたい言葉です。

 

人生が辛い理由は“受け入れない拒否“

自分のやりたいようにできないのであれば、その環境を離れればいいんです。そして、自分で環境を作ればいいんです。

行動をしないように済む理由を探しまくります。脳はフル稼働、心の奥底にある真意は聞かず、外側から主観のない空洞を俯瞰して、「家族がいるから」「そういうものだから」「時間がないから」「今からじゃ遅いから」と理由はいくらでも出てきます。

日本は社会制度と保障が充実した安心・安全の国で、とにかく命の保障をする国です。

思い込みがあれば、5歳から一人で生きようなんて思う人は少ないです。

思い込みがあることは、自分の意志で環境を変える能力をなくすが、それ以上に、自分を受け入れることを忘れさせます。

すると、自分がないにも拘わらず、見失っていることを認めません。そして、自分の人生ではないことを認める矛盾が生まれます。

  • 自分がいないのにいないと認めない。
  • 自分の人生なのに、自分の人生だと認めない。

現実を受け入れないことが、人生が辛い理由。

子供なのに親がご飯を与えないことに対して辛い人生と思っている最中、5歳から路上で歌ってパフォーマーとして生活している人達を目の当たりにすると、その瞬間に自分の人生が辛いとは思わなくなります。

 

認めないことで人生は辛くなる

人生が辛いと思うかどうかは、全て他人の存在の大きさです。

他人の影響を被り、他人と比較することで、“自分”がいなくなります。

自分の真意と意見にてやりたいようにできないことで、空虚を感じて周囲に翻弄され、「右へ行け」と言われれば右へ行きます。

拒否すれば強制され、自分の真意と行動の差が生まれ、その差が怒りや憤りになります。

しかし、怒りや憤りがあることは自分が消えていない証拠です。自分の真意や情熱の火が消えず、「これが私だ」という火をちらつかせます。

その火を消そうとする周囲の人間と環境があります。でも消させないように守ります、自分が傷ついても絶対に消させません、何があってもです。

唯一が自分で消して命を絶つ行為です。どこまでも他人に消させようとしない強い意志を持ちます。

事実を認めず、自分が消えていることを認めません。同時に、自分を消そうとする事実を認めず、他人による影響を認めません。自分がいなくなることを認めません。

すると、人生は辛くなります。

人生が辛い理由は、現実を受け入れない、認めないため

ですが、言われるままに認めることでどうなるか。もっと大変なことになります。

 

他人の影響を受け入れて認めることは自分を消す決意になる

右に行けと言われて右に行き、左と言われれば左、ごはんは右手で食べて左手で茶碗を持ちます。

そこに引っ掛かりがなければ疑問も問題もありません。

ただ、左手で食べたかったら、「私は左手で食べたい」と自分の意見を伝えます。

そこに苦しみなく受け入れられる回答や理解があれば認めます。しかし、否定や強制にて、答えでもなく理解もないことを押し付けられて認めることは、自分を自ら失くす決意になります。

それは、恐怖を味わわないことを優先して自分を消す選択をしました。

恐怖とは、否定されることです。

嫌々でも認めた場合、他者からの恐怖を味わわずに済むので人生が辛いとは思わなくなります。しかし、自分が完全にいなくなります。

実は、自分が完全にいなくなることを認めることは何よりも恐怖です。なぜならば、自分で自分を否定する行為になるためです。

恐怖から逃避する選択を優先することで、自分が完全にいなくなっている事実を一生見ないほどの決意をします。なかったことにしてしまいます。

※人生が辛いことは当たり前という話は、人生が辛いのは当たり前。でも辛いと幸せになれるよって話 をご覧ください。

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人生が辛いことは悪いことではない

恐怖を選ぶか、自分を消すことを選ぶか。

なんとも嫌な選択ですが、人生とは辛いものなのかもしれません。

どちらかを選ばずとも、自分で人生を作ることができますが、日本の仕組みや常識やルールの中では、幼い頃から自分で生きていこうと決意することは困難です。

他人と共存することは、自分の意志があればあるほどに辛いものがあります。認めてほしく、愛を欲する人が多ければ多いほどに、押し付けや決め付けをして、人を私物化したり干渉します。

そんな共存にて自分を消さない意志を持ち、決意をした人がいます。

それが、“人生が辛い人”です。

人生が辛いと思う場合、受け入れない自分の中の火があります。それを消すことだけは何としても守り抜く強い意志があります。

それが人生が辛い理由にもなり、恐怖を味わってでも自分を消さない決意を持った確固たる意志を持つ人でもあり、強い人である特徴があります。

人生が辛い人は強い意志を持つ人
※自分を消すこと以上に恐怖と対峙することを選んだ人
※強い人とは、恐怖に負けない意志を持つ

他人と比較することではありませんが、自分を消さない人は戦士としての意志があり、心のどこかに絶対に曲げられない剣のような芯を持っています。

※意志の強い人の話は、意志が強い人と弱い人の特徴│自由なる意志を高くする曇りなき口癖 をご覧ください。

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人生が辛いことの意味

人生が辛いと思う基盤は他人からのプレゼント

自分を受け入れない状態を作るのは、他人にしかできません。

人生が辛いと思うかどうかは自分次第で、受け入れるか拒否するかで決まりますが、受け入れない自分を作るのは他人にしかできません。

受け入れない認識を作る基盤とは

人との関わりがある生活環境や家庭環境など、自分の認識を作る環境

 

辛いと思わせてくれる環境作り

赤ちゃんとして生まれた時から振り返ると、初めは自我意識なく、自分のことを自分だとも認識していません。

その状態から、辛いと思ったり、幸せと思う基盤を構築していきます。その際に必要なのが生活環境です。

赤ちゃんは大きくなると共に自我が芽生え、さらにエゴを生み出します。

自我が芽生えるのは他人との共存にて影響を受けることで起きるので、他人から教えてもらい学ぶことで育みます。

子供の時は受け入れないという認識はありません。必ず一旦受け入れます。嫌であれば、一度受け入れてから拒否します。

そのため、「こういうものだ」「これが常識なの」と押し付けられることで一旦受け入れます。

その際に脅しや否定などの“恐怖”があればあるほどに、受け入れない拒否をする基盤が作られます。

認識の基盤は親や周囲の他人によって作られる
※エゴが強いほと、心地悪さが多いほどに受け入れない認識が作られる

受け入れず認めない自分の認識があることで人生は辛いと思うので、生活環境やエゴの度合いによって、人生を辛いと思うか思わないかの自分が作られます。

生活環境に“嘘・偽り”が多い場合、否定していないように否定し、脅していないように強要し、まるで喜びの選択をさせているかのように言われるがままに育つ。

すると、自分がいないことや、人生を辛いとも幸せとも思えない自分が生まれ、「お金があって一日三食食べられたら幸せなんだよぉ」と言われて、「おぉ、私は幸せ」と思い、自分の意見がないことを疑問に思わなくなります。

※人生は修行ですね、という話は、人生修行の意味は苦しみも喜びも何でも良いこと|辛さもお気楽も共に良い をご覧ください。

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人生が辛いことは良いことにもなる

親などの他人によって認識の基盤を作ってもらい、さらに他人との比較や影響によって人生が辛いと思うことができます。

人生が辛いと思う場合に起きることは、苦しみや悲しみもありますが、自分の意志を消さずに成長できる良さがあります。

 

辛い人生を経験することで成長意志が育まれる

幼少期だけでなく、学校でも成人後の社会人でも仕事でも何でも、人との関わりにて受け入れず認めない自分がいることで、辛い・苦しいと思う理由になります。

そのため、自分で自分を受け入れてしまえば人生を辛いと思うことができません。

どれだけ辛いと思っていても、自分より辛そうな人を目の当たりにすれば、自分を受け入れて辛いと思わなくなります。

そのように途中で気付くことで、その状況を克服しようと思う機会となり、成長ができます。

自分を受け入れる気付きがあるのは、自分を消さない意志が糧としてあるから

初めから受け入れてしまっては、現状を変えようとしたり、克服や改善する意志が生まれません。

何より、自分を理解して、自分で自分を認識して、自分で喜びを作り出す意志を持つことができません。

糧があることで成長を求め、人として強くなり、自分をより知ることでの幸せを求める意志を強く持つことができます。

気付かないことや無知は幸せの一つだと思いますが、人生が辛いと思う人は、自分の目で見て、頭で考えて、心で感じる意志を持ち、自分が幸せだと思うかどうかを認識し、自分で変化を求める覚悟を持ち、喜びも辛さも選択する人間になれる糧があります。

人生が辛いことは、自分の中にある火を守り抜いた意志を忘れないための経験です。

 

人生が辛いと自分を理解しようとする

辛いと思うから楽しもうと思います。楽しもうと思うと、自分で喜びを作ろうとします。すると、創造性が高まります。

紙がなかったら、筆がなかったら、お金がなかったら絵を描けないなんてのは嫌です。

砂場がキャンパスだと思い、指が筆だと思える自分がいる方が良いです。

自分を理解しようとする糧は自分の意志だけでは持てません。他人の影響があり、助言があり、サポートがあることで成長への道を歩みます。

人生が辛いと思う経験は、自分を理解して見出そうとする情熱を自分一人だけでも駆り立てます。

成長することは視野を広げ、俯瞰性を広げ、人の理解を深め、自分の理解を掘り下げることです。

すると、恐怖を受け入れる強さを持ち、恐怖を恐れることがなくなります。

それが“自分を確立する”ことです。

自分を知れば知るほどに可能性が見えます。すると楽しくなり、心が躍り出すような躍動感と活力がみなぎり、喜びに溢れます。

それは、自分で喜びを作る力です。

辛いことは近道を作ることではなく、前に進む速度を速めます。歩くのか走るのかを自分で決められる選択を広げます。

自分を知ることはお金が増えることのように選択肢を増やします。さらに、お金には制限がありますが自分にはありません。知れば知るほどに無限の可能性となります。そこにお金を繋げればさらに広がります。

※辛いことにあるサインは、人生どうでもいいと思った時。それは実は大切な合図だった をご覧ください。

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辛い人生を与える方も楽じゃない

辛い人生だと思わせるための基盤を与える側は、実は凄く大変です。

それは使命だと思うほど、自分の人生を捧げる行為です。

固い意志があり、強い目的がなければできないと思います。何より自分が幸せではない状態を維持した上で、辛い人生を与えたり、辛いと思わせる基盤を与えます。

自らが苦しみの中にいなければならず、その上で他人に押し付けや決め付けの強制をして、自分を見失う基盤を与え、罵倒や暴力をふるい、人格や性格を踏みにじらなければなりません。

それをすることは容易ではありません。

笑顔が自然ではなく作り物で、目が濁り、艶がない、薄暗い顔をしている、お風呂上りは明確になる。

辛い人生を与えてくれる人は、本当に大きな感謝に値すると思います。感謝する必要はないですが、「辛い人生も悪くないよね」と思う時、この気持ちになるかもしれません。

でも、そんな日が来る必要も別にありません。

自分の人生は自分のものだけど、人と人が関わり合うことで色付けされていく人生が事実だと知っているだけで、人生が辛いことの意味が見出されます。

 

辛い人生を受け入れた人は幸せになる

受け入れないことで人生が辛い理由になります。そして、受け入れることで辛い人生が終わります。

嫌なことが続き、自分のやりたいようにできず、社畜として働き続け、家族を養う人生があります。
小学生から汚れたお金を掴み、生きる術を自分で学び、他者を排他して利用することで生き延びる人生があります。
幼い頃から病気で、常に手術を繰り替えし、活力を持った記憶が鮮明なほど数知れず、常に痛みと苦しみを抱える人生があります。

人それぞれに辛く苦しいことがあり、それを受け入れることは容易ではありません。他人との比較が頭にチラつき、他人の笑顔が頭から離れません。

受け入れられるために成長します。物事を受け入れた時に私達は人として成長します。

人生が辛くなければ成長を求めることが困難です。寒いから温かい部屋に喜びます。暑いから涼しい場所に感謝します。

それは環境を知ることではなく、自分を知る理解です。辛い人生には糧があります、自分を忘れません、意志があります。

受け入れるために認めます。目の前のことを一つ一つ認めることで、それが自分を認めることに繋がります。

受け入れは必ず一つずつ進みます。その時に辛い人生を送っていると、心のどこかで自分の意志が見えてきます。

その火は自分自身のことです。自分を知ることで、物事を受け入れる成長が伴います。

気付きを得ることが自分の意志だけでは困難であるために、人生の辛い経験がないと、自分で喜びを作り、可能性や選択を広げることが容易ではありません。

他との共存があっても、成長を求めるかどうかは人それぞれですが、自分で喜びを作れるかどうかは幸福度を大きく分けると思います。

人生の最後の瞬間に、「幸せな人生だった」と思うかどうかは、その瞬間の気持ちではなく、過去の全ての集大成であり、記憶を全て集結させた人生の結果としての真意です。

「幸せな人生だった」と思えるのは、結果的に辛さを貰えたおかげかもしれません。

物事は受け入れることで全ての裏表が変わります。

※辛い人生のスピリチュアルな話は、辛い人生とは一体なにか│スピリチュアルは愛の勉強会を設ける をご覧ください。

辛い人生とは一体なにか│スピリチュアルは愛の勉強会を設ける自分で辛い人生を作り、自らを挑戦させるのは苦労好きなのか、成長を求めるのか。 意志を持ち、自分を消さない決意をしている人は辛い人生...

 

人生が辛い理由と意味 まとめ

人生が辛いことは受け入れがなく、認めない拒否が理由となります。

しかし、受け入れないことは悪いことではありません。人それぞれに周囲の影響や環境があるために、自分の思うようにはできない憤りと苦しみがあります。

それは頭の中と心の真意とのギャップとして、怒りや辛さとしての未浄化エネルギーとなります。

そのため、受け入れることに本意がなければ、事実を見ない生き方となり、偽りを作り現実をなかったことにする在り方が作られます。

すると、「人生が辛い」と思うこともありませんが、自分を作ってくれた周囲の人や環境がなくなった時に、「なんで生きているんだろう?」「私の人生って何なんだ?」と終わり間際に思うことが起きます。

何が良くて悪くてという概念はなく、人それぞれに全てに意味があり、必要な理解があると思います。

そのため、受け入れることも受け入れないことも、周囲に従うことも従わないことも、全ては大切な行為となります。

そんな中でも、自分の意志を消すことだけをとにかく守る強い意志を持つ人は、辛い人生を送ります。

しかし、それは現実を受け入れる自分の成長を促し、意志を忘れさせない経験となり、糧を基にして恐怖を克服して自分を理解する時間をもたらします。

恐怖を選び、自分の意志を消さない選択をした人であれば、恐怖を克服して、現実や現状を受け入れることができます。

私は命と引き換えに辛い人生を与えてくれた存在を糧に生きていましたが、いつの日か受け入れる時がやってきて、自分を理解することでの克服がありました。

そんな経験から断言します。自分を理解していくことで道が開かれ、自ら喜びを作る力と共に幸せがもたらされます。

人生が辛いことは良いものかもしれません。そんな捉え方をして、自分を知る機会となれば幸いです。

それでは、人生が辛い理由と意味についての話を終了します。

最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。

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