人を信じるために必要なことは、「どうして人を信じたいのか?」を知ることかもしれません。
人とは自分も他者も含まれ、自他を意味します。
信じる行為の意味を知ると、人を信じるには何が必要で、どんな方法なにかがわかり、「自分を信じる」大前提の大切さが見出されます。
ここでは、人を信じるために大切な理解を見ていかれてください。
- 人を信じるとはどういうこと?
- 人を信じる際のポイントとは?
- 人を信じる方法とは?
これらを紐解き、「信じることは対象ではなく基盤の自分が最も重要なんだ」と知っていただく内容となっております。
「信じるためには信用してはならない」など、わかりにくい行為が信じることですので、意味を明確にする一つの考え方となれば幸いです。
それでは、人を信じるために自分を信じる詳細をご覧ください。
Contents
人を信じるとは

信じることの意味
言葉としての意味を見ていきましょう。辞書で調べるとこのようになります。
信じることには、疑わないという状態があります。
そして言葉としては、信用や信頼や信仰が使用されます。
次は語源を見てみましょう。
信じるの語源
信じるの語源を調べるとこのようになります。
“信”という字に信じる意味が含まれます。
信を分解すると“人”+“言”
“言”の語源と成り立ちは、“辛”+“口”
“辛”とは、刑罰として入れ墨する際の針のこと。
“口”とは、誓いの文書を入れる器のこと。
=神に誓いを立てる言葉が“言”(誓いを守らない時に刑罰を受け入れる覚悟であり約束を意味する)
神に誓いを立てる“言”に、“人”が加わった“信”の意味は、神に誓いを立てる互いの約束。
信じるの語源 : 神に誓いを立てる互いの約束(またはその様)
“人”が加わることで、語源から“霊”や“霊性”が加わるとも考えられているようです。
“人”という字の成り立ちは、“一人が生きている様”とも考えられているので、自分の中の霊性や神に対する自分自身の約束とも考えられます。
約束する対象として神や誰か他者がおり、そこには自分と自分の約束も含まれます。
信じるとは[自分+他]を認めること
言葉の意味、そして語源から、「信じるとは何なのか?」の意味がわかります。
自分が何かを信じる際には、自分と何か(他)という対象があって成り立ち、二つ以上が存在することで意味が生まれます。
疑いをなくすことと、互いの約束であることから、「ただ真実をそのままに見る」「嘘偽りをしない」という意味が見出されます。
それらは共通して“偽りなし”であり、起きたことを誤魔化さない自然な状態です。
偽りなくそのままの自然な状態にすること。さらに、自分+他という対象が二つ以上で成り立つことから、信じるとは自分や対象の行為を認めること(または認めないことをなくす)だと考えられます。
偽りや認めない誤魔化し行為があれば、不自然な状態で神への誓いも約束もできません。
自分を認める、相手を認める、事実を認める、行為を認める、結果を認めるといった、起きている現実を拒否せずに認めることで自然な状態を作ります。
以上から、信じる行為を紐解くとこのように考えられます。
信じるとは、責任を持って認めること(約束するための基盤作り)
※偽らず、事実をそのままに認めて責任を持つこと
人を信じるとは「自分のための喜び」を認めること
信じる意味から、人を信じる意味がわかります。
- 自分を信じる場合は、自分を認めること(自分自身、自分の行為、起きる結果)
- 他者を信じる場合は、自分のために他者を認める(自分のために他者の行為を認め、自分のために他者に起きる結果を認める)
※人ではないですが物事を信じる場合は、自分のために物事を認める
人を信じるとは人を認める責任。
忘れてならないのは自分が主体であり、自分のための行為です。
友人のために、恋人のために、誰か他者のために信じるという、「私、あなたのためにあなたのことを信じているからね」ということはありません。
「私のためにあなたのことを信じているからね」
「私のためであり、あなたのために、あなたのことを信じているからね」
自分だけのためか、他者も含めたことかは人それぞれですが、確実に自分のためはなくなりません。
誰を信じても自分のために信じる前提があり、喜びを求めるために責任を持つ=ポジティブな現実認識(拒否のない様)を持つ意味になります。
人を信じる意味は、自分の喜びや利益のために拒否せず認めること
※自分を喜ばすために責任を持つと言い換えることも可
責任を持つとは、自分の行為や起きる結果を認めることですので、責任を持つという方がわかりやすいかもしれません。
間違えてほしくないのですが、責任とは負うものでも負わせるものでもなく持つものですので、自分や他者に責任を持つとは、嘘偽りで認めない拒否をせずに認めることを意味します。
※信じる先にある責任は、【責任の哲学】責任の取り方は誰もわからないかもしれない をどうぞ。
人を信じるために自分を信じる
人を信じるポイントは自分を信じる
自分のために人を信じる前提があり、責任を持つことの意味から信じる際に必ず必要なものが見出されます。
自分を信じていなければ他者を信じることはできない。
誰か人を信じるためには、自分を信じている状態(自分の行為や結果、自分自身に責任を持っている前提)が大切です。
「信じる=自分の行為」ですので、行為する自分を認めていなければ、人を信じる前段階で止まってしまう可能性があります。
それが期待や依存。自分の利益にフォーカスして、無自覚の内に人を利用する状態です。
自分に責任を持つ大切さがあり、「人を信じたい」「人を信じられないからどうにかしたい」と思う場合、「どうして人を信じたいのか?」への真意の自覚が先決です。
「どうして人を信じたい?」の自覚
なんのために人を信じるのでしょうか。
自分の利益のためだと思います。
喜び、満足、納得、不納得のなさ、辛さのなさ、恐怖のなさ、安泰、などなど。
ここで後ろめたい気持ちがある場合、責任を持たない状態になるため、人を信じることが難しくなってしまいます。
「開き直る、スカッとね」という必要はありません。事実を認めます。
認めるとは、自分の意志に基づいて行動していることをそのまま、「そうだよね、自分がしたいんだもんね」と認識することです。
ご飯を食べている時、食べたいから食べていると認めることでして、責任を持つ際のフォーカス対象は、今この瞬間の自分です。
認めることで、自分のためであり、他者のためにもなる信じる行為へと繋がります。
自分のために人を信じるという自覚が、信じる行為の条件のようになりますので、ぜひ自覚してみてください。
自分のためという表現には一人一人生きてきた過去の軌跡や歴史や記憶が個々にあるため、「人が喜ぶことが嬉しい」「自分が悲しまないことが大切」などとさまざまですので、「自分のためとは何か?」を自覚することで、より明確に信じる行為に邁進できます。
責任を持つための信じる行為はとにかく自覚が重要
信じる(責任を持つ)ためには自覚が全てと言っても過言ではないと思います。
認めること、または認めないことをなくすのが責任であり信じることです。
言い方を変えると、事実を曲げるような見方をせず、今あるもの、今の自分、今していること、起きる結果、ただ現実をそのままにすることが信じることであり、責任を持つことです。
それがなかなかできないのが私達人間で、事実を自分の都合の良いように解釈したり、思考通りにならないことを見ない振り、なかったことにする。
魔法のランプがあれば過去に戻ってやり直したいと願い、甲子園の砂をいつまでも取っておく、あのサイレンを忘れない、過去の栄光のために…グス。
責任を持つために過去をドガーンと全放り投げの全燃やし、焼却炉行き、砂場に行ってスシャッと砂をばら撒き、パンパンっと手を叩いて一丁あがり。
というのは冗談ですが、信じるためにはそんな過去に留まる自分を自覚し、今を見ている自分を自覚し、今を見ていない自分を自覚しと、あらゆる自覚が大切です。
「そんな自分ではダメだ」ではありません。それは無責任になるので、ただ認める、「これが私」と。
そんな理解を含めて、人を信じる方法を見ていきましょう。
※信じるために自分を認める方法は、自分を認めるために。潜在意識に「ある一つ」のポイント をどうぞ。
人を信じる方法

人を信じる方法①:自分が喜ぶために自分を信じる
「人を信じるとは何か?」の意味を知ることで、何が大切なのかが見えやすくなると思います。
自分の喜びを忘れないことです。
人を信じるのは自分のための行為なので、自分の喜びや満足や納得などのために信じます。
人を信じるには自分が喜ぶために自分を信じます=事実や現実、自分の行為や認識や起きていることを認めます。
偽らずに認めるだけですが簡単なことではありません。
なぜならば、事実や現実を認めずに責任を持たないことがあるためです。
これが期待です。
人を信じる方法②:期待しない、期待しても自覚する
期待とは思考の押し付け、未来の自分の利益への執着で、いわば空想という非現実へのすがりです。
良いように言えば、モチベーション作りです。
- 「これだけ長いこと付き合っているから結婚するんだろう」と恋人を信じる。
- 「宝くじ、せめて4等だけでも」と自分の幸運を信じる。
- 「今年は業績上げてくれよー」と従業員を信じる。
これらは全て信じるではなく期待です。
人を信じるには期待せず、起きたことに対して着眼します。見るのは「今何が起きているか?」であり、過去でも未来でもなく今です。
期待と信じるの違い
わかりやすくなればと思いますので、期待と信じる行為の何が違うか、例をご覧ください。
- 期待する・・・「南無阿弥陀仏なむなむあみあみ…ブツブツ」と言いながら頭の中は未来のことでいっぱいいっぱい。なむなむ言い続ける行動継続動機として期待を続け、甘い蜜が川のように流れ、ガラスの雨が降らないことを夢見るホワホワ。
※思った通りにならない時に、喪失、失望、裏切られたと思い込み、自分のなむなむ行為も、結果も認めない無責任になる
- 信じる・・・「南無阿弥陀仏なむなむあみあみ…ブツブツ」と言っている行為にフォーカスし、自分の喜びのためになむなむ言っていること、喜びのために自ら行動していること、後は見守る約束をして責任を持つ。
※責任を持っているために、なむなむ行為の結果もさることながら、行為する自分を認め、起きる結果が悪くても誰かを責めずに認め、良いことが起きればそれも認めて喜びに溢れる
自分を信じると未来で起きることに依存も執着もなく、なにより疑いがなく、起きることを全て認める基盤ががっしりします。
人を信じる方法③:自分に責任を持つ
他者を信じる際には、他者を信じる自分の行為に着眼し、責任は他者ではなく自分にあると自覚します。
未来を期待しても予測しても悪いことではありませんが、信じる場合には、「期待している自分、それは何のため、何を求めて」と、あらゆる“今”を自覚して責任を持つ必要があります。
人を信じる方法は、信じる基盤の自分の“今”を自覚し、自分に責任を持つことです。
期待しても何しても、自分を信じているかどうかにて良い悪いが極端に分かれます。
例えば、「教祖様を信じますぞよ、お煎餅をお供え致しますー」と、自分のために教祖様を信じているので、まずは信仰していることを自覚します。
教祖様に期待すると一方的に依存や執着してしまうので、教祖様を信じる自分を自覚する必要があります。
期待しないためにも自分を信じる前提が大切になり、もし期待しても自分のために教祖様を利用する責任を持って自分を信じるのが、人を信じる方法です。
「何を求めて、何をしたいのか、何のために、何をしているのか?」という自分の認識を明確にすることが信じる基盤を作り、人を信じる方法になります。
※自分を信じる方法は、【信じる力は誰しも貯蓄中】自分を信じる方法はスピリチュアルな意識 をどうぞ。
人を信じる方法④:信用しない
信用という言葉があります。
英語では、【Credit】と言います。
信用とは、客観的に評価や価値を見出したことでの自分の利益確保の保持率の高さです。
着眼するのは過去の実績や成果でして、社会的な常識やルールを作ることで見出される信じられる度合の高いものを示します。
同時に、裏切る度合の低いものを示し、自分の求める利益のために他者を一方的に信じることで、過去を見ながら未来に期待します。
ビジネスという常識やルールの基準に基づいて行われる行為では大切な信用ですが、人と人の関わりでは一方的な信じる行為は依存や執着を作り、他者を自分のために利用する一方通行が起きます。
人を信じるという名目で、裏切られた時の自分の正当化が主張でき、裏切られない安心と依存と執着にて恐怖のない様からの安泰を、人を利用することで自分にだけ作れてしまいます。
人を信じる意味から大きく逸脱してしまう危険性があります。
※信用しない大切さは、【特徴と見抜き方を厳選】人当たりがいい人の裏顔は信用できない をどうぞ。
人を信じるには信頼が大切
人との関わりにて自分の喜びを忘れない信じる行為を考えると、一方的ではなく双方に喜びがあると好ましいです。
ビジネスでは信用が、人間関係では“信頼”が適します。
信頼とは、客観的な評価や価値として見出されるもの以外にも、人間性や在り方を見て見出されます。
実績や成果の過去以上に、自分がどう見て、思い、感じたかの今であり生の評価や判断による信じる行為です。
英語では、【Trust】と言い、より一人一人の個々を自分が主観として捉えて信じるものが信頼です。
信頼とは自分の見る目を信じることも含まり、社会的な常識やルールなく自分の意見として信じると決める、完全な個人対個人の関わりによる信じる行為です。
一方的に自分の利益だけを見ているのではなく、起きる結果を自分が認める責任がそこにはあり、相手との双方向の認識が生まれます。
万が一結果が悪くとも、「責任を負わす」「裏切られた」などの無責任にはならず、相手をいたわり敬う気持ちや、自分自身を認めて自覚する責任が含まれる行為が信頼です。
※信じにくいものを信じた時の詳細は、スピリチュアルを信じる人と信じない人の心理│信じない私が変わった体験談 をご覧ください。
人を信じる本当の意味 まとめ
いろいろ言ってまいりましたが、ここでお伝えしたい人を信じる方法の核がこちらです。
嘘をつかない。
人を信じるために大切なのは、自分を信じることです。
自分を信じるために責任を持ち、自覚が必要です。
どれだけ周囲が嘘をついてこようが、信じる行為の主観は自分しかいません。信じない行為をなくすのも自分が対象です。
自分が嘘をつかない。特に自分が自分に対して嘘をつかないことが大切です。
主体性をもって自分を信じ、嘘をつかない、約束、責任、自分を認める、目を背けない。
言葉としてはとても自然なことですが、実際にすると難しいです。
思考があり、期待があり、依存があり、執着がありと、頭の中を現実に押し通そうとする自分が邪魔します。
それも認めます。
昔の人は言葉数が少なかったそうです。無口なのか、わざわざ伝える必要がなかったのか。
人を信じる人は、「良くやった、信じていたよ、やると思ったよ」と労いません。
信じているので出来る、当たり前だと思っています。疑いが一切ありませんので、わざわざ労いを伝えるまでもないのかもしれません。
言われる方も自分を信じていれば、他者からの労いは嬉しいですが求めるほど欲しがりません。
それを信頼のある関係と言うのかもしれません。
そんな理解が役立つことを願います。
人を信じるには、自分を信じて、信じないさまをなくしていきましょう。
最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。
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