対処・解消法

ブスであることに意味がある│どうしたらいいのかがわかる理解と生き方

ブスブスと言われ続けることに何の意味があるのか?

ブスであることを受け入れられない場合、どうしたらいいのかわからなくなるものですが、答えは自ずと一つ、受け入れることです。

しかし、受け入れられないために対処がわからず、自分を認められない。

ここでは、「ブスであることに対してどうしたらいいのかわからない」という場合の理解をお伝えします。

ブスであることに意味があり、捉え方があり、生き方があります。

一人一人の人生があり、認識があるため、この記事を読まれるあなたにとっての意味があります。

ブスであることの意味と紐解きから、役立つ内容であることを願います。

ブスはどうしたらいいのか

ブスとは

ブスの意味から見ていきましょう。

ブスの意味や定義はこのようになっています。

・ブスとは :
容姿や見た目が醜い様子を指す。元は細工(工芸品)の出来が悪いことをいい、転じたて、物事一般に体裁が悪いこと、好ましくないことを指す。

・ブスの語源 :諸説あり
附子と書き、有毒植物のトリカブトの毒の総称。ぶしとも読む。

ブスは、不細工、醜女(しこめ)、醜男(しこお)とも言う。

※wikipedia 引用

ブスとは俗語でして、侮辱として使われると同時に、物事を認識するための特定方法となります。

それは、美人と同じように、これは川、これは車、これはお米などとわかるようにするための認識として用いられます。

 

ブスだと起きること

ブスであることは、変人であること、障害があること、五体満足でないこと、そしてそれは美人であることなどと同じ意味を持ちます。

「どこが同じやねん」という感じですが、それは、“対人関係による不調和と見失いが起きる”ことです。

言い方を変えると、生まれながらにして一度、いえ、人によっては何度でも死にます。

ブスであることは一度死ぬことを意味する。

私達人間の悩みとは全て“対人関係”に集約されます。

それは今現在生きている自分を主観とする“現実”をメインにして、全ての出来事における不調和や恐怖、違和感や解消できないシコリは“他”との関わりにて作られるためです。

その“他”とは=“自分が現実として認識できないこと”を意味し、他者を始め、過去の自分、未来の空想も含まれます。

他者を筆頭に、過去の記憶、また未来の期待や空想を作る自分、または社会性という他の統一ルールによって自分を見失いやすいのがブスであり、変人であり、障害や病気や美人です。

言い方を変えると、“普通ではないこと”です。

 

ブスは的になる

さまざまに普通ではない様子は標的となります。

何の的か。

自分の気を晴らし、違和感に対処し、モヤモヤを解消するための的。ストレス発散や自己存在価値を見出すための攻撃の的です。

  • ブスとは普通ではない様から攻撃の的になりやすい
  • ブスかどうか以上に、“普通ではないこと”が攻撃される焦点になる

特にブスに関しては最も的になりやすいです。外的に認知できるためです。

私のように頭がおかしい変人は、話したり動いたりの言動をすることでバレます、「あ、普通じゃないやつ、みーっけ」と。

障害やわかりにくいものもありますが、病気などにて精神や健康疾患がある場合には、社会性にて少し守られます。
「あ、耳がない、でも病気かもしれないから馬鹿にしちゃだめだ」と。

美人はブスのように的になりやすいです。しかし、世間の評価が勝手に高いので周囲の目を気にして攻撃できず、自分の蜜とするために利用する的として使います。

このことからわかることは、ストレス発散や己の存在価値を見出すために他者を攻撃して利用する人達はクズであり、カスであり、生きている意味のない、あ、ちょっと言い過ぎました。

他者を攻撃・排他して己の利益を見出そうとする人間は、自分が攻撃される可能性があれば攻撃しません。

障害や病気、美人は社会性にて守られているので、そのような人達を攻撃することは己が他者から攻撃される可能性を作るので攻撃しません。

しかし、ブスは守りが他にありませんので、とても過酷な状況に追い込まれます。

 

ブスとして起きることは自分の見失い

周囲からの攻撃によって体も心も傷つき、人を信用できず、認められず、受け入れられなくなります。

心を開くと否定され、強制され、押し付けられ、決め付けられ、傷つくのが怖くなります。

それは同時に、自分を見失い、違和感、不調和を作り、信用できず、認められず、受け入れられないことになります。

そこに共通しているのは、自分も他者も愛せなくなることです。

ブスとして攻撃されることで、自分も他者も愛せなくなる見失いが起きる

※自分として一度死ぬ意味

自分を見失うとは、自分の愛、そして他者への愛を失い、生きながらにして一度死にます。自分がいなくなるという意味です。

すると、自分も他者も敬えず、受け入れることができなくなります。

 

ブスであることでエゴを作る

愛の喪失によって生まれるもの、それは“エゴ”です。

エゴとは自分のことを他者と区別して認識する意識のことで、見失うことで防衛本能として作られるもう一人の自分です。

自分のことを自分で認識できないので、他者と比較して優越感や劣等感を味わうことで存在を見出し、価値を見出し、生きている意味を見出します。

ここで気付かれたかもしれませんが、ブスを攻撃してくる人達と同じ状態になります。

攻撃されて自分を見失うことで、他者と比較・区別することで自分を見出して認識するもう一人の自分として生きることになる。

ブスを普通じゃないからと攻撃してくる連中と同じ土俵に入ります。

このことを知っていると、攻撃してくる人達の“気持ち”がわかります。

しかし、自分を見失っていると俯瞰して把握することができません。

そのため、わかることは攻撃してくる人達の“状態”す。

自分を見失っているために何かしら攻撃によって優越感を見出して自分を優位にし、ブスを蔑んで劣等感を味合わせることで自分の存在価値を見出している状態です。

そのため、美人が世間的に評価されていなければ、ブスと同じように容姿を材料に攻撃します。常識やルール、認識が違う他の国に行けば美人の定義も変わるのでブスと同じようになったりします。

このように、攻撃してくる側を知れるので、ブスであることは攻撃される側、する側共に知る経験を伴います。

 

ブスかどうかではなく、普通か普通じゃないか

攻撃性のある人は一様にエゴですので、実際、ブスかどうかは重要ではなかったりします。

エゴの状態になった自分を観察するとわかりますが、とにかく他者と比較して、「自分はここがダメだ」「ここがあの人よりましかも」と考えます。

そして、他者の目や反応や体裁を気にかけ、自分の主体が他者の目や社会性の常識やルールになっています。

そこには恐怖があり、否定されて生きている意味を見失わないための対処として、恐怖からとにかく逃げ続ける生き方になります。

これはブスかどうか関係なく、自分を見失うと自然とそのようになります。

そこでわかるブスを蔑む人は、「ブスだから美人だから」という理由で攻撃や否定しているわけではなく、とにかく自分を見出すために“普通じゃない様”から否定できることを探して攻撃していることです。

そしてそれは、攻撃して相手を困らせることの裏側に、真意として自分の存在価値のためにしているエゴがいます。

ブスかどうかは関係なく、普通かどうか、すなわち、攻撃して自分を優位にする材料があるかどうかが、攻撃性を持った人間の生きる術です。

私達は誰しもが己の利益のために生きています。

その中でもエゴによって自分を見失った人は、己の利益が自分の存在価値を見失わないことと存在意義を見出すこと(=恐怖を味わわないこと)に集約され、ブスでも何でも利益となることに手を伸ばします。

エゴにとっての利益は恐怖からの逃避であるために、美人や障害を攻撃することは自らが排他される恐怖となるので公けに手を付けず、確実な所としてブスや変人が狙われます。

※普通じゃないブスや変人の詳細は、普通じゃない人に辛さと喜びの人生│自分の意志が強いと弱くなる をご覧ください。

普通じゃないと言われた人生は辛いのか?│自分の意志が強いと弱くなる「普通になりたいなぁ、フンフフーン♪」と枝をシュンシュンしながら歩いていました。 突然現れたのは、ヤベーやつか、怖い人か。いえ、普...

 

ブスとしてどうしたらいいのかに気付くポイント

私は変人としてでしたが、見失いによって攻撃性を持つと共通してある一つのことが起きます。

自分の利益しか考えなくなることです。

すると、認めて、褒めて、必要として、愛してと欲するようになり、自らの利益なく与えることはしません。

与えるのも相手のためではなく、自らが認めてもらうため、愛して欲しいからという隠れていないほど露な真意が見えています。

そこにあるのは、“生きていない”“生かされている”という現実です。

自分が主観にいないので、ブスだと攻撃してきた人間の言葉に翻弄され、揺さぶられ、それを軸にして、「じゃあこうしてやる」「それならもっとこうしよう」と、自分を見失わせた人間を主軸にして生きます。

物事の認識が狭くなり、嫌なやつのために生きるという矛盾を作り、より見失いが続きます。

このように、現実として起きている自分の状態や認識を知ることがブスとしてどうしたらいいのかの答えを導く初めの一歩になります。

ブスであることで困る場合、既にたくさんの辛い経験があるので、その経験を使わない手はありません。

それが、自分が一度死んでいることへの自覚です。

ブスとしてどうしたらいいかの初めの一歩は、一度死んでいることを自覚すること。

終わりと始まりは常に同時進行です。

そして、始まりがあれば終わりへ向かいます。そのように常に生きながらにして生と死、死と生は繋がっています。

そのように、死から生を繋げることを“成長”といいます。

自覚から始まり、その後はこれまでの経験を如何に生へ繫げて成長するかが、どうしたらいいのかへの考え方です。

ブスであることの意味と、ブスとして生まれたこと、そして自分がブスであることを理解することで見えるものがあるので、ここでの内容は事実であり現実の理解を深めるためにご覧ください。

そのため、完全に私の主観であり、ブスを擁護しませんので悪しからずご了承ください。

それでは、ブスであることをどうしたらいいのかを己で理解するために、ブスであることの意味を見ていきましょう。

※万が一ブスでかわいそうと言ってくる場合の対処は、かわいそうと言う人の心理に闇臭プンプン│超自己中心主義には優しい見守り をご覧ください。

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ブスであることの意味

ブスであることを知る

ブスかどうかは認識方法であり、価値や評価のことです。

そのため、ブスか美人かは他者にしか決められず、周囲が勝手にどうこう言うことです。

美人はそれによって高評価を得て自分を見失い、人によっては調子に乗り、人によっては一生社会性や常識に生かされます。

ブスは低評価を得て自分を見失い、人によっては開き直り攻撃的になり、周囲と同じ土俵に落ちて仲間になり、人によっては一生社会性や常識に生かされます。

ブスも美人も高か低かの評価がありますが、どちらも周囲によって生かされる状態になります。

その生かされている状態を自覚することが一歩目であり、成長への段階です。

 

生かされていることから生きていることへシフトする

生かされていることに気付くと、次に見えるものがあります。

それが、自分の人生を生きたいかどうかの意志です。

次の段階へ向かうためには、“自分の人生を生きる意志”を確認して、生かされる状態から生きる状態を作ります。

ブスと攻撃されることで、ブスだと認めても拒否してもどちらにしろ攻撃されるので、事実を認めることができません。

そのため、四方を塞がれたような気持ちになってしまうかもしれません。

しかし安心してください。その四方とは“他者によって生かされる道”ですので要りません。自分の人生を生きるかどうかにて、全く新しい世界が広がります。

そこで必要なことは、自分がブスであることを知ることです。

自分の人生を生きている自覚のために、ブスであることを認める

周囲が、「ブスだ」「ブスじゃないよ」と言おうが、「ブスって外観より中身が大切だ」「ブスって自分で思うから良くないんだよ」と言おうが、そんなものはどうでもいいことです。

他者がどう言おうが、どう決めようが知ったことではありません。評価や価値とは他者が勝手に決めるものなのでそんなものです。

自分のことは自分で決めるのが大切で、ブスとして悩みや苦労があるならば、周囲から散々言われているので自然な認識にて、「自分はブスだ」と思うのではないでしょうか。

にも拘わらず、「いや、私はブスじゃない」ということは思い込みや決め付けにて事実を見ない決意を表現してしまうので、自らに嘘をつくことになります。

嘘をつかずに、自分のことをどう思うか?

  • ブスであることを認めることは、エゴであることを認めることです。
  • ブスであることは普通じゃないことを認めることです。

自分を認めるためにブスだと思っている事実を使用します。

 

ブスを自覚することの意味

他者は好き勝手に言い、攻撃する人もいるので侮辱的なニュアンスがありますが、自らをブスだと認識することは、エゴである=自分を見失っている解釈であり、普通じゃないという解釈になります。

自分のことなので、良い悪いは自らしか決められません。

エゴと普通じゃないことは、事実を認めることなのでそこに良いも悪いもありません。

さらに、エゴとは防衛本能であり心の傷を守る対処でもあり、愛を知るためには必ず必要で大切なものです。

ブスということを蔑みや侮辱として捉えた場合、自らを攻撃することになるので認めることはできず、認めたと思い込むために嘘をつくことになります。

良い悪いの他者の認識はなく、エゴにて自分を見失っていることと、普通じゃないこと(=ブス)を自覚することで、ブスとは名前や固有名詞としての認識方法であることがわかります。

  • ブスとは、他者にとっては評価や判断の言葉であり、侮辱も含まる
  • ブスとは、本人にとっては自分の認識方法であり、良い悪いは己が決める

ブスは認識方法であることを知ることで、ブスを自覚することの意味が生まれます。

ブスを自覚することの意味
  1. ブスであることにてエゴを作られ、自らを見失っていたことに気付ける
  2. 攻撃性のある人と同じ土俵にいることの気付きとなり、ありのままの自分ではないことを知る
  3. ブスは名前のように特定して認識するための方法の一つであり、個性と同じ
  4. 普通じゃない自分として、千差万別の個を持って新しい自分を知るきっかけになる

ブスを認めるとは、ブスと言って馬鹿にしてきた人を認めることではありません。

そんな連中は自らの恐怖のない利益=蜜を吸うために今日も必死ですので、誰かれかまわず恐怖がなければ攻撃するハイエナです。

ブスという自覚を使用して、現状の事実であり自分の死に気付くことが、本来の土俵に戻るきっかけになります。

ハイエナ的なドブと同じ土俵に居て幸せになることはありません。その幸せとは統一ルールである教科書ですので、ブスのいない、ブスと関わらない、美人と関われるように切磋琢磨して、恐怖から逃げ続ける。

「いや、どんな世界ー?」ということです。どうでもいいです。

 

ブスとしてどうしたらいいのか 結論

ブスとしての生き方というのはありません。

細かくすればブスの中でもたくさんのブスに分類されます。それは、美人も変人も同じ、人間であれば一人として同じ人はいません。

しかし、普通の人、または普通だと思い込んでいる人は細かく分類できません。残念ですがみんな同じです。どうでもいいです。

そのため、ブスとしてではなく、“ブスである自分”としての生き方ということになり、ブスである=普通じゃないことを活用した生き方があります。

ブスという容姿、社会性にて守られない孤立が作られやすい環境、仲間の少ない状況、そして恐怖から逃げる人だらけの状態では、ブスであることは格好の餌食になりがちです。

ですが、起きたことは大事な経験ですので、後はそれを使用する時が今です。

 

ブスはブス、あとはその後の気付きと自覚

「あなたはブスじゃない」と友人が言うかもしれません。

戯言です。自分のことではないので、哀れみに聞こえます。ブスはブスです。
でもそこに悪い意味はありません、名前と同じです。

悪い意味として使用している状況、そういった人と関わっている状態を活用します。

そこにはエゴであり、人を蔑む人間と同じになっている自分がいます。本来はそんな人間だったのでしょうか?

そこへの気付きが事実です。

普通じゃないことへの気付きは個を尊重して生きる動機となり、新しい自分として生きるきっかけになります。

普通という当たり障りない恐怖から逃げる安泰は羨ましいかもしれませんが、辛い経験をしている以上、そんなものは3日で飽きることも気付かれているのではないでしょうか?

自分を認める、事実に気付き現実を見る材料となるのが、ブスとして生きている今この瞬間です。

ブスと他者が言ってくれることにはたくさんの大切な意味があり、ありのままの自分へ戻る、死から生への成長があります。

その成長の際たる恩恵は、経験による“自分として生きる認識”“考える力”の育みです。

言い方を変えると、自ら幸せを作る人生を持てる権利のようなものです。

 

ブスとしての経験はブスである自分としての人生を作る

攻撃されることはとても辛いことです。

攻撃していないように誤魔化しながら攻撃するハイエナに囲まれた状態では、自らをブスキャラとして生贄のように奉仕する自己犠牲精神を作ります。

それこそがハイエナの思う壺ですので、全員を焼きちぎる、というのは冗談ですが、それを望んでいないのであれば終わらせる必要があります。

もう十分です。

いつでも準備はできています。経験はあらゆる糧となり、力となり動力となり、より強い活力となり、意欲となり、幸福への大切な欲を作ります。

ブスであることを認めないと、エゴを主体にしたまま認めて、褒めて、愛してと他者に関わり、他者の蜜を吸うように利用するハイエナとなります。

鏡を見てください。この内容を鏡にしてください。

ピカッと光るその獣の鋭い歯、飴細工ですよね?

せっかく周囲がブスと言ってくれるなら、普通じゃないと教えてくれるなら、そんな自分ならではの個性のある生き方が作られます。

それが、これまでの経験です。

「私はブス」

ここに、これ以上も以下もありません。ブスだから普通と違う=自分という唯一無二があり、生かされていると気付いて自分で生きる。

そこに他者の目と反応と評価を気にして、取り繕い偽る己は居ません。

辛い経験を使わない手はありません、せっかく辛く苦しんだんです。お金払ってでも辛い経験をしていると何かと自分のためになり、成長になり、幸せを作る材料になります。それほど貴重な経験をあなたはしています。

それが、ブスである自分としての人生を始めることです。

ブスとは普通じゃないことです。そこに悪い意味などありません。自分が良ければ良い、悪いと思えば悪くなります。

 

ブスとしての新しい人生に必要な理解

新しい人生に大切な理解を見て終了しましょう。

こちらです。

ブスとしての新しい人生
  1. ブスとしての自分=個を持って自分を見出す
  2. ブスと言われることを活用して個を認識する
  3. 普通じゃない自覚の上で人生を生きる
  4. エゴと同じ土俵に立たず、俯瞰して攻撃してくる意味を観察する
  5. ハイエナは敬わず排他せず、優しく見守るように自らを認めて土俵を変える
  6. 自分を認め、敬い尊重する
  7. 辛い経験を良きものとして物事を俯瞰する視野を持つ
  8. あらゆる経験によって人生を考え、自分を考え見つめ直す機会だったと理解する

「あなたはどんな人ですか?」

それを知るためにブスを活用し、これまでの経験を使用します。

ブスと言われて文句を言うのはなぜですか?

ブスと言われることを否定するのではなく、その相手の真意や、自分という個を認識する材料にします。
ブスを認めると、相手の真意を余裕を持って見ることができ、傷つかなくなります。

その時の自分、既に土俵が違いますよ。

ポイントは、考える力、自分を見つめる認識、俯瞰する視野です。

これらを身につけるには必ず辛い経験が必要です。

もうありますので、あとは俯瞰すると見えなかった所が見えます。

ハイエナがクンクンしているのは、ガリガリで疲弊しているからだと気付きます。餌を欲して必死であることに気付きます。

そのため、集団から離れることができない理由が見えてきます。

事実がわかったから一人の時にトイレでボコボコに、ということではありません。自分の居る土俵を基の状態に戻すことで、関わることもありませんし、関わっても仕事のため、何かしら自分にとって必要なことのためと限定され、物事を俯瞰することで相手は蜜を貰えないことに気付いて離れていきます。

あらゆることに意味があり、大切だったりします。ブスも、ブスじゃない人もいることに意味があるのかもしれません。

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ブス どうしたらいいのか まとめ

ブスであることに対しての理解についてのお話でした。

一人一人の中にブスと言われる人がいて、美人と言われる人がいて、どちらとも言われない人がいます。

ブスにはブスの、美人には美人の、どちらでもない人にはどちらでもない人の悩みや苦労があり、共通しているのは自分の見失いです。

美人であることは自分を見失っていることに気付きにくいです。死ぬまでわからないかもしれません。

どちらでもない人も気付きません。

認識を広げると世の中はとてつもなく広いことを知ります。顔がどれだけ重要なのか、その真実は認識の広い人と関わった際に知ることになります。

そのために何よりも大切なことは、自分の人生を本気で生きることであり、己の自覚と共に意志と覚悟を持っているかどうかです。

※ブスであることが悩みの場合には、悩みを解決する方法で正体が見える│紐解くとわかる解決しない案?もご覧ください。

それでは、最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。

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