ブスやブサイクと言われる、顔の造形への評価判断。
大衆目線で定まった上下区分けはまるで価値のように、人間の存在を作ります。
ブスだと言われる周囲からの反応や、下に見る対応にて辛く苦しい経験が伴い、対処や改善ができなくなると、どうしたらいいかわからなくなってしまいます。
ブスで辛いと思われる方は、ブスである意味と人間の本質を知っていかれてください。
- ブスで辛い原因を特定する
- 対処と改善の考え方がある
- ブスである意味とは?
これらの紐解きにて、ブスでどうしたらいいかわからなくなってしまう状態の解消から、改善するための理解を深める内容となっております。
「ブス=悪い」という認識を知る大切さがありますので、ブスであるからこその意味を一つの考え方としてご参考にしていただければ幸いです。
Contents
ブスはどうしたらいい?

ブスとは
初めに定義を確認します。
ブスとは:
容姿や見た目が醜い様子を指す。元は細工(工芸品)の出来が悪いことをいい、転じたて、物事一般に体裁が悪いこと、好ましくないことを指す。
ブスの語源:諸説あり
附子と書き、有毒植物のトリカブトの毒の総称。ぶしとも読む。
ブスは、不細工、醜女(しこめ)、醜男(しこお)とも言う。
ブスとは俗語でして、侮辱として使われると同時に、物事を認識するための特定方法となります。
美人と同じように、「これは川、これは車、これはお米」とわかるようにするための認識として用いられます。
ブスでどうしたらいいかわからなくなる原因把握
ブスとは顔の造形による評価判断ですので、辛さや苦しみを作る原因はあることに集約されると考えられます。
対人関係での悩みです。
人と関わらなければ悩みにならないというものでして、対人関係による不調和と見失いを示唆します。
他者から卑下され、差別や価値を下に見られる対応にて不調和が起きます。
見失いによって自分の価値を見出せなくなり、自尊や自信がなくなって彷徨いや自己喪失が起き、自ら対処・改善する道が見えなくなります。
ブスであることは、変人、障害、五体満足でない、美人などと同じ意味を持ちます。
他者を筆頭に、過去の記憶、未来の期待や空想を作る自分、社会性という他の統一ルールによって自分を見失いやすいのがブスであり、変人であり、障害や病気や美人。
「大衆とは違う=普通ではない」ことによって対人関係での悩みが起きる状態で、他からの評価判断によって自分がいなくなる状態が、どうしたらいいかわからない原因と考えられます。
言い方を変えると、生きながらにして自分がいなくなる状態です。
他から干渉が多く、守られないので辛い
さまざまに普通ではない様子は標的となります。
自分の気を晴らし、違和感に対処し、モヤモヤを解消するための的。ストレス発散や自己存在価値を見出すための攻撃の的です。
私のように頭がおかしい変人は、話したり動いたりの言動でバレます。
「あ、普通じゃないやつ、みーっけ」と。
障害やわかりにくいものもありますが、病気などにて精神や健康疾患がある場合には、社会性にて少し守られます。
「あ、耳がない、でも病気かもしれないから馬鹿にしちゃだめだ」と。
美人も的になりやすいですが、世間の評価が高いので周囲の目を気にして攻撃できず、自分の蜜とするために利用する人間の的になる傾向があります。
他者を攻撃・排他して己の利益を見出そうとする人間は、自分が攻撃される可能性があれば攻撃しません。
障害や病気、美人は社会性にて守られているので、他者から攻撃される可能性を作る場合は攻撃しません。
しかし、ブスは守りが他にありませんので、とても過酷な状況に追い込まれます。
他の干渉によって自分のことを自分で認識しなくなる
周囲からの攻撃によって体も心も傷つき、人を信用できず、認められず、受け入れられなくなります。
心を開くと否定され、強制され、押し付けられ、決め付けられ、傷つくのが怖くなります。
自分を見失い、自分を信用できず、認められず、受け入れられなくなります。
他からの干渉によって、自分も他者も愛せなくなります。
自分のことを自ら認識できなくなり、唯一の認識がブスという他が勝手に決めた評価判断。
これを他律と言います。
他律は自尊や自信のない表れとなり、自らの意思にて物事を見て、自らの認知にて感じ、考え、想いができなくなり、自分も他者も敬えず、受け入れることができなくなります。
すると、あらゆることを拒否します。
ブスで辛くなる原因はエゴによる見失い
自分を認めなくなると自分がいなくなってしまうので精神維持が困難になります。
そこで、「ブス」という他の認識を用いて自分の存在を見出そうとすることが起きます。
他によって自らをあえて見出そうとする状態であり、エゴと言います。
エゴとは自分を他と区別して認識する意識のことで、見失うと作られるもう一人の自分というイメージです。
自分を自分で認識できないと、他者と比較して優越感や劣等感を味わうことで存在を見出し、他からの反応や体裁を気にかけて評価を見出し、生きている確証や意味を見出します。
これは、「ブスだ」と攻撃してきた人達と同じ状態です。
このことを知っていると、攻撃してくる人達の状態がわかります。
自分を見失っているために何かしら攻撃によって優越感を見出して自分を優位にし、人を蔑んで劣等感を味合わせることで自分の存在価値を見出している状態です。
攻撃される側、する側共に知る経験を伴い、そんな自分を見たくない、認めたくないとなることで、誰も自分を認めない状態になり、辛く出口のわからない彷徨いが起きます。
どうしたらいいかわからない辛さの原因は、誰も自分を認めないことで存在意義を見出せない、見失いと彷徨いが考えられます。
※普通じゃない人の詳細は、【特徴と心理】普通の人とは覚悟の意思。普通じゃない人とは覚悟の意志。をどうぞ。
ブスはどうしたらいいか 対処と改善
ブスとしてどうするかの対処と改善
対処・改善の方法は、「誰も自分を認めていない」ことの解消と考えます。
フォーカスポイントは、「自分が自分を認めていない」が全てです。
私は変人としてでしたが、見失いによってエゴになると共通して一つのことが起きると考えられます。
自分の利益しか考えなくなり、他に生かされます。
認めて、褒めて、必要として、愛してと欲するようになり、自らの利益なく与えることはしません。
ブスとは認識方法であり価値や評価。ブスか美人かは他者にしか決められず、周囲が勝手にどうこう言うことです。
美人はそれによって高評価を得て自分を見失い、人によっては調子に乗り、人によっては一生社会性や常識に生かされます。
ブスは低評価を得て自分を見失い、人によっては開き直り攻撃的になり、周囲と同じ土俵に落ちて仲間になり、人によっては一生社会性や常識に生かされます。
ブスも美人も高か低かの評価がありますが、どちらも周囲によって生かされやすくなります。
他に認めてもらおうとする場合にはエゴを増やし、より自分を見失い、他の評価によって自分を見出す執着や依存が起きてしまうので危険です。
ブスであることで困る場合、既にたくさんの辛い経験があるので、その経験を使わない手はありません。
自分で自分を認めるために、ブスであるからこその意味を知る大切さがあります。
ブスである大切な意味がある
ブスだからこその意味となるのは人間の本質です。
[本質であり中身=価値=経験]
経験しようと思わずとも自然と経験する機会がもたらされ、人間として中身のある人になれる基盤材料となるのが、ブスという他からの評価判断です。
私達人間は自分として存在していますが、経験値がないと自らを認めることも肯定することも難しく、向かう矛先は他という人や物や情報やルールや社会性(大衆従順)です。
他へ向かうと起きるのは執着であり依存です。
他へ向かえばまだ行動するために経験値になり、行動の過程で学ぶことは少なからずあります。
しかし、自らの外観に甘えて頼る場合、大変なことが起きます。
自らの思考と行動を自覚しなくなります。これを自責がない、責任を持たないと言います。
顔が綺麗で美人、周囲から評価されてちやほやされることは素敵な成功経験ですが、そこに依存すると他律になるだけでなく自責がなくなり、経験しようとする行動がなくなります。
中身がすっからかんです。
ここに魅力があるのかどうかは甚だ疑問であり、美人という外観があって中身がなければ、エゴの標的になって外観だけを求める利益取得に利用されやすくなり、利用されているとも気づかない自責のなさが露呈し、対処や改善にて成長しようとする動機も見出せず、生かされ続ける可能性がグンッと高まります。
誰も守ってくれないなら自分で強くなるしかありません。その道が初めから作られているという考え方は、自らを成長させます。
ブスとしての経験値は何ものにも変えられない貴重なもの
他から攻撃や排他など、自分を見失うほど干渉される経験はとても辛いものだと思います。
そこでへこたれたらダウンです。しかし、経験として受け入れることで、とんでもなく貴重な自分の中身を彩る価値になります。
恐怖心との向き合いです。
価値となる最たるものが、ネガティブ性質であり、陰要素。知性や恐怖を意味します。
ネガティブ・ポジティブに良い悪いは存在しません。あるのは恐怖と愛、陰とは恐怖です。
恐怖とは怖いイメージがあるかもしれませんが、拒否したくなるさまを表し、不安や恐怖を怖れた嫌がり、逃げ、見ない振りをして誤魔化すのではなく、真っ向から認めて向き合う力です。
反対にポジティブとは愛であり、愛と恐怖は表裏一体の関係性。恐怖がなければ愛は存在せず、愛がなければ恐怖もありません。
愛とは誰しもが受け入れたいものですが、恐怖とはその反対であるため誰しもが逃げて誤魔化したくなるものです。
恐怖との向き合いは経験にて育む他ありません。好んでしたいとは思わないのでほとんどの人は誤魔化して逃げ続けます。
ブスと言われて対応される経験は、どれほど貴重なものか、どれほど人間と精神の成長をもたらすか底が知れません。
- 他への執着や依存をしない強さ
- 個を見出して能力と才能を引き出す意志
- 自らを確立して認識する意思と知性
- 孤独を受け入れる力
- 事実から目を逸らさずに物事を吸収する養い
- 物事の本質を見抜く洞察力
- ‥‥
これらをギュウギュウに詰めることができるのが、ブスで苦労した人です。
この経験を活かすためにも、あることが重要です。
※ネガティブな性質の大切さは、ポジティブな人に疲れる時にわかること【度がすぎる陽と合わない陰】をどうぞ。
ブスである意味を自分の力にする方法
経験値となる恐怖心との向き合いを自分の力にする方法は一つです。
ブスだと自覚して、他からではなく自らが自らを認識すること。自分の人生を自分の力で生きる覚悟です。
他からの干渉や抑圧が強いと、[ブス=悪い]と思わざるを得ず、事実を認めることが困難になり、四方を塞がれたような気持ちになってしまうかもしれません。
しかし安心してください。四方とは他によって生かされる道であり、真ん中を極めるように自分を掘り下げる道が核として残っています。最も重要な道です。
大切なのは、自分がブスだと知ることだと考えます。
自分の人生を生きている自覚のために、ブスだと認める
周囲が、「ブスだ」「そんなにブスじゃないよ」と言おうが、「ブスって外観より中身が大切だ」「ブスって自分で思うから良くないんだよ」と言おうが、そんなものはどうでもいいことです。
評価や価値とは他者が勝手に決めるものなのでそんなものです。
真正面から捉え、自分のことをどう思うか?
- ブスを認めるとはエゴを認めること
- ブスとは普通ではないと認めること
自分で自分を認めるために、ブスという認知材料を活用します。
他から言われたからブスなのではなく、自らブスだと認めることで、過去の経験値は全て今の自分を構成する中身として吸収されていきます。
人としての中身になり、性別も造形も名前もパーソナリティも肩書きも要らない、「自分」という唯一無二の彩り、アイデンティティの確立であり人格であり人間性であり精神性になります。
このさまが人間の本質だと思います。
ブスとしての新しい人生に持っていくもの
始まります。
生かされるのではなく生きる時、自分の意思と意志を持った人生のスタートです。
他なんかどうでもいいわけではありません。他は他であり、排他する対象ではなく、ただ主観は絶対に自分です。
新しい人生を始めると、ブスかどうか、外観による評価を気にする概念が少しずつなくなっていきます。
それはエゴがなくなっていくさまです。
そんな人生には持っていくとよい素敵なものがありますので、一覧でご覧ください。
- ブスとしての個を認識する考え方
- 普通という大衆ではない自覚(個を最大限表現していい立場)
- エゴと同じ土俵に立たない俯瞰性
- ブスを蔑み評価する人を見守り、干渉しない目線
- 辛い経験を恐怖心と向き合うネガティブ力とする理解
- ブスと言われた経験は全て今の自分の強さと人間力にする知恵
考え方はとても重要な人間の力です。
ブスと言われることを否定するのではなく、その相手の真意や、自分という個を認識する材料にされてみてください。
ブスを認めると、相手の真意を余裕を持って見ることができ、傷つかなくなります。
その時、既に土俵は変わっています。
考える力、自分を見つめる認識、俯瞰する視野、事実を事実とする向き合いを大切にされてください。
※ブスと美人の容姿にある精神理解は、心が綺麗な人の特徴に美形もブスもない|自分で選んだ容姿にスピリチュアル をご覧ください。

ブスはどうしたらいいか まとめ
攻撃されるのはとても辛いですね。
もう十分です。
経験はあらゆる糧となり、動力となり、より強い意志と覚悟の材料となり、ネガティブな性質を自分のものにする恐怖耐性。
周囲がブスと言ってくれるなら、普通じゃないと教えてくれるなら、自分ならではの個性のある生き方を作る機会になります。
「私はブス」
ここに以上も以下もありません。ブスだから普通と違う=自分という唯一無二がある=生かされていると気づいて自分で生きる。
辛い経験を使わない手はありません、せっかく辛く苦しんだんです。いくら払ってでも辛い経験はしたいほど貴重であり、自分のためになり、成長になり、幸せを自ら作る材料になります。
幸せや喜びは貰ってばかりが本質ではありません。この世は創ってなんぼです。
始めましょう。恐怖と向き合える人は自分の能力と才能の抵抗を取っ払い、発揮する基盤があります。
個性の見出しは、過去の全てをこれから始まるストーリーの変換材料にします。人生は楽しみに溢れます。
関わる人を変えるには、まずは自己認知、自責、自らが自らを認めることからです。同じような関わりになった時、ブスがどうこう言う人などいないことに気づかれると思います。
外観にも他にも、そして自分自身にも依存せずに作るさまが、経験そのものであり本質を理解させてくれます。
大変なことは多いと思いますが、一つの考え方としてお力添えできることをお祈りいたします。
それでは、ブスとしてどうしたらいいかのお話を終了します。
最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。
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