旅や出会い、話や本など、さまざまに人生観が変わるきっかけがあります。
きっかけや動機も大切ですが、同様に人生観が変わるとはどういう意味なのかを明確にしておくと、より人生観を変えやすくなります。
「人生観が変わるとはどういうこと?」
人生観が変わってから行動することで、人生を変えることへのステップアップがあります。
そのため、人生観の変化は人生を変えるという結果をもたらす初めの一歩です。
このように仕組みを知ることで、目的を持って行動し、意志を持って変化を望む助力となります。
人生観を変えるための基盤知識として、私自身の人生観が変わっていく中で気づいた理解をご覧ください。
Contents
人生観を変えるとは

人生観とは
「そもそも人生観って何?」
人生観とは人生に対する観方であり捉え方、観念のことです。
観念とは認識を作るルールのことで、観念があることで自分を不幸にも幸せにもすることができます。
これは、“認識”が観念を作り、人生観を作るということです。
そのため、“認識”が人生観を作り、善悪や良い悪い、好き嫌い、幸不幸などあらゆる観念を作ります。
人生観とは認識のこと
※認識とは見て、嗅いで、聴いて、味わって、触って、感じて、考えて、思って、想ってなどの認知にて、知り、理解し、評価し、判断する自分の基盤
認識があることで、「この花綺麗だな~」と思ったり感じたり、「今日の青空は昨日より清々しいな~」と比較して判断したり。
あらゆる自分の表現を作り、物事の見方や捉え方を作ります。
何から何までの見方、考え方、生き方、価値観、人生観を作るのが“認識”です。
晴れていて喜ぶことも、暑くて辛いと嫌がることも、綺麗な人に目が行くのも、ブサイクな人に目が行くのも、ラーメン屋のにおいを心地良く感じるのも、においではなくお店の中に着目するのも、会社辞めると決めるのも、結婚しようと思うのも何もかもが認識によるものです。
人生観が変わるとは
人生観の理解から、人生観が変わるとは認識が変わることだとわかります。
それは、たんぽぽの上で遊んでいる蟻一匹を捉えても、一人一人何を見るかが違い、もはやたんぽぽを見るかどうかも人それぞれで、さらに遊んでいると思うか、仕事しているのか、それともふざけているのかなど、認識は無限にあります。
そんな人生観が変わるとは、「ねぇねぇ、この蟻見て」と友人に言われた時に、これまでだったら蟻を見るだけだったのが、「蟻の頭ってでかいんだな」と思ったりすることです。
さらに、「蟻によって右足から歩き始めたり、左足からだったり違うんだな」というように認識が広がることです。
人生観が変わるとは認識が広がること
※以前より捉える範囲が広がり、着眼点が広くなること
世の中の一部を端的に捉えていたのが、より幅広く捉えるようになったという感じです。
言い方を変えると、思い込みや決め付けが減ったことでもあり、柔軟性が上がったことでもあり、俯瞰性が高まったことでもあります。
認識する範囲が広くなったというポジティブな意味となるのが、“人生観が変わる”です。
人生観が変わるとはポジティブな向上や成長を意味する
人生観が変わることは人によってポジティブもネガティブも共にあります。
「人生観が変わった、やった」
「人生観が変わってしまった、なんてこった」
これは、変化を求めるか変化を拒むかであり、良い悪いの認識次第というものです。
しかし、何かが変わる場合には必ず起きることがあり、ネガティブに思ったとしても事実はポジティブである理解が潜みます。
それは、認識する材料が増えているためです。
何かが変わるとは以前を1だとしたら、1よりも増えます。
それが人生観が変わることであれば、以前の人生観を作る認識よりも何かしら認識する幅や材料が増えます。
そのため、人生観が変わったことが嫌であれば認識を基に戻すだけのことですので、変わることは選択肢が広がることです。
変化でなく退化であれば、変わったというよりは戻った、落ちた、減った、衰退したというような言い方になり、既に自分の中で把握している認識があるので、「18歳頃の人生観に戻ったな」という感じかと思います。
そのため、「変わった」と思うことは、「新しい状態だ」「これまでにないぞ」というような新鮮味があり、同時に忘れてなくなったと思っていたことを思い出すことで、新しいものを得たかのような気持ちになる、何かしら増えた認識(または増えたと思える)があります。
ポジティブな意味合いが含まれることで、そこには向上や成長など以前よりもプラス(人それぞれの認識によるプラス)だと思えることが起きている状態があり、それが人生観が変わることです。
人生観が変わるとは何かしら自分にとっての向上や成長が起きる、ポジティブな認識材料の増加のこと。
このことからさらにもう一つわかります。
人生観が変わるとは変わる意志があると明確にすること
人生観が変わるとは、言い方を変えると自分の認識を変えるための新しい材料が増えたということです。
それは、「これで人生観を変えられるぞ」というもので、変化や向上や成長を望む人にとっては嬉しいことです。
認識を広げる材料が増えた状態ですので、カレーを作る時にターメリックを取得したということであり、「おいしいカレー作るぞ」と思っていなければターメリックがあろうとなかろうと、「あっそ」程度の材料増加でしかありません。
人生観が変わるとは“変化を望む意志”があることで認識できる変化のことで、誰しもが変われるのですが、変わる気があるかないかが最も大切なものです。
なんとなく自己啓発本を読んでみたというよりは、「この本で何が新しい認識を増やしたい」と明確にすることで、人生観はより変わりやすくなります。
人生観という認識の幅を広げることは、=自分の世界を拡大すること。
言い方を変えると、自分をより知るということ。
人生観とは自分の世界のことであり、その世界を掘り下げて見える範囲を広げることが=人生観が変わること。
※自分の人生観を知るための話は、自分だけの世界は誰しもにある│自分の世界に入る人の特徴と方法 をご覧ください。

人生観を変えるために必要なこと

人生観から人生を変えるための流れ
人生観を変えることは認識を増やす(広げる)ことですので、変える意志次第でいくらでも変わります。
ここで区分けしておきたいのですが、人生観を変えることは人生を変えることとは違います。
違いますが、人生を変えるためには人生観を変えることが前提として必要です。
そこには仕組みと流れが見られます。
人生観を変えることで人生を変える基盤になる
人生観を変えることを別の言い方にすると、思い込みや決め付けを減らすことであり、柔軟性と俯瞰性を高めることでもあります。
それら全てに共通しているのが“自分の世界の認識を邪魔するものをなくす”ことです。
思い込みや決め付けとは自分の世界のものではなく、他者によって植え付け刷り込まれ、自分のもののように適応させているルール=フィルターのことです。
そんな他者の世界のもの(自分のものだと思い込んでいるもの)に気づいて、ポイポイ捨てていく内側の整理整頓が人生観を変えるための行為になります。
もちろん捨てなければならないことはないので、「ん、このゲームボーイ20年前に借りたままだ、もらっちゃおう」と自分のものにしちゃう。そんなことも人それぞれに起きます。
他者の認識でも自分の認識にできるものは自分のものとして吸収するということです。
※その他者の認識をまるで自分のもののようにすることが、“思い込み”であり“決め付け”。
そんな作業にて人生観が変わり、より自分を知ります。
すると、人生を変えるかどうかの選択が起きます。これは変える気があるかどうかの意志確認であり決意です。
決意すれば、あとは行動し経験することで人生を変えることになります。
そのため、人生を変えるとは自分を変えることであり、そのために自分を知るという前段階として人生観を変える必要がありと、そんな流れがあります。
人生観を変えるための変化や向上や成長を求める意志を持つ
↓
自分の世界を知るために、知識を増やしたり認識材料を増やす
↓
他者ではなく自分の認識となるように整理整頓して自分を知る
↓
自分を知ることで自分を変えるかどうかの意志確認と決意をする
↓
行動と経験によって自分を変える
↓
人生が変わる
あくまで私の経験からの理解ですが、このような流れがあると理解しています。
人生観を変えるために必要なこと
ここでは人生ではなく、人生観を変えるための話をお伝えしています。
人生を変えるための基盤なので、ここを明確にすることでより人生を変える行動をしやすくなるかと思いますので、見ていきましょう。
人生観を変える際のキーワードは、“認識材料を増やす”、“認識を明確にする”です。
それが、自分の世界を知り、認識を広げる人生観の変化となります。
そして、人生観を変えるキーワードのためにすることは二つあります。
人生観を変えるためにすること
- “受け入れの選別”
- “明確化”
順番に見ていきましょう。
1、人生観を変えるためには受け入れの選別をする
受け入れの選別。これは、受け入れられることと受け入れられないことを選んで区分けすることです。
受け入れとは喜んで認めることです。認めることに迎え入れる喜びがあるので、「受け入れてあげる」「しょうがないな」ということではなく、「受け入れることができるか否か」です。
自分の世界の認識を広げることには、人生観を変えたいという喜びや満足や納得を求める姿があり、嫌なことを求めるために人生観を変えたりはしないと思います。
そのため、自分にとって喜びがあるかどうかが受け入れられるかどうかを決め、そこには完全に自分が主観となる判断の場が設けられるのが、“受け入れの選別”です。
※我慢や忍耐や妥協などの受け入れ行為は、受け入れではなく“認める”状態
することは受け入れ可否を見極めて選んで分けること。
人生観を変えるために本を読んだり、知識を増やしたり、旅したり、人と出会ったり、することは何でもOKです。
人生観とは認識のことなので、選別することは自分がどう思い、感じ、想うかという脳の思考、肉体感覚、心の気持ちといった認識を整理整頓する時間になります。
それらの認識全て詰まっているのが“自分の世界”ですので、まさに自分そのものの整理整頓を意味します。
認識の中には他者から教えられ、自分なりに理解していなくても、「そうだ、そういうもんだ」と思い込んでいるものがあると思います。
例えば、箸を使ってご飯食べるとか、手を使っちゃダメとか。
もはや無限にありそうですが、“受け入れられるか否か”を確認することが、認識を自分のものにして世界を自分色に整えていきます=自分を知り人生観を変えます。
人生観を変えるために、自分の認識を受け入れられるか否かを確認して区分けする
※受け入れられないものがあれば、それは他の世界のものとわかり、不要か否かが選択できる
自分で理解しているものは受け入れた経過が既に過去にあります。そのため、受け入れられるものは完全に自分の世界のものとして整理できます。
しかし、受け入れられないものは他者の世界のものであり、納得や理解せずに認めざるを得なかったことが多いと思います。
それが要るのであればここで正式に受け入れます。要らなければポイッと捨てます。
※確認することが大切なので、認識によって捨てたり受け入れたりという行為になる
2、人生観を変えるためには明確化
二つ目は“明確化”です。
自分の世界に必要かどうかをはっきりと明確に区分けることです。
要るものは要る、要らないものは要らないと認識することが大切になります。
私を例にすると、箸を使ってご飯を食べることは自分の理解ではなく親から押し付けられた社会のルールです。
そんなもんは要りません(私にとってはです)ので、要らないと明確に認識。
あとは頭をお茶碗にぶっこんでガツガツガツ、というのは冗談ですが、自分なりに時と場合に応じて好きなようにします。
周囲の目が気になれば箸やスプーンを使い、独りであれば豪快に。自分の世界の話なので完全な自由であり、そこで他者との共存や社会環境があれば自分なりに調整することが喜びになります。
そのように、自分の世界を明確に己の認識にしていくことが人生観を変えるために必要です。
これを応用すると、本を読んだ際に起きるのは、本から感じることや受け取った内容を基に自分の世界に持って帰ります。
そして、受け入れられる、または受け入れたい内容や情動があれば、それを受け入れて明確にするということが起きます。
その状態が、「これは凄い、これをしたい、まさに私に必要なことはこれだ!」などの良さげな反応です。
すると、人生観が変わっています。
人生観を変えるためのポイント
最後に、人生観を変えるためのポイントをお伝えして終了します。
人生観を変えるのは完全に自分の力によるものです。どこに行こうが、誰に会おうが、どんな影響を受けようが、最終的に人生観の変化にそれを繋げるかどうかは“受け入れたと明確にするか否か”です。
例えばインドに旅します。
「なんじゃこの国は、ふざけてる!」と大概なると思います。
日本とは常識が同じことを探す方が難しいので、生きているだけで何もかもの認識が新しいものになります。
しかし、それを受け入れなければ日本に居る時のように過ごし、自分ルールを押し付けてインド感を拒みます。
騙されたと。
私も当初はそうでしたが、インド感を受け入れて自分の世界を広げてみると、あの人達は騙している訳ではなく、その場所場所のルールがあることに気づきます。
例えば、商売方法は日本とは全く違います。特に露店ではこちらから、「これいくら?」と聞いたらもう相手のものです。20倍の値段はふっかけてきます。
インドでは、「50ルピーなら買うよ」と自分から値段を決めていかなければ、相手に利用されます。そういったルールがあります。
日本の認識からだと不思議ですが、そういうことを知るのが人生観の変化になります。
人生観を変えるためには受け入れられるかどうかです。
あくまで自分の世界を自ら見る、その時に見える範囲を広げることが人生観の変化なので、自らが受け入れて認識を広げると決めるかどうか。
それは、自分の世界で自分の認識を見るために、自分のものかどうかを明確にすること。
人生観を変えることは完全に己のみが主観であり主体であり対象です。
そのため、インドに行くことも誰かに会うことも本を読むことも知識を深めることも大切ですが、何よりも自らの行動が大切になります。
自らが本を読む、そして自らが受け入れるか否かを判断して認識を増やす、または思い出すことで認識がよみがえる。
認識はどう思うかだけでなく、どう感じるか、どう想うかのあらゆる感受と認知があります。
本を読めば考えたり思うだけでなく感じて想うこともあります。あらゆる情動や心情や思考があり、そこには波動やエネルギーの概念もあり、全ての認識の中で何が受け入れられるか、そしてそれを明確にするかです。
思想以上に経験が人生観を変えやすい
人生観と言うと、人生における観念=思想と思う人もいると思います。
そのため、宗教の思想を学んだり、スピリチュアルな世界に足を踏み入れたりと、さまざまに認識を変えるための思想を得るかもしれません。
とても大切なことだと思いますが、思想の場合には受け入れることが少し困難になるので難易度が高まります。
それは実際に自分の理解になりにくいためでして、できることは“信じる”という“認める”行為です。
認めると受け入れるは大きく異なります。他者の認識でも自分のもののように認めることは容易で、その際に妥協や思い込みも使えるので、自分の理解や受け入れ有無がうやむやなままになる可能性があります。
うやむやは自分の世界の認識もそのままうやむやにするので、その際は知識として頭に入れて、あとは自らが理解して受け入れられるように行動したり実体験することが重要かと思います。
そのためにも、“経験”というのは実体験があるので確実に受け入れの選別が可能で、人生観を変えやすいです。
もちろん、信じたり認めることでも迷いなければ喜んで受け入れることが可能ですので、思想も大切です。
“受け入れ”と“明確化”というキーワードが人生観を変えるため、思想や本や知識にて変える場合には、迷いなく「これだ!」と思い喜んで信じられるものが必要となり、そこで人生観を変えられる人は、既に自分の中でその認識がどこかにある場合が多いです。
既に受け入れている認識だったけれども、何かのきっかけや長年の生活環境にて忘れたり埋もれたり、そんな時に気づきのように思想や知識が入ってくることで、「それだ!」という思い出しによる人生観の変化。
それは、既に自分の中に人生観を変えるだけの受け入れがあり、必要なことは思い出すきっかけという方もいます。
そんな人生観を変えることから見える意味と理解があるという話でした。
※人生観に気づくための話がありますので、人生の価値観でわかるこの世の仕組み|みんな変態的に俳優なんだ もぜひどうぞ。
https://nandemoii.com/fundamental-truth-of-the-world/
人生観を変える まとめ
人生観を変えることは、あらゆる認識を自分のものかどうか整理整頓することです。
そのために、受け入れられるかどうか、そして区分けにて明確にするという自分の世界のお掃除の話。
人生観は人生とは違い、人生を生きる土台である自分の認識です。
それは、自分を作り構成する脳・肉体・心、はたまた魂も人によっては含めたそれらの使い方のこと。
使い方によって人間性と在り方はいくらでも変わるため、よもや自分という操縦席に座ったようなイメージが人生観です。
その状態を明確にすることで操縦席のコントロールをマスターし、あとは自分を変える意志と決意によって人生を変える行動が促されます。
そんな仕組みと流れがあることで、人生を変えることには一つ一つのステップがあり、いきなりゴールへ向かうことはできないことがわかります。
一つ一つ段階を踏み、あとはその速度を速くするか遅くするかは人それぞれに調整し、人生を良きものとしていきます。
人生を変える初めであり最も大切な基盤作りとして、人生観を変えるとはどういうことか、そして人生観を変えるために必要なことの知識が役立つことを願います。
何もかも物事を変えるのはご自身ですので、その動きのサポートとして私のわかることでしかありませんが、ご活用ください。
それでは、人生観を変える話を終了します。
最後までお付き合いいただきまして、ありがとうございました。
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