方法

人生どうでもいいならやめちゃうと楽。全部放り投げてやめる方法

全員が全員生きている必要はあるのでしょうか?

生きている人の中には、人生が楽しいと感じる人もいれば、人生どうでもいいと思う人もいます。
その違いには明確にある一つの理由があります。

それは、自分の人生を自分のものとして認識しているかどうかです。

他者を自分の人生の比較対象として、反応や体裁を気にして、他者の考え方と生き方を自分の人生と重ね合わせて、その差を端から端までしらみつぶしていきます。

人生どうでもいいと思う理由は、人生を自分として生きていないからかもしれません。

それならば、人生どうでもいいのでやめることを提案します。
やめる方法はいくらでもありますが、必ず向上と喜びのある人生のためにやめる方法をここでお伝えしたいと思います。

それは、どうでもいい人生を放り投げてしまうことです。

生きる必要はありません。終る時は終わります。これはとても楽になります。

私は忙しない環境で育ったことで人生どうでもいいと思っていました。しかし、そんな人生をやめちゃった時、人生どうでもいいってのは実は楽な状態であることに気付きました。

ここでは人生をやめる方法をお伝えしますが、完全に人生が変わります。

人生どうでもいいと思っている場合に、何かの参考となれば幸いですので、気楽に読んでみてください。

 

人生どうでもいいと思える楽なこと

人生とは

人生は一人一人に必ず与えられるもので、命と同じように必ず存在するものです。
生まれた瞬間に始まる人生、寿命と共に終わる人生は、この世に存在する間のみのものです。

寿命があれど、生活習慣を崩したり、ジャンクを食べ続け、ストレスを溜めこみ続けることで寿命は変わり、なかば自分の意志によって変えられる人生の時間です。

人生とは : 生まれてから命を終えるまでに与えられたタイムリミット

物事に良し悪しはありません。良し悪しがあるのは、それを経験する本人のみに存在する概念です。

全てのことには意味があり、生きているからには意味があります。
どうでもいい人生だと認識している場合には、人それぞれに理由があり原因がありますが、その良し悪しは本人のみぞ知ります。

自分自身の人生を思い返すと、辛いこともありますが、楽しいこともあると思います。
そして、「人生どうでもいい」と感じることはなく、脳の思考にて思っている状態だと思います。

さまざまなことがあって今現在の自分が生きて存在しており、泣いたり笑ったりしていた時がありますが、今思い出しても、「そんなことあったな」とわずかな思い出であり、その時の情動も定かではない。

同時に、つまらないことや辛いこと、うまくいかないことがありましたが、過去のつまらない記憶の自分が感じていることを思い出すことはできず、思考として、「クソつまらない」と思った記憶が多少ある。

そんなどうでもいい人生の紆余曲折を振り返るとわかるのですが、楽しい時も辛い時も記憶にあるのは考えた思いであり、気持ちや感覚からの心の想いではないことです。

そして、それらは全て記憶のコマであり、鮮明に思い出したとしても、今に何の意味があるのか不明です。

そこに人生とは何かの意味があり、人生とはどうでもいいものかもしれません。

人生とは : 良し悪しも何もない、全てが過去となるどうでもいい時間

 

人生どうでもいい楽な考え方

結局今この瞬間も過去になります。全ては過去になり、命の終わりへと刻一刻と近づいている今の経過があり、過去の記憶が何の意味があるのかは熟考しなければわからず、見出す答えもどうでもいいことだったりします。

すると、「人生はどうでもいい」とは楽でポジティブな捉え方となる考え方があり、その考えもどうでもいいのです。

生きているのは自分なので、全ての選択は自分がします。
ご飯を食べたいと思うから毎食毎食ご飯を食べていて、生きたいから食べている訳ではなく、食べないと苦しいから食べている訳でもなく、苦しみを味わいたくないから食べている訳でもなく、食べている意味を考えてもいないのかもしれません。

自分の行動に対して何にも意識していなくても、全ては自分の選択によってどうでもいい人生が進んでおり、苦しいと自分が感じる人生を送ったり、苦しい環境に身を置いたり作ったりすることが可能で、命を途中で投げたりはいつでもどこでもできます。

同様に、楽しい人生を送ったり、楽しい環境に身を置いたり作ったり、より楽しくなるために工夫しながら生きることもできます。

全ては自分自身による選択であり、何をして生きていくか、どう感じながら生きていくかは自由に本人が決められますが、それもどうでもいいことです。

どうでもいい人生には何の縛りもなく、今ある環境を離れて海外放浪することもできます。
突然目覚めて、路上で音楽を奏で続ける人生もあります。
誰かの世話をし続けようと思えばそれも可能ですし、ボランティアで自分の時間を奉仕として使用することもできます。牢屋に入ることもOKですし、国籍を捨てることも、名前を捨てて無人島で暮すこともありです。

どうでもいい人生はつまらない人生でも、何にもない人生でも、楽しい人生でも何でもいいんです。

人生とは : 自分の選択によって、自由に生きていいどうでもいい時間

何をしてもどのように生きても、何をして、何を感じ、何に縛られて、執着して、解放してもいい、そんな楽な時間が人生です。

すると、人生どうでもいいと思っているのは自分の選択で味わっていることになります。

 

人生どうでもいいと思える意味

人生どうでもいいと過ごしてきたならば、どうでもいい人生に依存し執着することはないと思います。

依存も執着するものもないほどどうでもいいと私の経験からも思います。

それは、“ちょっと楽しいけどつまらない人生”や、“なんかぱっとしない人生”ではなく、“あほみたいにどうでもいい人生”、“クソどうでもいい人生”などのように完全なる虚無感を痛感する人生であればあるほど、どうでもいい人生を送った張本人にとっては人生を変える大きな動機がもたらされます。

人生どうでもいいとは : 人生を変えやすい意味がある

どうでもいい人生に依存も執着もなければ何でもいい人生なので、やめることも選択になります。

どうでもいい人生は全てが過去にあるので、今この瞬間に全く新しい人生にすることができます。

しかし、過去の記憶があり、思考が散らばって整理されていないことから悩み苦しむので、過去の記憶が邪魔します。

そこで、どうでもいい人生を完全にやめる考え方があります。

これまでの人生を完全にやめることで、これからの人生を全く新しい人生にして過去の記憶が出てこないようにしてしまいます。

それは今の環境を全て変えることです。
家を燃やすと周囲に迷惑がかかるのでそのままでも構いません。家族は完全に縁を切り、戸籍から自分の名前を抜きに役所へ行きましょう。

仕事は退職し、車は廃車です。免許証も過去の記憶たる物は全て捨てます。確実に卒業アルバムや家族との記念写真も捨てましょう。

住居が賃貸であれば解約手続きをして、荷物を一つのバックパックにまとめます。
友人がいればさようならをしたり連絡先を全て削除します。

そして、役所にて転出届を出して海外へ行くと伝えます。
公共料金や、銀行口座、携帯電話の契約など、諸々の諸手続きは完全に終了してください。

ここから、人生どうでもいいと思えて良かったと感じる時間を過ごしましょう。

※人生に意味などなく、実にどうでもいい人生の仕組みは、人生どうでもいいことの真意│人生の意味から見える本当の捉え方 をご覧ください。

人生どうでもいいことの真意│人生の意味から見える本当の捉え方「人生どうでもいい」と思う経験があることで、人生の意味や生きている意味を考えることになります。 臨死体験や死にかけたことがある方は...

 

人生どうでもいいのでやめる方法

どうでもいい人生をやめる

他との関わりを完全に絶ち、どうでもいい人生をやめる準備を完了します。

ここから完全にどうでもいい人生をやめるために、自分が誰も知らない場所へ行きます。
それが海外であればパスポートだけは残しておいてください。

国内の樹海や無人島、どこでもいいです。自分が誰のことも知らない、そして誰も自分のことを知らない場所へ行きます。

その場所へ到着した瞬間に、どうでもいい人生は完全にやめることとなります。

人生どうでもいいのでやめる方法 : 全ての依存も執着も手放し、自分が完全に知らない環境に行く

※依存と執着の塊である自分を知るための行動

人生どうでもいいと思える経験していることは、完全に新しい人生を歩むきっかけとなり、自分を変えることができます。

その為に、完全にこれまでと環境を変える必要があり、それを容易にします。

ここで大切なことがあります。

「この話を聞いて、どこまで実行できますか?」

 

どうでもいい人生の意味

どうでもいい人生であることは、他のどうでもよくない人生と大きく異なることがあります。

それは、依存と執着の量です。

どうでもいい人生であることは、依存と執着を生み出しません。

自分の人生に不満足や嫌悪があり、いろいろ辛くて大変で疲れ果てた状態で、ネガティブな思いからどうでもいいと思います。

その為、どうでもいい人生などやめるに越したことはありません。

しかし、どうでもいい人生をやめる際にどこまでの行動ができるかによって、「人生どうでもいい」と思っている理由や意味が見出されます。

自分のできない行動はそのまま依存と執着があることを表しており、家族と縁を切れなければ家族に依存しているか、体裁に執着しているか、生活環境に依存しているか、自分自身で行動しないで済む安泰に執着しているか、さまざまに寄り付きます。

どうでもいいけど変化を求めないのであれば、「どうでもいい」と言うことで自分の存在価値を見出す行動となっているか、過去の栄光と比較してただ悲観的になりたいのか自己憐憫になりたいのか、何かを否定して満足したいエゴなのか。それは、どうでもいい自分に満足していることになります。

自分が何に依存して執着しているかを観察することで、自分の真意を知り、人生どうでもいいと思っている意味を導きます。

命を終える訳ではなく、人生をより良いものに変えるためにどうでもいい人生をやめるので、そこには楽しみと向上と喜びがあります。

そこに不安感や恐怖心があり、その気持ちによってどうでもいい人生をやめないことを優先するのであれば、それは今の人生に執着しており、苦しんでいる訳ではなく、エゴによるストレスと、自分の意志がなく自分がないことから彷徨っている状態です。

どうでもいい人生をやめる場合には、環境を変えることで嫌でもやめることとなり、そこには必ず変化が生まれます。

どうでもいい人生に依存も執着もなければ、命を惜しむ気持ちもなくどこにでも行きます。

 

人生どうでもいいと思う理由

人生どうでもいいと思う理由は、人生の目的を持っていないことにあります。

人生の目的の代わりに、脳を使用して生きている意味を見出すことができます。
しかし、脳で見出そうとする行為はエゴによるもので、自分の存在価値を見出すことで生きている意味を見出そうとしますので、真意を逸脱します。

本質的には、生きている意味は脳で考えて導き出すものではありません。なぜならば、脳を使用することは、過去の自分の経験と知識を基にするしかないので情報量が少なく、答えを見出すことは困難です。

その為、誰かが言っていたことを自分に当てはめてみます。
「笑うから幸せなんだ、それじゃあ笑ってみよう」「みんなが大学に行って就職するんだ、それじゃあ自分もそうしよう」と。

自分で知識と経験を重ねたものでないと、自分の知恵とはならないので理解することはできません。
知らないものは、知識を基に自分で経験をすることで自分の理解となりますので、学び理解する段階が必要です。

知識だけを鵜呑みにしてしまうことで、笑っても幸せにならない現実を真に受けます。
笑うには、幸せになりたいという欲望がなければ笑うことはできず、笑っている意味がわからなくなり、できることは演技の笑いになり、脳によって「笑っているな、これは満足しているからだ」と思い込ませる演劇と偽りの時間が始まります。

生きている意味を導き出せず、一時的な快楽となる我欲の解消に走ります。
人との差から優越感を見出し、どれだけ人より優れているかという社会的な評価と判断を得ることで、自分の価値を見出す行為に走ります。

一時凌ぎには最高ですが、エゴを増やして後々戻れなくなります。

生きている意味を見出す行為が、生きている意味がわからない自分を見ないための行為に成り変わります。

これらは全て、幸せを求めていないことの結果としての道です。

幸せとは脳が喜ぶドラッグではなく、たばこではなく、お酒ではありません。
心が感じるものであり、理由なく笑顔になるものであり、理論なく心地良いと感じるものです。
どこにでもある心地良いと感じるものです。

太陽が出ていたら幸せだと想うかもしれません。風が吹いたら幸せだと感じるかもしれません。人と声を出して会話できることが幸せかもしれません。朝、目を覚ますことが幸せかもしれません。

脚がなくなれば、散歩していることの幸せから、人生どうでもいいとは思わないかもしれません。
目がなくなれば、目の前にいる人が自分をどれほど幸せにしてくれているのかを知って、人生どうでもいいとは思わないかもしれません。
耳がなくなれば、どれだけの存在が周りにいて自分を満たしてくれているか知って、人生どうでもいいとは思わないかもしれません。
口がなくなれば、人との関わりが自分を支え生かしてくれていることを知って、人生どうでもいいとは思わないかもしれません。
鼻がなくなれば、自分を喜ばし楽しませてくれるものに囲まれていることを知って、人生どうでもいいとは思わないかもしれません。

幸せはたくさんあります。みんな知っています。
これは比較して見出す幸せではなく、目の前にあることを認識して気付く幸せです。

人生どうでもよくなる理由

・自分の目で見た意見を持っていない
・自己の成長を求めていない
・幸せを求めていない
・自分の人生を自分で生きていないと思い込んでいる
・生きている意味を見出すために、我欲の解消に努める違和感と矛盾がある

この人生はどうでもいいのです。
幸せになりたい望みがあれば、人生の目的は幸せになることです。そして、それもどうでもよく、定めなくても感じていればいいものです。感じたくないならそれもいいんです。

※人生への気楽な考え方がありますので、人生どうでもいいと思った時。それは実は大切な合図だった をどうぞ。

人生どうでもいいと思った時。それは実は大切な合図だった人生がどうでもよくないことがあるのでしょうか? 人生は紛れもなくどうでもいいものだと思います。 それはお好み焼きにマヨネーズ...

 

生きている意味

どうでもいい人生では、自分が主観として存在します。
どうでもいいと思うのも、楽しいと思うのも、個人の自由な選択です。

人生どうでもいいと思うことが幸せを望む真意の姿であり、今以上の喜びを欲する、「今よりも喜びのある人生にしたい」という人生の目的になります。

全ての行動は、自分の抱いた欲望を満たすための行為で、会社に毎日満員電車を利用して通勤するのも、“お金が欲しい”、“食費や家賃を払えず困りたくない”、“世間体を気にしている自分を満足させる”、“家族を養っていない自分を作りたくない”などの欲望を満たすためです。

欲望を満たすことは自分が喜ぶためで、自分が心地良く幸せを感じる。

自分が満たされるためにどうでもいい人生を、生き絶えないことを望みながら今も生きており、それは幸せになることを望む生きている意味を教えます。

今、生きている意味 : 自分が喜ぶため

 

どうでもいい人生をやめる経験

私のどうでもいい人生をやめる経験が参考になれば幸いですので、ご覧ください。

私は全てを捨てることを決意してアラスカの森へ行き、北極へ向かう一本道を3日間かけてヒッチハイクで北上し、途中で見つけた川沿いから森へ入り、14日間川沿いを歩き続けた山の麓の川の源流に辿り着き、そこでこれまでの人生をやめることをしました。

アラスカは街を抜ければ広大な大自然の森しかありませんので、それは全てが野生動物の住処です。

これまでの人生がつまらないわけではありませんでしたが、苦しいもので、虚無感からのどうでもいい感覚がありましたので、人生をやめることにして全ての環境を変えました。

アラスカの森では60日間過ごし、命に関してもなくなればそれまでだと思っていたので、何にも依存も執着もない状態である自分がいました。

環境を変えることは自分を知ることとなり、それは自分を完全に認識する機会をもたらしてくれました。

森の中では動物との共存環境で、熊も居て一悶着あったりと忙しなく、そして、動くこともできなくなり終わりを幾度と見ましたが、結局目的である自分を見つけ出すことに成功して、どうでもいい楽な人生を今は生きています。

※人生をやめた際の内容は、自分を知る方法の本。ふざけた人生哲学 幸せはムニュムニュムニュ をご覧ください。

自分がわからない時に読んでほしい本|ふざけた人生哲学 幸せはムニュムニュムニュ幸せになりたかったのか、苦しみから解放されたかったのか。何の目的も持たず、ただ目の前の道を歩き進むことは彷徨いではありません。 幸...

 

人生どうでもいい時の対処 まとめ

限られた人生の終りまでのタイムリミットは刻一刻と進んでいます。

どうでもいい人生であることは今この瞬間に過去となり記憶となり、その過去が自分にどのような影響を与えるのか。

それは、幸せを望む自分を教えてくれる影響です。

人生どうでもいいと思える経験を持っていることは、幸せを望む自分を明確に表し、残りは自分の意志を持って幸せになることができます。

依存も執着も見えやすくなるどうでもいい人生をやめることで、新しい環境でも、新しい自分としてでも、幸せの欲求を満たす人生を歩むことが可能です。

自分の幸せを望むことは、自分を主観にして自分がどう感じどう想うかを主体にすることを意味しています。

自分が変わらなければ人生を変えることはできないので、そのためにもどうでもいい人生である過去の記憶への執着をいっそやめることを提案します。

自分の依存や執着を知り、幸せを望む真意を知ることは既に自分を変える一歩目です。

どうでもいい人生は、自分の幸せのために生きていい時間です。
何が自分にとっての喜びになり幸せになるのかを、新しい環境にて自分の依存とバランスを取りながら、一歩ずつ変化を求めることが大切かもしれません。

極論は、全てを捨てちゃってもいいと思いますので、その際には覚悟と責任をもって自分の命と向き合うこととなるでしょう。

それでは、人生どうでもいい場合のやめちゃう提案について終了します。
最後までお付き合い頂きまして、ありがとうございました。何かに役立つことを願います。

COMMENT

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です