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心が満たされる意味からわかる考え方|満たされないのも大切な時間

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心が満たされる意味には、現状の自分の認識があり、喜びがあります。

世の中では心が満たされないことは当たり前かもしれません。人は何かしら問題を抱えているものです。

心が満たされるとは一体どんな状態なのでしょう?

ここでは、心が満たされる意味と、心が満たされないことの大切な理解をお伝えします。

  • 心が満たされるとはどういう意味?
  • 心が満たされるとどうなる?
  • では、心を満たすためにはどうすれば?

意味を知ると、現状は自分にとって大切な経験の時であり、成長を促す状態を作っていることに気づきます。

「物欲サイコー!イエー!」となるかはわかりませんが、心を満たすための一助となれば幸いです。

心が満たされる意味

心が満たされる気持ちとは受け入れ

心が満たされるかどうかは一概に言えるものではなく、『連続的な満たされ』によって成り立ちます。

この世には時間の概念がありますので、選択と受け入れの連続的な繰り返しによって時間が進んでいます。

一瞬一瞬にあらゆることがあり、選択が起きています。

ご飯を食べることも選択ですが、いざ食べ始めて、目の前にあるものを全て食べるかどうかも選択です。

白いご飯を初めに食べるかどうか、次に味噌汁か、何回噛むか、いつ飲み込むか、飲み込んで喉に行ったものをもう一度口に戻すか、口の中で滑り台を作って遊ぶか…。

もはや無限の選択が続きます。

選択一つ一つを認識すると生きている感覚と情動を感じ、感じ続ける時間が長ければ長いほど心が満たされる時間が長くなります。

常に選択しているため、心が満たされるかどうかも選択ということになります。

 

自らの選択を受け入れて認識し続ける気持ち

生きている認識は自分を認識することであり、自分の思考や行動や感覚や感情や想いを一つ一つ知る状態です。

わざわざ意識して知ろうと思うかは人それぞれですが、一つ一つの行動における選択を理解して感覚や情動を感じることで、心が満たされる気持ちを体感します。

選択を拒否してしまっては、拒否する理由があり目的があるため、そこには受け入れがたい抵抗や悲しみや認めたくない何かがあります。

心が満たされる気持ちの場合には拒否ではなく受け入れになり、受け入れる動機となる理由や目的、そして結果には自らを認識して感じる安心感と余裕があります。

心が満たされる気持ちとは、生きている自覚を喜んでしたい受け入れとして、満たされる安心感と平穏がある。

受け入れるとは喜んで迎え入れる意味です。認めるだけでなく自らの中に取り入れたいと思える心の開きや喜びがあります。

ご飯を食べる選択をしても受け入れなければ、喜び満たされることはなくなります。

受け入れることで目の前の現実を認識し、あらゆる情動が一斉に終結します。

感謝があり、喜びがあり、楽しさ、嬉しさ、平和、余裕、敬い、調和、自然体、一体感、そして愛があります。

それらを総称すると、安心感と心の平穏という表現になります。

 

心が満たされる意味

心が満たされるのは、選択の受け入れとそこにいる自分の認識がもたらします。

ご飯の時は受け入れて心が満たされるけど、仕事では嫌々なので心が満たされないということもあると思います。

心が満たされる時間を如何に増やすかが大切ですが、心が満たされる際に最も大切なことは、その瞬間を認識する自分の存在です。

迷いがない自分がいれば最高です。心を満たす時間を増やすことができます。

迷いがないと心の認知によって一瞬一瞬を過ごせます。自分を敬い大切にしている絶対的な信頼があり、どんな選択も受け入れて自分を喜ばすものとします。

こんなことから、心が満たされる意味とはこちらです。

心が満たされるとは、確立された自分の認知による受け入れ。
※受け入れられることは迷いがないさま

「確立された自分の認知」とは少しわかりにくい表現かもしれません。

これは、「自分を知り、自分の周りで起きていることを理解する」意味です。

理解があり受け入れられることは許容があり認識力がある表れであり、迷いを持つ自分は存在しません。

 

心が満たされるとはどれほど心を使用できるかの自己理解

脳を使用すると今の時間を使用して過去か未来を行き来したり、空想や妄想を広げます。

今この瞬間に起きていることを認識できなくなります。

例えば心が満たされていると、
「足の裏に温かい感覚がある、足の細胞も感覚器官も働いてくれている」
「壁に蚊がいる、頑張って地球のために働いているんだな」
「外の風の音が大きくなったな、風も動いてどこかへ行くんだ」
「目を瞑るといろいろな光が見えて綺麗だな」

無限に今起きている出来事を認識して、心が満たされる時間を多く過ごします。

「明日何時に起きようかな?」と考えた時には記憶や思考の領域に入るので、今目の前を虫が通り過ぎたことを見逃がします。

体が感じる全身の感覚や、心の動きや感覚の想い、自分の周りで起きていることや違いなどのあらゆる認識が伴い、心を満たす材料はいつでも溢れています。

心は過去や未来ではなく今この瞬間のみを認識し、感覚や気持ちなどの感受をもたらします。

物事の認識は頭ではなく心であることで、心を満たすための時間を無駄なく多く作れます。

心が満たされるとはどれほど自らを理解して、受け入れられる自分になるかの意味でもあります。

 

自分を知ることが心が満たされる意味

受け入れられる自分になるためには、物事や他者の理解はもとより、自らの認知・知覚を把握する認識は、「自分を知る」という言葉に集約されます。

子供の頃を思い出してみてほしいのですが、幼少期にはあらゆることを知るのが楽しかったと思います。

新しいことを知り、自らの意思を作り、自分を知ることに無情の喜びがありました。

「私はあの子より鬼ごっこで逃げるのが得意だ」
「私はあの子より隠れるのが下手だ」
「私はぬいぐるみを触った時の感覚を知った」
とさまざまに自分を知る喜びがあります。

この状態、幸せではなかったでしょうか?

理解を導き、自分を知るための時間は、心が満たされる気持ちに直結していきます。

※人生が満たされない時の過ごし方の話は、人生が苦しい時、満たされない時の過ごし方|原因も改善も明確に一つ をご覧ください。

 

『自分を知りたい方へ』

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心が満たされる状態と方法

心が満たされるとどうなる?

自分の認知と受け入れがある人は、心が満たされていると知っていただきました。

心が満たされる時間を多くすることで、ますます心が満たされている人となっていき、最終的にはきっと消えます。

心が満たされている人になるとある特徴が生まれます。

何も欲しなくなることです。

何も欲せず、受け入れはこれまでどおりです。

これは、全てが欲しくて全てが要らない状態であり、自分という存在が確立され、自立があり自責があり、悩みがなく、迷いがなく、自らを満たそうとする以上に「他」を受け入れることにフォーカスされます。

 

心が満たされると欲の矛先が一つに集約される

「何も欲しない」とはまるで仙人ですが、欲がないわけではなく欲の矛先が明確化され、分散されない意味でもあります。

分散されないので、あれも食べたい、あそこに旅行行きたい、洋服も欲しい、結婚も欲しい、自由も欲しい、とこういう状態ではなくなるため、全く欲がないように見られることは増えます。

実際には欲が一つに向き、使命や生きがい、生きる目的や情熱を持った仕事への行動になります。

俗世の欲まみれが常識という価値観の中では、心が満たされているようには見えにくい人であり、少し変人扱いされる可能性があります。

特徴としては、一つのことに集中して他を欲しない。それが心が満たされる状態です。

 

心が満たされる人は自分があるのではなく自分がない

少し哲学的な内容になりますが、心が満たされる一点集中状態は、自己認識が高く自分を知っている状態ですが、「自分だよ、私が私だよ」という自我の主張がなくなります。

自分を知っているのが当たり前であり、自らを知ろうとしたり、あえて自己を認識するために主張するさまがありません。

これは我(エゴ)がない状態を意味し、「私、自分、我、○○という名前」に興味が薄れます。

自らをまるで第三者のように呼ぶ人もおり、自分を知っている表れとして自らの客観視が行くところまで行っている人もいます。

受け入れる許容があり、許しがあり、心を使用するさまがあり、自らが自らを使用する状態から、あらゆるものを受け入れる自然に近い存在になります。

起きることを起きるままに、自宅が爆発すればまるで夏の打ち上げ花火を見ているかのように、声を上げて受け入れます。

この状態では一般的な常識とはぶっ飛びますので、孤独や孤高の存在になりやすく、人に与える影響力が強くなるという自然発生的な結果が起きます。

周囲からは「この人はこの人だ、唯一無二だ」と捉えられ、本人は「私は私でも何でもない、もはやどうでもいいかな、はは」という具合になります。

※心を開く方法は、【心の開き方がわからない時の重要理解】誰にも心を開けない原因と改善方法 をどうぞ。

 

心を満たす方法

そんな人になりたいかどうかは置いておきましょう。

心の満たされ度によって、「あなたがあなたではない」というおかしな領域に入りますが、本人が社会性との兼ね合いを調整できますのでご安心ください。

心を満たすための方法は、自分を知り、受け入れる許容を増やすことです。

心が満たされない現状がある場合には、自分を取り戻すことが先決です。

自分を隠し、思考優位にて生きる選択をした瞬間が過去にあると、受け入れなくなっていく時間が増え、心が満たされない状態に少しずつ至ります。

自分を他者と比較・区分けし、自らを認識するために他者の反応や評価や判断を主体にし、思考過多になったかもしれません。

心が満たされる意味である自分としての認識は、感覚と情動を認知する心を主観にするため、心が感じる体感を増やすと自分を取り戻し、自己理解を深められます。

 

心を満たすために心の体感を増やす

心を主観にし、心から楽しいと感じることや、したいことをします。

なかなか楽しいことやしたいことを見つけるのが難しい可能性もあると思います。

最も効果的な心を満たす方法は、“自分や誰かを好きになる”ことです。

「好き」とは自分の喜びを認知した気持ちです。

人を好きになるとドキドキ、ワクワクと、心躍る感覚と気持ちが湧き出てきます。

誰かを好きになることは自分の喜びを最大限引き出す時間となり、好きな人と関わると自然に今起きている感覚や情動を感じます。

自らを許したり愛する気持ちにも繋がり、物事を受け入れる許容が増えて、受け入れやすくなり、自己理解が深まります。

※心を満たす方法の詳細は、心を満たす方法は心の仕組みを知ること|満たされない理由は愛の喪失 をご覧ください。

 

心を満たすには満たされない状態が必要

心が満たされている人の受け入れる行為には、絶対的な安心と心の安泰となる余裕があります。

恐怖や不安へのあらがい、抵抗、反発がなく、いつでも受け入れられる自分が既に構築されているために余裕があり、自信と自尊を持って物事と関わります。

心が満たされている人は強さを持ちます。

「強さ」

これは心が満たされない状況がなければ育めないものです。

雨が続くと太陽のありがたみがわかるように、お金がない経験にて自らの意思を持つことでお金を理解するように、心が満たされない状況があることで心が満たされる意味を理解します。

心が満たされず心を失っても、経験を活用すると克服の機会になります。

苦しい状況や自分の見失いなどの心が満たされない状況は大切な時間であり、自己の成長となる強さをもたらす環境を与えられた意味があります。

心が満たされない状況を克服すると、心を満たすための強さを得ることができます。

これは修行僧の考え方ではなく、目の前にあることを克服して受け入れる意味です。

今の現状や辛さの経験を受け入れることができた暁には、解放と強さと共に、心満たされる日々を過ごす時が待っています。

心を満たす根源的な方法は、心が満たされないスピリチュアルなサイン。本当の自分からの応援メッセージ をご覧ください。

心が満たされないスピリチュアルなサイン|自分を満たすためのメッセージなんだか心が落ち着かず、何かをしなければいけないような、何を得ても何をしても心が満たされない状態があります。 心が満たされない場合...

 

心が満たされる まとめ

心が満たされる意味と、心が満たされている状態からわかるのは、自分を確立して受け入れる先に心を満たす時間があることです。

受け入れには自分としての認識が伴い、心を主観にした行為があり、心としての自分を理解する状態があります。

心とは愛の認識であり喜びを生み出す基です。心を認識することで自分を知り、自分を愛し、他者を愛する気持ちを生み出します。

心が満たされない場合には人を好きになり、愛することで心を満たす方法となり、より自分らしく人を敬う生き方となります。

どんな過酷な状況も心が満たされない状態も受け入れることで、自分として物事を克服し、成長と学びの上での大きな愛の認識が伴うため、どんな経験も無駄にできないのが人間の人生かもしれません。

ビールにたばこ、ジャンクに歓楽、人への依存にものへの執着のパーティ状態があれば、それを受け入れることで次の段階に進みます。

「快楽、最高ー!イエー!!」とはしゃいでいる時間も本人にとっては大切な時間であり、心半ばで遊んだ振りをすると、一生そこから抜けられなくなりますのでご注意ください。

遊ぶ時は遊び、ふざける時はふざけることが自分の受け入れです。

自分を理解することで人間性は落ち着いていきます。年齢を重ねる毎にお酒を酔うために飲まなくなり、大人っぽくなったねと言われる特徴が生まれます。

快楽主義やドーパミン三昧の日々も大切な一つの過程となり、気づいたら木のように無言でボケー。

そんな心は私も自分もそんな概念はなくなります。

自らの心を主観にし、選択を自覚し、認識を明確にさせ、受け入れを増やして満たされていきましょう。

「気づけば尊し、言葉なく、あぁ幸せだ」

心の声が聞こえた頃合いですね。

それでは、心が満たされる意味のお話を終了します。

最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。

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POSTED COMMENT

  1. Nob より:

    真面目ごっこやりすぎて、死ぬとこだったので助かりました。思い出させてくれてありがとう。

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