心理と特徴

【怒鳴る人の末路は強制逃避】行き着く先は意外に『光』

記事内に商品プロモーションを含む場合があります

「この、ヤロー!」

翻訳すると、「逃げ続け、たいー!」

語尾は上げる感じ。

怒鳴る行為、それは自らの怯えを見たくない恐れ。事実を誤魔化し、現実から逃げると共に、メンタルをぶち壊す自虐。

ゆで卵を殻のまま喉でグシャッとクラッシュする、そのような行為だったりします。

そんな行為の先には、自らの行いに報いる末路があります。

他者に怒りをぶつけた因果とは別に、自虐行為の本質的な結果であり、「自分は何を自分にしていたのか?」の答え。

ここでは、怒鳴る人の末路を紐解き、待っている“結果の真意”を見ていかれてください。

  • 怒鳴る人の末路を知りたい
  • 怒鳴る行為の報いは何か熟考したい

誰しも怒ることがあると思いますが、もし怒りに他責の攻撃性を含めたら、一体どういう行為になってしまうかを知る内容となっております。

自らへの潜在的爆弾投下、真相に迫ります。

怒鳴る人の末路

そもそも、なぜ怒鳴る?

キーとなったらプーとなり、ヒーとなったらドゴーン。

既に出てる怒りの銃弾、自制なくパンパパン。

「まさに今怒りを猛烈に発散しましたが、どうして怒鳴ったのですか?」と直にアプローチ、質問してみます。

「え、どうしてって、うるせぇ!」

怒鳴る人には二つのタイプが考えられます。

  1. 怒りの発生と共に、自制なくストレート発散
    無自覚の攻撃性
  2. 相手を怯えさせてコントロール狙い、意図的に怒りを表現
    自覚有の攻撃性

ウキーとなった瞬間、既に露呈しているのが①、無自覚の攻撃性(防衛意識)です。

ウキーとなってから、狙って怒りを露わにして相手を責めるのが②、自覚有の攻撃性(涎を垂らす利益狙い)です。

怒鳴るとは、怒る、イライラ、不機嫌とは違い、自己内部の憤りを他者にぶち投げる行為。

「もうなんなんだよっ、さすがに饅頭食わせろよっ!」とただ怒りを発散するのではなく、「こいつにこの怒りをぶつけてやる!」とターゲットを絞ります。

攻撃性があります。

自覚有無が違うため、悪意があるかないかは人によって変わりますが、

悪意があってもなくても、怒鳴る時は対象に自分を伝えたい狙いがあるとわかります。

相手に何かを伝えたい、知ってほしい、影響させたい、いわゆる自分という存在を押し付けたい何かがありそうです。

自らを相手目掛けて鉛筆削りのようにグリグリグリ。

さぁ、一体何がしたいのでしょうか?

 

怒鳴る人は自我の正当化を押し付ける

自分の存在を押し付ける行為には、[自我の強さ+正当化欲求]がありありと見えます。

「これが私という人間なんだ+私が正しいんだ、間違ってないんだ」を押し付ける。

典型例がクレーマーです。

「私は客だぞ、客の意見は正しい、そうだろ? だからコラッ!て強めに言うぞ」

悪意がない人は無自覚に攻撃。攻撃するつもりはなくても周囲は傷つき、迷惑。

悪意がある人は自覚して意図的に攻撃。相手を支配し、利用して、利益を搾り取ろうと企みます。

[自我の強さと、正当化を、押し付けて、自分の存在(思考・気持ち・欲求)を知らせる]方法が怒鳴る。

世間ではジャイアンと言うそうです。

 

怒鳴る対象を無意識に決めている

正当化の押し付けにはマウント狙い、支配、独占欲があると考えられ、自らを正当化して押し付ける意味がある人に怒鳴ります

意味がある人とは、正当化して利益が得られる人

クレーマーが怒鳴っても、「はぁ…、えぇ…、そうですか…、で…」と無表情で進展しない人に言っても意味がないように。

「この人に正当化して押し付けたい!」と抱く相手に怒鳴る意味があります。

怒鳴る対象はこのような人々に絞られます。

  • 利用価値がある人
  • 期待している人
  • 支配下に置きたい人
  • 言うことを聞かせたい人
  • 恨みや嫉妬があり復讐したい人
  • 自分と近い距離感や関係性の人

 

怒鳴る人の振る舞いにある決定的特徴

ジャイアン行為には、極めつけの特徴があります。

自己愛の押し付けです。

自己愛を正当化して押し付けることは、自分の愛を相手に押し付けて存在を知らせたい行為。

自己愛という自分を喜ばして困らせたくない欲や動力を振りかざします。

これでわかるのは狙いがあること

  • 無自覚に自制なく怒る場合
    …他者を利用して不利益回避(防衛)のために自己愛を押し付ける
  • 自覚有で意図的に怒る場合
    …他者を利用して利益取得のために自己愛を押し付ける

ネガティブを嫌がるか、ポジティブを欲するかの違いはありますが、どちらも自分のため。

怒鳴る人は自己中心的に自己世界を押し付け、自己利益(または不利益をなくすという利益)を得ます。

とにもかくにも、「自分じぶん」

少しずつ、報いの有無が露呈し始めます。

※人を傷つけた人の報いは、『罪と恥と地獄』人を傷つけた人、苦しめた人の因果応報&末路 をご参照ください。

 

怒鳴る行為は自虐

自らを正当化して押し付けることは、物事を正否・良悪で捉える概念縛りを意味し、相手を間違いだと主張したい我(エゴ)がはっきり表れます

自分と他者をシーソーに乗せて、自らが優越すれば他者は劣等、他者が優劣すれば自らは劣等するルール設定済み。

あくまで自分より対等以下をターゲットにして、自制なく怒ったとしても怒鳴るかどうかの判断は事前に制限されているとわかります。

既に自分の意志がなく、これまでの周囲の影響や過去の出来事によって、行動や思考が無意識に他によって作られているさまを示唆します。

これは、劣等感を持ちながらも認めずに拒否し続けている心理と考えられます。

ドイツの哲学者ニーチェが言う、ルサンチマンが印象的です。

ルサンチマン

:弱者が敵わない強者に対して内面に抱く、「憤り・怨恨・憎悪・非難・嫉妬」といった感情

自己とその自己が住むこの世界を肯定できない人間は、この世界にルサンチマンを抱き、この世界を否定し、別の世界に救いを求める
※Wikipedia 引用

復讐や恨みの感情を持ち、自らをより弱者にして世の中を否定的に捉えるようになり、自分より弱い立場に対して激しく当たり、自分を上の存在だと見なそうと欲する気持ちを強くします。

ルサンチマンの特徴は、劣等感や復讐の感情が差別概念を強め、社会に批判的になり、現実に立ち向かう勇気をなくし、自己都合の思い込み世界にこもりながら、恨みや復讐や嫉妬を強めていくことです。

一旦のまとめとして、これまでの内容全てに共通するのがこちらです。

「自分のことしか考えていない」
「他者への尊重ゼロ」

ここまでくるとジャイアンの域を超えており、末路へ向かいます。

 

怒鳴る人の末路:追われ、逃げ、恨み続ける

怒鳴る人は自己愛がとにかく強く、自我も強いです。

[喜びあり(利益取得)&恐れなし(損害回避)]を強く欲し、その行為を当たり前にしたいからこそ正当化します。

怒るとは他者に危害を加える危険な感情、取り扱いに十分注意しなければなりません。

そのために理性があり、道徳や倫理観があります。

しかし、感情とは強いもの。

抑える暇なくドバーンなんてことも。

誰だって怒り、醜態を晒し、失敗し、後悔し、痛い思いをして、成長していきます。

が、いつまでたっても怒鳴っている、自制がない、制御できない、するつもりがない場合、自己愛を貫く自分フォーカスが強すぎると考えられます。

このことからわかるのは、怒鳴る人は自己愛があっても愛がないこと
※自分のことばかりで他者を敬う気がないさま

自分の世界ばかりで外界を見ない、現実を知ろうとしない、利他の心がない。

他者に嫌われるのは当然だと思いますが、それ以上に着目したい末路がこちらです。

『自己愛の呪縛にハマる』

詳しく見ていきましょう。

 

解説:怒鳴る人の行き着く先にあるもの

自己愛の呪縛にハマる末路

自己愛に正当化が追加された時、自己行為や思考に疑問を抱く可能性が限りなく消滅します。

「あの人がいけない、あいつが悪いんだ」

偏った自己愛界に身を沈め、さらに劣等感やルサンチマンが追い打ちをかけます。

空想と妄想にて救いを求める受動的な在り方と、世の中や強者を恨み復讐したい欲で溢れ、否定的に外界を捉え、とにかく自己世界を肯定しようと特別視します。

心に余裕がなくなり、自分一辺倒の見方から抜けられず、思い通りにいかないと自らを被害者に仕立て、正当化に固執し、責任を負わせようと他責を極めます。

他から何を言われても頑固になり、自分が思うことにはとにかく素直になります。

問題は自分のしている行為です。

自己世界に沈んでいくと妄想が広がり、現実逃避はおぞましくなります。

疑似信仰、スピリチュアルの異形、快楽刺激にハマるなど、妄想を助長させてくれる幻覚的作用や人間に依存執着し、現実を見る気がさらさらなくなり、自分が他責であるとは想像すらつかなくなります。

この結果、嫌なことがあればとにかく逃げます

現実を認めず、なかったことにして誤魔化す、そんな認識の逃げが横行します。

不安になれば逃げ、恐怖を感じれば逃げ、心配したくない、我慢したくない、苦労したくない、現実や自分と向き合いたくないと逃げる。

「あの人がいけないんだ、我慢させられている、嫌な思いはこっちがさせられている、許せない、謝らせてやる、呪ってやる、私は被害者だ」

逃げ続けるための妄想浸かり、誤魔化し、自己欺瞞(ぎまん)、嘘が必須になります

怒鳴れば怒鳴るほど、生きれば生きるほど、年齢を重ねれば重ねるほど、本当に自分がしている行為を自覚するのは怖ろしくなり、少しも向き合えなくなります。

夕方の林を歩いていたら、なんか黄色くて丸いモフモフが動いてる。はっ、5年前に怒鳴ったぬいぐるみが歩いてる、キャー!

すぐにお酒、ジャンク、パーティー、快楽、刺激、悪口大会。

それはダメだと回避するために、「私達は特別なんだよ、さぁ歌おうじゃないか、we are the worldー、ウラーララー」と肯定し合って社会を否定する疑似の俗物で足かせ。

怒鳴る人の末路は逃げ続けなければならない人生。

常に追われ、恨み続け、自らを劣等させ、誤魔化し、逃げる人生。

追ってくるのは、自分がこれまでしてきた現実です。

 

末路が教える真意:行き着く先にあるもの

実は過去の私が末路状態でした。

私の父のおかげで、刺激や俗物に依存執着するのはどうしても嫌なプライドがあり、「仮面の人生だ」と自分を出さない我慢でなんとか対処しましたが、一時凌ぎにしかなりませんでした。

突発的に怒りは出てきて、どれだけ抑えようと家族など身近な人には怒鳴ってしまうこともありました。

最終的に、「もう死ぬか生きるか決めよう」とアラスカにて一人森生活をサバイブして、現実世界に生還した次第です。

徹底的に自分のみの見方に偏りながら、強引に主張するように信じ込みます。

相手の立場になって考えられず、「私はこの人をわかっている」と思い込んで自己世界に固執し、何が何でも現実を見ようとしません。

知らぬ間にルサンチマンはプクプクと肥大化し、逃げられないところまで行きます。

すると妄想に入り、現実逃避を極めていきます。

止まりません。

弱すぎます。

どこまで逃げられるか、どこまで自己愛を他者に押し付けられるか。

周囲は嫌がり怖がり、隠すための誤魔化しや我慢にてストレスにやられ、体力ゲージはグングン衰退。

逃げ続けるために社会を否定し、他者を否定し、自分を護らなければならず、とにかく他者のせいにし続けるタスクが追加。

「あの人は敵、この人も敵だった、みんな敵だ」と自虐をやめられなくなり、自ら人生を辛くしていきます。

さすがにそろそろ限界です。

「あの人のせいにできた、だから何なのか、状況は何も変わらない、なんせ自分は何もしていないのだから」

自分だけを考え、喜ばせ、防ぐ先にあるのは、他者を敵にして責任を他に押し付ける戦い。

身も心もボロボロ、もう、疲れました。

ここでついに気づけます

「道が違った、やり方を間違えた」

「自己愛の使い方を間違えた」と気づくまで行った時、ついに始まります

末路の行き着く先にあるのは、自分の意志を持った新たな人生の始まりです。

 

末路まで行くことに意味がある

逃げ続ける先には、「はい、もう限界です、負けました」という認めと諦めがあります。

この諦めは、現実を逃げ続けて自己愛の使い方を間違えた末の、頑固と執着の手放しを意味します。

ここに辿り着くと、自分の意志を持って自己愛を使う人生が始められます。

問題はここに辿り着くかどうかです。

自己愛を糧に始まった怒鳴りストーリー。

諦めて現実を見ることは、これまでの自分の否定になり、なんとしてもそれを拒むために怒鳴り散らし、パニックになってでも怒りを使ってきました。

自己愛の使い方が違うと自覚しても、いくらだって誤魔化して正当化できるので、真に変わるかどうかは自分を諦められるかどうかです。

逃げ続けてどこにも辿り着かない場合、末路がないという末路になります。

しっかり末路へ行く着くことに意味があり、その先に「怒鳴っても離れないでくれる人がいた」など、事実への気づきがポツポツ現れます。

「自己愛を自分のためだけでなく、他者のために使ったらどうなるだろう?」

なんて考えは、既に自分の意志を見出し始めた合図。

末路を変えるかどうかは自分次第です。

 

まとめ 怒鳴る人の末路

・自己愛を正当化して押し付けることで怒鳴る

・利益を得るために怒鳴る人もいれば、損害回避を果たすために怒鳴る人もいる

・自覚と悪意有無に関係なく、怒鳴る人は「自分のため」と目的を持っている

・潜在的に怒鳴る人を選定しており、過去の生育や他からの影響にて、自分の意志なく怒鳴る行為が作られている

・ルサンチマンが印象的な人であり、恨み・嫉妬・復讐を欲しながら社会や他者への否定性を強め、自ら劣等感を持って認めない心理ができる

・自己愛と自我の強さがありながら、他者目線の認識や尊重がない結果、愛そのものがないために自己愛の呪縛にハマる

・自己愛によって不都合なことを誤魔化し、現実逃避が必須となり、妄想世界に沈み込む

・社会や他者を否定し、他者のせいにし続ける逃避が続き、自らを苦しめて人生を辛くする

・現実逃避している事実と向き合うと、末路のゴールとしてこれまでの人生が終わり、新しく自分の意志を持った人生が始まる

・自己愛をどう使っていくかに意志があり、末路を変える光がある

怒鳴るという行為には、怒りの感情以外にも正当化、上下差別、概念縛り、恨みに復讐、劣等感に執着、期待に他責、そして過去の生育や家庭環境、育ちにある他者の影響や記憶、継承が関わります。

一人だけで怒っている訳ではなく、一人で怒ることもできない私達人間。

あらゆるものを凝縮させた先にあるのが逃避ですが、その逃避と向き合った先にあるのは、真に始まる自分の人生。

そんな考え方が怒りの理解を深めるご参考になれば幸いです。

最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。

『心理とスピリチュアルの学び場』

誰しもに人生を変える機会と選択があると信じています。

著名な心理セラピストとして知られる、西澤裕倖(にしざわひろゆき)先生プロデュース。
PR:株式会社Central&Mission

※こちらは長期的に本気で変える方専用です。

COMMENT

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です