『DNAシフトセラピスト養成講座』
・セラピストになりたい方・自己理解を本格的に始めたい方
・専門的に人を癒し、サポートしたい方
著名な心理セラピストとして知られる、西澤裕倖(にしざわひろゆき)先生プロデュース。
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※本気で人生を変える方専用。
「いい人」とは、精神的な「善人」と全くの別物です。
心からいい人になりたいと想う方は、社会的ないい人(利用価値がある、都合のよさ)になることに違和感を覚えます。
「これはいいことなんだ」と言い聞かせる、偽りの形であることをどこかで自覚しているかもしれません。
そんな方は、本気でいい人をやめたらいいと思います。
ここでは、精神を重んじて生きていくと必ず通るプロセスに、いい人の脱却があるというお話を読んでいかれてください。
- 精神を重んじる人ほどいい人をやめることになる理由を知りたい
- いい人をやめるための考え方を知りたい
いい人をやめるのはとても難しく、いついかなる時でも、「やっぱこのままでいいんじゃない?」と思えるものです。
そのため、価値観から見つめ直すことが大切ですので、一つのご参考になれば幸いです。
Contents
「いい人をやめる」スピリチュアルな捉え方
初めに:いい人である違和感を突き止める
控え目で、嫌でも断らず、相手を傷つけず、無害なので関わりやすい。
ケア上手で他人の不機嫌まで配慮し、美味しいトンカツも優しく半分おすそ分け。
気使いもでき、自己犠牲もできる人は他人を満たし、他人の不平不満も解消するほど。
価値が高いために利用されやすく、執着依存されやすく、デメリットも多いです。
違和感の理由は、社会的ないい人を演じていることにあります。
演じることにはなんの問題もありません。
しかし、演じている自分を明確に自覚できていないと、ありのままの自分からどんどん離れ、違和感が増えていきます。
「どうして私は仲良しでもない職場のあの人に、旅行のお土産を渡そうとしているの?」
この答えが明確にわかっているかどうかというお話です。
違和感を深掘りすると、アイデンティティ喪失の懸念や拒否があり、精神に抵抗や抑圧が増えることで心苦しさを感受します。
いい人になるほど自己肯定感が低くなる
「いいことをしなさい」
「いい人であれば得をするよ」
「人様に迷惑をかけてはいけないよ」
自分で自分を認められない。
すると、他者承認欲求が強くなり、損害回避傾向が強まります。
いい人であろうと頑張る、それによってもたらされる周囲の反応や利得に期待するなど、他に従って他に認めてもらう、または不利益や恐怖を強く嫌がる心理が強まります。
「いい子」としてのレッテル、型枠、「いい人」としての評価、実績を残すほど、自己肯定感と自己受容が低くなり、違和感が強まっていきます。
苦しく、疲弊し、いい人であることへの精神的苦痛が増えていきます。
スピリチュアルに精通するには、いい人をやめる日が必ず来る
演じても演じなくても、いい人であることはとても大切な社会性であり、損害回避術にも協調性にもなります。
精神的(または仏教的)に、[偽り(自覚がない、無責任)=悪]を意味する
精神性(スピリチュアリティ)とは、自覚(責任)に比例して高まるため、自覚したくない偽り(後ろめたさや罪悪)であるほど心を黒く、悪に染める行為になり、知らぬ間にカルマも積む。
いい人をやめたいと思う時、偽りの自分になることをやめたい意思があると思います。
これをスピリチュアル(精神や意識)で表現すると、悪に心を染めることへの違和感、ストップと言えます。
スピリチュアルに精通する場合、悪も善も共に必須ですので、いい人をやめることは善へ向かうステップを意味します。
精神性の重んじがあるかないかで、「いい人」の捉え方は変わります。
社会的にはとても大切な在り方なので、やめるかどうかの選択は人によって違います。
再三になってしまいますが、この内容はスピリチュアル(精神や意識)を重要視する方へ向けた内容です。
それでは、「どうやっていい人をやめるのか?」
深掘りしていきましょう。
※いい人を続けるためのサポートは、【僧侶との体験談】いい人ほど報われない理由『ポイントは心の閉じ』をご覧ください。
いい人をやめる考え方(スピリチュアル)
いい人をやめるために:価値観が重要
私自身の体験から理解しているのは、いい人をやめるのはとっても難しいことです。
しかし、各個人に対する関わり方は今すぐ変えられるので、「特定の人にはいい人をやめる」ができます。
例えば、職場の上司のKさんには、「なんだかあの人の前では絶対にボロを出さないようにする自分がいるんだよな」
このように、特定の人の前ではいい人になろうとする自覚があれば、自分を客観視できるのでやめるためのアプローチを厳選しやすくなります。
さらに、「嫌われるのが怖いからごますっちゃうんだ」「本当はあの人に褒めて欲しいんだ」などの真意がわかるようになると、行動も具体性を帯びてきます。
「嫌われるのが怖い、これは相手のためではなく自分のためだからやめよう」と決意しやすくなったり、
「うん、本当に褒めて欲しいからいい人でありたい」と自分を肯定して、よりいい人感を強めて行為できます。
このために必要なのが、『自覚を促すための価値観』です。
ここで着目したいのは、「いい人」になるのが当たり前になっている可能性があること。
「いい人であることはいいことだ」と思ってやまない観念があり、価値観が自分なりにアップデートされていない可能性があります。
そこで価値観をご自身なりに持つための助力として、お伝えしたいことがあります。
※この内容の主旨です
※我慢をやめる方法は、【自分との戦いに終止符を】ずっと我慢して生きてきたからこそ をご覧ください。
価値観:「いい人は精神的に善人ではない、社会的に善人である」
しかし、社会的な善人ではあることです。
そもそも、いい人としての在り方が自然な人はこの世に数名くらいかもしれません。
私たちはブッダではないので、コロコロと心持ちもスタンスも変わる生態、ヒト科ヒト属ヒトです。
「おばあちゃんには優しくしたい、プレゼンで不利益を被りたくない、上司に嫌われたらめんどくさいから」などと意思や感情、欲求や目論見が対象それぞれ、シチュエーションそれぞれにあるので、いい人の時もあれば嫌な人の時もあるのが自然です。
自覚なく誰しもに優しく、いい人であろうとすることは社会的には花丸ですが、精神的には善ではなくむしろ悪に該当してしまいます。
悪行カルマを積み、精神を悪に染め、心を汚し、魂も穢してしまいます。
自らの行為を自覚するために、「いい人であることは精神的に善人ではなく、社会的に善人である」価値観が役立ちます。
※いいように使われない方法は、【大切にされる人との違い】いいように使われる人のご法度&改善方法 をご覧ください。
自覚がないとカルマを積み、精神を壊す
いい人を後ろめたさの中で演じている場合、精神的には善行と共に悪行(カルマ)も作る状態です。
カルマは身・口・意
身体行為だけでなく、言葉や、表に出ない意思も含めるため、周囲の負荷や弊害が増えるほど悪行を積み重ね続ける。
※カルマの詳細は、自分のカルマを知る方法|知るだけか解消するかが分かれる意志がある をご参照ください
いい人であることはカルマを積み続け、精神を苦しめ、アイデンティティを失い、精神が病にかかる可能性を高めます。
例えば、ボランティア活動をしても全く感謝されず、「早く食い物くれよ!」と欲しいものだけ催促された時。
嫌な顔一つせずに我慢し、笑顔で与える。
社会的には善人ですが、この時に最も着目したいのは真意、本心、本当の気持ち。
「本当にその人に喜んでもらいたいの?自分が嫌な気持ちになりたくないからでは?」の真相です。
[いい人=いい人]は価値観ではありません。
[いい人=だから何?]の答えに価値観があります。
この答えに良悪の意味はありません。
答えがあると自らの在り方を自覚でき、「あ、私は今イラついた、本当はあの人に与えたいと思っていない、本心はボランティアしたくない、でも社会的にはボランティアした方がいいと思っている」という捉え方ができます。
これをメタ認知と言います。
※客観能力の高まり
客観的に自分を捉えられると、いいことをしたい時はいいことをして、したくない時はやめる、やむを得なければちょっと我慢してするなど、応用して使うのも可能になります。
「もはや嫌な人になってやる」なんてこともできますが、これは要見極めですね。
いい人とは精神的悪、社会的善を意味します。
社会的に善なので素晴らしい行為でありながら、精神を粗悪に染める自滅行為にもなり、偽りによって他者の心も悪にする懸念もあるので要注意です。
【いい人は精神的悪、社会的善】
この価値観があると、精神を悪にするか、社会的(頭やメンタルや見かけ)に善を得るかの選択が明確にできます。
目指すものや、いい人をやめる意味がわかるので、実際にやめやすくなります。
※いい人が壊れてしまう詳細は、【受けてばかりはご法度】優しい人が壊れる要因4つ『毒親+〇〇』 をご覧ください。
精神的にいい人(善人)になる
既に社会的に善人であれば、残すところ精神的に善人を目指すのもありだと思います。
ここで着目したいことがあります。
精神的な善とは悪の先(向こう側)にある。
善と悪は言語表現としては対極になりますが、精神理解では対極ではありません。
悪の先に善があります。
※悪を乗り越えて善に戻る状態。時系列や平面の捉え方ではなく、中点から前方上か下に行き、上か下から戻り、中点の中に入って全体をプクゥと広げた球体が善(五次元)
すなわち、善人は悪人を経ているので悪の気持ちをしっかり自覚して持っています。
※この世に生まれた以上、悪人や偽善者でない人は存在しないので、事実と現実を受け入れ乗り越えて善へ向かった意味
精神的にいい人を目指す場合、することは一つ
そのままを認めることが善そのものです。
一切自分の気持ちを誤魔化さず、後ろめたさも罪悪も後悔も何もかもを見る先に、精神的ないい人(善人)の道が広がります。
ありのままの自分を取り戻す方法にもなります。
※優しい人をやめるすすめは、【誰にでも優しくする必要はない】人に優しくするのをやめたらいい理由&アイデア をご覧ください。
いい人をやめるためのポイント:気持ちだけは無視しない
無視とは無責任そのものであり、自覚も拒む誤魔化しも入ってくるので、精神的には明確な悪であり悪行カルマです。
周囲を無視しないようにしながらも、本心や本音である自分の気持ちを無視すると見返りは自分に来てしまいます。
精神は苦しみます。
気持ちを尊重するためにも、自覚が最も重要であり、自覚によって高まる客観視が物を言います。
「あぁ、私は偽ってきたんだ、優しさは偽善だって知ってんだ、ホントは」
「自分を誤魔化して、嫌な気持ちがあるのに隠してきたんだ」
「でも、あの人には本当に優しくしてきたよ」
一つ認めると一つ重荷がなくなり、フワァ。
認めるほどに精神は軽くなります。
その内に浮いて来るというのは冗談ですが、元々(ありのまま)の自分が現れ、「あ、この認めていないゾーンに埋もれてたのね」と気づく日が来ます。
※いい人状態を活かしたやめる方法もありますので、【いい人をやめた結果】難しいけどやめる方法とコツがある をご覧ください。
最後に:いい人をやめるスピリチュアルな捉え方
社会的には善行ですので素晴らしいこと。
「ただ、もう少し自分に起こる影響も配慮するために、価値観を持って自覚しやすくしよう」という内容でした。
いい人を演じるカルマは全て自らの精神負担になり、蓄積を続けた先に我慢は無力です。
しかし、演じても認めていれば自分の気持ちと素直に向き合えるので、生み出すエネルギーは一変します。
とにもかくにも、『事実をそのまま認める』ことに善があり、精神性があり、現実があります。
いい人が本音でも演じでも偽りでも、重要なのは自分のそのままの気持ちです。
この気持ちを無視せず、しっかり捉え、自覚する。
自覚するために善悪の中身を知り、選択しやすいようにクリアにして、後は選んだ道を思いっきり進みましょう。
そのために価値観が大切ですので、ご自身の考えを見つめるためのご参考になれば幸いです。
ありがとうございました。
『心理とスピリチュアルの学び場』
誰しもに人生を変える機会と選択があると信じています。著名な心理セラピストとして知られる、西澤裕倖(にしざわひろゆき)先生プロデュース。
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※これは長期的に本気で変わりたい方専用です。
振動数なんて分かっちゃう北斗さんさすが( ゚д゚)
北斗さんおはようさんです☀️
毎日感じるたくさんの大人と子供の関係や問題、闇、それをよく見つめ、自他の気持ちを無視しないで消化しようとすることに、アップアップの溺れそうな日々…笑
それでもなんとか地べた這って生きてます。
えいやー!もう知らんがなー!
と、放り投げ(気持ちの上で)
スッキリ軽やかに生きたいけど、魂は喜んでるのやも笑笑
疲れてるけど今日もいってきます。
北斗さんいつもありがとう♪
小人さん、こんにちは。
振動数が高くてイイ感じですね♪
感情的にイイ気分であることも大切ですが、大変ながらも現実との向き合いを良い悪い抜きにして謳歌することは、何にも替えられない偉大な価値です。
身体のケアを忘れずに、実りある日々を。