意識、次元

精神性とはスピリチュアル?│実は簡単な意味と大切さ、そしてサービス

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精神性の大切さはとてもわかりにくいものです。

精神という言葉には神が含まれるため、独特で不思議な、宗教的でスピリチュアル的に思えます。

精神は目には見えないもののため、精神性の意味を理解するためには自らの精神を見出して体感する必要があります。

「精神という何かがあるの?」という感じですが、それは在り方であり意識の持ち方。

柔道をする際のお辞儀という行為以上に、行為の意味を知り、行為する自分の在り方に精神性があります。

そんなややこしい、わかりにくい精神性ですが、実はとても簡単な理解だったりします。

ここでは、私の理解ですが、精神性とは何かの意味と大切さをお伝えします。

精神性が高まることで付随する特徴や特典サービスがあるため、お得感満載の精神性を掘り下げていきます。

精神性とは

精神性とは

精神性という言葉には、「精神性が高い低い」という高低の表現が使われます。

精神性は太古からの私達人間の歴史を見るとまざまざと表れ、精神性を重んじて生きてきたことで日本には神社があり、心があり、精神への敬いや自然や他者への配慮があります。

挨拶や礼儀など、精神性を物語る行為は多く日本にはあり、「精神性の高さが表れるジャパン」と思いきや、そんなことはない?ある?

挨拶や礼儀を重んじることは大切ですが、精神性とはその行為の意味を理解し、自らの目で見て、頭で考え、肉体で感じ、心で想い、認識することに意味があります。

そのため、どんな行為をしても精神性があるか否かは完全に人それぞれに分かれ、誰かが無理強いすることは困難なものです。

ここに、精神性のわかりにくさがありますが、実際にはとても簡単なものだったりします。

これ。

精神性とは、自分を自分で認識する意志。

意志がなければ覚悟も責任も決意も自分の意見もなく、もはや生きている意味すらわからないかもしれません。

それは精神性を見失い、精神性が低いも何もなく、”ない”状態です。

精神性がなくても意志がなくても生きられるのが今の時代ならではの楽しさでもあり、今だからこそ味わえ、精神性とかそんなものはポイッと放り投げて快楽に勤しむことも大切かもしれません。

精神性があろうがなかろうが、高かろうが低かろうが、これは人それぞれですが、精神性が伴うことでただの快楽追及にも自分らしさが加わることに良さがあります。

精神性とは : 意志そのもの
※覚悟をさせ、責任を持たせ、意見を持ち、自律を持ち、自立して、自分で自分を認識する意志

かたっ苦しいものではなく、自分で自分のことを認識することは、人生の意味を考え、ご飯を食べている意味を考えます。

ご飯を一日三食頂く意味を自分で考えて感じて想います、それだけです。
今呼吸をしていることを認め、受け入れていることを認識する、それだけです。

自らを認識せずとも行為には及ぶことができるので、起きる事象や結果は何かしら起きます。

ですが、精神性があることで主体性と自立意識がもたらされ、自らが生きたいから生きているように、意志を持って選択し決定し、行動し、創造して人生を作っていることを認知します。

言い方を変えると、自らの人生の主人公になる。

当たり前の話ですが、ここに疑念も疑いも一切ない完全なる主体を見出すのが精神性です。

そのため、もしこの認識が当たり前ではない場合には、精神性が乏しいと言えるかもしれません。

認識が当たり前であれば、精神性に富んだ状態となります。

※意志の詳細は、意志が強い人と弱い人の特徴│自由なる意志を高くする曇りなき口癖 をご覧ください。

 

精神性を高める意志

意志。

これまたわかりにくいものが出て来ました。

ですが安心してください。こちらも実は簡単。

意志とは自分で自分を喜ばせる力です。

自らの行動動機となり、喜ぶためにご飯を食べるように、目的を明確にした動力源。

自らの意志がなければ行動する意味も理由もわからず、何を何のためにしているのかもわからなくなります。

剣道で挨拶するのはルールだと決まっているから、礼儀を重んじる仕来りを守るため、相手を敬う姿勢だと教わったからなどなど、言われたことをするのではなく、自らの理解を持って認識することで精神性が生まれます。

言い方を変えると、「どうして挨拶するのだろう?」の答えを他からではなく自分で見出しているかです。

そのためには、認識する必要があり、そのためには経験し、体感し、考える過程が必ずあります。

他者の意見や価値観があっても、それに従うのではなく、自らの認識を作る材料のあくまで一つとして活用し、自らが認められる価値観を作ります。

それが精神性。

意志が強ければ強いほど、起きることは主体性と創造です。自らを完全なる主観にして創造することで、自分軸ができ、自律にて意志決定します。

ここで意志の強さによって表れる大きな精神性の特徴が出て来ます↓

 

精神性が高いと恐怖に負けない

意志の強さとは言い換えると、自らを喜ばす覚悟です。

そこに自分で自分を認識する意志があることで、自らを喜ばすとは=自ら喜びを作る、見出す、もたらすことを意味します。

いわば他の介入はあっても、他に執着や依存がない状態。

生きているとどれほど自分を喜ばせたくても邪魔があります、執着したくなるものです。

それが恐怖(苦痛回避と安泰願望)。

恐怖に屈服すると、喜びは他者からもらおうとします。単純に楽だからです。

そこに何も悪いことはないのですが、恐怖に飲み込まれると意志がなくなり、他律となり、自立心もなくなる可能性があります。

精神性が物語るものは、恐怖に負けないことです。

あくまで負けないことに精神性の意味があり、強引に打ち負かそうとする行為には恐怖に既に飲み込まれている状態があります。

なぜならば恐怖とは自らの内にしか存在しないためです。

自分で自分を認識している場合、自らをボコボコに打ち負かそうとはしません。

精神性が高いことは恐怖にあくまで負けないことを表し、それは行為ではなく在り方。あくまで自らをどれほど知り、理解し、認識できているかを意味します。

※精神レベルが高い人については、精神レベルが高い人はふざけている│特徴はレベル低い人間性?をご覧ください。

 

精神性の意味とは 要約

これまでの内容を一旦集約します。

実際に大事なことは端的ですので、食パン的にギュッとします。

上述の精神性とは意志であり、自分を自分で認識すること。

これはいわば、自分をどれだけ知っているかを意味します。

意志、認識。
共に自分のことであり意識のことです。

意識があることで物事を自分として認識し、存在することや行為を捉え、意味を見出すことができます。

そこに意志があることで動力となり、自ら行動して生きようとする。行為を作り喜びを発明することで生きている意味にもなり、物事の始まりと加速材のように車を走らせます。

この車が自分。

エンジンチェックできる?という話。これが精神性の意味です。

チェックするからには、チェックする必要性を知っています。そして、方法を知っていることは車(自分)自体を知っています。

精神性とは自らをどれほど知っているか。
精神性が高いとは自らをどれほど知り尽くしているか。

シンプル。

ですが、ここからシンプルをぶっ飛ばします。前進加速、ブロロロロ~。

スピリチュアルを含めていきます。

含めることで、精神性の特典となる付帯サービスがわかります。

若干ややこしくなりますがポイントは同じです、先に進みましょう。

※精神性が高まったサインは、【ステージが変わった時のサイン】孤独と審美眼に人生のイロハ をどうぞ。

 

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精神性 スピリチュアル

スピリチュアルな精神性とは

精神性にスピリチュアルを含めると、自分を知るが→自我意識を知るになります。

意識状態としての己を認知することで精神性が伴い、認知が深まることで精神性が高まっていきます。

意識とは自分の認識の元。

自分には脳があって、体があって、そして心があります。

心技体的な感じで、三位一体。全てを理解することで“自分”を知ることができ、それが自我意識の理解になります。

今存在している紛れもない自分の内側を紐解くように認識することでして、理解と共に精神性が自然と伴っていきます。

それは言わば真理への道となり、最後はパッと消える…なんて冗談ですが、自らの認識力はもちろんのこと、意志を持って、軸を持って、自律を持って、その後に続いていきます。

精神性とは、自我意識としての自分を知ること。

 

精神性は脳の意識を知ること

自我意識の理解に欠かせない初めの一つがあります。

脳にある意識です。脳の中身を物理的に捉え、内部構造や見えない意識である顕在意識や潜在意識、記憶や思考の過程、計算式、答え、そんなものはどうでもいいもんで。

大切なことは脳の中に自分が住んでいること。

「コンコン。すいません、自分ってここに居ます?」

「ん~なに?いるよ私は私でしょ」

「いや、あなた誰?!」となる、自分が二人だもん。

脳内に住むのは別名エゴ、自分を他によって認識する意識。

エゴがいることは誰しも共通、他者から名前を呼んでもらって、「あ、私はポニ子なんだ」と認識する場合、自分で自分を認識しなくなります。

他を介入させることで、区分けや差別や比較をします。そして、他律になり、ルールに飲み込まれたり、軸がなくなったり。意志がなくなり精神性が低くなり、その内になくなっていきます。

自らの価値観も認識もなく、意見も感性もなく、他が主観、他人軸、常識に従い、行為を続ける。

そんなことになりかねませんので、精神性がどれほど大切かわかると思います。

このエゴ、とても邪魔者ですが、とても大切者でもあります。なぜならば自分であることに変わりないからです。

社会環境で生きていればエゴは自然と生まれるもので、自己防衛にて身を護る術でもあります。

自我意識を知ることはこのように、自分の中を区分けするように理解することでもあり、精神性が伴います。

 

精神性は心と魂を知ること

そしてさらに大切な自我意識の理解には心、そして魂。

もちろん肉体も大切。全部を知ることが大切で、肉体は五感があるので認識しやすいです。

しかし、心はどこ?魂って?

このわかりにくさを知ることが精神性を高めることになります。

心を知ることは感性を知り、波動を知り、気持ちを知ることです。

意志を体感することが心の認知となり、魂の声を認識するのが心です。

魂の声とは信念。絶対に曲げられない、確たる覚悟の上で持つ認識です。

これらは自分を知れば知るほどにわかります。

※精神性を高める人か否かの違いは、精神的に成長しない人の特徴は一つ。精神的に成長する方法も一つ をどうぞ。

 

精神性の付帯サービス

精神性が高くなることで、付随するように波動が高まる仕組みがあります。

なんともお得。

波動とは自分の状態表現となるエネルギーです。

人の認識に”良い悪い”があることで、波動が高い低いという概念が生まれ、良いことや悪いことを引き寄せる”引き寄せの法則”や、”幸不幸”への道が作られます。

“良い悪い”の概念は自分にしかわからないことですが、良い悪いが自分の受け入れである波動の高低は全員共通の認識になります。

それは物事を受け入れるかではなく、その物事を経験している自分を受け入れるかどうかであることから、波動の高い低いは“自分を受け入れるかどうか”にてわかります。

自分を受け入れている人は波動が高く、自分を受け入れていない人は波動が低いという共通認識となります。

波動を高めることは、自分を認めて許して受け入れられるか、または他者に干渉や依存や押し付けをしないこと、すなわち、「一人で喜んで生きていけますか?」という質問への、「はい、いいえ」で決まります。

この答えを左右するのが”精神性”でして、精神性と波動の関係が存在します。

 

精神性は見ている世界を広げる

自分の意志を明確にすることは、人それぞれに生きていることを知り、どんな自分でも自分なんだと認めて受け入れることです。

高望みしようが自己否定しようが何でもいいのですが、今この瞬間を受け入れる時、精神性が生まれます。

それは、自分を敬うことであり、頭と肉体と心を大切にして、生きる基盤となる環境を敬い、関わる人を敬います。

精神性が高くなることで、生きている基盤への視野が広くなるため、自分への見方から他へ向かい、さらに環境への視点が作られ、「どうして呼吸できているのか?」「飲めるお水はどこから?」「社会性とは?」と環境を作ってくれていることへの意識が生まれます。

すると自然崇拝や敬いとなり、私達が生まれる前から環境を守ってくれている人達の存在や継承による恩恵、何より地球や自然からの恩沢を受けていることを知ります。

過去の人だけでなく、自分の周囲に居る人や関わりにて生きられる恩恵をもらっている事実に気づくのが精神性による賜物です。

精神性があることは自分の受け入れから視野が広がることを意味し、さらに波動を高めることに繋がり、エネルギーを高めていくことにもなります。

波動が高まるかどうかは自分の話ですので、他を敬うかどうかは必需ではありません。

しかし、波動を高めるためには受け入れ許容を高める必要があるために、自分だけではなくより俯瞰して視野を広げることが大切な理解となり、精神性にて視野を広げることが大きなポイントになります。

今この瞬間を受け入れることは人を敬うこととなり、それはこの先に生まれてくる人達を敬うこととなり、自然や地球を大切にする意識を作る。それが波動を高める精神性です。

※波動を高める詳細は、波動が高い人と低い人の特徴|高めな人は特別おかしいおふざけポンチ をご覧ください。

 

精神性が高いとは

最後に精神性が高いことの意味をお伝えして終了します。

精神性が高い状態は認識を広げることですが、これは言い方を変えると認識に制限や抑制をしないこと=抵抗をなくす状態です。

いわば、認識の縛りを解放して自然な状態になることでして、森や川や海のような自然そのものに近付くことです。

「もう、あなたは木のようだ」

こんな人がいれば精神性の高さを物語るという具合です。

そこで人それぞれの気質や性質、特性や特徴から、風みたい、水みたい、川みたい、海みたい、花みたい、と違いが表れます。

みんなそれぞれの認識と価値観があるため、精神性と言ってもみんな違います。

ただ共通していることは意志。自らを自ら認識することです。

精神性の高さには物事の俯瞰性があり、自らを知っていることはもちろん、そこから他者への視点へ向かいます。

ですが、他者には他者の世界があるため、それらしいことを知ることはできても実際に理解することはできません。

すると起きることは、干渉や押し付けをしない敬い。

他者をそのままに尊重することはまさに自然な様となり、受け入れる許容の広さを物語ります。

精神性が高まれば高まるほどに起きることは、自分の認識から他、それは自我意識から離れることを意味します。

「自分かどうかどうでもいい」と。

これは極端な表現ですが、何もかもに縛りがなく、実体として脳と肉体と心の自分がいるという確実な認識を持ち、主観を自から全体にします。

それは、木から林になり、森になり、そして地球になるように。

全体を自分のように認識することで、自分も他者も同じように敬う気持ちがあり、そこには完全なる心と魂の認知があり、脳も肉体もあり、なければそれまで、という状態になります。

いわば、全部あって全部ない。

 

精神性が高いと自分を神格化する

全体の認識になる人もいれば、自らの内を掘り下げて細胞一つをくまなく理解するようにミクロへ向かう人もいます。

どちらも精神性の高さを表しますが、ミクロへ向かう場合には自らを神のように認知することがあります。

神と言っても全てと一つになる状態の表現でして、「私はあなた」という全体の意識と似ています。

少し違うのは、自らが人生の創造主であり、絶対的な存在である認知があり、そのような絶対的な存在一人一人が繋がりあっているこの世を自分と同じように敬います。

「私は偉いんだエッヘン。神だぞ、崇めろ」という精神性の低い状態とは全く真逆で、「私はもちろん神、あなたもでしょ?」という具合なので、他への愛を持ち、一つ一つの星が私達一人一人であるように、誰しもが同じように神である認識を持ちます。

自らをミクロ化することで、その先にはマクロの大宇宙があったという具合です。

ヤベー奴か、スゲー奴か。傍目にはわからない存在ですね。

※人間性が高い人の話は、人間性を疑うと言われた?人間性が高い人の特徴からわかる大事な本質 をご覧ください。

人間性を疑うと言われた?人間性が高い人の特徴からわかる本質問題を起こす、トラブルを作る、嫌われる。 何かと人間関係にて反発を作る人は人間性を疑われます。 しかし、人間性って何?疑う?...

 

精神性とは まとめ

精神性の話、いかがだったでしょうか。

若干浮世離れした話だと思うので、気楽に楽しく読んでいただければ幸いです。

大切なことは、精神性は自らの人生を豊かにする認識であり在り方、だと思います。

生きている以上は人生の主人公であることは当たり前です。

しかし、さまざまな環境や他者との共存、影響し合い、情報過多の社会では、恐怖は蔓延しやすく、エゴを作りやすく、当たり前が当たり前ではなくなることも。

すると、精神性がある人とない人が綺麗に分かれることが起き、まるで世の中が対極するかのような幻想も起きます。

ですが、精神性を養うためには精神性がない、または低い状態が必要不可欠です。超重要事項。

精神性が低いからこそ高めようと思います。その際の動力が紛れもない意志、精神性の元です。

ないからこそ作り、見出します。それを続けていくことで自ずから精神性が伴い、自分だけの認識から他者への視点となり、他への配慮や尊重に繋がります。

悩みがなければそれでいい。あればそれでいい。

ないならないことに意味があり、あるならあることに意味がある、そんな精神性。

精神を知る一つの考え方となれば幸いです。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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