好かれる人

好かれる天然と嫌われる天然の違いは明確に一つ「エゴ」

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「冷たっ!」

水をかぶった女性は言いました。

「なんかちょっと甘い」

天然という自然なさまは、まるで虫と関わるように、植物と触れるように、心が洗われる清々しさと心地良さがあります。

一方、「めんどくさい、空気読めな過ぎ」と心地悪さを与える場合もあり、好かれる人と嫌われる人が両極端に分かれます。

どうして好き嫌いが分かれるかの理由には、一つ明確なことがありそうです。

ここでは、好かれる天然と嫌われる天然の違いからわかる人間理解をお伝えします。

  • 天然は基本的に好かれるのか嫌われるのか?
  • 好かれる天然と嫌われる天然の違いとは?
  • 天然キャラを演じる際の重要点とは?

天然の大切さを損なわないためにも、天然性に潜む明確な違いと、キャラを演じる際の理解が一つの考え方としてご参考になれば幸いです。

好かれる天然

天然は好かれる?嫌われる?

自分のペースがあり、世界があり、自己認知が高く、自らの存在や価値は自らが見出し認める天然な人。

人間ですから、人に好かれも嫌われもします。

しかし、天然なさまは基本的に好かれると考えられます。

天然とは自然、ナチュラルです。

ナチュラルとは流れであり、留めず、滞らず、スーと自分や相手や物事を流します。

私達関わる人は違和感や抵抗を感じず、受け入れやすくなります。

「この人はこういうものだ」と、妥協や諦めではなく、その人をその人として認めて受け入れたくなるさまが天然性。

そこには自尊、常識、他への配慮、信用があり、穢れのなさ、見えざる恩恵を人に与える人間性があります。

では、どうして嫌われることがあるのでしょうか。

抵抗が作られるためです。

 

天然は基本的に好かれるが、天然性がないと嫌われる

天然性の真逆、物事を流さずに止める拒否は、「この人はうざい、嫌いだ」と抱く原因になります。

天然なのに天然性がないとは奇妙なお話です。

天然性がない天然人など存在しませんが、自らを偽り、演じ、キャラを作ったり、天然と言われて自己認知がブレ、「自分って一体何だ?」と考え始めると、嫌われる抵抗を作ります。

好かれる天然と嫌われる天然には、[天然性有無=人間関係を流すか、抵抗を作るか]の違いがあります。

 

好かれる天然と嫌われる天然の明確な違いは「エゴ」

天然性有無となるのが、エゴです。

好かれるか嫌われるかの理由に、「本当に天然?偽物?」の違いは大きなことではありません。

本当に天然な人でもエゴの度合が人それぞれにあり、エゴがなければ天然性が強いために抵抗を作る可能性が限りなく低く、エゴがあれば抵抗を作るという具合に変わります。

ここでお伝えする考え方は、[天然性が高い=エゴが少ない]というものです。

 

好き嫌いを左右するエゴとは?

エゴ(我)とは一言でお伝えすると、自分のことを他によってあえて見出そうとする意識です。

エゴが強ければ強いほど、周囲の他者や他の情報を含めて、比較や照合、差を作った優越の度合を図り見出し見出させ、自分の存在を認めようとします。

結果エゴイズムになり、他を含めた上で自らを中心にし、他者を利用し、干渉し、承認欲求を強め、マウントをとったり、他との比較にて優越し、反対に劣等し、独自性を見出して喜んだりと、人それぞれに我の強さが表れます。

エゴが少ないと他への干渉がなくなり、比較しない、執着しない、他者を変えようとしません。

その人をその人として認め、自分のことは自分で認める在り方を表します。

自己認知が高くて他を介入させないので、マイペースで自分の世界を持ち、興味のある事には集中し、なければ興味を持たず、わかることは熱中し、わからないことは上の空、気づけばぼーっとしており、突然の鼻歌ピープーパープー。

自らへの誠実さが表れ、考えたり感じたり思ったりの認識に真正面から向き合い、自分を信じて疑わず、疑いの概念を持たずに他者も信じる自然なさまとなります。

※天然な人の特徴と詳細は、本物の天然の特徴15選&見分け方【天然性のスピリチュアル理解】をご覧ください。

 

好かれる天然はエゴが少ない

エゴが少ないと人間関係で抵抗が起きにくくなります。

マイペースで他者との協調が合わない時もあり、突然無我夢中にブンブンとエア素振りを始めたりしますが周囲の反応はよく見えており、「へへ、急に素振りしたくなっちゃった」とニコニコします。

他者の中で自分を中心にするのではなく、一人一人が自分という世界の中心者という認識であり、他者に干渉せず関わるのでとにかく自由

自動販売機を見て、「あ、なんか飲みたい」と思うのではなく、「なんか急に濃いお茶が飲みたい」と思い立って、お茶屋さんを探し出すイメージです。

したいことはする、わからないことに興味はなく、思ったことは自然と口から漏れており、自分の認知と世界を大切にします。

この天然性によって、「私は私、あなたはあなた」という関わり方となり、他の意見や常識とはかけ離れた独自性が突然ボケのような、人々が予測できない言動になり、周囲の興味をそそります。

相手の反応にて自らを持ち上げるための言動ではないので、どうしてみんなが笑っているのかわかっておらず、小動物のようにキョロキョロしたり、疑いや演技がなく、そのままをそのままに見て・捉えて・反応する自然さは好感を与えます。

 

真面目な頑張り屋はどこに行っても人気者

エゴがない人は他と比較しないので、自分が周囲にどう思われているか考えません

天然だと思われていることが驚き。

他者からの見られ方を気にしないので、社会性が必要な場面では仕事のミスをしたり抜けたところがあります。

わざとミスをしているわけではなく、ミスによって他者に迷惑や変化など干渉が起きた場合には、反省する目線を持つのがエゴがない人です。

自らとの向き合いは本当に真面目で、起きたことを自分なりに理解しようとする頑張り屋。

この姿勢は素直に一生懸命に取り組むさまとなり、どこに行っても好感を与えます。

※好かれる天然の育ち方は、【希少誕生過程】天然な人の育ちはオープン&ワイルド をご覧ください。

 

気楽で付き合いやすい

他と比較しないので自覚がなく、「あなたは頭がいいよね」と言っても、「えー、そうなのかなぁ」と謙遜でも何でもなくわかっていません。

頭のよさはテスト勉強やIQ測定ではなく、頭を使うかどうか次第で表れるのが天然な人。

興味があれば没頭して極め、興味がなければ既におまんじゅうを食べて上の空ですので、興味有無で頭の使用有無も極端です。

楽しいものであれば無制限に知性と感性を発揮し、とんでもなく頭がいい分野がありながら、何も知らない分野もあります。

極端になりますが、天然の人が頭を使用し続ければとんでもない地頭の良さが表れ、誰しもが納得の天才になるかもしれません。

そんな才能を持ちながらも自覚がないため、優越して上からマウントを取るなどがありません。

価値がある貴重な人でありながらも、誰しもが関われる付き合いやすさがあり、好かれます。

 

人為的な人からは嫌われる

天然で好感があると言っても、誰からも好かれるなんてことはありません。

なぜならば、めんどくさい一面もあるからです。

一緒に過ごす時間が長いと、理解困難な言動の多さに付いていけないだけでなく、疲れます。

理解できないさまは、めんどくさい、疲れる要因となり、嫌う理由になります。

特に人為的な人は、天然な人の真逆であるため、全く理解できず困惑ばかり。

物事を正しいか間違っているかのルールを基準に物事を捉えるため、天然な人の訳がわからない言動に翻弄されやすくなります。

「なんで、片目だけ化粧してないの?意味わからん!」

「アイスがポタポタ垂れて服が汚れてるっ、なんで気づかないの!」

支配やコントロール欲が強い人、または物事を把握していないと不安で怖くなる人は、天然な人の訳がわからない言動にイライラして嫌います。

従わせたり、相手を強引に変えようとする場合には、天然な人は聞く耳を持たないので上下関係では嫌われやすくなります。

※メンタルが強いがために嫌われる件は、本当にメンタルが強い人はかなり嫌われる「でもそれがいい理由」をどうぞ。

 

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嫌われる天然

嫌われる天然はエゴが強い

天然性が低いとエゴが強く、嫌われる天然になります。

天然性がないからこそキャラ設定して天然感を欲する場合、演じる人は嫌われがちです。

演じない本当に天然な人もエゴが強くなることがあり、嫌われます。

共にエゴを強める原因となるのが、自分がわからなくなってしまうことです。

 

自分を見失うと自然とエゴが増えて嫌われる

天然を装って演じても、その自分を自分で認めていればエゴはありません。

しかし、認めることは自分がないと認めることなので、そうそうできません。

見ている人側からすると、「なんだこの天然キャラ作りは?奇妙だ」となってしまい、人の内面を見ている人からは違和感による苦手意識や気持ち悪さを抱かれます。

[天然キャラ=自分を見出す利益]という認識。

天然っぽさによって独自性を得て、個を見出し、パーソナリティを強調し、存在確立を主張。

キャラを演じる時間が我を主張する時間になり、「天然性」という中身の性質ではなく、「天然っぽさ」という外枠を付けるジッパー付きの着ぐるみになります。

「私は着ぐるみ来てますよー」と言いながら演じていればエゴはありませんが、着ぐるみ着用を認めずに、着ぐるみによって得る恩恵だけ得ようとしたら嫌われるというものです。

自然とは真逆な状態です。

 

嫌われる人は「天然っぽさの利益」を欲する

自分を見失うと天然のさまにて利益を得ようとするので、人との関わりは自分のための利用になります。

  • 自分を見出すためにマイペースなさまをあえて他者に披露し、反応を求める
  • 自分の存在を認識するために突拍子もないことをあえて言い、他者の反応を伺う
  • 自分の価値を認めてもらうために独自の世界観をあえて奇抜に作り、他者から肯定や承認を得ようと目論む

全て執着と言います。

「天然=利益」と考える思考は、他者に干渉して、介入して、評価を得て、肯定を得て、存在認知して、意義を見出し、満足しようとします。

見ているのは自らの利益であるために、他者への配慮や気遣いができず、あえて常識とは違うことをしたり、わからない振りをしたりと、何をしても良いと思いますが、他を含めた中で自分を中心にすると利己的で自分勝手になってしまいます。

 

本当に天然でも、周囲の声を聞き過ぎると嫌われる

演じない天然はとても貴重な存在で、絶対数の少ない稀少価値があり、嫌でも目立ちます。

すると本物の天然であっても、自分のことがわかりにくくなるほどに他者から影響を受け、エゴが作られる場合があります。

基本的には自分が絶対的ですので影響されにくいですが、あまりに多くの人や身近な人からネガティブな意味で天然天然と言われ続けると、「私って一体何?」となる可能性があります。

自分という存在への過剰な干渉が続くと、「天然な自分が嫌いだ」と自らを嫌う可能性もあります。

天然な人は周囲の影響があっても、最終的には自らが自らの意思を持って在り方を決める人ですので、周囲からの評価付けや決め付ける干渉が多いと、ジレンマや葛藤である障害が自己内部に増えて苦しみやすくなります。

※好かれる嫌われる違いの本音は、はっきり言う人は好かれる。特徴と嫌われる人との違いは本音有無 をどうぞ。

 

天然キャラを演じる際の重要点

演じる行為自体がエゴの増長となり嫌われやすくなりますが、キャラ作りとは大切なものですので、嫌われる際には大切なことがわかります。

「これはキャラ作りの演技だ」と自覚した上で全うすると、エゴにはならず嫌われにくくなります。

キャラ演じは外枠でしかないことを理解し、中身はあくまで自らしか見出せないと自覚すると自分のためになります。

演者だと認めてキャラ作りすると、演じながら中身ができていきます。

演技だと自覚して、わざと道を間違えて迷ってみます。
その際は相手の反応を伺ってはなりません。利益取得目的が見え見えになります。

「自分が演じたいから演じている」という自覚を持ち、「相手に認めてもらいたいから」はやめます。

会話中にわざと鼻歌を歌い始めてみます。
「あ、ごめんごめん、急に自分の世界に入っちゃった」なんてことは言ってはなりません。

「フンフフーン、そうだよねあの人の目の下の掘りってさぁ」と何もなかったかのように相手の話しをちゃんと聞いて、話しに合わせていきます。

独自性を作って披露し、「独特だよね」と言われても喜ばず、「そっかぁ、まぁみんな独特な気もするけどね」と言っておきましょう。

相手の反応にて利益を得ようとすれば直ぐにバレて違和感だらけです。自分をあえて見出そうと頑張ると知らぬ間に人を利用します。

キャラ演じは中身を見る人には初めから通用しませんので、外面重視の人に対して行うようにし、自らを演者と認めた上で演じると、相手に嫌われずに利益を取得できたりします。

※キャラを作る詳細は、自分のキャラがわからない時に一度考えたい│キャラは存在しないから作る をご覧ください。

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好かれる天然と嫌われる天然 まとめ

明確な違いの表れとなるのがエゴという考え方です。

純粋に天然な人と、天然性を求めて外枠を欲する人(または天然性を失って外枠を探す人)では、エゴがないかあるかで真逆の意識状態だと考えられます。

天然性がある人が天然性を見失うと勿体ないことになってしまいます。

実際には見失ったと思っても常に自らの内側に天然性を保持しています。

周囲からの影響に翻弄されると見えにくくなってしまうので、ご自身を見つめ直すことで元の純粋なエゴのない人に戻ります。

天然な人は信念があり、自己認知を重んじるため、自分のことを変えようと決め付けて押し付けようとする干渉に対しては、はっきりと拒否します。

「あなたは天然だ」とただ言われれば気にしませんが、決め付けられれば、「違う」と言います。これが好かれる人間性にもなる大切なものです。

基盤はエゴではなく自分。

好き嫌いの違いは意識の違い。はっきりと線引きすることで天然の本質を知り、レッテルをなくし、大切な存在だとわかります。

よりキャラ作りの利益抽出にもなればと思いますので、天然性にあるエゴの有無にて違いを知る内容となれば幸いです。

最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。

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