心理と特徴

「どうしてそんなにあっさり?」魔性の女の心理と正体は“執着”

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魔術を用いた魅力、夢見の世界に誘われ、気づけば裸で綱渡り。

「わぁ、褒めてくれたぁ」と思ったのも束の間、いなくなった。

まるで必要ないと見極めた瞬間に捨て去る所業、パパッと物事を判断して、一切執着しないさま。

あっさりしています。

「なんてドライなんだ、人の血が流れていないのかい?」と思うかもしれません。

しかし、執着しないことは仏教で言う涅槃への条件、なくてはならない心の静寂への必須項目。

魔性の女、悪魔なのか聖人天使なのか、よくわかりません。

そこで、魔性の女のあっさり具合を洞察すると、心理的な正体が判明します。

  • どうしてあんなにあっさりしているのか知りたい
  • 魔性性質の心理を知りたい

「あっさり」したさまに潜むのは、人間の基盤となる執着有無。

紐解きは心理と精神をまざまざと知る人間理解となりますので、一つの考え方としてご参考になれば幸いです。

それでは、魔性界へ向かいましょう。

魔性の女があっさりしている理由と心理

魔性の女の最も大きな特徴

※「魔性の女」。以下、男も含めた魔性の性質(在り方)をうたいます。

魔性の女にはさまざまに男や女をこねくりまわす特徴があります。

自己愛の強さ、自由奔放、切り替えの激しさ、主導権を狙う心理、ターゲット認知時の豹変、関わり方のパターン化、子供っぽくて大人っぽいギャップ、否定と肯定テクニック、自信、目力…etc。

さまざまにある中で、最も人間味を表しているのが、あっさり(ドライ)。

魔性の女はとてもあっさりです。

「どうしてあっさりしているの?」を紐解くと、あることがわかります。

 

魔性の女があっさりしている理由と心理10選

理由となる心理がありますので、詳細を順番に見ていきましょう。

1、自分への興味が強い

自分がいなければ成り立たない、人を思うように操る、管理するなど、世話することでの成功体験や経験が多く、自分という存在への高評価、価値の見出し、見返りを得るべき肯定、自信がある特徴です。

物事を自分基準で上下に見る認識ができ、自分が中心でありながら自分を[上、大切、必要な存在]とします。

自らが喜ぶのはもちろん、「関わるなら喜ばしてね」というスタンスになります。

 

2、人間に興味がない

自分基準の見方があるために、基準にはまらないと興味を見出さなくなります。

その人をその人として捉えるのではなく、「人間」と一括りで捉えることが多く、道具や物に見えてきます。

魔人ブウが人をチョコレートにして食べるように、自らに利益をもたらさない限り、興味が出ない特徴です。

 

3、主導権を持ちたい意欲

利益があり、自分の基準にはまる人を見つけると、ターゲットを狙って豹変します。

この場合、主導権を持てるかどうかが一つの大きな基準になります。

「わからない、どうしよう」と思うことがなく、「わかる、こうすればいい」と思えることが多い状況を欲します。

主導権を持てない、または持てなくなった瞬間にあっさりと関わらなくなります。

 

4、自己愛による欲求の強さ

自己愛の強さによって、自分への興味が中心になります。

自分中心への固執が起き、「他は自分に何をもたらすの?」という見方が恒常化し、人に対する評価判断の見方が癖になります。

利益をもたらすの?
刺激はあるの?
私は満足できる?

認識の在り方によって、利益がなければ関わる意味も必要性もなくなり、あっさりします。

 

5、自分への影響度を計算する癖

「この人はどれだけ私に影響を与えるかな?」という人の見方をします。

利益を得るだけではなく、不利益があるかどうかも重要視し、関わって主導権を握られる可能性があれば魔性を出さずに静観。

勝てない戦には初めから手を出しません。

不安や恐怖を与えられる可能性、テリトリーを侵害される可能性、自分を変えられる可能性など、自分に変化を加えられることを嫌がり、人を見極める癖ができます。

 

6、他に従順しない

自分が絶対的であり、自らの経験や記憶による観念や思考を正とします。

「これをしたらどう思われるだろう、やめた方がいいかな?」という恥や羞恥への崇めがなく、自分の意見を持って貫きます。

勝てる戦にしか参加せずとも、後ろめたさや罪悪は皆無。中身のない肉体を着ていません。

常識やルールで縛れないため、ドライであっさりしたさまが強まります。

 

7、人間の弱い部分に着目する癖

我、欲、執着、依存、弱さ、ヘドロ、汚れ、穢れなど、人間の弱い部分を見過ぎた特徴です。

弱さに着目する癖ができ、自己価値が高いために汚れの中から如何に美しさを見出すか、そんな自己認識を重んじます。

弱い部分を把握しておくと、主導権が握れてこねくり回しやすいので一石二鳥。

一方で、人間に興味を持つ理由が見出しにくくなり、「汚れたブタね、可愛いの、どうなの、答えてみな」と下に見ながら、自分で利益を引き出して興味を創造します。

 

8、切り替えが激しい

子供っぽくて大人っぽい、素直でひねくれ、明るくて暗い、笑顔と狂気、自由でありながら選別する。

自己愛と欲の強さによってポジティブな面がありながら、汚れを見ながら人間を使用するネガティブな面があり、陰陽を兼ね備えます。

自己内部の陰陽切り替えが恒常化すると、感情と思考の変動が激しくなり、情動的でクールになったり、衝動的で熟考したり。

人を不安にさせて喜ばせ、褒めて焦らしたり、肯定と否定を切り替えたテクニックができ、そんなさまを面白く感じます。

 

9、心を開かない

あっさりする大きな理由が、心を開いて人と関わらないこと。心を開くのは自分の興味と利益が見える時に限定されます。

心に傷を負い、対処しにくい困惑を感じたり、どうすればいいかわからない感情の翻弄がなくなるため、自分を制御しやすくなります。

人間をコントロールして刺激と満足を得て、主導権を握るためにも、まずは自分を制する順序があり、方法が心の閉じ。

人を敬わずに道具として見るために大切な方法です。

 

10、根源的な暇

心の奥底に拭えない「暇」があります。

刺激を欲する動機となり、人間に興味を持たなくなる理由の一つでもあります。

この世や人間に対する期待の喪失、「こんなもんか」という思いが暇を作り、子供の頃から蓄積し続けていると考えられます。

「大人ってこんなもんか」
「親ってこの程度か」
「男ってこれだけか」
「女ってこれだけか」
「人間って」
「社会って」

愛が強すぎる人間性、または愛をたくさんもらった幼児期があり、愛を基準に物事を捉えることで落胆のさみだれ、台風、雨嵐。

期待と喪失のギャップが、「けっ」と唾を吐きながらも、その中で生きていかなければならないことを認め、根源的に大きな愛を貰うことを待ち続ける心理ができ、「暇」になります。

愛の片鱗にも触れない人間模様を見ていると反吐が出ますが、生きるために楽しみを自ら見出す関わり方をします。

一方でそんな悪に身を預けた自分を見続けているため、実際に愛のある人が表れると関わらないように距離を置く反発、矛盾が起きます。

以上が、魔性の女があっさりする理由でした。

 

魔性の女の正体は“執着”

魔性の女は執着しない

あっさりでドライなさまは、一切執着しないことに起因すると考えられます。

私達人間は執着を手放すのが難しく、特に孤独を怖れたり自己理解が足りないと他人に執着したくなり、人によっては怠惰に浸かると依存し、不変を欲します。

人それぞれの状況や環境次第で執着と依存は善悪が分かれ、赤ちゃんが母親に依存(反対も然り)するように、生きるためになくてはならないものでもあります。

魔性の女はきっぱりと執着しません。

人間に興味なく、切り替え激しく、心を開かない選択が容易になります。

これをするのは難しいですが、魔性の女は自己価値が高く、自分という存在をはっきり認知し、他にすがる動機を持たないために成し得ます。

自らを認めるのは他人ではなく自分であり、強味も利点も能力も才能も把握し、生命や生活に明確な責任を持つ、そんな幼少期からの経験の賜物があります。

執着しないので、初めから他人に期待しません。

手のひらで踊り狂うさまが面白いのじゃ、でも二回目も同じ踊り方されるとつまらない、ポイッ。

「よし、次のやつを持ってこい」と殿様気分ではないのが魔性の女。

あくまで喜びや安心の利益は自分で見出し作ります

あくまで不安や恐怖の不利益は自分で見極めて判断します

全て自分で発見し、見極め、関わりを持ち、利益を見出し、価値を作り、絞り取り、ギュウっとやって何もでなければお別れ、バイバイ、この世にはまだまだ人間がいる。

無駄がありません

まるで仏教。

いただいた食事の洗いは水一杯、片付けと保管は布一枚で終わる、合理的で実用的で節約的で客観的。

自分の認識、在り方、見られ方をよく知らなければできません。

自己理解に基づく他者認識の高さ(自分を外側から、全体から捉える力)が伺えます。

しかし、一点気になるところがあります。

 

魔性の女は自分への執着が強い

執着しないのは自分以外の他に対してですが、自分自身への執着の強さがとても顕著です。

自分自身への執着とは、既存の造形を初め、能力や才能など生まれてからこれまで育み構築してきたものでもありますが、

最も強い矛先は過去です。

過去の記憶に対する執着が強い、どうやら仏教習いではなさそうですね。

執着とは自分に対するものと、他に対するものの二種類あると言われています。

自分に対するものの中でも、過去に執着する場合、大きな特徴が表れます。

常に何かを追っている(または追われている)在り方

自らを縛るルールを課している可能性があり、「本当はこうしたかったのに…」「こうなればよかったのに…」

「でもならない」

「それならば、このしょうもない世の中を生きてやるよ、なぁ」と誰かに言い放つように、どこか人生に希望を見ていないふしが。

大きな落胆を味わった過去。それでも自分の力で生き抜かなければならなかった過去

他に執着しない強さが裏目になり、過去に囚われる自分を認めやすくなります。

人生に対する落胆や、汚れを見続けた時の世界観がある場合、生きることが闇になり、「闇の中で如何に光を持って生きるか」という宿題を自ら作ります。

過去への執着は人生の見方や生き方にも執着し、闇の中で生きる力を付けて、魔性性質を導きます。

闇の中で如何に光を導くか、そんな生き方は強さをもたらすだけでなく、自信と価値を見出す洞察力や創造性、他者と社会理解による利益の抽出法、こねくり回し法を提唱できるほど。

こねくりポーションをぶっかけた、まるで魔術にすら見え、人々は嫉妬混じりにこう称えます。

「これが、魔性の女だ」

こねくりポーションにて夢を見させ、人の心を掴んで離さない魅力になり、関わる人は自己価値を見出してもらえるので執着する。

執着させることで魅惑のお城に入れ、後頭部を叩いて口からキャンディを出させる、ペロちゃんファクトリーを作ります。

ほら、ズシ、ポイ。ほら、ズシ、ポイ。ポイ、ポイ、ポイ。

魔性の女は、過去への執着と他に執着しないさまから織りなすファンタジー。

正体は執着有無による二元化の矛盾。この矛盾が矛盾した人間社会に合致しやすく、利益を見出せると考えます。

 

魔性の女はいつでも天性の女になれる

これは私が出会った魔性の女の理解ですが、いつでも魔界から出て、天界へ行けます。

行く必要は人それぞれですが、行く場合にすることは一つ、心を開くのみです。

方法は二つ、愛のある人と関わる、または過去の執着を手放すことです。

過去への執着が強ければ強いほど、落胆の中で自己愛を基に利益を作って生きます。心を閉じながら人間と関わって利益を見出します。

[自己内部に執着する+自己外部に執着しない]と、心を閉じて内側に大きな愛を保持し、自分を大切にするために洞察力と創造性を高め、関わる人を見極めて巧みに翻弄して、手のひらコロコロします。

手のひらコロコロで遊びたくない、そんな暇つぶしは嫌だ、いわゆる我欲の汚れで美しさを見出すことに喜びがない場合、人によって回避依存症である方もいると思います
※他人と精神的に親しくなるのを避け、自分の精神を保とうとする状態

そんな魔性性質を使う人は、愛がある人と関わると忙しくて仕方ありません。あっさりではなくドギマギします。

愛が内部で暴れ、かき乱されます。

魔性の女は人一倍愛が強いです。

人一倍心が大きいです。

「もういいや、開けちゃおう」と心を開けば魔性の女は天性の女、まるで天使のように穏やかで温かく、愛が解放されます。

愛の強さは執着によって姿形を変え、魔界にも天界にも行ける人間だと教えます。

 

魔性の女はあっさりして執着しない まとめ

過去に執着し、他に執着しない結果、あっさりという魔性の女の内情が作られる、というお話でした。

魔性性質は誰しも使えるものではなく、愛と欲の強さが欠かせません。

同時に執着心の強さによって魔性の力は最大化され、手のひらで10人くらい同時ゴロゴロできます。

手のひらに穴を作ったら面白いということで、そんなゲームができたとか何とか、昔の話です。

良いも悪いも人それぞれの価値認識次第ですが、魔性の女は他人の執着心を煽り、引出し、本人の代わりに捕まえて、「はい、あげる」とプレゼントします。

「わぁやった」という人はいませんが、執着とは囚われて心が離れないものですので、渡される側はその瞬間に離れられなくなる箱の中、夢想の中で笑います。

人の行動力を引き出す力でもあり、特定の人間を執着させる力。依存させないのが特徴的。

そんな魔性の女の正体は、自分と他人の執着を織りなす心理模様。

執着有無が混ざり合うことで、「人生、自分、人間、この世」という大きなテーマの捉え方に影響を及ぼし、幸か不幸か過去によって作られた軌道を生きていきます。

根底には誰よりも大きな愛があり、人生を自力で生きてきた経験による恐怖があります。

愛とは恐怖を内包した現実を見る力。恐怖があるから人を闇へ放り投げる、のではなく、恐怖があるから本当の愛を持てます。

いつでも切り替えられる魔と天。

魔性の理解が深まれば何よりです。

それではありがとうございました。

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※これは長期的に本気で変わりたい方専用です。

POSTED COMMENT

  1. ちっち より:

    面白過ぎて笑ってしまった記事です!

    文で、
    ————-
    あくまで喜びや安心の利益は自分で見出し作ります。
    あくまで不安や恐怖の不利益は自分で見極めて判断します。全て自分で発見し、見極め、関わりを持ち、利益を見出し、価値を作り、絞り取り、ギュウっとやって何もでなければお別れ、バイバイ、この世にはまだまだ人間がいる。
    ————-
    こんな表現が出来る北斗さんは素晴らしいです!
    要素たっぷりの人からの見え方を学べる記事です!!(^^)

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