人生哲学

【負けるが勝ちの本当の意味】人間関係は負けてあげられる人を目指す

テイテイッと、この世で唯一勝負できる対象。

“自分”

自分との戦いだからこそ意味が大切になる、「負けるが勝ち」という言葉があります。

勝つ以上に難しく、重要アイテムになる、負け。

負けの先に待っているのは勝ちゲーム。この真意とは何なのでしょうか?

ここでは、負けるが勝ちに潜む意味と、人間関係に重要な活用法を見ていかれてください。

  • どうして負けるが勝ちなの?
  • 負けるが勝ちの本当の意味とは?
  • 人間関係を勝つメソッドとは?

これらを紐解き、「人間関係は負けてあげられる人を目指すといいんだ」と知っていただく内容となっております。

私達人間は「負け」を毛嫌いするルールがあり、あらゆる邪魔となる抵抗を知らぬ間にたくさん作っていたりします。

邪魔を撤廃し、人生を勝ちゲームにするためのメソッドが、一つの考え方となれば幸いです。

「負けるが勝ち」の意味

負けるが勝ちの意味

初めに、どうして人生や人間関係にこの言葉が関わるかを知っていただくために、言葉から紐解く意味をご覧に入れます。

辞書にはこのようにあります。

負けるが勝ちとは、
つまらない争いは避け、その場の勝ちは相手に譲るのが賢明で、最終的な勝利につながる。
※引用 コトバンク

どうして負けが最終的に勝ちになるのか、なんともわかりにくいものです。

【勝負事は勝ちが良い、負けは悪い、勝ちが優越、負けは劣等】

ルールや先入観ではこの概念が濃厚だと思いますので、できれば勝った方がよさそうですし、勝てば何かと利益がたくさんあります。

なのに負けたら、後々は勝ち?

私達人間は他との比較によって能力や価値を認識できるので、勝負によって自己評価や自信を付けたりなくしたり、自己像を捉えて自分を見出したりなくしたりします。

勝つと自らを認めやすく、評価査定が上がり、自己価値を高く見出します

負けると自らを認め難く、評価査定が下がり、自己価値を低く見出します

「私は百億円の価値!」
「うぬは800円なり~」
「あっしは5円あれば十分かと」

ポイントとなるのが、勝てば誰でも認められ、負けるのは認めるのが難しいことです。

「負けるが勝ち」の意味として考えられるのは、難しいことをして自らを高めた方が、最終的に勝てる力を育める点です。

 

負けることができると勝つための力になる

勝っても負けても起きる結果が現実としてあります。

しかし、現実を現実にするかどうかは私達個々の認識に委ねられており、リアルを湾曲させて思い込みや自己都合の捉え方もできます。脳はいくらでも都合よく使えます。

勝った時、リアルをクニュクニュと湾曲させたくはありません。現実をマジマジと見つめ続けたいくらいです。

嬉しくて満足、周囲も称賛してくれて、他者が認めてくれる。まるで自分で認める必要すらないほどに、簡単に認められます。

「やった、勝った」以上。

ところが負けた時は、ズーン。

嫌だ、認めたくない、見たくない、拒否したい、苦痛、辛い、起きなかった、なかったんだ、そうだ、なかったんだアハハー。

現実を誤魔化し、まやかし、嘘をつき、逃避し、思い込みを強め、疑似現実を作り、空想に入り、自己世界だけを見ていたくなります。

自分を否定する材料になり、能力や価値がないように思え、他者から否定される可能性すらある。

負けた現実を認めるのは難しいです。

中には断固認めない人もいます。

プライドが高く、誤魔化しが多く、頑固な人ほど、負けを認めずに現実が現実にならなくなります

 

勝負は相手と?自分と?

戦いは相手とのものに思えますが、負けを認めて現実が現実に近づくにつれて妙なことがわかります。

他者と勝ち負けゲームをしていたのに、本当に起きているのは自分の作った現実に対しての向き合いであることです。

[他者vs自分]

[自分vs自分]

負けることができると、自分にとって認め難い嫌なこと(恐怖心)と向き合う意味になり、大切な経験が展開されます。

恐怖心の味方化です。

 

恐怖心を味方に付けると、勝つための力になる

嫌がり、怖れ、危険を感じ、拒否したくなる気持ちに、恐怖心があります。

認め難いものほど恐怖心があり、現実を現実として認識できなくなり、自分に対する嘘や誤魔化し、現実逃避や思い込み、プライドや自惚れが増え、生きる世界は疑似現実になっていきます。

負ければ恐怖心を味方にするチャンスを得ます。難しいことができた先には、現実を現実にする力の高まりがあります。

真っ暗闇の道を一人で歩けなかった。だけど恐怖を認めるとただ暗くて見えにくくて、妄想を広げていただけだとわかり、普通に歩ける。なんてイメージです。

「失敗は成功のもと」と言うように、失敗を認められるからこそ現実を見つめ、不具合を捉え、理解を広げ、改善や向上へ向かい、さらなる経験と能力アップをもたらす行動へ向かえます。

自己理解、成長による変化の作り出し、人生を自ら作り出す創作・創造性の強化。

経験測に基づく理解と学びは、知識や能力を持つ基盤を作り、より自分を活かした能力の高まりを作りやすくします。

外側に筋肉をつける筋トレではなく、身体の仕組みを理解して体幹を鍛えるさま。

見栄えのエゴマッスルではなく、ガチのジャングルターザン。ウラーラー。

実践的で本質的な筋肉が付くため、最終的に勝つ力となるのが、負けを認める恐怖心の味方化です。

※負けたくない心理の詳細は、【自分に負けたくない気持ち】勝ちたいわけではない大切な心理 をどうぞ。

 

ポイント:勝負する二つの意味

ここで一つ明確にしたいのが、「何のために勝負するのか?」に対する理解です。

大きく二分けされると考えます。

勝負する理由と意味
  1. エゴの増殖
    (他との比較や区分けによるシーソーマインドの変化、自己の外側装飾増減)
  2. 自己創作
    (自らに変化と経験を加えるリアリティの増加、自己の内側構築のディーブネス)

 

①エゴの増殖は筋トレでムキムキにならないと意味がない

勝負する意味が社会的価値となり、全て自分以外の他によって勝負の意味を見出してもらいます。

他のルールや認識や価値観や評価査定を得て、[上下、高低、正否、良悪、優劣]を作ることでのマインド変化を楽しみ、利益を得るゲーム。

勝てば他を下・劣にして、自らは上・優になるのがルール。負ければ反対。

勝つと得るのが、他との区分けの明確化によるルール上の優れた自分。別名、肩書き、着ぐるみキャラ、固有名詞、他によって見出す何者かである自分と付属する利益です。

負けると得るのが、ルール上の劣った自分。他によって見出す何者かである自分です。

この場合、負けを認めると評価や価値を低くして自己否定、自己撲滅活動になってしまうのでしたくありませんし、するべきではありません。

自分との向き合いが起きないように自己防衛が稼働し、恐怖心を有耶無耶にして現実を湾曲化させる自己愛の形になります。

エゴです。

勝たなければ現実を現実にできなくなり、条件や制約の厳しい中で勝ちにしか価値が見えずらくなります。

勝ち取れば勝ち組、負ければ負け組。この条件下では必死になってでも他者を蹴落とす理由があります

 

②自己創作は勝っても負けても自分のためになる

勝負の意味が完全に自分の認識が主体になり、勝てばどういった経験となるか、負ければどういった経験となるか、本人のみが理解できる実体験による学びとなります。

自分の内側を彩り明確にするため、勝負によって得られる経験測、現実認知材料、自己理解の学びを楽しむゲームです。

他との比較による評価や価値の見出しではないため、勝っても負けても自分のためになります。

現実を認められるか否かがポイントになり、負けを認められると深く強くリアリティを得ることができます

そのままをそのままに、ありのままをありのままに吸収し、記憶にし、次へ繫げる材料となる。

負けによる劣等感が重要アイテムとなり、自らの何が劣っているかを明確に知ると、何を高める必要があり、何を鍛える必要があり、何をもっと学ぶべきかが見えやすくなります。

例えば、ドッチボールの勝負でボールキャッチができずに負けた場合、悔しさなどの感情もしっかり含めて現実を認めると、ボールキャッチを練習した方がいい、別の得意分野を活用しよう、もっとチームのことを考えようなど、自己理解を深めて向上する経験になります。

エゴの増殖勝負の場合は現実を認められないので、「悔しい、許さない、自分はダメだ、可哀想だ」などの感情や気持ちの良い悪いにフォーカスし、評価をどう捉えて、周囲からの目をどう気にして、価値喪失をどう守って、存在意義をどう思い込むか、疑似現実の構成ディレクションへ向かう。そんな違いがあります。

※負けず嫌い心理は、負けず嫌いの心理は極端に二つ。ルサンチマンはストレスへ をどうぞ。

 

負けるが勝ちの本当の意味は人間関係

人間関係に重要な価値観が「負けるが勝ち」

ここでお伝えしたい主旨は、「負けるが勝ち」の意味は人間関係で最も効果を発揮しやすいことであり、本当の意味が見出されると考えます。

「負けるが勝ち」の考え方は、「恐怖心との向き合い」が着目の全てと言っていいかもしれません。

わかりやすく、[恐怖心との向き合い=嫌なことを認める力]とします。

他者との関わりでは、自意識と自意識がドガンドガンとぶつかり合いますので、どちらかが他に合わせたり、協力したり、協調する必要が出て来ます。

相互合致や共同体意識がなければ、自分が主体の自我や、純粋な我を他に押し付けて自分を存在させ、認識を作るのがノーマル。

お互いが同じ考えや気持ちを持っていない限り、どちらかに妥協、諦め、我慢、自制、従順を要し、押し付け、頑固、決め付け、強要、強制、私物化、支配なんてことも起きます。

[トラブルorストレスor自己喪失]です。

マウントして、支配下を強めて、自己ルールを押し付けて強要し、承認欲求満たしに他者利用が起き、エゴの増殖によって他なくして生きられなくなり、自分で自分を認められなくなっていき、執着と依存が必須になります。

しかし、負けるが勝ちの価値観はこうです。

嫌なことを認める力があると、嫌々で仕方なくではなく、「これが現実だね」と認めて自らを変化させたり、相手に合わせる行動へ向かへます。

恐怖心と向き合って味方にする経験が人と関われば関わるほどに増え、より嫌なことを認めやすくなり、嫌だと思っていたのが嫌ではなくなり、負けるが勝ちの本当の意味がポロポロと出始めます。

 

負けるが勝ちの本当の意味

嫌なことを認める力を育み、人間関係でのストレスをなくして円滑性を作ると、自己理解と向上によって、ルールや比較認識などの他によって見出す世界からポンッと抜け出ます

※プリズンブレイク。上述、勝負の意味で言う、①エゴの増殖→②自己創作へのシフトです

真に相手そのものの理解を試みるスタンスになり、自分を認めて相手を認めた先にある世界を見れます。

その世界を現実と言います。

負けることで自他を認めて現実をしっかり捉える。それは相手への思い込みや決め付け、自我の押し付けをせず、相手側に寄せた自分になる意味。

“負け”が自分の基盤をしっかり理解する経験となり、自分を知るだけでなく他者を知るための能力になり、他者を受け入れる力へと進展していきます。

以上から、

負けるが勝ちの本当の意味は、「負けてあげられる人になろう」という考え方です。

 

負けてあげられる人は認識力が圧倒的に違う

物事を認める、そのままをそのままにできるさまは、認識力をグングン成長させます。

認識力とは物事の質・量・速さの総合的高さであり、現実を現実にするための基盤。

目の前の情景から多くの現実や本質を捉え、分析や洞察力、先見性やメタ認知を高めるための大基盤です。

エゴの多い世の中では、他者との比較・区分けによる優劣への重きがありますので、人間関係でも、「勝ちたい」「負けたくない」と思う人がいます。

負けてあげられる人は、「この人は勝つことで自己価値を高めてる、守る必要性が今はあるんだ」「ここでマウントを取らないと他でストレスが溜まって、自己対処できなくなるのかもしれない」などと把握します。

相手以上に相手を理解するほど認識力が高い人もおり、物事の真意や本質を見極めます。

まるで手のひらでこねくり回すような見られ方もしますが、卑下ではなく、嫌々ではなく、諦めではなく、相手のために負けてあげられるのが、負けるが勝ちの真意です。

勝てば利益を得られますが、負ければ人間力の基盤を育める。

目先の利益を求めて一生懸命勝つのも大切ですが、認識力を高めて利益を得る仕組みそのものを知る。

両者は比べものにならない違いを結果的に生み出します。

 

人間関係をしれっと勝つメソッド

「負けるが勝ち」は、自らの基盤となる人間力の高まりをもたらす価値観です。

ルールインプットにて従う、「はいはい、負けとけばいいのね」とは違い、負けることで勝つための基盤を作る努力と行動を見える化させ、成功へ続く一つのステップにします。

長い目で見る場合、勝負の意味はエゴの増殖ではなく自己創作のためになり、「なんのために勝負しているのか?」「勝ち負けの矛先に何があるのか?」をより把握する認識力を要します。

わざと負けるのではなく、一生懸命やっても負けたら負けを認めて、嫌なことを認める経験を増やすことで、相手をしっかり捉えた上で必要に応じて負けてあげる選択が少しずつできるようになります

負けてあげられるとは人間関係の目指すべき在り方だと思います。難しいからこそ、このような人は少数です。

いつ、誰に、どんな状況で負けてあげるかは毎回変わりますので、負けるが勝ちを極めていくと柔軟に現実を捉え、多くの人に喜んで合わせられるようになっていきます。八方美人とは全く別です。

人間関係で問題が起きないのはもとより、お互いに利益を作り合ったり、より円滑に思いやりを持ち、相手の思いやりを引き出す関わり方も創作できます。

他との比較によって得る利益や価値とは違い、目の前の現実を認識して自由に作り出す利益や価値になり、人間関係での勝ちを作れます

負けてあげられる人になることは、相手の心理や精神理解だけでなく、自分の理解も深めているため、さまざまな他者や社会との共存環境でも自分を見失わず、人間関係を豊かにするメソッド。

初めから勝負に入らないとは違う、精神性と人間力を高めるメソッドとなる。そんな考え方です。

※人間関係は適当でもいい件は、人間関係はわからないから適当がいい│大切さを取り戻すいい加減 をご覧ください。

 

負けるが勝ちの意味と人間関係 まとめ

あらゆる情報が巡り行き構成される現在社会、現実を現実にする力はなくなっているのかもしれません。

嫌なことが起きないで欲しい。

誰しもがそうあって欲しいものですが、感情と欲求にまかせた人生は、ポジティブ偏りを善とした空想世界が主張し、思い込みをどこまでも強める可能性があります。

空想や妄想による利益は人それぞれに大切ですが、認識力の低下は現実認知を歪ませ、アル中のお酒のように何が利益なのかあべこべになります。

負けるとあまり良いことがないように思えますが、それは他者からの押し付けや強要、ルール縛りや洗脳による、空虚な疑似現実だったりします。

現実を見る力は人間の基盤です。

世の中の社会はエゴで構成されているので、私達にとってエゴは大切なアイテムです。これが現実です。

他との比較や区別はなくてはならないルールとなり、社会の中枢を担います。

何に負けて何に勝つかを見極めるためにも、エゴと自己創作の勝負概念は共に必要です。

何でもかんでも負けてあげれば自らに不利益を被る可能性があり、自分を認められなくなれば負けてあげること自体がエゴになり変わります。

負けるが勝ちとは、そんな人間意識の成り代わりと変化を含め、嫌だと思うことにどれほど重要なキーがあるかを物語っているのかもしれません。

負けるから学べます。
負けるから向上できます。
負けるから自己理解できます。
負けるから認識力を高める努力ができます。

負けるから現実を現実にして、自他共に必要なことを見出し、作れます。

負ける人生ではなく、勝つために負けを活用していきましょう。

理解の先には、勝つも負けるも社会的な上っ面概念でしかないとわかり、その上で社会を大切にするためにも勝負に関わりながら、負けてあげられる人間関係を作り、本当の尊重や思いやり、愛がポッ。

人生や人間関係における大切な価値観として、考え方がお役立ちできれば幸いです。

それでは、負けるが勝ちのお話を終了します。

最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。

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