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【実例アリ】火事場の馬鹿力とは何なのか?体験からメカニズム洞察

スーパーサイヤ人は火事場の馬鹿力状態なのかどうか。

リミッター解除か覚醒か、火事の場で馬鹿みたいな力が出るのか?

実際に火事場の馬鹿力を体験した時、私はあることがわかりました。

“力”とはムキムキというものではないこと。

二度の実例を基に洞察して見えたもの、それは“ある世界”でした。

ここでは、自分を知ることでわかる火事場の馬鹿力の詳細をお伝えいたします。

  • 火事場の馬鹿力とは一体何?
  • 体験した実例とは?
  • メカニズムの洞察結果はいかに?

これらを紐解き、「馬鹿な力には自分を知る理解が潜むんだ」と知っていただく内容となっております。

学術的に筋肉の使い方や使用幅を増やすという内容ではありません。誰しもが持っている哲学的な“力”として、一つの洞察内容をお楽しみいただければ幸いです。

奇妙なお話ですので、気楽にご覧ください。

火事場の馬鹿力:体験実例

火事場の馬鹿力とは?

火事の時、女性一人で大きな戸棚を抱えてダッシュ。

そんな噂が江戸時代からあるとかないとか。

車一台を一人で持ち上げたアメリカ人女性がいるとかいないとか、その名をシュワルツェネッガーと言うとか言わないとか。

「火事場の馬鹿力とはリミッター解除による限界突破」と世の中では認識されることが多いようです。

その際にはアドレナリン大放出で、人間10人分の力を得るという。

私達人間は筋肉を制御しながら活動していますので、走っても足は地面をぶち破りません。

足の骨が砕けないように力を制限し、生存維持を図るためにリミッターによって、筋肉量も身体可動域も、限界に対する思考もルールも設けられていると言われています。

そんなことからわかるのは、自分を制御するのは“認識”であることです。

認識とは、見る、知る、思う、考える、感じる、想う、評価する、判断する、識別するなど、この世のルールや常識を理解して認めたり拒否したり、観念やフィルターを作って物事の見方や捉え方や感じ方を作ったり、想像したり思考したり。

目の前に30mの高い崖があり、登れるか登れないかは実際に登ってみないとわかりませんが、登る前からできないと決めたり、認識によって行動したりしなかったり、力の発揮度合も調整されます。

火事場の馬鹿力が発揮される際、自分にとって限界突破だと思える考えられないような力や能力が現実となるため、自分にとっての認識を超越した状態があるのかもしれません。

火事場の馬鹿力を知るためには“認識”が一つのキーになると考えられます。

 

火事場の馬鹿力とは認識による思い込みを外した状態

認識の超越は、[自分にとっての限界突破=自分では予測できない領域]に到達した意味。

この状態では、学術的な研究結果によるとアドレナリンが大量に分泌され、βエンドルフィンが放出されるそうです。

アドレナリンによって能力開花があり、βエンドルフィンによって痛みを感じない状態になる。

自分では予測できない領域とは、[何も考えていない状態=制限を作らない」と言えるかもしれません。

火事場の馬鹿力とは思い込みにて自分を縛り付けるルールやフィルター(観念とも言う)を取っ払った状態とも言えます。

認識とは自分の世界のことです。物事の見方、捉え方、価値観、人間性や性格、何もかもの自分の在り方を作る基ですので、自分の世界を彩り創ります。

そんな自分の世界に観念を作らず、ただありのままに観た時、どんな世界が広がっていると思いますか?

自分にしかわからない、過去の記憶と経験から創られる色、形、認識があり、一人一人千差万別の縛りのない自由でありのままの世界があります。

そこに火事場の馬鹿力の基があるとしたら…。

ここからは火事場の馬鹿力の正体を探るために、私が体験した実例を二つご覧に入れます。

それを基に洞察を進めていきましょう。

 

火事場の馬鹿力の実例①:熊からの脱走

USAはアラスカ州の大自然の中、人里から離れた森の中に60日間一人で住んでいた時があります。

テントと寝袋を持ち、森の奥へ14日間歩き続けて辿り着いた地点から、彷徨いながら住んでいました。

その際に熊に襲われたことがありまして、面々で対峙した時に目の前でヴォーーー!と吠え、立ち上がって威嚇か攻撃か、「いただきまーす!」の合図か、どれだかわかりませんがされました。

熊除けスプレーを持っていたので難を逃れることができたのですが、その際に火事場の馬鹿力を体験しました。

襲われた際にスプレーをかけ、熊が猛烈な勢いで離れていった瞬間、テントを一瞬で片付けます。自分でも考えられないほどの速度で、オリンピックがあればと思うほどでした。

テントをバックパックにぶち込むと同時にとにかく熊から離れるために走ります。走って走って走りまくります。

アドレナリンを猛烈に感じ、身体に重さを一切感じません。食料不足で歩く体力もあまりないほどだったのですが、バックパックの重みなど皆無で走り続けます。

一度も通ったことのない森の中。轍もない木々と植物で生い茂る中を、あらゆる最短ルートを知っているかの如く走り抜け、川に飛び込む際もどこからジャンプするかを飛び込む前から知っている感覚でした。

一歩一歩足をどこに着けて、状態をどれほど左右に傾けしゃがみと、あらゆる体の動かし方が見え、全く隙のない最善の体の使い方をしているように止まらず全速力で走り抜けます。

まるで何十回も下見して本番に挑むF1レーサーのようで、右足はあの石場につけて、上半身はこれほど、右腕はこれほど傾け、その後は左足をあの地面の上、そこで目の前にある枝を右手ではらい、その後は…と進んでいき、何歩も先を読んでタンタンタンと進んでいきます。

爽快、無、知、スムース。全てが流れていくのを知っているかのごとく、あらゆることに抵抗がありませんでした。

これが一つ目の火事場の馬鹿力体験です。

※体験詳細は電子書籍にしていますので、もし興味がありましたら、幸せはムニュムニュムニュ をご覧ください。

 

②火事場の馬鹿力の実例:強盗との戦い

二つ目の体験はまさに馬鹿力でした。キン肉マンになったかと思い、仕事を変えようかと思いました。

中米はパナマを旅していた時。疲れ切って到着した街、ご飯を食べて直ぐに寝たい状態で、夜ご飯を買うために街中の薄暗い中を歩いていました。

突然、五人組に襲われます。

周囲から見えない隔離空間に連れ込まれ、私は背後から首を絞められるチョークスリーパー。

残りの四人は一人が一つずつ、右腕、左腕、右脚、左脚を掴み、私は首を絞められながら担がれるように宙に浮きます。

「馬鹿垂れが」という感じですが、向こうはお金やらなんやらが欲しいので必死です。

私が失神しそうになり、「ヤバい」と思った瞬間にキン肉マン誕生、火事場の馬鹿力です。

馬鹿力発動と同時に首の空気の通り道が認識でき、どの角度に首をどれほど曲げれば空気が通るかがわかります。

ほんの少し首を一定方向に曲げるだけで失神を免れ、細微な空気量でも敏感に認識できます。

ここから馬鹿力は本領発揮です。

一人が全力で押さえている私の右腕ですが、もろともしません。グググと右腕を首まで動かします。

首を絞めているやつの腕を掴み、首から剥がします。もののけ姫のウネウネ出てくる腕の人みたいな感じです。刃物なんかグネーンでしょうね。

首から腕がメリメリと剝がれていき、そのまま腕をギュッとすればチョークスリーパー野郎の腕は潰れるように馬鹿力。しかし、腕から剝がれた瞬間に五人はバッと私を離して一目散に逃げます。

当然です、完全にヤバい奴だと思ったでしょう。

そんな火事場の馬鹿力体験です。

この二つを材料にして洞察を進めていきましょう。

※この火事場の馬鹿力の詳細は、時間が止まると起きるスピリチュアル|突然起きた時間の概念がない常識 をどうぞ。

 

火事場の馬鹿力のメカニズム

洞察:火事場の馬鹿力で起きていること

二つの実例には共通点があります。

時間がスローモーションになったことです。

熊の時も、強盗の時も途中から時間の流れが止まり、ムワ~ンとゆっくり流れます。

私の時間と、普段の認識における時間の差異による影響だと考えられ、この世がどうのこうのではなく、私の世界の中での思考的な認識と別概念の認識の違いによる現実の見え方です。

同時に空間という認識における差異も作り、スローに見える状態になったと考えています。

さらに共通点があり、何も考えていないことです。

正確に言うと、何も考える概念がない。行動のみをする場面に思考認識はなく、「ただ自分のすることをする」という状態で、迷いも躊躇も考えるも何もありません。

火事場の馬鹿力が起きている時、物事に対する見方、捉え方、観念、ルール化、フィルターなど、あらゆる認識における事前ルールが何一つありません

ただ目の前を見て、パッと動機が出て、パッと行動、以上。

その間にある、考える、過去の記憶との照合、インプットしたルールや価値観との比較などが皆無。例えば、「悪い奴だからやっつけたい」とか、「武器を持っているから怖い」などによる見方がないんです。

今この瞬間しか認識していない。全てが新鮮で、そのまま見て、感じて、ドンッと。完全にありのままの自然な状態です。

過去も未来も存在しない世界であり、起きる出来事が今あり、それに対する反応が今あり、それによる行為がある、“今”に完全フォーカスした認識と在り方。

思い込みの存在する場所がありません。

火事場の馬鹿力の時、思い込みがない=思考によるルールや過去の記憶による認識がありません。

ルール設定がなくなることは、自分の世界を制限するものがなくなるという意味になります。

これによって火事場の馬鹿力の正体が見えてきます。

 

火事場の馬鹿力とは制限のない自分

火事場の馬鹿力を体験している人は、とんでもない肉体的な力を発揮する人もいると思いますが、他にもとんでもない行動への早さや、状況把握、テクニック的な能力などさまざまではないかと思います。

私はスポーツをしていて突然覚醒的な状態になる時があり、あらゆる球の動きや自分のする行動がわかったりします。

おそらくスポーツや勉強などをしている人はたまになると思います。ランナーズハイと言われるものに似ていますが、これは火事場の馬鹿力の理解が少し入っていると考えます。

瞬間のみに集中している自分がいて、能力の最大発揮を引き出す状態。

思い込みを取っ払い、[できないと思っている自分がいない=できるのが当たり前]という自分の世界に制限をなくすと、火事場の馬鹿力状態になります。

火事場の馬鹿力とは制限を外した自分自身のことで、「思うことは何でもできる」と当たり前に認識している自分になる状態だと考えます。

 

火事場の馬鹿力は力のことではない

他の体験者がそうかわからないのですが、私が火事場の馬鹿力を味わった際、力を入れている感覚がありませんでした。

私は何でも起きた時に観察する癖があるので、強盗の腕を引っ剥がす時も自分を観ていました。

相手がスゴイ頑張っているので、こちらも頑張って思いっきり力を入れて引き剥がすと思いきや、「はいはい、今から剥がしますよー」と気楽な自分でした。

腕を引き剥がせるのを知っている、当たり前だと思っている状態です。

力が入っているかどうかは実際にはわかりません。ただ、今この瞬間の目の前で起きていること、自分がしていることに一点集中しています。

そんな理解からわかるのは、火事場の馬鹿力とは力のことではなく、「どれだけ当たり前にできると思っているか」であり、どれだけ自分を信じているかによって見出される現実と考えます。

信じる、認める、受け入れる。言い方は何でもいいのですが、自分という存在の可能性に疑いがゼロの状態が、思い込みも決め付けも、過去の記憶による観念もルールも何もない状態を生み出します。

そこにはこの世の仕組みが潜んでいたりします。

 

洞察結果:自分の創造世界の認識

私達は地球という同じ場所に住んでいます。

しかし、一人一人の認識は千差万別、一つの花の色を見ても誰も同じ色だとは認識しないように、同じ場にいても自分の見方や認知ルールによって全く違う世界を見て住んでいます。

自らが現実を具現化して、自分の世界を主観にこの世を舞台に生きている状態と言えるかもしれません。

少しわかりにくいかもしれませんが、量子力学の認知にて証明されている、自分の認識によってこの世は現実となる理解があります。

※仮想現実、二重スリットなどのキーワードで検索すると詳細な情報がありますので、興味のある方は調べてみてください。

自分で認識しなければこの世は存在していないというものでして、空間も時間も相対的であり、一人一人に認識と概念による現実があるという物理学も含めて理解できます。

火事場の馬鹿力はまさに認識による現実化を目の当たりにする状況でして、一人一人が己の認識によって現実を創造して生きていることがわかります。

以上から、洞察結果をまとめるとこうなります。

火事場の馬鹿力とは、現実を創造する自分のことであり、そんな自分を認識できる瞬間や状態(または自分そのもの)。

母親が子供を助けるために火事場の馬鹿力を発揮する時など、助けている時の行為や自分自身に一切の迷いなく、完全に信じる気持ちのみ、「絶対に助ける」「助けられる自分を信じる」という自分の確立と、認識の尊重があるのではないかと思います。

 

火事場の馬鹿力のメカニズムと発動方法

二つから検証するしかありませんが、発動条件として共通点が明確にあります

相当な疲労状態、命に係わる状況です。

これらをキーワードにすると、必要なことが見出されます。

火事場の馬鹿力に必要なこと
  1. 思考しない身体状況(疲労や楽観視)
  2. 過去や未来を考えない状態
  3. 危機的状況
  4. 選択肢が一つの状態(迷い、躊躇なしになれる)
  5. 一点フォーカスの集中力

5つ全てが含まれる言葉が、「今この瞬間に生きる」です。

思考的に過去や未来を考えると、「それじゃあ楽しいことしているから今は集中しよう」などと既に考えてしまうので、何も意識せずに常に今を生きている状態が必要です。

それを疲労や命に係わる危機によって、ちょっと強引に引出します。

以上から、私がわかるメカニズムと発動方法は一つだけです。

火事場の馬鹿力のメカニズム:悟る

チーンと。

終わった、できるかよと。

 

自己理解を深めるとコントロールできる領域かなと

仏教で言われる悟りとは、自分とエゴを分離させる意味です。

悟ってから覚醒を辿ることで自我との分離が起きる段階に進み、その際には火事場の馬鹿力をいつでも使用できるアイテムになると思います。

いわば、コジコジという見本がアニメにあります。常に火事場の馬鹿力状態、必要な時だけとんでもない力を使います。

悟るというと何だか大それたもののように感じますが、自分を知ることは思い込みやルールをなくし、あらゆる認識を己のものにする意味。

自分の目で見て、頭で考えて、心で感じて。正真正銘の自己理解のすすめです。

「何で二足歩行で歩くのでしょうか?」

これを理解するためには、そうやって言われたからではなく、自ら四足歩行や逆立ち歩きをしてみて、「二足の方が楽」みたいに人それぞれに知ります。

自分の世界の制限を理解して外したり入れ替えたりしていくことで、火事場の馬鹿力状態となるのではないかと思います。

一時的な瞬間アイテムとして火事場で馬鹿る場合は、「なんか危ない状況だといけるかも」

「要らんわー」という感じですかね。

※才能や能力の力については、才能がない、わからない人こそ理解できる│透明な努力には気づきにくい をご覧ください。

 

火事場の馬鹿力 まとめ

私は体験以降、一切火事場の馬鹿力の使用機会はありません。

しかし、それらの体験によって確実に変わったことがあります。

「自分に限界を設けない」と限界を作る認識を手放せたことです。

何かに取り組んだり挑戦する際の認識は二つ、「する」「しない」の選択。できるかどうかではない認識によって、望んだものが手に入ります。

「そんな馬鹿な」という感じですが、以前に比べれば。これを世の中では引き寄せの法則と言うようです。

制限や抑制、縛りや思い込みをなくすことは自分の可能性の拡大でもあり、それ以上に大切な事実が、疑わず敬う気持ちになる点です。

疑わずに信じたり認めたり受け入れたり、何かスゴイことではなく事実をそのまま認識する、自然で違和感のない状態。

思い込みのない世界で自由に現実を創る状態です。

何か楽しいことをしている時など、夢中で熱中している時にはこの状態になりやすいため、如何に今に集中できるか、そんな認識を持った人になるかがメカニズムを知る道だと思います。

精神性を高めて集中力の調整をできるようにしたり、思考過多ではなく感覚や感性優位になる状態理解も大切です。

「結局何の話?」という火事場の馬鹿力。奥が深いのかもしれませんね。

火事場の馬鹿力を使用したいと考える方も、火事場の馬鹿力を使用して、「あれは何だったのか?」と考える方も、ここでの内容がご参考になれば幸いです。

それでは、火事場の馬鹿力のお話を終了します。

最後までありがとうございました。

著名な心理セラピストとして知られる、西澤裕倖(にしざわひろゆき)先生とのカウンセリング機会。
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