スピリチュアル

【意識のお話】「今ここ」のお手本は赤ちゃんとスピリチュアル

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「今、ここ」

今に集中する、意識を向ける、そして今を生きる。

この状態は、自分が自分を使っている感覚になり、操っているようになります。

さらに深掘りすると、そんな状態や感覚を作っている媒体がいます。

「自分、のこと?」

違います。

『意識』です。

この意識とやらが、本当の本当に「今ここ」を生きている本質です。

なんだかややこしいお話になりそうな「今ここ」の紐解きと言語化には、スピリチュアル(精神と意識)が持って来いです。

  • 今ここの本質を知りたい
  • 今ここに集中、何も考えない、引き寄せを上手に使いたい

何も考えないことや引き寄せの理解にも繋がる内容となっております。

小難しい内容ですが、仏教や禅の考え方も含めながらわかりやすく言語化していきます…と願うばかり。

「今ここ」という意識の探求を楽しんでいきましょう。

Youtubeもありますよ。

今ここの状態4選

注意点:今ここは勘違いしやすい

北斗
北斗
初めに最重要内容をお伝えします。

今ここには時間も空間も、概念もルールも、あらゆる縛りがありません。

捉え方はなんでもよく、「今この時間、この空間」でもいい、そうでなくてもいい。

なんというか、総称して「ぼー」

「ジャングルジムでおままごとするの?」
「うん、なんでもいいよ」

ということでして、ジャングルでもおままごとでも両方でも、さてはてどちらもしなくてもいい。

「実際には何をしている?」という現実が全てです

[今ここ=現実]のこと。

何かしら固執や執着、思い込みや決め付け、ルールや決め事があるとフワッと消えてしまうのが「今ここ」という何かです。

縛りがあると今ここは勘違いに向かい、全く別の捉え方になってしまうので要注意です。

 

今こことは意識そのもの

北斗
北斗
今ここが現実であるのは、現実とは本来受け入れるも受け入れないもなく、「あるものはある」以外の何物でもないためです。

「昨日より今日の方が寿命に近づいている」

抗うことも、誤魔化すことも、何も抵抗を作り出せない。

起きたら起きた、それ以上も以下もないシンプルな事実の集結です。

そこには現実を認識する元(媒体)がいます。

これを『意識』と言います。
※意識に自分というカテゴリーを組み込むと自意識になる

意識は完全無欠の自由モード。

ネットワークのようなものでして、時空も概念もない超越した存在で、自分として物事を認識することも、全体の仕組みでもある不思議なものです。

ちなみに、魂(スピリット)とは別物ですが、情報が多いと錯綜してしまうので割愛します。

意識は私たち一人一人に在り、「右手親指の先っちょを見て」と言われた時に右手親指の先っちょにあるそれです。

「頭頂部」と言えば、頭頂部にあるそれ。

「痛い」と思えば、痛い部分にあるそれ。

人を好きになったら、心辺りにあるそれ。

「意識」が現実を生きており、意識が現実を認識することに今ここがあります。

「今こことは何か?」は意識の理解を意味します。

そのため、意識というスピリチュアルの紐解きにもなります。

北斗
北斗
そんな今ここの意識、特にわかりやすい4つの状態があります。

 

今こことは:①何も考えない状態

北斗
北斗
意識そのものの紐解きは難しくなりますが、状態として捉えるとわかりやすくなります。

今ここは何も考えない状態です。

何も考えないとは過去や未来へ行く脳内こもりがない、後悔や期待、思い込みや決め付けなどあらゆる観念やルール縛りとなる制約がない状態

考えるとは縛りを作る行為であり、「この世に時間や空間がある、過去と未来がある、だから今がある」といった無数の決まり事(=常識、当たり前)ができます。

利得があり、認めたい感情で、欲求が満たされる、そんな納得基準になるのが考える状態。

思考は今ここの抵抗となるため、何も考えないことができた時、そこには時間も空間もなくなります。

ぼーっと花を見続け、気づけば2時間経っている、これが今ここです。

固執や執着の基になり、嘘や誤魔化しで現実が自己都合に歪む、不安増長で恐怖心と向き合えなくなるなどのメンタル影響も及ぼすため、社会的には重要でありながら甚大な今ここ損失を起こす要因でもあります。

 

今こことは:②良悪も善悪も何もない無為自然

北斗
北斗
現実に一切の抵抗を作らない状態には、拒否や受容の選択はおろか、受け入れるも受け入れないもありません。

あるがままの無為自然、あるものをあるままに、起こることをそのままにします。

まさに自然そのものの状態です。

私たち自我は過去の記憶の構成によって「自分たらしめる自分」として存在して(実際にはそう思い込んで)います。

今ここは自我の呪縛から解かれる状態であり、自分がどう見ようが感じようがなんでもいい。

今ここには良悪も善悪も正否すらもありません。

ただただ抵抗のない現実を認識する状態。

「伝統的だから良いものである」と言った瞬間にそれを善と括り付け、意味付けができ、対極を悪にするなど、一方的な構成ができていきます。

今ここは伝家の宝刀もソーセージも同じ、ペロン。

重要なのは現実としてどう感じ、どう反応するか。

[不味い=だからダメ]
[不味い=不味い]

良いも悪いも評価付けや区分けがなく、不味い大根をかじりながらも食べるのをやめる理由にはならない。

「この大根、不味い、ボリボリ、ハハ」と笑顔でむしゃぼり、“不味い”という世界に入り込んで堪能している時、今ここにいます。

この世は陰陽五行説に仕組まれるため、一人一人に属性とカテゴライズがあり、合う合わないが意識と肉体にあります

良悪善悪がなくても、「この人とは合う、この食べ物とは合わない」などの自然な反応が起こります。

嫌いな人と関わり続けてはメンタルが歪み、肉体に合わない毒であれば体が壊れてしまうので、無抵抗なまま肉体が感じるままに、意識の赴くままに従うのも今ここです。

 

今こことは:③引き寄せの発動を自覚できる状態

「お、これは望んだとおりになっているぞ」

北斗
北斗
引き寄せが叶っている自覚は、今ここに存在しているサインです。

今ここの意識状態は、自分の思い通りに事が運んだり、物事がうまくいく、そんな引き寄せ発動が顕著になります。

引き寄せている自覚(自らが現実を創造している自覚)が増えます

※意図して自覚する状態ではありません

「お、これはきっと良いことだ、引き寄せが進んでいるに違いないぞ」は思考や欲望にて未来を制約してしまうので、今ここから離れてしまいます。

「なんかいいことがありそうな気がする」
「よくわからないけどできると思う」
「最近ついてるな」

などの感覚的な兆候があり、それらのサインをキャッチできる状態が今ここです。

「お金が欲しい」「健康が欲しい」と欲することには、「お金があった方がいい」という比較や思考、他に従う固定観念やメンタルブロックがあります。

今ここは現実ですので、「~が欲しい」ではなく、そうなる自分に既になっている状態、またはそうなる自分を作る行為真っ最中です。

 

今こことは:④植物と話せる状態

北斗
北斗
「毒味ができる」と同義。

見えない領域も含めた現実が認識でき、抵抗がなくなると見える世界が一変します。

何も考えない状態でもある今ここは、今目の前の現実を思考する以上に感覚や感性といった気持ちとの繋がりが主体になり、これまで見えていなかったものが見えるようになります。

木と木がコミュニケーションを図っていてもなかなか私たちは理解できませんが、コミュニケーションしている事実が抵抗のなさにて見え始め、現実の認知が広がっていきます。

例えば、私はメキシコの山奥で何も考えない実験検証をしていた時があります。

その際、今ここを生きていたために風とは何たるかの理解が広がりました

「風には形があり、一つ一つ違い、大きさも流れる速さも全てが違うんだ」

私と風が融和した状態です。

北斗
北斗
現実の認識度が広がり、理解が深まり、現実とは既にそこにあるだけではなく、どれだけ対象と共に作れるかによって知る範囲が変わり、理解度も量も何もかもが変わると気づきました。

今ここでは現実がより現実になっていきます。

見えているところだけを捉える縛りがなくなり、見えない領域も含めた認識。

「相手と自分の織り成す現実」を知ると起こることの一つとして、植物と話せるようになります。

これを深掘りすると、相手と繋がるのではなく元々繋がっている、そんな現実を知る状態でもあります。

共に作り合っていると知る先にコミュニケーションの真髄があり、今ここを生きる人はどんな生態とも分け隔てなく関わる平和と平等があります。

感覚感受がスーパーマリオ状態になるイメージです。

こうなると毒の植物がにおいでわかったり、口に入れた瞬間や、微かに噛んだだけでわかるようになります(体験談)。

この状態をさらに深掘りすると本質がありますので、先に進みましょう。

 

今ここの本質はスピリチュアル

今ここは赤ちゃん

北斗
北斗
今こことは自分と他の融和を認識する意識です。

これは赤ちゃんの意識と同じだったりします。

縛りがない何も考えていない状態は、シンプルに目の前の対象と自分の間で起こる現実を味わいます。

例えば、植物の葉や花が風でフラフラ揺れている時、今ここに在る状態だと楽しくてしようがありません。

なぜ楽しいのか。

本人が楽しいのではなく、植物が楽しいエネルギーを発しており、それと融和した意識によって良悪フィルターなく相手のエネルギーをそのまま感受したさま

意識が他と自の融和(間)にあり、そこに自分というものは存在しません。

ただ花を見る自分(花と繋がって現実を作り合っている状態)があるそこには、今という時間も空間もあってもなくてもなんでもよく、シンプルに自分と花が関わり合ったことで織り成す現実創作があります。

そこに在る両者が作り上げた化学反応やエネルギー創造の感受。

カフェから出た時、通りすがりのサラリーマンとチラッと目が合って離れていく。

ほんの些細なことでも今ここを生きると認識しやすくなり、そこにあった一瞬の融和を感じられます。

これが赤ちゃんと同じです。

 

赤ちゃんは鏡

赤ちゃんは相手の反応に合わせてキャッキャ、ギャーギャーしていますが、実際には相手と融和してお互いが作り合ったエネルギーを良悪なく感じて、抵抗なくあるがままに表現しています。

赤ちゃんは母親ファースト、受ける側からスタートで受容・合致・反発と融和した反応をしていきます。

ベロベロバーとやった時、赤ちゃんがキャッキャするのはこちらの楽しさや本気を感じ取っての表現。

その内に赤ちゃんはシラケたようにスーンとなりますが、本当はこちらが飽きており、本気度がない、楽しんでいない。

赤ちゃんの反応を見ることは自分そのもの、環境そのものを見ることになります。

今ここは他と融和する意識

他と調和し融合する上で、“差”があっては成り立ちません。

相手と自分を平等にして、差別も差作りも良悪も善悪もなく、自分という固執を手放して相手に融和させる。

今ここで他と関わる時、まるで真っ新な何かとして相手に入って自然な反応をするような、無邪気であるがままの自由なさまがあります。

 

仏教:【今ここ=悟り】

仏教や禅の理解では、今ここは悟りを意味します。

悟りとは高宗に思えるかもしれませんが、誰しもが辿っておきたい宿題みたいなイメージでして、人生の始まりを意味する言葉です。
※高宗なのは悟りの段階を昇っていくこと

悟りは煩悩を克服し、静寂に入る精神領域。

自分をコントロールする状態であり、自己を手放しながらも自己を極めるフェーズ。

そういった矛盾にある現実を堂々と生きるさまがあります。

特に着目したいのは、今こことは執着を手放し、自我の呪縛から解かれていること。

「これが私なり」
「物欲が止まらない」
「結婚したい、あの人がいい」
「あれが欲しい、お金が欲しい」

をパァッっと爽快。

執着が手放されると思考のフィルターがなくなり、固定観念も強迫観念も、良悪も勝負も優劣もなくなり、そこに自分たる固執はありません。

今ここは自我の手放し、あらゆる執着がない、爽快で穏やかなフェーズです。

 

「不味いは不味いでしかない」がはっきりわかる

北斗
北斗

自我が手放されるとは真理の中に入る状態でもあります。

そこには本当の現実があります。

例えば、「不味いから何なのか?」「美味しいから何なのか?」

不味いとは不味いでしかありません。

意識が舌と肺と脳を融和させて作るエネルギーを、脳内認知フィルターで濾した先に「苦い」の思考があり、合う合わないの感受があります。

そのため、合う合わないだけがあり、良い悪いがありません。

例えば、「コーヒーが苦い、不味い」

良悪も善悪もないので、「不味いから絶対飲みたくない」にはなりません。

ただ、合う合わないがあるので、「うぇ、これは毒だ」と肉体が信号を出せば、自然な反応として飲まなくなります。

合わない感受がなければ、今ここにいる人は苦味の中に入っていき、苦味を楽しみ、不味さを遊び、不味い感覚の中身を自ら埋めていきます。

感覚とは何もないことを意味します。

例えば、瞑想中に感じる、「足が痛い」に今ここがあります。

どんどん痛みに入っていくとあるのは、[痛いは痛い]でしかないこと。

「痛いから瞑想止めたい」なんて今ここにはない、脳内の未来あっちにはある。

痛いとは恐怖心との向き合いを拒んだ自我がそっぽを向いている感覚

痛いは痛いでしかないので、その現実を拒むと現実そのものがそこになくなってしまうので今ここもなくなります。

しっかりと感覚に入って痛い世界を堪能するとわかるのは、痛いとは無であり、空虚な感受であることです。

「不味いは不味いでしかない」は真理。

今ここに在るとこの意味がはっきりわかります。

これのさらなる深掘りにスピリチュアルがあります。

 

スピリチュアル:【今こことは融和する間作り】

北斗
北斗
今ここのスピリチュアルな捉え方は意識そのものを探求します。

上述の例である痛み、痛みの中に入るとあるのは虚無、何もない。

「自分」もない、真っ新で何もない、だからこそ全てを自由に作り出せる意識がいます。

意識とは何かを紐解くと「今ここ」がわかります。

しかし、意識とは知り尽くせるものではないので、ここではイメージを掴んでいただければと思います。

イメージすると学問です。

経済学であり、国語であり、陶器の作り方であり、宇宙の構造。

意識を理解するのは学問のように順序、段階、仕組み、構造の体系があり、さらに社会や他との関りで変化し続けるため、理解に終わりがありません。

茶碗一つ作るのに材料を学び、型の作り方を体に覚えさせ、センスを磨き、世の意見を聞き、焼き方を知り…と続き、「知る」ことができないので「真理に近づく努力」をすることになります。

意識にも順序があり、階層があり、レベルがあり、構造があり、学問のように無限に広がる空間のような次元のような、全てに意識が在ります

構造であり、順序立てて理解していくシステムであり、私たち個々の肉体に宿りながらまるで個人として存在するように自分を操ります。

「意識とは自分のこと?」と思いきや、夢を観ている間は別次元にシフトし、ハイヤーセルフと繋がり、守護霊とも繋がり、ワンネスそのものでもあります。

今こことはワンネスと繋がる状態とも言えますが、夢を観ている時でもあり、不味いの中に入っている時でもあり、人差し指そのものでもあり、ソーセージをピロピロしているあの瞬間でもあります。

言語化は難しいですが、ここでお伝えしたい考え方がこちらです。

今こことは「他と融和する“間”作り」

 

次のステージ:他との融和に己なし

他とは人もそうですが、自分の肉体(粒子一つ一つ)も感情も感覚も該当します。

意識が宿る元(媒体)を他と融和させる時、そこに自分はいません。

猫と融和する時、そこに在るのは自分ではなく、意識が両者の作り上げたエネルギーに入って気持ちを堪能している。

そもそも自分なんて存在しなかったことに気づきます。

そのため、今ここにいる人は他者認識力が高く、人の話をよく聞き、誤解なく理解し、寄り添い、社会的にも精神的にも成功しやすくなります。
※成功とは自由度の高い在り方

今ここ(意識)とは本当に自由な存在であり、時空全体そのものに張り巡る何かとも言えそうです。

今この瞬間にピンポイントに心臓の音に意識すればそこに意識があります。

心臓そのものを意識すれば、肉体ごとドクンドクンと揺れるほど心臓そのものになっています。

これは意識が心臓という他と融和し、生まれた現実を抵抗なく認識している状態です

あるままに作り出すエネルギーを感受します。

まるで構造の間であり、自のない認識の元(媒体)が他と化学反応した時の花火、をぼーっと見ている光景を、後ろからカメラで撮っている何か、の後ろで眺めながら映画にしている、の後ろで凝視しながら辞書を作っている、の後ろで…。

意識とは個であり全、自でありワンネス、認識の元であり宇宙の縮図、構造の狭間を自由に行き来する不思議な存在です。

この意識が今ここであるため、意識がわかるほどに自然と今ここになり、自然と現実の中にいます。

現実とは他と融和することで創作している、そんな自由度しかない世界だとわかる素晴らしい領域が今ここ、というお話です。

 

最後に:今ここのスピリチュアル

奇妙なお話、最後までご苦労様でした。

意識自体を言語で理解するのはおそらく不可能でして、意識はそもそも知ることができない対象です。

そのため、この内容は理解するものではなく何かを感じ取ってもらえたらと思っております。

意識そのものが誰しもに在る以上、意識同士は繋がり合っています。

誰しもが繋がり合っている、自然とも宇宙とも繋がっている前提で、繋がりを拒否し排他し選別して今日の私たちがあります。

ですが、少しずつ解放する先に「今ここ」の片鱗があり、意識の探求ができます。

終わることのない探求になりますが、それは人生の暇つぶしという最高行為。

そのために一つのご参考になれば幸いです。

ありがとうございました。

『心理とスピリチュアルの学び場』

誰しもに人生を変える機会と選択があると信じています。

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※これは長期的に本気で変わりたい方専用です。

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