対処・解消法

純粋すぎる人は生きづらくて大変│ピュアは時に罪になり嫌われる

純粋であることは誠実な人間性と心の純度を表し、幸せを引き寄せるように生きられます。

世の中が一人だったら…ですが。

他者との共存環境で、他という社会性の中で順応を求められる場合、話しが極端に変わってしまうことがあります。

純粋とは偽りのない輝きの象徴であり、時に無知、時に罪にもなります。

純粋すぎることは生きづらさを作り、嫌われたり、利用されたり、洗脳されたり、翻弄されたり、彷徨いの可能性を秘めます。

純粋であることにはコントロールと理解が必須。

ここでは、純粋すぎる人を守ることを目的に、純粋すぎると生きづらくなる仕組みと理解をお伝えします。

ささやかな私の理解ですが、純粋な方、または周囲の方の知識の育みとなり、生き方や価値観のサポートができる内容であることを願います。

純粋すぎる人

純粋すぎる人とは

何事もバランスが大切ですが、純度100%ピーチジュースのように完全なピュア人が稀にいます。

「そんなに?!」と思うほどに純粋な人。
失礼で申し訳ないのですが、「時間が止まっているのかな?」と思うほどに子供のまま大人になったような。

思ったことはそのまま表現し、感情を表し、気持ちを隠さず、自分に誠実で素直。

純粋すぎる人をイメージしやすいのが子供ですが、私が関わる人を観察すると、飛び抜けて純粋だと思う子供のような人がいます。

純粋すぎる人の典型例
  1. サイコパス
  2. 発達障害(ADHD、アルツハイマーを含む)
  3. 知的障害
  4. ダウン症
  5. エンパス、HSP

関わりが多いためにこのように思うだけですので、障害の名前や分類分けに重要性はありません。

もちろん、上記に該当しなくても純粋すぎる人はいますので、極端な例にてあくまで傾向がわかってもらえればと思います。

純粋すぎる人にはある共通の特徴があります。

自分を誤魔化せないことです。

言い方を変えると、自分に嘘をついていることに嘘をつけない。

たくさんのサイコパスの方々に会ってきましたが、私が知っている限りでは、他者を騙し誤魔化しますが、そこには純粋に自分が遊び楽しむためという目的があり、自分に対しては嘘をついたとしても、嘘をついていることに嘘をついて誤魔化しません。

サイコパスと言っても極悪人のような一般的なイメージは本当に極僅かですので、純粋に自分を愛して子供のように無邪気な人が多いです。

 

純粋すぎるとは意志を消せないこと

人格、発達、知的障害、ダウン症、敏感性など、これらの障害や症状や兆候を持つ方々は、とんでもなく純粋すぎるという印象が強いです。

純粋すぎるが故に他の影響に飲み込まれ、人格や在り方も変わり、他に翻弄されることで怒りの抑え方を知らずに、悪意なく危害を加えることも加えられることもあります。

純粋すぎる人と関わることで、「純粋とはただ単に従順で素直であるとは違うんだ」と明確にわかります。

純粋とは、自意識や意志を消せないことでの結果、またはその様です。

純粋すぎると真っ直ぐがまっしぐらになり、時に不器用になり、時に無知になり、時に思い込みを激化させます。

ピュアは時に剣になる。

エンパスやHSPなどの超敏感気質な場合には、感受性が敏感すぎると言った方がわかりやすいかもしれませんが、同じく自意識を消せないことからの純粋すぎる様があります。

 

純粋すぎる人は自分に誠実すぎる

自意識や意志が消せないことは、自分を消せないことを意味します。

純粋であることは確たる自分を持ち、嘘偽りなくありのままです。自然体とは違いますが、自らに正直で誠実な様があります。

そのため、とっても怖そうな顔をしていたり、口が悪かったり、態度がでかかったり。

純粋が故に周囲の劣悪な影響や環境によって、明らかな関わり難い様を持つ人もいます。

ですが、みんな根は優しくて心は綺麗なまま、汚れていない。

自らの認識に真っ直ぐ、他者を疑うことも嘘をつくこともない。

正直であることから自分のために生きて、自らが喜び、満足し、納得するために生きていることに誠実です。

「わぁ、お饅頭がたくさんある。全部食べちゃおう、バクバクバク」と純粋。

純粋さは人によって世間の目を分けます。

「はいお饅頭は一人一つね」と言われれば、純粋に従うけど目の前の人が食べているところをジーッと見つめて、くれくれオーラを全力で出す純粋も。
「いやだね、俺様は饅頭100個食べたいんだ」と有無を言わさずに全部食べちゃう純粋も。

純粋すぎることで自分の在り方や価値観や生き方に誠実になりすぎることも。

すると、好かれると嫌われるが極端になります。

※ピュアな心の話は、心が綺麗な人の特徴に美形もブスもない|自分で選んだ容姿にスピリチュアル をご覧ください。

 

純粋すぎる人は好かれる?嫌われる?

純粋さは好かれも嫌われも両方です。

嫌われる場合にはさまざまな理由で嫌われます。

自分を偽らない様が、関わる人自身の在り方の違和感を表沙汰にし、認めたくない事実を露呈させられたと嫌われます。

本当は純粋なのに純粋ではない状態で生きている人から嫌われます。

好かれる嫌われるが極端になる特徴があり、人によって認めたくない隠ぺい体質を引き出す“闇を照らす光効果”となり、恐怖を多く抱えている人にとっては眩しすぎる存在になります。

知らないところでピカーっとしている。

純粋すぎる人は常識やルールなどの他以上に、自分という存在を必ず中点に起き、主観と軸を持って立ちます。

いわば、精神的自立があります。

光の存在です。

純粋な子供のように光っています、輝いています、キラキラです。

好かれる人には魅力的にも輝かしくも見え、憧れにもなります。

しかし一つ問題が。とっても大きな問題が。

好いてきた人が闇だったら?

憧れで近付いたのではなく、ぬいぐるみにします。利用されてしまいます。

すると、とてつもない速さで闇へ向かいます。

純粋すぎる人は周囲の環境と、関わる人によって一瞬で闇になり、純粋さをコントロールできないことで生きづらさを感じてしまいます。

嫌われるから生きづらいこともさることながら、より重要なポイントとして、純粋さをコントロールしないと他との関わりでは自ら生きづらさを作ってしまい、苦しみに反発できない純粋さの矛盾が出て来ます。

詳細を紐解いていきましょう。

※純粋じゃなくても嫌われる話は、素の自分が嫌われる時に知りたい人間味│自分を作ると性格が悪くなる をご覧ください。

 

純粋すぎると生きづらい

純粋すぎると生きづらい

これまでの内容を簡単にまとめると、純粋すぎる人とは自分を消せない自意識の強さから自分に対しての誠実さがあり、自らを誤魔化し偽ることができない人です。

言い方を変えると、自分へのフォーカスが強い。

この状態、価値観や観念として考え方や生き方を作る際に、自分の認識を真っ先に第一優先します。

最高です。

自分を消さないことで、常に主観を持って主体性を持ちます。
「これは私の人生」
「私は主人公、私は私」という具合です。

一人で生きる環境であればもう言うことなし、最高、そして最強。

しかし、他者との関わり、社会環境の中で生きる場合、話が変わります。

共存環境では、自分を消さないことは大切ですが、自分を消せない場合は欠点になり、生きづらさの基になることも。

純粋さのコントロールの話です。

純粋でない人ほど他者を利用し、蜜を吸い取るように安泰や恐怖回避の策を練って練って練りまわし、利用価値のある人をダラダラとよだれを垂らしながら嗅ぎまわります。

そんな人との共存環境でもあるため、純粋すぎると生きづらい理由がそこかしこにはびこります。

純粋すぎると生きづらい理由
  1. 周りが見えなくなる
  2. 無知になる
  3. 他者の意見に忠実すぎる
  4. ぬいぐるみにされる
  5. 光が闇にズーン

一つずつ詳細を見ていきましょう。

 

純粋すぎると生きづらい理由①:周りが見えなくなる

置いてけぼりをくらうやつです。

純粋が故に自分へのフォーカスが強いのはいいのですが、フォーカスをコントロールできないことで思い込みが激しくなり、決め込んだり、他を見ないことが起きます。

万能感や純粋が故にのめり込むなどの兆候もあり、まるである空間に縛られるように浸かる。

すると、周りが見えなくなり、気付くと周囲から置いてけぼり、疎外感、不調和なんてことも。

 

純粋すぎると生きづらい理由②:無知になる

思い込みが激しくなることで、自らの意見を変えることがない頑固を純粋さから貫くことも起きます。

自分へのフォーカスが強すぎるために、他者の意見を応用して取り入れたり、「それじゃあ工夫して一部参考に」なんてことができず、0か100。

100にする場合には自分が信じられる人など、身近な人には体の中身まで露にするほど全開放。
「いや、そんなにしないでー」と見せられる側に言われるほど。逆逆、もー。

両極端です。信用できる人の意見そのままか、自分が信じた知識そのままか。

20年前の情報がそのまま変わっていないなんてこともあり、無知は時に悪にも罪にもなり、とんでもないことを悪意なく純粋にまっしぐら。

良かれと思った慈善はただの独りよがりの他者利用なんてことに。

 

純粋すぎると生きづらい理由③:他者の意見に忠実すぎる

一度痛い目を見たり、失敗の教訓を学ぶと、純粋に反省して今後の在り方を見直します。

あくまで光の存在なので、基本的には素敵な人間性であるのが純粋さです。しかし、すぎるとここでも失敗が。

他者の意見に忠実すぎて洗脳されます。

相手は洗脳するつもりがないとしても、闇との関わりであれば両者気付かぬ内に飲み込んだ、飲み込まれた、「えっ、いつの間に(お互いにはもる)?!」なんてことも。

行動も在り方も真っ直ぐな様にコントロールの逸脱があることで、他者の意見を思い込むことで理解しようとします。

そこには、自分を消せない自意識の強さが邪魔をして、思い込むほどに強く念じる、ムン!ムムム。

本来は飲み込めない他者の意見を思い込む努力をし、純粋に洗脳求む的な矛盾を作ります。

 

純粋すぎると生きづらい理由④:ぬいぐるみにされる

純粋すぎる人と関わる際に、己の我欲のみを解消するために純粋な様のみを利用する輩が現れます。

エゴの人間です。

言い方を変えると、恐怖を抱えて自分で対処したくない人に利用されます。

パペット化、ぬいぐるみになります。

純粋さを手玉に取られると、純粋すぎる人は対処ができなくなり、怒りのコントロールも逸脱した憤怒のパニック、血管キレるやつ。

または、自分を傷つけ、汚し、穢すことで光を自ら消そうと純粋に努力します。

手玉に取られる理由は、恐怖を自らの中に持たないために関わりに抗体がなく、一瞬で飲み込まれてしまうためです。

相手の期待に応えないと。
がっかりさせてはダメだ。
もっとしっかりしないと。
これが正しいんだ。
この人に喜んで欲しいんだ。
この人のために生きているんだ。

純粋すぎるので自分を後回しにしてまで、思い込みや洗脳にて他者を優先する行為になり、あくまで思い込みなので極端で違和感のある行為に明け暮れることが起きます。

※利用してくる人の詳細は、人を利用する人の末路│利用される人との相互関係にカルマ有 をご覧ください。

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純粋すぎると生きづらい理由⑤:光が闇にズーン

生きづらい大きな要因は、光であるにもかかわらず、他者の影響にて闇に身を投じて浸かろうとすることです。

自ら抜け出すことが困難なために、一度生きづらい状態に陥るとその場で留まります。

傍から見ていると、目の前の人から離れればいいだけのように思えるのですが、そこには既に見えない柵があり出られない。

純粋すぎる人は、純粋な人とは違い、光しか知らない人です。

それはこれからもです。正真正銘の光の存在であり、光として生きることを自らと約束した人(これはちょっとスピリチュアル)。

闇と関わるとズーン。肩に重荷が付いて、鎖が付けられています。でも見えない。

闇にとても弱い特徴があり、闇になりかわれれば、受け入れや克服による打破があるのですが、純粋すぎる人は生まれながらや幼少期の環境が大きく関わる気質とも考えられるので、他者や生きる環境に闇があるか否か=他の影響次第で、生きづらくなってしまいます。

※心を綺麗にする方法の話は、心が汚れているのか脳なのか│心を綺麗にするには汚れの見極め要 をご覧ください。

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生きづらい時の対処ポイント

この内容の主旨は、純粋すぎて生きづらい人を守るための知識共有ですので、これまでの内容から見出せる対処ポイントをまとめます。

ポイントは、一人で生きないことです。

他者との関わりにて生きづらくなるので、一人で生きた方が良さそうに思えますが、根っからの光キャラであるため、一人で居ることに喜びを見出せないことが多いです。

言い方を変えると、他者との関わりに幸せや喜びを見出す人間性があるため、光同士の関わりが大切になります。

同じように純粋すぎる人ではなく、陰と陽で言う陽タイプの人と関わる時間を増やすことで、消えない自分を主張する必要も、消えない自分を消そうとすることもなくなります。

※人それぞれに孤独を欲する場合には自分の時間を持ちながら、他者との関わりを用いて調整することが大切です。

 

生きづらい時は甘える癖をつける

上述の一人で生きないことは、サポートを付ける意味でもあります。

個として確立された存在なのですが、他者との関わりでは翻弄されてしまうため、見守る人がいることで生きづらさを感じても元に戻してもらえます。

闇や他者に飲まれたとしても、自分を消せないので実際に飲み込まれてはいません。飲み込まれないように独りで戦おうとするとやりすぎたり、間違った方向へ向かう可能性があるので、そのためのサポートです。

見守り助けてもらうために甘えます。

純粋さを活用して、本気で真剣に、真っ直ぐに嘘偽りなく甘えるため、覚えればサポートを多様化できます。

男性でも女性でも、人に頼ってお願いしたり、自らの純粋さを活用して“やってもらう”を増やすことが大切です。

純粋さから魔性っけがでることは考えにくいですが、サイコパスはお控えなすって。

 

生きづらい時の注意点

対処法として注意しておきたいことは、とにかく一人で何とかしようとしないことです。

純粋すぎることはとても無知なことが多い印象があります。その状態では善意も悪意になり、行為も罪になり得るため、周囲に相談したりお願いしたり、頼り合う関係性を作ることが重要です。

それができるのが純粋である光の側面の人間性です。

もちろん人によって光を持ちながらも、闇の影響にて黒っけがプンプンすることもあり、むしろそういう人の方が多いと思います。

純粋であるが故に、白かった自分を真剣に楽しんで黒ペンキ塗り塗りなんてことになっちゃいます。

ですが、生きづらいと思うことは意志である心の反応であり、自らの在り方に警報を鳴らしている救援要請です。

ピコンピコンと赤ランプらんらん。

「やばい、どうにかしないと!」と思ったら自分でやらない。隣の人の肩をチョンチョン、赤ランプを指さして(ほらこれ、ヤバいから助けて)。

これです。

これができちゃうのが純粋すぎる人の力。純粋に助けを求める力。

一人ではなく誰かと関わる。それは常に陽、ポジティブな人、温かい人、または陰も陽も併せ持つ人。

「他者から助けてもらうために純粋さを活用、それは自分のため」

これが純粋すぎる人が生きづらい時の対処法です。

嫌われる人には嫌われます。なので嫌われる以外の生きづらさを対処。そういうものです、生きるって、純粋って。

※生きづらさから辛い場合には、人生が辛いのは当たり前。でも辛いと幸せになれるよって話 をご覧ください。

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純粋すぎる人は生きづらい まとめ

何事もバランスが大切になるのは世の常かもしれません。

己の内にあるバランス、外にあるバランス。内外を合わせたものが自他の関わり、社会です。

純粋さは独りでの環境ではとても素敵でありのままの姿を導きます。ですが、他者との関わりでは度を越えることで剣になります。

とても強い剣。しかし剣の使い方を知らない。それを見抜いた人は利用してきます。

「あなたって素敵、こんな純粋な人見たことない」
「あなたと一緒に居れて幸せ、あなたは私の栄光、兆し」

純粋すぎる人はこの瞬間にパペマペ、ぬいぐるみにさせられてしまいます。

純粋すぎるが故に闇も恐怖も仮面が白ければ仲間だと思います。純粋です。

利用され、悪用され、自らに塩を巻くことになりかねません。

その対処が一人では困難になるのが純粋すぎる人であり、生きづらさを持つ人。

しかし、それは定めでも宿命でもありません。ただ、関わる人を変えましょう。サポートしてもらいましょう。

でもタダでは誰も助けてくれない。
そこで純粋さを活用して、助けたいと思ってもらうようにしましょう、甘えましょう、お願いしましょう。

純粋すぎる人は光の存在、自信をもって甘えて見てください。悪意のない純度100%のお願い、甘え、混じりっけない誠実さ、本気、真剣味、偽りのない様。

とろけちゃう、受け入れる、助けたいと思う。それが人間のさが、光や陽要素を持つ人の優しさに光を射し込みます。

まるで歓喜のあったかキャラメルソース、手作りまったりプリンに降り注ぐ。いってらっしゃい見てらっしゃい、おかえりなさいいただきます。

ね。

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