人それぞれ

ふざけた人生を知る体験談。アフリカ人が教えるふざけるの意味

ふざけた人生を謳歌するふざけた国があります。
その国はマリ共和国と言い、西アフリカに位置するおとぎの国だと思ってください。

いろいろな国には見所や行くべき価値や意味があります。
どんな国でも行く目的があり、人それぞれにさまざまな思いを持ちながら行かれると思います。
そして、マリにももちろん行く目的が人それぞれにありますが、行ったことでわかったのは、素直な人で溢れ、ふざけた人生を謳歌する人々の国だったことです。

海外を5年間旅して周りましたが、マリのようにふざけた国はありません。

私はマリの素直な人のおかげで、ふざけた人生を歩むことを決めました。

マリというおとぎの国の体験から知るふざけた人生の意味を、ふざけた人生を歩まれることを望む方に役立つことを願い、共有します。

 

マリで知るふざけた人生

ふざけた人生を知るマリでのバス移動

マリ共和国は西アフリカに位置しており、場所はこちらです。

マリに入国するには飛行機の空路と、バスや自転車での陸路の選択があります。
私の場合はセネガルからバスでマリの首都バマコまでの陸路で入国しましたが、その際にはふざけた人生の経験と、ふざけた人生を歩むことの意味を学ぶ機会がありました。

バスチケットの購入時、バマコまで向かうバス会社は2社あります。料金の多少の差があり、共に「エアコン付、Wifi付、24時間でバマコまで」と、うたいます。

バスに乗車しますが、オンボロの大型バスのエアコンは故障しており、もちろんWifiなどありません。
そして、24時間予定のバマコまでのバス移動、42時間かかりました。

ふざけた人生で大切なことは、言葉の意味合いや定義、物事はこういうものであるという決め付けや思い込みなどの、ルールで枠を付けて制限するような思考がないことでした。

ふざけた人生 : 宣伝文句は全てテキトーで思い込みや決め付けをしない

※ルールで自らの世界を狭めない

そんなふざけた人生の意味を知ることから始まり、バス移動と共にふざけた人生の意味の理解は深まっていきますので、バス移動体験談をご覧ください。

 

バス移動で激化するふざけた人生の意味

マリでのバス移動は完全にルールなく、ふざけていました。

私がマリに居たのは9月で涼しい季節ですが、気温は毎日30~35℃の猛暑です。バスのエアコンは故障しており、窓がないことと人の多さに酸欠状態になります。

バスは乗客の荷物以外にも店の商品搬送として働いており、商品を各町街に運ぶので、バス下部と屋根は荷物でギュウギュウです。
さらに、車内後部座席の最後部の横一列の座席と、真ん中の通路は全て荷物で埋め尽くされ、荷物が多過ぎてバスから出られなくなります。

ふざけた人生を送るには : 先のことを考えないで、今どう感じ、どう想うかが重要

※荷物過多でバスから出られないけど、乗れれば良い

私は当初、最後部から一列前の座席に座っていました。その際は人が少なく、座席にも空席がありましたが、次の街に着くや直ぐに満席を通り越します。溢れても乗車させるので、バス中央の通路にある荷物の上に人が乗ります。

人が多くなったことで車内は酸欠状態となり、暑さが異常に高まります。
すると乗客が怒り始め、バス車内にいるドライバーと荷物を入れる従業員に対して、「暑い!どうにかしろ!」と怒鳴り、一人が言うと乗客のほとんどが同様に声を出します。

そこで、バスの真ん中屋根にある非常扉を開けることとなり、風が入るようになりました。

乗客が、「なんでエアコンがないんだよ!」と怒り始めますが、バスのドライバーや荷物を管理している従業員の若い男性は、「うるせぇ、座ってろ!エアコン付けてんだろ!」とキレ返します。

エアコンが機能するかではなく、エアコン機器が付いているかがポイントのようで、エアコンのスイッチはしっかり付いていました。

エアコンの大きな機器は最後部座席の上方に位置しており、猛烈に「ボーーー!」という音を出して冷気を出しません。
私の座っている最後部一列前の座席の頭上から激しい音を出し続け、既に壊れているのに壊れそうです。

どうやら運転席付近はエアコンが起動しているようで、エアコンスイッチは何を言っても切りません。

そして、エアコンが故障していることから、最後部から一列前の4つ並んだ座席の中に、1つ大変忙しない座席が作られます。
そこは中央通路を挟んで右側の座席で、私は当初はそこに座っていたのですが、通路を挟んで反対側の左側に移動していました。
なぜならば、そこは頭上に位置する壊れたエアコンから水が垂れてきて、その座席に滴り落ちるのです。

バスでの移動時間が長くなるにつれて、滴る水の量が増えていくのを横目に観察します。
その座席はビチョビチョになり始め、お花に水をあげるかの如く座席の頭上から水がジョロジョロと垂れ流れ、水の量が増えていきます。

人が満席以上に溢れた時、その忙しない座席にもマリ人のおじさんが座りました。
おじさんはイスラム教徒のようで、カンデゥーラ(ワンピースのような白装束)と帽子を身に着けています。

座席も全て埋まり、中央通路も人で溢れかえります。まるでバスとは思えないカオスであり、荷物の上だろうが乗れれば同じようで、誰も文句を言う人もいません。

道中は未舗装の道路が多く、バスが尋常ではないほど揺れながら走り、左右上下とバウンドしながらのバスは悲鳴を上げています。

そして、バスが上下にバウンドする時に、合わせるようにエアコン機器から水が滴り落ちてきます。
それによって、おじさんは水が滴り落ちてくることに気付きますが、ジョロジョロの水はバスが大きく上に飛んだ次の瞬間に、溜まり溜まったエアコン機周辺の水同士で一体となり、水風船のような爆弾がバスの着地する時の振動と重力によって、イスラム教徒のおじさんの頭の上に落ちます。

「ッバシャンッ!!」

それは一瞬で全てがビショビショに濡れる量です。

おじさんは予期せぬことに、信じられないほどの悲鳴を、「ギャー!!!」と上げます。

エアコン機器周辺の水は溜まり続け、この時を待っていたかのようにバスの上下振動と共に解放されました。

おじさんは瞬く間に怒りでぶち切れます。何に怒ればいいかがわからず、従業員の若い男性を怒鳴りますが、若い男性はこれまた瞬く間にぶち切れ返します。
「おい!なんだこれは!!」
「うるせー!!しらねぇよ!!!」

おじさんは黙りこくって、ビショビショのまま座席の上にシュンと戻ります。

ふざけた人生 : 自分に嘘や偽りがなく、赴くまま感じるままに言動する素直な生き方

その後、水の動向に変化が見られます。
滴り落ちる水は量を増やし、最後部座席に山積まれた荷物の上にボタボタボタと終始垂れ流れ続けます。

荷物は何が入っているのはわかりませんが、全てビショビショに濡れ、それによっておじさんは濡れずに助かります。

従業員の若い男性を呼ぶと、中央通路の人を荷物かのように扱い、靴で人の上に乗るや頭に手を置くやしながらズカズカと後ろにやってきて、濡れきった荷物を見てから、私にフッと薄ら笑いして何もせずに前に戻っていきます。気にしないようです。

ふざけた人生 : 何が起きても完全に自己責任

※荷物と人は同じ扱いで差別なし

終始後ろの荷物は濡れ続けますが、未舗装の道に入った際の上下運動によって、エアコンに溜まった水は水風船となり投下するようで、その後もバスが上下に揺れる度に、おじさんの叫び声と怒り声を聴き続けます。

そして、おじさんが叫ぶ度に車内は大爆笑です。
完全に濡れきった重そうな白装束と、なぜか帽子だけはどれだけ濡れても取らず、「フャー!」「ギャー!」「ピャー!」と多種多様な叫び声をするおじさんは笑いを取り続けます。

しかし、本人はいたって本気でダメージを受けており、明らかに服を着ながらシャワーを浴びている状態になるバス車内です。

しばらくすると、垂れ流れる水は最後部からおじさんの頭上に戻り、ボタボタボタとおじさんを再度濡らし続け、たまに落とされる水風船と共に濡れない時間がなくなります。

怒るおじさんですが座席を移動することができません。少し態勢を変えたくても周囲は荷物でスペースがないので、おじさんの座席はすっぽりと天井に向かって空間が仕切られているようです。
縦に体を動かすことはできますが、濡れる位置が頭から肩になるだけで、さらにバスが揺れるので立っているのは危険過ぎます。

終始ボタボタボタと、エアコン機に溜まった汚れを含んだコーヒーのような水が垂れ、濡れ続けるおじさん。

あまりに可哀想なので何かできないかと考えるが、私の荷物は最後部座席のどこに埋まっているかわかりません。
バス走行中にスペースのない後ろの座席で、天井に頭を打ちながら荷物に乗って、天井付近のスペースを使用して必死にバッグを漁りますが、バスの揺れも酷く、荷物に体や顔を打ちつかれます。

「くそう、何とかタオルを取り出せれば!」と諦めて座席に戻ると、そこには目を瞑り、黙って静かに滝行をするイスラム教徒が居ました。

「あ、悟ったんだ」と思う私は、静かにおじさんの頭上に垂れ流れる水を観て頷きます。
「うん、おじさんは受け入れたんだ」という心境です。

その後、バスが塗装路に入った時を見計らって何度も荷物内を探り続けた結果、バッグを見つけ出し、タオルにて垂れ流れる水の出口を抑えることに成功します。

その時には、おじさんは平和な眼で、「ありがとう(水も良いもんだけどね。あなたの優しさを受け取るよ。)」と伝えてきました。

ふざけた人生の理解 : 自分の喜びは自分で生み出す

※“お客様”はいない、“お客さん”もいない

その後は順調にバスは進み続け、辺りは真っ暗になり、さらにその先で夜22:00頃にバスが停まります。
そして、バスドライバーは乗客に伝えます。
「明日の朝6:00にバスに戻って来て、それじゃあ出てって」

ふざけた人生とは : 自由に自分の意見を持ち、誠実で正直に真っ直ぐ生きる

※急に停まって、それ以上行かない。急に追い出す。

どうやら、その地点では地元民が夜の通行を止めており、そこから先は朝になるまで通さないようで、バスを降りると現地の子供達がご座をレンタルする商売をしています。

通行を止められているので、何もない地平線まで見える砂漠地帯に、長蛇の車の列があります。電灯はないので、真っ暗です。

なぜかバスから追い出し、外に寝させようとします。子供達との結託か、協力か。誰も文句を言う人などいません。
気持ちよく砂漠地帯で星空を見ながらの就寝は最高です。

その後、嵐がやってきて砂漠地帯は洪水となり、流される私は靴を失い荷物を必死に守りながら一夜を過ごします。マリは自然環境もふざけています。

その後は何度も検問を超え、幾度も賄賂を請求される謎の戦いを経て、ついに目的地に到着です。

※マリのふざけた人生からわかる真面目に生きることへの理解は、真面目に生きることの体感をさせるマリ共和国。ふざけた人生の真髄 をご覧ください。

不真面目に生きることを教える国がある。ふざけた人生は最高だった「不真面目に生きるってこれかぁ」 何度ふざけていると思ったことでしょうか、アフリカはマリ共和国。 マリを旅した際、常にさまざまな...

 

街中で知るふざけた人生

バスではさまざまなふざけた人生の意味を理解することがありましたが、マリでは日常生活がふざけた人生であるために、いつでもどこでもふざけることの意味を知ることができます。

街中でのルールは謎だらけです。
マリには公共バスがないので、コレクティーボのような乗り合いのバンが街中を走っており、移動ルートが決まっているが乗車と降車位置がバラバラです。

バス停のような目印はあるのですが、道路脇で乗車しようとする人が散らばって立ち並びます。
バスはテキトーなところで停まって、そこで人を乗せたらバス停留所には止まらず行ってしまいます。

誰のところで停まるかわかりませんので、自分の周囲100mほどはチェックしておき、その範囲内で誰かがバスを停めたらそこにダッシュです。
人を乗せるや直ぐに出発する俊敏性があるので、それに間に合わなければならず、少しも待ってくれません。

さらに、降りる際は場所が決まっているようですが、強めに「降ろせ!」と言うとどこでも止まります。ルールはあるけど、ないようです。

ふざけた人生で必要なこと : 完全なる自分を持ち、自分の意志を持って生きる

※ルールはあるけどないので、柔軟に目の前のことを受け入れたり受け入れなかったり、自分の意志がないとほんろうされるので意志が明確化される

路上の屋台でご飯を食べますが、皿は前の人が使っていた皿を、水を汲んだバケツの中でシャカシャカと2秒ほど揺れ動かして終わりです。

街中は良好ですが、田舎へ行くとコーヒーのような水バケツに金魚すくいのノリで1度すくって終わりです。
フォークやスプーンなんかは、即興音楽でもしているかのようにパチャパチャチャカチャカして終わりです。

ふざけた人生の心持ち : 自分の意志によって生きるので他人に依存や執着しない

※自分が綺麗だと思えば綺麗、食べたければ食べる、食べたくなければどこか行け

 

バスステーションで知るふざけた人生

バス移動するために、ルールのあるようでないコレクティーボのような乗り物でバスステーションへ向かいます。
そこはあらゆるバス会社のオフィスが何社も集まった、マリ全国へ向かうバス乗り場であり、客捕りが熾烈を極めます。

常に殴り合いの喧嘩が始まり、1日何回騒動を見るかわからないほど荒れています。

ふざけた人生の生き方 : 感覚的であり思考優位にせずに自分に素直に生きる

※素直な人であるが故に感覚的を通りこして本能的になるのはマリ

客捕りのしつこさはインドほどではありませんが、売り子のしつこさはインドとは比べものにならないほどです。
人としてしつこいわけではないのですが、同じものを販売しながら歩き回る売り子が異常に多くいます。

バスを待つためにベンチに座っていると、その前や横を売り子であるおじさんや男の子が歩き通ります。そして、もれなく全員サングラスを売っています。
さらに、幼児用のおもちゃの売り子や、洋服や、100%純粋なおもちゃのような偽物ブランド時計の売り子もいます。

声を直接は掛けてきません。目が合図のようで、目が合えば販売をしてきて、目が合わなければ商品を歩きながら披露して過ぎ去っていきます。
1人1人にしつこさは皆無ですが、行列のように同じものを売る売り子が流れていくので、「止めどないの?」「何かのお祭り?」と思ってしまいます。
2時間待っている間、一度も途切れることなく流れ続けていました。

ふざけた人生で必要なこと : 自分ができることを一生懸命に行動する

バス会社のオフィスに待っているが、バスがどこかの街からバスステーションに到着するその時まで、いつ来るか誰も把握していません。
その為、終わりのない売り子を終わりの来ない時間見続けるように、待ち時間は無限に感じます。

そして、バスが到着すると、チケットを購入した順番でバス車内に乗れます。
荷物が多いので最後の方の人には座席がないことを意味しており、バス乗車前にバスの前で遠足のように点呼確認があります。
この時にこの場に居ないと乗車の順番を後回しにされるので座席がなくなり、荷物の上です。

点呼確認があるので早いもの順で車内には入れません。ですが、なぜかおしくらまんじゅうで押し合いへし合いを始めます。そしてまた喧嘩が始まります。

バスが出発し、道中の町街でバスから荷物が搬出され、その際に売り子が猛烈にバス車内に入って食べ物を売ります。バスでの売り子は全員女性に女の子です。

食べ物はフルーツやパンが多いですが、綺麗に全員が全く同じものを売っており、バス車内でも客捕りが起きるので、女性同士の喧嘩が始まります。

荷物の搬出が終るや否やバスが出発します。
その際に売り子達は走って車内から出ていきます。
しかし、その時に未だ販売している人やもたついている人がいると、売り子を乗せたままバスが走り出してしまいます。

バスを出発させる時に、ドライバーや荷物を管理している従業員が叫びます。
「早く出ろ!」

しかし、それを押し切って売り続けることでバスは出発し、売り子さんは次の街まで乗せられます。

すると、わかりきっていることに喧嘩が車内で始まります。
「出せよ!止めろ!」
「うるせぇ、黙ってろ!止まらねぇ!」

車内窓から外の景色は、いつも平和です。

ふざけた人生とは : みんな好き勝手

 

交通事故で知るふざけた人生

バスは人と荷物を詰め込んでいるにも関わらず、猛烈にスピードを出して、片側1車線の砂漠地帯を追い抜きながら進みます。

道路の陥没も多いので、100km/hをゆうに超えた速度では横転しそうです。
しかし、ドライバーのテクニックにより、陥没や水没の箇所は急ブレーキでなんとか避けていきます。

そして、ついにやりました。
追い抜こうと反対車線に猛スピードで出た際に、正面から来ているトラックを避けきれず正面衝突です。

そしてこの時も、「ふざけているなぁ」と実感します。

バスがぶつかった瞬間は全員が座席で頭を下げ包まり、自己防衛による本能的な動きをします。
バーン!とバスとトラックがぶつかった衝撃音と同時に、ガラスが割れる音がガシャンガシャン!!とします。急ブレーキでバスがギーー!と停まっていく音がします。車内にはキャー!と悲鳴が上がります。

全てが一瞬のことでしたが、キャー!と悲鳴を上げながら頭を下げますが、次の瞬間には全員が立ち上がり、ぶつかった左前方に顔を向けます。

全てが全員揃った一連の動きだったので規則性を感じました。
「大丈夫か?」ではなく、「どうした?どうした?」が初めに来るようです。

ふざけた人生とは : 恐怖や不安を持たない

恐怖や不安に打ち負ける人は誰もいないようです。

バスが急ブレーキによって止まると直ぐに、何が起きたのかが気になるので直ぐに私以外の全員は車外へ出て、ぶつかった前方を確認します。

ドライバーの運転席がおもいっきりぶつかったのでドライバーを気に掛けるものだと思ってしまいますが、そこは人よりもハプニングの詳細が優先でした。

バスにはけが人は1人も出ませんでした。しかし、バスの後ろを走っていた小型車が巻き込まれており、後方の路上には人がゴロゴロ転がっています。

ふざけた人達は走って向かい、「どうした?どうした?」と様子を見に行きます。
すると、そこには血だらけで道路に投げ出され、路上脇の茂みにクラッシュして前方半分が潰れている車が停まり、4人の黒人男性が路上に投げ出され、あらゆるところから血を流して意識を失っています。

その人達を、「どうした?どうした?」の人達は強引に起き上がらせ、ブルブル揺さぶります。この光景はインドでも見たことがありますが、「止めてあげて!」となります。

「止めろ!」と止めにかかろうとしたら、ゴロゴロの人達を直ぐに手放して、次は後方の茂みにクラッシュしているぶつかったトラックの方へみんな走っていきます。

遠くからでも聞こえます。「どうした?どうした?」が。

ふざけた人生の意味 : 自由

※好き勝手

その後もさまざまなことがあり、代わりのバスが来ないので乗客は通りがかりの別のバス会社のバスに乗り、みんなバラバラになりました。

 

ふざけた人生の意味を知る体験談 まとめ

マリはふざけた人生の意味を教えてくれるふざけた人達のふざけた国です。

マリでのふざけた生き方を知ることで、何が自分にとって必要で何が人生を楽しくし、何が自分に苦しみや悩みを作っているのかが明確化されます。

バスでの交通事故の後、私はバスを代えて移動し、途中で待ち、知っている乗客と合流したり、分かれたり。
集団行動をしないので、みんな自由に好き勝手です。

しかし、その際に何も心配をしないのがふざけた人達の特徴であり、ふざけた人生では怖れや不安がなにもないことを知ります。

バスを代える際にも、バス車内の荷物を気にしません。
「後で合流するだろう」と全てを楽観的に考えます。

バスが来なくても、「いつか来るだろう」と考え、ご飯を食べにどこかに行ってしまいます。

ふざけた人生とは、全てが何でも良いということ。

全てを受け入れることもせず、受け入れないこともしない。そこにあるのは、“今を生きている姿”。

いろいろお伝えしましたが、マリの体験から知ったふざけた人生とは、とてもシンプルに自分として今を認識することでした。

言い合いたい気分だから声を荒げます。そこに意味はなく、ただ声を荒げたいんです。
不安になることもありません。
「えっ、この世は思ったようになるもんでしょ」と言っているかのように、楽観視のみが存在します。

自由の本当の意味は、ふざけることかもしれません。

私は、マリ旅でのふざけた人生の意味を体感したことで、何でもいいと思うようになりました。
全ては起きるままに起きており、なるようになっていきます。そこに意味や理由を見出すと脳を使用することになり、脳を使用することで人と人に差を見出す比較をします。

比較をすることで劣等感や優越感を生み出し、自分の存在価値や評価を気にするエゴが生まれ、心をより複雑化していきます。

全てをシンプルに捉えることで幸せが身近な存在になり、交通事故にあっても、「無事で良かった」とすら思いません。

起きることは起きることなので、生きているからラッキーだということではなく、人生が終っていたらどうだということでもなく、ただあるがまま、何も考えずただ感じて、生きていたらご飯を食べます。

それはご飯を食べたいからであって、お肉を注文して、お肉の骨がバリバリに入っていても、ペッと吐き出す以外にすることも考えることもありません。

ふざけた人生を送るふざけた国の人達を見ることで、自分を縛り付けている思い込みの常識やルールを知り、自分ルールをたくさん持っていることや、そのルールを他人や自分に押し付けている自分を知ることになりました。

その人はその人として尊重するためにも押し付けをせず、あるがままに受け入れているようで受け入れていないようで、実はそんなことはどうでもよくて、毎日が幸せだったら心地良いので、それで良いんじゃないと思ったり思わなかったり。

この世ではふざけるくらいがちょうどいいのかもしれません。

真面目に生きるのも不真面目に生きるのもどちらでもいいと思います。ふざけた人生の意味を知っていると、ふとした時にフラッと解放し、ふらっと自由な気持ちになれるので、ちょこっと良いのかもしれません。

それではおとぎのふざけた国にて体験して知る、ふざけた人生の意味についての共有を終了します。

最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。

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