人それぞれ

不真面目に生きることを教える国がある。ふざけた人生は最高だった

「不真面目に生きるってこれかぁ」
何度ふざけていると思ったことでしょうか、アフリカはマリ共和国。

マリを旅した際、常にさまざまなことが起き、不真面目に生きることの意味を体感させられる環境がありました。

不真面目に生きることは、アフリカのマリ共和国ならではの国民性や人間性が表れており、とても大切な意味をもたらす“ふざけた人生”の生き方があります。

マリに行くことで、不真面目に生きることの意味を頭ではなく経験にて知ることができます。
そこには、不真面目に生きるための真面目に生きることへの理解や、ふざけた人生の存在が必要である善悪のような関係性があります。

それぞれの大切さを教えてくれる環境にて知ることは、ふざけた人生と不真面目に生きることの素晴らしさでした。

そんなふざけた人生を謳歌する人々が教えてくれる、不真面目に生きることの意味と方法を共有します。

不真面目に生きる

真面目に生きるための人生

マリという国を一言でまとめると、「ふざけたお国」です。
おとぎ話に存在する国だと解釈して頂ければと思います。

ふざけた人生を送る環境があり、これは不真面目に生きる環境とふざけて生きる環境が完全に入り交ざっている状態からの恩恵であり、良い意味で完全なるおふざけスタイルです。

私はマリに旅にて訪れました。

生活を過ごす基盤をふざけて提供されることで、真面目に生きることを否応なしに強いられる状態を作られます。

しかし、おふざけの度を越しえているので、もう、「やってられるか、ボケぃ」と真面目な振りをプイッと放り投げて、残るのは“あるがままの自分”です。

その際の放棄は、来ている重たい着ぐるみを脱ぎ捨て、被っている仮面をブーメランのように投げて遊ぶことで、解放ってやつです。

外的に不真面目な状況を与えられることで、もはや強引ですが不真面目に生きることをしないと少し過酷な思いをします。

それは、マリに居る人々の不真面目に生きる基盤環境が、“全て自己責任”というルールを与えられるからです。

マリ人が不真面目に生きる理由 : 全て自己責任の生活環境

※全てが自己責任になる環境によって、真面目に生きることはできなくなる

旅や生活をする際の基盤を自ら作り出すことには限界があります。

生活にはインフラが必要であり、電気を供給したり、道具によって作り出したり、水も井戸から給水したり、料理をするにも火を焚いて料理したりガスを使用したり、何から何までの生活基盤は自らではなく、外的なものを使用します。

旅であれば、歩いて移動すること以外は、ご飯を食べたり、寝床を探したり、交通手段を使用したりとさまざまに環境を使用します。

その環境を使用するのは自分に利益があるからであり、自分の喜びのためです。

そのため、環境を使用するのは自分の喜びのためだと明確にわかる状態を提供されます。
それは自分勝手にされる訳ではなく、「自分のために生きていると自覚しなければ」と思える心持ちになります。

全ての行動は自分の喜びのためであることを認識させられるふざけた環境提供がある。
真面目に生きることができなくなり、不真面目に生きる状態を与えられる。

 

不真面目に生きるとは

「何が不真面目で真面目なのか?」の定義が人それぞれにあると思いますが、マリ人が教えてくれる不真面目の意味はみんな共通です。

自己責任の基に、「全ては自分のため」という自覚があることで嘘をつきません。それは他者に対しても、自分に対してもです。

私のようなマリのことも実情も知らない人間が行きますと、自分ルールを押し付けようとします。

「お金払っているからそれなりの対価が欲しい」と、その対価を自分で決めようとします。

しかし、それはお金を出す側が決めることではありません。屋台でご飯を食べるならば、お皿が洗っていないことは価値を下げることではないので、皿の上に黒いのをドンッとお金をもらった分だけ載せて提供されます。

それは、私がお腹が空いてご飯を食べたいので、「お金でご飯と交換してもらっている立場」です。

どんな状況でも、自分のために自己責任で生きているので、他社への依存や責任転嫁ができないので、ルールがあってもそれに従うかどうかは決まりではなく、人それぞれの意志次第です。

なので、自分ルールは押し付けられないのは当然のこと、現地に一応あるルールも通用しません。サービスや生活環境、自分の喜びをもらうために人と共存するので、目の前の人のその時の気分や状態にて、どう思い感じるかが変わるので、ルールもサービス内容も何もかも変わり、ふざけた人生となり、不真面目に生きる状態が作られます。

不真面目に生きるとは : ルール順守ではなく、人それぞれの自分の意志を基に生きること

※ルールや他の影響で生きるのではなく、自分として自分のために生きる 

 

不真面目に生きることを知る体験

マリでの体験から、不真面目に生きる意味とふざけた人生の体感がありますので、体験談と共にご覧ください。

バス移動で知る不真面目に生きること

西アフリカのマリ共和国へ向かっていた私は、マリ入国ビザを取得するために隣国であるセネガルへ行きました。
そして、セネガルからマリ共和国へ移動する際に長距離バスを使用します。

マリでのバス移動は、ふざけた人生を堪能して、不真面目に生きることを教えてくれる時間となりますので、ぜひ行かれる際にはお楽しみください。

バス会社が何を言っても、それはその瞬間に思いついた戯言です。
それを鵜呑みにすると疲れ果てます。しかし、正確な情報を知る人は誰もいません。

バス会社の人が、「バスの移動時間は24時間」と言うならば、「40時間はかかる」と思っているといい具合です。
「エアコンが付いている」と言うならば、「壊れたエアコンからコーヒーのような水が40時間雨のように天井から降り続ける」と思っていると、いい感じです。
「Wifi付いている」と言うならば、フッと鼻で笑うくらいがちょうどいいです。

バス移動が始まれば、車内は人と荷物で密封状態のようになり、隙間がありません。
バス中央通路は荷物で埋まり、その上に人が乗ります。
壊れたエアコンからの水で、車内の荷物は全てビチョビチョに濡れます。サービスで人も濡れまくります。

マリ国内の移動時には税関を何度も通過し、お小遣い稼ぎの賄賂要求があります。
払う必要はありませんので、気楽に対処をしてください。

夜になると、砂漠地帯の外灯もなにもない大自然にて突然バスは停まり、バスから全員追い出され、「翌朝6:00には戻って来て」と言われます。砂漠の中で星座観賞です。

そして、地平線が広がる砂漠にて睡眠です。

不真面目に生きるためのふざけたサービス提供は自然にも適用されます。

砂漠で寝ていると、夜中に嵐がやってきます。
私はテントで寝ており、目を覚ますとテントが自分と地面との接地面を除いて全て浮いています。

寝ていた場所は洪水の川になっており、必死に流されないように身を守ります。テントから出ると同時にテントは完全に川に飲み込まれ、悲劇です、惨事です、パニックです。

左手にバックパックを抱え、膝まで達する水に流されないように耐えながら、「バリバリバリ!ゴボゴボゴボ!」と凄まじい音を出すテントを右手に離さず、「このやろうー!(ふざけるなー自然)」と気合を入れながら川を抜け出します。

大型トラックの車体下のすき間に入り、体はビチョビチョでガタガタ震え、寒さでおかしくなりそうです。
必死に荷物を守り、なんとかテントもバキバキですが流されずに済みました。しかし靴はもうわかりません。

辺りが真っ暗で、自分の乗っていたバスもわからず、翌朝まで耐え忍びます。
濡れている服しかない上、嵐は止まらず、豪雨と暴風でトラックの車体下から出れず、震えながら朝日が昇るのを待ちます。
辛過ぎて、「あれっ?地獄かな?」と本気で思います。

バス移動が教える不真面目に生きるとは : 何でもいいって思える受け入れ

※受け入れないとやってらんない、受け入れにて固執や依存がない

真面目に生きる際には、ルールや決まり事を守ろうとします。それはあくまで自分が納得するから守り、不満足になりたくないから守ると思いますが、そこにはこだわりや思い込みがあり、それを自分だけではなく他者に押し付けると争いを生みます。

しかし、ふざけるところまで行きますと、押し付けはしなくなり、目の前のことを受け入れ、その内に何も思わなくなります。

不真面目に生きるとは、自分を主体にして自分のために生きていると自覚するために、自分の固執や依存をなくすことで、そのためには受け入れる許容が大切であることを教えてくれます。

※マリでのバス移動のふざけた詳細は、ふざけた人生を知る体験談。アフリカ人が教えるふざけるの意味 をご覧ください。

ふざけた人生を知る体験談。アフリカ人が教えるふざけるの意味ふざけた人生を謳歌するふざけた国があります。 その国はマリ共和国と言い、西アフリカに位置するおとぎの国だと思ってください。 いろ...

 

不真面目に生きる意味 わがままと自分勝手との違い

不真面目には、わがままや自分勝手などのネガティブな解釈がありますが、マリでは不真面目に生きる意味が明確にわかります。

サービスの提供概念はなく、「お金を貰うために自分のできることをする」という思いを持ちます。
それは、自分の喜びのために忠実で正直な姿であり、ルールがないことがルールである環境からの生き方です。

そこにはふざけていると思える光景が常に広がりますが、真っ直ぐに自分のしたいことをする本気で生きる姿があり、自由にルールのない中で自らの意志と意見を持って生きるふざけた人生があります。

そのため、自分の喜びのために環境を使用する際には、「お金を払っているんだから責任はそちらもちね」というネガティブな意味でのわがままで自分勝手なことはできません。

ふざけた人生を自分のために本気で生きている人々と関わることで、本気で自分の意志と意見を持って生きなければならないことを教えられ、それが不真面目に生きることだと体感します。

不真面目に生きる意味 : 自己責任の認識を基に自分の人生を本気で生きる

※自分として意志を持たないわがままや、責任を他者に押し付ける自分勝手ではない

自己責任の基では、喜びも意見も意志も選択も何もかもが自分にあります。

それは、依存も執着もできない状態となり、常識やルールをただ忠実に守り縛られるのか、自分の理解をして自分のために活用するのかの違いとなり、わがままや自分勝手との違いを明確にします。

不真面目に生きることとは、自分を持ち、目の前のことに本気で取り組んで認識して生きることであることを、マリでのふざけた人生を送る人々によって教えられます。

自己責任の基ではお金に権利はなくなり、お金そのものの形である価値や感謝としての表現物になります。

「サービスを提供しろ」「私を喜ばすんだ」「ほら、対価を払え」という自分のない、他力本願で自分で生きようとしない自分勝手な言動をする人間ではなく、お金が必要であれば知恵を振り絞ってふざける人々がおり、イスラム教やキリスト教の歌を唄って物乞いする子供達がおり、自ら木材を集めて屋台を作って食べ物を提供する人々がおり、それはパフォーマーとして自分のために自分のできることを自己責任の基に本気で生きる姿があります。

 

交通事故でも不真面目に生きる

マリ旅でのバス移動では、交通事故に遭うこともありました。
それは、大型バスと大型トラックの正面衝突です。

1車線道路を高速道路のように走り、追い越し運転を繰り返すことで、大型トラックとぶつかり合うふざけた人々がいますので、不真面目に生きることしかできない時もあります。

巻き込まれた負傷者が血だらけでも気にしません。
ふざけた人生を過ごすマリで重要なことは、何が起きたかを知ることです。心配し、けが人をケアすることではありません。

バスのぶつかり具合、トラックの故障度合、けが人は生きているかどうか、それがわかれば移動するために別のバスを探し出します。

しかし、代わりのバスは来ません。砂漠のど真ん中で、乗客はみんなバラバラになります。

好き勝手、通過する別のバス会社のバスに乗っていきます。何台ものバスに乗っていきます。自由なふざけた人生です。マリでの旅は気楽に行かれてください。

国境も超えられません。
税関が突然、「今日はここでは出国スタンプを押さないからな」と拒否し始めます。
3時間ストップです。みんなで3時間言い合い、へし合い、おしくらまんじゅうで忙しそうです。

ついに代わりのバスがそこでやってきて、みんな合流かと思いきや全員乗れません。
バスは別会社のもので空席を利用しているだけです。既にお金は払っていますので、バス会社がそのような手回しをするわけありません。

座席の取り合いが凄まじく、隣の人同士で言い合いや喧嘩が始まり、バス車内は荒れます。
バス車内の座席は横に4席ではなく、小さい座席が横に5席です。その為に、座る1席のスペースが狭くなります。

私に残った空席は、マツコデラックスさんのような女性と、ボビーオロゴンさんのようなムチムチ男性の間にある、3㎝ほどかろうじて見える隙間のようです。
あの両肩の奥に座席があるのでしょう。

はなからスペースを空けるつもりもないようですので、戦いが始まります。
「少し隙間を開けてください」と言っても動じませんので、私も本気でいきます。

肘を腹に差し込むと、「ギャー!」と叫んで睨んできます。
こちらも本気ですので叫び声の大きさに笑うわけにはいきません、マツコさん。

睨む際に体が前のめってこちらを見て来るので、はい、座席のスペース確保成功です。背もたれがちゃんとありました。

しかし、私の体の前側から覆いかぶさるように乗りかかってきます、まるで布団です。
汗ダラダラのマツコさんのような布団をかぶります。

仕返しが始まりましたので、私は腕を自分の座席横から真っ直ぐに前の座席に伸ばし、そこからこちらのスペースには肉の侵入を断固拒否です。戦いませんが守ります。

壮絶な押し合いの末、マツコさんは耐えきれず中央通路にずれていきました。座席確保で、平和がやってきました。

不真面目に生きることに妥協はない。
自分がその人のためにしてあげたい想いがあればその想いに従い、その想いがなければ自分を消して諦めたり嫌々我慢して自分を苦しめることはしない。
体裁や取り繕いで自分に嘘をつくことの意味にはエゴの増長と苦しみを作る以外に意味がないことを教えられ、不真面目に生きることにはそのような嘘偽りの演技は不要であることを知る。

 

マリの日常で知るふざけた人生

日本と比べると、全てが非日常の光景がマリにはあります。

ご飯を食べに路上の屋台に行けば、一皿分のご飯は100円でお腹いっぱいになります。プラスチックのお皿は使いまわしですので、前のお客さんが食べていた皿をコーヒーのような水が入ったバケツにスッと入れて、シュッと手で撫でて終わります。
スプーンはシャカシャカ音を立てて終わりです。

持ち帰りにすると、うっすくて黒いビニールバッグにドバドバと米や豆にスープを掛けていれます。
持ち帰る用のスプーンはありませんので手で食べますが、その前にビニールが破れます。

バス内で手で食べて、ビチョビチョの手は座席で拭きます。
口を拭いてビチョビチョの手を拭いた紙は、「それちょうだい」と拭くためにふざけた人々で使いまわします。

肉屋では、牛の頭がズラーと並び生々しい光景と目が合います。と思いきや、路上のど真ん中にハエだらけのどデカい牛の頭が泥だらけでいくつも並びます。

そして、豪快に肉を火で焙り、どデカい鉈で、焼けた肉をダンダンダンっとぶつ切りで提供してくれます。

屋台では小学生ほどの年齢の少年も経営者です。
今にでも倒れそうな小屋は、そこらへんに落ちていた廃材で建てます。

オムレツを挟んだサンドイッチの屋台ですが、油を買うお金もありませんので、いっつもベンチでゴロゴロしています。しかし、キラキラした目で言う夢は、「大きなレストランを経営すること」です。

別で店舗を構えたお店の店主と話せば、「ビジネスをしよう」と本気で相談してきます。
子供達に見つかれば、周囲を囲まれ遊びます。
遊び始めると身動きができないほど、子供達が集まります。
直ぐ近くで部族間の争いをしていても、バイクに乗って大はしゃぎで雨の中を叫びながら走り騒ぎます。そして、バイクの鍵をなくして大騒ぎします。
歩いていたらご飯をくれます。
飲食店で座席に座っていたら、店員さんがご飯をおごってくれます。
乗り合いのバスにルールはありません。どこで停まるのか、どこに行くのかわかりません。
大きなバスターミナルでバスチケットを購入したら、原付の荷台に乗せられて50km離れた路上のバス乗り場まで連れていかれます。

マリにある日常では、不真面目に生きることには気楽な行動が伴うことを教えてくれます。

不真面目に生きるとは : 他者に抑制されず、自分のしたいように気楽に行動する

※こうしなければならない、するべきだという縛りは燃やしきる

不真面目に生きると本気ですので行動に移ります。しかし、常に行動して、「オラオラオラ」ということはありません。それは糞真面目ですので、不真面目に生きるとすっごく気楽です。

どんな環境でも自分の喜びを主体にして、今の自分にできることをします。その際には人それぞれにペースがあり、「面倒だな」という意志は自分に休息を与えたり、その時の自分にとっての喜びがあるので、行動しないという気楽な行動になります。

マリにて出会う人は、自分のしたいことや夢を楽しそうに語る人が多く、その為に気楽に行動をしている現状がみなそれぞれにあります。

不真面目に生きるために行動をすることは、常に自分の喜びのためというシンプルな目的を持ち、喜びをますます生み出そうとする姿となり、気楽で焦ることのない不真面目に生きる意味となる。
その様子がふざけた人生のように見えたりする。

不真面目に生きることは人それぞれのペースや喜びや自分のできることへの行動があるので、傍から見ると、「もっと頑張んなさいよ」と思われることがあります。

しかし、冷静で俯瞰的になり、焦ることなく自分を理解して、あくまで自分の喜びのために、「よっしゃ、頑張って働くぞ!」と一日三時間くらい働いて、あとはゴロゴロしたりします。

嘘偽りのない自分として生きる不真面目な生き方には受け入れが必ずあり、受け入れなければ空気を吸うこともないと知ります。

 

不真面目に生きる まとめ

マリに旅や仕事で訪れる際には、ぜひ自己責任にて始まる不真面目に生きる日常を体感してみてください。

全ては自由で何でもありのふざけた人生があり、ふざけた人生によって教えられる不真面目に生きることの意味があります。

不真面目に生きる姿は周囲から、「ふざけて不真面目」とネガティブな印象を持たれるかもしれませんが、不真面目に生きることはあくまで外観や周囲の体裁のためではなく、自分の内側を理解して、自分として本気で生きることなので、言い方を変えると内側はとても真面目で自分に誠実で正直な姿です。

何も気にせず何も考えず、その時その時の感覚に従い、物事に執着しない。
それは人間の生きる自然の姿で、社会性の伴う中で適用させてしまうのがマリ共和国の凄さであり、“ルールがないのがルール”という環境ならではの賜物だと思います。

不真面目に生きることは幸せです。それはもう、自分の喜びがメインですので幸せです。猫のように好き勝手やって、何よりも自分を大切にゴロゴロしたり、ご飯食べたり、働いたり。

ぜひゴロゴロニャーニャーして、不真面目に生きる幸せな人生を歩まれてください。

人生は自分の喜びのためにあることを心から体感できる、ふざけた人生を謳歌するマリ共和国。不真面目に生きることは最高の喜びだと思います。

それでは、ふざけた人生から知る、不真面目に生きる体感についての話を終了します。
最後まで読んで頂きまして、ありがとうございました。

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