意味

禁欲の本当の意味にスピリチュアル|断食と性行為には抑制ではなく喜びを

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欲望とは愛を生み出す糧となり材料となり、喜びと成長をもたらします。

しかし、禁欲という言葉があります。

禁欲にはどんな意味があるのでしょうか?

欲を抑えるのか、欲をなくすのか、欲を理解するのか、欲と対峙するのか?

欲がなければ私たちは生きることもできません。禁欲をすること自体が、「欲を禁じたい」という欲の一つです。

禁欲とは欲を一気に爆発させるための欲としての意味と効果があり、スピリチュアルな概念からの理解があります。

そんな禁欲の本当の意味をご覧ください。

禁欲とは スピリチュアル

禁欲の意味

欲とは無限にあるかもしれません。

性欲、食欲、飲酒欲、快楽欲、買い物欲、睡眠欲、承認欲求や人を助けたい欲というものもあります。

私なんかは、おいしい空気を吸いたい欲があり、自然の中にいたい欲、ふざけて生きたい欲を持ちます。

さまざまに欲する気持ちを考えると、欲望は三つの種類に分けられます。

欲望の種類
  1. 肉体の欲望・・・食欲、睡眠欲など、肉体維持のための“生きたい欲”
  2. 脳の欲望 ・・・性欲、飲酒欲、買い物欲など、脳が納得するために欲する
  3. 心の欲望 ・・・愛欲、成長欲など、心の意識のために欲する

種類を三つに分けたのは、私達人間は“自我意識”を元に生きているためです。

自我意識とは、肉体の記憶、脳の記憶、心の記憶からの情報を統括する意識で、自分のことを“自分”だと認識する源です。

人の構成要素 : 肉体 + 脳 + 心

 

禁欲とは欲を抑える?

三つも種類がある欲を持っていますが、そんな欲を禁ずると、前提として肉体維持ができなくなるので朽ち果ててしまいます。

そんな大切な欲を禁ずることができるのでしょうか?

人それぞれの禁欲の解釈があり、「食べるのはいいけど、性行為はだめ」とか、「タバコはダメだけど、ジャンクフードはOK」とか、「飲みすぎ注意だけど、一日ビール1本までね」という具合に調整します。

そこには、禁止までしない欲を抑制する解釈として、納得を目的とする場合があります。

実際に欲を禁ずると生存維持ができなくなるので、生存に関わる欲以外を調整することで欲を抑制します。

肉体の欲望は言い方を変えると、「生きたい」という意識からの欲望です。欲を抑える場合は、生きたい欲に一切関係のないものを対象にして抑制します。

生きるために必要な欲以外を抑えるのは、自分の意志次第で抑制度合いが決まり、必要のないものをそぎ落とす行為になります。

 

禁欲は我慢や忍耐ではない

実際に欲を抑えようとしても、「我慢できない、お酒飲みたい」となる場合には明確な理由があります。

ガタガタ震えるから。

それが体のガタガタか精神のガタガタかは人それぞれで、我慢や忍耐をしている状態になることで、欲を抑えている自分に反発が生まれます。

欲を抑えているので自分の意思に反しており、禁欲ではなく、あくまで欲を抑えつける行為だと自分自身が教えます。

実際に禁欲する場合、「自分に喜びがあるから欲を禁じる」という意識があります。

なぜならば、禁欲行為は欲望の一つだからです。

欲望の意味を確認しましょう。

欲望とは、自らが欲するためにする行為で、自分を喜ばす目的がある

禁欲に我慢や忍耐はなく、辛さや苦しいものはありません。

 

禁欲とは心の欲望

これまでの内容から、欲の抑制と禁欲は大きく異なる概念であることがわかると思います。

“喜びのために欲を禁ずる”ので、欲を抑制しても禁止してもどちらでも自分の喜びになります。

「そんな人いるの?」という感じですが、”心の欲望”があることでその意味が通じます。

 

禁欲とは心の欲望として欲を禁ずること

心の欲望をおさらいします。

  • 心の欲望…愛欲、成長欲など、心の意識のために欲する

愛や成長を求める欲の一つとして、欲を抑えたり禁ずることで愛を育み、成長が養われます。

愛や成長を求めることに繋がるために、喜びを求めるために禁欲することができます。

禁欲の意味を要約するとこうなります。

禁欲とは心の欲望として自分の喜びのために欲を禁ずること。

肉体や脳の欲望には欲を禁ずることに喜びはなく、単純に死にます。また、「自分は禁欲して頑張ってるんだ」という納得のためにすることで、禁欲ではなく我慢をしている意味になります。

禁欲することは心の意識に集中して見出される愛や成長を求める意志となり、自分に愛を与える方法であるスピリチュアルな意味があります。

 

禁欲のスピリチュアルな意味

禁欲にスピリチュアルな意味があるのは、禁欲が欲であることから見える禁欲の正体にあります。

欲は生きることを継続させ、脳を納得させてくれるので、あった方がいいと思います。

あっていけないことなどありません。しいて言えば、脳の快楽に走り、他者と比較して自分を見失い、生きている意味や存在する必要性を見出すために考え方と生き方が作られることくらいです。

言い方を変えると、自分を見失い、生き方に彷徨い不幸になる。

ですが、彷徨っていると認識しなければ、ビール飲んだり注射とかすると、「なんだかんだ今日もいい日だ」となるので、一件落着ではないかと思います。

しかしそこで、心の欲望を持つ場合、肉体と脳の欲望は結構邪魔になります。

 

禁欲とは自分に愛を与えたい心からの意志

喜びを求めるのは自分を大切にして敬うが故の行為です。

そこには、”自分のため”である明確な目的があります。

喜びを求めるのであれば自分に快楽を与えて、欲しいものを買って、やりたいようにして、我慢も抑制もせずに自由にさせてあげます。

そこで、欲を禁ずることは自分に厳しそうに見えますが、実際には利益や喜びのみです。

肉体の欲望や脳の欲望によって自分を見失い、意志や何を求めているのかを知る真意が隠れてしまった場合、自分を明確にして意志を確立するために、欲を整理することが喜びになります。

愛や成長を求める際には自分の意志を明確にしなければ、自分を愛して大切にする土台の認識が薄れ、真意を逸脱する可能性があります。

それは紛れもなく喜びの正反対となるため、彷徨いまみれる自分を明確にするためにも、禁欲にて欲を整理して、意志や認識を明確にすることでスッキリ成長を求める基盤を作ることができます。

禁欲は自分を見えなくする障害を取り払い、意志を明確にして、愛と喜びを求める基盤を確立する成長となる。

 

禁欲には段階がある

禁欲として性衝動や断食など、さまざまに欲を禁じようとします。

しかし、これまで当たり前と認識していた行為を抑えることに”喜び”があるのかどうか?

「ないでしょ」という感じですが、ここでお伝えしている禁欲の意味となるには”段階”があります。

段階を踏むことで、最終的には喜びのためであり、意志を明確にする成長があり、その際には自分の愛を強く認知して、人を愛する気持ちが強くなる結果が生まれます。

そんな段階として、欲を抑制して我慢や忍耐をする時がメインとしてあり、その我慢が緩和されていくことで喜びとなり、楽しみとなり、愛の育みと成長になります。

禁欲の段階

禁欲をするためには欲の抑制から始まる

我慢や忍耐を伴う抑制があり、我慢が緩和される

欲を整理して、自分自身を理解し始める

我慢をする必要がなくなり、自分の喜びのために禁欲をする

自分の喜びや新しい自分を体感して楽しむことができる

自分の愛を強く認識して、人を愛することができる成長となる

極端な例になりますが、断食をする時に初めは辛い時間が続きます。しかし、何度も試す内に我慢や忍耐とは違う認識になり、自分を理解し始めます。

お腹が空いている状態にて自分の欲望が顕著に表れ、それが続くことで意志の認知が明確化します。

すると我慢の段階を超えて、喜びのために断食をするようになり、何も食べないことで体感するエネルギーや新しい自分を味わいます。

そして最終的には何も食べなくなり、インドにいく。

そんな具合です。

 

禁欲には浄化の効果がある

禁欲の段階を踏みながら喜びが見出されるようになると、浄化としての効果も生まれ、愛の認知や成長の障害となる負のエネルギーを浄化する意味があります。

障害となっている肉体と脳の欲望がありますが、特に大きな欲望となる“食欲を禁ずる断食”、“性欲を禁ずる性衝動への禁欲”によって、自分の意志と愛を見えやすくします。

負のエネルギーとは”受け入れられない思い”によって作られるものです。

普段の生活にて受け入れないことが多ければ多いほどに、負のエネルギーが心身に蓄積します。

それは形を変えてストレスになったり、病気になったりします。

禁欲にて我慢や抑制をしている段階では、この負のエネルギーを体感することになります。

これを乗り越えた時に我慢がなくなり、喜びのために禁欲する受け入れた上での行為になり、それは既に自分の意志を明確にして成長している合図にもなります。

我慢や忍耐があることで自分の抑制や受け入れない様を見ることができ、その際に自分を理解する機会となる。
受け入れることで禁欲の本当の意味となり、負のエネルギーも同時に浄化されていく。

 

禁欲すると起きる結果

禁欲成功のあかつきには、心の欲は一気に増大します。

我慢による禁欲である場合には、成長ではなく発散の解放となり自分を見失います。しかし、禁欲の本来の意味となることで新しい認識がもたらされます。

それは禁欲前とは完全に別意識のようなもので、これまでに体感したことがない感覚や、五感の鮮明度、第六感やスピリチュアル能力があり、波動認知による周囲や他者の理解があります。

雨が降る際の気圧の変化がわかり、遠くの猫の声まで聞こえます。さらに波動認知にて目の前の人の感情や心情がわかりと、認識の幅が広がります。

それらを体感している際に気づくことになりますが、それは自分を取り戻している状態でして、あらゆる抵抗がそぎ落とされることで鮮明になった自分の素の状態です。

さらに人を見る見方や捉え方が変わり、人を想い敬う気持ちが強くなることでモテるようにもなります。

周囲の反応が変わり、自信も自尊も抱きます。それは周囲が変わったのではなく、自分の在り方が変わり、波動状態が高まっていることによる結果で、特に愛の認知が変わることで人を愛し、愛される状態になります。

禁欲の結果は心の欲が爆発的に放出される状態となり、愛や成長を求める欲が強まり、喜びを求めることにフォーカスをして、人が喜ぶことが自分の喜びになったりと、愛を持って過ごす時間が増えていきます。

※禁欲理解に大切な話は、欲がない人は地球には存在しない|欲が絞られるスピリチュアルな意味 をご覧ください。

 

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断食による禁欲

断食による禁欲の意味

断食は“肉体の欲望”に対する禁欲行為です。

断食には段階があります。

禁欲であることに変わりないので、断食する際も自分が喜ぶための目的を持ち、最終的には愛の認知と成長に繋がる行為です。

断食する際には、「何日間食べないぞ」「肉体を酷使して耐え抜いてやる」という野心や野望を抱く人もいると思いますが、断食の程度は人それぞれにあります。

何日間断食するかの目的が、「耐えるため」「忍耐力を養うため」という場合もあるかもしれませんが、断食の目的には自分を理解する意味があります。

すると、我慢しようとする自分も自分です。我慢する気がない自分も自分です。断食をすることで、自分を知る機会になります。

人それぞれに、「自分はどういう人間なのか?」を知ることに、断食による禁欲の意味があり、そこには段階があります。

 

断食による禁欲の段階

断食するとお腹が空きます。そして、お腹が空く感覚から、「苦しい」と思う人もいますし、「何か食べたい」と欲が出る人もいます。

「苦しみを解消したい欲」や、「苦しみとは何かを知りたい欲」を持つ人もいます。

自分の認識を観察すると自分の理解に繋がり、禁欲の段階を踏みます。

 

我慢や忍耐と闘う欲の抑制段階

「健康のため」「腸内浄化」という別の目的もあるので、禁欲うんぬんとは全く別の話もありますが、禁欲として断食する際には欲と闘う段階があります。

この際には禁欲の意味ではなく、欲を抑制する我慢や忍耐の意味となり、禁欲以外の目的です。

我慢や忍耐を耐え抜く欲の抑制の場合には、数字や条件が必要です。
「10日間断食を達成する」「一か月水だけ」などの達成条件をルール設定して、そのルールが目的になります。

その際には、脳の納得が達成され、同時に自信や自尊に繋がりますが終わりません、次の段階に入ります。

 

感覚や思考を観察して自分を理解する

断食する際に、「五日間しなければならない」「七日間しなければならない」というルール設定は完全な脳の納得のためです。

禁欲として断食する際にルールはなく、人それぞれに一日何回食事しても断食になります。

肉体の欲望や“生きたい欲”を観察することに禁欲としての断食の意味があり、「お腹が減って苦しい」と感じた時に、その感覚を理解することが自分を知ることになります。

そこで、「苦しい」→「何か食べなきゃ」→「食べなきゃヤバイ」などの脳の欲や思考が出てくることを観察すると、「苦しい」の感覚の意味を知ることになり、禁欲の意味に繋がります。

すると、最後の禁欲の段階になります。

 

辛さも過酷さもない喜びのための断食

感覚と思考を理解することで浄化としての禁欲になり、自分を理解して愛を認知します。

成長にもなり、一日一食抜いたり、定期的に断食をしたりと、体調調節や、感覚観察、「最近ちょっとエゴ強いからやろう」という具合に、自分を理解した上で活用します。

目的が全て、愛の認知や成長となることで禁欲としての断食となり、この段階では喜びのみです。

※断食のスピリチュアルな意味の詳細がありますので、断食はスピリチュアルな意味深│食べる意味を知るとどうなっちゃう?!をご覧ください。

 

性行為にあるスピリチュアルな禁欲

最後に性行為や性衝動を禁欲する意味をお伝えして、終了します。

性行為による禁欲の意味

断食と同時に、禁欲難易度が上がるのが性行為です。

性行為には子孫繁栄への本能活動があることで、「性欲禁じるなんて拷問かよ」と思うかもしれませんが、性欲とは本来愛です。

愛以外の性欲は全て脳の欲望です。

そこには、脳の大きな快楽となる納得と肉体感覚による満たしがあり、脳の欲望に繋がります。

そのため、自分や脳を理解して活用することで性欲は自然となくなり、性行為するかどうかは完全に選択できます。

私が変態宇宙人であることから断言できますが、「性衝動を解消しなければ!」「急所セクション発熱急上昇感知!」「発射準備完了です隊長!」みたいに体が認識しても、制御できないことはありません。

脳が認識することで、「そうだそうだ、性行為は必要だ!子孫繁栄だ!本能!本能!本能!」と騒ぎ出します。

うるさいので観察すると黙ります。

※性欲のスピリチュアルな理解は、性欲のスピリチュアルでわかる自分の欲深さ|ムラムラする理由とは? をご覧ください。

 

禁欲とは愛の理解

性欲を禁ずることも断食と同じ意味があり、スピリチュアルな愛の認知が伴います。

自分を理解することでの愛の認知があり、他者に与える愛を理解して、自身の行為の意味を知ることに繋がります。

「行為自体を一生止める」というのも人それぞれに自己理解を深めるために必要ですが、衝動や行為を抑える忍耐や我慢の段階を超えることが大切で、それによって喜びのための禁欲となります。

禁欲によって、より性エネルギーの認知と共に共有が行われることとなり、行為の意味や愛の理解が加速されます。

同時に、愛のエネルギー共有と育みが増大する行為は日常的にあることを、禁欲によって知る機会にもなります。

禁欲は我慢や忍耐によって自分をより知るための基盤があり、抑制状態を越えた時には、禁欲の大きな効果と意味を体感することになります。

※性行為のスピリチュアルな見方については、本質は性エネルギーの受け渡し|赤ちゃんが教える性行為の意味 をご覧ください。

 

禁欲の意味とスピリチュアル まとめ

以上が、禁欲の意味とスピリチュアルな認識についての話でした。

食と性を知ることで禁欲の意味がわかりやすくなるかと思い、お伝えしました。

禁欲の意味となるキーワードは自分の喜び愛の理解です。

禁欲には辛く過酷なイメージがありますが、禁欲とは欲の矛先を一つに絞り、「愛の爆発じゃ!」という具合に、愛の欲望をモリモリモリと入道雲状態です。

禁欲とは愛の欲の一つで、「禁止とか言っておきながら、愛はムキムキよ」という感じです。

そんな、自分を理解させるための禁欲を辛いものとするか喜びとするかは人それぞれに段階があり、物事は一つ一つ進んでいきます。

私もタバコやお酒、特にチョコボール欲なんかは凄まじかったですが、一つ一つ感覚や思考を認識してひも解いて理解することで、自分を知ることに少しずつ繋がっていきました。

愛を認知することで、いろいろなおもしろい欲を生み出すこともできますので、禁欲の本当の意味を知って、ぜひ活用してみてください。

それでは、禁欲の意味とスピリチュアルな話を終了します。最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。

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POSTED COMMENT

  1. ラック より:

    すごく丁寧にわかりやすくてなんだかすっと入ってきます。素敵な記事をありがとうございます!

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