対処・解消法

人の気持ちがわからないのは当たり前「言われたからには意味がある」

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人の気持ちがわからないのは当然であり、自然なことです。

人の気持ちがわかる、わからない。そんなものは何だっていいのかもしれません。

ここでは、人の気持ちがわからないと言われたことに潜む真意をお伝えします。

目の前の人との関わりには“社会”という根底基盤の上で生活している私達一人一人の気持ちがあります。

人の気持ちがわからないことが教えてくれる、大切な気づきをご覧ください。

人の気持ちがわからないと言われた

人の気持ちがわからないのは当たり前

大前提の話を初めにしたいと思います。

私達は人の気持ちなんてわかりません。

世の中にはさまざまな人がいます。預言者やスピリチュアル能力と言われるものもあります。

心理学的に捉えた体質にHSP(Highly-Sensitive-Person)があります。

スピリチュアル的にはエンパス、逆エンパスと言います。

HSPやエンパス体質の人は、周囲の人の状態を感受共感性から読み取ることができ、体調や心理に精神状態、相手の思惑や企みを感覚的に感じ取ります。

スピリチュアル的に言うと、波動を読み取るリーディングをしています。

相手の体調も状態も、嘘をついているかどうかもわかります。

しかし、そのような体質や能力があっても相手の気持ちはわかりません。

今何を考えて、何を感じ、どんな気持ちでどんな認識なのか、本人以外は誰もわかりません。

どうしても本人の認識がフィルターになるため、相手が認識しているようにそのまま捉えることができません。

こんな前提があるため、人の気持ちがわからないのは当たり前です。

※人の気持ちを読み取る体質に興味のある方は、エンパスの特徴は全部自意識の強さ|感受力にスピリチュアルな不思議 をご覧ください。

 

人の気持ちがわからないから、予想したり理解しようとする

当たり前だからと言って相手の気持ちを理解しなくていい、する必要がないということではありません。

ですが、人によってそのように思い、気持ちをわかろうとする人を蔑んだり馬鹿にするかもしれません。

本人にしかわからない気持ちですので、人それぞれに自由です。

私達には脳があり思考があります。

そのため、人の気持ちがわからないとしても予想・予測して、理解しようと試みることができます。

それは、宇宙に行こうと諦めなかった人のようです。

しかし、義務ではありません。常識でもルールでもありません。

どうしてわかろうとするのでしょうか?

人の気持ちはわからないけど、わかろうとするのは自分の利益のためです。

 

人の気持ちをわかろうとする理由

私達は人の気持ちをわかろうと考え、相手の表情や仕草を読み取り、言葉を理解するように言動から気持ちを理解しようとします。

人の言動は言葉のように意味を持ちます。

そんな意味をわかろうとする理由に“自分の利益”があります。

過去の軌跡があり、自分の体質や気質や性格があり、価値観や人間性や人生観があり、観念を持って、「これが私の満足、これが私の納得」と千差万別。

自分の利益を求めて人の気持ちをわかろうとする理由はいくつかありますので、こちらをご覧ください。

人の気持ちをわかろうとする理由
  1. そういうもんだとルール設定しているから
  2. 他者から否定される恐怖を味わわないために
  3. 他の人と違うようにならないために
  4. コミュニケーションのために
  5. 人に興味があるために
  6. 共有して調和して人間関係を育むために
  7. 楽しむために

利益には、恐怖を味わわないことがあり、喜び楽しむことがあります。

どれでも人それぞれに大切なことで、全て自分のためです。

 

人の気持ちがわからないと言われた意味

私達は自分の利益のために人の気持ちをわかろうとします。

わかったような気になって思い込んだり決め付ける人もいます。すると、「人の気持ちをわかりなさい」と干渉して人を変えようとする人も作られます。

人の気持ちがわかるもわからないも、自分の利益のためにわかろうとします。

自分のためであれば他者に押し付け、強要するようなことはしません。

楽しいから宇宙へ行くことを諦めず努力します。楽しいから人の気持ちをわかろうとします。

自分のために人の気持ちをわかろうとしない場合、他者に「わかれよ」と押し付け干渉し、「人の気持ちがわからないとダメだぞ」という謎のルールを持ちます。

これはルールのために生きて、自分のために生きていないことを表します。

人の気持ちがわからないと言われたのは、ルールに則っていない様が引っ掛かりに見えるからです。

それは、人の気持ちをわかろうとしない様をルール違反だと思うためです。

 

人の気持ちがわからないと言われたことでわかること

人の気持ちがわからない人だと言われるのは、人の気持ちをわかろうとしないように見えるためだと考えられます。

実際に言われる人はわかろうとしていません。なぜならば、わからないことが当たり前だからです。

人の気持ちがわかるかわからないかに重要なことはなく、人の気持ちをわかろうとするかしないかに人の気持ちを知る理解が潜みます。

人の気持ちがわからないと言われたことは、『わかろうとしない=人との関わりを正しい間違いのルールとして見ている』。そんな現状の在り方を教えられているかもしれません。

 

人の気持ちがわからない人の特徴と原因

人の気持ちがわからない人の特徴

この特徴は、人の気持ちをわかろうとしない人という意味です。

人の気持ちをわかろうとしない人の特徴を知ることで、改善が見えやすくなるので一覧にまとめます。

人の気持ちをわかろうとしない人の特徴
  1. 人の気持ちをわかろうとすることに利益がない
  2. 人に興味がない
  3. 自分にしか興味がない
  4. 自分への興味がルール化された中での利益追及
  5. 正しい間違っていると褒めたり否定されることへの反応が強い
  6. 自分の中のルールに支配されている
  7. 人の内側や流れを知らない
  8. 何も考えず行動する
  9. 自分の頭で理解していない思い込みが多い
  10. 自分がわかっていない
  11. 感謝しない
  12. 敬いがない

人の気持ちがわからないことは、人の内側の存在を知らないことに起因し、自然な認識として人の気持ちをわかろうとしなくなります。

特徴をつくる人間性には幼少期の環境に原因があり、人の気持ちをわかろうとしない自然な認識を作る歴史があると考えられます。

 

人の気持ちがわからない原因

人の気持ちをわかろうとしない特徴の根底には、極端に褒められたり否定されたりという経験が強く記憶に刻まれているかもしれません。

人それぞれに褒められることが多かったり、否定されることが多かったり、または両方だったり。

そういった環境で育ち生育すると、褒められる=良い否定される=悪いという自然な認識が作られます。

何も悪いことはありませんが、この認識に支配されると他者に生かされる状態になりやすいです。

 

他者主体への反発にて自分を貫こうとする

生かされている状態を自覚した過去があると思います。

自我を強めて己の存在を確証させるように、自分の意見や思想を持って周囲に飲み込まれないよう意識します。

すると社会性に反発します。

「自分を貫きたい」
「普通になりたくない」
「みんなと同じになりたくない」
「私は私の意見を持っているんだ」
「社会の常識やルールには則らない」

などの独自性欲求が表現されます。

既に社会性を基準にした上での反旗であり、沿わないようにというルールを気にかけたルール。既にルールの中。

すると正当化と思い込みが強くなります。

「どれだけ頑張っても人の気持ちがわからなかったからもう努力しなくていい、あれだけやったんだから無理だし、そんなに必死になってまでわかろうとしなくていい」

人の気持ちをわかろうとしない在り方が定着します。

人の気持ちがわからないことに違和感がなくなります。

※人の話がわからない原因は、人の話が理解できない原因はトリッキー【自分の理解スタイルがある】をどうぞ。

 

自分を見出すことに忙しなくなる

人の気持ちがわからない人の特徴の一つは“人に興味がない”ことです。

自分に興味があるのですが、その興味は自分を見出すことです。

独自性を用いて他の存在を比較対象にするため、自分のことで忙しくなります。

自分だ他人だと区分けして反発して反旗をひるがえすことに、人の気持ちがわからない原因の核が潜みます。

 

人の気持ちがわからないのは、生きている環境を知らないから

大切なことを忘れてしまいます。

社会の中で生きている大前提です。

ルールのために生きるのか自分のために生きるのかは自由に決められます。そして、どちらも社会の中で生きることに変わりありません。

社会とは人の共存であり歴史であり変化であり継承。それは、人と人の関わり。

生活基盤をもたらしてくれる社会を忘れ、生きる環境を与えてくれる社会を忘れます。

それが、当たり前。

当たり前を基準にすることで人の気持ちがわからない原因を作ります。

当たり前の対義語

当たり前 ⇔ 有り難い(感謝)

社会という人や環境への感謝を忘れてしまうことが、人の気持ちがわからない原因と考えられます。

 

人の気持ちはわかるものではなく、わかろうとするもの

日常や毎日の基盤を当たり前だとルール化せず、社会に有り難いと感謝する気持ちを持つ大切さがあると思います。

自分の利益を得られることを感謝すると目の前の人を敬い、目の前の人を利用するのではなく共有して調和して、共にその場を分かち合い楽しみを半分こ。はいアンパンどうぞ。

すると人の気持ちをわかろうとする意欲が生まれ、相手の内側や流れを読み取ろうと、より深く知る努力へ向かえます。

当たり前を無くし、社会の大切さ、有り難さを知ることで、人の気持ちをわかろうとする意志が生まれます。または忘れていたことに気づけます。

※自分の気持ちがわからない件は、自分の感情がわからないのは契約に秘密│脳に居るもう一人の自分を知る をご覧ください。

 

体験談:人の気持ちがわからなかった私

人の気持ちをわかろうとするきっかけ体験談

最後に私が人の気持ちをわかろうとする動機となった、一つの些細な思い出が参考になれば幸いですので、お伝えして終了します。

私は非情で冷酷な人間でした(です)。

しかし、人との関わりにある喜びを知り、社会の有り難さを常に感じています。

そんな私を作ってくれる記憶の一つに、私が8歳頃の思い出があります

まったく言葉を発さない子でした。

常に恐怖に怯え、とにかく目立たず、静かに生きようと努めていました。

ある日、兄のボランティア団体のキャンプイベントがあり、そのようなものに絶対参加したくない私でしたが、強制参加させられました。

誰も知っている人がおらず、子供だらけの中にポツーンと過ごします。

一人の女性保育士の先生が気にかけてくれて、ずっとズボンを掴んで付いていました。

「お昼にカレーを作ります。みんなでご飯を一人一人ジュースの空き缶で炊いてみましょう」

そんな企画があり、みんなが350ml缶に白米を入れて、研ぐために缶の中で水と米をシャカシャカ振ってワーワー騒いでいます。

私は自分の意志も意見も何もなく、最後に残った缶を手に取り、「とにかく綺麗にしよう」と一心で何十回も洗いまくりました。

その時先生に、「どれだけ洗うの?」と聞きましたが、「好きにしていいよ」と言われて訳もわからず洗いまくる。

10人1グループになり、火に10缶のせて炊き、カレーもできて一緒に食べます。

自分の缶のご飯を食べるのかと思いきや、「ご飯を味比べするためにもみんなのを分けて食べようね」と全員のご飯を少しずつ、カレーと共に盛られます。

そして、真っ先に自分のご飯を食べてみると、「…マズ」

「こんなにマズイご飯どうやって作れるんだ?」と思うほどにマズくて、食べられたものではありませんでした。

でも他の子のご飯はみんなおいしい。そして味が一つ一つまるで違う。

みんなにも小さな私が作ったご飯が盛られているため、「なにこれー、マズー」「先生、このご飯だけおいしくない」「食べたくない」という声が出始めました。

私はそれが自分が作ったものだと知っているので食べますが、自分で作っていなければ食べられないほどにおいしくありません。

みんなの反応を聞いてモジモジし、申し訳なくて、「嫌なことをみんなにしちゃった、どうしよう、ごめん、怒られる」と思ったら涙が止まらなくなってきて、下を向いて声を殺して泣いてしまいました。

すると気づいた先生に、「どうしたの?」と聞かれ、「そのご飯はズルズル、ぼくが作ったやつ…ウルウル」と震えた声で伝えます。

先生は、「誰のかわからないよ、缶の中身は全部みんなに分けたから誰のかなんてわからない、おいしくなくても誰かが作った大切な一つの味だよ」と言いました。

先生がみんなに、「おいしくなかったら食べなくていいんだよ、作ったことやみんなのお米は一人一人違うことに意味があって、良いとか悪いとかじゃないんだよ」と言いました。

小さな私は居ても立っても居られなくて、みんなの前でワンワン泣きながら、「ごめんなさい、それはぼくが作ったやつで、食べなくていいからね、全部ぼくが食べるから、ごめんね、ウェーンウェーン」と謝りました。

すると、怒られると思っていたのにみんなが、
「おいしくないけど食べたい!」
「マズくないよ全然」
「こっちの方がおいしいかも」
「もっと食べられるぞ!」
と言ってくれて、私のご飯が真っ先になくなりました。

私は人の気持ちがわからず、考えようともしておらず、自分のこともわかっていない。しかし、謝った時はみんなのことを想っていて、先生のことを想っていて。

人は凄く大切で、自分が思っているようなことは事実ではなく、実際にはもっと素敵な現実があると身をもって知りました。

先生は洗っている所から全てを知っていました。みんなに申し訳ない気持ちがあって泣いていることも先生は汲み取ってくれていました。

全く誰とも話さず自分の意見も持たない中で、洗い過ぎている時の楽しそうにシャカシャカしていたことも含めた流れを理解して、みんなの気持ちも尊重した発言をしてくれました。

人の気持ちはわからなかったけれども、何が自分にとっての喜びなのかを知り、人を敬うことで起きる社会を知り、みんなと一緒にいれる環境があることで起きた体験。

そこには社会という、人と人が関わり共有して調和して喜び楽しむ環境があることを、有り難いと感謝する理解がありました。

「お米は研ぎ過ぎないように」というお話でした。

人の気持ちをわかろうとするかどうか、全て自分次第。

そんな理解がお役立ちになれば幸いです。

それでは最後までご覧いただき、ありがとうございました。

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POSTED COMMENT

  1. 千鶴 より:

    人の気持ちがわかるって、大切なことですね。改めて気付かされました。
    幼い時のキャンプでのお話、胸がジーンと熱くなりました。きっと北斗さんが皆を素直に思いやる心、通じたのですね。素敵な先生と優しい仲間との思い出、どうもありがとうございました。

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